ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

コリン・ウィルソン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

真の自分を知れば超人になる

本当の自分を知ると、全ての潜在力が開き、事実上、超人になる。
アニメ『MADLAX』で、それを象徴する印象深い場面がある。
リメルダ・ユルグは、マドラックス(ヒロイン。17歳)と互角に戦える超人的女性戦闘員で射撃の達人である。
そのリメルダが、すぐそこ(十数メートル先か)に身を晒しているマドラックスを銃撃する。
リメルダの腕なら、いかなる小さな的でも楽々撃ち抜く距離である。
だが、マドラックスには当たらない。
リメルダが当てようとしていないわけではない。本気でマドラックスを殺そうとしているが、マドラックスは、リメルダが連続して撃ってくる弾丸を涼しい顔で交わしてしまうのだ。
少しは焦りを見せながら、リメルダはマドラックスに、「どうしてそんなことが出来るの?」と問う。
すると、マドラックスは「本当の自分を知ったから」と答える。

そんな実話を、これまで何度も書いた。
1つだけ再度書くと、英国の作家コリン・ウィルソンは、19歳の時、人生に絶望し、劇薬の青酸カリが入ったビンのフタを開け、まさに口に含もうとした。
その時、世界がガラリと変わる。
ウィルソンの意識には、崇拝する英国のSF作家H.G.ウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』のポリーの言葉が浮かんだ。
「人生が面白くないなら、変えてしまえばいい」
完全ではなかったかもしれないが、ウィルソンは本当の自分を知ったのだろう。
それ以降、彼の人生は変わる。

では、彼らはなぜ、自分を知ったのか?
それは、死の体験によってである。
マドラックスは脇腹を撃たれて深い傷を負い、数日、生死の境をさ迷った。
そこから回復した時に変わっていたのだ。
コリン・ウィルソンも、死を受け入れたのである。

インドの聖者ラマナ・マハルシも、17歳の時、不意に訪れた死の体験によって、偉大な聖者に生まれ変わった。
そして彼はずっと、「私は誰か」と自分に問えと世界に訴えた。
まさに、彼は、真の自分を知れば、自分が全てであると分かることを示したのだ。

では、我々はどのようにそれをすれば良いのか?
ラマナ・マハルシの方法(「私は誰か」と自分に問う)は、難しいと思われる。まあ、難しいという観念こそが邪魔なのであるが、実際に、成功者は少ない(あるいはいない)と思われる。

1つ、こんな方法がある。
呼吸を出来る限り微かにするのだ。
うまくいけば、数時間で死の体験が出来るかもしれないが、これは危険を伴うので、お勧め出来ない。

そこで、やはり、マントラ(真言)なのである。
気に入ったマントラなら何でも良い。
ただ、普段お勧めしている観世音菩薩の真言「オン・アロリキャ・ソワカ」や「南無観世音菩薩」は、『観音経』によれば、どちらかというと現世利益のマントラである。
唱えれば、確実に恵があるが、真の自己を知るにはどうであろう?
実は、全く問題なく使えると思うが、このマントラが現世利益のためのものであるという観念が強いと、必ずしもうまくいかないかもしれない。
そもそも、まずは、現世利益が大切であり、皆が皆、そこまでのこと(真の自己を知って宇宙と一体化する)は望まないかもしれない。
だが、やはり真の自己を知りたい場合は、例えば、阿弥陀如来真言「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン」を唱えると良いかもしれない。
もちろん、「南無阿弥陀仏」でも良い。
そして、真言密教の最高位であった織田隆弘氏は、大日如来真言の中でも、「オンアビラウンケン」を特に推奨されていたようである。
※【密門会ホームページ 】 真言宗の根本真言参照
私個人は、この真言でも、あるいは、「アジマリカン」でも「トホカミエミタメ」でも、全く同じという立場であるが、高度な専門家の意見も尊重する。








人生という映画のシナリオ変更法

人生が映画だというのは、本当に良い譬えだ。
いろんな聖者、賢者、神秘家も、人生や世界を映画に喩えたが、もっとうまく喩えろと言いたい気持ちもある(笑)。

人生、あるいは、世界という映画の主人公は我々一人一人だ。
そして、映画は、初めからシナリオが決まっているのが当たり前だ。
シナリオがないのに映画を作るはずがない。
それは人生映画も同じである。
我々の人生のシナリオは初めから決まっていると考えるべきである。

しかし、映画は、製作途中でシナリオを変えることが絶対に出来ないだろうか?
原則論で言えば出来ないが、実際は、案外に行われているのではないだろうか?
「いやあ、シナリオはこうだけど、こう変えた方が良くはないか?」
といった感じである。
しかし、変えられる範囲には自ずと限度がある。
「3月9日のシーンでは、主演の君は、彼女をハグするシナリオだが、チューまでいってみよう!その方が後の展開に活気が出る」
という場合もあるだろう。
だが、そこで、あなたが、
「いえ、どうせならもっといろいろ!」
と言っても、監督である神様は、
「いや、それはいかん。後のシナリオ変更が大変だ。それに後のお楽しみも取っておかないと・・・」
などと言うのである。

シナリオを変える権限は、監督である神様にある。
しかし、主演役者がシナリオを変えて欲しいと思う場合だってあるだろう。
その場合、やりようによっては、監督(神様)にシナリオを変えてもらうことが出来る。
ただし、一定の範囲でということになるはずだ。
だが、一定の範囲とはいえ、シナリオを変えれば、随分違った映画になる。
チュー出来る相手は2人と決まっているのに、3人に変わればどんなに良いか・・・いや、レベルが低すぎた(笑)。

では、どうすれば、シナリオを変えられるのか?
例えば、お金がなくて、当分の間、家でじっと引きこもるシナリオになっているが、旅行に行くシナリオにしたいと思う。
旅行に行けたら、旅行先で可愛い女の子と出会い、彼女とチューを・・・いや、これはあくまで1つの例題である(笑)。
この場合、例えば、旅行バッグを買えば良い。
そうしたら、監督(神様)も、「しょうがないなあ」と思い、お金がどんと入って来るシナリオにするなど、自然に旅行に行く展開にしてくれるかもしれない。
このように、役者である自分が、シナリオを変える準備をすることが有効であることが、沢山の成功者を演じた役者が保証してくれている。
チン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いをかなえられる』という本では、クリント・イーストウッドがこれで成功し、イーストウッドは駆け出し俳優のバート・レイノルズに教え、レイノルズも成功したことが書かれている。
イーストウッドは名優だけに、直観的にそんなことが分かったのだ。
また、フローレンス・スコーヴェル・シンの本では、沢山の事例が書かれている。
H.G.ウェルズの自伝的小説『ポリー氏の人生』では、ポリーは「人生が気に入られなければ変えてしまえば良い」と言い、英国の作家コリン・ウィルソンは、この言葉を座右の銘として、人生を変えた。

ところで、他に、とっておきのシナリオ変更法がある。
実際の映画ではやっちゃいけないが・・・有効ではある(笑)。
それは・・・主演役者であるあなたが「シナリオを忘れる」ことだ(笑)。
そのために、ずっと、お経や祝詞を唱えたり、マントラを唱えれば、シナリオを思い出さない(笑)。
もう、メチャクチャだ(笑)。
だけどねえ、シナリオを忘れるにしても、監督(神様)への敬いを忘れないことが絶対に大切だ。
だから、お経や祝詞や、真言が良いのだ。
例えば、監督が阿弥陀如来とすれば、「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」と阿弥陀如来の真言を唱える。
尚、阿弥陀如来というのは、人間の概念としては、一仏の仏様だが、実際は、あまりに大きく普遍的な、そして、偉大な存在で、宇宙全体と言って良い。
だから、監督が阿弥陀如来だと思えば阿弥陀如来だ。
ところで、シナリオ変更に親切に動いてくれる存在が観世音菩薩で、阿弥陀如来(監督)に対する観世音菩薩は、助監督とか、ジブリで言えば、宮崎駿監督に対する鈴木敏夫プロデューサーのような関係と思っても良いと思う。
宮崎駿氏と鈴木敏夫氏はとても仲良しだそうだが、阿弥陀如来と観世音菩薩もそうである。
そんなわけで、観世音菩薩の真言「オン、アロリキャ、ソワカ」を唱えても良いし、「般若心経」や「十句観音経」を唱えても良い。
だが、大切なのは、敬う心である。
だから、この通りでなくても、自分なりに誠意を示せば良いのだと思う。
迷うなら、日本人の場合、自分の干支の守り本尊(【Wikipedia】十三仏参照)の仏様や菩薩様の真言を唱えるということが昔から行われている。
あるいは、「十言の神咒(とことのかじり)」といって、天照大神のお名前である「アマテラスオオミカミ」と唱えるものがある。
また、昔から、運命を好転させる「サムハラ」のお札を持ったり、同時に、「サムハラ」と唱えるというやり方もある。
いずれも、敬意を持って行わなければならない。
それらを常に行いながら「これで運命を変えて下さる」と信頼してお任せすれば良いと思う。








大きな願いを叶えるための準備

願いを叶えたければ、願いが叶った時のための準備をすれば良いだけである。
旅行に行くことが願いなら、旅行カバンを買って準備すれば良い。
可愛いあの子を彼女にしたいなら、いい服でも買ってデートの準備をすれば良い。

では、生きるための大きな願いを叶えるにはどうすれば良いだろう?
イエスは、人はパンだけで生きるのではないと言ったが、実際、人間は、食って寝るだけでは生きられないものだ。
人間は、自己満足しないと生きられない。
自己満足の本質とは、ディール・カーネギーが昔、指摘した通り、自己重要感である。
だが、カーネギーは、それを得るための、とんでもなく難しい方法を示した・・・いや、多分、自分で分かっていなかったのだろう。

だが、私は、良いモデルを見つけたと思っている。
それは、大空手家だった大山倍達氏である。
彼は、昭和の少年達のヒーローだったが、実際は、彼をヒーローにした彼の伝説の大半は嘘らしい。
彼自身、「嘘も百回繰り返せば伝説になる。千回繰り返せば真実になる」と言ったくらいである。
だが、そんな彼が、とんでもない大物だったことも確かだ。
では、彼はなぜ、そんなに大きくなったのか?
その秘密は、彼が中学生の時、パスカルの『パンセ』を熟読したことだと思う。
それが、彼の生涯の哲学になった。

つまり、自己満足出来るほどの願いを叶えるための準備とは、哲学を持つことである。
哲学と言っても、別に、それほど大したことではない。
イギリスの大作家コリン・ウィルソンの場合は、H.G.ウェルズの自伝的小説の『ポリー氏の人生』だった。
イーロン・マスクは、SF小説の『銀河ヒッチハイク・ガイド』だった。
いずれも、彼らが少年時代に読んだものだ。
こんなもの、いかなる偉人の場合も、調べれば、必ず出てくる。
コリン・ウィルソンは、その本で、「人生が気に入らないなら変えてしまえばいいし、それは出来る」と考えたし、イーロン・マスクは、自分には人類を救う義務があると信じた。

正直、その哲学を示したもの(小説やエッセイ等)は、それなりのクオリティのものなら何でも良い。
シュリーマンの場合は、やはり、少年時代に読んだ『イーリアス』(ホメロスによるギリシャ神話を題材にした叙事詩)だったが、確かに、これは人類史に輝く傑作ながら、内容そのものは、言ってしまえば漫画だ。
丁度、『古事記』が大変なものであると同時に、これを漫画にした石ノ森章太郎が「古事記は漫画」と言ったようにだ。
別に、大事業家とか、大作家にならなくて良いし、そんなものになれるのは、実力というよりは、たまたまだ。
自己重要感を満たし、自己満足すれば良いのである。
そうすれば、そこから解脱への道も開けるだろう。
自己満足しない限り、迷いは消えず、悟りは開けない。
だから、まずは、自分の哲学を持たなければならない。
尚、DS(ディープステート。闇の権力者)は、一般人が独自の哲学を持つことは決して許さないので、抵抗は覚悟しておくように。
しかし、断固、自分の哲学を持てば、神が助けてくれるので大丈夫である。








危ない覚醒スイッチ

成功法則のマスター達は皆、
「貧しい時でも、自分は豊かだと言いなさい、自分は豊かだと思いなさい、豊かな人間の態度をしなさい。それで豊かになる」
と言う。
しかし、それは、強い心の持ち主のみが出来ることだ。
心が弱い人は、少しの間は、「私は豊かだ」と言ったり、自分は豊かだと思おうとするが、それは長く続かない。
そして、「豊かな人間らしく、高い買い物をしろ」と言われても、絶対無理なのだ。

そこで、自己暗示によって、心がぼーっとした状態の時に、「私は豊かである」と自己暗示を行う人もいるが、これでうまくいった人はいない。
それなら、催眠術のプロに頼もうということになり、プロの催眠術師に、催眠状態にしてもらって、良い暗示を与えてもらおうとする。
つまり、10分間、催眠術師の前に座れば人生が変わるという都合の良いことを期待するのだ。
しかし、それでうまくいくなら、催眠術師は大人気で、世の中に駄目人間はいなくなるが、実際は、それでうまくいったという話は1つも聞いたことがない。

所詮、心を強くしたり、信念の力を得るには、世の中で何十年も、頭を叩かれて鍛えなければならない。
まあ、それが原則であることは、多くの人が知っている。

ところが、人間の脳内には、奇妙なスイッチがある。
それを押してしまえば、何でも信じることが出来る。
発明家で能力開発の高度な専門家であった中山正和氏は、昔の本で、そのスイッチのことを「不思議なものだ」といった程度に書いていたが、探求心の強い彼は、そのスイッチが引き起こす仕組みを解明しようとした。
だが、その結果、中山氏は、ひどく難しいことばかり言い、普通の人にはさっぱり分からないし、具体的にどうすれば、そのスイッチを押せるのか、誰にも分からない。
また、著名な心理学者の河合隼雄氏は、そんな安直なスイッチを求める安易さを戒めていた。
けれども、中山氏は本当に見つけていたのである。
一方、河合氏は難しい解決法しか示さなかったと思う。

その覚醒スイッチを押してしまった人の話があるが、言い難い(笑)。
それが誰かと言うと、イギリスの世界的作家、コリン・ウィルソンだ。
どうやったかというと、青酸カリ(猛毒の薬品)のビンの蓋を開け、まさに口に含もうとしたのだ。
その瞬間、スイッチが入った。
中山氏も、実は、「命をピンチに追い込んだらスイッチが入る」と言っていたのである。
しかし、まさか、ウィルソンのようなやり方は出来ない。
青酸カリを飲む真似ではなく、本当に飲む気でいなければならないのだから。
でないと、命をピンチに追い込めない。
しかも、成功するかどうかは分からない。
ウィルソンは、たまたまうまくいっただけで、失敗する方が多い。
私も、決して勧めないことをはっきり言っておく。
だが、ウィルソンも、直観的に、青酸カリ効果のことは理解していて、ロシアンルーレットでうまくいった人の話を好んで引用した。
しかし、そんなこと出来るかである(笑)。

もっと穏やかな方法があるが、これでさえ、うかつに言えない。
それは、20日ほど断食することだ。
それで命をピンチに追い込めるからだ。
しかし、これも、私はお勧めしない。
そういえば、中山氏は、給料袋(昔は給料を現金で払うのが普通だった)ごと、誰かにやることを勧めていた。
これもまた、命をピンチに追い込む良い方法であるが、これも私はお勧めしない。中山氏は勧めていたが、昔と違い、今は責任を人になすり付ける時代だから、下手なことは言えない。

以上で、もう、やり方は分かっただろうし、同時に、やる気にならないことも分かったと思う。
女優になるとか、ミュージシャンになるとか言って、上京する人はそれなりにいるが、うまくいく人はほとんどいない。
その理由は、才能とか努力もあるが、何より、命を賭けなかったからだ。
そして、それが(命を賭けられないのが)当たり前なのだ。
だから、自分が、命を賭けることが出来るような人間でないと認識し、最初から、そんな馬鹿な真似はしないことだ。

ある大空手家が言っていたらしい。
「喧嘩必勝の秘訣?先に命を捨てた方が必ず勝ちます」
この空手家、命を賭けた喧嘩の実戦経験は物凄く豊富で、さすがに分かっている。
一言で言えば、「必死必殺」である。
必ず死ぬと決意すれば、必ず殺せる。

で、覚醒のスイッチの押し方は、こうである。
神に命を預けることだ。
つまり、一切を神にまかせ、結果どうなろうと文句を言わないと誓うことだ。
なあに、人生丸々損したって大したことはない・・・という覚悟をすることである。
まあ、聖者賢者達は、皆、こう言ったのだからいまさらであるが、受け入れる人はほとんどいない。








朝から晩まで見る

宇宙を思いのままに構築できる魔法力とか神の力を得るには、何かを観測すれば良いのではないかと思う。
観測とは、目で見たり、耳で聴いたり、あるいは、指で感じたりである。
ただし、それを「果て無く」と言うほどやるのでなければならない。
例えばであるが、毎日5時間を数週間といった感じであるが、これでも短過ぎるかもしれない。
だから、それを見ることや聴くこと、あるいは、感じることが本当に好き・・・かどうかはともかく、進んでやろうとするようなことでないと駄目だろう。
まあ、普通は、やはり、好きなことだ。
しかし、ただの好きとは違うと思う。
例えば、私がいくら初音ミクさんが好きでも、ミクさんの歌を毎日5時間も聴いたり、ミクさんのライブビデオを毎日5時間観続けることは出来ない。

コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』だったと思うが、極めて特殊な能力の持ち主になった男の話がある。
彼がそのようになった経緯はこうだ。
彼の最愛の妻が、心神喪失の状態になり、彼は妻が意識を取り戻すのをずっと待ったのだが、彼は妻の傍で、いつそれが訪れるかを絶えることなく注視していたのだ。
それこそ、起きている間はずっとで、いつまででもやるつもりだったに違いない。
それで、どのくらい期間を要したかは忘れたが(一月以上かもしれない)、妻は意識を取り戻した。
そして、その時、彼には不思議な能力が備わっていたのだ。

関英男博士の場合は、若い時に、新型の電波受信器のテストのため、受信機から聴こえる音をずっと聴いていたそうだ。
すると、ある時、不思議な音が聴こえたらしいのだが、とにかく、それをじーっと聴き続けたという。
そうしたら、意識に変化が起こり、世界が変わってしまったという。
関博士は、電波工学の世界的権威になるだけでなく、普通の人には決して見えないものが見えるようになってしまったのだ。

今朝も書いたが、耳鳴りの音をずーっと聴いていて、意識に革命的変化が起こった人もいるようだ。
ある富豪の事業家は、そこそこ金が出来るまでは大変だったが、池に鯉を沢山飼い、それを1日中眺めて過ごすようになったら、仕事をしなくても事業規模が大きくなり続け、いつかそんな富豪になっていたらしい。
赤ひげ先生のように、昔の医者は、ただひたすら患者の脈を指で感じることで、イエスのような、あるいは、黒住宗忠のような神秘力を得て、奇跡のように病気を治したのではないかと勝手に、だが、確信的に想像することがある。

法然が1日中念仏を唱えていたのも、自分が発する「南無阿弥陀仏」という声を聴いていたのだろう。
それを起きている間中、ずっとやったのだ。
だが、それは、法然が、念仏を唱えたり、聴いたりするのが、好き・・・というか、とにかく、彼には「合っていた」のである。
だから、それを、他の人に薦めるというのが、本当に良いかどうかは分からない。私の考えでは、おそらく、それは良くはなく、法然はミスをしたのだと思う。
尚、念仏や呪文は、必ずしも声に出して唱える必要はなく、心で唱え、それを、心で聴けば良いのだとは思うが、それでも、それが1日中やれるほど自分に合っていなければならないのだ。

「神様の奇跡が起こる」と1日中唱え、何度も実際に奇跡をお起こしたホームレスの男性の話を、ここでよく書くが、やはり、彼は元々、信心深く、この言葉を唱えるのが向いていたのだろう。
普通の人では、10分や20分唱えるのがせいぜいで、それも3日も続くまい。
また、根性でやったって意味はないと思う。

自分が1日中、見ていられる、聴いていられる、あるいは、感じていられることを見つけ、それをやれば、宇宙はあなたのものだ。
そして、間違いなく、誰にでもそんなものはあるはずだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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