ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

コリン・ウィルソン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人生が気に入らないなら換えてしまえばいい

SF小説か何かで、こんな話があった。
未来を見てきた時間旅行者が、墜落することになる飛行機に乗ろうとする知り合いを止めようとするが、歴史の改変を許さない宇宙の力の作用で身体が動かなくなって目的を果たせず、そのまま飛行機に乗った知人は死んでしまう。
運命とは、そのように変えられないものであり、つまり、人の運命は決まっている。
神話などでも、宇宙の摂理に反するようなことを試みる者は、ことごとく失敗したり、悲惨な目に遭っている。
例えば、死んだ妻エウリュディケーを黄泉の国から連れ戻そうとしたオルペウスは、所詮、失敗するしかなかったのだ。

では、どうあがいても運命は変えなれないのかというと、人間に留まる限り、その通りだ。
人間は運命に従うしかない。
それは、映画が脚本通りに始まり、展開し、終わるようなものだ。
ところが、宮崎駿さんは、ストーリーを考えずに作っていたらしい。
それで、「後30分しかないのに話が終わらない」なんて鈴木プロデューサーに泣きついたことがあったという。
観ている観客は、予想のつかない展開に興奮するが、何のことはない。元々、監督にも結末は分からなかった・・・いや、決めていなかったのだ。

H.G.ウェルズの『ポーリー氏の物語』(未翻訳)で、ポーリーが「人生が気に入らないなら換えてしまえばいい」と言ったのを、同じイギリスの作家コリン・ウィルソンはひどく気に入り、多分、座右の銘にしていたのだと思う。
そうだ。人生という映画が気に入らないなら、映画自体を換えてしまえばいいのだ。
物理学の量子力学の仮説である多世界解釈(いわゆるパラレルワールドに関するもの)の1つの考え方では、世界なんて、何かの拍子にぽんと1つ発生する。
新しい理想の世界を作り、そっちに移動すれば良い。
それには、自分は役者に過ぎず、自分という人間は単に登場人物で、そんな人間が本当に存在する訳ではないと気付くことだ。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは『ラピス・ラズリ』という詩の中で、
「良い役者は自分が泣いたりしない」
と書いている。
その通りだ。
不幸な役を演じたからって、何が悲しかろう。
「良い役者は泣いたりしない」
それを忘れないことだ。
初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』のように、「顔を上げて微笑む」ことだ。
それで奇跡が起こるに決まっている。









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不屈の心はこの胸に

大きな目標を達成したり、困難な戦いに勝つためには、潜在意識、あるいは、右脳を活性化させなければならない。
そのために絶対に必要なことを1つ挙げるなら。
それは、「しゃんとする」ことだ。
「しゃんと」とは、
・物事がきちんと整っているさま。ちゃんと。
・姿勢または態度などがだらけていないで、きちんとしているさま。
・衰えを見せず、元気で活発にしているさま。
・確かに。きっぱりと。しかと。
という意味である。
これが、顕在意識、あるいは、左脳がやるべきことなのだ。

コリン・ウィルソンが『右脳の冒険』で、だいたいだが、こんな話を書いていたと思う。
弟と2人で、森の中、道に迷い、雨が降り、陽も落ちて寒くなり、弟は泣き出す。
自分も泣きたかったが、兄である自分がしっかりとしなければいけないという想いで自分を奮い立たせ、しゃんとした。
すると、不思議な活気がみなぎり、無事に家に戻れた。
ウィルソンは、左脳の意思が「しゃんとする」ことで右脳の膨大なエネルギーを引き出せたのだといったことを述べていたと思う。
もちろん、このあたりの表現はいろいろで、ウィルソンが正確にどう言っていたかは覚えていないが、大切なことは、「気力を奮い立たせる」「不屈の闘志を燃やす」といったことである。
それにより、大きな力が味方になってくれる。

自分がしゃんとして、潜在意識に指令を出せば、無限の力を持つ潜在意識が働くのである。
しかし、言い換えれば、自分がしゃんとし、ちゃんと指令を出す必要があるのだ。

私は、長谷敏司さんのSF『BEATLESS』を読了後、すぐに再読に入り、上巻を読み終え、下巻に入った。
私は、『涼宮ハルヒ』シリーズ、『(化)物語』シリーズ、『カゲロウデイズ』、『木枯し紋次郎』など、面白い小説は10巻、20巻、それ以上のものでも一気に読むのだが、すぐの再読が続いたのは初めてだ。
『BEATLESS』はそれほど長くはないが、紙の本で見ると、上下巻ともかなりの厚さで、合計で1100ページ以上はあると思う。
その『BEATLESS』で、私は、主人公の17歳のアラトと、少女型アンドロイドのレイシアのこんな会話を心に刻み付けた。

「レイシアは、僕をチョロいって言わないかわりに、間違うとへし折りにかかるんだな。僕をどうさせたいんだよ」
彼女の薄青の瞳が、存在しないこころからの願いを伝えるように、まっすぐアラトを見上げる。
「デザインしてください。わたしとあなたがともに歩む“未来”を。エリカの描いた絵図面ではなく、オーナーであるアラトさん自身の思うままに」
それは、目前の事件に振り回される彼が考えてこなかった、一段大きな戦いだ。
レイシアの視線は自信に満ちていた。
「わたしには、その未来を引き寄せる力があります」
~『BEATLESS』(角川文庫)下巻より~

レイシアを潜在意識に置き換えると、そのまま勝利の法則になる。
それは戦いであり、心がしゃんとしていなければ、それによって不屈でなければ出来ないことである。









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世界はこうして作られる

コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』や『フランケンシュタインの城』は長く出版されているロングセラーだが、共に、右脳、内面宇宙、潜在意識、超意識等と言われるものを扱っている。
これらの本に書かれている、「自分が今見ているものは、意識を向けた瞬間に、“内なる魔術師”が作り上げたものである」という話が興味深かった。
夕焼けを見た時は、内なる魔術師が夕焼けを作り、事故現場を見た時は、やはりそれを内なる魔術師が作っている。
その説を支持する学者等も結構いるのだと思う。
サルトルも、本を読むことは本を書くことだと言ったというし、ウィルソンの友人は、ショパンを聴く時は、本当にショパンになってしまうのらしい。
そして、静かに考えれば、私も、確かにその通りだと、昔から(おそらく子供の時から)思っている。
荒唐無稽な話かというと、そうなのかもしれないが、案外に誰も、本心では否定しないのではないかと思うのだ。

そこで、一応、目の前の世界は内なる魔術師・・・すなわち、潜在意識とか主観的意識というものが作るのだとして、意識の外にある世界はどうかというと、それは、存在しているかどうか怪しい。
ドナルド・トランプが大統領を務めるアメリカという大国は本当は存在していないか、私が意識した瞬間に存在するのかもしれない。
ただ、間違ってはならないのは、世界を作るのは、自分の表の心、即ち、顕在意識とか自我とか呼ばれるものではなく、潜在意識という深奥の心なのである。
だが、潜在意識だけで世界を作っているのでもない。

世界を作るのは、顕在意識と潜在意識の共同作業であるということだ。
つまり、神と人はパートナーだということなのだと思う。
『BEATLESS』で、17歳の高校生アラトが望むと、REDBOX(人類未到達産物。超AIが作り人間には理解出来ないもの)である超hIE(ヒューマノイド・インターフェイス・エレメンツ。一般にはアンドロイド)のレイシアが、アラトには想像も出来ない方法で実現するのと似ている。
アラトはオーナーで、レイシアはオーナーの望みを叶える道具であるのだが、むしろ、レイシアはアラトのパートナーであると言う方が正しいだろう。

レイシアが何を実現するかは、オーナーのアラト次第であるのと同じく、世界を・・・少なくとも、人生をどんなものにするかは自分次第である。
ビートルズの『Nowhere Man(邦題:ひとりぼっちのあいつ)』で、「The World is at Your Command(世界は君の意のままなのさ)」という通りである。
自分が高貴でいれば世界は高貴だし、自分の心が豊かであれば世界も豊かだ。
そして、良い世界に住みたいなら、自分がそれに値する人間になろうと決意することだ。

『観無量寿経』で、王妃イダイケが釈迦に、「私は、悪人だらけの、こんな悪い世界に住みたくありません」と言えば、釈迦は、阿弥陀如来が作った西方極楽浄土の様子を語り、その世界を心の目でしっかり見ろと言った。
それで、イダイケの世界はすっかり変わり、彼女は救われたのである。
これは、優れた心を持てば、世界も良いものになるということだ。
言い換えれば、世界が、あるいは、人生が悪いのは、自分の心の問題である。

我々は、時代劇の影響で、武士に対する偏見を持っているが、武士は特権階級に相応しい立派な人間であろうと心掛けていたのであり、それは、西洋の騎士も同様である。
世間で言う特権階級とはやや異なるかもしれないが、自分が特権階級でありたいなら、それに相応しい人間でなければならない。
そのために、何をするか、どんな努力をするかは自分で考えることと思う。
なぜなら、自分は神のパートナーなのだからだ。









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至高体験の想い出

自己実現理論で知られるアメリカの心理学者アブラハム・マズローは、偉大な人間と平凡な人間を分けるものは、「至高体験の経験があるかないか」であると言ったと思う。
至高体験とは、英語でピーク・エクスペリエンスで、直訳では絶頂体験であり、ある特別な心理状態なのだが、説明が少し難しい。
至福の体験、恍惚とした幸せの体験ではあるのだが、興奮状態というよりは、内側からこみ上げてくる幸福感と言った方が正しいかもしれない。
一種のエクスタシーではあるのだが、性的エクスタシーや、その他の感覚的エクスタシーと全く同じではないだろう。
あるいは、大自然の雄大な風景を見た時に感じる感覚も、それに近いが、やはり完全に同じではない。
宗教的な恍惚感である法悦(ほうえつ)がそれに最も近いのかもしれないが、そう言われてピンとくる人は少ないと思う。

だが、およそ文豪と呼ばれる作家が、至高体験を描いていないことは絶対にないと言われている。
ドストエフスキーは、作中の人物に、「その10分と引き換えなら、人生全てを差し出しても構わない」と言わせたほどである。

マズローと親交のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、至高体験とは単に、自分が幸運だと思うことだと言い、誰にでも起こっている、ありふれたものだと言う。
それは正しいのかもしれないが、人はそれを覚えていない、あるいは、思い出せないのであると思う。
ちなみにウィルソンが覚えている至高体験は次のようなものである。
ウィルソンが家族で自動車で旅行した時、まだ幼なかった娘の姿が見えなくなり、ウィルソンと妻は必死で探したのだが、なかなか見つからず、夫婦はパニックに近い状態になったのだが、不意に、娘は全く無事な様子で見つかった。
ウィルソンは、その時のことを思い出すだけで、いつでも至高体験を感じることが出来ると言う。

私はずっと、至高体験があったとしても、それを思い出せなかった。
しかし、ついに、今年、それを思い出せるようになった。
それは、今年(2017年)9月3日(日曜日)の、千葉県の幕張メッセでの、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」でのことだった。
コンサートが終了し、会場に証明が入った後だった。
私はペンライトをバッグに仕舞い、そろそろ帰ろうかと思うと、大勢の観客が立っていることに気付いた。
その多くが、会場の他の人達に、上げた両手を振っていた。
一人一人が、他の全部の人達に対して、そうしているように感じた。
私も立って、ややぎごちなく、遠くの方の人々に、両手を高く上げて振ってみた。
その時は、私は体調や気分があまり良くない状態っだので、気付かなかったのかもしれないが、後で思い出すと、私は至高体験の中にあったのである。
皆、声を出す訳でも、笑顔を振りまいているのでもなく、せいぜいが少し微笑むだけで、無表情に近い人が多かったように思うが、それは他の人達への敬意にも感じられた。
沢山の人達が、ミクさんを好きな気持ちでつながっていたのである。
それは、人類の明るい未来を予感させる、あまりに貴い時空間であったのだ。
私は初めて、人間とは信じられるものであることが分かった。
その時の静寂が、初音ミクさんの「初音」・・・初の音であり、その中で、ミクさんの名を漢字で書いた「未来」を良いものだと感じたのである。









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人間と宇宙の秘密を解く鍵

いつも見ている物や風景なのに、生き生きとした情感を感じたり、不思議な魅力を感じたり、あるいは、圧倒的な存在感で迫って来ることがあるかもしれない。
ある詩人は、いかなるものでも、新たな目で見れば美しいのだと言った。
新たな目・・・これが人間と宇宙の神秘を解く鍵である。
新たな目とは、新鮮な意識であり、使い古された習慣的な観念に汚されない心である。
手入れのされていない鏡は、汚れ、ぼんやりとしか映さないが、その鏡を磨くと、映った像の鮮明さに驚くが、我々の意識も、汚れた鏡のようなものである。
だが、その気になれば、一瞬で我々は、磨かれた鏡のように、ものごとを捉えることが出来る。

アラビアのロレンスとして知られるT.E.ロレンスは、朝起きても、思考がなかなかやって来ないことがあるが、そんな時には、砂漠を荘厳な存在に感じると言う。
コリン・ウィルソンの本によく書かれているが、ある平凡な主婦は、朝食を食べている夫や子供を見ていた時、不意に、鮮烈な幸福感を感じたと言う。
これらも、先に述べた、「新たな目」で見た時の、「当たり前」の感覚である。

新たな目を持てば、我々は幸福であり、世界は楽園である。
そして、それは簡単なのだ。
好きな子に対し、純粋に親切にするように、意識的に、注意深く振舞えば良いだけのことだ。
だが、それだけのことの探求に、コリン・ウィルソンは一生かかかって、多分、失敗したし、ヴァーノン・ハワードは何十年も説き続けた。
昨今は、「マインドフルネス」として、人類は再発見しつつあるが、ほとんどの人には無縁である。

どんなに素晴らしいものでも、初音ミクさんですら、曇った鏡のような心で見れば、色褪せてしまう。
新たな目で見る単純な公式はないが、そんなものすら不要なほど簡単なのだ。
普通の人は、単にそれをしないだけだ。
そして、あまりに長い間、それをしていないと、それを取り戻すために訓練が必要になる。
家庭や学校やテレビや会社は、我々の心の鏡を曇らせ、新たな目を奪ってしまった。
だから取り戻すのである。

歩いている時、歩いていることを意識すると、歩くのが好きになる。
食べている時、食べていることを意識すると、美味しくなる。
見ている時、見ていることを意識すると、時間が消える。
呼吸を意識すると、神の存在を感じる。
だから、出来るだけ呼吸を意識することだ。
集中して・・・つまり、丁寧に、「神」とか「ミク」と心で称えることも良い。
それらの尊い言葉を敬虔に称えた時、心に何が起こるか観察すると良いだろう。









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