ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

コリン・ウィルソン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

まるで駄目な2人の青年が、なぜ生まれ変われたのか

当時、20代だったヨガ指導者の藤本憲幸氏の本の中に、面白い実話があった。
自信のない暗い二十歳くらいの青年(男性)が、突然悟りを開いて超人になったと自称してやって来て、藤本氏も、胡散臭くは感じたのだろうと思う。
しかし、その立ち居振る舞いは堂々として立派だし、実際、沢山の人達に敬われているようでもある。
その若き超人が話したことを読むと、私も、やはり何かを掴んでいるとは思う。
コリン・ウィルソンの本にも、やはり劣等感と無力感に取りつかれた駄目な青年が、少しの間に啓示を受けたように生まれ変わり、実際に人々の信奉を集め、賢者と言えるほどであるというお話がある。

藤本氏は、その超人の青年に、ダイエットの方法を尋ねている。
超人の青年は、「自分はすでに10kg痩せてすっきりした身体になったと思うと良い。食事を制限したり、運動したりは不要」と言う。
藤本氏も、それには反対ではないようだったし、私もそう思う。
ただ、「思う」というのは、かなり、シンドイ・・・つまり、負担なのだ。
シンドくて負担だから、大抵・・・いや、99%続かない。
そうではないだろうか?
成功哲学の本に書かれている通り、金持ちになった自分、美人美男になった自分をイメージしても、それを10日続けられた人は、まあ、いないと思う。
一方、コリン・ウィルソンの本にあった「元駄目で今は立派な」青年の方は、もっと良い・・・つまり、実行可能な、実際的、合理的なヒントを与えてくれる。
その青年は、ある時、「僕はなんて駄目なんだ」とつぶやいたら、それを聴いた人が「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」と青年に言ってくれた。
それから数日で、青年は生まれ変わった。
その本には、青年が「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」という言葉について、ずっと考え続けたことになっているが、考えるだけでは、少し気が晴れはするかもしれないが、すぐに元に戻るはずなのだ。
本には書かれていないが、この青年が、そんなに立派になれたとしたら、1つにことをやっただけなのだ。
即ち、自分は駄目ではないという意味の言葉を、頭の中でずっとつぶやき続けたのだ。
それは、「僕はちっとも駄目じゃない」を意味するような言葉で、例えば、「僕は可能性に満ちている」「僕は希望に満ちている」「僕はどんなことでも出来る」などだ。
「大丈夫」とか「絶好調」でも良いし、その時、たまたま、その青年が、ノーマン・ヴィンセント・ピールの本『積極的考え方の力』(トランプ大統領の愛読書でもある)や、聖書を読み、「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」という言葉を覚えて、それを唱えたのかもしれない。

藤本氏の本の方の超人の青年も、やはり、何かの言葉を唱え続けたはずなのだ。
心で抽象的に思ったり、イメージするのは、やはり、大きな負担であり、それを続けられる人はいない。
法然も、仏の姿をイメージし続ける正統的な修行は、よほどの人でなければ続かない・・・あるいは、よほどの人であっても続かないと思ったから、「南無阿弥陀仏」の念仏だけを選ぶべきであると言ったのだと思う。

どんな駄目な人間・・・このブログに時々出てくる、まるで駄目男君(30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)ですら、たった1つの言葉をつぶやき続ければ、上の2人の青年のように、強くなり、幸福になれるのである。
その言葉は、早い話が何でもいいし、何度か変えても良い。
1つの特別な言葉があれば、人生の問題の99%以上は(おそらく100%)解決する。
「大丈夫」「絶好調」で良いのである。
「私に恐れはない」でも、「奇跡は起きる」でも。
すぐに1つ決め、ずっと唱えるべきである。
もちろん、独自に決めても良いが、あまり凝らないことだ。
すぐに始めた方が良い。
ただ、注意しておきたいのは、特別な言葉は1つでなければならないということだ。
2つ以上だと、ほとんど続かないのだ。それで失敗する人が、あまりに多いのである。
つまるところ、「大丈夫」も「絶好調」も「奇跡は起こる」も同じなのである。








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人生が気に入らないなら換えてしまえばいい

SF小説か何かで、こんな話があった。
未来を見てきた時間旅行者が、墜落することになる飛行機に乗ろうとする知り合いを止めようとするが、歴史の改変を許さない宇宙の力の作用で身体が動かなくなって目的を果たせず、そのまま飛行機に乗った知人は死んでしまう。
運命とは、そのように変えられないものであり、つまり、人の運命は決まっている。
神話などでも、宇宙の摂理に反するようなことを試みる者は、ことごとく失敗したり、悲惨な目に遭っている。
例えば、死んだ妻エウリュディケーを黄泉の国から連れ戻そうとしたオルペウスは、所詮、失敗するしかなかったのだ。

では、どうあがいても運命は変えなれないのかというと、人間に留まる限り、その通りだ。
人間は運命に従うしかない。
それは、映画が脚本通りに始まり、展開し、終わるようなものだ。
ところが、宮崎駿さんは、ストーリーを考えずに作っていたらしい。
それで、「後30分しかないのに話が終わらない」なんて鈴木プロデューサーに泣きついたことがあったという。
観ている観客は、予想のつかない展開に興奮するが、何のことはない。元々、監督にも結末は分からなかった・・・いや、決めていなかったのだ。

H.G.ウェルズの『ポーリー氏の物語』(未翻訳)で、ポーリーが「人生が気に入らないなら換えてしまえばいい」と言ったのを、同じイギリスの作家コリン・ウィルソンはひどく気に入り、多分、座右の銘にしていたのだと思う。
そうだ。人生という映画が気に入らないなら、映画自体を換えてしまえばいいのだ。
物理学の量子力学の仮説である多世界解釈(いわゆるパラレルワールドに関するもの)の1つの考え方では、世界なんて、何かの拍子にぽんと1つ発生する。
新しい理想の世界を作り、そっちに移動すれば良い。
それには、自分は役者に過ぎず、自分という人間は単に登場人物で、そんな人間が本当に存在する訳ではないと気付くことだ。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは『ラピス・ラズリ』という詩の中で、
「良い役者は自分が泣いたりしない」
と書いている。
その通りだ。
不幸な役を演じたからって、何が悲しかろう。
「良い役者は泣いたりしない」
それを忘れないことだ。
初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』のように、「顔を上げて微笑む」ことだ。
それで奇跡が起こるに決まっている。









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不屈の心はこの胸に

大きな目標を達成したり、困難な戦いに勝つためには、潜在意識、あるいは、右脳を活性化させなければならない。
そのために絶対に必要なことを1つ挙げるなら。
それは、「しゃんとする」ことだ。
「しゃんと」とは、
・物事がきちんと整っているさま。ちゃんと。
・姿勢または態度などがだらけていないで、きちんとしているさま。
・衰えを見せず、元気で活発にしているさま。
・確かに。きっぱりと。しかと。
という意味である。
これが、顕在意識、あるいは、左脳がやるべきことなのだ。

コリン・ウィルソンが『右脳の冒険』で、だいたいだが、こんな話を書いていたと思う。
弟と2人で、森の中、道に迷い、雨が降り、陽も落ちて寒くなり、弟は泣き出す。
自分も泣きたかったが、兄である自分がしっかりとしなければいけないという想いで自分を奮い立たせ、しゃんとした。
すると、不思議な活気がみなぎり、無事に家に戻れた。
ウィルソンは、左脳の意思が「しゃんとする」ことで右脳の膨大なエネルギーを引き出せたのだといったことを述べていたと思う。
もちろん、このあたりの表現はいろいろで、ウィルソンが正確にどう言っていたかは覚えていないが、大切なことは、「気力を奮い立たせる」「不屈の闘志を燃やす」といったことである。
それにより、大きな力が味方になってくれる。

自分がしゃんとして、潜在意識に指令を出せば、無限の力を持つ潜在意識が働くのである。
しかし、言い換えれば、自分がしゃんとし、ちゃんと指令を出す必要があるのだ。

私は、長谷敏司さんのSF『BEATLESS』を読了後、すぐに再読に入り、上巻を読み終え、下巻に入った。
私は、『涼宮ハルヒ』シリーズ、『(化)物語』シリーズ、『カゲロウデイズ』、『木枯し紋次郎』など、面白い小説は10巻、20巻、それ以上のものでも一気に読むのだが、すぐの再読が続いたのは初めてだ。
『BEATLESS』はそれほど長くはないが、紙の本で見ると、上下巻ともかなりの厚さで、合計で1100ページ以上はあると思う。
その『BEATLESS』で、私は、主人公の17歳のアラトと、少女型アンドロイドのレイシアのこんな会話を心に刻み付けた。

「レイシアは、僕をチョロいって言わないかわりに、間違うとへし折りにかかるんだな。僕をどうさせたいんだよ」
彼女の薄青の瞳が、存在しないこころからの願いを伝えるように、まっすぐアラトを見上げる。
「デザインしてください。わたしとあなたがともに歩む“未来”を。エリカの描いた絵図面ではなく、オーナーであるアラトさん自身の思うままに」
それは、目前の事件に振り回される彼が考えてこなかった、一段大きな戦いだ。
レイシアの視線は自信に満ちていた。
「わたしには、その未来を引き寄せる力があります」
~『BEATLESS』(角川文庫)下巻より~

レイシアを潜在意識に置き換えると、そのまま勝利の法則になる。
それは戦いであり、心がしゃんとしていなければ、それによって不屈でなければ出来ないことである。









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世界はこうして作られる

コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』や『フランケンシュタインの城』は長く出版されているロングセラーだが、共に、右脳、内面宇宙、潜在意識、超意識等と言われるものを扱っている。
これらの本に書かれている、「自分が今見ているものは、意識を向けた瞬間に、“内なる魔術師”が作り上げたものである」という話が興味深かった。
夕焼けを見た時は、内なる魔術師が夕焼けを作り、事故現場を見た時は、やはりそれを内なる魔術師が作っている。
その説を支持する学者等も結構いるのだと思う。
サルトルも、本を読むことは本を書くことだと言ったというし、ウィルソンの友人は、ショパンを聴く時は、本当にショパンになってしまうのらしい。
そして、静かに考えれば、私も、確かにその通りだと、昔から(おそらく子供の時から)思っている。
荒唐無稽な話かというと、そうなのかもしれないが、案外に誰も、本心では否定しないのではないかと思うのだ。

そこで、一応、目の前の世界は内なる魔術師・・・すなわち、潜在意識とか主観的意識というものが作るのだとして、意識の外にある世界はどうかというと、それは、存在しているかどうか怪しい。
ドナルド・トランプが大統領を務めるアメリカという大国は本当は存在していないか、私が意識した瞬間に存在するのかもしれない。
ただ、間違ってはならないのは、世界を作るのは、自分の表の心、即ち、顕在意識とか自我とか呼ばれるものではなく、潜在意識という深奥の心なのである。
だが、潜在意識だけで世界を作っているのでもない。

世界を作るのは、顕在意識と潜在意識の共同作業であるということだ。
つまり、神と人はパートナーだということなのだと思う。
『BEATLESS』で、17歳の高校生アラトが望むと、REDBOX(人類未到達産物。超AIが作り人間には理解出来ないもの)である超hIE(ヒューマノイド・インターフェイス・エレメンツ。一般にはアンドロイド)のレイシアが、アラトには想像も出来ない方法で実現するのと似ている。
アラトはオーナーで、レイシアはオーナーの望みを叶える道具であるのだが、むしろ、レイシアはアラトのパートナーであると言う方が正しいだろう。

レイシアが何を実現するかは、オーナーのアラト次第であるのと同じく、世界を・・・少なくとも、人生をどんなものにするかは自分次第である。
ビートルズの『Nowhere Man(邦題:ひとりぼっちのあいつ)』で、「The World is at Your Command(世界は君の意のままなのさ)」という通りである。
自分が高貴でいれば世界は高貴だし、自分の心が豊かであれば世界も豊かだ。
そして、良い世界に住みたいなら、自分がそれに値する人間になろうと決意することだ。

『観無量寿経』で、王妃イダイケが釈迦に、「私は、悪人だらけの、こんな悪い世界に住みたくありません」と言えば、釈迦は、阿弥陀如来が作った西方極楽浄土の様子を語り、その世界を心の目でしっかり見ろと言った。
それで、イダイケの世界はすっかり変わり、彼女は救われたのである。
これは、優れた心を持てば、世界も良いものになるということだ。
言い換えれば、世界が、あるいは、人生が悪いのは、自分の心の問題である。

我々は、時代劇の影響で、武士に対する偏見を持っているが、武士は特権階級に相応しい立派な人間であろうと心掛けていたのであり、それは、西洋の騎士も同様である。
世間で言う特権階級とはやや異なるかもしれないが、自分が特権階級でありたいなら、それに相応しい人間でなければならない。
そのために、何をするか、どんな努力をするかは自分で考えることと思う。
なぜなら、自分は神のパートナーなのだからだ。









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至高体験の想い出

自己実現理論で知られるアメリカの心理学者アブラハム・マズローは、偉大な人間と平凡な人間を分けるものは、「至高体験の経験があるかないか」であると言ったと思う。
至高体験とは、英語でピーク・エクスペリエンスで、直訳では絶頂体験であり、ある特別な心理状態なのだが、説明が少し難しい。
至福の体験、恍惚とした幸せの体験ではあるのだが、興奮状態というよりは、内側からこみ上げてくる幸福感と言った方が正しいかもしれない。
一種のエクスタシーではあるのだが、性的エクスタシーや、その他の感覚的エクスタシーと全く同じではないだろう。
あるいは、大自然の雄大な風景を見た時に感じる感覚も、それに近いが、やはり完全に同じではない。
宗教的な恍惚感である法悦(ほうえつ)がそれに最も近いのかもしれないが、そう言われてピンとくる人は少ないと思う。

だが、およそ文豪と呼ばれる作家が、至高体験を描いていないことは絶対にないと言われている。
ドストエフスキーは、作中の人物に、「その10分と引き換えなら、人生全てを差し出しても構わない」と言わせたほどである。

マズローと親交のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、至高体験とは単に、自分が幸運だと思うことだと言い、誰にでも起こっている、ありふれたものだと言う。
それは正しいのかもしれないが、人はそれを覚えていない、あるいは、思い出せないのであると思う。
ちなみにウィルソンが覚えている至高体験は次のようなものである。
ウィルソンが家族で自動車で旅行した時、まだ幼なかった娘の姿が見えなくなり、ウィルソンと妻は必死で探したのだが、なかなか見つからず、夫婦はパニックに近い状態になったのだが、不意に、娘は全く無事な様子で見つかった。
ウィルソンは、その時のことを思い出すだけで、いつでも至高体験を感じることが出来ると言う。

私はずっと、至高体験があったとしても、それを思い出せなかった。
しかし、ついに、今年、それを思い出せるようになった。
それは、今年(2017年)9月3日(日曜日)の、千葉県の幕張メッセでの、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」でのことだった。
コンサートが終了し、会場に証明が入った後だった。
私はペンライトをバッグに仕舞い、そろそろ帰ろうかと思うと、大勢の観客が立っていることに気付いた。
その多くが、会場の他の人達に、上げた両手を振っていた。
一人一人が、他の全部の人達に対して、そうしているように感じた。
私も立って、ややぎごちなく、遠くの方の人々に、両手を高く上げて振ってみた。
その時は、私は体調や気分があまり良くない状態っだので、気付かなかったのかもしれないが、後で思い出すと、私は至高体験の中にあったのである。
皆、声を出す訳でも、笑顔を振りまいているのでもなく、せいぜいが少し微笑むだけで、無表情に近い人が多かったように思うが、それは他の人達への敬意にも感じられた。
沢山の人達が、ミクさんを好きな気持ちでつながっていたのである。
それは、人類の明るい未来を予感させる、あまりに貴い時空間であったのだ。
私は初めて、人間とは信じられるものであることが分かった。
その時の静寂が、初音ミクさんの「初音」・・・初の音であり、その中で、ミクさんの名を漢字で書いた「未来」を良いものだと感じたのである。









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