ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

コリン・ウィルソン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

偶然は匿名での神の贈り物

昨日、ご紹介した映画『ザ・シークレット:デア・トゥー・ドリーム』の中では、何度も、出来過ぎと感じる幸運な出来事が起こる。
このような、あまりにも都合の良い偶然を、我々は奇跡と言う。
おそらくは誰もが、そんな奇跡とも思える体験の1つや2つは覚えているものだと思う。
そして、奇跡をどう考えるかで、人生は決まる。

『マスターの教え』の中で、マスターは、「奇跡は頻繁に起こっているのに、皆、それに気付かない」と言う。
この本の中でも、人生のどん底にあった男が、気晴らしに劇場に行き、安い席のチケットを買うが、なぜか、高価なBOX席のチケットを受け取ってしまう。
そして、そのBOX席で、マスターと呼ばれる不思議な人物と隣り合わせることとなり、そのマスターに話しかけられたことで人生が変わった。
なぜ、そんなことが起こったのかというと、彼は、心の奥でそのような奇跡を強く願っていたからだと言う。
上の映画の中でも、マスターのような存在である大学教授のブレイは、子供達に、磁石が金属製のクリップを引き寄せるところを見せ、「願いが強いほど強く引き寄せる」と言う。そして、その直後に奇跡が起こる。
ブレイは、こうも言う。
「偶然は、匿名での神様の贈り物だ」
と。
これは、アインシュタインが言ったことらしい。
アメリカの作家、マイク・ハーナッキーも、引き寄せマスターと言える力を獲得した人間だが、「奇跡は単に珍しい出来事で、そんなものは誰でも起こせる」と『成功の扉』に書いていた。

私も、小学生の時、天体望遠鏡が欲しいと思って懸賞に応募したら(特等の懸賞が天体望遠鏡だった)、懸賞に外れたことが分かった直後、親から、「従兄がお前に天体望遠鏡を譲ると言っている」と教えられた。私は、その従兄の顔も知らなかったし、その従兄も、私が天体望遠鏡を欲しがっていることなど知らないはずで、なぜ、従兄が不意にそんな気になったのか謎だった。
いずれにしろ、私は、このことが「たまたま」とは思えない。
また、私は、好きな女の子のことを考えていると、その数秒後には、彼女が居ることなど、あり得ない場所であるに関わらず、出会ってしまうことがよくあった。
一度だけ、「偶然」に会った翌日に、相手の女の子に、「なぜ、あんなところにいたの?」と聞いたことがあるが、彼女の返事は、「私も分からない」みたいな感じだった。
さっきの、天体望遠鏡をくれた従兄にも、ずっと後で、あの時の天体望遠鏡のことを尋ねてみたが、やはり、どうもよく分からないようだった。

これだけは信じた方が良い宇宙の仕組みは、
「良い気分でいれば良いことが起こり、悪い気分でいれば悪いことが起こる」
だ。
つまり、良い気分でいれば、好ましい偶然が起こり、それは、しばしば、奇跡と感じる。
それと共に、上のブレイが言ったことのように、強い願いは、磁石のように願ったことを引き寄せる。
この2つは同時に考えれば最強だ。
つまり、良い気分で強く願えば、即座に奇跡は起こる。
そして、面白いことに、落ち込んだ時に、気持ちを切り替えて、肯定的な気持ち(即ち良い気分)になると、不意に願いが叶うのである。
例えば、こんな話がある。
イギリスの作家コリン・ウィルソンが、子供の時、弟と一緒に森で迷い、長時間歩いてクタクタになった上、雨に降られて身体が冷え、森からの出口はさっぱり分からない絶望的な状況の中、泣き出す弟を見て、コリン・ウィルソンは兄の自覚を思い出し、「しゃんと」したところ、不意にスムーズに森を出ることが出来た。
ウィルソンは、これに対して、難しい解釈を述べていたが、つまるところ、彼は気持ちを切り替え、肯定的な気持ちになることで幸運を引き寄せ、現実を変えたのだ。
我々も、困った時ほど、無理にでも笑顔を作り、ガッツポーズをし、それによって、気持ちを「しゃんと」させると、奇跡だって起こるだろう。
1回や2回で駄目でも、百回ほどやれば良いと思う。








良い気分でいれば願いが叶うのは当たり前だと思える話

「気分」とは、「持続的な感情の状態」のことで、英語ではフィーリングだが、英語の方が、その意味にぴったりくるかもしれない。
そして、なぜか、この気分が良い状態(GOOG FEELING)であれば、さらに気分が良くなることが起こり、逆に、気分が悪い状態(BAD FEELING)であれば、さらに気分を悪くさせられることが起こる。
このことで思い出すのが、インドの聖者、ラマナ・マハルシの言葉だ。
「幸福は外側にはない。内側(魂)にある。願い事が叶った時、実は、我々は内なる幸福を楽しんでいるのだ」
我々の存在の核たる魂の本性は至福である。だから、何もなくても、魂に意識を向けさえすれば幸福なのだそうだ。

気分が良いというのは、欲求が満たされている状態を言うのだと思われているが、実は、そうではなく、外部に目がいかず、自己の内部に潜り込んだ状態なのである。
例えば、最高の気分の時は、我を忘れ、周囲で起こっていることすら分からなくなるだろう。
それなら、実は、我々は、いつでも、気分良くいられる。

では、なぜ、気分が良ければ、世界は自分にとって、より嬉しいもの、より楽しいものになるのだろう?
それは、古代哲学で既に言われ、そして、ようやく最新科学でも明らかになりつつあることだが、心が世界を作るのだからだ。
人間が外を見た時(意識した時)、人間の内にいる魔術師が一瞬で世界を作り上げると言った科学者がいた。もちろん、比喩的表現だが、実に正しい。
サルトルも言ったように、小説を読むとは、読んでいる一瞬一瞬に小説を書くという個人的体験である。
当然ながら、絵を見る時は、内なる魔術師が一瞬で絵を描き上げるのである。
音楽を聴いている時は音楽を作っているのであり、コリン・ウィルソンの『フランケンシュタインの城』で、ウィルソンと親しいある人物は、ショパンを聴いている時、自分がショパンなってしまうというが、実は、それは異常なことではなく、ごく自然なことなのであり、そして、気がつかなくても、誰もが同じなのである。

ラマナ・マハルシのような、快楽を否定する無欲を最上とする教えも、引き寄せの法則のように、願望を実現する科学も、実のところ、違うことは言っていない。
例えば、自動車や富を欲しい時には、ラマナ・マハルシの場合は、そういった外部にあるものの虚偽性を暴いて無欲になることを説くだろう。
しかし、引き寄せでは、既に欲しいものを得たと思って、それを得た喜びを味わうと、それが叶うと教える。
イエスは単に、「願いは叶ったと思えば叶う」と言ったが、もっと細かく言うと、この引き寄せの法則のようになるだろう。
インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダの師の師であるラヒリ・マハサヤは、解脱の一歩手前の段階でも、豪邸を強く欲しがっていた。
そこで、師のババジが幻術の力で宮殿のような家を出現させ、これにマハサヤが入って楽しむと、マハサヤは執着から解き放たれ、ついに解脱を果たした。
願望は叶うと、執着が消えるのである。
だが、条件がある。

行動や努力で強引に欲望を叶えると、さらに欲望は強まるのだ。
だから、我々は、イエスが教えたことを基にした引き寄せの法則の通り、願いが既に叶ったと思って、想像でその喜びを味わい、気分を良くすることで、努力なく願いを叶えた方が良いのである。
そうやって何かを得ると、得たものと同じようなものを渇望することはなくなる。
しかし、そうではなく、戦って強引に勝ち取ると、『スター・トレック』でミスター・スポックが言ったようになる。
「どんなに欲しいと思っていたものでも、得てしまえば、さほどでもなくなる(得たものがつまらないものに思える)」
つまり、この場合は、もっと別のものが欲しくなるのだ。そして、次を得たら、さらに強く、別のものが欲しくなるという、欲望の無限の連鎖にはまり込む。
例えば、美女を得れば、もっと上と思える美女を次々に欲しくなるのである。
だから、我々は、無理な行動ではなく、心の力で願いを楽に叶えるべきであると思う。








『二十六人の男と一人の少女』の真の重要性

ロシアの文豪、マクシム・ゴーリキー(1868-1936)の『二十六人の男と一人の少女』という短編がある。
最新の翻訳では『二十六人の男と一人の女』というタイトルにしたものがあるが、確かに私自身も、16歳の娘を「少女」と呼ぶのはどうかなと思うのだが、「二十六人の男」の方が年配のくたびれた男達であるのだから、ここではやはり「少女」の方が適っていると思う。
この作品は、『叙事詩』というサブタイトルが付けられた「世にもまれな美しい作品」と言われ、また、ゴーリキー自身が若い時に菓子工場で苦しい労働をした経験に裏付けられ、1日14時間労働を強いられる下層階級の労働者がリアリティを持って描かれている。
26人の年配の労働者達は、単調で苦しい1日14時間の労働を来る日も来る日も繰り返すことを余儀なくされ、疲れ、希望はなく、人間性はとおに失ってしまっていた。
だが、1日1度、わずかな時間だが、ターニャという名の可愛い16歳の娘が用があって彼らを訪れるようになり、男達に変化が現れる。
別に、ターニャが彼らに優しい訳ではない。それどころか、ターニャは彼らを「囚人さん」と呼び、明らかに見下げていた。
だが、男達は、人間らしさを取り戻し、礼儀正しく、そして、知性さえ取り戻していった。
言ってみれば、不幸だった男達が、幸福になっていったのである。

男達に何があったのか?
若くて可愛い女の子を見てオッサン達が鼻の下を伸ばした訳ではない。
なぜなら、男達の間で、ターニャに関する下品な話は一切されず、彼女がいる時もいない時も、彼女をお姫様のように扱った。
つまり、価値あるものを「崇める」という高貴な精神を持つことで、彼らは向上したのだと考えられる。

イギリスの世界的作家、コリン・ウィルソン(1931-2013)は、『至高体験』の中で、26人の男達が、ターニャを女神のように扱うという「共同遊戯」を行った効果を上げる。
つまり、フットボール・ファンが、試合会場に向かうバスに一緒に乗って、意識が高揚するのと同じという訳だ。

ウィルソンの分析も良いと思うが、最も重要なことは、男達がターニャという、普段関わることのない、若くて可愛い娘と、わずかであっても接触することで、気分が良くなったことだ。
ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』に限らず、洞察力ある者は、人間にとって気分の大切さを理解している。
簡単に言えば、人間は内に神に等しいほどの力を有し、気分が良ければ良い状況を、気分が悪ければ悪い状況を引き寄せる。
これまで悪い気分しか持たなかった26人の男達は、ターニャを女神のように扱うことが気分の良いことだったので、本当に、あらゆる面で良い状況を引き寄せた。
しかし、男達に罠が訪れる。
そのような試練が訪れることもまた、宇宙の法則かもしれない。
ある日、何の取り柄もないが、女をたらし込むことだけは名人である気障な男が現れ、男達は、ターニャも、この男に陥落させられてしまうことを恐れた。
恐れは気分を悪くし、悪い状況を引き寄せる。
26人の男達は、その「女たらし」に、「お前にターニャは落とせない」と言い、すると、「女たらし」は、「俺に落とせない女はいない」というプライドを賭けてターニャを口説きにかかる。
結果は・・・まあ、作品を読んでもらえば良いが、この作品には、宇宙の引き寄せの法則が見事に描かれている。
気分(FEELING)というものは、極めて大切であるという、数千年に渡って大衆が知らずにいた事実を示唆している。
あなたは、自分の責任で、悪い気分に浸ることを許さず、悪い気分になっても自分で気持ちを切り替え、良い気分にならなければならない。
そして、日本人の大半が、実質そうであるような26人の哀れな男のようであってはならない。








物凄く感謝した出来事

我々は、感謝を形式的な礼儀として教わり、有り難くもないのに、「ありがとうございます」ということが多くなってしまっているかもしれない。
先生や、上司や、その他の偉い人が、有り難くもない余計なことをした場合でも「ありがとうございます」、嫌なお客様にも無理に「ありがとうございます」と言うし、気が弱くて、自分を守るために必死なだけの者が、見かけ上は馬鹿丁寧に「ありがとうございます」と言うが、そんなのが上っ面だけだというのはバレバレだ。

だが、本当に感謝している時は絶対に楽しく、相手も自分も、気分が良くなる。
すると、さらに感謝すべき状況を引き寄せることは、科学的に説明出来るのだと思うが、心に関することでは、現代の科学の基礎理論が古過ぎるので、古い科学の観念を持った者に納得させることは出来ないようである。
しかし、理論を提示しなくても、多くの人の経験上、それ(本当に感謝すれば、感謝すべき新しいことが起こる)は、万に1つの例外もなく確かである。
例えば、古くても、ちゃんと走る自動車を持っていることに感謝すれば、すぐに、最新の、自分が欲しいタイプの自動車が手に入る。
可愛い女の子が、付き合ってくれないまでも、挨拶くらいはちゃんとしてくれることに感謝していれば、やはり、物凄く可愛い彼女が出来るだろう。
住む家があって、ホームレスでないことに感謝すれば、もっと素晴らしい家に住むことになるかもしれない。
そういった、既に持っている、感謝すべきものを見つけるのは容易いし、「よく考えてみれば、こんなに恵まれているのだなあ」と思えて楽しいのではないかと思う。

別に、上司に怒られた時、「この上司は私のためを思って怒ってくれたのだな。ありがたい」などと、思えなければ思わなくて良い。
確かに、思えるに越したことはないが、無理をすると、気分が悪くなり、気分が悪くなると、もっと気分が悪くなることが起こるようになる。
無理な感謝をしなくても、他に感謝すべきことが無限にある。

押しつけがましく、「親に感謝しなさい」とか「ご先祖様に感謝しなさい」、「昔の人に感謝しなさい」と言う者のことは、無視した方が良い。
感謝は強制されてするものではない。
それらのもの(親など)は、多くの場合、感謝すべきものなのだろうが、例外もあるかもしれないし、自分がご先祖様の立場になったら、「別に無理に感謝してくれなくていいよ」と思うことだろう。
料理を作ってくれた人、料理の材料を作ったり、運んでくれた人に感謝しなさいなどと、上から目線で言われたら感謝したくなくなるのが人情で、別にひねくれている訳ではないだろう。

このコロナの災禍の中で、「医療関係者の皆様、ありがとう、スーパーで働く皆様、ありがとう、宅配してくれる皆様、ありがとう」等と、もう本当に形式的な感謝の言葉(笑)をSNSで投稿する人が有名人にもいるが、イエスも「ラッパを鳴らすな」と言ったではないか。
本当に感謝するなら、直接相手に言う以外は黙って感謝するものだ。
もしかしたら、ラッパを鳴らしながら感謝して見せる者は、そうやって、自分は大衆の模範になっているとか、大衆を教育しているとでもいった己惚れを持っているようにしか思えない。

もちろん、医療関係者やスーパーの従業員の方々も有難いことは間違いないが、我々は、それよりも先に、直接的に感謝すべき人やものが沢山ある。
私の場合は、医療関係者やスーパーで働く人達を見ると、自分が怠け者なので、「よく働くなあ」とマジで恐れ入るのである。
「本当に偉いなあ」という敬いの気持ちはあるが、感謝はしないことが多いかもしれない。
だが、敬いの気持ちを持っていれば、自分や、自分の親しい人達に何かしてくれていると分かると、本当に感謝するものなのである。
例えば、駅でトイレの清掃をしている人を見下しているような人が、「清掃員の方々に感謝しますわ」と言っても、やはり、嘘っぽさは伝わってくる。

保証するが、普通に生きているなら、本心で感謝すべきものは、少なくとも数百は軽くあり、それを見つけ、感謝すれば、心楽しくなる・・・つまり、良い気分になる。
感謝と共にある良い気分は、ひと際、沢山の、そして、大きな幸運を呼ぶことは確かである。
人やものばかりではない。
イギリスの作家、コリン・ウィルソンは、昔、自動車で旅行中、途中で立ち寄ったドラッグストアで、幼い娘が行方不明になった。
彼と彼の妻は、ほとんど、半狂乱になって娘を探したが、娘が無事で現れた時、あまりの幸福感で恍惚となったそうだが、彼が無神論者だとしても、宇宙というか、運命に感謝したことだろう。
それから何十年経っても、彼は、このことを思い出すと、心が高揚するそうで、それにより、良い出来事を引き寄せたはずなのだ。
私で言えば、私にとっての初めての初音ミクさんのライブである「マジカルミライ2016」に行く前の日の夜、そこに行くための新幹線のチケットが見当たらないことに気付いたが、必死で探しても見つからないので、半狂乱になった・・・という、コリン・ウィルソンに比べると随分情けないが(笑)、本人はマジでうろたえ、絶望に沈んでいた(笑)。
だが、「ひょっとして」という閃きがあり、そこを探したら、チケットが無事に見つかった。
今でも、これに関し、宇宙には非常に感謝している。そして、それを思い出し、感謝の念が湧き起こる度に良いことがあるのである。








死中に活

自分がどの道に進むか決める時、普通は、自分の得意なことを基に考えるかもしれない。
それは正しいことであるが、それは、せいぜいが、そこそこにやっていけるようになる方法かもしれない。
自分では得意だと思っていても、世の中には、上には上がいる。
昔、CLAMPの『東京BABYLON』という漫画で見たが、地方の町で、子供の時から「可愛い」ともてはやされた女の子が、芸能人になるために東京に出てきたが、芸能界の中では、自分など全く大したことはないことに気付くという話があった。
また、面白い話と思うが、昔、「怪物」と言われた無敵のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったジョージ・フォアマンが、「私より強い若者なんかいくらでもいる」と言ったらしいが、彼がそう言ったのは、謙遜もあるかもしれないが、案外に、本心かもしれないと思うのだ。

週刊文春・2012年3月22日号で、宗教人類学者の植島啓司氏は、ミュージシャンのジョージ・マイケル(2016年のクリスマスに死去)が、「スーパースターになるのに特別な才能があるんじゃなくて、むしろ、何かが失われている(からスーパースターになれる)」と言った話を引用していたが、この世界では、何かを持っていることより、何かに決定的に欠けていることが強い武器になる。
ならば、自分が得意なことではなく、自分の深刻な欠点を探した方が良いかもしれない。
(植島氏は、初音ミクさんに決定的に欠けているには「成熟」で、だからこそ我々の心を鷲掴みにすると述べている)

世界的な神経科学者のジェームス・ファロンは、自分は変だと薄々気付いていたのかもしれないが、ある時、偶然、自分の脳が、凶悪殺人犯と全く同じ特徴を持っていることに気付いたという。その欠点が彼を、脳と精神の分野の研究で大成功させたに違いない。

そして、誰にでも、決定的な欠点・・・どうしようもなく欠けているところはあるはずだ。
大富豪の実業家で、映画製作者で、パイロットだったハワード・ヒューズは、病的な潔癖症で、毎日、何時間も手を洗い、人が触ったドアに触れられなかったが、それが彼の才能を引き出したに違いないのだ。

あなたには、どんな致命的欠点があるのだろう?
他人が怖くて、学校に行けず、就職も出来ないとか?
あるいは、ロリコンの変態とか?
だが、ただ欠点があるだけでは、やはり、地面を這う人生にしかならない。
それを力に変える錬金術が必要なのである。
そこで、イギリスの作家コリン・ウィルソンが話していた、彼の子供時代の話を思い出す。
弟と一緒に森で迷い、歩き回って疲れ果て、雨まで降ってきて身体が冷えた。
それは、どうしようもない欠点にあがく人生のようだ。
そこでコリンはどうしたか?
弟の手前、強気に振る舞ったのだ。
それで、彼らは命が助かった。
所詮、自分を鼓舞してしゃんとするしかないのだ。
自己憐憫に浸る愚か者には墓場しかないのだと思う。













当ブログ著者、KayのAI書。
AIは未来の技術ではなく、もう「枯れた(成熟した)技術」であると言う研究者やCEOも少なくありません。
枯れているAIは、特別な人でなくても、誰でも作れますし、使えます。
しかし、AIをうまく作るには、問題を予測問題に捉え直すセンスが必要です。
それは、普通の機械学習の本に載っている退屈で面白くないテーマでは、なかなかか得られません。
そこで、なるべく面白いテーマを採用し、楽しく実習出来るよう工夫しました。
ほぼ全ての実習のためのデータを作れるExcelマクロを無料でダウンロード出来ます。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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