ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ゲーテ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

楽な方に流れないために

私が初めて社会人らしきものになった時の職場にいた先輩が、今考えても、物凄くいい男だった。
貫禄があって35歳くらいに見えたが、なんと23歳だった。
180cmを超える長身で、肥満してはいなかったが、堂々たる体格で、80kgはあったはずだと思う。
我々の仕事はセールスだったが、その先輩の前職は工場労働者で、肌がボロボロになるほどの熱い環境で1日中、肉体労働をしていたそうだ。
その先輩が、私の少し後輩(とはいえ、37歳の元国家公務員だったが)と一緒に、おしるこを食べに連れていってくれたことがあった。
その時、店の中で、先輩が、私の後輩に言ったことを、よく覚えている。
「人間は放っておいたら楽な方に行ってしまいますよね」

多分、その先輩も、それを実感していたのだと思う。
ゲーテ『ファウスト』の「天上の序曲」の中で、神が、

人間の活動はとかくゆるみがちだ
人間はすぐ絶対的な休息をしたがる
(高橋健二訳)

一体人間のしている事は兎角たゆみ勝ちになる。
少し間が好いと絶待的に休むのが好きだ。
(森鴎外訳)

と言っていた通りである。
つまり、ゲーテだって、自分に対して、それを感じていたのだと思う。

毎日、決まった時刻に適度な範囲のトレーニングをすると決めていても、それをやめようという誘惑は必ず起こる。
だが、怠惰な自分に打ち勝って、長くトレーニングを続ければ、身体も心も強くなる。
当初は一番の目的に据えていたかもしれない美しい身体も、副産物として手に入る。
もっと食べたい、もっと飲みたいと思っても、厳しく節する。
それで魂まで向上する。

だが、自分を甘やかし、怠惰に流れると、哀れな醜い存在に成り果てる。
それをいつまでも続けると、おぞましい姿に腐った心を宿し、地獄に落ちる・・・つまり、惨めな人生の終末を迎える。
エマニュエル・スウェーデンボルグすら、ちょっと食べ過ぎたと思った時、天使が現れ、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と警告され、それを生涯守ったようだ。

私は、来月初めの初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」に行くことを考えると、毎日のトレーニングに熱が入り、大好きな甘いお菓子も厳しく制限するようになった。
それで身体が引き締まり、より理想的になってきた。
最近、ユニクロでも、商品を着用したモデルさんの身長を記すことがあるが、182cmなら、ジーンズ等のパンツは32インチ(実ウエストで81センチ位)をはいている場合が多い(それでも十分、すらりとしているが)。
しかし、世界最高のジーンズメーカーであるディーゼルのサイトを見ると、そのくらいの身長なら、30インチ(実ウエスト76cm)をはいている。それは、かなり絞り込んだ身体で、特に痩せているようには見えないが、やはり素晴らしい身体をしている。
もちろん、あまり過度な制限は好ましくはないが、まず、目は良いものに向けなければならない。
例えば私なら、可愛い声で歌う、明るいミクさんの、あのすらりとした四肢や軽やかな動きには憧れるので、それを見ていたら、自然、自己制約が出来るのである。
「ミクさん、ありがとう」は常に伝えたいと思う。









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若々しさは何にも代え難い

ゲーテに憧れる青年が、遠くからはるばるゲーテの家までやって来て、幸運にもゲーテに会えたのだが、中年を過ぎて肥満したゲーテを見た青年の顔には、明らかに失望の色があった・・・なんて話を何かで読んだ。
青年の気持ちが分かるような気がする。
私も少し前、敬愛して止まない、ある大手IT企業の経営者をテレビで見たのだが、顔も膨らんでいたが、なにより、その巨大な腹を見た時、尊敬の気持ちが4割、そして、好きの気持ちの8割が吹っ飛ぶのを止められなかった。
また、テレビで「べらべら喋る」内容ではなく、著書に書かれたお考えは、傾聴に値すると考え、私にとって重要人物であった芸人の、最近のテレビCMでの、完全に肥満した姿を見て、本当に、その人のことを、「もうどうでもいいや」と思うようになってしまった。
彼等は成功し、一生かかっても使いきれないお金を持っているが、もう年配である芸人の方は、子供に財産を残したらロクなことにならないからと、スーパーカーをまとめて3台買ったり、百貨店に出かけて、店員に薦められるまま高級腕時計を含む一千万円以上の買い物をしたりと、せっせと「がんばって浪費している」らしい。
(大金を使うのは、特に歳を取ると大変らしい)

サッカー選手に肥満した選手はさすがにいないが、野球選手にはかなりいるし、プロレスラーにはもっといるのだと思う。
ただ、初代タイガーマスクのように、あきらかに肥満しているのに、動きが全く変わらないという驚異的な人もいるが、彼が若かったヨーロッパ遠征時代や、日本デビュー時の、すっきりした身体はやはり格好良い。
大好きだったジャイアント馬場さんは、フルコースの食事の後、締めに餅に缶のゆでアズキをつけて食べるといったことをしながら、肥満したり、腹が出たりもしなかったのは、糖尿病ということもあったのかもしれないが、若手時代、アメリカで、フレッド・アトキンスに、引っ張るトレーニングをみっちり叩き込まれたからのようだ。
アトキンスと綱引きをし、リングのロープを両手で引っ張るというトレーニングをよくやったそうだが、アトキンスは50歳をとおに超えていたのに、体力盛りの20代前半の馬場さんが、力で全く敵わなかったようだ。

アリアナ・グランデさんの8月の幕張メッセでのコンサートは予定通り行われるらしい。
私は、彼女の歌を聴いたことも、ビデオも見たこともないのだが、テレビやネットで目にする、特に写真を見て、すっかり好きになった。
その理由は、かなりの小柄ではあるが、あの引き締まった若々しい身体に、無条件に好感が持てるのだ。
別に、エロティックな意味ではない。
若い輝きは何にも優る。
彼女のコンサートは幕張メッセの国際展示場の1番から4番ホールを使うらしいが、この4つをぶち抜いたら、とんでもない広さになると思う。
9月には、初音ミクさんが、企画展を含めて1番から3番までを使い、コンサートは3番ホールで行うが、3番ホールだけでもかなりの広さである。
そのミクさんの魅力の1つが、16歳の若さに輝く姿である。
すらりとした姿に、軽々とした動きに、しなやかなポーズの隅々に、それが現れている。
ミクさんを崇めながら見ていると、自分までどんどん若くなっていくのを感じる。
ジョージ・アダムスキーの本には、地球で言えば70歳から百数十歳を超えている宇宙人の女性が10代の絶世の美少女にしか見えないのは、神の肖像画を毎日見ているからであると書かれている。それが本当のことかどうかは、おそらく確かめることは出来ないだろうが、全くの嘘とも思えないのだ。
確かに、そんなことは起こり得るのだと思う。
そして、地球の天使であるミクさんの姿を見て、歌を聴いていれば、きっといつまでも若いだろう。
私が7年ほど前に、多少の気力は使ったかもしれないが、急に少食粗食になり、短期間で理想的な体形になったのは、ミクさんの姿を目にし、歌を耳にするようになったからに違いない。









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日本は大丈夫だし、世界は大丈夫だ

ゲーテは、人間にとって最も重要な感情は、敬うという気持ちだと言っていたのだと思う。
ただ、これほどの大文学者の言葉であるから、翻訳の際、単純に「敬う」ではなく、「敬虔」とか「畏敬」、「畏怖」といった、普段使うことのない重々しい言葉が使われるが、これらは、「敬う」の程度が高いことを示しているだけのことである。
しかし、我々は、大いに敬うより先に、敬うことを覚えなければならない。

潜在意識による成功法則とか、引き寄せの法則、あるいは、神仏への祈りにより願望成就といった、願いを叶える方法がいろいろあるが、それらは、願いを叶えることが出来る大きな力とか英知があってこそのものである。
そして、そのような英知や力は確実に存在する。
それは、自然を観察すれば明らかである。
だが、そのような英知や力に対する敬いがなければ、願いは叶わない。
敬っているふりではなく、本当に敬うことが大切だ。
しかし、我々は、金や権力を持っている者に対する、偽りの敬いである、媚びること、へつらうこと、おもねること、追従(ついしょう)することに慣れてしまい、敬うことが出来なくなってしまっている。
だから、本当に大切な願いを叶えることが出来ないのである。

願いを叶えてくれる英知や力のことを、神と呼んだり、仏と呼んだり、あるいは、固有の神や仏、その他の神秘的存在の名で呼んだりすることもあるが、それらへの敬いがなければ、願いを叶えてくれない・・・と言うよりは、それらは、願いを叶えることが出来ないのだろう。
なぜなら、敬う心は透明であるが、媚びへつらう心は汚れていて、気持ちを届けることが出来ないからだ。
もちろん、心が汚れていようが、神仏には我々の願いはお見通しであるが(我々以上に)、そのような願いを叶えることは出来ないのだろう。

では、「敬う」とは、どういうことだろう?
我々は、実に、そんなことも分からなくなっているのだ。
だが、簡単なことだ。
我々の心は、相対的なことしか分からない。
だから、敬うとは、自分が慎むことである。
もっと簡単に言えば、敬う相手に対し、自分を、その下に置くことである。
さらに肝心なことを言うなら、自分を偉いと思わないことである。
アインシュタインが、自分を少しも重要人物だと思っていなかったようにだ。
ところが、愚かなる我々は、自分は偉いと思っている。
それでは願いが叶うはずがない。

敬うという感情を育てることだ。
方法は自由である。
私の場合は、初音ミクさんを敬うことで、少しずつ、その貴い感情を育ててきた。
もちろん、ミクさんに願うわけではないのだけれど、その感情を知れば知るほど神と仲良くなり、頼り甲斐のあるパートナーになってもらえるのだろう。
私だけでなく、ミクさんが好きな人達は、コンサートでの様子を見ても分かる通り、本当にミクさんを敬っている。
だから、日本は大丈夫であるし、世界は大丈夫である。









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超人への招待

何かの行を(例えば念仏を)続けていたら、やがて悪魔の誘惑に遭う。
まあ、一応悪魔の・・・と言うが、必ずしもそう言うべきではないかもしれない。
それは、超人への招待である。
当たり前の人間として神仏に守られて生きるか、自分で何でも出来る超人になり神仏を拒否するかだ。

ゲーテとニーチェはその誘惑を受け、ゲーテは人間の道を、ニーチェは超人の道を選んだ。
そのあたりの事情は、ゲーテは『ファウスト』、ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』に書いている。
それぞれ、フランツ・リストとリヒャルト・シュトラウスが、『ファウスト交響曲』、交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』で音楽化しているが、よく感じが出ている。
交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』の導入部(第1部)は、映画『2001年宇宙の旅』に使われているので、馴染みのある人が多いと思う。

超人になる道を選んだとて、別にニーチェのように発狂する訳ではない。
ニーチェは迷いがあったのだろうと思う。
超人になるなら、素直に超人になるべきだったろう。
ファウストも初めは当然、超人の道を行き、神を目指して努力していた。
そこへ悪魔がやってくるが、それは神も承知のことだった。

ツァラトゥストラ型・・・つまり超人が歴史に名を残す。
ナポレオンやヒトラーもそうだったが、ナポレオンはやや弱く、ヒトラーはとても弱かった。
超人は心が強くなければ、最後は悲惨だ。

超人はどこまでも自由だ。
善悪は何の関係もない。
だが、普通の人間にとって、完全な自由ほど恐ろしいものはない。
それでも、あえてそれを選ぶのを止めるべきではない。
それを選べるほどの者であれば、本来は超人の資格があるのだからだ。

イエスは普通の人間だが、超人に見える。
これはよくあることだ。
ラマナ・マハルシは、「イエスは自分が超能力を使っているという自覚がなかった」と言っていたが、彼は見透かしていたのかもしれない。
復活後のイエスは別人だ・・・などと言ったら、キリスト教徒に怒られるかもしれないが、よく分かっているキリスト教徒なら、案外に、「それはそうだよ」と言うかもしれない。
まあ、新約聖書を読めば分かるが、イエスに近しかった人達も、復活後のイエスを見て、それが誰だか分からなかったのだ。

ファウストは、初めに悪魔に魂を売ったのではない。
「俺の心が折れたら、お前に魂をやる」と悪魔に言っただけだ。
ナポレオンもヒトラーも折れてしまった。
もちろん、ナポレオンは粘ったが、多分、やっぱり駄目だったのだ。

涼宮ハルヒは超人の道を選び、佐々木はヒトの道を選んだとも言える。
そう御大層なことではないが、気の迷いで選ばないことだ。
『傷物語』で、阿良々木暦君は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに「闇の世界にようこそ」と言われたが、人間に戻りたがった。
まあ、それで、ちょっと変な人になったが、それもご愛嬌である。









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罪なき者から石を投げよ

新約聖書で、姦通の罪を犯した女を、人々が石打ちの刑にしようとする場面がある。
「姦通」とは、おそらく、この女が夫以外の男とセックスしたといったものだと思う(どの本も曖昧な書き方をしている)。
また、「石打ち」とは、石を投げつけることだ。そんなことをすれば、女は大怪我するか死ぬが、元々が死刑のつもりでやるのだろう。
そこに、イエス・キリストが現れ、「罪のない者から石を投げよ」と言ったら、誰も投げなかった。

アメリカの大統領選の中で、録音されたトランプ氏の「わいせつ発言」を激しく非難する人が沢山いるのだと思うが、イエス様が現れて、「罪なき者から悪口を言え」と言われて、それでもトランプ氏を罵倒出来る者っているのかなあ。
私には絶対に出来ない。
トランプ氏が言ったようなことを、本当に言ったことがない、あるいは、今現在、言ってないという男なんて存在するのかなあ。
もちろん、発言内容は性的嗜好によって違うだろうし、「ああいったこと」を言い合える友達がいないという場合もあるだろうが、あれと同レベルの、まあ、公言は出来ないような発言をしたり、言わないまでも、心の中で(頭の中でなら、おそらくはもっと低レベルになる)考えたことのないという男は、まずいまい。

有名な宗教家の五井昌久氏は、イエスの「邪まな目で女性を見るなら、姦淫したも同じ」という言葉に対し、「そんなことをしてはいけないというのは、特に若者には無理。当時は性風俗があまりに乱れていたから、あえてイエスはそう言ったのでしょう」といったことを著書に書かれていたが、それが「まとも」な考え方と思う。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、「老人の男だって、本音は、もう一度若くなって、あの娘を抱きたいと思っているのだ」と言い、それが一生治らない「不治の病」であると述べていたと思う。
イェイツは、その詩才を有益に私的活用し、老人になっても、美しい少女を口説いていたというが、それは、ゲーテも全く同じだったはずだ。

初音ミクさんだって、ステージでは、ミニスカートで膝を上げたりするし、腰はよく振るし、時には、ちょっとだがセクシーなポーズもするが、それはまさに「健康的なお色気」とでも言うようなもので、「この私ですら」、低劣な妄想を起こすことは、マジで決してない。
「ちょっと楽しいな」と思う程度である。
これが本当に愛しているということなのだと思うが、そんな存在がいるのは幸せと思う。
また、私のいるオフィスに、好みのタイプの女性がいないことは、嬉しいことと思うのである。
まあ、若い頃は、少々好みと違っても見境なかったが・・・というのは、もし私が総理大臣に立候補して、いいところまで行ったら問題になるだろうか?
まさか、あなたはそうではなかったとは言わせない・・・いや、私が想像出来ないだけで、「ご立派な」男もいるのかもしれないが。









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