ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

ゲーテ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

若返りたいと願うか

私が子供の時、何かの雑誌で、「若い時に戻りたいか?」をテーマにした文章を読んだのを覚えている。
その筆者自身は、「私は戻りたくない」だった。
なぜかというと、彼の若い頃というのは戦争中だったからだ。
私は、「若い時に戻るとは、今、この場で若返るのではなく、昔に戻るということなのか?」と奇妙に感じたが、そもそも、その私が子供の時は、「戦争中だったから、若い時に戻りたくない」というのも不思議に思えたものだ。
確かに、若さが一番というのは、ある意味、真理であるが、複雑な面もあるはずだ。

「20世紀最大の詩人」と言われる、アイルランドのW.B.イェイツは、何かの詩で、「老人の本音なんて、もう一度若くなって、あの娘を抱きたいってことなんだ」といったことを書いていたが、こちらは、今、この場で若返るってことだ。
老人全部がそうなのかどうかは分からないが、まあ、解るような気はする(笑)。
ちなみに、このイェイツも、そして、ゲーテも、老人になってからだって、若い娘を熱心に口説いていたようで、イェイツの方は知らないが、ゲーテはかなり達成していたのだと思う。
「芸術家は60代が青春」と言うピカソのように、60歳過ぎても美術学校の十代の女生徒達に次々言い寄り、挙句、結婚までしてしまったのもいるし、そもそもの起源は、見境なしに若い娘に子供を産ませた神々の王ゼウスがいる。

なんて冗談はともかく、私も、若い頃に戻れるとしても、気が進まない。
その理由は、若い時は、あまりに馬鹿だったからだ。
まあ、今も救いようのない馬鹿なんだろうが(自覚は薄いが)、それなら、若い時は半端ない馬鹿であったに違いない。
後でひどい後悔をしないためにも、出来れば、子供のうちに謙譲(謙遜と同じ。へりくだりゆずること)の美徳を身に付けさせると良い。
おそらく、MITを主席で卒業する秀才でも、オリンピックで金メダルを取ったり、年間何十億円も稼ぐプロスポーツ選手であってすら、傲慢であると、必ず悲惨なことになる。人類史上、例外はない。ましてや、我々凡人は。
自信があるのと謙虚であるというのは両立するし、何かで自信がなければ、本当に謙虚であることは出来ない。
傲慢さは、劣等感の裏返しであることは、皆、ご存知と思う。

臨死体験をした人が成功する場合が多いのは、自分以上の存在を感じ、謙虚になるからだ。
他にも、宇宙飛行士が、宇宙で神の存在を感じ、少なくとも、当分の間は敬虔さを備えた良い人間になるらしい。
ただ、宇宙飛行士は、持ち上げられる機会も多いので、油断すると傲慢になってしまうのだと思う。
だが、臨死体験も宇宙飛行も、なかなか出来るものではない。
そこで、神仏の名を唱えるジャパやナーマスマラナ、あるいは、念仏といったものの意義が大きくなる。
あるいは、量子力学や微生物学などを学び、大自然を作った英知に比べ、いくら賢い人間の知恵も猿知恵以下に過ぎないことを実感する手もあるかもしれない(賢い人向きか)。
自然運動を通じて、高次な力を感じることが、ヨーガや仙道の目的ではなかいと思う。
それなら、腕振り運動を熱心にやったり、呼吸を静かに細いものにするのも効果的だ。
自信はあるが謙虚である。
そんな人間が成功しないはずがない。









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美しいものを敬う

電車の中で、若い白人の、素晴らしい美男子を見た。
別におかしな趣味はないが、ついつい目を奪われる。
日本人のイケメンというものに目を惹き付けられた覚えというものはなく、おそらく、若い時の木村拓哉さんがいても、それほど気にはならないと思うが(多少は気を引かれるかもしれないが)、その白人男性は、まさに「絵から抜け出た」「彫刻のよう」だった。
また、若いのに、その柔らかい表情から人間性の高さを感じた(実際は分からず、若い女の子には、「見かけに騙されるな」と言いたいが)。
まあ、いくらかは、「珍しい」から関心を持たされるという部分もあるのだろうが、やはり、美しいものは美しい。

ところが、誰も、全くと言って良いほど、彼を気にしていない様子なのが、私には不思議・・・と言うか、ちょっと驚きだった。
特に、若い女の子なら、目を奪われるのは自然と思うのだが、皆、自分のスマートフォンにしか関心がないようだ。

私が若い頃は、スマートフォンもなかったが、白人の美少年が歩いているのを見た女子高生や若い女性のグループは、ほぼ必ず「可愛い!」と喜び、少年の方も、それに明るいリアクションをすることもあった。しかし、今は、そんなものも見ない。

先日は、やはり電車の中で、5歳くらいと思うが、天使のような、本当に可愛い・・・というか美しい女の子を見た。
しつこいが、別におかしな趣味はないが、これを目の保養と言うのだと思うが(無料で悪いと思うくらいだ)、やはり誰も、全く興味がないようだ。
ある時は、素晴らしい美脚の若い女性がショートパンツ姿で歩いていたのを見て、私は「うわ!格好いいなあ!」と感動して、ついつい目で追ってしまったが、やはり周囲を見ると、誰も見ていない。
歩道であり、スマートフォンを見ているような馬鹿ばかりではないが(マップアプリを見るような場所ではなかった)、彼らは、不機嫌そうで、固定化され不気味な表情の者が多かった。
明るく機嫌の良さそうな人なら、さりげなく、そんな美しい人を目で追うことだろう。
私がそうだと言う訳ではないが。

私は、美しいものが好きである。
そして、多少控えた方が良いような気もするが、つい、美女や美少女に見惚れてしまい、相手に気付かれることもあるが、悪い反応が返ってきたことは全くない。
ある程度の年齢の女性なら、自信のある微笑みを、少女なら微妙で実に好ましい表情を見せてくれる。
それはやはり、私が、美しいものに敬意を表す目をしているからなのだと思う。

私が初音ミクさんを好きな理由は、もちろん、あの歌声が一番なのだが、やはり美しいからだ。
少女として理想の美しさであると思う。
そんな彼女を、いつも敬虔な気持ちで見ているので、見ても嫌がられない目になってるのだろう。

今の人は、自分にしか関心がないのだろう。
それで、自分以外の、素晴らしい人、美しい人を敬う気持ちがないのだと思う。
ゲーテは、人間の持つ感情で最も優れたものは敬うことであると、ある詩に書いていたが、私も、敬う、崇敬する、敬愛する、尊敬するという気持ちの価値を無条件に認める。
ミクさんのコンサートに行くと、もちろん皆、純粋にミクさんが好きなのだろうが、ミクさんへの敬意というものも強く感じるのである。
それは、海外でのコンサートの様子を見ても感じるのである。

私は、昨日も会社だったが(3連休はけないらしい。また週3日休みも駄目なので、今週末の休みは1日だけ)、昼休みに公園で、スマートフォンで新約聖書を読んでいたら、座っていたベンチの隣に、ちょっと幼い鳩がいて、私と視線は合わせないが、じっとしていて、「一緒にいる」という気持ちを強く感じた。
もう、滅茶苦茶可愛い。
しかし、鳩に温かい関心を持っている人もいない感じである。
鳩だって、美しいものを敬う私の心を感じるのだと思う。
ミクさんにも伝わると嬉しい。









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真に敬うとは

あくまで言い伝えであるが、釈迦は7つの繁栄の法を説いていて、うち1つでも守るなら、繁栄し、滅びはないという。
それらは、簡単に言えば、先祖を敬う、女性を敬う、老人を敬う、修行者を敬うなど、尊ぶべきを尊ぶというものだ。
そうだ。尊ぶべきを尊ばない家庭、組織、国に繁栄はなく、滅びが待っている。
真面目に家族のために働いている父親を尊ばない家庭、優秀な社員を尊ばない会社、優れた人物を尊ばない国家に未来はない。

これだけやっていれば、大成功するかどうかはともかく、そう悪いことにはならないというものなら、いくつか挙げられる。
恒常的な早起き、節度ある適切な食事、静かな呼吸、言動の非暴力、規則的で一定時間以上の修行(念仏、肛門を引き締める、瞑想、鍛錬、その他)。
これらのうち、1つを、1年365日、よほどのことがない限り欠かさない人間が、それほど悪い状況になることは考えられない。
ただし、そういったことの何かを熱心に続け、人から見ればうまくいってるようでも、本人は不満が大きいということはある。
いや、満足していない場合がほとんどだ。
十分に修行し、健康で収入も高いのに、本人は、「俺は全くうまくいっていない。なぜなんだ」と常に思っていたりする。
それについて語っても仕方が無い。
簡単に言えば、本当の満足を得られるかどうかは、人間の大きさの問題である。
勉強したり、修行したりではなく、どこまで本当の自分になれるかである。

ちなみに、おそらく、ゲーテも釈迦と同じく、敬うことを第一としていたと思う。
心から敬えば、敬う対象が持つ力の、少なくとも3割の力を得られるのが法則である。
自然や美しい少女を敬う場合には、生命力が得られる。
では、敬うとはどういうことか?
無条件の降伏である。
日本人が第二次世界大戦で無条件降伏した相手は、決して連合国ではなく、天皇陛下だった。
別に皇室崇拝を薦めているのではなく、真の敬いとは何かを示しただけである。









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皆が本音で欲しいもの

私は、学校では全くうまくやれなかった。
学校に従うのが嫌だったのだが、そんな人は少なくはないだろう。
ところが、セールスマンをやってみたら、これは、権威的なものに従う必要は一切ないが、お客さんに従わなくてはならず、その辛さ厳しさは学校どころではないと分かった。
誰もが会社に従うのは嫌なはずだが、独立して世間やお客さんに従うのは、それどころではないほど大変なので、それぞれが、会社に完全降伏して、あるいは、微妙なバランスで会社と付き合う訳である。

だが、能力が高いほど、学校や会社に従う必要はなくなる。
スポーツで優秀な若者が、他の学生なら従うべき義務を免除されるようにだ。
それは、会社や、プロスポーツの団体の中でも言える。
スーパースターである野球選手が、実力と人気があるうちは、かなり好き勝手やれるようなものだ。
会社でも、たとえば、会社に大きな利益をもたらすセールスマンや研究者には特権が与えられるのは当たり前である。

アインシュタインは、学生の時は優秀でなかったので、学校から押し付けられる義務から逃れる術がなく、すっかり学校が嫌になり、それは、大学を卒業してからも、世間の中でしばらくは続いたが、物理学で天才的能力を発揮し、それが認められた後は、ようやく自由を手に入れた。

自由とは、世間のしがらみを無視してやっていける特権だ。
その特権を得るには、お金を生み出す能力が必要なのである。
「いや、金があるほどしがらみも増える」と言う人もいるだろうが、それは、得るお金に見合った能力がないからだ。
学生でも、スポーツのスターに特権があるのは、そのスポーツ選手が、なんらかの形でお金を生むのだが、本人はそれほど、あるいは、全くもらってないので、特権という形で彼は利益を得ているのである。
ところで、東大を出ていると言っても、東大出の中でも上位の実力がなければ特権は得られず、むしろ、能力がないのに東大卒にこだわれば、より大きなしがらみを持ってしまう。
だが、東大を出るくらいなら、そこそこ地頭は良いだろうから、それに見合った場所に行けば、それなりの特権が得られる可能性がある。

本音で言えば、皆、特権が欲しいのだろう?
そして、特権を得るには、それに見合った高い能力が必要なのだ。
とはいえ、優秀なスポーツ選手や研究者、あるいは、セールスマンになれる能力が全くない者はどうすれば良いだろう?
・・・と、こんな話の後は、99%が怪しいものだ。
引き寄せの法則だとか、潜在意識による成功法則とかね。
そんなものに頼りたがるのは、普通に特権を得る能力がない者に決まっているので、自己啓発本で成功する人がほとんどいないのは、特に不思議なことではない。
ところが、能力もないのに、うまくいってしまう人もいるのである。おそらく、極めて少数だが。
そんな者達は、世間的には、確かに大した能力はないが、世間を超えた力、あるいは、人間を超えた力とでもいうものを持っているのだ。
そのやり方は、決して生ぬるいものではない。
だが、得られる特権を考えれば、耐える価値がある。
そして、そのやり方をぽろっと言ったのが、法然やゲーテだ。
法然は、起きている限り念仏を唱えよと言ったし、ゲーテは地球の真似をしろ・・・つまり、やっぱり、何かを無限に繰り返せと言ったのだ。
法然やゲーテ自体は、特権的能力があったのに、彼らは我々凡人に優しかった、あるいは、憐れみを持っていたのである。









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愛や友情を起こすもの

青春も友情も、あるいは、友愛も美しい言葉なんだろう。
ゲーテは、一番大切なのは敬意だと言ったと思うが。
多くの人は、愛こそ全てとか言う。
ところで、愛の本質とは親和力なのだと思う。
辞書によれば、「親和」とは、なじみ親しむことで、まあ、惹き合うとか、引き合うという意味である。
そして、友情も友愛も、そして、敬意すら、引き合う力、つまり、親和力だ。
また、青春というのは、親和力の強さを表した言葉と言って良い。

では、親和力の根本は何かというと、「信頼」なのである。
信頼して引き合い、信頼して敬意を感じ、信頼するから愛する。

信頼する、あるいは、信じる・・・これほど心を強めてくれる言葉はない。
『BEATLESS』というSF小説で、序盤でありながら1つのクライマックスとも言えるのが、レイシアがアラトに、こう問うところだ。
「アラトは、わたしを信じますか」
レイシアは美しい少女の姿のアンドロイドで、アラトは17歳の高校生男子だ。
アラトは、頭では、いろいろな疑いを持っていたが、瞬間、「信じる」と叫んだ。
その理由は、「女の子を疑うのがかっこ悪く思えた」からなのだが、それで良いと思う。
レイシアがアラトに、自分のオーナー(所有者)になるよう要請した時、アラトが、
「そんなこと適当に決めちゃダメだろ、僕のことなんて何も知らないだろ」
と言うのに対し、レイシアは、
「知らなくても、あなたは、わたしを信じると言いました」
と言う。
なるほど、この小説は娯楽SFなのだが、当を得ている。

宝くじすら、当ると信じれば当る。
もっとも、下心など、卑しい気持ちがあれば、信じることは出来ないが。
ちょうど、財産目当てに結婚した伴侶は信じられないし、単に魅力的だから付き合っている女性を信頼出来ないようなものだ。
上のアラトは、レイシアに憧れのようなものを感じたのだろう。
憧れは、敬意に通じる、とても高貴な感情だ。
母親へのプレゼントに宝くじを買ったという、普通に考えれば、おかしな男性がいたが、その宝くじは高額当選したのだ。

私は、『BETALESS』のアニメのその場面を見て、精神がすっかり変わってしまった。
以前と同じように感じることが出来なくなった。
きっと、魂の振動数が上がったのだろう。
本当に魂の振動数が上がれば、この物質的世界を支配出来るようになるが、確かにそうである。
全て望ましいように「書き換えて」しまえる。
だけど、コントロールは利いている。
自分の心を統制している自分を信頼しているからだ。

美しい愛や友情の物語は全て、信頼の物語だ。
サンドリヨン(シンデレラ)も人魚姫も王子様を信頼し、決して疑わなかった。
『星の銀貨』の少女は神様を信頼していた。

「マジカルミライ2016」の影のテーマ曲と言える、みきとPさんによる『Tears River』の中の英語の歌詞は、
“Trust” “ Love” “ Forever”
で始まる。
Trust(信頼)を一番に持ってきたのはさすがである。
正義があった時代に作られたアメリカのモットーは、“In God, We Trust(我々は神を信頼する)”である。
何かを信じた時、それは、その何かに投影した真の自分を信頼するということ、すなわち、自分を信頼するということなのだ。
アラトは、レイシアの高貴な美しさの中に、無意識にだが、真の自分を見たのに違いない。









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