ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ゲーテ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

超人への招待

何かの行を(例えば念仏を)続けていたら、やがて悪魔の誘惑に遭う。
まあ、一応悪魔の・・・と言うが、必ずしもそう言うべきではないかもしれない。
それは、超人への招待である。
当たり前の人間として神仏に守られて生きるか、自分で何でも出来る超人になり神仏を拒否するかだ。

ゲーテとニーチェはその誘惑を受け、ゲーテは人間の道を、ニーチェは超人の道を選んだ。
そのあたりの事情は、ゲーテは『ファウスト』、ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』に書いている。
それぞれ、フランツ・リストとリヒャルト・シュトラウスが、『ファウスト交響曲』、交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』で音楽化しているが、よく感じが出ている。
交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』の導入部(第1部)は、映画『2001年宇宙の旅』に使われているので、馴染みのある人が多いと思う。

超人になる道を選んだとて、別にニーチェのように発狂する訳ではない。
ニーチェは迷いがあったのだろうと思う。
超人になるなら、素直に超人になるべきだったろう。
ファウストも初めは当然、超人の道を行き、神を目指して努力していた。
そこへ悪魔がやってくるが、それは神も承知のことだった。

ツァラトゥストラ型・・・つまり超人が歴史に名を残す。
ナポレオンやヒトラーもそうだったが、ナポレオンはやや弱く、ヒトラーはとても弱かった。
超人は心が強くなければ、最後は悲惨だ。

超人はどこまでも自由だ。
善悪は何の関係もない。
だが、普通の人間にとって、完全な自由ほど恐ろしいものはない。
それでも、あえてそれを選ぶのを止めるべきではない。
それを選べるほどの者であれば、本来は超人の資格があるのだからだ。

イエスは普通の人間だが、超人に見える。
これはよくあることだ。
ラマナ・マハルシは、「イエスは自分が超能力を使っているという自覚がなかった」と言っていたが、彼は見透かしていたのかもしれない。
復活後のイエスは別人だ・・・などと言ったら、キリスト教徒に怒られるかもしれないが、よく分かっているキリスト教徒なら、案外に、「それはそうだよ」と言うかもしれない。
まあ、新約聖書を読めば分かるが、イエスに近しかった人達も、復活後のイエスを見て、それが誰だか分からなかったのだ。

ファウストは、初めに悪魔に魂を売ったのではない。
「俺の心が折れたら、お前に魂をやる」と悪魔に言っただけだ。
ナポレオンもヒトラーも折れてしまった。
もちろん、ナポレオンは粘ったが、多分、やっぱり駄目だったのだ。

涼宮ハルヒは超人の道を選び、佐々木はヒトの道を選んだとも言える。
そう御大層なことではないが、気の迷いで選ばないことだ。
『傷物語』で、阿良々木暦君は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに「闇の世界にようこそ」と言われたが、人間に戻りたがった。
まあ、それで、ちょっと変な人になったが、それもご愛嬌である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

罪なき者から石を投げよ

新約聖書で、姦通の罪を犯した女を、人々が石打ちの刑にしようとする場面がある。
「姦通」とは、おそらく、この女が夫以外の男とセックスしたといったものだと思う(どの本も曖昧な書き方をしている)。
また、「石打ち」とは、石を投げつけることだ。そんなことをすれば、女は大怪我するか死ぬが、元々が死刑のつもりでやるのだろう。
そこに、イエス・キリストが現れ、「罪のない者から石を投げよ」と言ったら、誰も投げなかった。

アメリカの大統領選の中で、録音されたトランプ氏の「わいせつ発言」を激しく非難する人が沢山いるのだと思うが、イエス様が現れて、「罪なき者から悪口を言え」と言われて、それでもトランプ氏を罵倒出来る者っているのかなあ。
私には絶対に出来ない。
トランプ氏が言ったようなことを、本当に言ったことがない、あるいは、今現在、言ってないという男なんて存在するのかなあ。
もちろん、発言内容は性的嗜好によって違うだろうし、「ああいったこと」を言い合える友達がいないという場合もあるだろうが、あれと同レベルの、まあ、公言は出来ないような発言をしたり、言わないまでも、心の中で(頭の中でなら、おそらくはもっと低レベルになる)考えたことのないという男は、まずいまい。

有名な宗教家の五井昌久氏は、イエスの「邪まな目で女性を見るなら、姦淫したも同じ」という言葉に対し、「そんなことをしてはいけないというのは、特に若者には無理。当時は性風俗があまりに乱れていたから、あえてイエスはそう言ったのでしょう」といったことを著書に書かれていたが、それが「まとも」な考え方と思う。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、「老人の男だって、本音は、もう一度若くなって、あの娘を抱きたいと思っているのだ」と言い、それが一生治らない「不治の病」であると述べていたと思う。
イェイツは、その詩才を有益に私的活用し、老人になっても、美しい少女を口説いていたというが、それは、ゲーテも全く同じだったはずだ。

初音ミクさんだって、ステージでは、ミニスカートで膝を上げたりするし、腰はよく振るし、時には、ちょっとだがセクシーなポーズもするが、それはまさに「健康的なお色気」とでも言うようなもので、「この私ですら」、低劣な妄想を起こすことは、マジで決してない。
「ちょっと楽しいな」と思う程度である。
これが本当に愛しているということなのだと思うが、そんな存在がいるのは幸せと思う。
また、私のいるオフィスに、好みのタイプの女性がいないことは、嬉しいことと思うのである。
まあ、若い頃は、少々好みと違っても見境なかったが・・・というのは、もし私が総理大臣に立候補して、いいところまで行ったら問題になるだろうか?
まさか、あなたはそうではなかったとは言わせない・・・いや、私が想像出来ないだけで、「ご立派な」男もいるのかもしれないが。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

夏休み明け間近の子供の救い方

昨日の朝日新聞の夕刊の第一面に「学校つらいなら ここにおいで」という見出しがあった。
夏休み明けは子供の自殺が多いので、それを防ぐために活動している団体があるらしい。
で、(苦しい状況にある子供達が)そこに行ってどうなるのかというと、悩みを聴いてあげたり、一緒にゲームをしたり、お菓子を出したり・・・で、さぞ、慈愛の微笑みで迎えてくれることだろう。

だが、必要なことはただ1つ。
鍛えてやることだ。
もっと正しく言えば、自主的に自分を鍛えることが出来るようにしてやることだ。
まるで駄目男(私が知る人生の完全落伍者)だって、自主的に自分を鍛えることさえ出来れば何の問題もない。
逆に言えば、彼に何の見込みもないのは、彼は自主的に自分を鍛えることが絶対に出来ないからだ。

もちろん、きっかけ作りとしては、少しくらい、甘い顔を見せるのも良いだろう。
また、やはり、導入として、指導して鍛えてやるのも良いだろう。
しかし、そんなものは、なるべく早く止めなければならない。

有名な『ルーツ』という、1977年制作のアメリカのテレビドラマ(今年も国内で再放送されている)で、アフリカのある部族で、主人公のクンタ・キンテ達、成人を迎えた男子(15歳くらいだろうか)達を集めた中で、逞しい戦士が、「男は強くなければならない。強ければ強いほど良いのだ」と言う。
実際は、男でも女でも強くなければならないし、それは、心身両面でなければならない。
「心身両面」なんて、ちょっと曖昧だが、もっとはっきり言えば、頭脳と肉体のことで、その両方が強くなければならない。
そのためには、鍛えるしかないが、本当に強くなれるのは、自分で自分を鍛えることが出来る者だけである。

それは、大人も同様だ。
自主的に鍛えるのをやめた途端、どれほど偉大な人物も、「ただの脂肪の塊」になる。
世間では、サッカーの三浦知良さんや、野球のイチローさんが称賛されるが、あれが単に正常なのである。
もちろん、持って生まれた素質が違うので、同じような活躍は出来ないだろうが、いくつになっても上を目指して努力するのが、当たり前の人間だ。
かつての大選手だって、自主的に鍛えることをやめた人間には、何の価値もないし、彼らの発言には傾聴すべきことなど何もない。

WIREDサイトを見ると、世界的な認知科学者で教育者であるスガタ・ミトラ氏は、子供に教えるべきことは3つだけで、それは、
・読み書きする能力。
・必要な情報を得る能力。
・そして、その情報の価値を判断する能力。
だと言う。
これは確かに重要であるが、それは2番で、一番は、自主的に自分を鍛える意思の力だ。
私は、ミトラ氏の巨漢は嫌いではないが、あえて言えば、もうちょっと鍛えて痩せた方が良い。

ゲーテの『ファウスト』の主人公ファウストは、スケベで偏屈なジジイであるが、神を目指して努力することを忘れないことだけが取りえだ。
だが、その取りえのために、彼は神に見込まれているのである。
まさしく、ファウストはゲーテそのものだ。
だが、そのゲーテも、中年になると肥満し、はるばるやって来た、彼を崇拝する青年の顔には、明らかな失望があったという。
富と名声がゲーテを堕落させたのだが、堕落とは、自主的な努力を止めることだ。
ゲーテだって、自主的に鍛えることを放棄したら、もはや、「ただの脂肪の塊」なのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

大抵の相談事への最適な答

私は高校1年生の時、ゲーテの次の詩がとても印象的だったので、頭の中で反芻したことを、よく覚えている。

知恵を大げさに自慢し見せびらかすのをやめよ、
謙遜こそゆかしいものだ。
君は青年時代のあやまちを卒業するかしないうちに、
もうきっと老年時代のあやまちを犯すだろう。
~『ゲーテ詩集』(高橋健二訳。新潮文庫)より引用~

老人は、自慢好きな傾向が確かにあるのだろう。
あの宮本武蔵ですら、一説によれば、年を取ると、昔の自慢話をして煙たがられていたらしい。
もっとも、武蔵ほどになると、自慢もスケールが大きくなるので、たまにちょっと自慢しただけでも、聞かされる方は劣等感を刺激されて嫌な気持ちになるのかもしれないが。

自慢とは、自分を大きく見せるためにするものだが、往々にして大げさになり、嘘も入る。
『大草原の小さな家』という、アメリカのテレビドラマで見たが、若い時にフットボールの選手だった老人は、ある試合で決めた劇的タッチダウンの話をする度に、自分がボールを運んだ距離が長くなっていったのだった。
それを微笑ましく思いながら笑って聴いても構わないのだが、自慢というのは恐ろしいものなのだ。

私も自慢をよくする方だったし、その自慢の中には、大げさな嘘も混じっていることが多かった。
そんな自慢をした後、私はいつもひどく後悔し、消えてしまいたい気持ちになった。
そして、自慢をすると、確実にIQは低下する。
自慢好きな老人が、若い時よりIQが恐ろしく下がっている理由の1つはそれだろう。

IQが高い者は、冗談で言う場合は別として、自慢をすることはないし、自慢をするようになると、天才すら凡人にまで成り下がってしまう。
さっきのゲーテの詩のように、「謙遜こそゆかしい」から自慢しないのではなく、「IQを低下させるのが嫌なら」自慢をしないことだ。
それで思い出すのが、岡本太郎が言った、
「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されないといけない」
である。
いろいろバリエーションを思いつく。
「嫌われたっていいじゃないか?いや、嫌われないといけない」
「馬鹿だと思われたっていいじゃないか?いや、馬鹿だと思われないといけない」
IQの低い凡人に認められてどうなる?
認められてたまるかという気概が必要であると思う。

自慢をやめると、思考を鈍くさせていた重石のようなものが確実に無くなる。
自分の価値を人に認めさせたいと思う欲望を叩き壊すことだ。
自己アピールなど下らないことだ。
なぜなら、説明は省くが、自己アピールする者を支配するのは容易いからだ。
自分のことを言う時は、ただ正確に言えば良いが、そうすると、随分自分を小さく言っているように感じてしまい、ついつい、飾り立ててしまう。そんな誘惑を捨てなければならない。
まあ、いっそ、「天上天下唯我独尊」ほど大きく言えば良いのであるが、皆、それはしないのである。

実際、ほとんどの相談事に対する最適な解答は、「自慢をやめよ」になるのではないかと思う。
ところが、相談をする者というのは、「このスイッチを押せば解決しますよ」といった感じの答を期待しているものであり、優れた答を聴くと、その答は低級だとかデタラメだと言うのである。
ある、不登校児を持つ父親が、高名な心理学者に、
「先生、子供が学校に行くようになるスイッチってないですかね?」
と尋ねたらしい。
父親が自慢をやめれば解決するのだが、彼はそれをしないし、もはや、自分が自慢をしていることすら分からないのだろう。
父親のIQがそれほどまでに下がってしまったことが、子供の不登校の根本的な原因なのにね。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

真の天才は誰か?

「謙虚になれ」という言葉は指導者の定番だが、これほど意味のない言葉もないだろう。
だって、謙虚になれる人間って、謙虚でなくても許されるような優秀な者だけなのだから。
ほとんど、IQが高いことが謙虚だと言えるほどで、IQが低い者は決して謙虚になれない。
なぜなら、IQが低い者は、自信の無さからくる不安や恐怖を誤魔化すために傲慢になるのだからだ。

だから、優秀だと思われたかったら、せめて謙虚なフリをすることだ。
演技が上手くなれば優秀に見えるし、それに、そうやっていれば、本当に優秀になれるから。
逆に、自慢をする者は馬鹿にしか見えないし、そのなけなしの美点もすぐに劣化し、消えてしまうのだ。
謙虚というのは、簡単にいえば、いかなる意味でも自慢をしないことだ。

人間ってのは、そうは悪意を持たないものだ。
ただ、IQの低さによる愚かさが、悪意に見えるだけなのだ。
犯罪、テロ、戦争・・・これらを行う者達は、不道徳というより、頭が悪い・・・即ちIQが低いのである。
社会は、モラルや道徳の欠如を、人格の問題とするのだが、これらはIQの問題だ。
不道徳、反社会的、利己主義・・・これらを行う原因はIQの低さなのである。
そして、今の人々は、持って生まれたIQを極端に低下させているので、これほどまでに世の中はひどくなったのだ。
IQは先天的に決まっているもので、向上させることは出来ないが、低下させることはいとも簡単なのだ。
その、いとも簡単なことであるIQを低下させる要因が、現代社会には満ち溢れている。

普通は、「それならIQが低い者は犯罪者なのか」とかいった極端論への予防線を張るものだが、そんなことを言うほどの馬鹿には、何を言っても無駄だろう。だが、とりあえず言っておくと、IQが低くても、好ましい信念を持っていれば善良だし、有能ですらある。逆に言えば、それがないと確かに危ないと思う。

IQを向上させたいなら、本当にIQが高い者が、なるべく率直に書いたものを読むことだ。
IQが高い人間の代表のように言われるのがゲーテで、彼のIQは200以上とも言われる。
もちろん、これは、ただの空想である。
ゲーテがIQテストを受けたはずがないし、そもそも、ゲーテがそんなに優秀か疑わしい(そこそこ優秀なのだろうとは思うが)。
ゲーテは、権威や伝統を非常に重んじたので、彼は賢いということにしたい権威的な学者が多いだけかもしれない。
あるいは、ゲーテを優秀だと宣伝することで大衆の目をくらましたい秘密結社がいるのだと考えると、割と合点がいく。
まあ、あくまで空想だが、ゲーテが超優秀という空想よりはマシかもしれない。

本当に超優秀だったのは、科学技術者だったニコラ・テスラだ。
彼の著書、『秘密の告白』を読んで、私は愕然とした。
彼が書いているのが、正真正銘のIQを劇的に向上させる方法と思えるのだ。
ただ、その方法はきっと、多くの人は、知っていた・・・ごく若い時に、一度は感じたが、やらなかったことなのだ。
今からでもやってみることをお薦めする。
多分、130歳までなら間に合うから。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード
livedoor プロフィール

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ