夜見る夢は、いかに美しくても、他愛ない幻だと思われている場合が多いだろう。
だが、荘子は、自分が蝶になった夢を見た時、人間である荘子が夢で蝶になったのか、蝶が夢で荘子という人間になっているのかは不明であると言い、書の中の人物に、「私もお前も、間違いなく夢を見ているのだ」と言わせている。
江戸川乱歩は、色紙にサインする際、「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」(現実が夢で、夜の夢こそ本当なのだ)と書いたという。
アメリカ人のダリル・アンカと精神交流する宇宙生命体バシャールは、「どちらかというと夢の方が現実」と言ったようだ。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、「目覚めは長く、夢は短い。この他に何の違いもない」と言う。ニサルガダッタ・マハラジもまた、「人生は1つの夢とみなされるべき」と言った。

我々はよく、「夢なんだから、何をしてもいいんだ」と、放埓な行動をしようとするかもしれない。まあ、確かに、現実でもそのように振舞う者もいるのだが、これが夢となると、それこそ、好き勝手、やりたい放題で、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)になろうとする。なぜなら、何をしても罰せられないからだ。夢の中での行いを裁く法などない。
とんでもない話で、夢の中でこそ、我々は美しく振舞わねばならない。なぜなら、夢の中では、振る舞いこそ精神であるからだ。他人に裁かれないからこそ、そこに本当の自分の姿が現れるのだ。
だが、実際は、夢の中でも、思い通りに何でもできる訳ではない。気付いているだろうか?夢の中の方が、魂の高貴な部分の影響が大きいのだ。悪いことをしようとすると、ほとんど上手く行かないのである。
もちろん、現実(目覚め)でも、正しい行いをしなければならないが、物質世界ではやむにやまれぬ制限があり、そうしたくてもできないことも多い。例えば、病気の浮浪者を見て、憐れに思っても、家に連れ帰ったりはおろか、親切にすることもできない。しかし、夢の中でなら、その気にさえなれば、何でもしてやれる。そして、夢の中では、高貴な行いというのは、スムーズに行える場合が多い。
夢の中で、良い行いのはずだが、どうしても上手くいかないという場合は、何かの警告なのである。学校や会社になかなか行けないという場合は、学校や会社に対する考え方を変えた方が良いのかもしれない。

さて、この現実もまた夢であるとしよう。実際そうなのだ。
だが、夢だからこそ高貴であらねばならない。現象そのものに大した意味はないのは、夜の夢も同じだ。五感で感じるものは幻に過ぎない。だから、何があっても恐れることはない。動じてはならない。そして、心もまた幻想かもしれないが、物質よりはリアルなのだ。そして、心を支配する何かが本物なのだ。それを、現実世界の中で垣間見ることがある。それは、昔から、天使とか、光とか呼ばれた。『歓喜の歌』の、楽園の乙女、神の火花と表現されたものがそうだ。
その光をつかめれば、現実という夢はあなたの意のままなのである。

小夜(さや)が今は祈っている。
そして何かを求めようとしている。
霧の中にある見えない光を。
そう光なのだ。
それは瞬間に消える光。
淡く、そして遠い。
~『BLOOD-C』(角川ホラー文庫。藤咲淳一著。Production I.G/CLAMP原作)より~

五感は幻想。純粋観念こそが真実。
~ヘレン・ケラーの言葉。『楽天主義』より~

Nowhere Man, please listen,
You don't know what you're missing,
Nowhere Man, the world is at your command.
ひとりぼっちの男よ、聞くのだ
きみは大切なものを失っていることに気付いていない
ひとりぼっちの男よ、世界はきみの意のままなのだ
~ビートルズ『Nowhere Man』より~









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