ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

グリム

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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黒魔術的引き寄せに近寄らない

「悪が栄えたためしはない」とは言うが、悪がかなり長く栄えることもある。
ナチス・ドイツだって十数年は続いたし、大国のマフィア的なものとなると、完全に悪と言えるかどうかは分からないが、数百年以上続いているものもある。
ヒトラーは、彼が何と呼んでいたかは知らないが、やはり、引き寄せの高度なテクニックを用いていた。
だが、それは邪悪な手法、つまり、黒魔術だった。
黒魔術というのは、安易な方法で、確実に、心のエネルギーを起こして、それで世界を書き換える技術で、手段を選ばない。
最も邪悪なものであるが、「殺しの味は忘れられない」と言うように、生贄の儀式は、少し慣れると、大きな狂喜のエネルギーが確実に起こり、これを利用した引き寄せは、邪悪ながら強力である。
あるいは、黒魔術系と思われる宗教の秘術の中には、かなりどぎつい性的儀式があるのも、同じ理由(確実に心のエネルギーが湧き起こる)からである。
それ(黒魔術的性的儀式)には、若い美男や美女を使うが、高級なものになると、美少年や美少女を使う。
それは、単に、性的満足のためではなく、魔術の力を得るために行うのである。
もちろん、そのような、邪悪な道に入れば、心がどんどん闇に浸食され、たとえ形は人間の形態を留めていても、人間とは言えないし、いずれは、人間らしい姿を保てなくなる。

一方、正当な引き寄せは、全ての人間が行使する権利を持つ神の力を使うのであり、いくら使っても良いが、使うためには、ある程度の条件がある。
その条件とは、健全な方法で、心のエネルギーを取り出すための状態である。
それ(心のエネルギーを引き出す状態)は、子供なら普通そうであるという部分もあるが、強力なものでは、高い志を持った大人にしかない部分が多いのである。
その状態を言葉で言えば、「愛に満ちた状態」なのであるが、ほとんどが自己に向かう子供の愛より、他者に向かう大人の愛の方がずっと大きいのである。
だから、愛する者がいない大人は、あまり大した引き寄せが出来ないのである。
とはいえ、安楽に過ごす程度の引き寄せは出来るのであるが、それでは人生の満足は得られない。
それで、白魔術のグルの中には、「何でもいいから愛しなさい」と言う人もいる。
例えば、絵画や彫刻や音楽や武術や初音ミクさんなどである。
それらを、高貴に愛するべきである。

今の時代は、病気というのではなく、家庭や学校やマスコミによる(悪い)影響で発達障害を起こし、例えば10歳くらいの精神のまま大人になった者が多い。
そのような者は、本来、大きな引き寄せは出来ないのであるが、そんな者が間違って黒魔術に長けてしまうと、富豪や権力者になってしまうこともあるので恐ろしいのである。
おそらく、ヒトラーもそうだったのではないかと思うが、よく解らない。

黒魔術は、儀式的な手順が快楽的だし、確実に力を得られるので、安易にのめり込む者がいるが、それは悪魔の奴隷になるようなもので、惨めなんてものではない哀れな状態になるので、決して、その道に行ってはならない。
とはいえ、心の弱い者は、その魅力に抗えないので、出来るだけ心を鍛えておかないといけないし、子供の心が自然に強くなるようにしてあげないといけない。
白魔術の道を行くには、本当に美しいもの、高貴なもの、優れたものへの憧れや敬意を持つことだ。
邪なものへの傾倒は防がねばならない。薄汚い快楽に耽溺すると、たちまち悪魔が誘いをかけてくるだろう。
童話や神話は、普通は良い影響があるものだが、童話を邪悪に解釈したもの、あるいは、実際に邪悪な童話や神話にも注意しなければならない。
確かに、グリムには、多少なのであるが、黒が混じっているかもしれない。あくまで多少と思うが。
そういえば、フランスの天才画家ギュスターヴ・ドレは、グリムを知らないことはないと思うが、ペロー童話の方ばかり描いている。
元々、ドレは、聖書とダンテの『神曲(原題:神聖なる喜劇)』を描くために画家になったのであるが、この両者も、光の道が描かれている。
聖書や神曲を愛読する黒魔術師などいないものであるが、ペローやイソップの童話もそうである。

是非、白魔術的な引き寄せの力を得るように。
ラマナ・マハルシ等のインドの聖者には、「何でも出来るけど何もしない」透明魔術(無色透明魔術)の系統の人が多いが、これはこれで幸せなのである。








『サンドリヨン(シンデレラ)』を読めば幸せになれる

ひょっとしたら、ご存じの方がいるかもしれないが、私は駄目な人間に非常に強い興味がある。
「なぜ、ここまで駄目なんだろう」と驚嘆するくらい駄目なやつだ。
そんな者が、日の目を見ることがあるのだろうか?
そうあって欲しいと強く願う。
まあ、私ほど駄目なやつはいないからだが(笑)。

しかし、『サンドリヨン(シンデレラ。灰かぶり)』を読むと、私くらい駄目でも、それなりに良い思いが出来るようになる。
そんなの、読んだことくらいあるって?
いや、問題なのは、熱心に読んだかどうかだ。
私はいまだ、これを、涙なくしては読めない。
長い間、蹂躙され続けた少女が大逆転するのだ。
これほど良いお話があろうか?

『サンドリヨン』は、ペロー版とグリム版がよく知られているが、多くの日本人が知っている、かぼちゃの馬車と、ネズミが変身した馬、そして、ガラスの靴はペロー版の方にだけある話だ。
グリム版では、初版では、不意に馬車が現れるが、サンドリヨンが歩いてお城に行くお話もある。それに、グリム版では、サンドリヨンの靴は、1日目が銀で、2日目が金だ。
しかし、もっと重要な違いがある。
共に、サンドリヨンは幼い時に母親を亡くしている。
しかし、ペロー版では、サンドリヨンは、仙女(仙人の女性)に育てられたが、グリム版ではそれがない。

私は、ペロー版、グリム版、両方好きだが、少し、ペロー版が好きだ。
その理由は、次のようなことがある。
サンドリヨンが、自分を虐待した義姉達を許したばかりか、王子様と結婚して得た絶大な権力で姉達を幸福にするのはペロー版だけで、グリム版では、義姉達は、悪業の報いを受け、かなり悲惨なことになる。
特に、グリムは陰険なのか、自分が創作を加えた方は、義姉達を徹底的に不幸にする。そこまでやるかって感じだ(笑)。
そういえば、アンデルセンがグリムを訪ねた時、グリムはあまり良い対応をしなかったことを思い出す。
性格が悪いのかなあ(笑。実際悪かったという話もあるが、本当のことは分からない)。

さて、ペローの『サンドリヨン』の教訓は、女性は、心の優しさが何より大切だということになっている。
サンドリヨンは、義姉達を恨んではいなかった。
普段、自分をいじめている義姉達が舞踏会に行く時には、義姉達が綺麗になるよう、精いっぱい努力した。
そして、その素晴らしい性質を授けたのが、亡くなった母親の代わりにサンドリヨンを育てた仙女だった。
『サンドリヨン』のお話の最後にも、この仙女のように育ててくれる人がいることの大切さが書かれているものもある。
この仙女のような存在がいなかった者こそ、『サンドリヨン』を真面目に読むべきなのだ。
また、誰にも履けない小さなガラスの靴を、サンドリヨンだけが軽く履くことが出来たのだが、実は、足の大きさが、傲慢さや自惚れを表しているのである。
サンドリヨンは慎み深い、自我の薄い少女だった。
だから、王子様が自分に付きっ切りになっても、狂喜したり、自慢することもなかった。
それもまた、魔法発動の条件なのである。
『サンドリヨン』は、まさに、魔法の奥義書である。魔法とは、現代で言えば引き寄せである。

私は、ディズニーの、どう見てもオバさんのサンドリヨン(シンデレラ)が好きになれない。
あれはきっと、悪い宇宙人が、地球の子供達を洗脳するために作ったキャラだと思う(※あくまで私の主観だが)。
私が大好きな、天才イラストレーター・画家である、フランスのギュスターヴ・ドレが、サンドリヨンが小さな靴を履く場面のイラスト(版画)がある。
◆小さな靴を履くサンドリヨン ~Wikipedia「シンデレラ」より~
現代の萌え萌えの美少女画のようではないが、サンドリヨンが痩せていて、足が小さく、慎み深さがよく表れていると思う。

尚、日本でも、優しい心を持っているが不遇な境遇にある少女のお話としては、『落窪物語』や、中将姫の物語がある。
私が『落窪物語』で泣けたのは、「落窪(おちくぼ)姫」と蔑まれている、身なりは粗末だが美しい姫を見て、若くて格好良い貴族の青年がつい押し倒し、姫は泣くが、泣いた理由というのが、着ているものがみすぼらしくて惨めだったから・・・というところだ。まあ、育った境遇による独特の感覚とは思う。








おとぎ話は引き寄せの教科書

どんな国、どんな民族も、おとぎ話や神話を持つ。
おとぎ話は、教訓を伝えるものであるとか、あるいは、もっと深い人間や世界の真理が隠されているものだとも言われる。
神話や伝説に関しては、神話が伝えられなくなったら、その国や民族は滅ぶと言う人もおり、その民族を護る重要な教えが神話の中に秘められているという主張もある。
※「おとぎ話」は「日本の童話」という意味だが、ここでは、両者を区別しない。

神話となると、何か壮大なものが込められているのかもしれないが、多くの場合、おとぎ話は、引き寄せの方法を子供に教えるために作られたのである。
とはいえ、意図しておとぎ話の中に引き寄せの方法を入れたと言うよりは、自然にそうなったのであり、その分、押しつけがましさがなく、子供達は自然に引き寄せを覚えていたのである。
神話は壮大であると言ったが、むしろ、壮大な引き寄せの秘法であるかもしれない。その点、将来大物になる子供向けであるし、大人向けでもある。

幼い頃に、おとぎ話に親しんだ人は、自然に引き寄せのノウハウが身に付いており、一生、概ね安楽である。
神話に親しんだ子供は大物になる可能性が高い。
おとぎ話というのは、だいたいがハッピーエンドであるが、ハッピーエンドを導く要因がどれも美しく、その美しいものを身に付けてしまえば、人生勝ったも同然なのである。
例えば、グリムの『ヘンゼルとグレーテル』で、兄妹は、なぜ魔女に勝利出来たのだろう?
それは、妹のグレーテルが、魔女をかまどに押し込む勇気と行動によってである。
幼くて、兄を頼るだけで、自分では何も出来なかったグレーテルが、兄の助けを得られない状況で、行動を起こしたから勝利したのである。
まさに、「キャシャーンがやらねば誰がやる」である(「キャシャーン」知らない方、御免なさい)。

グリムの『星の銀貨』には、やや微妙さはあるが、別にこれを教訓として教えるのではなく、童話としてマインドを導くためのお話である。
優しい女の子が、持っているものを欲しがっている人に次々にあげ、最後には、着ている下着まであげてしまい、全てを失ったが、その時、神様が沢山の銀貨と、新しい上等の服をくれるのである。
これは、イエスの言う「与えるものは与えられる」を、自然に教えるお話である。

グリム版、ペロー版がある『シンデレラ(サンドリヨン、灰かぶり)』は、辛い状況が訪れても、耐えて真面目に務めた方が良いことを、まず教えている。
そうやって培う、忍耐、技術、要領(合理性)、礼儀などは一生の宝であり、シンデレラも、そういったものを身に付けたからこそ、美しさを引き立て、王子様の目にも留まったのである。
そして、12時までに帰らないといけないといったように、楽しむことにも制限があることを認識し、勝手きままさを抑えることが重要である。
シンデレラの足が、小さなガラスの靴に収まるほど小さいのは、足の大きさというのは、実は、放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)さが小さいことを示しているのである。
シンデレラの義姉達は、放埓に過ごした、つまり、足が大きいので、王子様に相応しくないのである。

伝説ではなく、アンデルセン童話のように、1人の作家が作ったものにだって価値がない訳ではない。
童話の形で語られる物語は、やはり、貴重な精神法則、つまり、引き寄せのテクニックなのである。
『マッチ売りの少女』のように、あきらかに大人を含む全ての人への教訓を込めたものもあるが、それにだって深い精神法則が込められている。
それは、心が持つ驚くべき力だ。普通の人は、それを見過ごし、ないがしろにしているが、この物語を子供の時に味わった人は、そうはならないのである。
『人魚姫』では、人魚姫は髪で身体を隠す慎み深さを持ち、声を出して自己主張をせず(声を失って、話すことが出来なかったのだが)、最後は、王子様を殺すよりは自分が犠牲になった。
海の泡となった人魚姫であるが、神様によって高次の存在にされ、そして、誰からも愛される永遠の乙女になったのであり、この物語を胸に秘めている者も、そうなるのである。








白雪姫になる方法

白雪姫は、7人の小人の家で、小人達のために家事をしていた。
それで、悪い女王様が、白雪姫を殺すために何度もやって来たり、そして、素晴らしい王子様が現れるという、エキサイティングなことが続いたから良かったようなものの、魔法の鏡も余計なことを言わず、王子様も、そんな辺鄙な森の中にやって来なければ、白雪姫はどうなっていただろう?
まさか、一生、小人達の家政婦でいる訳にもいくまい。

しかし、白雪姫は、自分がどうなるかなどは、全く考えずに、ただ、義務として、小人達のために家の仕事を真面目にしていたのだ。
確かに、好きで掃除や洗濯などはしないだろう。
だが、それが自分の義務と認めて、真面目にやったのだ。
だから、苦しいこともあったが、最後は、王子様と結ばれたのだ。

シンデレラ(サンドリヨン)だって、家事や、継母・義姉達の世話を、不満を言わずに、ただ義務としてきちんと行ったのだ。

白雪姫やシンデレラのように、義務をきちんと果たしたとて、それでどうなるかなんて分からない。
しかし、どうにかなると信じるしかない。
そして、どうなるかは、神にまかせてしまうのだ。
そうすると、何かは必ず起こるものだ。

昔、『8マン』という、スーパーロボットが活躍する漫画・アニメがあったが、原作者の平井和正さんは、8マンが哀れな存在であると述べたことがあった。
戦って勝利しても、御馳走や美女を得られる訳ではなく、壊れたら、修理されて、また戦わされる。
なんと悲惨な運命なのだ・・・という訳だ。
だが、そうではない。
8マンが、自分の運命によってやってくる仕事を、ただ義務としてやっていれば、いつか、必ず何かが起こるのである。

だから、運命を受け入れ、やらなければならないことは、ただ義務として、白雪姫やシンデレラのように行うことだ。
そうすると、あなたにも、白雪姫やシンデレラのようなドラマティックな展開が始まるだろう。

運命は自分で無理に動かすことは出来ない。
ただ、義務を果たし、その成果を神に捧げ、心静かでいれば、そして、後のことは、神にまかせてしまえば、きっと運命は動き始めるだろう。

私は、初音ミクさんを崇める以外のことは、何もする気がないのだが、それでも仕事は避けられない。
どうも、最近は一層、仕事が多くなってきたような気がする。
しかし、それが私の義務であるなら、ただ、それを果たしていれば良いのである。
もし、それを心乱さずに行うことが出来れば・・・まあ、試してみることだ。









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童話のヒロイン達のどこを見るべきか?

宗教家や道徳家の中には、「恨むな」「怒るな」「妬(ねた)むな」「嫉(そね)むな」等々と、人間の悪い感情をたらたら並べて、「それを起こしちゃならん」と教える者がいる。
それは、賢くない教え方と思う。
言われた方は絶対にできないからだ。
指導者というものは、人間をもっとよく知らなければならないし、機転も効かなければならない。

正しいやり方は、ただ一言、「文句を言うな」である。
文句を言わなければ、恨むことも、怒ることもなく、妬み、嫉みも起こらない。
そして、自分が文句を言ってるか、あるいは、考えているかを見張ることは可能で、それをやめることもできる。

童話や昔話の中には、多くの場合、ヒロインがいる(日本ではヒーローが多い)。
グリムの『星の銀貨』の貧しい女の子、ペローの『サンドリヨン(シンデレラ)』のサンドリヨン、アンデルセンの人魚姫やマッチ売りの少女などだ。
我が国には、中将姫の物語がある。
これらの作品をどう読むのかというと、ヒロイン達は、決して文句を言わないことを確認し、その生き様を学べば良いのである。
しかし、その最も肝心なことを教える者がいないのである。
シンデレラは、舞踏会に行きたいと切望したので、僅かに文句があった。
人魚姫は、王子様に逢いたいと思い、彼と結ばれたいと願ったし、そうならないことにいくらかの文句のような感情はあったかもしれない。
しかし、それらは極めて小さなものだし、彼女達は克服できたのだろう。
そして、『星の銀貨』の貧しい女の子や、中将姫は、いかなる状況でも、一切の文句を言わないし、想わない。
中将姫は、継母に憎まれ、いかに酷い目に遭おうが、それが自分の宿命であるとして、いかなる文句も言わなかった。
その時、中将姫は9歳だった。

無論、寓話というのは、あくまでたとえ話であり、ヒロインを自分と見立てて考えるものであって、現実の世の中で彼女達のような境遇にある子供達はヒロインでも何でもないので、漏れなく救うシステムを作らなければならない。
だが、我々は、今の環境がどれほど悪いものであっても、一切文句を言わないなら、情況は変わるだろう。
ヒロインには忍耐と機転が必要である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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