童話に新たな意味付けをしたり、妙な深読みをしたがる者は多いが、古いお話は素直に読んだ方が良い。
しかし、それ(素直に読む)が一番難しい。
だが、童話を、深読みしないと分からないなら、世の中の全てが謎になるだろう。

有名な『シンデレラ』には、『眠れる森の美女』と同じように、グリム版とペロー版、その他、様々なものがある。
グリム童話やペロー童話自体に、作者による改変はある。
だが、これらの優れた著者達は、物語の本当に大切な本質は変えていないものだと思う。
だから、やっぱり素直に読むのが一番だ。

最近、ペロー版の『シンデレラ(サンドリヨン)』を読んだが、素晴らしいので驚いた。
人生の知恵、成功のための秘訣がこの1つに全て含まれているようなものだと思った。
サンドリヨンとは「灰だらけの子」という意味で、それは、継母の2人の娘の内、妹の方が、父親の実子(シンデレラ)を呼ぶ時の言い方だった。
姉の方は、シンデレラをキュサンドリヨンと呼んでいたが、それは「おしりが灰だらけの子」という、もっと悪い意味だった。
シンデレラが、サンドリヨンとかキュサンドリヨンと呼ばれたのは、彼女は、居間の隅の、暖炉の灰が積もった場所に座っていたからである。そこしか居場所が与えられなかったのだろう。

童話のヒロインは絶世の美少女と相場が決まっているが、そこは、深読みではなく、むしろ素直に読むなら、心の美しい娘ということになると思う。
外見の美しさの基準は、時代や場所で極端に異なる。
しかし、心の美しさに関してはそうではない。
人がものを見るというのは、ものに当って反射した光の粒子を眼が信号として脳に送り、それを脳が解釈することだが、その際に、個人の持つ幻想がその解釈に影響を与えるのである。
だから、外見の美しさは、ただの幻想であり、偏見や妄想でしかない。
心の目は、それとは違う捉え方をするのである。
シンデレラは心の美しい子だった。
彼女が、いいつけられた仕事を不満を言わずに一生懸命にやったのは、恐怖からではない。
もしそう(恐怖による強制的な仕事)であるなら、その仕事には欠陥が多いはずだが、シンデレラは、それを自分の仕事と認識していたので、彼女は極めて有能だった。
シンデレラは、高い受容性の持ち主だった。
シンデレラが、舞踏会に行く継母やその実の2人の姉妹の支度を手伝う時も、いやいやでも、無理矢理でもなかった。
シンデレラは優れたセンスも持っていたのだが、それだけでなく本気で、継母やその娘達をきれいにしてあげようと思っていて、実際、彼女達は可能な限り美しい姿で舞踏会に行くことができた。
シンデラレの最大の美点は親切さだった。
仙女の力で舞踏会に行ったシンデレラは、王子様の関心を一心に受けながらも、自分のことに気付かない継母やその娘達にも、やはり親切にしたのだった。
さらに、プリンセスになってからも、継母やその娘達にずっと親切にしたのである。

ペロー童話には、『グリゼリーデイス』というお話がある。
グリゼリーデイスは美しい農民の娘の名で、彼女はシンデレラどころではない酷い目に遭う。
性質としては、シンデレラとグリゼリーデイスはそっくりで、まるで、グリゼリーデイスはシンデレラの前世のようにも感じるほどだ。
グリゼリーデイスは特に受容性が強調され、その美徳は完成の域に達している。
だが、こちらは子供には難しいお話で、そのせいで、日本でもあまり知られていないものだと思う。
大人でも読むのは辛いかもしれない。
だから、『シンデレラ』で十分だが、これを素直に読めば誰でも幸福になれるし、成功したいなら、『グリゼリーデイス』をよく読めば良い。

下にご紹介した1つ目の『ペロー童話集』は、私が読んだ電子書籍である。









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