ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

グランマ・モーゼス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

どんな人にチャンスがやってくるのか?

成功するためには運が必要だし、その運とは、チャンスという形で訪れる。
ところが、「チャンスを無駄にする」には2つあり、1つは、好機到来で何もしなかったことで、もう1つは、チャンスを生かそうと頑張ったが駄目だったことだ。
そう思われている。
だが、実際に多いのは、チャンスだと思ったが、実は、それは、偽のチャンスで、本当はチャンスでも何でもなかったというものだ。

どうすれば、本当のチャンスがやってくるのか?
それは、あまり賛同してくれる人はいないかもしれないが、チャンスは高貴な心の持ち主のところにやって来るのである。
これへの反論は簡単で、たとえば、プーチンは高貴な心の持ち主かというものだ。
あるいは、ナポレオンやヒトラーは?
彼らも、初めは高貴な心を持っていたのだ。
高貴な心の持ち主がチャンスを掴み、成功したが堕落すると、やがて悲惨が訪れ、地獄の苦しみを味わう。
だが、悪霊とか悪魔とかいったものに支配されて(悪魔に魂を売って)、悪魔の奴隷として人の上に君臨し続ける者も稀にいる。まあ、そんな者の心は牢獄に閉じ込められているのだが。
とはいえ、やはり、チャンスは高貴な心の持ち主にのみ訪れるのである。
そして、成功しても、悪魔の誘惑が来る前に、手放すべき成功は手放すことだ。
だが、肝心なことは、高貴な心がなくては、チャンスも来ないということだ。

高貴な心とは何だろう?
アメリカに、アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(1860~1961。101歳没)という名の有名な女性画家がいて、彼女は、グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)の名で通っている。
貧しい家の生まれで、12歳で奉公に出され、厳しい人生であったが、真面目に働いた。
老後は、刺繍が趣味だったが、リュウマチでそれが出来なくなり、代わりに、70歳位で油絵に打ち込むようになり、80歳位で画家で成功する。
だが、画家で大金が入って来るようになっても、アトリエを作ることもなく、台所の隅で、ただ、熱心に丁寧に描き続け、高齢で始めたにも関わらず、最も多作な画家となり、100歳を過ぎても優れた作品を制作した。
ただ、淡々と継続する・・・これをなす心を高貴と言うのだろう。
成功のことなど何も考えず、むしろ、注目されることなど一生ないことを当たり前と思っている。
誰かを見返そうとか、自分の存在を世に示そうなど、努々考えていない。
こんな人のことを、自我が弱い人と言う場合があるが、むしろ、自我が浄化されている、あるいは、昨日も書いたが、自我の周波数が高いのである。
それを達成するための、仕事や日常生活以外の行としては、腕振り運動を、力を抜き、自動的に腕が振れるようにするものがある。
坐禅や瞑想や読経や祝詞、あるいは、真言や念仏などで心の浄化を果たそうとする者も多いが、ほとんど失敗すると思う。
腕振り運動だって、完全に心の周波数を上げるまでには至らないかもしれないが、そこそこまでは誰でも間違いなく可能なところが、他の、じっと座ってやる行との違いである。








成功するまでどうやって生活するか

画家や作家や音楽家になりたいと思っても、それらでいきなり収入を得るのは難しい。
それらで成功した人達だって、最初からうまくいった人は滅多にいない。
では、彼らは、成功するまで、どうやって生活していたのかだが、それがなかなか面白い。

岡本太郎は、母親の岡本かの子が有名な作家で、父親もそれなりの漫画家で、結構なお金持ちだった。
それで、当時としては貴族的なフランス留学をし、フランスでも、岡本太郎がバイトしてたなんて話はなく、カフェやビストロに入り浸って酒を飲みながら芸術談に花を咲かせ、世界中の美女とのロマンスに忙しかった(とっかえひっかえ同棲してたようだ)。

横尾忠則さんは天才型で、経済的な事情で美大に入れなかったが、デザインやイラストで非凡だったので、デザイナー、イラストレーターとしてきちんと稼ぎ、有名にもなった。そして、ある時に、芸術家に転身したが、その後も、デザイン、イラストでも稼ぎ続けた。

東京芸大の受検に4回失敗した池田満寿夫は、町の似顔絵屋に馬鹿にされるほどの絵の腕前だったが、真面目に働く気はなかった。
しかし、そんな者でも、「求めよ、そうすれば与えられる」で、怪しい絵の仕事でなんとか稼ぎながら、版画作品を作り続け、応募締め切りギリギリに、ひたすら彫刻刀でひっかいて3日で作った版画作品は、誰からも評価されなかったが、ドイツ美術界の権威グローマン博士にだけは、作品を高く評価され、そこから、順風漫歩とは言わないまでも、なんとなくうまくいって、世界的版画家になれた。
さらに、芥川賞作家にもなり、映画監督もやったが、不思議なことに、池田満寿夫というキャラクターが人気になってしまい、芸術論や自伝、作画技法、あるいは、作品集などの本を沢山出し、今だ出版されるロングセラーもある。本当に不思議な天才だ。

こういった華々しい人達のようではないが、あるエッセイストは、身籠った妻がいるのに会社をやめ、「相談業」などという看板を出して独立したが、客などさっぱり来ず、暇だから、1日に原稿用紙1枚をノルマに文章を書いていたら、なぜか、物書きで成功した。最初から文章が書けたわけではなく、毎日、淡々と書いたのが良い修行になったらしい。

有名な投資家で作家の邱永漢は、非常な現実派で、ヒモになる、つまり、女に食わしてもらうのも立派な才能と言っていた。
確かに、地道な仕事をしていたら、自分のやりたいことをやる時間やエネルギーがなくなるので、男の魅力で女に養ってもらうのも1つの手と言うわけだが、同じことを女の方がやるとロクなことにならない。
そもそも、男でも、そううまくやれる者は滅多にいないだろう。確かに、ヒモも才能だ。
だから、別に「ヒモになれ」と言うのではなく、あらゆる手を探せということだろう。

実際、「成功するまで」と地道な仕事をしていると、どうしても、安全志向が強くなり、そのまま、地道な仕事で終わってしまうことが圧倒的に多い。
アメリカの画家グランマ・モーゼスは、地道どころでなく、12歳で奉公に出てから、結婚しても生活は厳しく、働きづくめだった。老後はなんとか余裕が出来たと見えるが、手がリュウマチで、好きな刺繍が出来なくなったので、元々好きだった絵を75歳から本格的に描き始めた。
すると、85歳で偶然、画家として世に出ることが出来た。ところが、そこからも、ひたすら真面目に作品を作り、100歳過ぎまでに千点以上の作品を描き、最も多作な画家の1人になった。絵は売れ、経済的にも裕福になった。

このように、いろんな異端の成功者がいるが、普通に見れば、彼らは、たまたま成功したのであり、彼らと似たようなことをしながら、全く芽が出なかった人の方が圧倒的に多いはずだ。
だが、結果論と言うしかないかもしれないが、彼らには、神の加護を得るだけのものがあったと思えてならない・・・と言うより、間違いなくあったと思う。
それは、巷で言われる成功法則や、引き寄せなどとは全く違う。
実際、彼らの中で、引き寄せの法則を学んで、それで成功した人などいない。
ただ、彼らが全員、目に見えないものを信じていたことも確かと思う。
それは、神秘的なものであったり、敬虔な信仰であったりするのだが、彼らには、普通の人とは違う、高貴とも言える魂を感じるのである。
我々が、そのような魂を持てる、実践可能な方法があるとすれば、いつも言うが、神仏の名を唱えたり、真言を唱えることだけである。
もちろん、年に1回や2回唱えてどうなるものでもない。
神仏の名を心で唱えることを、インドではナーマスマラナと言うが、念仏もその1つである。
直接、教えを受け、釈迦、イエス以来の偉人と評した著名な人もあった岡田虎二郎は、超越を達成する方法として岡田式と言われた静坐を教えていたが、静坐だけでなく、念仏もその方法だと言っていたようである。
そして、岡田は「念仏しながら生活するというのが貴いのであり、生活しながら念仏をするのでは足りない」と言われていたようだ。
そのようにナーマスマラナに励めば、道も開けてくると思う。








絵描きになりたい

アメリカの国民的な画家であるアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス・・・通称グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)は、絵の訓練を受けるどころか、12歳で奉公に出てから働きに働き通しの人生だった。
夫とは死別したが、ようやく安らかな老後を送っていた時、リュウマチで編み物ができなくなったので、75歳くらいで、代わりに油絵を描き始めたらしい。
今なら、Facebookやブログで絵を発表すれば、世間に知られる可能性もあるが、一般向けのコンピューターネットワークなど想像もできなかった1940年以前のことだ。
しかし、偶然に画商に見いだされ、80歳くらいで画家として知られるようになった。そして、101歳で亡くなるまで、1600点の作品を残す、最も多作な画家の1人となった。

現在は、ネットでどんな作品でも発表できる時代だけに、才能のある・なしを残酷につきつけられるようにもなったと言う人もいる。
しかし、才能ってなんだろう?
上手い絵を描くセンスというものは、持っている人、持っていない人が確かにあるが、それも訓練の仕方次第と思う。
そして、絵の上手さと芸術性は全く別のことだ。
岡本太郎は、むしろ、上手くあってはならないと言っていたものだ。
その岡本太郎の本を読んでいると分かることは、絵は誰でも描けるのであり、大切なことは、描きたいもの、描かずにいられないものがあるかどうかだ。
また、世の中に言いたいことがあるかどうかが、非常に大事なことだという。
岡本太郎は、「いやしくも芸術家を名乗るなら、世の中に対して言いたいことがあるはず」と言う。
これは、決して、自分の絵、あるいは、音楽を自慢したいというのではないが、やはり、「見て欲しい」という願望なのだろうし、ニコニコ動画でいう「歌ってみた」「踊ってみた」「創ってみた」「研究してみた」は、実は芸術家の感覚なのではないかと思う。
岡本太郎は、「あなたも本日ただいまより芸術家になれる」と言っていたのである。

むしろ、権威的な美術教育、あるいは、他の分野の芸術の訓練は受けない方が良いのかもしれない。
少なくとも、受けない方が良いタイプの芸術家はいるはずだし、伝統的な訓練が才能を発揮することの障壁になってしまった才能ある人も少なくないはずだ。
竹久夢二は、名のある画家になった後、美術学校に入ろうとしたら、立派な画家に、「君の絵は美術学校に入ったら駄目になる」と言われてやめている。
ジミー大西さんだって、30歳を過ぎていた時に、岡本太郎に、「君は画家になりなさい」と言われて、画家になって成功した。
恐るべき実力者であったプロレスラーのジョージ・ゴーディエンコは、ピカソと親しくしているうちに絵に興味を持ち、画家になった。
ハリウッドの大スターであったジュリアーノ・ジェンマは、後に彫刻家になっている。
世界的プログラマーで計算機科学者、事業家であるポール・グレアムは、美術学校に入って絵を学んでいる。
人生の経験を積むことが、ある意味、芸術の訓練になったということもできるが、本当は、仕事をはじめ、あらゆる営みは全て芸術なのだ。
サラリーマンというものの芸術性を深めた後、その芸術性を、絵、彫刻、音楽、文学というものに変換すれば、芸術的な作品になるだろう。
もちろん、ニートで生きるのも芸術だし、なかなか類のない芸術だ。
50歳や60歳になるまでニートをやったなら、ここは是非、絵や文学、その他の芸術に昇華させなくてはならない。

そんな訳で、私も絵描きになりたくなってきた。
世界的版画家だった池田満寿夫さんは、おそらく、描きたいものがあるかどうかが才能のある・なしなのだと言っていたのではないかと思う。
池田さんも、街の似顔絵屋に馬鹿にされるような絵の腕前だったという。
高名な芸術家に関わらず、東京芸大の受験は3回か4回か忘れたが、全て失敗している。
池田さんは、自分の絵は便所のらくがきと言う。
公衆便所のドアにらくがきしたくなるのも、立派な絵の才能だ。
古い建物の隠れた場所に描かれたらくがきに実に素晴らしい絵があり、実際、たまたま発見されたそんな絵に芸術作品と認められたものもある。
私も、初音ミクさんのらくがきをしようと思う。
とりあえず、デジタイザー(感度が高く、描き易いペン)対応のタブレットPCを使おうと思っている。
優れたペイントソフトが揃っているWindowsタブレットが良いと思う。
8インチHD(1280×720ピクセル)のWindowsタブレットなら、デジタイザー対応のもので3万円台以下からある。
10インチフルHD(1920×1080ピクセル)も、7~8万円であるだろう。
らくがきには十分以上と思う。









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百歳の無限の未来と15歳の牢獄の未来

将来が予想できてしまう人生ほどつまらないものはない。
それは、ストーリーを知ってしまってから見る映画のようなものだ。
だが、今の子供達は、そんな人生を送るよう強要されている。
試験勉強をさせられるほど、人生は予想できてしまうものになってしまう。

明日のことが分かっていると思っている者は、一生、そのまま過ぎる。
それは、固い人生と言われる。
しかし、明日のことは分からないと思っている者の人生はとても多様なものだ。
それを、柔らかい人生と言う。

75歳で本格的に絵を描き始めた女性が80歳になった時、彼女の元にある人が訪れてきて言う。
「絵を売ってくれませんか?」
彼は目利きの画商だった。
彼女の絵は、別に上手い訳ではなかった。
しかし、見ていると、夢幻の彼方に吸い込まれそうな不思議な気分になったので、彼は惹き付けられた。
なぜそんな絵を描けるのかというと、絵を描いている女性が、これからのことなど何も分からず、全て、神の思し召しのままと思っていたからだ。
彼女の絵には、無限の可能性が現れていた。
彼女の絵は評判になり、売れに売れ、彼女はアメリカで一番人気のある画家になった。
彼女が100歳を過ぎて描いた絵にすら、多様な未来が描かれていた。
彼女が、アメリカの国民的画家アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスで、グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)の通称で知られている。

あなたも無限の可能性を持つ生き方をしなければならない。
受験勉強に励むのは悪いことではないが、ロック歌手になる夢も諦めてはならない。
一瞬先は、何が起こるか分からない。
人生はそんなものだと思っていたら、不安と共にときめきも心に沸きあがってくる。
今日は名前も知らなかった誰かと、明日は一緒に星を見上げているかもしれない。
それが人間の人生なのだ。
明日のことなんて分からない。
未来は予想もつかない。
何が起こるか分からないし、誰と出会うかも分からない。
天使のような少女、騎士のような男性と出会わないとは限らない。
彼女、あるいは、彼に愛されないなんて決して言えない。
未来を心で限定しなければ、人生は、神が無限の目を持つサイコロを転がすゲームのようなものだ。
そのゲームには、たった1つのルールがあって、それは、「絶対に面白い」ということである。









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人間はただ妄想によってのみ衰える

一昨日の夜に書いた記事、「人間はいくつになっても力は増大する」で、「人間の人生の全盛期は60歳以降だ」と書いたことについて、嬉しいコメントをいただいたので、このことについて、もう少し書いてみたい。
人間は、たかが60歳くらいで、年寄り根性を持ってはならない。
60歳というのは、ますます頭が良くなる年齢であるのだから、いよいよ30年計画を立てて、人類に奉仕するのに良い時期であると思う。それまでに巨万の富を得ていたとしても、そんなものは子供の遊びで、たまたまである。
無論、30年計画を立てて開始するのは、70歳でも80歳でも差し支えない。
40歳くらいになれば、もう自分は老境に入りつつあると思う者が多いらしいが、それは単に、世間の伝統的なものの考え方に埋もれてしまっているだけである。アメリカの有名な弁護士には、その年齢まで電信器のキーパンチャーをしていた人もいたらしい。
もし、世間的因習に囚われて、60歳を過ぎてからやるようなことが、儲けるためのビジネスや、個人的な趣味しか思い浮かばないようなら、まずは20年くらいかけて、頭を鍛え直すのも手である。
梅原猛さんが、円空(江戸時代の僧。円空仏といわれる多くの仏像を造ったことで知られる)の研究書『歓喜する円空』を発表したのは81歳くらいだったが、その時、「もう10年くらい勉強してから出すべきだったかもしれない」と述べておられたものだ。
『法華経』に、こんな話がある。
1人の男の子が家出し、父親は散々探すが見つからない。しかし、父親は諦めずに探し続け、50年後にようやく見つける。しかし、息子は経済的に貧しいだけでなく、心までひなびてしまっていて、大金持ちの父親の豪壮な家を見ただけでも怯えてしまい、父親は、自分が父だと名乗ることもできない。そこで、父親は、自分が父であるとは言わないまま、息子を下男に雇い、自分は彼の先輩の下男であるように振る舞いながら、息子にいろいろなことを教えて、その心を正し、大きくしていった。そして、20年かけて息子の教育を終えると、ようやく、本当は自分が父であることを明かし、財産を譲った。
父親は、本当は、一刻も早く、息子に財産を渡し、贅沢三昧させたかったのだが、息子の心が成長するまで20年も待ったのである。
言うまでもなく、この息子とは我々のことで、大金持ちの父親とは仏である。
法華経のポリシーは、仏とは、相手にあった教え方をするために、最も良い手段を使うということである。

人間が、年齢が高くなると能力が衰えるというのは全くの嘘であるが、そのような世間の妄信を信じるなら、やはりそうなるのかもしれない。
世界的な潜在意識の活用法の教師であったジョセフ・マーフィーの父親は、60歳でフランス語の勉強を始め、80歳で大家となったという。
神道家の葉室賴昭(はむろよりあき)さんは、形成外科医でもあったが、60歳になった時、母親が、「お前の人生はこれからが本番だ」と言う。葉室さんは、「かーちゃん、俺、もう60だよ、還暦だよ」と言ったが、67歳で、完全な手術ができるようになったといい、7時間にも及ぶ手術を完全に理想的に行えたという。そして、その後は本格的に神職の道に進み、春日大社の宮司も務めた。
プロレスのジャイアント馬場さんは、60歳になった時、「若い頃は、60歳といえば、すごいじいさんだと思っていたが、自分がなってみたら、なんてことはない。全然、まだまだやれるじゃないか」と言って、社長業と現役を続けた。
アメリカの画家アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは、グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)と呼ばれる、アメリカで最も人気のある画家の1人だ。元々、絵を描くのは好きだったらしいが、本格的に絵筆をとったのは75歳の時で、しかも、そのきっかけは、リウマチで趣味の編み物ができなくなったので、その代わりだったらしい。78歳くらいで1人の絵画収集家の目にとまり、80歳で初めて個展を開き、やがて世に知られるようになった。絵は売れて、収入はうなぎ上りになったが、決してアトエリを作らずに台所の隅で描き続け、絵筆は頭がなくなるまで使い、高価な絵の具は使わなかったという。そして、101歳で亡くなるまでに1600点の作品を制作した。

企業で65歳定年制が導入されるような話もあるが、年齢の高い人に、若い人と同じことをやらせるのでは決してうまくいかない。
現在の目先の欲に囚われた物質主義の世の中では、そんな仕事が多いのである。
ルドルフ・シュタイナーが教えたように、物質主義に陥った人類は、今は神秘主義と呼ばれるような精神主義とのバランスを高め、精神革命を起こさなければ、硬化して滅びるだけである。言い換えれば、80歳を過ぎた人が、その素晴らしい能力を活かし、楽しく働いているなら、人類は永遠であり、格段の進歩を遂げ、他の惑星の人達との一般レベルの交流も盛んになるであろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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