ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

クリスマス・キャロル

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

クリスマス・キャロル効果

アファーメーション(肯定的断言)、自己暗示、優れた呪文などを唱えていると言いながら、どうしても駄目な人間というものがいると何度も述べた。
まあ、実際は、そんな者達は、アファーメーションなどをやっていると言っても、十分な数でない・・・どころか、話にならないほど少ないのだろうと思う。
貴い言葉は、自分の魂を強く豊かにする。
自分の魂(第一生命体)が強く豊かであれば、力のある知的エネルギー(第二生命体、第三生命体)が呼び寄せられて融合し、権威と力を得て、望まなくても幸運に恵まれる。
以前も書いたが、このことを物語の形で示したのが、フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイの著書『マジック・ストーリー(人生を変える魔法の物語)』だ。

だが、世の中・・・特に現代の日本には、どうしようもなく弱い人間、心がひなびた人間、心が腐った人間というものが沢山いる。
それに関し、学校が悪い、マスコミが悪い・・・というのも確かに事実だが、そんなことを言っていても解決にはならない。
まあ、弱いと言っても、あの『スターウォーズ』のルーク・スカイウォーカーだって、最初は弱かったのだから、そこらは気楽に考えて良い面もある。
そこで、2回に渡って、弱い人間のための、魂を強く豊かにする方法を述べていきたい。
最初は、「クリスマス・キャロル効果」である。
チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』という小説はご存じなのではと思う。
利己的で守銭奴の初老の男スクルージは、唯一の友マーレイと、スクルージ&マーレイ商会を経営していたが、マーレイは7年前に死に、スクルージは雇用している事務員と共にこの事務所を続けていた。
クリスマスの日、スクルージは慈善団体の寄付の要請を厳しく断り、家族とのクリスマス・パーティーのために今日は早く帰らせて欲しいと願う事務員には、その分、明日、早く出てくるよう命じた。
その事務員や甥が、スクルージをパーティーに招待したが、スクルージは冷たく断った。
そして、自宅で1人過ごしていたスクルージは、7年前に死んだマーレイの霊の訪問を受ける。
マーレイの霊は、これから、3人の幽霊が、スクルージの未来を見せると言う。
マーレイが言った通り現れた3人の幽霊に導かれ、スクルージは、様々な衝撃的な未来を知るが、止(とど)めは、見捨てられた哀れな死体や、その死体が埋葬された、荒れ果てた墓場に放置された墓に刻まれた自分の名だった。

我々は、本質では、スクルージと比べて少しもマシではない。
社会制度自体が、スクルージの時代と比べて多少向上しているので勘違いしているが、当時の普通の人々は、我々よりもはるかに豊かな心を持っていた。
そんなことが、案外に、駄目な人間ほどよく分るのではないかと思う。
私も、自分がスクルージ以外の何者でもないと分かるのだ。
では、このままでは、我々の未来は、スクルージのそれと何ら変わらない。
見捨てられた死体が我々だし、見向きもされない墓の主が我々である。
それに恐怖を感じれば、我々の魂も、青白い炎を燃え上がらせるはずである。
だが、自分がスクルージとは違うと己惚れたり、根拠のない楽観論に逃避するなら救いはない。
けれども、少しはマシな人間になろうと思えば、その魂の光は、良い第二第三の生命体を呼び寄せることになるだろう。
逆に言えば、少しも悔い改めなければ、さらに悪い第二第三の生命体に掴まってしまい、哀れな地獄の亡霊が我々の未来になるだろう。








フランクル『夜と霧』の薦め

知識もノウハウも持っているのに、さっぱり駄目なやつというのは割といる。
あるいは、修行もかなりしていて、大きなことが出来る力はありそうなのだが、なぜか、前に出ると上手くいかないなんて者もいる。
あなたもそうではないだろうか?
なぜ望ましい成果を得られないのかというと、一言で言えば、「心が狭い」ためである。
逆に言えば、それほどの努力をしなくても、心が広い人間というのは、多少のピンチはあっても、最後は大団円(めでたい結末)に収まるのである。

よく、「鈍感力」とか「反応しない練習」みたいな本がベストセラーになるのは、それで心の安らぎを得られるからと言うよりは、それが、心の広さを得たことによる成果だからだ。
つまり、心が広くならない限り、(好ましい意味で)鈍感にならないし、過敏に反応してしまうのである。
ただ、読むと分かるが、それらの本は頭の良い人が書いたものらしく、あまり解り易くないし、実践となると、ほぼ不可能だ。希望は見えるのだが。

劇的に心が広くなった人物のお話に、ディケンズの『クリスマス・キャロル』がある。
守銭奴、強欲など、いろんな表現が出来るが、とどのつまり、心が圧倒的に狭いスクルージは、そのままで死んだ場合(それはまもなくだった)の悲惨さを見て、一気に心が広がった。
先に死んだ、生きている時はやはり心が狭かったマーレイの友情のおかげだった。
しかし、今の人が『クリスマス・キャロル』を読んでも、それほど共感はしないと思う。
なぜなら、何と、我々は、スクルージよりずっと強欲だからだ。
そりゃそうだ。スクルージの時代は、欲望をかき立てる商品やサービスは、今と比較にならないほど少ない。
案外、スクルージは、あのまま死んでも、今の時代の人間と比べれば、さほど悲惨な死に際や、もしあるとしたら、それほど悪い死後の世界ではなかったかもしれない。

それよりも、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を読むと良い。
今の日本では、「安倍内閣は米国の言いなりだ」とか「安倍内閣は無能者の集団だ」といった意味合いのことを、ブログやTwitterにいくら書いても良く、過激な表現ほど「いいね」がもらえる傾向すらあるが、ナチスが支配する時代のドイツでは、そんなことを僅かに言っただけで、家族ごと「消えた」。
さらには、本当に言っただけでなく、「言ったとされた」だけで、さらには、ユダヤ人であるだけで、強制収容所に送られた。
ヴィクトール・フランクルはユダヤ人であるオーストリアの精神科医・心理学者で、1942年に強制収容所に送られ、1945年にアメリカ軍により解放され、奇跡的な生還を果した。
おそらく、少しの想像力があれば、読めば、心底ゾっとするだろうし、サイコパスでもなければ、フランクルに少しでも共感することは難しくはあるまい。
そのゾっとした度合い、フランクルへの共感の強さに応じて、心は広がるだろう。
何より、今の自分の状況は天国に等しいと感じ、不満がなくなる。健全な意味で現在に満足すれば、心が鷹揚になり、それが、心が広がったということだからだ。
ただ、確かに、今の日本では、ロボットを作るような教育や思考力を破壊する受験制度のために、想像力を失くしている者が多いので、必ず大きな成果が得られるかは疑問だが、それでも、少しの効果はあると思う。
これは別に、成功のための訓練ではないのだが、いずれにしても、広い心を持てば、人生はマシなものになるだろう。
尚、私は、個人的には、旧訳である、霜山徳爾版が好きである。あくまで個人的好みであり、人によって違うだろう。出来れば、両方読むことを薦めする。












当ブログオーナー、KayのAI書。もうすぐ(5月30日)発売。
新型コロナウイルス感染症の治療薬の開発でも、AIを使うと使わないでは、開発の速さや、完成した薬品の安全性で格段の差がつくと思われます。
なぜかと言いますと、多くの場合、AIの推測を基にプランを作って実行するのと、人間の論理や勘でそれをするのとでは、数倍~数千倍の効率の差があると考えられるからです。
人間の勘が優る場合もなくはないですが、それが形になるには、エジソンのように99%の努力が必要になります。
しかし、AIを味方にすれば、「1%の閃きと10%の努力」で成功するかもしれません。
そんなAIを使うコツを掴んでいただければと思います。

人を呪わば穴二つ

『クリスマス・キャロル』のスクルージは、なぜ、あそこまで愚か・・・冷酷無慈悲、守銭奴、エゴイストだったのだろう?
それは、おそらく、他人を呪う心・・・恨み、憎しみ、嫌悪が大きくなり過ぎたのだろう。
ジャイアント馬場さんは、あらゆるモメゴトは嫉妬から起こると言っていたが、あらゆる不幸は人を呪うことから起こる。
「人を呪わば穴二つ」というのは、紛れもない真実だ。
では、スクルージがなぜ生まれ変わったのかというと、自分の愚かさを客観視したからだ。
小説だからスクルージはそんなことが出来たが、普通は、たとえ気付いても手遅れだ。

ところが、私は、人を呪う愚かさに気付き、誰も呪わなくなった。
間に合ったのだ。
『地獄少女 二籠』を見ていると、本当に人を呪うことの愚かさが解る。
これを私は、「スクルージ効果」とでも言おう。
私は「スクルージ効果」で救われたのだ。
人を呪わないと言うことは、人を恨まない、憎まない、嫌わないということだし、自分も人に恨まれることはしないでおこうと本当に思うことだ。
人を呪わないことはお得だという、コスパの高さを理解したのではなく、人を呪う愚かさを思い知ったのである。

『地獄少女』は、第1期は、それほどの作品ではなかったように思う。
人気声優の能登麻美子を主役にしたのだから、それなりに力は入れていたとは思うが、人気が出てくるごとに高品質になっていき、『地獄少女 二籠』はもう名作だ。その後の続編もある。ただ、今年秋公開予定の実写版は・・・本音を言うとやめて欲しいが、人気ゆえに作られるのだから、そんなに嫌がらないでおこう。
ところが、私は『地獄少女 二籠』の18話あたりを観てから、1年以上、続きを観ずに放置していた。
『BEATLESS』を観始めたせいかもしれない。
別に、作品の優劣の問題ではなく、その時の自分のフィーリングに合ったのが『BEATLESS』だったということだ。
それで、長い間『地獄少女』に興味を失っていたのだ。
閻魔あいちゃん、あんなに可愛いのにね(畏れ多くて嫁には出来ないが)。

このようなことが起こったのは、今月(2019年3月)2日の記事腕振り運動以上の生命エネルギー活性化法に書いた、その生命エネルギー活性化法のおかげで、生命力強化というよりは、胸のつかえが取れ始めたせいと思う。
人を呪うことは、本当に損であるし、何より、醜い。私は醜いものが大嫌いである。
その方法をやることをお薦めする。胸に詰まった余計なものが溶けると、大抵のことはうまくいく。









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クリスマス・イヴに気付かず過ごす

クリスマス・イヴであることに気付かずに過ごしたのは、物心ついてから初めてのような気がする。
スーパーに買い物に行っても、「なんで、こんなにチキンが売られてるんだ」といぶかりはしたが、それでも思いつかなかった。
まあ、本来、キリスト教徒でもない人達に、イエスの誕生日は何の意味もないだろうし、私も、イエスは嫌いではないが、キリスト教徒ではない。
そもそも、イエスの誕生日が本当はいつかは分かっていないはずだし、イエスの誕生日が12月25日となったのは、6世紀頃、キリスト教の権威者達が会議で決めたことらしいし、なぜその日を誕生日にしたかというと、マニ教の太陽神であるミトラ神の生誕日を当てた・・・等々という夢のない話を沢山思い出す(以上、私の記憶にあるもので、正確ではないと思う)。
クリスマスにしたって、ユダヤ人の生活習慣(午前0時が一日の始まりではない)に従えば、26日が本当のクリスマスだとか、そんな話も見た気がする。

マッチ売りの少女の命日は大晦日であったはずだが、物語の描写がクリスマスのような雰囲気で、私には、クリスマスと大晦日の区別がなくなってしまった。
あのお話がトラウマになってしまい、私はクリスマスというものが、あまり好きでない。
むしろ、クリスマスを忘れてしまったのは自然なことだったのかもしれない。
小学生の時は、合同のクリスマス・パーティー(当時はクリパなんて言わなかった・・・今も言わないか)に無理矢理参加させられたり、本当に散々な思い出しかない。
だが、17歳の時のクリスマス・イブにディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいたことを覚えている。
好きな話だったが、考えてみれば、いろいろおかしい。
スクルージは、自分の遺体がぞんざいに扱われるのを見てショックを受けたことが、改心の決め手だったように思うが、それって、脅しで心を入れ替えたってことではないだろうか?「悪い人間だと、こんな悲惨なことになるぞ」っていう。
しかし、善い人間でありながら、死体を丁重に扱ってもらえなかった人は沢山いるわけで、いまだアウシュビッツの処刑場には、ユダヤ人達の人骨が転がっているという話を見た覚えがある。
そして、私が気になるのは、スクルージを救った彼の唯一の友人だったマーレイは、スクルージを救ったことで、ちょっとは地獄での待遇が良くなったかということだが、それには触れられていない。
しかも、スクルージは、「自分が死んだ時は、マーレイよ、お前よりずっといい身分であることを見せてやる」なんて、自分のことしか考えていなかったみたいだし。
彼は、友人の恩を忘れた罪でギルティ(有罪)だ。

昨日は、WOWOW(「わうわう」と読むとは知らずに、ずっと「をうをう」と言っていた)で録画した、Snow Miku2018 Liveのアンコールの雪ミクさんの3曲、つまり、『好き!雪!本気マジック』、『Snow Fairy Story』、『四角い地球を丸くする』を、合わせて3回観た。
凄くきれいで、可愛かった。
しかし、なんで、ブルーレイディスクにコピーしたら、コピーでなく移動になってしまい、レコーダーのハードディスクから消えてしまうんだ?
ガチガチの権利主義にすっかり嫌気が差し、リッピングしてやろうかと思った(誰でも簡単に出来るけど)。
地球は、やっぱり、まだまだ四角い。丸く出来るのはミクさんだけなのだ。

クリスマスも大晦日もお正月も、あまり良い思い出はないが、それほど嫌いでもない。
むしろ好きな部分もある。
黒住宗忠によれば、神様にまるごとまかせきれば、年の暮れも穏かでいられるのらしい。
だが、ラクダはつないでおくように。
神様にやらせるようなことでないことまで怠けてはいけない。









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スクルージな我々は何をすれば良い

私は高校生の時、ディケンズの『クリスマス・キャロル』が好きだった。
ご存知かもしれないが、利己主義で守銭奴の初老の男スクルージが、クリスマスに超常体験をする。
その(超常体験の)ハイライトは、7年前に死んだ、スクルージの共同経営者で、スクルージと同タイプの人間であったマーレイが、おぞましくも惨めな霊となった姿をスクルージに晒し、「このままでは、お前もこうなる」と警告し、さらに、哀れに孤独死して放置された自分の醜悪な死体を見せられる。
それで、スクルージは心を入れ替え、愛想の良い善人に生まれ変わる。
めでたし、めでたし・・・

んな、アホな・・・と思わないだろうか?
私はスクルージよりまだ悪いが(彼は少なくとも経営者で、死して自分を思ってくれるマーレイという友人がいた)、このままだと、スクルージ以下の「悲惨な未来」になると分かったところで、こう言うしかない。
「だから何なんだ?そりゃ、そんな未来は嫌だが、私は私だ。私以外のものになんかなれないさ」
誰だってそうだと思う。
そもそも、身から出たサビでしかない不幸を避けるために、わざとらしく他人に親切にするなんて、浅ましいことじゃないか?
そんなことで幸福になれるとは、とても思えない。

だが、元Googleの技術者チャディー・メン・タンは、『サーチ・インサイド・ユアセルフ』で、こう書いている。
スクルージは、EQ(情動的知性)を高めたのだ。それで、自分を客観視出来るようになった。
いや、自分を客観視したから、EQが高まった・・・のだと私は思うが、タンもそう書いていたのかな?
タンの言い分もややこしいのだ。

大切なことは、スクルージは悩んでいなかったということだ。
いや、本当は、ストレスで心が傷付いていたに違いないのだが、それは描かれていなかったし、スクルージも自覚していなかった。
だが、クリスマスの精霊達は、スクルージにちょっかいを出し、彼の心を揺らがせた。
その時、彼はやっと、自分を客観視したのだろう。
だけど、そんなことで人間は変化したりしない。
タンの言うところのEQの向上なんて起こらない。

とはいえ、大なり小なりスクルージな我々は、

でもどうして 僕達の 胸元の 塊は
消えたいって言うんだ 死にたいって言うんだ
~『ロストワンの号哭』(作詞・作曲・編曲:Neru。歌:鏡音リン)より~

って感じのはずなんだ。つまり、鬱々として満たされない、辛い日々を送っているに違いないのだ。
これが進むと、「リア充爆発しろ」「地球も爆発しろ」と思うようになる。
しかしまあ、心配はいらない。
神を信用しろ。
だが、駱駝はつないでおけ。
駱駝は、毎日、かならずつないでおくものだ。
それと同じようなことを、何かすれば良い。
何もないなら、自分の呼吸を常に意識することだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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