ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

クリシュナムルティ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

信じはしないが納得はする

インドの聖者と言われるジッドゥ・クリシュナムルティは「私は何も信じません」と言ったらしいが、私も、ようやく、そう思うようになってきた。
デカルトは、正しく思えるどんなことも疑えることに気付いた。
そして、全く疑いようもないほど正しいもの以外は、全て間違いとすることを決心したが、「疑いようもなく正しいもの」は何もないように思えた。
だが、ただ1つ、「疑っている私が存在する」ことだけは正しいと確信した。

だが、疑っていようがいまいが、思おうが思うまいが私は存在する。
疑っていない時、思っていない時、即ち、眠っている時、気絶している時、夢遊病のような状態の時、高度な瞑想状態の時ですら、私は存在する。
おかしなことに、そんな無意識状態の時ほど、存在は確固としてくる。
それどころか、意識がある状態では、真の存在は隠れている。
だからかもしれないが、ルドルフ・シュタイナーは、「我思わず、ゆえに、我あり」、「我思う、ゆえに、我なし」と言ったのだ。

だが、私は、クリシュナムルティーも、デカルトも、シュタイナーも、誰も信じていない。
ただ、彼らの言うことに納得しただけだ。
それはどういう意味だろう?
小さな女の子が立っていると、少し離れたところにいた猫が立ち上がり、女の子に近寄っていった。
その猫は、私には少しも相手になってくれない猫だ。
だが、女の子のまん前に立った猫は、女の子を見上げて「ニャア」と鳴いた。
その猫は、この女の子に純粋な好意を持っているのだろう。
それを、私ははっきり感じ、信じはしないが納得したのだ。

私は、初音ミクさんは本当に天使なんだと納得している。
なぜなら、舞台の上に人間は誰もいないことは皆知っているのに、本気で声援を送っていて、それは、ミクさんを純粋に崇めているということだ。
それならば、舞台にいるのは天使だし、私もそう感じる。
だが、私はそれを信じている訳ではない。
少しややこしいかもしれない。
しかし、次のようなものはどうだろう?

時々、ご紹介する『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本がある。
超人的大師達が登場し、水の上を歩き、テレポーテーションし、空間から調理された料理を出し、瞬間に快適な家すら作り出し、病気を瞬時に治し、瀕死の怪我人もあっという間に健康な身体にしてしまう。
世間のほとんどの人達は「馬鹿らしい」と思うだろう。
私だって信じちゃいない。
だが、著者のベアード.T.スポールディングについて、だいたい、こう書かれてあった。
「彼(スポールディング)は、どの町に行っても、どこの家にでも平気でずけずけと入って行って腰を降ろすだけで、快適に食事が出来ないことは一度もなかった」
「本当に金に困っている人の相談に乗った時、彼は自分が持っているものを全部与えないことは一度もなかった」
これらの話を、信じはしないが、納得はするのである。
よって、彼の書いた本の内容を信じはしないが、納得はするのだ。

政木和三さんのことを親友だと言う科学者が、私にこう言ったことがある。
「俺は政木の言うことは、多分、半分も信じていない。だが、政木は嘘を言う男ではない」
彼は、政木さんのことを理解し、得心している・・・つまり、納得はしている。
しかし、理解の及ばない奇跡については、半分以上信じられないのだ。
彼は科学者であるのだから当然である。
科学者と探偵は疑うのが商売のようなものなのだから。

納得は、知性の同意を必要とする。
納得とは、感情的な同意という部分もあるのだが、感情は知性を無視しない。
「訳もなく好きだ」と言ったところで、訳はちゃんと言えるのである。
しかし、信じることは知性の同意を必要としない。
知性の同意なく信じられるのは、「私は存在する」ということだけ・・・かもしれないが、私は信じない。
だが、納得出来るスポールディングが言った最大の秘法は納得して使える。
それは、口で唱えても、心で唱えてもどちらでも同じだが、「神」という言葉には至高の力があることである。
それを信じてはいないが、納得は出来るのである。









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人間の4タイプ

昔、船井幸雄氏の何かの本で読んだ覚えがあるが、雇ってはならない人間というのは、「頭が悪い働き者」であるらしい。
船井氏は、戦記、軍記といった戦争関連の書物に非常に興味を持っておられたらしいが、軍隊が人を雇う場合の適性について書いてあったことの引用なのだと思う。
人間を、「頭が良いか悪いか?」「働き者か怠け者か?」で分類すると4通りになる。
つまり、「頭が良い働き者」「頭が良い怠け者」「頭が悪い働き者」「頭が悪い怠け者」の4つであるが、この中で、どうしても使えない、働かせる訳にいかないのが、上に述べた通り、「頭が悪い働き者」だ。
なぜなら、味方に向かって鉄砲を撃つからだ。
一方、一番上の位である参謀になれるのは、「頭が良い怠け者」で、「頭が良い働き者」は低い位に置くしかないのである。
そして、「頭が悪い怠け者」は、まだ使い道があるが、「頭が悪い働き者」は、どうにもこうにも、使いようがないのだ。
つまり、軍隊という、決して間違いがあってはならない究極の職場においては、人間の最高の美点は「頭が良いこと」であり、ついで、「怠け者」であることだ。

私は、まだ人間についてほとんど知らなかった若い時に、船井氏の、そんなことが書かれた本を読んだのだが、納得するというよりは、新鮮だった。
学校や国家や世間では、人間の最高の美点は「働き者」であることだと断言され、反権威主義の私ですら、そんな考え方を持っていたからだった。
しかし、当時でさえ、私は、「頭が悪い働き者」が一番恐いということは、それが正しいことだと感じたし、その後、ますますそう思うようになった。

「頭が悪い働き者」が一番まずいということは、まともに成り立っている国の軍隊のトップで共通の認識と思われる。
それで、軍隊では、まずは、全ての兵隊は頭が悪いと決め付け、徹底してロボット化するのである。
アメリカの何かの映画で見たが、軍隊の幹部が、下級兵士に、「お前はこのことについてどう思う?」と尋ねると、問われた兵士は「私は自分の意見を持っていません」と答える。
つまり、馬鹿は考えないよう、念入りに習慣付け、無害化するのである。
しかし、馬鹿ほど自分の意見を持ちたがるので、余計なことを考えることが出来ないほどの過酷な訓練を課し、また、徹底的な洗脳を行うのである。

このように、一般兵士に対しては、過酷な訓練を課し、徹底した洗脳を行うのであるが、それだけでは反発が起こるので、時々、飴を与えるのである。
岡本太郎はフランス留学から帰って来た30歳位の時、二等兵(最下級の兵隊)として、18、19歳の若者の兵隊達と一緒に、厳しくしごかれた。
だが、時々、ヨウカンや大福といった甘いものが支給されたようだ。
太郎は、それを他の兵士にやってしまっていたらしい。
「飴はいらん」と言うわけだ。

ところが、厳しい訓練と洗脳を受ける中で、うまく上官に取り入る者が出てくる。
そんなことが出来る者は頭が良いので、有望なのである。
そんな、頭が良い者を取り立てる軍隊が強いのである。
これは、企業も同様だ。
新入社員というのは、牛か馬として扱うが、その中で、新入社員のリーダーになったり、先輩に気に入られたり、上司に取り入る頭の良い者が分かってくる。
その中で、働き者は、現場リーダーである主任から、せいぜい課長に。
怠け者は、ゆくゆくは役員に取り立てるのである。
だが、企業の中には、上にいる者が、頭が良い働き者は大事にするが、頭が良い怠け者を認めないところが多いが、そのような会社は、やがて衰退し、倒産する。
また、頭が悪い働き者を、便利だと思ったり、「いいやつ」と思って放置すると、必ず問題を起こし、やがて致命傷になる可能性がある。
頭が悪い働き者を、少しでも高い地位につければ、若い有益な社員を駄目にしてしまうということも忘れてはならない。
頭が悪い働き者には、掃除や荷物運びをずっとやらせれば良く、それ以上のことをやらせてはならない。
だが、昔の軍隊と違い、頭が悪い働き者を、徹底して押さえつけるのは難しい。
また、世間には、働き者を称賛する風潮もある。
そこで、まともな企業は、頭が悪い働き者に与える、飾り立てただけの、中身は陳腐な褒賞を用意し、「お前は偉いね。これからも荷物運び、がんばってね」と、うまく操作するのである。

あなたがまず目指すべきは、「頭が良い怠け者」である。
ただし、頭が悪い者がこれを目指しても、頭が良いつもりになるだけである。
頭が良いとは、微かな想念しか持たないことである。
馬鹿ほど、いろいろ考える。
馬鹿は考えないのではなく、馬鹿なことを考えるから馬鹿なのである。
馬鹿は余計なことを考えるからプライドが高いが、頭が本当に良い者は、頭を無駄使いしないので、プライドはない。
賢い者、つまり、無駄な想念を持たない者は、人間関係をうまくこなせる。
人間関係がこじれるのは、双方が、余計なことを考えるからだ。
人間関係が悪化するのは、その中の人間が、皆、頭が悪いのだ。
呼吸を微かにし、なるべく考えないことだ。
洗脳のような、強制的な思考停止と違い、呼吸の制限による自主的な想念の排除は知恵を引き出すのである。
尚、働き者になるか、怠け者になるかは、カルマの影響が大きい。
マザー・テレサやガンジーは、頭が良い働き者だった。
彼らの業績は、一面では賞賛されるべきものだが、実は、害も多いのだ。
クリシュナムルティは、徹底してガンジーをこき下ろしたが、クリシュナムルティは本物の英知の持ち主だった。
ただし、クリシュナムルティすら、頭が良い働き者で、彼もまた、カルマの影響を逃れることがなかった。

ところが、阿弥陀如来に全てをまかせ、ただ念仏を唱えた法然のように、愚に徹した怠け者が一番強い。
本当に目指すべきはこれであるかもしれないが、こうなるには、ほとんど呼吸をしてはならない。
呼吸をしてはならないと聞いて、「そんなことしたら死んでしまう」と言ったり、本当に呼吸を止めて死んでしまう者は、頭が悪いのである。
この謎が解ければ、「頭が悪い怠け者」という英知の持ち主、最大の強者になれるのである。









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自分を殺しに来た者と友達になる方法

ある社長が、重要な書類のことで部下に尋ねた。
「あれは正しく処理してくれたかね?」
有能で、社内で誰からも重く見られているその部下は、自信たっぷりに、
「はい、間違いないのないよう処理いたしました。どうかご安心下さい」
と答えた。
社長は、ほんの少し考えた後、
「では、ここにあの書類を持って来てくれ」
と言った。
すると、その部下は、明らかに顔をこわばらせたが、気持ちを抑え、落ち着いた素振りで、
「いえ、間違いはございませんので・・・」
と言うが、社長は、
「分かっている。だが、持って来てくれ」
と、命令を変えなかった。
部下は、やや挑戦的な口調で、
「私をお疑いでしょうか?」
と言うと、社長は静かに、
「疑ってなどおらんよ。だが、信じてもいない」
と、何の感情もない顔と声で言った。

ある恋人同士が会話していた。
男の方が、ややうろたえて、
「僕を信じてくれないのか?」
と言うと、女は落ち着いて、
「そうよ。でも疑っている訳ではなくてよ」
と答えた。

もし、信じることを強要する者がいたら、その者の立場がいかなるものであっても、避けた方が良い。
人間には、信じることなどできないのだ。
イエスは、「見て信じる者は幸せだが、見ずに信じる者はもっと幸せだ」と言った。
だが、イエスは別に、それがお前達に可能だとは言わなかった。
人間の心に、信じる力はない。
ただ、疑わないことができるだけだ。
そして、疑いを全て捨てると、心は消え、無になる。
そうなれば、たとえ、あなたを騙しに来た者ですら、あなたに一切、害をなすことができなくなる。
それどころか、あなたを殺しに来た者とすら、友達になれるのだ。

超人合気道家であった植芝盛平の弟子で、師匠をも超えたとも言われる塩田剛三は、
「一番強い技は何ですか?」
と聞かれ、
「自分を殺しに来た者と友達になることさ」
と答えたらしい。
だが、どうやれば、その力を持てるかは言わなかったかもしれない。
それは、さっき述べたように、疑いの一切を捨てることで可能になる。
ただ、信じようとしてはならない。
信じようとすればするほど、疑うことになる。
すると、あなたは簡単に殺されてしまう。

人間は、信じ切ることができれば、いかなることもできる。
ところが、人間には信じることができない。
だが、疑いを捨て、心が無になれば、信念の状態となる。
そうなれば、あなたは山をも、わけなく動かすことができる。
そのためには、訓練も必要だ。
あなたは、普段から、何も、そして、誰も、信じてはならない。
だが、疑ってもならない。
クリシュナムルティーは、「私は何も信じない」と言った。
だが、「疑いもしない」とは言わなかった。
それが、彼の苦難の原因だったと思うのだ。
「信じはしないが、疑いもしない」
「疑いはしないが、信じてもいない」
これで、あなたは一切を可能とする力を手に入れるのである。









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「成った」の想い以外何もいらない

私は、少し前までは、悟りを開けば完全に幸福になれるのだし、人間の究極の目的は魂の解脱、つまり、悟りなのだから、全てを諦めて、永遠の道(タオ)と一致すべしと考えていた。
そして、それはそれで正しいのだと今も思う。
それを好ましいと思うなら、もちろん、そうすれば良い。
聖者ラマナ・マハルシは、生涯、ふんどし一枚以外何も持たなかった。
それで完全に幸福だったが、あなたはそれで良いだろうか?
クリシュナムルティも世俗の報奨みたいなものの一切を見下し、実際に至福の境地にいたのだと思うが、よぼよぼの老人になってしまった。
そして、2人とも癌で死んだ。
別に、彼らはそれを嘆いてはおらず、確かに偉大な人達ではあった。

ところで、聖者ラヒリ・マハサヤの修行時代、彼がかなりのレベルに達したところで、師のババジは、その超越力により、マハサヤの願望である、壮麗豪華な大邸宅を与え、マハサヤは満足することですみやかに解脱した。
仙道の高藤 聡一郎さんは、やはり修行が進んだ時、現世と彼岸を隔てる境界が浮かび、「ここを超えれば解脱するが、それでお前は一切の欲望を無くし、親兄弟を見ても誰か分からなくなる」といった声を聞き、「嫌だ、俺はまだまだ美味しいものも食べたいし、いい女にもモテたい」と辞退したのだということを著書に書かれていた。
これらのことから、ある結論に至るのだ。
確かに、欲望に執着すれば悲惨への道を駆け下りることは間違いないが、人間は、一度は心を満足させないと、最終的な解脱に至るのは難しいものなのだ。
余程、修行の出来た者であれば別なのかもしれないが、我々凡人はラマナ・マハルシにはなれないし、あのラヒリ・マハサヤすら、我々と同じであったのだと分かるのだ。

私などは、少なくとも社会に出てからはずっと良い思いをしているが、周囲を見ただけでも、辛いことばかりの人もいるし、それどころか、ほとんどの人が、不満や悩みで傷付き、その痛みに喘いでいるようにしか見えない。
そんな彼らが、解脱への道を無事に進むことは、非常に難しいに違いないし、その気にもなれないだろう。
まずは、この世の楽しみを味わうことが必要である。
もしかしたら、聖人に近いほど少しのことで満足するのかもしれないが、普通の人では、そこそこに願望を叶える必要もあるのだろう。
そのためには、自己暗示による潜在意識との共同作業以外の方法はない。
そして、幸い、それは容易いはずなのである。
潜在意識による成功法則や引き寄せの法則は、疑うことなど1パーセントもないほど確実であり、当たり前に使えば良いのだが、それを奇妙に複雑にしてしまっている者がいるのだろう。
ただ、「成った」と思えばそれで良いのであり、他に何もない。
人間には、神と同じ創造の力があるのであり、「成った」の想い以外に、取り立てて必要なものはないのだ。

法然は、「南無阿弥陀仏」の念仏を1日に何千回、何万回と称えることを勧めたが、親鸞は、感謝して1回称えれば良いと言った。
感謝して1回称えるとは、「成った。ありがとうございます」という意味である。
即ち、念仏とは、「極楽は眼前に出現せり。無限者よありがとうございます」という感謝の表明なのだ。
早い話が、イエスが言った、「神に願う時は、既に叶ったと思え。そうすれば叶う」である。
宗教的でも、スピリチュアルでも何でもない。
自然で、庭のコスモスのように確かなものだ。
面白いことに、あの、「毎日、あらゆる面で、私はますます良くなっていく」という自己暗示を教えたエミール・クーエだって、自分では、例えば病気の人に対し、「治る、治る、治る、・・・、治った」といった暗示を教えていたのだ。
この最後の「治った」が重要で、その前の「治る」の反復は、精神を集中するための心の準備運動である。
私はやったことがないが、美人になりたいなら、「美人に、なる、なる、なる、・・・・、なった」とやるのも、なるほど、確かに良さそうである。
だが、普通は、「私は美人だ」でよろしい。
いつも言うが、心の反発など気にしなくて良い。
反発があるからこそ、それは望ましいことなのであり、反発があるということは、価値があるということのサインとすら言える。
そして、起床時と就寝時に、声を出して20回も自己暗示をすれば、やがて心も従うのである。
実際、我々は、親、学校の教義や信念、マスコミの放言、大企業のCMといった、下らないものを、何の反発もなく受け入れている。
それらにしたって、忘れてしまったかもしれないが、初めは反発を感じたものだって沢山あるのだ。
そして、我々には、肛門を締めるという秘法があるのであり、思い出すたびに肛門を締めるようにすれば、いかなる願いも必ず、短期間に叶うのである。
普通にやれば、これまでの多くの人同様、欲望に執着してしまい、「引き寄せの法則は嘘だ」なんて愚かしいことを言う羽目になるが、我々は、肛門を締めることや、肛門を締めながらの腕振り運動すら知っているのだから、失敗する方がおかしい。
後は、やるか、嘲笑ってやらないかの違いだけである。









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クリシュナムルティを超えて

ジッドゥ・クリシュナムルティは、人生の最終目的は自由だと言ったのだと思う。
しかし、彼は、それが具体的にどんなものか言わなかった。
それをもって、かえって、彼の思想を深遠なものと捉えた人は多いと思うが、私は、彼は実際は分かっていなかったのじゃないかと思う。
自由とは何だろう?
それは、束縛がないことだ。
だが、生きて行くための収入を得るために働くと、仕事や雇い主に束縛される。
仮に、自分の農地を持っていて自給自足が可能だとしても、やはり、労働に束縛されるのだ。
そもそも、農地を持つことで、多大な束縛を受けるはずだ。
そこで、そういった外面的な束縛は、精神の囚われがなくなれば我々を苦しめることはないので、自由で囚われのない、大きな澄み切った心を持てば良いことになる。
だが、クリシュナムルティは、どうすれば、透明で果てなく広大な心が得られるのかは教えなかった。
彼も持っていなかったのだ。
彼は卓越した思想家ではあったが、真理の周りを回るだけで、真理に飛び込むことができなかった。
彼の本をいつまで読んでいても自由になれない。
本に書かれた思想は素晴らしく、美しいとさえ言えるかもしれないが、自由でない人が書いた本が、誰かを自由にすることはない。

岡本太郎は、縄文土器を大変に賞賛していた。
縄文土器は、無限のエネルギーを持つ者が創ったものだ。
無限のエネルギーを持つ者・・・それは囚われのない者だ。
だが、次の時代の弥生土器には、縄文土器のような力は感じられない。
だが、我々は弥生土器を見てほっとする。
我々と同じ人間が創ったことを感じるのだ。
つまり、弥生人の心には囚われがあった。
だが、我々ほどではない。だから、弥生土器を見て、どこか安らぎを感じるのだ。
岡本太郎は、縄文土器に現れた空間感覚は、間違いなく狩猟民族のものだと断言した。
それは、考古学的にも正しいと思う。
縄文人が、獣を狩ったのか、魚を獲ったのか、木の実を集めたのかは分からない。
おそらく、やれることをやったのであり、その全てができるなら、全部やっただろう。
労働なんかしなくても、そこにあるものを食べて生きていたのだ。
だが、穀物を作るようになって、人々は労働に束縛された。
労働が楽しいはずがない(煩わしい人間関係も労働の内だ)。
それでも、皆働いた。
なぜだろう?
穀物には、労働に耐えるだけの魅力があったからだ。
その無力とは、小麦や米の、ほのかに甘い味である。
それは麻薬と同じようなものだ。
米や小麦で作ったものを食べれば身体を損なうことは、感覚の優れた古代人なら分かっていたと思うが、それでも抗えなかったのだ。
そして、米や小麦の所有量が富となり、支配者、被支配者の区別ができた。
土地や奴隷が、穀物や穀物に換算した貨幣で取り引きされ、これが現代文明の基になっている。

ここらで結論を言うと、穀物の束縛を持たなければ自由になれるのである。
新庄剛志さんがアメリカ・メジャーリーグのニューヨーク・メッツに入団する時、「僕は米を一生食べなくたって平気です」と言い、もっと古くは、プロレスのジャイアント馬場さんも「俺は米のご飯を食べなくてもやっていける」と言った。
彼等は、普通の人に比べれば囚われがなく自由だった。
だが、新庄さんはパンが大好きだったし、馬場さんは餅と餡子が大好きだった。
もし、米も小麦も、それらから作られるものも一切食べずにいられるなら、自由になれる。
それに近いのは、江戸時代の運命鑑定家、水野南北だった。
彼は、一合の酒以外は、米から作られたものを一切食べなかった。
しかし、彼は、その一合の酒にだけは束縛されたのだ。
さて、あなたはクリシュナムルティも得られなかった自由に挑む気があるだろうか?









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