初音ミクさん誕生の地、北海道の札幌で現在の北海道大学である札幌農学校を開校したウィリアム・スミス・クラーク・・・通称クラーク博士が、9ヵ月日本に滞在した後、札幌農学校の一期生との別れの際に発した、
「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」
という言葉がよく知られている。
確かに、この言葉には、いろんな説があり、クラーク博士が実際はどう言ったのか、どんな意味で言ったのかは様々な説があるが、このような言葉で学生達を激励したことは間違いがないようだ。

「少年よ大志を抱け」
普通には、「野心的であれ」という意味と考えられているが、何が「大志」で何が「野心」かは、人それぞれの考え方だ。
そして、大志、あるいは、野心を抱くことが、良いか悪いかは、一般的に良いとされていると思うが、これもまた、人それぞれの考え方だ。
だが、実際は、誰も大志(あるいは野心)を抱くことは出来ない。
大志を抱いたかのように見えても、実際は抱かされたのである。

大志と思えるものが起こったとしたら、それはエゴの大志か、潜在意識の大志かだ。
エゴの大志には、プロサッカー選手になりたいとか、女優になりたい、金持ちになりたいなどといったものが多いと思う。
つまり、エゴの大志は、単に、優越感や安心感を目的とした偽物だ。
本物の大志は潜在意識から出てくるが、それは、思考やエゴ(この2つは同じだが)とは何の関係もなく、現れる時は自動的に勝手に現れる。
エゴの大志を消したら、本物の大志が出てくるか、出てこないかは分からないが、エゴの大志が消えない限り、本物の大志は出てこない。
しかし、やはり、本物の大志が出てくるかどうかは、エゴである自分が決めることではない。
そういえば、初音ミクさんの会社のクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、何かのインタビューだったかで「夢に人生を賭けるな」みたいなことを言われていたが、この「夢」はエゴの大志みたいなもののことだろう。

別に、エゴの大志も捨てる必要はなく、それはそれで、それに向かって楽しくやれば良い。
言い換えれば、楽しくないなら止めれば良い。
伊藤博之社長も、このことを、「好きでないと続かない」と講演で言われるのを聞いたが、つくづく、エゴの大志というのは厄介であると思う。

矢追純一さんが「僕は頭が悪いから考えることを諦めた」と言ったのが良い生き方であると思う。
矢追さんは、目標自体は、その都度持ったらしい。
例えば、高校生の時に妹2人を自分で養うとか、大学進学とかだが、それらも、矢追さんが考えて立てた目標ではなく、潜在意識からの目標で、だから、勝手にうまくいったのだろう。
その後、矢追さんが、日本テレビに入って、UFO番組みたいなものを作ったのも、潜在意識からの指令のようなもので、矢追さん本人からすれば、なりゆき以外の何物でもないだろう。
自分のちっぽけな頭で考えることを止めれば、大志かどうかはともかく、潜在意識が目標を出してくるのだと思う。
ただ、心配しなくても、楽しいことはやって来る。
政木和三さんのようにな真面目で堅物な人物でも「お金も女も、来るものは仕方がない」と思えば来る。そんな世界なのだと思えば良いのであると思う。