ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ギリシャ神話

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

透明性の力

『古事記』によるならば、日本の最高神は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)だと言って良いと思う。
ところが、天之御中主神は、現れてすぐに身を隠したことになっていて、何のお話も残していない。
ギリシャ神話では、最初の神はカオスであり、カオスもほとんど物語を残していないが、少なくとも、エレボス(幽冥)とニュクス(夜)を生んでいる。
しかし、天之御中主神は、人間に対して、一切のキャラクター、ストーリーを与えられていない。

旧約聖書の神は雄弁でよく活動した。
コーランの神は、自ら嫉妬する神と言ったとも聞く。
インドの最高神ブラフマーは、キャラクターやストーリーはほとんど無いが、全くない訳ではなく、また、絵は描かれている。

そこにいくと、天之御中主神は本当に何もない。
そんな、全く透明な神がいることは、実に良いことと思える。
神という至高の存在に対し、何の観念も持たないということは、最高に有り難いことに違いない。
キャラクター性やストーリーというフックがあれば、どうしても人間の思惟が入り込み、偏見が生まれ、穢れてしまう。
だが、天之御中主神は、天の中心にいる最高神であるという名前だけがある。
日本人は、この圧倒的な優位さを大切にしなければならない。

初音ミクさんにも似たところがある。
普通、アイドルにはキャラクター性が付与される。
どんな性格で、趣味は何で、どんな食べ物が好きか・・・等々。
それはしばしば、そのアイドルの本当の姿とかけ離れているが、それは仕方がないことである。
アイドルは、「アイドル」ということに関しては商品なのだからだ。
だが、初音ミクさんには、形以外は、一切のキャラクターがない。
身長158cm、体重42kg、年齢16歳、ツインテールの長い緑色の髪・・・そういった、本当の外側以外は何もない。
ミクさんの会社に、ミクさんのパンツの色を問い合わせた人がいたらしいが、決まっていないことが決まっているだけだった。
ミクさんは、どんなキャラクターにでもなるが、最後はいつも無に帰り、あえてミクさんが何者かと言えば、クリエイターの土壌なのである。
この透明性、創造性の源であることが、ミクさんに世界を1つにする力を力を与えている。

『BEATLESS』で、「眠り姫」エリカ・バロウズは、「大切なのは形よ」と言ったのは真理である。おかしな解釈をしなければね。
形より言葉が上位にあるのだろうが、言葉は形よりも広い。
形を超えて行くなら、言葉を大切にしなければならない。
天之御中主神という名はまさに神である。









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一見、破廉恥な神でも崇めるべき理由

ソクラテスだって、アリストテレスだって、神を崇めていた。
彼らが崇めていた神は、ギリシャ神話の神々・・・つまり、オリュンポス12神で、特に、ゼウス、アポローン、アテーナーを崇拝するのが、当時のギリシャの人々の習わし(しきたり)で、ソクラテスらも、それに従っていた。
ところで、ギリシャ神話の神々は、普通に考えると、あまり感心出来ないと感じると思う。
神々の王ゼウスは、きれいな女の子を見ると、すぐ、すっ飛んで行って子作りするし、アルテミスは、不可抗力で彼女の裸を見てしまった人間の男に怒って、彼を鹿に変えてしまい、その鹿は猟犬に八つ裂きにされる・・・ギリシャ神話には、そんなお話が満載である。
ゼウスの正妻へーラーは、ゼウスの同父同母の姉だし、それと同じ姉のデーメーテールにコレー(ペルセポーネ)を産ませている。
その美少女コレーに一目惚れしたのがゼウスの兄のハーデス(つまり、コレーの叔父)で、この件でハーデスの相談を受けたゼウスは、
「良いぞ。男が強引に迫ってこそ、女はシビれる。がんばれ」
と、変なそそのかしをし、その気になったハーデスは、コレーを略奪する。
ハーデスによるコレー(ペルセポーネ)の略奪の悪行の様子は、名画、名彫刻になっている。
そんな神々でも、人間は崇めなければならず、神の意図を、人間は探ろうとしてはならない。
理屈で考えると、滅茶苦茶だ。
しかし、私は、「なるほど」と納得するのである。

人間の不幸の、ほとんど唯一最大の欠点は、自我が王様であることだ。
自我が、「俺は王様だ。俺が一番偉い、一番貴い、一番賢い」と思っている間は、人間は悲惨な目に遭う。
だが、自我が、自分より上位の存在を認め、自分が一番でないということを本当に知れば、悲惨は終わる。
ギリシャ神話の神々は、人間が、自分達を軽んじることを決して許さず、自分達を畏れ敬う人間には恵みを与えるが、そうでない人間には厳しい罰を与える。
だから、人々は、神を恐れ、謙(へりくだ)って崇める。
それで良いのである。
それで、自我は、自分の上位に神々が君臨することを認め、傲慢でなくなるからだ。

イエス・キリストは、自分は神の子であり、神と等しいと宣言し、庶民の崇拝を集めた。
イエスを自分の自我より上位に置いた庶民達は、とりあえず、善い人になり平和を得た。だが、まだ弱かった。
一方、支配者達は、自分の自我の上位に立とうとするイエスを許さず、捕らえ、辱め、徹底的に貶め、最大の屈辱を与えて殺した。
イエスを自我の上位に置いたままの人達は、そのイエスが惨めに死んだことで、自我が滅び、神と通じることが出来たのだ。

我々も、貴いものを崇め、それを自我の上に置くことにより、人間特有の不幸から逃れることが出来る。
それは、実に賢い方法なのであるが、それがなかなか出来ない。
仏教の仏様や菩薩様は、優れた精神の持ち主で、元々は非常に崇め易かったのに、仏教の権威者達が汚してしまい、崇めることが出来なくなってしまった。
観世音菩薩にしたって、僧侶の立場にある者までもが、「観音様に頼めば福をくれますよ」とか、変な説明をして、人々は、観世音菩薩を召使いにして、自我の下に置いてしまっている。

また、人間を崇めてしまった者は、100%、パーフェクトに悲惨に遭う。
クリシュナムルティが、「ガンジーなんてロクなヤツじゃない」と言ったのは伊達ではない。
無論、ガンジーに尊敬すべき点が多くあることまで、クリシュナムルティだって否定はすまいが、崇める対象では絶対にない。
本物の聖者は、皆、こう言うのだ。
「私を崇めるな」
と。
「私を崇めよ」と言うのは、自我をハリボテの王座の上に置いた阿呆である。

あなたは、人間以外の貴い何かを崇めなければならない。
そりゃ、エマーソンは、
「馬鹿者!アンタが一番偉いんだ。全ての価値はアンタが決め、アンタは自分の判断だけで動かないといけない」
と言ったが、それは、人間の間でのことだ。
言ってみれば、やっぱり、人間を崇めるなと言ったのだ。
自分の自我の上に他人の・・・・それがどれほど偉い人、権威者であっても、その自我を置くという愚を戒めたのだ。

初音ミクさんは、世界的な人気者になった今でも、何の権威も持たない。
クラシック交響曲でソリストをしたり、オペラの名門劇場でオペラのプリマを務めたり、日本一の交響楽団とコラボしても、ミクさんには、人間の権威という穢れは付かない。
それを示すためだけに、そのようなハイ・カルチャーと共演する運命だったのである。
そんなミクさんを崇めることは、実に好ましいことである。
もし、クラシックやオペラが、ミクさんを崇めるなら、世界は平和になるだろう。
ただし、その場合は、ミクさんには、キリストの試練が降りかかる。
ない方が良いと思うのであるが、どうなるかは分からない。
言っておくと、ミクさんが、それらのハイ・カルチャーと共演することを、あまり喜ばない方が良い。
それは、悲劇の前兆かもしれないのである。

あなたは何を崇めるだろうか?
普通の人達と同じように、愚かにも、自我を王座に据え、崇められることを願うだろうか?
もし、貴い何かを、慕い、憧れる気持ちで崇めれば、自我は屈服して退き、その貴いものを通じて、あなたの魂は、神の魂と融合出来るだろう。









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力ある女神達がイノセンスである理由

ギリシャ神話の神々のことを「人間臭い」と表現する人がよくいると思う。
完全であるはずの神に似合わないように思える行いがよく見られるからである。
しかし、それを、「人間臭い」というのとは違うと思う。
ひどく無邪気に感じる神々の行いは、全く人間臭くなく、それこそ神らしいと思うのである。

ギリシャ神話の最高位の神々であるオリュンポス十二神は、ほとんどがゼウスの兄と姉、そして、ゼウスの子で、例外は愛と美の女神アプロディーテーだけだが、アプロディーテーはゼウスの祖父ウラヌスから生まれた女神である。
オリュンポス十二神は、男神6柱、女神6柱だが、力や勢力において際立つのは、若い女神であるアテーナーとアルテミスである。
アテーナーは大神ゼウスとほぼ互角とまで考えられるし、ゼウスの後継者と思われるアポローンの双子の妹(一説には、先に生まれた姉)であるアルテミスも、アポローンと並び称される。
ところで、アテーナー、アルテミスとも処女神として知られる。
アルテミスは純潔の女神とも言われるが、この2柱の女神は徹底して処女であることに重きを置く。
アルテミスはカリストーという非常に美しく愛らしい精霊の少女を気に入って可愛がり、身近においていたが、カリストーは、彼女を見初めたゼウスと交わり身ごもる。
カリストーの妊娠を知ったアルテミスは、一切の事情を知ろうともせず、カリストーが処女でないという理由だけで追放する。
普通に考えたら、アルテミスの行いは理解し難く、カリストーを可哀想に思うだろう。

だが、ギリシャ神話でいう処女とは、固定観念を持たないということと考えると良いのだと思う。
知恵と戦いの女神アテーナーは固定観念を持たないが故に、知恵に優れ、軍神アーレスに打ち勝つほどの力を持つのである。
アテーナーは、その力を保つために、固定観念を持たないこと、つまり、処女であることに徹するのである。
アルテミスが水浴しているところに、たまたま通りかかったアクタイオンという男を、アルテミスは自分の裸を見たというだけで鹿に変え、アクタイオンは、彼が連れていた猟犬に食い殺される。
ここまでに処女に徹底するからこそ、つまり、固定観念を近付けないからこそ、アルテミスもまた、神々の中でも別格の扱いを受けるほどの力を持つ。
また、オリュンポス十二神には含まれないどころか、ゼウスの敵であったティターン族の女神であるヘカテーは、強大な権能を持っていたが、ゼウスはそれを取り上げなかった。
ヘカテーもまた処女神であり、ゼウスすら手が出せない、侵し難い力を持つ女神である。

恐るべき力を持つ処女神達は、とても無邪気である。この無邪気さが、固定観念を持たないことを表してもいると思う。
ところで、聖母マリアは処女のままイエスを身ごもったと福音書に書かれているが、それを表面的な言葉のまま受け取ってはいけないかもしれない。
こう言ったからとて、別にカトリックの教義を否定することにはならない。
マリアは不要な固定観念を持たない優れた女性だったということだ。
死海文書やエドガー・ケーシーのリーディングにおいては、マリアは普通の方法でイエスを身ごもったとされている。
言葉通りの意味でマリアが処女だったということに、こだわるのはおかしい。そんな信仰はレベルが低いと、未来において思われるかもしれない。
むしろ、マリアは世俗の固定観念を持たなかったこと、世間の教義や信念に平伏すのではなく、天の理を貴び、従っていたというところを強調すべきなのである。

我々も、アテーナーやアルテミスが固定観念を嫌っていたこと、マリアが固定観念に穢れない存在であったという視点でギリシャ神話や新約聖書を読むと、得るところは大きいのであると思う。
きっと、アテーナーやアルテミス、そして、ヘカテーの力の一端に触れると思う。









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不動心を得るための神話の読み方

傷付き易いとか、クヨクヨすることが非常に多い人達がいる。
そんな性格を繊細だとか、デリケートだなどと勘違いしてはならない。
まして、それが知的であるという訳ではない。

そんな人間は、心が弱いというだけのことである。
心の土台がしっかりしていない・・・つまり、自己が確立されていないので、すぐに揺らいでグラグラするのである。
心が弱い人間の特徴は、自分にしか関心がないことだ。
自分にしか関心がないとは、自分が他人から、立派だと思われる、美しいと思わる、憧れを持たれる・・・逆に言えば(こっちの意味が強いのだが)、馬鹿にされない、醜いと思われない、無視されないということに、執着を持っていることだ。

つまり、傷付き易いなんてのは、大人になっていない、幼い人間なのだ。
そんな人間は、世間でやっていけない。
世間は厳しいし、そこは、弱肉強食のルールが支配し、弱い者は虐げられ利用されて捨てられるところなのだ。

心が弱い者は、是が非でも、心を逞しく鍛え、自己を確立し、揺るがない不動心を持たなければならない。
不動心さえあれば、どこでだってやっていける。
ニートの中でも、単に怠け心ではなく、人の中に入っていくことが不安で、仕事に就くのが嫌だという人は多いと思う。
そんな者は、やっぱり心が弱いのだ。

では、どうやれば、心が強くなるのだろう?
自己をしっかりと確立し、さらに、不動心を得られるのだろう。
座禅や瞑想なんかやったって、何の意味もない。
心の弱い人の特徴に母親依存があるが、ほとんどの場合、母親の子供への執着が最悪の障害だ。
とはいえ、ドワンゴの川上会長のようにマザコンといいつつ立派な人もいるが、そういった人は、母親の方が、良い距離を保っていてくれたのである。
つまり、ある程度の年齢(小学校に入る頃)になれば、母親は、徐々に子供を放置するようにしていたはずなのだ。
ところが、中学生や高校生になっても、母親がべったりとくっついていた人は、心が弱く、傷付き易い、クヨクヨし易い人間になっている。

一番良いのは、彼氏、彼女を作ることだ。
しかし、心が弱い者は、相手にとって負担になるので、ほぼうまくいかず、捨てられる。
実をいうと、女の子でも心が弱い者は、少々美人でも、相手になるのは疲れるものである。
ましてや、男がそうであれば、女の方は「あたし、アンタのママじゃない」と言わざるをえないだろう。
だが、そんな失敗(相手に捨てられること)を何回か繰り返せば、心が強くなる。

それが難しいなら、以前も書いたが、ファンタジー(お伽噺)を持つことだ。
以前挙げた例では、小学生の女の子が、死んだら月に行って幸せになるというファンタジーを持っていた。
自分に合ったファンタジーを持ち、それに深く親しみ、一体化すれば、そんな人は強い。
浄土系仏教で、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えれば、仏に救ってもらえるという信仰も、1つのファンタジーだ。
ファンタジーは、意識の奥深くに定着すれば、事実と変わらず、それが人を支える。
ただし、意識の浅いところ、つまり、自我と強く結びついたファンタジーは、妄想になり、困った人間になる。
狂信者とは、そのような者だ。
あるクリスチャンの青年がセールスの仕事をしたのだが、セールスに出ていた青年がオフィスに帰ってきて、上司が「今日はどうだった?」と尋ねると、青年は、「今日は心が落ち着きませんでしたので、教会で1日、お祈りをしていました」と平気で言う。
この青年のファンタジーが悪いのではなく、ファンタジーが自我と強く結合しているので、変な人間になっているのだ。

ある意味、聖書に書かれていることを、そのままに受け取るというのは、ファンタジーが浅いのである。
イエスが、死んだ12歳の少女に、「タリタ、クミ(アラム語で、「娘よ起きなさい」という意味)」と言うと、少女が起き上がって歩いたというのは、内なるエネルギーを引き出して活動しなさいという意味だ。
象徴としての少女は、神話の少女神、たとえば、アルテミス、ヘカテー、ペルセポーネになったコレーなどのような、エネルギーに満ちた存在なのである。
そんなエネルギーは人間の内に潜在するのに、それが閉じ込められてしまっている状態を、死んだ少女で表していたのである。
イエスのあの話を、表面的に捉えるだけでなく、心に深く作用させることで、エネルギーが引き出せるのである。
あのお話をよく読んで、「タリタ、クミ」と心で称えると、ファンタジーが無意識の中に沈み、強くなれるだろう。
これが神話の良い使い方である。
マリアの処女懐妊も、やはり象徴的な意味であると思う。
ともかく、神話を読むことは、良いことであるだけでなく、素晴らしいことだ。
神話のない国が滅びるというのは、そういう意味だ。
神話がなければ、良いファンタジーを持てず、その国の人は弱くなるからである。









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この季節の想いを大切に

まだ肌寒いが、薄着でも耐えられないほどでもないこの季節が、私は昔から好きだった。
好きでもなかった学校では、やがて新学期が始まるのだが、これまでのことをクリアにして、新たに始めるというのが良いのかもしれない。
新しい芽の出るこの季節は、やはり、再生の時なのだろう。
平凡かもしれないが、やはり春は、新しい始まりの予感がするものである。
そして、それが何か分からないから良いのだ。
そして、毎年、この季節には、掛け値なしに、何かが起こっているのである。
雪解けの水の中には、まだ氷の結晶が残っていて、それが、生命を活性化させる。
だから、渡り鳥の中には、わざわざ雪解け水で雛を育てるようなタイミングで渡って来るものも多いのである。
あなたも、若さ、美しさを取り戻したいなら、氷を溶かした水を飲むと良い。
氷が溶けた水は摂氏30度くらいにならないと、氷の結晶構造が解けず、その水が細胞を活性化させることは、科学的にも知られていることである。
そして、そうするには、春が一番良いのである。
春先の想いが、次の春までの状況を決める。
今、強く、前向きな想いを持てば、秋の実りは豊かで、次の春の想いは、より美しいものになる。
ギリシャ神話の、女神デーメーテールと、その可憐な娘コレー(ペルセポーネ)の物語もそれを表しているように思う。
この季節の想いを大切に。
好きな神の名を唱えて、安らかでいることである。
デーメーテールとペルセポーネのお話は、下にご紹介した左2冊に詳しい。









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