ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

キリスト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

キリストの秘法を親切に解説してみた

イエス・キリストは、自分が万能であると堂々宣言し、実際にその力を見せたが、そんなことが出来るのは自分だけではなく、「信じる者には何でも出来る」と言い、誰でも自分と同じことが出来ることを示唆した。
それなら、どんな願いも叶うはずだが、イエスは、願いの叶え方を特別に教えている。
彼が教えたシンプルな方法こそが究極であることを、チャールズ・ハアネルは成功講座である『ザ・マスター・キー』で述べていえる。この本は、若き日のビル・ゲイツも学んだと言われている。
そのイエスの願望達成法について、少し述べる。

イエスの方法は実に簡単で、「願いは既に叶ったものと思う」だけである。
貧しくて豊かになりたいなら、既に豊かであると思い、病気で苦しんでいるなら、既に健康になったと思えば良い。
ただ、貧乏な者が、自分は豊かであると、「本当に」思うことは難しい。
なぜなら、自分は貧乏だと思っているから貧乏という状態を引き寄せたのであるからだ。
その者の「私は貧乏だ」という思いは信念であると言えるが、人の信念を変えることは難しい。
そして、その信念を変える方法こそが、世の中に無数に現れ続ける成功法則、成功講座、成功プログラムで、上に挙げたハアネルの『ザ・マスター・キー』も、その1つということになる。

思い通りの信念を持つことが出来れば、人生は自由自在であり、だから、クラウド・ブリステルは『信念の魔術』を唱え、「魔法使い」ダイアン・フォーチュンは、魔法とは「心に自在に変革を起こす技術」であると定義した。
だが、誰の方法もうまくはいかない。
心の傾向性とは、幼い時の、親や周囲の大人や教師から刷り込まれた、いびつで哀れっぽく、チンケな(程度が低い)教育から出来ていて、それを消去し、優れたものに変えることは容易なことではない。
何百万円もかかる変革法もあるが、それでも上手くはいかなかったのである。

けれども、その方法が単純で簡単であることが分かって来た。
簡単過ぎて見逃していたのである。
例えば、こんなものだ。
私は子供の時、SF映画『火星人地球大襲撃』を見たが、最後に、地球人より、科学力、精神力ではるかに優れた火星人を1人の人間が倒す。
なぜ、そんなことが出来たかというと、その方法が簡単過ぎて、火星人が気付かなかったからだというのが、非常に印象に残っている。
イエスの秘法をうまく使うやり方も同じだ。

願いが叶ったら・・・豊かになったら、健康になったら、素敵な彼氏や彼女が出来たら、希望する学位が取れたら、どうなるだろう?
間違いなく、「良い気分(フィール・ファイン)」になるはずだ。
願いが叶った時の「良い気分」を感じるくらいの想像力は誰にでもある。
それを呼び起こせば良いだけである。
「あの子が僕の彼女」と思ったら、胸の奥が震えるような感動みたいなものがあるだろう。それが良い気分だ。
その良い気分を歌にしたのが、ビートルズの『アイ・フィール・ファイン』で、あのリズムと演奏と歌声の中に、彼らの天才的な感性で表現した『良い気分』がある。
病気が治って健康になった時のように、願いが叶った時の気持ちと、晴れ渡った青空を見た気持ちが似ていることが分かると思う。それを「良い気分」と言うのだ。
また、人によって、良い気分を感じるものが、いろいろあるだろう。
夕焼けの平和な街、猫が平和そうに寝ている姿、一面の花畑、ライブで初音ミクさんが見せる一瞬のポーズ・・・そんなものを見た時の感動、安らかな気持ち、幸福感・・・そんなものに「良い気分」を感じるかもしれない。
それを見た時に感じる感覚を、願いが叶った時のイメージや、「病気が治った」という言葉と合わせれば良いだけである。
断言するが、気分が全てである。
宇宙を運営するプログラムは、あなたの気分に同調するように作られているのである。








ちょっとだけ我慢することの魔力

この世界のカラクリは、沢山の賢い人達が見抜き、説いてくれている。
釈迦やキリストは、それらの人達の中でも最高位なのだし、その釈迦やキリストの教えを基に、その時代にあった解説をしてくれる人達も少なくはないと思う。
ところが、なぜかいまだ、
「そうか、じゃあ、こうすれば、お金がザックザクと入って来て、女(男)も選り取り見取り」
というふうにはいかない。

一応、この世のカラクリを簡単におさらいすれば、こうである。
・世界は、心が作り出した幻であり、実体がある訳ではない。
・心の操作法が分かれば、世界は自由自在に支配出来る。
・この世界を作る目的は、楽しみながら進化するためである。
だいたい、これで合っているだろう。

しかし、ではなぜ、世界が思い通りになるように思えないのかというと、それでは面白くないからだし、進歩も出来ないからだろう。
ただし、進歩と言っても、
「鉄のバットも振ります!重いゴロゴロしたのも引っ張ります」(優子)
「修行のイメージ、古くない?」(桃)
~『まちカドまぞく』より~
といったギャグを本当にやっている者も多いのだろう。

また、「すべては幻じゃ」と聖人ヅラしてたら、面白くない状況になる一方だ(笑)。
世界は楽しむためにあるのだから、ちゃんと楽しまないといけない。
怠惰は良くない。
あるいは、「わしは酒を飲むのが何より楽しい」と、ずっと酒を飲んでいたら、やっぱりヤバいことになる(笑)。
アイドルの追っかけばかりやっていたらキモくなり(笑)、どんどん世界は楽しくなくなる。

「かと言って、働きたくないし、ボランティアも嫌だし・・・」
何もやりたくない、何をすればいいのか分からない・・・
それは、ハングリーでないのが原因で、行動に対する食事の量が多過ぎることから起こる。
それがあまり続くと、病気になったり、お金がなくなって、強制的に食べられなくなる。
だから、すらりとした身体になる程度に食事の量を減らすと、何かしたくなる。
と言って、あまりに小食なのも良くない。

つまるところ、この世界は、何事も「ほどほどにやる」と楽しいように出来ている。
そう言うと、「いや、徹底的にやることが喜びだ」と言う者がいるだろうが、それは決して長くは続かない。

ところで、良い方法を1つ教えよう。
「おあずけ」を躾ける犬は賢くなる。
人間も同じだ(笑)。
だから、食事の時、食べるのを20分待つのだ。
それで、空腹に耐える訓練が出来、それが力を与えてくれる。
TM(超越瞑想)という有名な瞑想法があり、クリント・イーストウッド、ポール・マッカートニー、キャメロン・ディアス、マーティン・スコセッシ、その他、沢山の著名人達が熱心に行っているという。
TMを導入した学校は大変に素晴らしい成績を収める。
そして、TMというのは、空腹な時に20分行うのが決まりで、普通は食事前になる。
つまり、なんと、これらは、20分の「おあずけ」の効果なのだ。
かなり良い状態で食事を我慢する方法がTMだ。

キリスト教では、本来、食事の前に長いお祈りをして、空腹に耐えたが、その習慣がなくなったのは悪いことだった。
日本ではお祈り自体は「いただきます」と、短いが、お父さんが帰ってくるまで食事を待つことが素晴らしい修行だったのに、これもなくなった。
「おいしいものを少し我慢する」
これこそが、世界を動かす力を得る秘儀だったのである。
これを、意識的にやれば、世界は自由自在だ。
食事に限らず、その他の楽しみも同じである。
ただし、やり過ぎもいけない。
ほどほどに。













当ブログ著者、KayのAI書。
街中ではリムジンやスーパーカーではなく、小型でキビキビ走る車が必要なように、また、危険があるかもしれない未知の世界ではバズーガやミサイルではなく小型の光線銃が役に立つように、AIも、リムジンやミサイルのようなAIではなく、小型車や光線銃のような手軽ですぐに役に立つAIが必要です。
つまり、数学やプログラミングや難しい理論がないと作れないAIではなく、Excelでデータを整え、軽快で高性能なツール(本書ではソニーの無料AIアプリNNC)で作るAIが我々には必要です。
本書では、手軽だが実用的なAIを、日常の言葉と馴染みのあるテーマを使って作れるよう工夫し、面白い問題で応用力を高めていきます。
ほぼ全ての実習が出来るデータを作れるExcelマクロ(VBAプログラム)を無料でダウンロード出来ます。

チャチな優越感、自己重要感が無用になる法

自分のことはもちろん棚に上げるが(笑)、現代人が救いようがないほど愚かであるのは、「優越感」を渇望するからだ。
なぜそうなったかは細かい話なので省くが、誰もが「優越感」に飢えている。
「優越感」と言うよりも、ディール・カーネギーの言う「自己重要感」と言っても良いかもしれない。
カーネギーも言う通り、これ(自分は優れている、自分は重要であるという確信)が人間最大の願望だ。
カーネギーは、それ(自己重要感)を他人を操るために利用する方法を説いたが、それが強いと愚かになるから、それを消すという大切なことは、あまり説かなかったと思う。
人間の愚かな行いは全て、自己重要感、あるいは、優越感を求めてのことだ。
電車の座席で、男が短い脚を精一杯開いて座ったり(笑)、長く見せたくて(笑)大袈裟に組んで見せるのは、「俺はこんだけ立派なんだぞ(だから偉い?)」という悲しい訴えなのである。
老人になって、実力で優越感を示せなくなると、特に、そんなことをしたがるのはまだ分かるが、若い時から誉められるべきものが何もないと、そんな老人の真似をするのである。そして、今は、そんな若者や中年があふれかえっている。
言うまでもないが、老人でも、実力に自信があれば、そんな愚かな真似はしない。

言っては悪いが、あなたも根本的にはそうなのだ。
だが、優越感を捨てれば、面白いことに、万物が敬ってくれる。
イエス・キリストの宴席の話がとても良い。
進んで上座に座ると、「恐れ入ります。あなたより偉い人が来ますので、下座に下がって下さい」と言われて恥をかくが、下座に座ると、「どうか上座にお着き下さい」と言われるのである。それは、人によってではなく、宇宙を統べる見えない存在によってである。
今日から、椅子に座る時も、きちんと、出来れば、小さくなって座るのだ。
そうすれば、王者に見えるようになる。

せっかく、Excel VBAをマスターしても、それで優越感を持てば、活躍するチャンスに恵まれない。
しかし、その力で奉仕するつもりなら、その能力が称賛され、敬われる流れになる。
見えざる絶対的な力によってね。

だが、誤った優越感を持たないために、自己制約(自己抑制)をしようとしても、なかなかうまくいかない。
実を言えば、自己を制約する力の倍の(やがては数十倍以上の)力を、神は人間に与える。
しかし、意思の力で自己制約するのは難しい。
そこで、合掌したり、手を胸に当てるのである。
合掌は、てのひらをぴったり合わせ、少し強く押すと、霊的エネルギーが活性化し、願いも叶う。
胸に手を当てる時は、どちらの手でも良いし(多少、効果に違いはあるが)、両手でも良いが、胸の中央から指2本分右のあたりを抑える。
光のパワーを発し、目に見えるチャチな優越感、自己重要感などどうでも良くなる上に、運に恵まれ、超能力まで発揮するのだから、やらずにいられようか?
この知識を得たことに謙虚に感謝すれば、もはや無敵なのである。








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2日連続で見たイエスが超能力を発揮する映画

今日の午後は、2016年のアメリカ映画『ベン・ハー』を観た。
私は『ベン・ハー』は、1959年のチャールトン・ヘストン主演の作品しか知らなかったが、1959年のものが、『ベン・ハー』の3作目で、2016年のものが6作目ということになるらしい。
2016年の作品は、ジャック・ヒューストン主演で、日本ではなんと未公開だ。

昨日、『キング・オブ・キングス』を観たので、イエス・キリストの磔を2日連続で見た訳である。
今日観た、2016年作品であるが、仕方がないこととは思うが、俳優達があまりに健康そうで(肌や髪の艶が良過ぎるし、肉付きもいい)、リアリティに欠けたが、面白かった。
そして、『キング・オブ・キングス』も、今日の『ベン・ハー』も、保江邦夫さんの言うキリスト活人術のようなものを見せてくれたし、1959年の映画でもそうだった。
2016年の作品で言えば、乱暴に連行される途中に倒れたジュダ・ベン・ハーに、彼の恋人のエスターが水を飲ませようとするがローマ兵に阻まれると、イエス・キリストがジュダに水を与えようとする。すると、やはりローマ兵がイエスを追い払おうとするが、イエスに触れられると、ローマ兵は何も出来なくなり、イエスはジュダに水を飲ませる。
1959年の映画では、灼熱の砂漠を歩いて護送され、渇きに苦しむジュダが水を求めるが、護送隊長がこれを阻み、ジュダが気を失った時、イエスがジュダを介抱し、水を与えようとする。護送隊長がこれを見てイエスを蹴散らそうとするが、イエスが護送隊長に向かって立つと、護送隊長は怯んで何も出来なくなる。
まあ、実際は、これらは、保江さんの説くキリスト活人術とは違うかもしれないが、相手の魂に働きかけ、身体を支配するという原理では同じであると思う。

キリスト教では活人術をマスターするには、厳しい修行が必要であるとするが、保江さんは、それを簡単に習得する道を示したのである。
とはいえ、その易しい方法も、私には無理が大きい。
普通の人は、まずは自分の魂を知り、心と魂を統合し、確立しなければならない。
それは、どうやっても出来ない人が実際にいる。
私もそうなのだが。
そこで、手を(どちらの手でも、あるいは、両手で)、胸の中央から指2本分右に当てるか、合掌するかを、なるべく頻繁に行うことをお薦めする。
それで、他者を支配は出来ないかもしれないが、自分が支配されないようにはなれるだろう。









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神頼みの仕方

イエス・キリストの教えを簡単に言えば、
「神様が面倒見てくれるから心配するな。ただ、神様への敬意を忘れるな」
だと思う。
法然や親鸞の教えも、つまるところは、
「阿弥陀如来が全て面倒見てくれるから安心しろ。ただ、念仏をしろ」
である。
以上、断言しておく。
ただし、イエスは神様は天に居ると言い、法然や親鸞は、阿弥陀如来は西方極楽浄土というところに居ると言った。
天国も西方極楽浄土も、遠いところのようだ。

一休は、阿弥陀如来は我々の内に居ると言ったが、あまり広まらなかった。
キリスト教でも、ぼんやりと、神様は我々の中に居ると言った人はいたかもしれないが、宗教的教義に反するからだと思うが、そう言い切った人がいないように思う。
宗教者ではないが、科学者のルネ・デカルトが、「自分が正しいと思っていることでも、全部間違いなのだが、確かに、自分でも疑うことが出来る。なぜ疑うことが出来るのかというと、内に神様がいるからだ」と言ったが、これも、あまり知られていない。
デカルトの「疑っている主体は絶対に存在する」が、「我思う、ゆえに我あり」という、妙な言葉になってしまったしね。

まあ、ともかく、神様は我々一人一人の内にいる。
では、どこにるのかと言うと、心臓が有力らしいが、それはこだわらない方が良いかもしれない。
心臓と反対である胸の右側とか、いや、腹だ、丹田だとか言う人もいるので、ややこしい。
どっかにいるのだ(笑)。

で、神様が内にいるとして、人々が神様に何を望むのかというと・・・まあ、いろいろあるだろうが、つまるところ・・・月給である(笑)。
皆とは言わないが、社会で苦労し、特に大した才能に恵まれない凡人は、あからさまに言えば、そんなものなのであると思う。
ところが、イエスも親鸞も、それが叶うことは保証しているのである。

神様、仏様を敬えば月給がもらえる(もちろん、間接的にだが)と言うと、ロクでもない宗教が多い中でも、最も馬鹿げた信仰になってしまうが、一番馬鹿なのが一番本当なのである。
法然や親鸞、さらに、彼らの先輩と言える、道綽や善導は、とても親切に、仏様の簡単な敬い方として、念仏を教えたし、それは、善導や道綽よりずっと前の龍樹という天才にまで遡る。
釈迦が直接そう言ったという証拠はないが、釈迦の真意には反していないと思う。
キリスト教には念仏のようなものはないが、発祥不明の「十字を切る」というものが、それに当ると考えて良い。
とはいえ、大切なことは、神仏を敬うことである。

なんで急に(でもないが)こんなことを言うのかというと、どう言っても、人間は弱いものである。
神頼みは許される。
ただ、神頼みをする時は、呼吸が静かでなければならず、微かと言えるほどであれば、さらに良いのである。
それは経験上、保証出来る。









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