嘘発見器に、どのくらいの信頼性があるのか分からないが、犯罪捜査には不適切と思う。
というのは、生体反応は精神状態の影響を受けるのに、精神的に不安定なはずの犯罪者や、容疑をかけられた者から、まともな測定結果が得られるとは考え難いからだ。

Oリングテストというものをご存知の方も多いと思う。
片手の親指と人差し指で輪を作り、他の人に、両手の人差し指を使って、その輪を開いてもらう。
輪が維持される力の強さで、様々なことを調べるのだが、例えば、身体に良い食品を被験者の近くに置けば、輪は開き難く、反対に身体に悪い食品の場合は容易く開くといった感じだ。
イエス、ノーで返答出来るものであれば、形の上では何でも調べられる。
例えば、「あなたと彼は相性が良いですか?」などといった恋愛診断みたいなものもだ。
Oリングテストに信憑性があるかというと、被験者と測定者が精神的に安定しているなら、かなりあるのではと思う。

Oリングテストの科学的発展版と考えられるのがキネシオロジーテストである。
Oリングテストの場合は、統計以外にエビデンス(証拠)を示すことが出来ないが、キネシオロジーテストでは、キネシオロジーという身体と精神を含めた広範な研究が行われていて、デヴィッド・アール・ホーキング博士によれば、正しく行えば、完璧な結果を得られると言う。

ただ、本当に直観が研ぎ澄まされているなら、あらゆることの判断が、Oリングテストもキネシオロジーテストもなしに正しく出来るだろう。
あまり言われないことであるが、デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」の本来の言葉である「疑っているわれは確かに存在している」と言ったのは、疑うことが出来るということは、精神の中に完璧な真理が在るからだという考えから来ている。
これは私も完璧に納得出来る。
精神の中に真理がなければ、疑うことが出来るはずがない。
そして、ほとんどのことは疑うことが出来る。
だから、ほとんどのことは正しくない。
デカルトが至った結論は、「疑っているわれが存在することだけが真理である」だった。
これは偉大な成果であると思う。

どんなことがあっても、決して疑えないことだけが真理である。
それ以外は、全て嘘である。
そうであれば、世の中の99.99999999%は嘘である。
クリシュナムルティーは「私は何も信じない」と言ったが、それが本当なら、大したものである。
デビルマンは言った。「俺は誰も信じない。たった1人、牧村美樹を除いてはな」
アニメのクアラクターの牧村美樹は信じても良いかもしれない。現実に、それほどの少女がいるかどうかは知らないが。

決して疑えないこと。
それは、私が存在することだ。
だから、困った時には、「私は存在する」と心でつぶやくと良い。
すると、不思議なことに、問題は消えてしまう。最初から問題なんて「存在しなかった」からだ。
そういえば、自動車税の請求書が来てたなあ。
「私は存在する」と唱えれば、そんなものは消えて・・・しまわない。前回、支払いを忘れて、督促も来たし(笑)。
だが、支払えば消えてしまう(車検の時には、その支払い証明が必要だが)。
真理を知れば、そんなものは自動的に支払われるようになり、いずれ、本当に消えてしまうだろう。
つまり、自動車税は問題でも実在でもないのである。









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