ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

カーン・アカデミー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

2次元思考から3次元、そして、4次元思考へ

平面思考をやめて立体思考・空間思考をしなければならないとか、2次元思考から3次元思考に進化しなければならないと言うと、なんだかそう思えるかもしれないが、具体的にどうすれば良いのだろう?
それは割と簡単であるが難しい。
つまり、本当は簡単なのに、愚かな人間の都合で難しくしているのだ。
例えば、会社の組織図なんて、全く平面思考、2次元思考の産物だ。
「この仕事は広報部の管轄だ。技術部が余計な口を出すな」
「我々営業部が食わしてやってるのだから、総務部や経理部はもっとサービスを良くしろ」
「それは部長以上の権限がある者が考えることだ。ヒラは黙ってろ」
もちろん、これらは、空間思考・3次元思考では、部署の垣根を越えて協力し合い、部署、役職など関係なく、良いアイデアを積極的に求める。
そして、さらに、3次元を超えた4次元以上の思考になると、そもそも、部署という概念、役職という概念はなくなる。
もうしばらくしたら、部署とか役職なんてものが存在する・・・少なくとも、固定的に部署や役職がある会社は全部潰れるだろう。

チームラボという会社は、プログラマー、デザイナー、建築家、数学者、アニメーターその他のスペシャリストがチームになり、平等に仕事をするらしい。
そこには、部署とか役職というものはなく、何が出来るかということだけが問題になる。
逆に、一般の会社では、能力より、「どの部署の人間か」「役職は何か」が重要になってしまっている。
そして、MITメディアラボでは、「私は何の専門」ということもない。
ここでは「脱専門性」ということが大切だと考えられている。
バンバンと専門の垣根を飛び越え、ある専門とある専門の間で活動するのである。
普通の研究者は、自分の専門の中で研究し、同じ専門家の中で評価されたがる。その方が偉くなり易い。
MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏は、「我々は専門のない、はぐれもの集団」「はみ出せばはみ出すほど良い」と言う。
伊藤氏は、この世界最高のデジタルテクノロジー研究機関のリーダーでありながら大学を出ていない。それが良かったのではないか?
チームラボ社長の猪子寿之氏は、東大工学部卒だが、やはり、「大学なんてさっさとやめておけば良かった。でも、ここで仲間と知り合ったのだから、やっぱり良かった」といったことを言われていたと思う。彼は大学院は中退している。

世界最大規模のネット授業を配信しているカーン・アカデミーのサルマン・カーンは、「教科を無理矢理分けることは愚の骨頂」と言う。
例えば、「確率の基礎が分かれば遺伝にも応用が効くのに、遺伝は生物、確率は数学で教わる」ことで、カーン・アカデミーでは、教科の垣根を超える学習を行える。
また、『バカをつくる学校』では、著者ジョン・テイラー・ガットは、生徒を学年別に分けて教えることの愚かさを指摘している。
そもそも、勉強なんて、上級生が下級生の指導をすれば、教師なんて必要ない。当然ながら、教えることで大切なことを学ぶことが出来る。
教師に役割があるとすれば、それがスムーズに出来るよう調整・配慮することである。

人種差別、宗教戦争、なんとか主義・・・古いにもほどがある。
セクショナリズム(なわばり根性)やエリート意識(偉大なり、私)を持っているのは、人種差別主義であるのと全く同じなのだ。

ぼくらはこの大きな星のなかでずっと踊り続けるんだ
色も言葉も混ざり合って
今ひとつになっていく
~『Blue Star』(作詞・作曲・編曲:八王子P。唄:初音ミク)より~
【初音ミク】Blue Star feat. 初音ミク (MIKU EXPO ver.)【MIKU EXPO 2016】 - YouTube -








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塾はもう必要なくなった

ネット塾というものがある。
インターネットを通じ、映像授業を視聴することが出来る。
有名なものでは、リクルート社の「スタディサプリ」や、株式会社葵の「アオイゼミ」がある。
「スタディサプリ」は、小学生、中学生、高校生用の授業1万本が、月額980円で見放題。
「アオイゼミ」は、無料で使えるが、いろいろ特典のついた「ライトプラン」が900円、「プレミアムプラン」が3500円だ。
アオイゼミのプレミアムプランだって、塾に行くのに比べたら随分安い。

ネット授業で効果があるのかというと、それは、教え方次第である。
下手な授業を教室で受けたら、勉強が分からないばかりか、やる気を失くす。
しかし、優れた授業なら、映像で十分に分かるし、むしろ、目の前に教師がいない方が絶対に良いと私なら思う。
私は、世界最大のネット授業提供団体である「カーン・アカデミー」のように、映像に教師が登場せず、黒板と手だけというのが理想と思う。
どんなに好感がもたれそうな教師でも、見たくない子は沢山いるに違いない。
とはいえ、授業映像に教師が出ていても、目の前に嫌な教師がいるよりは千倍良い。

「スタディサプリ」や「アオイゼミ」の授業はとても優秀で、特に、繰り返し見れば、誰でも分かるように教えている。
下手な授業を1回しか聞けない学校とは偉い違いである。

つまり、少なくとも、もう塾や予備校に行く必要はないのだ。
良い塾や予備校は、確かに優秀なシステムを持っていることが多いし、快適贅沢な設備があったりもするが、とにかく高い。
多くのネット塾が、親の収入の違いによる教育格差を無くすことをスローガンに掲げているが、それは嘘ではないだろう。
まして、「カーン・アカデミー」は、貧困な子供にも最高の教育を与えることを目的に、NPOで運営し、利用は無料だ。

そして、1人で孤独に勉強することは難しいところもあるが、今はLINE等のSNSで交流が出来るし、「Studyplus」という、学習者専用の、学習管理と交流が出来るSNSがあり、高校3年生の受験生の3人に1人が使っているらしい。
アオイゼミは、アプリの中に、他の受講生と交流出来る機能があるし、スタディサプリは、教師から生徒への連絡機能がある。

私が中学や高校の時は、このようものは、まるでSFであったが、今や、スマートフォンさえあれば、誰でもネットで安価に利用出来るのである。
実際、少子化以上に、塾や予備校に通う生徒が減っていると思う。今後は、もっともっと減っていくだろう。
また、インターネット高校であるN高等学校の生徒も増えていて、2018年度には黒字化する見込みもあるという。
塾や予備校どころか、高校もネットで済ませ、通学する必要がなくなり、自由な時間を持てるようになった。
N高等学校の授業料は決して高くない。年10万円以下なので、バイトでまかなうことも可能だ。

もちろん、学校に行き、生徒同士交流することも良いことである。
しかし、少なくとも、ある種の人達には、通学しなければならないデメリットがあまりに大きい。
学校に行かず、自由になった時間は、無駄にせずに、出来ることをしなければならない。
だから、子供は、自分の意志で自主的に行動出来るようになると共に、心を正しく導いてやる必要がある。
しかし、それは、今の堕落した学校や教師の役目ではない。
いずれにせよ、まずは、高い塾や予備校は不要になった。
それは間違いないと思う。









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今の学校と教育産業がある限り、子供達の未来は恐ろしく暗い

塾や予備校などの教育産業は、全体としては好況らしい。
だが、塾も通信教育も全く必要ない。
しかし、今すぐ無くす訳にはいかない理由はある。

その理由の1つは、子供達が自分一人で勉強する方法を知らないことだ。
しかし、本当は、真っ先に教育すべきことはこれのはずなのだ。
いくらなんでも、中学生になれば、自分で勝手に勉強できるようになっていないといけないが、大半の子供達が、そんな大切な能力を持っていないのは、現状の学校を存続させたい者達の狙い通りということなのだろう。

2つ目は、子供達がやらされることが馬鹿みたいに多いことだ。
ゆとり教育で教科書が薄くなったので学力が落ちたから、再び教科書を分厚くしたら学力が上がったなんて大嘘を信じるやつなんて本当にいるのだろうか?
一流大学に入っても、小学校の算数ができない大学生がザラなんだろう?
では、どうしたら良いかなんて、考えるまでもなく、教科書も科目もばっさり減らして、本当に必要なことだけを身に付けさせれば良いだけだ。
もちろん、そんな勉強なら、出来る子供は退屈だろうが、そんな優秀な子供達は教室になんか来なくていいじゃないか?
賢い子達は、自分達で、勝手に勉強させれば良い。
教室の中で、出来の悪い子を馬鹿にして優越感に浸っている暇があったら、一人で勉強するもよし、賢い子同士で集まって勉強するもよし。
あるいは、午前中は先輩が後輩を教える時間とし、好きな先輩のところに行って勉強すれば(無理に行く必要はないが)、後輩は素晴らしい勉強体験ができるし、教える先輩の方もすごく勉強になるはずだ。

そして、3つ目は、学校の構造が古過ぎて、子供達が自分で勉強するのに最適な環境でないということだ。
日本語のカーン・アカデミーのようなものを作って、手軽に使えるようにしてやり、さらに、AI(人工知能)やビッグデータを生かした学習方法を構築してやれば、今居るような勉強を教える教師なんて絶対に不要なのである。

これらのことがなぜできないのかというと、上にも述べたが、現状の学校を維持して自分の利益を守りたい者達が教育界を牛耳っていることと、後は、教師の雇用のためだ。
だが、子供達のことを考えるなら、教員採用試験に受かるような教師なんて、絶対に必要なく、教師という職業を、再定義する必要があり、本当に人間として優れた者を、アドバイザーや生活指導者として採用しなければならならいが、そんな新しい教師とは概ね、教育以外の分野で逞しく生き抜いてきたような人達になるのだと思う。

詳しく書くと、本一冊書いても収まらないので、簡単に述べたが、ここに書いたことくらいは皆が理解すべきであると思う。









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基本的には学歴はない方が良いと思う

テレビのいろいろな学習講座を見ると、どれも教師が登場する。
それで私は思うのだが、先生達は、格好の良い服・・・少なくとも恥ずかしくない服を着なければならないし、服の綻びや継ぎはぎ等は決してあってはならない。そして、服のしわもない方が良いと思うだろう。
理屈では誰も見ないと思う教師の髪形も、「かっちり」と言うよりは「お洒落」にしたいと思うだろうし、アレルギーのためにまぶたが腫れていたり、寝不足でぱっちりしない目も駄目だろう。
いやはや何とも大変である。
最近、インターネット授業も多くなったが、やっぱり狭い画面の中に教師がしゃしゃり出てくる。

世界最大のオンライン学習サイト「カーン・アカデミー」では、先生は一切出てこない。
先生が身だしなみに気を使わなくていいというだけでなく、生徒も、黒板や解説の声に集中できるからだ。
人間ってのは、子供でも大人でも、人間の顔に注意を向けてしまうものなんだからだ。
カーン・アカデミーのようにやってみたら、「これまでは、なんで先生がいちいち出てこなくちゃいけなかったの?」と思うのである。
ルドルフ・シュタイナーが大昔に、「教師は空気のようなのが最高だ」と言ったのに、誰も聞いちゃいなかったのである。

これはほんの一例で、カーン・アカデミーでは、これまでの学習法で行われていたこと(伝統や慣習)であっても、良くないものは平気でやめ、逆に、これまでは決して行われなかったことでも、良いことはどんどん行った。
だから、素晴らしいものになったのだ。
それができたのも、サルマン・カーンが頭が良かったことと共に、彼が教育学の素人であったことが幸いだったのだ。
彼は、従来のやり方に囚われるどころか、従来のやり方なんて、元々知らなかったのだ。

それでもカーンは、マサチューセッツ工科大学という名門大学で数学と電気工学とコンピューターサイエンスの学位を取り、電気工学とコンピューターサイエンスで修士号を取っているらしい。
そして、ハーバード大学ではMBA(経営学修士)を取得している。ハーバードも最近はマサチューセッツ工科大学に大学ランキングで負けているが、やはり超名門だ。
これらの学位を取ったことが、カーンに取って良かったのかどうかは分からないが、彼がヘッジファンド・アナリストを仕事に選んでいたのが興味深い。
学問を実践的に生かすのに最適な仕事だと思われるからだ。
そんなところからも、彼は実際的であることを重視する賢い人なのであることが分かるように思うのである。

カーンは教育を自分の天職と考えているようだが、ビル・ゲイツも、最近の彼の言動を見ると、彼もまた明らかに教育に取り組む意欲が非常に大きいのだと思う。
また、ゲイツは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通して、カーン・アカデミーを財政支援しているようだ。
ところで、ゲイツもスティーブ・ジョブズも、あるいは、FacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグも学位の1つも持っていない。
ゲイツは初め、ハーバードで数学をやりたかったそうだが、そこの数学科には、彼など足元にも及ばない数学の天才がごろごろいたのでやめたらしい。
しかし、それは、ゲイツが数学者になる宿命になかったというだけのことだろう。
また、18歳頃のゲイツは、まだ学校教育に汚されたところがあって、マイクロソフトで長い時間を過ごすことでそれを洗浄できたのだと思うのである。
ゲイツにしろジョブズにしろ、人間の脳の宇宙全体を包括するホログラムの役割を果たすような潜在能力を、他の人間より多く顕現させたのだろうと思う。
カーンの場合は、学校でよく勉強したからこそ、伝統的な学習法や教育の欠陥を見逃さず、概ねでそれと反対をやれば良いことに気付いたのだろう。

私は、最近、学校でしっかり勉強した、いわゆるエリートの人達と話をする機会が多いのだが、学校の勉強を基盤に考える人は思考の制限や囚われが多いことは、かなりはっきり感じるのである。学歴が10倍なら思考の締め付けも10倍といったところなのである。
せっかく本来の頭は良いのに、学校で駄目になってしまったのだと感じる人も少なくない。
そして、彼らにとっては学歴にプライドがあるところがさらに問題なのである。
そんなこともあり、私は、教育家としてのゲイツに期待したいと思っているのである。









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人間に相応しい楽しみを持つ

人間は楽しみがなければ生きていけるものではない。
その楽しみを趣味と言っても良いのだが、時々、「俺には趣味などというものはない」と言う人がいる。
それは、趣味という言葉の捉え方の問題であり、趣味という言い方を好まないのなら、励み、創造活動、創作活動、鍛錬、奉仕・・・何と呼んでも構わない。

ただ、それが、受け身であってはならないのだ。
ゲームや漫画でも全く構わないのだが、単に次々に新しいゲームを楽しんだり、漫画を沢山読んで喜ぶだけでは全く駄目である。
それによって、創造的になり、肯定的で受容性が高まらなければならない。

コリン・ウィルソンは、工場労働者という創造的でない仕事が憂鬱で、肉体の疲労以上に毎日、クタウタに疲れてしまっていた。
ただ、彼にとって工場での労働が創造的でなかったというだけで、同じ仕事でも、それで受容的になれれば、創造的になり、エネルギーは高まり幸福でいられる。
しかし、ウィルソンは、子供の時に作ってしまった志向性・・・それはひょっとしたら単なる偏見なのかもしれないが・・・のために、幸か不幸か、工場での肉体労働は彼を満足させなかった。
しかし、家に帰り、クラシック音楽のレコード(大昔のことでCDすらなかった)を聴き、文豪の小説や大詩人の詩を読めば、たちまち、創造的、受容的になり、心身にエネルギーが注ぎ込まれた。
確かに、ウイスキーを一杯飲むという儀式も必要であったが、それは、労働のストレスを瞬時に遠ざけるためであり、本来はなくて良いし、ない方が良かった。

世界最大のオンライン教育サイト「カーン・アカデミー」を運営するサルマン・カーンは、ほんの数年前まではヘッジファンド・アナリストをしていた。
彼は、ヘッジファンドの仕事はやりがいがあったと言っているが、それはむしろ、自分の能力を発揮するのに適していただけで、その時だって、彼は他の楽しみを持っていたから、ヘッジファンドに勤め続けることができたのではないかと思う。
彼は、ひょんなきっかけから、子供達に勉強を教えることに喜びを見出し、そのことで最大の創造性を発揮し、本当のやりがいを感じたのだが、彼にとって、教えることが最も肯定的で受容的になれることだったのだ。
それで彼はヘッジファンドを退職し、教育に専念し、いまや生徒は一千万人をはるかに超え、さらに増え続けるだけでなく、彼は本気で世界の教育を変えるために、さらに創造性を高め続けている。

何かを創り出すことや教えることで、創造力を発揮し、肯定的、受容的になることができる。
しかし、まずは、自分自身で創造してみなければならない。
音楽をただ聴くよりも、下手でもいいから自分で演奏したり、作詞や作曲をするのが良い。
自分で音楽を創り、初音ミクに歌わせることで創造性を伸ばし、素晴らしいアーチストになった人も沢山いるが、初音ミクには、人々の創造性を引き出し、肯定的、受容的にさせる力があるに違いない。
そして、自分が創造性や受容性を極めたら・・・・それは必ずしも華々しい成果をもたらさなかったかもしれないが・・・今度はそれを教えることで、さらに精神を高めることができる。
押し付けがましい教え方をする者は、まだ自分の創造性や受容性を十分に開発していない者だ。
学校教育というものは、そんな連中によって行われてきたのだろう。
だから、町の工場の技術者といった、多少の創造性や受容性を磨いている者が教壇に立つと、生徒達は、教師達の時よりはるかに目を輝かせて話を聞くのである。

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、あるいは、サルマン・カーンのように、仕事そのものが創造性と受容性を高めるものであれば良いのだが、そうでなければ、かつてのカーンのように、生活のための仕事とは別の創造活動を持つべきである。
それは、決して、受け身の、個人的な楽しみだけの趣味であってはならない。
新しい知識を増やし、粘り強く無限の工夫をし、心が拡大して自分をちっぽけなものと感じることがなく、不平不満を忘れ、疲れを知らないようでなければ、それは本物ではない。
個人的、肉体的、刹那的な楽しみに溺れることを完全に拒否し、そういった本当の楽しみを持たなければ人間とは言えないのである。









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