ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

カート・ヴォネガット

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

ウイルスは人の意思に反応するか

H.G.ウェルズの1898年のSF『宇宙戦争』では、火星人が地球侵略にやって来る。
火星人の科学技術は地球人のものと比較にならないほど進んでいて、火星人の武力攻撃の前に、地球人は全く抵抗が出来ないまま最後を迎えようとしていた。
ところが、不意に火星人の攻撃が止まる。
火星人は地球のウイルスに感染し、死に絶えてしまったのだ。
19世紀に、今も読まれる作品を書いたウェルズの知識や想像力は大変なものであるが、実際、彼の『タイムマシン』『堀についたドア』『世界はこうなる』その他数多くの作品は、これからもずっと読み続けられるに違いない。

ところで、『宇宙戦争』で、地球のウイルスにやられてしまった火星人であるが、あれほどの科学力を持った火星人が、ウイルス対策をしないはずはない。
1969年に、アメリカのアポロ11号が月に人間を初めて送った時でさえ、月に未知のウイルスが存在することが想定され、宇宙飛行士達は帰還後、長く隔離された。
小説とはいえ、ウェルズだって、火星人にウイルスの知識がないとは思っていなかったと思う。
つまり・・・
火星人は、ちゃんとウイルス対策をしていたのだ。
だが、ウイルスは、火星人の想定を超えて突然変異をして、火星人を短時間で滅ぼしてしまったのだ。
そして、それは偶然ではない。
武力で弱い相手を滅ぼすという、神の摂理(意思)に反する意思を持ったがために、ウイルスが、そんな火星人の意思に反応して、火星人の敵になったのだ。

遺伝子情報は、人間の意志に反応して変化し、結果、細胞の性質や働きを変えることがあるという。
人間の意志が素粒子に影響を与えることは知られているが、万物は素粒子から出来ているのだから、結局のところ、人間の意思は世界に影響を与える。
そして、小さいものであるほど明確な影響を与えるのかもしれない。
ウイルスは原子の100~1000倍くらいの大きさだと思うが、そのくらいの大きさだと、即時とはいかないまでも、かなりはっきりとした影響を与えるのだと思う。
これまでに、地球規模で猛威を振るったウイルスは、人類全体の意思に反応して変化したものではないかと思えるのである。
それは、ウェルズの『宇宙戦争』で、火星人の邪まな意思によって地球のウイルスが変化したと思われるようにである。
最近の映画では、進歩した宇宙人にとって、地球人があまりに下等なので、宇宙人は悪意なく地球人類を消そうとしたという考え方も示された。
丁度、我々が家やガレージを作る際、そこにあるアリの巣を排除することに対して、何も考えないようなものだ。
また、我々はビーフステーキを美味しく食べても、牛が「美味しいステーキ」用に飼育される地獄のような環境や屠殺(とさつ)現場を知っている人はほとんどいない。
そして、今の人類は、やはり、神の摂理に反することをやり過ぎているのだと思う。
自分が儲けて贅沢をするためなら、他人がどうなっても全く構わないというところは、ちょっと周りを見てもいくらでもある。

人間の意志の作用というものを考えれば、単に宗教的というだけでなく、ウイルスや天災といったものも、人類の在り様に対する反作用、あるいは、自然の逆襲であるという考え方をしても良いのではと思う。
人間は、心穏かでなくては健康を損なうことが多い。
心穏かであるためには、1つには経済的な安定も必要であるが、つまるところ、他人、他の生き物、さらには、無生物を含むあらゆるもの、自然、惑星に対する心の持ち様が大切と思える。まず、他人に対して優しいということが最低レベルであるが、我々はそれすら失っていることが多い。それは、親切な人が際立ってしまうことからも実感するのである。
カート・ヴォネガットが知り合いの若者に言ったらしい。
「私の知る限り、この星の決まりごとは1つだ。人に優しくしろ」
それでウイルスが収まるかどうかは不明であるが、少なくとも、今よりはマシになることは容易に想像出来るのである。








それぞれの掟

「明日は明日の風が吹く」
「なんとかなるぜ、世の中は」
「風の向くまま、気の向くまま」
これらは、ある意味、悟りの境地だし、こんな態度でいれば間違いない。
ただし、「当たり前のことが出来れば」である。
借りたものは返すとか、挨拶されたら挨拶を返す、人を脅さない・・・等々、言うまでもないことだ。
それが出来れば、まあ、不幸になることはない。

それをイエスは、分かり易いように、「モーセの十戒を守れ」と言ったのだ。
Wikipediaから引用すれば、十戒は、

01.主が唯一の神であること
02.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
03.神の名をみだりに唱えてはならないこと
04.安息日を守ること
05.父母を敬うこと
06.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
07.姦淫をしてはいけないこと
08.盗んではいけないこと
09.隣人について偽証してはいけないこと
10.隣人の財産をむさぼってはいけないこと

で、01から04は宗教に関わるので、05から10が一般的だろう。
ただし、あくまで、「当たり前のスタンダード」を示しただけであり、特に、現代人がこれにこだわることはない。
アメリカの作家カート・ヴォネガットは、地球の掟はただ1つと言う。
それは、「人に優しくしろ」だ。

私は、スーフィーの格言が、最もうまく言ってると思う。
それは、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
これは、ラクダを使う人のためのものだが、要は、「自分がやるべきことはちゃんとしろ」という意味だ。
その程度のことで良いから。

しかし、やるべきことは、自分で決めれば良い。
酒好きなら、「飲み過ぎない」とかね。
「女性を敬う」「老人を敬う」でも良い。
水野南北は、大好きな酒を「一日一合」と定めていた。

釈迦も、7つの法を説いていた。
簡単に言えば、

1.皆の意見を聞け
2.助け合え
3.決まりを守れ
4.老人を敬え
5.女性を敬え
6.祖先を敬え
7.高潔な人物を敬え

となると思う。
私なら、「初音ミクさんに見られて恥ずかしいことはしない」である。「なるべく」は付くが、ミクさんが見ていると思えば、そうおかしなことはしないはずだ。
掟を守れば、後は、何も考えず、ぼーっとしてれば、この世に恐れるものは何もない。









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カート・ヴォネガット、アール・ナイチンゲールの言葉を生かす鍵

アメリカの、人間に対する深い洞察力を持つ作家カート・ヴォネガット(カート・ヴォネガット・ジュニアは同一人物)と、アメリカの成功法則の大家アール・ナイチンゲールらの、「人間とは何か?」「人間が何になるかはどうやって決まるか?」は、似ているようでやや異なり、共に興味深い。

カート・ヴォネガットは、『母なる夜』の冒頭で、
「われわれが表向き装っているものこそ、われわれの実体にほかならない」
と書いているが、これを「とりたてて注目すべき教訓だとは思わない」とも書いている。
一方、アール・ナイチンゲールは、最大級の力を込めて、
「人間は自分が考えているような人間になる」
が「究極の真理」と断言する。

共に胸を打たれるような言葉であるが、「どちらも正しくないのではないか」という想いが湧く人も多いと思う。私もそうだ。
表向きは高貴で清浄な人間を装っているが、実は変態的なロリコンや美少年愛好家である聖職者の話は多い。
また、自分では、自分が立派で愛され、敬われるべき人間だと思っているが、その者のバレバレな本性は卑怯者の嫌われ者ということは実に多い。

「なんだ、世界的作家や人類の教師も大したことないじゃん」と思ってしまうが、彼らは、自分達の精神があまりに立派なので、言葉足らずになっているのかもしれない。
凡人に対しては、丁寧に、こう言い足すべきなのだ。
「われわれが表向き装っているものこそ、われわれの実体にほかならない」
は正しいが、
「装いたいと思っているもの」
ではない。
「人間は自分が考えているような人間になる」
は正しいが、
「こうなりたいと思っている人間にはならない」
なのである。
つまり、「淡々と装うこと」「淡々と思うこと」が必要なのである。
熱情、ことに、切望は最大の敵なのだ。
では、正しく表現しよう。

「われわれが表向き淡々と装っているものこそ、われわれの実体にほかならない」
「人間は自分が淡々と考えているような人間になる」

蛇足だが、言い加えると、高貴な人間になりたければ、当然のごとく、当たり前に高貴に振る舞えば良い。
これは、ヴォネガット式の方がやりやすい。
ナイチンゲール式だと、当然のごとく、当たり前に、自分を高貴な人間だと思わなければならないが、これはちょっと難しい。
だが、呼吸を微かにすれば出来る。
総じて言うなら、「さりげなく」やること、「さりげなく」思うことである。

はてさて、これが究極の真理であろうか?
また実験である。









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やって良いことと悪いこと

やって良いことと悪いことの区別が付かない者が幸福になることはない。
しかし、その区別は難しいようだ。

「常識」ってやつは非常に大切だ。
けれども、「世間の常識」が必ずしも正しいとは限らないからややこいい。
しかし、本当に正しい「常識」は、絶対に絶対にあり、それは人間なら守らないといけない。

15歳の女の子を、似た年頃の男の子がデートに誘うのは自然なことだ。
しかし、誘い方には自ずと常識がある。
だが、常識のない誘い方をする者が多い。
女の子の方にだって、誘われ方というものがある。
デートに誘う以前に、それなりの人間関係を構築しておかなければならないはずだ。
単に可愛いからという理由で、いきなりデートに誘う男は、有るべき常識がない馬鹿だし、馬鹿な男に誘われないのは女の有るべき常識だ。
ところが今や、性的魅力があるからというだけの理由で、自分の生徒の少女に求愛する雄の教師や、少女をナンパするいい年のオッサンがよくいると思う。

人間は愚昧に陥り易いので、有るべき常識を身につけるのは難しい面もあるのだろう。
それで、昔の賢い人、あるいは神は、「これだけは守れよ」という掟を示すことがあった。
その最も有名なものが「モーセの十戒」ではないかと思う。
十戒は、Wikipediaから引用すると、

□主が唯一の神であること
□偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
□神の名をみだりに唱えてはならないこと
□安息日を守ること
□父母を敬うこと
□殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
□姦淫をしてはいけないこと
□盗んではいけないこと
□偽証してはいけないこと
□隣人の家をむさぼってはいけないこと

であるが、最初の4つは、宗教的で、必ずしも誰にでも当てはまるものではないと思う。
だが、後の6つは正しい。
そりゃ、他にも、「暴力はいけない」とか、「歩きスマホはいけない」といった、必ず正しいことはあるのだが、この6つも守れない者は、どんな良いことも出来ないので、「まずはこれだけ」と思っても良いだろう。
また、「敬う価値のない父母」ってのも確かにいるかもしれないが、そんな父母には、害を為さないこと、あるいは、本当に困っている時に見捨てないことが「敬う」に該当し、それで十戒を守っていることになるのだと思う。無理に崇め奉る必要はない。

でも、こんなことを、理屈で考えていると混乱し、非常にややこしく感じる。
それで、アメリカの作家カート・ヴォネガットは、
「私が知る限り、地球上の掟はたった1つ。人に優しくしろ」
と言ったものだ。
これも、理屈で考えると、「泥棒に優しくしなければならないのか?」とか、「どうしても必要なものまで親切に人にあげないといけないのか?」といった反論になる。
理屈では、グリムの『星の銀貨』に登場する、パンも服も、さらには、下着まで、欲しがる人にあげてしまった、あの信心深い少女は、ただの馬鹿ということになるかもしれない。
しかし、理屈と感情を使い分けることが出来るのが賢い人間だ。
ところが今は、最低限の知恵もない馬鹿が多いのが問題なのだ。
最低限の知恵がなければ極端論に陥るが、極端に走る者があまりに多いように思える。
「恋はリバティー(自由)」だ。だから、不倫OK、オッサンやオバサンが美少女や美少年を求めるのもOKだなんてね。
極端論を避ける知恵だけは持ちたいものである。
そのためには、親切にされたらお礼を言うが初めで、次に、恩を忘れないことだ・・・と言って、そう外れてはいないと思う。
なぜなら、これが一番簡単で、有るべき常識と思えるからである。









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IQ200の問題

ダスキンの経営理念に、「損と得とあらば損の道をゆくこと」というのがあると知った時は感激したが、ダスキンのWebサイトで確かめたら、そこのところは、

自分に対しては
損と得とあらば損の道をゆくこと

とあり、昔は釈然としなかったが、今なら、笑ってしまう。
「自分に対しては」は、いかにも取ってつけた感じだが、切実な理由があるのだろう。
「自分に対しては」が無いと、例えば、ある交渉事をした社員に、その上司が、「取り引きはだうだった?」と尋ねると、その社員は、穢れなき平和な笑顔で、
「はい!バッチリ損をしてきました」
と言いかねない。
そんなIQの低い社員がいることを知っている・・・あるいは、思い知らされたのかもしれない。
しかし、よほどIQが高い社員でなければ、そんな経営理念の真意など理解出来るはずがないのだから、とっとと引っ込めれば良いと私は思う。

あなたは、「損と得とあらば損の道をゆくこと」とは、どういうことか分かるだろうか?

上に上げた馬鹿社員ほどひどくはなくても、こんな人が多いと思う。
「それは、損して得取れってことですよね?」
「『情けは人の為ならず』の本当の意味のことですよね?他人に情けをかけると、巡り巡って、自分に帰ってくるのですよね?でも本当かなあ」
まあ、今は、これが平均・・・つまり、IQ100なのかもしれない。
だが、未来においては、あるいは、ひょっとしたら、100年前の日本では、そんなのはIQ80かもしれない。

では、これも似ているが、どうだろう?

ピッツバーグ出身の若者、ジョーがやって来て、不安そうにこう言った。「ぼくたち、大丈夫ですよね」
「若者よ、この地球へようこそ」わたしは答えた。「夏は暑く、冬は寒い。地球は丸く、水も人間も豊富だ。ジョー、ここでの寿命はたかだか百年くらいじゃないか。わたしが知っている決まりはたったひとつだ。ジョー、人にやさしくしろ!」
~『国のない男』(カート・ヴォネガット著。NHK出版)115~116頁より~

なぜ、人に親切にしなくてはならないのだろう?
「その方が気持ちいいからだと思います」
という答は、小学生までなら、許しても良いかもしれない。
だが、今は、小学生並の大人が多い。

では、最後の極めつけだ。

そのころ私は、自分のできる限り、素晴らしい人たちを助ける力を与えて下さい、と神に祈ったのである。
~『ドクター・ハマー』(アーマンド・ハマー著。ダイヤモンド社)より~

「そのころ」とは、アーマンド・ハマーが幼い時のことで、ハマーは生涯を通じてずっと(おそらく、執筆時点の88歳の時も)、その誓いに導かれたのだと言う。
こういう子供をIQ200と言うのだろうし、実際、そうなるのである。

善意を持つ、親切にする、優しくする・・・ということをすれば、自分は必ず損をする。
あえて、そうしながら、自分もちゃんとやっていく。
それだけが、人間に与えられた、知恵を得、本当のIQを高める唯一の方法なのである。









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