私はちょっと昔のことしか知らないが、若い人達を中心に、イチローさんや中田英寿さんや本田圭佑さんのようになりたいと思っていた(いる)人が多かったと思う。
しかし、今は、なれるものならなりたいとしたら、それは米津玄師(よねづけんし)さんではないかと思う。
私は、神様が「イチローと替えてやる」と言ってくれても断っただろうが、そんな私でも、米津玄師ならなりたいと思う。
無論、本人の苦労とかは全く考えずに・・・という話なのは言うまでもないが。
年末のNHK紅白歌合戦は、特に古い歌手は出たくて仕方がなく、そのためには何でもするらしいが、米津玄師さんは逆に、NHKがどんなことをしてでも出てもらおうとしたのだから(結局、昨年は出なかったが)、まさに絶対的存在である。
以前は、宇多田ヒカルさんもそんなことがあったが、米津さんほど、「出ない。理由は特にない」という雰囲気ではなかったと思う。
つまり、誰に対しても好き勝手出来るだけの強さがあることに誰しも憧れるだろうし、しかも、それでいて、米津さんは、大人しくて横暴さをまるで感じない。
もちろん、私は米津さんのことは実際は全く知らないので、テレビでたまたまインタビューを見たり、『ROCKIN'ON JAPAN 2013年11月号』での、じんさんとの対談を読んだ感じでそう思っただけである。ちなみに、私は米津さんと同い年のじんさんの天才振りは米津さんに優るとも劣らないと思っている。
で、これも何かでチラと見ただけだが、イメージに合うこととして、米津さんは、パソコンに向かって黙々と曲を作るのが好きな仙人みたいな人・・・これを俗っぽく言えば、オタクなんだと思う。
随分前から、オタクの時代と言われ、チームラボ(デジタルアートで有名なテクノロジー企業)は以前、社員募集条件の第一に「オタクであること」というのがあったのを覚えているが、チームラボ社長の、やはり天才、猪子寿之さんがオタクを求めるところにも、オタクこそ人類の理想形(の1つ)であることが分かるのである。
1997年に、当時既に「オタキング」と呼ばれていたかどうかは知らないが、東大教養学部で講師もしていた岡田斗司夫さんが『東大オタク学講座』という本を書かれていたのが、まさに、「オタクの時代」と言われてしばらくのことで、当時、マイクロソフトのCEOだったビル・ゲイツが世界的オタク(彼はパソコンオタク)の代表だった。
当時のことであるが、 岡田斗司夫さんは、その本で、「ファンは、ただ対象が好き」「マニアは、好きな対象に関するグッズ集めに精を出す」ようなことを書かれていて、では、オタクとは何かと言うと、「対象と自己のバックグラウンドレベルで関わる」みたいな定義をしておられ、当時としては新鮮であった。
まさに、ビル・ゲイツはパソコンとバックグラウンドレベル(生い立ちが関わる信念)で関わり、米津玄師さんは音楽とバックグラウンドレベルで関わっているのだろう。
だから、まあ人にもよるが、特に若い人は、米津玄師さんの雰囲気を見て良いと感じたら、何かのオタクになるのが良い。
しかし、全教科万遍なく頭に詰め込まされる学校というのは、オタクを否定する場所であるが、スポーツや音楽だけでなく、学問の世界でも、人類を前に進めるのは、間違いなくオタクであり、日本の学校にいる限り、世界的リーダーになるのは極めて難しい。
脳科学者の茂木健一郎さんの話で、完全に本当かどうかはちょっと疑わしいとは思っているが、ビル・ゲイツが高校生の時、担任教師がゲイツに「お前はプログラミングだけしてろ。そしたら、卒業単位は俺がちゃんとやるから」と言ったらしいが、そんな学校なら行っても構わないだろう。
何にしろ、オタクになることだ。
つまり、三度のメシより好きな何かをやることで、格闘家で子供の時からケンカオタクだった堀部正史さんによれば、誰でも、そんなものが1つはあるはずだと言うが、全く同意である。
しかし、今は、なれるものならなりたいとしたら、それは米津玄師(よねづけんし)さんではないかと思う。
私は、神様が「イチローと替えてやる」と言ってくれても断っただろうが、そんな私でも、米津玄師ならなりたいと思う。
無論、本人の苦労とかは全く考えずに・・・という話なのは言うまでもないが。
年末のNHK紅白歌合戦は、特に古い歌手は出たくて仕方がなく、そのためには何でもするらしいが、米津玄師さんは逆に、NHKがどんなことをしてでも出てもらおうとしたのだから(結局、昨年は出なかったが)、まさに絶対的存在である。
以前は、宇多田ヒカルさんもそんなことがあったが、米津さんほど、「出ない。理由は特にない」という雰囲気ではなかったと思う。
つまり、誰に対しても好き勝手出来るだけの強さがあることに誰しも憧れるだろうし、しかも、それでいて、米津さんは、大人しくて横暴さをまるで感じない。
もちろん、私は米津さんのことは実際は全く知らないので、テレビでたまたまインタビューを見たり、『ROCKIN'ON JAPAN 2013年11月号』での、じんさんとの対談を読んだ感じでそう思っただけである。ちなみに、私は米津さんと同い年のじんさんの天才振りは米津さんに優るとも劣らないと思っている。
で、これも何かでチラと見ただけだが、イメージに合うこととして、米津さんは、パソコンに向かって黙々と曲を作るのが好きな仙人みたいな人・・・これを俗っぽく言えば、オタクなんだと思う。
随分前から、オタクの時代と言われ、チームラボ(デジタルアートで有名なテクノロジー企業)は以前、社員募集条件の第一に「オタクであること」というのがあったのを覚えているが、チームラボ社長の、やはり天才、猪子寿之さんがオタクを求めるところにも、オタクこそ人類の理想形(の1つ)であることが分かるのである。
1997年に、当時既に「オタキング」と呼ばれていたかどうかは知らないが、東大教養学部で講師もしていた岡田斗司夫さんが『東大オタク学講座』という本を書かれていたのが、まさに、「オタクの時代」と言われてしばらくのことで、当時、マイクロソフトのCEOだったビル・ゲイツが世界的オタク(彼はパソコンオタク)の代表だった。
当時のことであるが、 岡田斗司夫さんは、その本で、「ファンは、ただ対象が好き」「マニアは、好きな対象に関するグッズ集めに精を出す」ようなことを書かれていて、では、オタクとは何かと言うと、「対象と自己のバックグラウンドレベルで関わる」みたいな定義をしておられ、当時としては新鮮であった。
まさに、ビル・ゲイツはパソコンとバックグラウンドレベル(生い立ちが関わる信念)で関わり、米津玄師さんは音楽とバックグラウンドレベルで関わっているのだろう。
だから、まあ人にもよるが、特に若い人は、米津玄師さんの雰囲気を見て良いと感じたら、何かのオタクになるのが良い。
しかし、全教科万遍なく頭に詰め込まされる学校というのは、オタクを否定する場所であるが、スポーツや音楽だけでなく、学問の世界でも、人類を前に進めるのは、間違いなくオタクであり、日本の学校にいる限り、世界的リーダーになるのは極めて難しい。
脳科学者の茂木健一郎さんの話で、完全に本当かどうかはちょっと疑わしいとは思っているが、ビル・ゲイツが高校生の時、担任教師がゲイツに「お前はプログラミングだけしてろ。そしたら、卒業単位は俺がちゃんとやるから」と言ったらしいが、そんな学校なら行っても構わないだろう。
何にしろ、オタクになることだ。
つまり、三度のメシより好きな何かをやることで、格闘家で子供の時からケンカオタクだった堀部正史さんによれば、誰でも、そんなものが1つはあるはずだと言うが、全く同意である。