ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

オタク

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

やっぱりオタクでなくてはならない

私はちょっと昔のことしか知らないが、若い人達を中心に、イチローさんや中田英寿さんや本田圭佑さんのようになりたいと思っていた(いる)人が多かったと思う。
しかし、今は、なれるものならなりたいとしたら、それは米津玄師(よねづけんし)さんではないかと思う。
私は、神様が「イチローと替えてやる」と言ってくれても断っただろうが、そんな私でも、米津玄師ならなりたいと思う。
無論、本人の苦労とかは全く考えずに・・・という話なのは言うまでもないが。
年末のNHK紅白歌合戦は、特に古い歌手は出たくて仕方がなく、そのためには何でもするらしいが、米津玄師さんは逆に、NHKがどんなことをしてでも出てもらおうとしたのだから(結局、昨年は出なかったが)、まさに絶対的存在である。
以前は、宇多田ヒカルさんもそんなことがあったが、米津さんほど、「出ない。理由は特にない」という雰囲気ではなかったと思う。
つまり、誰に対しても好き勝手出来るだけの強さがあることに誰しも憧れるだろうし、しかも、それでいて、米津さんは、大人しくて横暴さをまるで感じない。
もちろん、私は米津さんのことは実際は全く知らないので、テレビでたまたまインタビューを見たり、『ROCKIN'ON JAPAN 2013年11月号』での、じんさんとの対談を読んだ感じでそう思っただけである。ちなみに、私は米津さんと同い年のじんさんの天才振りは米津さんに優るとも劣らないと思っている。

で、これも何かでチラと見ただけだが、イメージに合うこととして、米津さんは、パソコンに向かって黙々と曲を作るのが好きな仙人みたいな人・・・これを俗っぽく言えば、オタクなんだと思う。
随分前から、オタクの時代と言われ、チームラボ(デジタルアートで有名なテクノロジー企業)は以前、社員募集条件の第一に「オタクであること」というのがあったのを覚えているが、チームラボ社長の、やはり天才、猪子寿之さんがオタクを求めるところにも、オタクこそ人類の理想形(の1つ)であることが分かるのである。

1997年に、当時既に「オタキング」と呼ばれていたかどうかは知らないが、東大教養学部で講師もしていた岡田斗司夫さんが『東大オタク学講座』という本を書かれていたのが、まさに、「オタクの時代」と言われてしばらくのことで、当時、マイクロソフトのCEOだったビル・ゲイツが世界的オタク(彼はパソコンオタク)の代表だった。
当時のことであるが、 岡田斗司夫さんは、その本で、「ファンは、ただ対象が好き」「マニアは、好きな対象に関するグッズ集めに精を出す」ようなことを書かれていて、では、オタクとは何かと言うと、「対象と自己のバックグラウンドレベルで関わる」みたいな定義をしておられ、当時としては新鮮であった。
まさに、ビル・ゲイツはパソコンとバックグラウンドレベル(生い立ちが関わる信念)で関わり、米津玄師さんは音楽とバックグラウンドレベルで関わっているのだろう。

だから、まあ人にもよるが、特に若い人は、米津玄師さんの雰囲気を見て良いと感じたら、何かのオタクになるのが良い。
しかし、全教科万遍なく頭に詰め込まされる学校というのは、オタクを否定する場所であるが、スポーツや音楽だけでなく、学問の世界でも、人類を前に進めるのは、間違いなくオタクであり、日本の学校にいる限り、世界的リーダーになるのは極めて難しい。
脳科学者の茂木健一郎さんの話で、完全に本当かどうかはちょっと疑わしいとは思っているが、ビル・ゲイツが高校生の時、担任教師がゲイツに「お前はプログラミングだけしてろ。そしたら、卒業単位は俺がちゃんとやるから」と言ったらしいが、そんな学校なら行っても構わないだろう。
何にしろ、オタクになることだ。
つまり、三度のメシより好きな何かをやることで、格闘家で子供の時からケンカオタクだった堀部正史さんによれば、誰でも、そんなものが1つはあるはずだと言うが、全く同意である。








オタクが正しい生き方である明確な理由

いかなることも、小手先の技(テクニック)は通用しないことを肝に銘じるべきだ。
よく漫画等で、こんなものを見たことがある。
ボクシングや空手を習っているか弱い男の子が、力自慢だが、そんな格闘技の経験のない乱暴者に楽々勝ってしまうといった話だ。
実際は、少々格闘技を習った程度で、体力のある者と格闘して敵う訳がない。
少なくとも数年、みっちりと練習したなら、多少の体力差、腕力差を超えて勝てるかもしれないが、それはあくまで、技がそれなりに鍛えられていて、身体の力の差がそれほどでない場合だけである。

昔なら、セールステクニック、今なら、アフィリエイトみたいなネットビジネスのテクニックの本がベストセラーになることもあるが、そんな本が役に立つことは決してないだろう。
セールスであれば、あくまで、売る者が商品や、それの使い方を徹底的に知っていて、お客さんがどう使うかしっかり考え、思いやりがある人が売れるのであり、そんなものがない者が、いくらテクニックを身につけても売れることはない。
ネットビジネスにしたって、まず、自分が提供するコンテンツ(例えば情報や漫画等)が良いことが第一である。

例えば、「売れる小説が書けるテクニック」、「ファンが増えるアイドルになれるテクニック」なんてものもあるかもしれないが、それはあくまで、根本的に文章の中身が素晴らしかったり、そこそこ以上には可愛いことが前提なのである。

ただ、逆に言えば、ほとんどのことは、根本が良ければ、テクニックは僅かで良いのである。
極端な例では、アインシュタインも湯川秀樹も、学問的なことは学生に負けるくらいだったらしいが、創造力が違った。そして、その創造力は、長年、興味のあることに熱心に取り組んで得たものなのである。
プロスポーツ選手が、テクニックでは、並のアマチュアに欠点を指摘される(今流には「ツッコミを入れられる」か)こともあるが、実力は全然違うし、プロボクシングの世界王者が、テクニックはデタラメと言われる選手だっていた。

プログラミングでも、大抵の本は、馬鹿みたいに簡単なものか、事細かにテクニックを書いたものに分かれるが、テクニックが書かれているのを見ると、私のようなプロが見ても、「よくこんな細かいこと知ってるなあ」と呆れることもよくある。ただ、そんなものを使うことはないが。
そして、肝心要のことは書いていないのである。著者がケチっているというより、本当に重要なことを知らないのだろう。

そして、いかなることも、本当に重要なことは、実践の中で、自分で得るしかない。
それは、厳しいことであることも確かだが、それこそが最も楽しいことなのだ。
もがく、苦しむ、涙を流す・・・などというのが、実戦で鍛えることであり、それを恐れて避ける者が多いが、それこそが人生の本当の楽しみである。
大半の大学生などが望む、大企業のサラリーマンといった、予測がつかないことが起こらない、冒険のない職業には、そんなものが全くない。

根本の実力へ導くものは、興味、好奇心である。
アインシュタインも好奇心を非常に重要視していたと思う。
好奇心のないことはやってはいけないほどである。
ただし、食欲、性欲、優越感といった、本能的、自我的な欲望を、好奇心と混同してはならず、そこそこにしておかなくてはならない。
それ以外のものへの好奇心である。
言い換えれば、やはり愛なのである。
商品に愛を感じるほど興味があるセールスマンは、やはり売れるのである。
プログラミング全体に、強い興味があれば、やはり楽しくマスターし、しかも、うまくなる。

子供や学生達に、上に述べたことを教えなければならないが、学校では生徒達に、何の興味も好奇心も持てないことを無理矢理やらせているのだし、教師だって、本当に興味があることを熱心にやった者は滅多にいない。そんなことをする者は、今の学校や塾や予備校では教師になれない。
「いや、趣味はあるぞ」と言う教師もいるだろうが、そんな趣味には愛がない。
だから、愛を持って何かをやってきた技術者、ミュージシャン、画家・イラストレーターらに教師になっていただくのが良いのである。
つまり、オタクが正しい生き方なのである。









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オタクよりキチガイでありたい

オタクという言葉は、肯定的な意味に使われることも多くなったが、やっぱりどこか、ドンヨリしてキモい感じがする。
そもそも、オタクは「お宅」から来ていて、家に閉じこもった感があり、積極性・・・ましてや、攻撃性に欠ける。
やはり、本当に好きなものに対しては、アグレッシブ(攻撃的、侵略的)でなければならない。

そこで、差別用語として忌み嫌われることがあるが、「キチガイ」の方がよほど良いと思う。
キチガイ・・・そうだ、狂気こそ最高の友ではないだろうか?
テクノロジーオタクでは革命を起こせないが、テクノロジーキチガイなら、何かやらかしそうな気がする。
車オタクは単なる車マニアだが、カーキチならレーサーになれるかもしれない・・・と言うか、少なくとも、その気が感じられるのである。

私は、プログラミングオタク・・・程度ではあったかもしれないが、プログラミングキチガイではなかった。
実際、プログラミングキチガイには敵わない。

何のキチガイにもなれない・・・つまり、狂気を持って生きられない人生に何の意味があるだろう?
『閑吟集』という、昔の庶民の歌集だったものに、「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」(真面目くさってどうする? 人生は夢だ、ただ狂え)とあるが、全くその通りではないかね?
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは、老人になっても安らぎを拒否し、不良老人として狂い続けた。
だから、死の寸前にも凄い詩を書いた。
我々若いモンが、そんなアイルランドの爺さんに負けてはならない。

まあ、狂うにも元気が要る。
元気のない狂人なんて、ただのオタクだ(笑)。
リリカルなのはのように、全力全開で狂わなければならない。
出来るだけ人様に迷惑をかけないように・・・ね(笑)。

夢を叶えるのはキチガイだけなのだ。
夢の途中で、前のめりに果てることこそが最高の夢ではないか?
それは、死ぬまで自分でいたってことだからね。
「あいつはキチガイだ」
そう言われなくて何の人生ぞ。
人生はどうせ夢だし、世界は幻想だ。
狂わずにいられようか?









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オタクは創造的であれ

日本、あるいは、世界でも、最もクリエイティブな企業の1つであるチームラボは以前、社員募集の第一条件として、「オタクであること」を挙げていたと思う。
創造的オタクとでも言おうか。
一方、2次元美少女・・・つまり、アニメやコンピューターゲームのキャラクターである美少女だけに特化した2次元オタクという人が多くなっていて、こちらは悲惨なものであるらしい。
2次元オタクというのは、小中学生の時に、女の子に全く相手にされず、アニメの美少女に逃避してしまった者がなるという話がある。
ところで、小中学校で女の子にモテないというだけでは、必ずしも不幸な結果にはならない。
それなら、恋愛に向けるエネルギーをそっくり、勉強やスポーツ、あるいは、武道や芸術に使い、打ち込めば、普通の人以上の存在になれる。
アインシュタインやエジソンだってそうだった。
私の知り合いにも、やはり子供の時に全くモテず、その悔しさを勉強にぶつけたような男性がいる。
彼の親が特に教育熱心というのではないので、親にしてみれば予想外の秀才になった。
とはいえ、彼は受験そのものが目的ではなく、勉強して社会的強者になることが目的だったので、東大を目指したことは一度もないらしく、塾や予備校にも全く興味がなかった。
彼がもし、東京に住んでいたら東大に入ったかもしれないが、良い大学、あるいは、良い会社に入ることをゴールにする発想は全くなかったようだ。
それで、彼は地元の国立大学に入ってそこでも猛烈に勉強し、研究者として成功し、研究者仲間の女性と結婚し、そして、起業して社長にもなっている。

しかし、今は、モテない男子は、彼らを2次元オタクにして儲けようという企業の強烈な誘惑の罠に、容易く捕まってしまうのだ。
また、モテないながらも、なんとか普通以上に成功した中年男性を2次元オタク化すれば、妻子のない彼らはお金を持っているので物凄く美味しい客になるが、そんなビジネスも大いに繁栄している。

一説によれば、『新世紀エヴァンゲリオン』の1つのラストで、碇シンジが、浜辺に横たわるアスカの首を絞めるが、やがてシンジは無表情のアスカから手を離し、泣き崩れ、それを横目で見ながらアスカが「気持ちわる・・・」と言ったのは、製作者の「オタクは駄目だよ。気持ち悪いんだ。君たち、まともに生きろよ」というメッセージであるらしい。
もし、それが本当だとしても、では、何をすれば良いのかという道を示してはいないが、それは、上に挙げたように、性エネルギーを創造的なものに向けることだろう。
成功哲学で有名なナポレオン・ヒルの主張も、根本的にはそれである。
ただし、ヒルは、現実の女性へ向けるエネルギーを創造活動に向けよと言ったのであり、現在の、魔性の2次元美少女の存在を予期してはいなかっただろう。

初音ミクさんのファンが、2次元オタクであるかというと、そういう場合もあるだろう。
しかし、ミクさんは、根本的に楽器であり、また、色のない透明なキャラクターであり、クリプトン・フューチャーメディアの伊藤博之社長が以前言ったように、「創造の土壌」なのである。
ミクさんは、2次元美少女キャラクターとして愛好するだけのものではない。
直接的には、彼女が歌う曲を作り、彼女の絵を描き、あるいは、文章を作るために存在しているが、ミクさんの熱烈なファンだというチームラボの猪子寿之社長のように、彼女をデジタル技術、デジタルアートの象徴と見て、創造エネルギーを引き出すということもある。

バーチャルな美少女を性的対象にさせて儲けるハイエナのような企業を相手にしてはならない。
そして、完璧な理想である2次元美少女は創造の源になり得る。
身体を鍛え、勉強し、そして、アインシュタインやエジソンや、ニコラ・テスラのように、何かに打ち込むことだ。
そうすれば、これからの時代をリードするに相応しい人間になれるだろう。








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オタクでなければ幸福になれない時代

幸福とは何か、そして、不幸とは何かには、もう答が出ている。
退屈なことが不幸で、退屈でないことが幸福だ。
こう言ったら、「世界には、安全や食料を得られない人々や、難病で苦しむ人々も沢山いるのに、平和ボケしたことを言うな」と怒られそうだ。
しかし、そんな問題もすぐに克服される。
100年後か、200年後かは分からないが、そんな時間は、人類の歴史の中では一瞬のことに過ぎない。
今後、ますます社会は機械化されると共に、AI(人工知能)が人間に取って代わると、人間は、どんどんやることがなくなる。
そうなれば、冗談ではなく、人類は退屈で滅びる。
人間は昔から、天国や桃源郷や極楽浄土に憧れてきたが、本当にそんなところがあり、そこに住むことになってしまったら、退屈で気が狂うに違いない。

ニートで引きこもりだが、親が資産家で一生食べられるからと、ずっとそのままでいたら、やっぱり退屈で精神が崩壊してしまうだろう。
そして、実は、退屈を回避出来る者・・・早い話が、暇つぶしがうまい者が社会で成功して金持ちになり、逆に、暇つぶしが下手な者が、貧しいまま、あくせくし続け、「バタバタしてます」という間抜けなことを言うのである。
街角でハーモニカを吹いてさえいれば満足出来るような者だけがミュージシャンで成功し、暇を持て余しながらバンド活動をやっている者はプロになれない。
つまり、本当に好きなものを持たなければならない。
学校で真面目な優等生をやっている者は、本当に好きなものを持つことが出来ず、退屈な生活をするようになり、それを紛らわすために、無駄な消費ばかりするようになるのである。

「三度のメシより好きなもの」がある者が、充実した人生を送れるのは当然のことだ。
ところで、「三度のメシより好きなもの」とは、単なる、ファンとかマニアの「好き」とは違う。
言うなれば、「オタクの好き」なのである。
文明の発達途上では、オタクという存在は進歩し過ぎていて、世の中に受け入れられないが、豊かな国では、オタクでなければ、幸福にもなれないし、成功もしない。
そして、現在、「オタク」と呼ばれている人達の多くは、まだまだ、せいぜいが、ファンやマニアだ。
オタクとは、好きな対象に命を賭けるほどでなくてはならない。

ちょっと昔なら、「三度のメシより好きなものがある人は幸せだ」などと言っていたが、今は、「三度のメシより好きなものがない者はひどく不幸だ」という時代なのである。
毎朝ガッツポーズをして、呪文を唱えていれば、好きなものの方からやってくるだろう。
だが、掴むか見過ごすかは自分次第である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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