心の深奥にまで届く暗示というものは、確かに効果がある。
催眠術で、通常の意識(顕在意識)が退き、無意識と接触した時に、催眠術師が暗示を与えると、催眠術にかけられた者は、異常な怪力を発揮したり、全く(あるいはほとんど)痛みを感じなかったり、逆に、ありもしない痛みや熱を感じさせることもできる。
私も自分でやってみたり、目の前で見たこともあるが、腕に針を刺しても痛くなく、血も出ないし、ライターであぶっても熱くなかった。
このように顕在意識が弱くなった状態を、トランス(変性意識状態)と呼ぶことがあるが、この状態で暗示を受けて病気が治ったり、怪我の症状が消えたり、弱まったりすることすらある。
魔法を使って治しているとまで言われた有能な精神科医のミルトン・エリクソンは、患者をトランスに入れる達人だった。また、彼は、自分自身も簡単にトランスにし、神秘的とも思われる能力を発揮して、誰も治せない精神病を瞬時に治してしまうことがあった。
また、エリクソンは、病気治療だけではなく、例えば、手のつけられない不良高校生と一言二言会話しただけで瞬間的に更正させてしまうこともあった。彼の娘は高校教師だったが、やはり、自分を殴りに来た巨漢の不良男子高校生(彼は前の担任は既に病院送りにしていた)を瞬時に自分の忠実な僕(しもべ)にしてしまった。また、彼女は、非常に小柄で美人でもなかったが、高校生時代、学園のヒーローを、予告の上、一言二言の会話で簡単に虜にしてしまったこともあった。
顕在意識の活動が弱まっている時の暗示が効果的に働くことは、確かに本当だろう。
しかし、普通の目覚めている状態では、顕在意識は暗示に反発して荒れ狂い、結果、潜在意識への通路は断たれて暗示は伝わらず、暗示の効果は発揮されない。
そのため、顕在意識を静かにする方法がいろいろ考案されているが、どれもあまりうまくいかない。
「病気を治したい」「腰痛を消したい」「積極的な性格になりたい」「人前でも上がらないようになりたい」などと思って、せいぜい心を静かにしたつもりで、「私はもう人前で上がらない」と暗示をかけると、その時はもう顕在意識がしっかりと前面に出ている。
アメリカでは、セールスマンに、鏡の中の自分を見ながら、「お前は偉大なセールスマンだ。今日は物凄く売れる」と暗示をかけさせることが流行ったらしいが、ほとんどの場合、うまくいかなかった。まずは、トランスに入る技術が必要なのだ。それは、容易なことじゃあない。
顕在意識は自我と言ってよく、それは欲望で出来ているようなものだ。
欲の想いのあるところ、自我が現れ、願いを叶える無意識(潜在意識)への扉の前に立ち塞がるのだ。
そこで、フランスの心理学者エミール・クーエは、自我が抵抗しない方法をうまく考えた。
それは、欲望を感じない暗示を利用することだ。
「毎日、私は、あらゆる面でますます良くなっていく」
という彼の暗示であれば、具体的なことが言われない分、欲望の自我が反応しない。そして、無意識はあらゆる面を良くするのである。
実際、クーエは、主に病気治療でおそるべき成果を上げた。自分で歩くこともできず、彼の治療院に担ぎ込まれた患者が、10分後には元気に走り回っていることなど、ごく当たり前だった。
この暗示は、そのように自我の反発が無いのだが、それでも、自我意識の弱い、寝入り端と寝起きに実施することが勧められている。
ただ、クーエの自己暗示には注意すべきことがある。
彼の暗示は、フランス語でリズム感のある言い方を慎重に考えた末にできたものだ。
後に、英語版を作る時も、彼が協力して、リズム感を重視した言い回しとなるよう努力した。
しかし、日本語の、「毎日、私は、あらゆる面でますます良くなっていく」なんて、全く駄目だ。センスがないってやつだ。どこにもリズムがなく、つっかえてしまう。
そもそも、英語やフランス語は表音原語と言って、音が重視されたもので、もともとリズム感があるのだ。
日本語は、世界でも珍しい表意言語だ。
私は、日本語は、自己暗示に向かないと思う。
それよりも、私が普段お奨めしている腕振り運動を淡々と繰り返せば、顕在意識(自我)は退くのだから、その時に、願い事が成った様子をイメージすれば良い。
だが、そんな時でも、過ぎた欲をかくと、たちまち悪魔(自我)が復活し、神(無意識)への道は消えてしまう。
しかし、願望が悪いということはない。
ただ、間違った願望を持つなということだ。
ジョセフ・マーフィーの成功法則も、暗示を利用するが、マーフィーは、女優になりたいという女性に、その願望に正当性がないことを指摘し、正しい目標を持つよう諭した。彼女のその夢は、本当のものではなく、単に幼い空想だと簡単に分かったからだ。
過ぎた収入を望んだり、見栄や欲望のために、格好の良い彼氏や可愛い彼女を欲しいと思っても、欲望の自我が出しゃばるだけで、何も良いことは起こらない。我々は、まず、精神的に向上しなければならない。
マーフィーの本を読む時は、そのようなことも含めて学ぶつもりで読めば、必ず望みは叶うのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
催眠術で、通常の意識(顕在意識)が退き、無意識と接触した時に、催眠術師が暗示を与えると、催眠術にかけられた者は、異常な怪力を発揮したり、全く(あるいはほとんど)痛みを感じなかったり、逆に、ありもしない痛みや熱を感じさせることもできる。
私も自分でやってみたり、目の前で見たこともあるが、腕に針を刺しても痛くなく、血も出ないし、ライターであぶっても熱くなかった。
このように顕在意識が弱くなった状態を、トランス(変性意識状態)と呼ぶことがあるが、この状態で暗示を受けて病気が治ったり、怪我の症状が消えたり、弱まったりすることすらある。
魔法を使って治しているとまで言われた有能な精神科医のミルトン・エリクソンは、患者をトランスに入れる達人だった。また、彼は、自分自身も簡単にトランスにし、神秘的とも思われる能力を発揮して、誰も治せない精神病を瞬時に治してしまうことがあった。
また、エリクソンは、病気治療だけではなく、例えば、手のつけられない不良高校生と一言二言会話しただけで瞬間的に更正させてしまうこともあった。彼の娘は高校教師だったが、やはり、自分を殴りに来た巨漢の不良男子高校生(彼は前の担任は既に病院送りにしていた)を瞬時に自分の忠実な僕(しもべ)にしてしまった。また、彼女は、非常に小柄で美人でもなかったが、高校生時代、学園のヒーローを、予告の上、一言二言の会話で簡単に虜にしてしまったこともあった。
顕在意識の活動が弱まっている時の暗示が効果的に働くことは、確かに本当だろう。
しかし、普通の目覚めている状態では、顕在意識は暗示に反発して荒れ狂い、結果、潜在意識への通路は断たれて暗示は伝わらず、暗示の効果は発揮されない。
そのため、顕在意識を静かにする方法がいろいろ考案されているが、どれもあまりうまくいかない。
「病気を治したい」「腰痛を消したい」「積極的な性格になりたい」「人前でも上がらないようになりたい」などと思って、せいぜい心を静かにしたつもりで、「私はもう人前で上がらない」と暗示をかけると、その時はもう顕在意識がしっかりと前面に出ている。
アメリカでは、セールスマンに、鏡の中の自分を見ながら、「お前は偉大なセールスマンだ。今日は物凄く売れる」と暗示をかけさせることが流行ったらしいが、ほとんどの場合、うまくいかなかった。まずは、トランスに入る技術が必要なのだ。それは、容易なことじゃあない。
顕在意識は自我と言ってよく、それは欲望で出来ているようなものだ。
欲の想いのあるところ、自我が現れ、願いを叶える無意識(潜在意識)への扉の前に立ち塞がるのだ。
そこで、フランスの心理学者エミール・クーエは、自我が抵抗しない方法をうまく考えた。
それは、欲望を感じない暗示を利用することだ。
「毎日、私は、あらゆる面でますます良くなっていく」
という彼の暗示であれば、具体的なことが言われない分、欲望の自我が反応しない。そして、無意識はあらゆる面を良くするのである。
実際、クーエは、主に病気治療でおそるべき成果を上げた。自分で歩くこともできず、彼の治療院に担ぎ込まれた患者が、10分後には元気に走り回っていることなど、ごく当たり前だった。
この暗示は、そのように自我の反発が無いのだが、それでも、自我意識の弱い、寝入り端と寝起きに実施することが勧められている。
ただ、クーエの自己暗示には注意すべきことがある。
彼の暗示は、フランス語でリズム感のある言い方を慎重に考えた末にできたものだ。
後に、英語版を作る時も、彼が協力して、リズム感を重視した言い回しとなるよう努力した。
しかし、日本語の、「毎日、私は、あらゆる面でますます良くなっていく」なんて、全く駄目だ。センスがないってやつだ。どこにもリズムがなく、つっかえてしまう。
そもそも、英語やフランス語は表音原語と言って、音が重視されたもので、もともとリズム感があるのだ。
日本語は、世界でも珍しい表意言語だ。
私は、日本語は、自己暗示に向かないと思う。
それよりも、私が普段お奨めしている腕振り運動を淡々と繰り返せば、顕在意識(自我)は退くのだから、その時に、願い事が成った様子をイメージすれば良い。
だが、そんな時でも、過ぎた欲をかくと、たちまち悪魔(自我)が復活し、神(無意識)への道は消えてしまう。
しかし、願望が悪いということはない。
ただ、間違った願望を持つなということだ。
ジョセフ・マーフィーの成功法則も、暗示を利用するが、マーフィーは、女優になりたいという女性に、その願望に正当性がないことを指摘し、正しい目標を持つよう諭した。彼女のその夢は、本当のものではなく、単に幼い空想だと簡単に分かったからだ。
過ぎた収入を望んだり、見栄や欲望のために、格好の良い彼氏や可愛い彼女を欲しいと思っても、欲望の自我が出しゃばるだけで、何も良いことは起こらない。我々は、まず、精神的に向上しなければならない。
マーフィーの本を読む時は、そのようなことも含めて学ぶつもりで読めば、必ず望みは叶うのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。