ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

エメラルド・タブレット

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

運命が決まっていることは実際にあらゆる聖典に述べられている

人の一生に起こる出来事や、人が何を考え、何を言い、何をするかは、運命として、生まれる前から完全に決まっていて、決して変えられることはないということは、本物の賢者達は全てそう言ってっきたし、賢者達によって書かれた聖典にも常に書かれているのである。
だが、それを読み取れない者が多いのであるが、それは読む方の問題である。
『スーパーマン』シリーズの映画の中で、スーパーマンと同じ能力を持つ3人の悪党が登場したことがあるが、スーパーマンが人間を保護していることに対し、その3悪党は、スーパーマンは人間をペットにしているからだと思うのだが、その3悪党には、そのようにしか理解できないのだ。我々が真理を理解できないのも、同じようなものである。
イエスは、使徒と名付けた12人の高弟達に、「お前達でさえ、それほど鈍いのか」と嘆きを表していた。
そして、彼らの無明さは、福音書の中で、彼らの眠りで表されている。イエスは「私が戻るまで起きていなさい」と言って、山に入って祈ったが、戻ってみると、彼らは眠っていたのだった。

運命が完全に決定されていることを、最もはっきり述べている聖典は、『新約聖書』と『荘子』だと思う。
イエスの行動も全て、旧約聖書の中に述べられた預言者達の言葉から、全く外れることはなかった。
『荘子』も、少し注意深く読めば、かなりはっきりと述べているのだが、多少曖昧に感じるのは、後の人が手を加えたところがあるのかもしれないと思う。
だが、荘子は一貫して、この世は真宰とでもいう存在によって完全に支配されていて、人もそれに完全に従うより無いと述べている。ただし、それを受け入れ、人が浅はかな知で価値判断をすることがなくなれば、永遠の道(タオ)と一体となることができることもまた、はっきり述べているのである。

釈迦の教えとなると、元々が、釈迦自身は何も書き残しておらず、その教えは言葉で伝えられたので、当然、歪められる恐れはあった。しかし、その真意を理解できた者のみが正しい教えを書き残したのだ。
しかし、ほとんどの釈迦の教えは、学者的な僧達によって、複雑で実のないものになってしまったようでもある。
とはいえ、真の賢者達は、釈迦の教えの正しい部分を見つけることが出来るである。そして、釈迦もまた運命の絶対性は完全に認めているのである。ただ、釈迦の場合は、自由意志を持ってる自分は本当は存在しないといった言い方をしているのである。

面白いのは『バガヴァッド・ギーター』で、本当にこれを書いたのは神ではないかと思えてしまうのだ。
至高神クリシュナは全ての真理を知っているが、この書の中で教えを説く相手はアルジュナ王子で、アルジュナには聖者になる素質はないのだ。だが、だからこそ、アルジュナ同様、凡人である我々は、かたじけなくも、高い位置から降りてきてくれたクリシュナの易しい教えを聞くことが出来るのである。
クリシュナは、運命が確定されていることを、やや婉曲に(露骨でなく遠まわしに)説きはしているが、よく読めば、かなりはっきり述べているのである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、民衆を哀れみ、ほとんど直接には真理を語っていないが、結局は、天照大神に全て任せよと言い、人間の無力さをさりげなく教えていたのである。
ラマナ・マハルシは、ほとんど沈黙でもって教えたが、やはり、無知な凡人のために言葉で説く時は婉曲に説いたのであると思う。

運命がどうとかいった、些細な問題を初めから超えて、もっと根源的な真理を解いたのが『老子』や『エメラルド・タブレット』だ。これらの書は、頭で解釈しようとしても、全く意味はないものだ。
だが、読むことが無駄な訳ではない。我々の内には、我々の運命を創った至高の存在がいて、これらの書の教えはそこと同調し、いわば、我々を挟み込むのである。
それはなんとも素晴らしいことだ。













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殺してはいけないという理由はどこにも無い

一頃、「なぜ殺してはいけないのか?」ということが世間の話題になったことがあった。
子供による殺人が起こったことが発端だったような気がする。それで、文化人などから、数多くの意見があったと思うが、結論は出ていないはずだ。
出るはずがない。
問題自体が間違っている。
殺して善いも悪いも、誰にも殺せないし、殺すことを避けることもでできないからだ。
土台、殺人がなぜ悪いかを議論することが大切なのではない。
あることにより、自然な流れとして、殺人が起こりえない世界になることが大切なのだ。
その「あること」をさっぱり分かっていないし、分かろうとしないことが、今の人類の問題なのだ。

どれほど殺したくても、殺す運命になければ決して殺せないし、どれほど殺したくなくても、殺す運命であれば必ず殺してしまうのだ。
しかし、この言い方も正しくない。
殺すのではない。殺人が起こるのだ。
運命であれば、殺人は起こる。逆に、運命になければ、殺人は起こらない。
殺人者は、単なる運命の道具だ。
それは殺人に限らない。泥棒も、強盗も、詐欺も、そして、世界中を感動させるような慈善行為も同じだ。
人は、自分の思うままに、どんな善いことも悪いこともできない。

では、冷酷な殺人者に神の罰はあるのだろうか?
あるように見える場合が多い。しかし、別に罰というのではない。
神は、残虐な殺人をする運命を与えた者に、同時に悲惨な結末となる運命も与えている場合が多いかもしれない。
だが、単純に、「悪いことをすれば報いを受ける」と考えてはいけない。
神の意志によらずに何も起こらないが、神は法則を破ることもまたない。法則とは自然であり、調和に導くものである。だが、その構造や展開は複雑過ぎて、浅はかな人知で量ることはできない。
このあたりは、『エメラルド・タブレット』にも書かれているのだが、巷で凡人が書いたいい加減なものと異なり、真理が書いてあるだけに、凡人たる我々に理解できるようなものではないかもしれない。しかし、我々の内に至高の英知があるのも確かであり、それと僅かにでも共鳴させれば、その恩恵は計り知れない。

殺人とまではいかなくても、悪いことをすれば、法則から言っても、そういった者が酷い目に遭う流れとなる可能性は高い。
だが、だからといって、悪いことをしないでおこうと思ったところで、自分の意志でそう出来る訳ではない。
最近は、人ごみでも携帯電話やスマートフォンを操作しながら歩いて、人に迷惑をかけても平気な者が目立つし、歩きながら煙草を吸う者が多くなっているようにすら思う。
彼らもまた、自分の意志でそうしているのではないのだが、実を言えば、彼らには相当に哀れな運命が用意されているのである。
だが、このように、悲惨な運命の原因が単純に推測できるとは限らない。むしろ、原因が分からない場合が多い。
『荘子』の中に、あるひどく貧しい男が登場するお話がある。
その男の友人が、「あいつも、もう食うものもなく、大変だろう」と思って訪ねてみると、確かに悲惨な状況だった。
訪ねて来た友人を見て、貧しい男は言う。
「俺がなぜこんなに酷い目に遭わなければならないのか分からない。それほど悪いことをしたつもりもない。しかし、これが運命というものなんだろう」
彼はきっと、見かけはどには辛くないはずだ。運命を受け入れているからだ。

あなたもまた、ロクな状況ではないと思う。また、将来どうなるかは、神は既に細部にいたるまで、完全に決めているのだけれど、あなたには何も分からない。
だが、辛い現状も、どうなるか分からない未来も、全てただなりゆきに任せることを受容することだ。言い換えれば、全て神に任せ、世界という舞台の役者に徹することだ。
もっと良いのは、自分が操り人形であることを受け入れることだ。

荘子や、古代インドの賢者アシュターヴァクラは、真の自分とは、鏡のようなものだと言った。
そして、ラマナ・マハルシのような近代の聖者は、それ(真の自己)は映画のスクリーンのようなものだと言う。
鏡は殺人を映し、スクリーンの上で殺人が起こっているように見える。しかし、鏡やスクリーンは何の影響も受けない。

聖者にとって、殺人は非現実だ。殺す者も、殺される者もいない。
しかし、凡人たる我々には、殺人は厳然たる現実だ。運命であれば、殺すことも、殺されることも避けられない。
解放される鍵は、ただ受容だけである。









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無力感は黒い服を着た天使のようなもの

英国の作家で啓蒙家のコリン・ウィルソンの本を読むと、人間の不幸の原因が無力感であるとよく書かれていることに気付く。
自分には必要な力が無いという実感が強くなると、その人間は倦怠感、自己憐憫、自己嫌悪に陥るが、それは生命エネルギーが枯渇した状態である。つまり、生命力が欠乏しているということであるが、考えてみれば、人間に限らず、生き物という言葉が該当する存在は、生命力の高さが幸福なのだと言えば、割にぴったりくると思う。
アントニオ猪木さんがよく「元気ですか!?」と言うが、言われても困るだろう。元気な人は元気だし、そうでない人はそうでない。
ただ、誰しも元気で、生命力に溢れていたいのである。

ウィルソン流に言えば、無力感を克服するには、自分には力があるという実感が必要だということだろうが、力とは何かというと、能力と運である。
しかし、いろいろやってみて、時には努力もしたが、能力も運も得られない。
そこで、宗教や、あるいは、伝統的宗教とは異なる新思想を研究したり、成功哲学や、幸運の科学ともいえる潜在意識の法則や引き寄せの法則に熱心に取り組んでみるが、冷静になることが出来るなら、望む力は決して得られていないことが分かるのである。
江戸時代の観相(顔や身体の相で運命を鑑定する占術)家の水野南北は、「食が全て」と言い、食を慎みさえすれば、能力も幸運も得られると説き、自分があらゆる点において最低の人間であったに関わらず、富と健康と名誉に恵まれ、長寿を全うし、また、多くの人を幸運にしてその正しくを証明した。
しかし、ニュートンが発見したように、物は引力によって地上に落ちるのが法則であるのと同様、食を慎めば力を得られるのが法則としても、食を慎むことは難しく、誰にでも出来ることではない。特に、現代では絶望的である。
何のことはない。食を慎むことが出来るかどうか自体が運なのである。

ウィルソンは生命力を高めるために、色々な方法を説きはしたが、どれも難し過ぎて実行すら出来ないもので、結局、人々を混乱させるだけに終っている。彼は、洞察においては天才なのだが、現実的なノウハウとなると、途端に最高の無能さを発揮するのだ。

無力感が原因で生命力を無くすのではない。
事実は全く逆で、自分には力があると思うことが、あらゆる不幸の原因であり、結果、生命力を無くすのである。
自分には何の力もなく、いかなる状況も出来事も、自分の望むようにコントロールできないことを本当に受け入れることができれば、生命力は最高になるのである。
野生動物が決して病気にならないのは、生命力が最高だからだが、彼らは、状況を支配しようなどとは思っていない。自我が無いからだ。(言うまでもなく、野生動物が不死身だと言っているのではない。家畜の病原菌や人間が与えた人工的な餌などと無縁の純粋な自然状態では、滅多に病気にならないという意味だ)
自我とは、実に、好ましい状況を望むものである。つまり、欲望が自我の正体だ。
しかし、自分には一切の力が無いということを受け入れると、自我は弱まり、ある至高の力により、それは破壊される。それが悟りと言われるもので、その時に、我々は生命力どころか、生命そのものと一体になる。生命とは、実に宇宙そのものである。
無力感とは、黒い衣を纏った天使なのである。逆に、世間に溢れるのは、力を与えようとする天使の顔をした悪魔である。

コリン・ウィルソンは、人類は3千年もの間騙され続けてきたとよく言っていたが、彼もその片棒を担ぐどころか、新手の強力な詐欺をやったのである。
しかし、それも必然であった。彼に騙されるという言い方が悪ければ、混乱させられることが必要な人が多くいただけのことだ。私もそうであった。そして、それは面白いものであった。しかし、その遊びはもう終りである。
白い彫刻を鮮明に見ようと思えば、黒い背景の中に置くべきである。
コリン・ウィルソンや水野南北の本は、別に誤りという訳ではないが、メインの彫刻ではない。しかし、背景として有用である。彼らの本を読んでから、『バガヴァッド・ギーター』や『エメラルド・タブレット』を読むと、理解力が増すと思う。現代人は、こういった回り道は嫌いなのであるが、学習のコツとは、そのようなものである。ただし、それが出来るかどうかも運である。









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なぜそれに感情移入するかは自分でも分からない

事故や災害、あるいは、犯罪の被害者に対し、深い同情や哀悼、愛惜を本当に感じる人は多くはないだろう。
正直に言うなら、私もそうである。
東日本大震災に関しては、1995年の阪神淡路大震災で被災し、苦難を味わった人であれば、同情心が強い場合が多いかもしれないが、実際は、そういうこともほとんどないに違いない。
アンデルセンの『マッチ売りの少女』では、凍死した幼い少女を見た街の人々の反応には、やはり悲しみのようなものはあまり感じられないのである。ここらは、作者のアンデルセンが人間について達観していたのではないかと思う。

ところで、イギリスのウィーダの小説『フランダースの犬』は、お話の舞台となったベルギーではさしたる反響もなかったが、日本では多くの人が本当に悲哀を感じ、涙を流すことが非常に多い。
アメリカのSFテレビドラマ『Xファイル』で、論理的に考え過ぎるスカリー(医学博士)に対し、モルダーが「人間は複雑で神秘的だ」と激しくたしなめたことがあったが、確かに、人間の心を単純に考えてはいけないかもしれない。でないと、痛い目に遭うこともあるだろう。

精神分析学者の岸田秀さんは、第二次世界大戦で犠牲になった日本の若い兵士達の資料を見ると、異常なほど感情移入してしまうことが自分でも不思議だったようだ。
誰しも、そのようなものを見て、あまり良い気はしないだろうが、やはり、本気で同情したり哀悼を感じる人は、そうはいないはずである。そして、岸田さんは、特に感情的でないどころか、むしろ、醒めたタイプの人間と思う。
しかし、岸田さんは、戦争で犠牲になった若い兵隊達が、本来なら持てたはずの未来を無理矢理に奪われ、やりたいことも出来ずに死んでしまったことに、自分の境遇を重ねていたのだと気付いたらしい。
岸田さんの母親は、愛情深い母を演じてはいたが、実は、息子の自分を完全に支配し、自分はその束縛から逃れられない状態にさせられていたことを、岸田さんは、大学・大学院で研究していた心理学とは別に、独学していたフロイト精神分析学を自分に適用し深く洞察するうちに完全に気付いたのだという。
単にこう言うと、「岸田さんの思い過ごしじゃないのか?」という人もいるだろうが、岸田さんの本を何冊か熱心に読めば、それが事実であったことは分かるだろうし、岸田さんも言われる通り、母親とは、大方においてそのようなものであり、特に岸田さんの母親は、劇場の経営者で、男勝りの性質を持ち、彼女の夫である父親はほとんど彼女に逆らえなかったらしい。

我々も、事故や犯罪の被害者などにさして同情的でないのに、ある種の事柄に対しては、ひどく悲しくなったり、憂鬱になったりするということがある。
先ほど取り上げた、『フランダースの犬』に対する、多くの日本人の感情的な反応もそのようなものの1つだろう。
また、そのような民族的な精神性でなくても、他の人にはさほどでもないドラマや小説に異常に感情移入し、涙が止まらないという人もいるが、それは、その人の独特なバックグラウンド(育てられ方や過去の体験等)の影響があるのだろう。
私なども、特に感傷的なタイプではないが、初音ミクと巡音ルカのデュエット曲『ワールズエンド・ダンスホール』には泣けて仕方がないのである。そんな人が多いかどうかは知らないが。

自分が何に心を強く動かされるかには、解脱(魂が心身の束縛から解放されるようなこと)のヒントがあるものだ。
それは、悲しみの感情だけではなく、異常な愛着や嫌悪感ということもある。
ただ、そういった感情を消せば良いというのではない。おそらく、何かに反応して起こる感情というものは、実際には消えない場合が多いだろう。ただ、それに囚われることがなくなることが大切だ。それがまさに悟り(解脱)であり、その状態になって初めて、我々は幸福になるのである。富や名誉などいくら得ても、苦しみが増幅しこそすれ、魂が束縛から解放されることはない。

少し手がかりを述べよう。
ある有名なセールスマンが、冷淡なことで有名な社長のところに売り込みに行った。
セールスマンは、得意の話術で心を通わせようとするが、その社長の噂以上の無感情振りに参ってしまう。
そこで、セールスマンは、「あなたのような人間味のない人は初めてだ」とはっきり言うと、社長はさっと表情を変え、商品を買い、セールスマンと親しくなった。
社長は、そんなことを言われたことがなかったのだろう。
天才的な精紳医であったミルトン・エリクソンは言っていたものだ。「予想できることを決してやってはならない」と。
あなたも、自分に対し、自分が予想できないことをしなければならない。

『バガヴァッド・ギーター』に示されていることだが、およそあらゆる聖者、賢者は、外側に向かっている注意を内側に向けることが解脱に必要なことであるという。
社会的、道徳的な意味ではなく、自己を冷静に観察することを、もっと我々は学ぶべきかもしれない。
アメリカの霊的思想家ヴァーノン・ハワードは、科学者のように冷徹に自分の心を観察すれば、ある驚くべきことが起こると度々著書で述べている。それが何かは、言葉で表現することはできないのだろう。ただ、体験するしかない。
そして、人間の究極の秘密は『エメラルド・タブレット』に書かれている。それは世間知にとっては神秘的過ぎるかもしれないが、自我が理解する必要はない。内側に作用させれば、響きあって奇跡が起こるのである。









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美少女はなぜお姫様役を避けようとするのか?

人馬一体という言葉があるが、良い馬の乗り手は、最高の技を発揮している時は無に近い状態で、馬と自分の区別が無くなってしまっている。誰が走っていて、誰が駆っているのか分からなくなってしまっているのだ。
腕の良いドライバーが性能の良い自動車を、その性能を発揮させるような走り方をしている時も、自分と車が一体であることを感じることがあるだろう。まあ、それほどのドライバーは、そうはいないとは思う。

ヒーローごっこやお姫様ごっこは、子供の遊びの定番であるはずで(昨今の忙しい子供はあまりやらないかもしれないが)、子供達は、昔なら怪傑ゾロやシンデレラに、今なら、仮面ライダーやプリキュアになりきっている。
ただ、男の子のヒーローごっこでは、力の強い子や元気のいい子がヒーローの座を無理矢理に奪い、弱い子は敵役をやることになるのだが、女の子とは面白いもので、美少女が必ずしもお姫様をやりたがる訳ではないのが、とても興味深い。現実のお姫様は、嘘っぽい「ごっこ」のお姫様になる気が無いのだろうか?いや、むしろ、自分の心の中の神聖なお姫様ごっこを、安っぽい子供達のお姫様ごっこで汚したくないのだろう。

アメリカ最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、決して子供にではなく、大人に対し、「英雄の物語を読む時は、自分について書かれていると思わなければならない」と言った。それは、子供の「英雄ごっこ」ではなく、それが事実であるからだと言う。その意味を、頭ではなく、直観でもって理解すべきである。
上に述べた、自分を真のお姫様とみなす美少女が、つまらぬ現実のお姫様ごっこの役柄にこだわらないのは、美しい子というのは、どこか自我が透明で崇高なところがある場合が多いということもある。大人でも、自我が消えていないと、アーサー王やヤマトタケルにはならないものだ。
自我があるはずのない初音ミクを世界中の人が愛するのは、誰もが意識の奥で、自分もミクのようになりたいからなのだし、エマーソンの真意と通じるところもあるのだろう。

また、エマーソンは、優れた小説(あるいは戯曲)を読む時は、自分はその作者でなければならないと言う。サルトルも、「小説を読むとは、その小説をもう一度自分が書くことだ」と言ったが、物語を夢中で読んでいる子供を、やはり分別の目でなく、思慮を離れて観察するなら、彼らがシェイクスピアになっているのが分かるのである。

『バガヴァッド・ギーター』を読む時、初めのうちは、我々はアルジュナ王子である。しかし、いつか、自分の役柄が聖なるクリシュナに変わるのである。
それが、この人類至高の聖典に秘められた偉大な力である。
『エメラルド・タブレット』を読む時は、我々はトート(トス)である。最初は馴染まなくても、やがてそうなってくる。
もちろん、『新約聖書』の福音書では、我々はイエスである。
ただ、それは自我としての我々ではなく、自我が消えた我々である。だから、まさか自分が偉いなどと思うはずがない。
学校では決して教えてくれないが、真の学びとは、このようなものである。
真の教師の書として、エマーソンを読むべきと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


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みっともないジェラシーを表現できるということ (ゴルフィーライフV3 〜 Face the Strength(自分のなかの強さに向き合おう))
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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