ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

エマーソン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

大人が魔法を使えない訳

アメリカの哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンが、『自己信頼』の中で、経済的な不安を持たない少年(親が扶養しているので)の態度を称賛している。
普通なら、そんな少年達が偉そうな口を利くと、「生意気なガキ」「親のすねかじり」とか言うが、そうではなく、このアメリカ最大の賢者は、それを見習うべき態度だと言うのである。
ところが、少年達も、大人になると、自分の面倒は自分で見るようになるが、特に、今の時代は、男も女も、自分に自信がないので、不安を感じるようになる。
それで、大人になっても、親や偉い人に頼り、不安を紛らわそうとするが、所詮、そんなのは誤魔化しである。
そんな不安や、不安が元である不満を利用したのが、アドルフ・ヒトラーだった。

人々のそのような不安に対し、ヒトラーとは違う優れた精神的リーダーは2つの道を教えた。
1つは、「神を信頼しろ」だ。
もう1つは、「自分が神だ。自分を信用しろ」だ。
前者の方が圧倒的に簡単で、アメリカの国家的モットー自体が「イン・ゴッド。ウィ・トラスト(我々は神を信頼する)」なのである。
日本でも、江戸末期の神道家、黒住宗忠は「まることの教え」、つまり、「まるごと、全部、神にまかせよ」と教えた。
方や、「自分を信頼しろ」と教え、称賛されているのが、上で述べたエマーソンである。
しかし、つまるところは、2つは同じことなのだ。
だが、順番としては、神、仏、あるいは、天とか宇宙を頼った方が良いかもしれない。
それでうまくいけば、自然に、自分を信用するようになるからだ。

ピエール・フランクの『宇宙に上手にお願いする方法』の最初のところに、楽しいことが書かれていた。
彼は、子供の時、天使に頼んで、何でも願い事を叶えてもらっていた。
希望通りの自転車でも、ハリウッド映画出演でも。
願い事は叶うのが当たり前だった。
どんな無茶な願いでもだ。
私も全くそうだった。
ただ、私は、フランクのように、天使とか、何か高次の存在に頼んだ訳ではないが、自分に頼んだという自覚もない。
ただ、願いが叶った様子を想像して楽しんでいたらそうなった。
希望通りの反射式天体望遠鏡のような物もだが、テレビ放送を自由にコントロールする得意技があり、これは、後で考えると、イエス並の奇跡と言って大袈裟ではない・・・と思う(笑)。

フランクは、大人になると、願いを叶えることが出来なくなった。
私もかなり苦手になった。特に、親や教師らから、負の暗示を叩きこまれた社会的なこと・・・例えば、お金のことに関しては。
大人になると、なぜ駄目になるのかというと、フランクの場合は、神とか天使に対する絶対の信用を持たなくなったのだと思う。
私の場合は、引きこもり時代にジョセフ・マーフィーの本を読み、そこそこ力を取り戻したが、いまひとつぱっとしない理由は、最近分かったが、クドクドと何度も願うからである。
いったん願ったら、ぱっと忘れるのがコツで、フランクの本にもそう書かれているし、大きな願いを叶えた人達は、皆、そう言っていると思う。
パム・グラウト(引き寄せの啓蒙作家)は、確かに、「紙に願いを何度でも書け」とか「1日に何度も願いを書いた紙を読め」と著書に書いているが、それは、あくまで、願いが実現したというイメージを定着させるためなのだが、普通の人は、そうすることで却って、願いに執着し、何度も願ってしまうということになり、結果、叶わない場合が多いのだろう。
これに関し、ドイツのベルベル・モーアが面白いことを書いている。
友人に、宇宙に願い事をするよう言われ、仕方なく付き合いで、いくつかの条件を満たす彼氏が出来るよう一度頼んだら、条件通りの彼氏が期限通りに出来た。
なぜ、うまくいったのかというと、「あまり馬鹿馬鹿しいから、願ったらすぐ忘れた」からであったという。
願ったらすぐ忘れるべきである。








なぜか丁重に扱われる人の秘密

私の知り合いが、大学生の時、女子高生の家庭教師をしていた時のことを話してくれた。
半世紀ほども前のことだが、月謝は月に10万円だったらしい。
彼が、その女子高生の家の最寄の駅に着くと、彼女の親が車で迎えに来ていた。
彼女の家が裕福であったこともあるが、とにかく、丁重に扱われたらしい。
ちなみに、彼が在籍していた大学は、三流ではないが、別に、一流でもない県立大学だった。
その女子高生は元々優秀であったようだが、順調に成績を上げ、東大にも入れたらしいが、本人は、自分で判断して、別の大学を選んだそうだ。

彼はなぜ、それほど大切に扱われたのだろう?
それ以前に、彼女の親は、彼をなぜ、娘の家庭教師に選んだのだろう?
おそらく、彼女の、社会の上層に立つ親は、彼の人物を見抜いたのだろう。
実際、優れた人物で、学生の時に起業した彼は、その後ずっと成功し続けた。

では、人物とは何だろう?
そんなものが定義出来るだろうか?
もし、定義出来るとしたら、誰もが彼のようになれるのだろうか?

ジョセフ・マーフィーも度々引用した、アメリカの心理学の父、ウィリアム・ジェームズの『プラグマティズム』という有名な本(岩波文庫から翻訳が出ている)は、ジェイムズの講演録であるが、その第1講は、イギリスの作家、チェスタトンの『異端者』の引用から始まる。
素晴らしいので、少し引用する。

およそ一個の人間に関して最も実際的で重大なことは、なんといってもその人の抱いている宇宙観である。
(中略)
下宿屋の女将(おかみ)が下宿人の品定めをする場合、下宿人の収入を知ることは重要なことではあるが、それにもまして重要なのは彼の哲学を知ることである。

つまり、間違いないことだと思うが、上の家庭教師をした彼は、大学生にして既に、優れた宇宙観、あるいは、哲学を持っていたのだと思う。
それは、彼の外部にあふれ出し、その女子高生の親は、それに魅了されたのだ。
ジェイムズは、人間が持つ哲学が、その人間の、世界に対するパースペクティブ(ものの見方、考え方)を規定するのだと言う。
では、哲学は、どうすれば得られるか?
ジェイムズの本を簡単に引用すれば、読書から得られるものは少なく、暗黙のうちに会得するのである。

ジェイムズの話は、かなり抽象的に思えるが、早い話が、人間が普段、何を考え、何をしているかによって、暗黙のうちに作るものが、その人間の哲学であるのだと思う。
普段、下品な言葉を使い、放埓(勝手気まま)なことばかりしていては、ロクな哲学は得られまい。
実際、いかなる人間も、しばらく話したり、その者の言動を見ていれば、その者がどんな哲学を持っているのかは、だいたい分かる。
そして、それは、本当は誰にでも分かるのだ。
エマーソンは、人間は、頭の上から拡声器で、自分がどんな人間か言い続けているようなものであると言っているが、まさに、その通りである。
ただ1つ言えることは、自分のレベルを大きく超えた人物の哲学は全く解らないはずだ。

そして、優れた個人的哲学を持っていれば、人々に敬われたり、有力者に支援されるだけでなく、宇宙をも味方にするのだと思う。
つまり、幸運に恵まれ、豊かな人生も得られるのだと思う。
実際、その(家庭教師だった)彼は相当な金持ちになった。
ところで、彼の哲学を知るには、彼のポリシーが分かればヒントになるだろう。
別に、彼と同じ哲学を持つ必要はないが、自分の哲学を打ち立てるための参考になるだろう。
彼は社長であったが、社員に厳しく守らせたことは、雨の日に、傘を傘立てに立てる際、必ず、傘をきちんとたたむことだった。
また、家に上がる時、自分が脱いだ靴をきちんと揃えることも推奨していた。
他にもいろいろあるが、これらのことは特にうるさかった。








星は語る

第一印象は大切と言うが、実際、人間は初めて見た相手の本質を見透かす力がある。
そして、どんなに取り繕ったところで、自分の本質を隠すことは出来ない。
しかし、このように言うと、
「そんなことはない。多くの人は第一印象とは随分違う人であることが後で分かる」
と言う人もいると思うが、それは、外見等、相手の表面的なことしか見ず、そのせいで、自分が持っている偏見で相手の印象を歪めて感じてしまっているのだ。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、人間は、自分の頭の上で、自分がどんな人間か常に宣伝しているようなものだと言ったが、全くその通りなのだ。
そして、間違った第一印象を感じてはいても、心の奥では、相手のことを正しく捕えているものである。

だから、誰と会っても、相手には、自分のことが完全に見透かされていると考えた方が良い。
また、犬や猫は、よく人間の本性を感じ取る。
ハトやカラスもだ。
『荘子』の中に、どんな美女でも、水面に顔を寄せれば、魚は恐れて水中に潜る(人と魚の美的感覚の違いを示すために述べたこと)と言うが、実を言うと、魚は本当に清らかな人の元には寄ってくるのである。
釣りでは、魚の方が、立派な人に釣られたくて寄って来る。
だから、釣りをしたことがなくても、心の美しい人が釣り竿を垂れると、よく釣れるのである。
嘘ではない。根本的にはそうなのだ。

そして、幸運や良い仲間や素晴らしい恋人も、宇宙的基準で優れた人のところに訪れる。
宇宙的基準の優越とは、自然なこと、当たり前であることだ。
「超自然」を、「アブ・ノーマル(異常)」と勘違いしている人がいるが、そのまま「スーパー・ナチュラル」と言うべきで、最も自然なことだ。
そして、スーパー・ナチュラルの代表的な例は、夜空の星だ。
高いところから石を落とすと、それは、物理の法則に従って重力加速度による加速度運動をしながら真下に落ちるはずだが、空気が落下の抵抗になるし、風が吹いていれば、さらに物理法則から外れる。
地球上では、どんな運動も、いろいろな障害のため、法則通りにはいかない。
しかし、星であれば、ほぼ完全に物理法則通りの運動をする。
だから、人類は昔から、星を見ることで真理を発見し、昔は、多くの分野の科学者達が天文学者を兼ねていた。
別に科学者じゃなくたって、人間は星を見ることで真理を感じる。
文字通り、「星は真理を語りかけてくる」のである。
犬や猫や、ハトやカラスや、カエルやカメも真理を語る。
子供がそうであることも多いが、回転寿司やハンバーグなどを食べることに夢中になっている子供は、もうそうではない。
まして大人は。
なるべく粗食を心掛け、満腹するまで食べないことだ。そうすれば、目の(実際は直観の)曇りは少なくなる。
かといって、少食過ぎても良くない。
限度を知り、ほどほどであることが、人間にとってスーパー・ナチュラルなのである。













当ブログ著者、KayのAI書。
1950年代から研究が始まったAIは、21世紀に入ってしばらくしてブレイクスルーを起こし、そしてついに、誰でも作れるものになってきました。
今はまだ、難しく語りたい者が多いようですが、AIを実用的に作って活用することは、もう誰にでも出来ますし、やった方が良いでしょう。
それは100年ほど前、「電気は誰でも使えるので使った方が良い」と言ったのと同じです。電気をなかなか使わなかった時代遅れな人の真似をする必要はありません。
本書では、普通の感覚で解るテーマや面白いテーマで学べるよう配慮しました。

真の意味で自分が英雄である

子供の時、やたら繰り返して読んだ小説や漫画、あるいは、子供向けの科学書などがあったかもしれない。
そして、なぜ子供にはそんなことが出来るのかを考えると、大人でも、新しいことを学ぶ可能性を高めることが出来る。

私で言えば、小学生の時、『ピノキオ』『みつばちマーヤの冒険』『怪傑ゾロ』を本当に繰り返し読んだもので、いまだ、本のページの映像を思い出すことがある。
だが、大人であれば、最初はいかに面白いと思っても、何度も読めば飽きるし、それどころか、2度目はもう面白くないということも少なくないかもしれない。
だが、こんな話がある。
映画評論家だった淀川長治さんは、アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』を400回以上見ていて、その度に、必ず涙を流すと言われていた。
これは、『太陽がいっぱい』で淀川さんが感じる世界観が、淀川さん自身のバックグラウンドと重なる部分があるからだと思う。
一方、子供の場合は、まだ確固としたバックグラウンドがないので、淀川さんとは事情が異なるように思うが、実は、案外似ていると思うのだ。
つまり、子供は、物語の世界観が、そのまま自分のバックグラウンドにすることが出来る・・・もっと易しい言い方をすれば、自分が、物語のヒーローやヒロインになり切れると言えば、多少は納得出来ると思う。
そして、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、子供というものは、シェイクスピアを読む時は、シェイクスピアになり切ってしまうのだと言う。
また別のところで、エマーソンは、「英雄の物語を読む時には、自分の物語を読んでいると思わなければならない」と述べてる。合わせて考えると、子供にとって、シェイクスピアになるということは、その作品の主人公であるハムレットやオフィーリアになることなのだと思う。
そして、その際に極めて重要なことを、「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツが述べている。
悲劇の主人公であるハムレットもリア王も陽気なのだと。
しかし、人々は、憂鬱で苦悩するハムレットやオフィーリアを演じているのだとも、イェイツは言う。
(イェイツの最晩年の詩の1つ『ラピス・ラズリ(瑠璃)』より)

確かに、子供がハムレットになる時は、決して「生きるべきか死ぬべきか」と悩むのではなく(そんな子供、見たくない)、正義感が強く、ハンサムでモテモテの貴族の青年としてのハムレットになるはずなのだ。
オフィーリアなる女の子も、美少女で、ハムレットに愛され、他の大勢の男の子をも虜にする美味しい役柄のオフィーリアになるはずだ。

淀川さんだって、克服し切れていなかったとはいえ、全て暗かったとは思えない。
格好がよく頭の切れる青年としてのトムに同一化する部分もあったと思うのだ。
そして、それは、自分の境遇がトムに似た部分もあるからこそ可能なのである。

まあ、ややこしい話はともかくとして、我々は、大人になっても、自分をヒーローやヒロインと見なさなければならないのだ。
それが出来ないことを「自分に見切りをつけた」と言うのではないだろうか?
自分に見切りをつけてしまっては、生き甲斐もなく、食欲、性欲にしか関心がなくなる。
だが、子供の感覚を思い出せば、やはり、子供の時のエネルギーを再び得て、人生は面白いものになる。
そして、それが出来る者は、ヒーローやヒロインのお話を何度でも見ること、読むことが出来るだろう。

私も、かつては、マーヤや怪傑ゾロだったが、それを忘れてしまっていた。
今でも、マーヤやゾロでなくてはならないのだ。
ところで私は、昨年9月頃からか、アニメ『まちカドまぞく』全12話を20回以上見ていて、今も見ている。
私は、魔法少女、千代田桃に深く共感するのだ。
千代田桃は、千代田桜の本当の妹ではないが、心の妹だった。
桃は、強く完璧な桜に憧れていたのだろう。
しかし、突然、桜は失踪し、後継者となった桃は、自分が桜に及ばないことを実感し、心を閉ざしている。
ところが、優子という愛する存在を得て、桃は変わり始める。
制作されるはずの第2シーズン以降には、なぜ桃がかくも優子に惹かれるのかも解るだろう。
もちろん、解釈は人それぞれであり、各自、好きな作品で、好きなヒーロー・ヒロインになり切り、力強く生きれば良いのである。
あなたは、真の意味で英雄なのである。













KayのAI書籍『楽しいAI体験から始める機械学習』のカバーがついに公開。
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書籍の説明は、Kayの別ブログ「メディアの風」

周囲が黙って従う

人間は、最低限のレベルに達すれば、自分のことを話さなくなる。
たとえ老人になっても、自分の物語を熱を込めて語りたがるなら幼児である。

ジョセフ・マーフィーは、著書の中で、「原則的には自分のことは話さない」と述べているが、それは、「読者の役に立つなら」という条件付なら話すということだ。
しかし、ほとんどの人が自分について語ることは、誰の役にも立たない。
私の場合、信頼出来る超能力発現の話は自分のものしかないので、それは時々書くが、それ以外の自分の話は、やはり余計である。

自分のことを話して喜ばれるのは、若いイケメンや美少女くらいのものである。
これに関して、アニメの『甘城ブリリアントパーク』で端的に表現されていた場面がある。
3人のオジさん達が、自分の高校時代の思い出話を悠然と語り始めると、現役美少女女子高生、千斗いすず(せんといすず)が、彼女らしく無表情であるが、即座に、毅然と遠慮も容赦もなく、叩っ切るように話を終わらせる。
そして、「誰も興味ないわ」と冷たく言い放つか、完全に無視する。
厳しい・・・が、そんな当たり前のことに配慮しないオジさん達に全面的に非がある。

有償サービスの場でなら、サーバー(サービス提供者)は、お客様が自分のことを語るのを熱心に聴く振りはする。
また、紳士であれば、女性が自分のことを語るのを、マナーとして熱心に聴くだけでなく、もっと話すように促すこともあるが、その様子を傍から見れば、その女性は滑稽でしかない。

なぜ、自分のことを語ってはいけないのか?
1つは、上に挙げた美少女、千斗いすずが言ったように、「誰も興味がない」からで、興味がない話ほど退屈なものはないのは、朝礼の校長の話や、結婚式の新郎の上司の話が退屈なのと同じだ。
しかし、もう1つある。
それは、話すまでもなく、自分の正体はバレているからだ。
そして、その人の正体は、その人が話すことの1/5ならマシなのである。
その、1/5以下の正体が分かってる時、誰が、虚偽の5倍増しの話など聴きたいだろうか?
アメリカ最高の賢者エマーソンは、人間というのは、頭の上で自分の本当の中身を晒しているようなものだと言った。
それは、振る舞いや表情や雰囲気にもかなり現れるが、人間には元々、一言も会話を交わさずとも、相手を見抜いてしまう力があるのである。

普通の人は、どうしたって安い。
その安い自分の中身が、頭の上で晒されてしまっている。
そんな我々を、皆が見下すが、我々を見下す者達も、我々同様安いのである。
では、どうすれば良いかというと、過去の自分を捨ててしまうことである。
1秒前の自分も忘れ、1秒後の自分のことも考えない。
ただ、今、ここに生きる。
自分は1本の腰骨に過ぎず、自分は誰でもなく、来るものはそのまま映し、去れば、何の痕跡も残さない鏡だ。
そんな人間であれば畏怖され、周りが従う。
誰もが機嫌を取らざるを得ない赤ん坊のように。
それが極まると、本当に姿が消える。宇宙いっぱいに広がるからだ。
そうであれば、全てが意のままだ。
具体的なやり方は、簡単なものでは、ずっと「私」と頭の中で唱え続ける。
もう1つあり、空の星の1つのように、高いところに吹く風のように、ただ在ることだ。在る以外に何の意味も持たないことだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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