人類は、昔から、「安心」「優越感」「満足」「自己重要感」「幸福」等を得るために、「集める」という行為に精を出した。
集めたものは、
・人気
・奴隷(兵士、臣下、国民と呼ばれることもある)
・お金
・エネルギー
・米(日本独自)
・牛等の家畜
・気、プラーナ
・魔力
・愛、忠誠
などであった。
自分が価値あると思い込んだものを、多く集めれば集めるほど良いと思ったのである。

ところがだ。
数千年の昔から、優れた想像力を持つ人間は、なぜか同じようなことを考えていた。
時代によって、いろいろに表現されるのだが、割と近年では、アメリカのSF作家エドモンド・ハミルトンが、『キャプテン・フューチャー』(1940~1951)の中に書いているものだ。
ハミルトンは天才で、10歳で高校に、14歳で名門ウェストミンスター・カレッジの物理学科に入学している(17歳で放校になったが)。
彼は、日本では大正時代という時に、今日でいうシミュレーション仮説に近いことを考えてたフシがある。
シミュレーション仮説とは、この世界はコンピューターが作った仮想世界であるというものだが、ハミルトンの時代はコンピューターが無かったので、この世界は、科学者が実験室で作って運営しているミニチュアの宇宙と考えたのだ。
そのハミルトンが『キャプテン・フューチャー』で、宇宙のどこかにある「物質生成装置」というものを書いている。あらゆるものが、この物質生成装置から出現するが、何が出現するかは、人間の思考のままだ。
おそらく、「物質生成装置」で出現するのは、物質そのものというよりは、エネルギーとか霊的物質といったもので、人間が想像したものがエネルギー体になり、それが何等かの作用で物質化するのだろう。
だから、宇宙の彼方に出かけ、物質生成装置(エネルギー生成装置と言うべきかもしれない)を手に入れれば、思考するだけでいかなるものでも得られる。
日本のおとぎ話で言えば、「打ち出の小槌」が物質生成装置で、今日では「思考は現実化する」という考え方が広く普及している。

だが、宇宙の彼方などに行かなくても、実は、脳が物質生成装置である。
これは、斎藤一人さん流に言えば「信じられない人は信じなくていいから」である。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中に、考えるだけで家(新しく快適な家)を出現させる少女の話があるが、本来は誰でもそんなことが出来る。
もちろん、精神レベルの低い人間が、みだりにそんなことをしない(出来ない)ような仕組みにはなっているのだろうが。
しかし、物質生成装置としての脳を動かすのに必要なことは、コマンド(指令)を与えるだけである。
私も、モノというのではないが、現象として、脳にいろんなものを作ってもらったことがある(何度も書いた、天体観測やテレビ放送に関係するものだ)。
良いコマンドであれば、即座に、希望したモノや現象が出現する。
そうでなくても、いろいろな相互作用を起こしながら、結果、希望のものが現れるのである。
物質生成装置の働きを制限するリミッターを外す方法は、思考空間を広げる・・・というよりは、思考空間を制限するものを外すことだ。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の隊員達も、そうやって、物質生成装置としての脳を使えるようになったのである。