ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

エジソン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

天才とは永遠の努力

以前、アメリカだったと思うが、13歳で大学を卒業した少女が、「天才少女」ともてはやされた時、彼女は、
「私は天才じゃない。一所懸命努力しただけ」
と反論したことがあった。
だが、努力出来る者のことを天才と言うのだ。

ニコラ・テスラは、学生時代、朝3時から夜11時まで勉強したと著書で述べているが、そんな異常な努力が出来るから異常な天才なのであると思う。
テスラとエジソン、エジソンとアインシュタインは、いろいろソリも合わないところもあったが、皆、凄まじい努力をしたのである。
イチローだって、「自分は天才ではない」と言っていたことがあったが、つまりは、「努力したんだ」という意味なんだろう。

そして、彼らの努力は、1日か、せいぜい数週間なら、やろうと思えば誰でも出来る。
だか、彼らは、何年でも何十年でも、永遠にやるつもりで続けたのだ(イチローは今でも続けているようだ)。
もちろん、テスラは、いつまでも学生の時のようなスタイルで勉強していた訳ではないだろうが、一生、勉強はしていただろう。
何かの会合の時、既に老齢の安岡正篤さんが、昭和天皇に、「安岡」と呼びかけられると、彼は立ち上がって直立不動になり、「はい!」と返事した。
昭和天皇が、「今でも勉強しているのか?」と問うと、安岡さんは、また、「はい!」と返事する。
もちろん、昭和天皇は、そんなことは分かっていてお尋ねになられたのだろう。

エドガー・ケイシーは、9歳の時から、毎朝必ず聖書を読むことを生涯続けた。
ケイシー自体は凡人かもしれないが、そんな努力によって、人間を超えた知恵のある心霊の助けを得ることが出来たのだろう。
だが、ソクラテスだって、「私には何の知恵もない。また、世の中で高い業績を上げる全ての人もそうだ。彼らの知恵は神のささやきだ。だが、彼らはそれを自分の知恵だと思い違いしている。だが、私は、自分自身には何の知恵もないことを知っている分、誰よりも知恵があると言えるのだ」と言ったのだ。
だが、何もせずに知恵が得られる訳ではない。
自分の好きなことで良いし、好きなものでなければならないが、努力をいつまでも続ける者だけに知恵が与えられ、天才になれるのだろう。
そんなふうに、神の知恵の通路になっている者が、IQが高いのだろう。
昨夜、シーモア・パパートは、歯車に惚れ込んだと書いたが、ケイシーは聖書に惚れ込んだのだ。
あなたも、そんなものを見つけ、毎日楽しく努力を続けることだ。









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エジソンとブルース・リーも目標を紙に書いていた

幸福になりたければ、紙が1枚あれば良い。
それに目標を書き、起床直後と就寝直前、それに、一人になれる時間があればいつでも、見て、声に出して読むことだ。
エジソンもブルース・リーもそうしていたし、おそらく、成功者のほとんどはそうしていた。

問題は、そこに書く目標であるが、とやかくは言うまい。
ロクな目標でなければ、毎日見て、音読するのが嫌になってくる。
そしたら、どんどん目標を変えていけば良い。
もちろん、目標を変えれば1からスタートなので、いつ叶うか分からない。
だったら、次のようにすれば良い。

目標は、年収にすることだ。
問題は、そこに書く金額であるが、とやかくは言うまい。
なるべく高い金額を書くと良い。
1億円でも十億円でも。
しかし、適切な金額でなければ、毎日見て、音読するのが嫌になってくる。
そしたら、どんどん金額を変えていけば良い。
もちろん、金額を変えれば1からスタートなので、いつ叶うか分からない。
だったら、次のようにすれば良い。

現在の年収の2~4倍を設定すること。
また、現在の年収に関係なく、最低を500万円にすること。
つまり、現在の年収が100万円なら、その4倍の400万円より500万円が多いので、500万円になる。
現在の年収が200万円なら、目標は500万円から800万円になる。

ただし、金額を変えない自信があるなら・・・というより、基本的には好きな金額で良い。
また、基本的には、どんな目標でも構わない。
ただ、現代人は妄想家になっているので、早く目標が叶うよう、余計な注意をしたまでだ。

ちなみに、最初に取り上げたエジソンとブルース・リーが紙に書いていた目標はこうだ。
「私は天才だ」(エジソン)
「私の資産は2千万ドルだ」(ブルース・リー)
リーのは多分、アメリカドルで、現在の20億円くらいよりはるかに多い金額だろう。
だが、リーは武道家との両立が難しかったのだろう。
それでも、この2人の目標は良いと思うのである。
特に、エジソンのが好きだ。
尚、このように、現在形で書くのが正しく、「天才になる」「資産20億円になりつつある」では叶わないことを言っておく。
紙に書いた目標は必ず叶う。

尚、PCでのグラフィックが得意なら、目標をきれいなグラフィック文字にし、スマートフォンやタブレットPCで見れるようにしておけば便利かもしれない。
だが、基本的には紙で十分である。
名刺大のカードを使えば便利だと思う。
また、当ブログの次の記事も参考になると思う。
◆富裕の秘密はただ1つ(当ブログ9月29日記事)









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手間暇をかけることの価値

昔は、「学歴があるより、手に職を持った方が儲かるし、一生食える」なんてことが言われたが、今は、一流の職人でもひどい低収入になってしまった。
職人の技術というのは、高度になるほど、素晴らしいのだが手間暇がかかる。
現代の人間は、手間暇の価値が分からなくなってしまった。

岡本太郎の名著『今日の芸術』にすら、工場で大量生産される刃物が、名工が手打ちで造る刃物より品質が良いなんてことが書かかれていた。無論、岡本は、時代が変化していることの喩えとして書いたのであろうが、とんでもないことだ。
ダイコンを1回切るくらいなら全く同じかもしれない。
また、工場で作った刃物は、均質で、見た目も良い。職人が作った刃物は、1つ1つ形が異なるし、焼入れの加減で、部分的に色合いが異なる場合もある。特にハンドル(柄)の部分を荒っぽく仕上げたものもある。
だが、腕の良い職人が手でしっかり作ったものは、切れ味や耐久性といった目で見える部分もだが、人間の根幹の感性にしっくりとする使い勝手や味わい、さらには、何とも表現のしようのない、全く目で見たり理屈で考えたりでは分からない良さが確実にある。
また、磨いて刃が減ってくるほどに、さらに良くなるのだ。
さらに、一見荒っぽい仕上げのハンドルも、使い込むことで仕上がってくると感じるほど、根本では良く出来ているものが多い。
刃物でなくても、優れた職人が作った機械は、歯車が磨耗してくるほどに動きが良くなるという凄いものも少なくない。ドイツの手作りの機械や、スイスの時計にはそんなものがあることを御存知かもしれない。無論、かつては我が国にも沢山あったのだ。

壁を漆喰で丁寧に塗る左官の仕事も少なくなったが、手間や時間をかけずに作った建物は、耐久性や見た目の味わいという部分よりも、どう評価していいのか難しいが、住む者に与える影響といった環境の面で、良い左官屋が仕上げたものに全く敵わない。

人間が手間暇の価値を認めなくなったのは、面倒だとか、お金がかかるということもあるし、見る目が無くなったということも言えるかもしれない。
しかし、本当に大切なことは、「目に見えないものの良さが分からなくなった」ということなのである。
これが、私が常に言う、「人間は、目に見えるものしか存在しないという幻想に陥った」ということなのである。

学校の勉強も、まさに、手間暇をかけないインスタント主義である。
試験で点を取ることの価値しか分からず、そのための手間のかからない勉強のやり方を実践する塾が大流行りし、あげく、「名門塾の教育は良い」などという恐ろしいことが言われるようになった。
誰もが、試験で点を取れるのが良い勉強方法だと思うようになり、知恵を磨く勉強のやり方を生ゴミに出してしまったように失くしてしまった。
そして、試験の点数が上がる勉強をすることを、知恵を付けることだという愚かな認識すら蔓延ってしまっているのだ。そんな勉強では悪知恵すら得られないので、世の中で、悪知恵で儲けるような詐欺師まがいのことをする者を、「賢い」などと言って崇拝するような馬鹿が多いのである。

昨夜も書いたが、ニュートンは、本を読む時、分からなくなったら読むのをやめ、しばらくの期間置いた後、また初めから読むということを繰り返し、時間をかけて1冊の本を深く理解した。それで彼は知恵を得られた。
アインシュタインも学校の成績は良くなかったし、エジソンは、生徒達にも教師にも馬鹿にされる劣等性だった。
デカルトは、ある時期に、本の勉強は捨てると宣言し、世の中から学んだ(無論、本当に本の勉強をやめたのではない。心構えの問題だ)。
彼らは、勉強とは知恵を得るためのものと認識し、他の者達のように、学校の優等生のように、見かけだけが賢い馬鹿になることには全く興味がなかったのだ。子供の頃からそうであったことが、彼らが天才の天才たるところである。

要領の良さが悪いというのではない。
効率的にやらなければならないこともやはりあり、何でもかでも手間をかければ良いってもんじゃない。
それは当たり前のことだ。
だが、手間暇をかけなければならないこと、手間暇をかけてこそ本当に素晴らしいものが得られることもある。
その多くは、目で見たり、理屈で説明したりができないことも少なくないので、愚かな者は、「それに何の価値があるのだ。それは時代遅れの馬鹿のやることだ」と言うのである。
しかし、人が持つべき真の宝を得るために、あえて手間暇をかけることをやるべきである。
敢えて言えば、それをしないと、とても危険ですらある。それが分からなくても、本当は誰でも、心の奥底では、ニュートンやエジソンや、あるいは、名工のようなことをやりたいと感じているはずなのである。









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猫、魚、お金、あるいは、女の子が引き寄せられるもの

我々は、幼い頃から、そこそこの結果を素早く出すことを求められてきた。
一定時間内に沢山の問題に正解を出さないといけない学校の試験や入学試験がその代表的なものだろう。
ふと閃いた疑問を口にしても、「それは試験に出ない」と一蹴されてしまう。
しかし、ふとした疑問ほど重要なものはない。
エジソンなんて人は、いつも「なぜ?」だらけだったし、それは教師に答えられないような疑問が多かったので、すっかり教師に嫌われ、教師がいじめるだけでなく、教師は、他の子供達にエジソンを馬鹿にするよう誘導したので、エジソンは級友達にもいじめられ(蔑む相手には何をしてもいいのが学校だ)、学校にいられなくなって、結局、学校を8歳でやめた。
岡本太郎の場合は、転校は何度かしたが、最後に寄宿舎に入れられた時は、耐え続けるしかなく、真剣に自殺を考えたらしい。

テレビのコマーシャルでも、「気持ちいいと思ったら、即、買え」というものばかりだが、それらは、食欲、性欲、見栄といった、人間の弱いところを良心の欠片もなく煽るのである。すると、学校で、ものを考えないようになってしまった者は、どんどん買ってしまう。
広告、コマーシャルというのは、以前はもっと良いものだったはずなのだが、利益第一、快楽第一になってしまったのである。

我々は、丁寧にやるということを忘れてしまったことに気付かない。
呼吸すら、せわしく、いい加減にするようになっている。
車にばかり乗って歩かないから、きちんと歩くことも出来ない。
食べる時も、人工的に美味しく調理されたものをせかせか食べているので、ますます大食になる。
日常のことを丁寧にやるだけで、少食になって、健康になるのである。

私が日頃お奨めしている腕振り運動も、それなりに広まっているのだが、せかせかやっている人が多いだろう(それでもやらないよりは良いのであるが)。
腕振り運動・・・中国ではスワイソウと呼ばれているもので、インドの達磨が起源と言う者もいるが、よく分からない。気功の中にも取り入れられている場合が多いようである。
ただ自然に立ち、まっすぐに伸ばした腕を、両腕同時に前後に振るだけの簡単な運動である。
てのひらは、内側に向ける場合が多いが、下に向ける流派もあるようである。
後ろに振る時にやや力を入れ、前に振る時は惰性で自然にまかせる。逆に、前に振る時に力を入れる武道派もあるようだ。
関英男博士の報告によると、彼は、これだけで医療に頼らずに胃癌を完治させ、他にも多くの人が難病を何でも治している。
しかし、これも、うんうん唸りながら必死で、あるいは、回数をこなすためにせかせかやっている者が多い。
1回1回を丁寧にやるなら、百回でも良いのである。
一度は、一日数千回とやるのも良いのだが、やがては、細心の気を配りながらやるようにしないといけない。

ところで、丁寧にと言うと、力が入って堅くなる者が多い。そして、停止してしまうのだ。
愚かであるが、これも学校教育の弊害だろう。
丁寧にやる意味すら分からないのだ。
腕振り運動を、本当に丁寧にやったら、それはもう楽しいものであるし、美しさを感じるし、春を思わせる至福である。
細やかに神経を働かせるが、柔らかく、優雅でなければならない。
逆に、そんな風に腕振り運動をやることで、本当の丁寧さを身に付けることもできる。
そうすれば、猫だって寄ってくる。最近は、猫の喉の撫で方が下手な人が多いが、丁寧さを知らないからだ。
魚だって、丁寧に釣りをしている人には、寄ってきて釣られたがるのである。
画家の横尾忠則さんや、発明家の政木和三さんらが、釣りをやったら、他の人達がさっぱりな中で、やたら釣れてしまった話を本に書かれているが、真相はそんなものである。
丁寧な商売や製作をすれば、良い売れ方をするし、お金を丁寧に扱えば、どんどん寄ってくる(ただ、金は過度に入ると、粗略に扱うので、限度を知るのが良い)。
無論、可愛い女の子だって、いくらでも寄ってくるだろう。女の子が優しくされるのが好きなのは言うまでもない。
無理矢理、売りつけたり、女の子を口説く必要もないのである。猫を無理矢理、引っ張って来れないようなものである。









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セレンディピティはありふれたものになる

このブログで、セレンディピティについて何度か取り上げたが、この言葉も、昔と比べれば、よく知られるようになったと思う。
しかし、この言葉の確定した意味なんてのは決め難いのではないかと思う。
私は、この言葉の深い意味について実感しているであろう化学者(工学博士)から、それは、「意味のある偶然を引き寄せる能力」なのだと言われたのが、この言葉を初めて聞いた時のものだったので、これを覚えている。
それを聞いた数日後、私はその化学者に、セレンディピティとは、「必然を引き起こす意志の性質のこと」だと手紙で書き、その数ヵ月後、あるパーティーで偶然会った彼に、大学で講義するよう言われた。彼は学長になっていたようだ。ただし・・・彼はベロベロに酔っ払って言ったのだがね。

2人の科学技術者がいて、一方は超エリートで、最新の設備や、研究のための膨大な予算を割り当てられているという、恵まれた環境にあった。
一方は、平凡なサラリーマンで、研究予算どころか、単に労働者として雇われていた。それで、彼は、業務時間外に個人的に研究をしていたのだが、画期的な発明をしたのは、彼の方だった。
そんな話はよくある。
アインシュタインも、特許丁の職員をしていた時、特殊相対性理論をはじめとする重要な発表を多くしている。彼の論文に注目していた学者達は、アインシュタインはどこかの大学の教授だと当然のように思っていたが、ただの事務員だと知って驚いたのだった。
そんなことが出来たのは、アインシュタインが物凄く優秀だったからという考えもあろうが、彼は、少なくとも、世間的な意味では優秀な人間ではなかったと思う。
際立って知能指数が高い訳でも、記憶力が良かった訳でもなく、特に、記憶に関しては、本人が苦手だと認めていた。学歴のない2度目の奥さんが楽々と出来るエレベーターの操作にもしり込みして、決して自分でやらなかったくらいだ。
今日でも使われる数学座標や物理学の運動量を考案し、また、最も有名な哲学者の一人でもあるデカルトも、自分が決して最優秀でなかったことを認め、学生の頃、素晴らしく頭の回転が速かったり、抜群の記憶力を持っている級友を羨ましく思ったことを著書に書いていた。

ある研究者が、知能の優秀さと業績とは必ずしも一致しないが、知能指数120以下の成功者はいないと思うと述べていた。しかし、それが事実であっても、IQ120なら、阻害要因を取り除けば、誰でもなれるものではないだろうか。
逆に言えば、高度なIQを持っていても、成功するかどうかは、あまり関係のないことかもしれない。

私は、俗に言われる、エジソンが白熱電球を作るのに、1万回の実験をしたという話を、全く信じていない。
かなりの努力はしたかもしれないが、明らかに誇張と思う。
案外に、楽々とやったのではないかとすら思うし、もし、そうでなくても、本当は苦労する必要はなかったかもしれない。
確かに、大発明、大発見というのは、稀にしかないものであり、湯川秀樹は、それを「天の羽衣が来て撫でる」ほどに稀有なことだと、芸術的な表現をしているが、彼は漢文の素養があったそうである。
その湯川博士が中間子の発想を得たのは夢の中でのことであった。
これもまた、セレンディピティと言えるかもしれない。
「湯川博士は、日頃、熱心に研究していたから、そんな夢を見ることが出来たのだ」
と思う人が多いと思う。確かにそうかもしれないが、それでも、努力は、直接の要因ではないのだ。
ただ、その直接の要因に結び付くために、現代では努力が必要なのだ。
電波工学の世界的権威であった関英男博士は、今後は、勉強しなくても何でも分かるようになるでしょうと言っていたが、それが本当かもしれない。
セレンディピティは、頻繁に、誰にでも起こるようになる。
縄文時代よりも昔の日本で、人々は、現代の科学をはるかに超えた宇宙理論、物質理論、生命理論を有していたということが、楢崎皐月 (ならさきこうげつ)が発見し解読した「カタカムナ文献」にあるという話があるが、別に、その時代に高度な機械文明があった訳ではなく、人々の生活は素朴だった。
カタカムナ文明の真偽はともかくとしても、老子、荘子、あるいは、エマニュエル・スウェーデンボルグらも、超古代の人々が高度な英知を有していたことを説いている。
古代の人々は、セレンディピティのようなものを、をありふれたものとして意識もしなかったのだろう。

セレンディピティとは、つまるところ、直観である。
しかし、現代人は、直観をあまりに軽視し、その何よりも重要な能力を葬ろうとさえしている。

「ミサトさん。この使徒の落下予想地点の根拠はいったい何ですか?」
「勘よ!女の勘」
「そんなアバウトな・・・(><)」
~『新世紀エヴェンゲリオン』より~

こんなものが笑い話になるというのも、勘、あるいは、直観を、無いもの、あるいは、低い能力と我々が見なしているからだろう。
だが、ミサトの勘は当たったのである。

直観の磨き方が書かれた本というのは、改竄されるか、あるいは、重要な部分が隠されるものだ。
本自体が消されることもある。
聖書、仏教の密教経典、カバラー、バガヴァッド・ギーター、老子、古事記などがそうだ。
しかし、著者は、はじめから、それを直観で悟り、わざとおとぎ話のような神話の形にしたのだ。
これらは、無心にただ読めば、自然に読む者に直観能力を与える。
ただし、優れた直観を得ようという欲望があっては、全く駄目なのだ。
だから、子供の頃から親しみのある、民族に伝わる神話を静かに読むのが一番である。

















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