願望の成就を阻むものはエゴ(自我)である。
宗教では、このエゴを消滅させることを目指し、修行をしてエゴを葬り去ろうとする。
しかし、それは難しく、ほとんどの場合は失敗する。失敗するどころかエゴを強化する。
ところが、修行などしない一般の人が、何かの出来事の後、人にこう言われる。
「どうしたんだ?まるで仏様のような顔をしているじゃないか?」
その出来事のために、エゴが静まってしまったのだ。
その者は、余計なものは欲しがらないが、その気になれば、どんな願いも楽々叶えることが出来る。
良い引き寄せというのは、そんなことを意図的に起こすことなのである。

エゴを静めるのは難しい。
規則や権威でエゴを抑えつけても、エゴは反発して、かえって強くなる。
エゴを静めるには、エゴを満足させるのが賢いやり方である。
だが、エゴのわがままを聞いてやって(欲しいものを与えて)変に満足させると、エゴは「もっと欲しい」と言って、さらにわがままになるだろう。

宗教的な修行で、10日断食したら、人々に称賛され、エゴは満足するが、エゴはすぐに、もっと称賛を欲しがり、さらに断食に励む。
そして、ガリガリだが、我の強い醜悪な「聖者もどき」が出来上がる。よくあることだ。

こんな話がある。
ある若い女性は、人々から、ちやほやされることでエゴを満足させていた。
生まれつき容姿が優れていて、子供の時からちやほやされていたか、別に美人ではなくても、親から見ればどんな娘も超美人なので、その親が過剰にちやほやしたせいで、エゴは、ちやほやされることで満足を得ることを憶えたのだ。
そして、この女性は、女優になって大いにちやほやされる妄想を抱き、いい歳になっているのに本気で女優になろうと思っていた。
この女性に対し、ジョセフ・マーフィー(潜在意識による願望達成の世界的教師)が、「子供の夢は卒業しなさい」と嗜(たしな)める。
それで、この女性は、実務の勉強をして就職し、就職先の会社の若い社長と結婚して幸福になった。
だが、子供の夢を持っている者は多い・・・と言うより、誰でも持っている。
仕方なく会社に勤めているが、いつかベストセラー作家になるという妄想を持っている中年男性もいるだろう。こんな子供の夢が高じて、会社をやめ、引きこもって売れるはずがない小説を書くかもしれない。
いい歳になって、すっかり(醜い)オッサンになっているのに、アイドルやアニメのヒロインのような恋人を得ることを妄想する者は、今は多いようだ。
こんな者達に、「子供の夢を卒業しなさい」と言って、聞くはずがない。
これらの願いは、どんな引き寄せでも叶わない。
なぜなら、最初に述べた通り、引き寄せとは、願望の成就を阻むエゴを静めて、潜在意識の万能の力を発揮させる技術だからだ。
だが、子供の夢(=妄想)とは、エゴが前面で出張っている状態なのだ。

エゴを満足させてやると、女優になるという子供の夢が消える。あるいは、消えるわけではないが、それを子供の夢と認識し、執着しなくなる。
そうなるとどうなるのかというと、別の優れた願望が浮かんで、それを易々と実現するか、案外に本当に女優になってしまう。
「そうか、それで女優になれることがあるのか!では執着を捨ててやる」と思うと、またもやエゴを強くし、執着が生まれ、子供の夢が復活する。

よく、苦労することで大人になると言われる。つまり、エゴが弱くなると思われている。
そうではない。
苦労するだけなら、むしろエゴの強い困った人間になる。
だが、苦労する中で、小さなことに喜びを感じてエゴが満足すると、エゴが静まるのだ。
そんな機会は、苦労した方が圧倒的に多いし、逆に、苦労しないと、そんな機会は滅多にない。
だから、苦労も必要悪である。
結局のところ、引き寄せが上手い人って、いったんどん底に落ちた人が多いのだ。
よって、若いうちの苦労は買ってでもしなさいとか、可愛い子には旅をさせろという、極めてまっとうな教訓が生まれたのである。

だがね、王様ってのは、子供をどん底に落とせない。
それで、苦労せずとも、エゴを静める秘法を持っている。
持っていないと、子供は馬鹿王子から馬鹿王様になり、国を亡ぼす。
『老子』とか『君主論』てのは、王様みたいな立場で書かれたもので、庶民にはあまりピンと来ない。
あるいは、ぼんぼん育ちでも偉い人って、これらを読んでいるのである。
王様や名家の生まれでなくても、苦労知らずのボンボンや嬢ちゃんのまま大人になったボンクラは、これらを読むと良いだろう。