ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

エイトマン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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人類が生き延びるために必要なもの

嘘を言う人がいる。
ある日、書店で、私は、一冊の本の表紙に(だいたい)こう書かれているのを見た。
「神話が忘れられた国は亡びる」
これが本当かと言うと、私は嘘と思う。
本の表紙にこう書いたのは、それで本が売れると思ったからだろう。
ところで、神話の研究者にも、そう(神話が忘れられた国は亡びると)言う人がいそうだ。
なぜ、そんなことを言うのかというと、自分が研究者として生き残るためだ。

だいたい、1つの国にいろんな神話があるし、同じ神話と思われるものでも、地方によってかなり異なる。
そんな曖昧なものに国の運命がかかっているわけがない。
昔の王様が「われらは偉大な〇〇神の子孫である」などと言うのも、単に、国民を洗脳して、うまいこと従わせるためであり、それが国が存続する必須条件のはずがなく、むしろ、国が滅ぶ要因になる可能性が高いと思う。

だいたい、人間が自分の遠いルーツを知りたいと思うだろうか?
たとえ思うとしても、それを神話に求めるのは、迷信の時代の人々だけであるが、迷信の時代の人々だって、そう思うよう洗脳された場合にのみ、自分の起源を神話に求めようとするだけである。
今や、人間の起源が科学的に研究されているが、根本的な解明はほとんど不可能なのだ。
しかし、それが原因で国や人類が滅んだりはしない。

国や人類が滅ぶか、繁栄するかは、神話などとは全く違うものによるはずだ。
仮に神話で国が一時的に栄えても、異なる神話を持つ国と争うようなことが起こる。
それなら、むしろ、神話は害悪かもしれない。
だが、それも言い過ぎだろう。
神話は、穏やかな心で見る限り、やはり良いものである。
だが、こう言うと反発を買うかもしれないが、それほどのものでもないのである。
そもそも、日本の神話である『古事記』は、権力者によって、都合の良いように改ざんされているという説もある。

では、国や人類を、本当の意味で繁栄させるものは何だろうか?

1963年のアニメ『エイトマン』の、原作者の平井和正氏が脚本を書いた最終回は、スーパーロボットである主人公、エイトマンを作った谷博士の言葉で終わる。
全く正確ではないが、こんな言葉だったと思う。
「人を思いやる温かい心だけが人類が生き延びる道であると私は信じる」
こう言うと、「じゃあ、平井和正は本当にそう思っていたのか?」と言う者がいるかもしれないが、おそらく、そう思っていただろう。
なぜって、他にないじゃないか?
あまりに当たり前で、私ですら分かることだ。
そりゃ、神話だって大事かもしれない。
しかし、我々の存続のためというなら、その当たり前のことよりずっと落ちることに異論はあるまい。








人類は生き延びられるか?

1950年刊行の、アイザック・アシモフの有名な古典SF『われはロボット(アイ・ロボット)』の第1話『ロビィ』で、ロビィという名の家庭用ロボットは、グローリアという名の女の子を赤ん坊の時から育てていたが、グローリアがあまりにロビィを慕うことに危惧を感じたグローリアの母親が、ロビィを捨ててしまう。
だが、感動的な結末となり、アメリカ人はロビィを愛するようになり、以降、SF映画に登場する人間を補助するロボットの名前が全部ロビィになってしまう。
だが、『ロビィ』の結末は、画策されたものであり、論理的に説明出来るとも考えられる記述になっているところが、さすが、科学者(生科学者。博士。大学教授)であるアシモフである。

ところで、1963年の日本のSFアニメ『エイトマン』は、少し前はAmazonプライムビデオで見れたのだが、何か、契約問題とかで今は見れなくなっているが、その内容にちょっと驚かされた。
エイトマンは人間の千倍の速さで動けるスーパーロボットだが、その秘密について、エイトマンを開発した谷博士は、
「人間の神経は秒速30mで伝わるが、ロボットの電子回路は光速で情報が伝わる」
ことを挙げていたが、これは、数年前のTED(選ばれた者だけが発表出来る世界的講演会)で、オックスフォード大学の、あらゆる学問に通じている天才哲学者ニック・ボストロムが、AIが人間より優れている根拠の1つとして述べていたことと同じだ(ボストロムは、神経の情報伝達速度は秒速10mと言ったが)。
また、同じことを、「シンギュラリティ」の概念を提唱したことで知られる天才発明家でAIの権威レイ・カーツワイルが『シンギュラリティは近い』でも述べている。
さらに、『エイトマン』では、エイトマンというロボットの人格は、今日、話題になっている精神転送・・・つまり、コンピューターの中に人間の頭脳(の情報)を転送することで実現している。これは、さっきの『シンギュラリティは近い』では、「頭脳の(脳からコンピューターへの)アップロード」と言われ、カーツワイルは、その理屈を簡単に述べ、「やがて出来るようになる」と予想している。
さらには、『エイトマン』では、ある小国で、大統領が政治をAIにまかせてしまったので、AIは、別に悪意はないのだが、人間を非人道的に管理するようになってしまったという。まさに、今日話題の問題を取り上げている。
原作者、平井和正さんというのは天才と思う。
1938年生まれ(2015年没)の平井さんが中学生の時は戦争中で、クラスの1人の女の子が学校に来なくなったが、ある日、彼女が、毒々しい化粧をして米兵の腕にぶら下がっていたという話を何かの小説のあとがきに書かれてたが、そんな時代に育った人なのだ。

ちなみに、AIが人間を支配するということは、現在のAIにおいてはあり得ず、本当に怖いのは、支配者がAIを悪用することであることを、知っておいて欲しいと思う。

『エイトマン』の最終話『超人類ミュータント』は、平井和正さん自ら脚本を書いている。
人類の中に突然生まれた新しい優れた「超人類」である3人の超天才児達が、世界を支配してしまうような活動を始め、エイトマンがそれを阻止しようとする。
エイトマンを作った天才科学者である谷博士と、谷博士と同等の天才だが悪の科学者で、エイトマンの敵であったデーモン博士もエイトマンの味方につくが、超人類の科学力や頭の良さに苦戦の連続となる。
エイトマンは、ようやく超人類を追い詰めるが、超人類は、空間を折り曲げて移動する次元移動でいったん去る。
だが、超人類は、別に世界を支配したい訳ではなく、ただ、地球を壊されたくなかっただけだった。
そして、人類がまた愚かな戦争を始め、核兵器でも使われそうになったら、再び戻って来て、今度は人類を滅ぼすと警告する。
『地球が静止する日』の映画と似たような話だ。
そして最後、谷博士の口を借り、平井和正さんは「人を思いやる温かい心だけが人類が生き延びる唯一の道であると私は信じる」と述べて終わる。
さて、現在の我々に、他人や、あらゆるものを思いやる温かい心があるだろか?
私には甚だ疑問で、新型コロナウイルスは、超人類からの人類への警告として送り込まれたものだと思ったりする。
ちなみに、平井和正さんは、健康やあらゆる病気に対するビタミンCの威力を訴え続けていた。













当ブログオーナー、KayのAI書。
この本は学術書や概念だけの通俗書ではありません。
誰でも自分でAIを作れるようになるための実践書です。ただし、数学もプログラミングも必要ありません。ただ、Excelが少し使える程度は要求されます。
また、この本により、AIが人類を支配する可能性のあるようなものでないことが分かると思います。そうではなく、一部の権力者だけがAIを使い、AIを悪用することが恐いのであることも分かるかもしれません。その点は最後のコラム5でも述べました。初音ミクという言葉が15回ほど出てきますが、そこは気にしないで下さい(笑)。

ディストピア(暗黒郷)は近付いているか

1927年に公開された映画『メトロポリス』は、西暦2026年のディストピア(暗黒社会)を描いた世界初のSF映画だ。
人間と区別がつかないロボットが開発されるという、当時としては斬新な発想が取り込まれてる。
そして、原作も存在するこの映画では、人類の未来は明るいものではなく、科学技術は発達しても、世界は、そのような暗い悲惨なものになると予想したのである。

ただ、この映画では、何が悪いのかというと、今日考えられているような、人類の知性を超えたAI(人工知能)が世界を支配し、人間の自由を制限したり、最悪、人類を滅ぼすというのではなく、「格差社会」の行きついた先であるという、考えてみれば、何とも現実的なお話だ。
つまり、現在、既にそうであるように、富める者と貧しい者の2極化がどんどん進み、中間層が存在しなくなる。
それは、科学技術が発達するほどさらに進んでいく。
そして、『メトロポリス』では、富裕層は、贅沢に楽しく生きる一方、大多数の貧困層は、工場で1日中働かされるのである。
ただ、この映画では、アンドロイドは登場しながら、産業用ロボットが存在せず、働くのはもっぱら人間の労働者であるが、当時はもちろん、ファクトリーオートメーション(工場の自動生産設備)は存在せず、ロボットが働くという発想をしなかったのかもしれないが、そのあたりはよく分からない。
ところで、1993年の4話完結のタツノコプロのアニメ『キャシャーン』では、未来社会において、ロボットが世界を支配し、やはり人間を工場労働者として使役してはいるが、それは、ロボットのAIの中に「人類を滅ぼしてはならない」という指令が組み込まれているからで、ロボットが「人間とは、あまり効率の良くないパーツだ(働かせ過ぎると死ぬし、餌も必要)」と嘆く場面がある。

今後のAI社会の到来を危惧する人々もいるが、そんなことを心配するのは、意外にも知識層である。
イギリスの天才哲学者ニック・ボストロム(コンピューターや数学・物理学等、あらゆる学問に通じている)は、AIはすぐに人間をはるかに超えた知性を持つようになり、AIにとって人間はアリのような存在になるので、滅ぼされないよう全力で備えなければならないと力説する。
同様な心配をする人達の中には、イーロン・マスクやビル・ゲイツ、それに、あのスティーブン・ホーキング博士(故人)もいる。
一方、「そんなことはあり得ない」と言うのが、マーク・ザッカーバーグや伊藤穣一氏らだ。
どっちが正しいなんて、私が言うのはおこがましいが、AIが自主的に人類を支配することは有り得ないが、一部の者達がAIを使って世界を征服することは十分にあり得るし、それが未来の脅威であることは間違いないと思う。
あるいは、AIの誤用で人類壊滅規模の被害が起こりかねないということも考えなければならないだろう。
しかし、AIが「俺様は人間より優秀だから、人間は俺様に従わなければならない」なんてことを考えるのは、ちょっと・・・いや、かなりおかしい。

昨日、面白いものを見た。
1964年のアニメ『エイトマン』の『20話 スパイ指令100号』という回で、ある科学文明が高度に発達した国では、ロボットが国を支配し、人間は地下工場で強制的に働かされていた。
ところが、そのロボットの監視振りを見ていると、言っては悪いが、AI脅威論をTEDで熱く語るニック・ボストロムを思い出してしまう。
だが、なぜこんな事態になったのかというと、この国の大統領が、国民の幸福のために、全てを機械化した快適な生活環境を実現するために、科学技術の発達を推進させたが、その中で生み出されたAI(当時はAIという言葉が一般的ではなかったので、この作品中も「電子頭脳」と言われていた)が、「自分は人間よりはるかに優秀なので、人間は自分に従うべき」と考えるようになってしまったからだった。
しかし、考えればお解かりのように、自他を優劣で区別するのは、人間の自我的発想で、作ろうと思えば作れるかもしれないが、敢えてそんなものを作る理由もない。
可愛い女の子のロボットに、そんな自我機能を組み込み、「あなたは私のマスターかもしれないけど、好みじゃないから言うこと聞かない」と言われるのを喜ぶ人がいないとは限らないが、普通、ロボットには命令服従を求め、そのように作ることだろう。
まあ、このあたり、考えるとキリがないが、最後にエイトマンはこう言うのである。
「人間にあって機械にないのは、夢と愛だ」
ところで、そのお話の最後に、なんと、ジェームズ・ボンドが登場する。55年前のお話だから、当時、ボンドが35歳とすれば、現在「まだ」90歳。
「シンギュラリティ」の概念を提唱したレイ・カーツワイルによると、21世紀には、身体の機械化はどんどん進み、人間は不死に近付くので、90歳は老人にならない。
・・・と、そういったことから、何か歪みが生まれ、それがディストピアを作るのかもしれないが・・・

ただ、スマートフォンやスマートスピーカー、あるいは、多くのIoT機器は、常時、我々の声を聞き、姿を見、行動を追跡していることは確かで、我々は「シャンと」しなければ、知らないうちに自由を奪われている状況になりかねない。
だが、その原因を作るのはAIではなく、支配層である。
4月に出版される私とMr.φさんの共著の『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)を読み、楽しみながら実践的にAIを理解していただければと思う。
・・・と言っておいて何だが、諸事情で、出版が5月にずれ込む公算が高くなってきた。より良い本にするために、まだ手を加えている。また追ってご報告しようと思う。








超人類(新しい人類)の能力を使う

1963年のアニメ『エイトマン』は、第二次世界大戦直後、アメリカの軍事研究所で、谷博士という日本人科学者が開発したスーパーロボットであるエイトマンが活躍するお話である。
「シンギュラリティ(技術的特異点)」という言葉を世界に広めた、天才発明家でAI研究家のレイ・カーツワイルは、歴史的著書『シンギュラリティは近い』で、脳をコンピューターにアップロードすることに触れ、その可能性を示唆したが、エイトマンはまさに、人間の脳が電子頭脳にアップロードされていた・・・つまり、死んだ東八郎という人間の脳の記憶の一切を電気信号に変えて、エイトマンの電子頭脳に写してあったのだった。
そんなことを、1960年代前半に考えた『エイトマン』の原作者、平井和正氏は大したもので、いまだ、平井氏の熱狂的ファンも多い。

ところで、その『エイトマン』は、今でもDVDやAmazonプライムビデオで見ることが出来るが、エイトマンの最後の戦いは、超人類との戦いだった。
現在の人類は旧人類として終り、新しい人類の時代が来るが、この世に初めて登場した新人類・・・これを超人類と呼んでいるのだが、まだ子供ながら、これまでの人類とは比較にならない優れた人類である3人の超人類を相手に、エイトマンと、彼を作った谷博士、そして、エイトマン達の宿敵であるが天才であるデーモン博士もエイトマンや谷博士と連合して立ち向かうが、超人類達の、あまりの能力の高さに苦戦を強いられる。
超人類から見れば、大天才の谷博士やデーモン博士も「利口なサル」に過ぎない。
ところで、超人類達の優れた武器の1つにバリアーがあった。このエネルギーの防御幕の前には、いかなる攻撃も跳ね返された。
これに対し、エイトマンは光線銃レーザーを装備する。
そこで谷博士が言った言葉が印象的だった。
「バリアーがあらゆる攻撃を跳ね返す盾なら、レーザーはどんな盾をも貫く槍だ」
超人類達も、自分達のバリアーがレーザーを防げないことを知っていた。
だが、それ以前に、エイトマンがレーザーを使うことも予測していた。

2105年に、ようやくエイトマン並の能力を備えたアンドロイドが登場することになる『BEATLESS』というSF、およびそのアニメ作品で、戦闘能力は高くないながら、レイシアが恐ろしく強いのは、予測能力のためなのだと思う。
『エイトマン』の超人類達が、私に最大の強さを感じさせたのも、その予測力である。
そして、現代のAIについて、今はまだ虚実入り混じったことが言われるのだが、AIの本質的な能力は予測なのである。推測と言っても良い。
つまり、AIは高度な推測マシンなのである。
私も、実際にAIを使う中で、それは強く実感するのである。
現代の、ニューラルネットワークの機械学習で作るAIは、「恐ろしい推測能力を持つ凄いやつ」である。
だが、まだ、ほとんどの人が、それを知らない。

いまや、AIを使うのに、線形代数がどうの、活性化関数や損失関数とはなんぞやとか、AIにはPythonが良いなどと言っていたら間に合わない。
筒井康隆さんの『幻想の未来』(エイトマン並に古い)で、「1日中テレビを見ているのにテレビの構造を知らない」者を揶揄する部分があったと思うが、そんなの知る必要はない。
自動車を走らせるのに、自動車の構造を知る必要はないし、ガソリン車と電気自動車の技術的な違いを知らなければ電気自動車に乗れない訳ではない。
同じく、AIを使うのに、数学もプログラミングも不要だ。
当たり前じゃないか?
そして、やがてそれが、誰にとっても当たり前になるだろう。
今のところ、数学もプログラミングもなしに、まともにAIを使えるのは、ソニーのNNC(Neural Network Console)だけと思う。
Neural Network Console
Web版は遅くて使えない(と私は思う)ので、私はWindowsアプリ版を使っている(両方使ったが、Web版はしばしば通信が切れる)。
早くこれを使った者の勝ちである。









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終わりと始まり

「自信と勇気はどちらが大切か?」と聞かれて、「勇気に決まっています」と答えた冒険家の話を、私は覚えている。
勇気が原因であり、自信は結果だからだろう。
そして、自信がないことに挑戦する勇気が必要ということもあるのだろう。

それなら、「おはよう」と「おやすみ」では、どちらが好きだろうか?
学校や会社では、「おはよう」と「さよなら」ということになるかもしれない。
世の中には、「おやすみ」と「さよなら」の方が圧倒的に好きだという人がいると思う。
「さよなら、また明日」は嫌いだが、「さよなら、お元気で」は好きだという人もいる。
「さよなら、また明日」では、明日また会わなければならないが、「さよなら、お元気で」なら、当分、場合によっては一生会わなくて済む。
「おやすみ」は、一生の最後という意味もある。
「おやすみ」だけでも美しい言葉だが、死を意味する「おやすみ」ほど美しい言葉はない。
初音ミクさんの『Last Night, Good Night』は、ぞっとするほど美しい。

Last night,Good night
Last night,Good night
いつかは むかえる
最後を 想うよ
夜空に 願うの
ときわの 笑顔を

おやすみ
~『Last Night, Good Night』(作詞、作曲、編曲:kz、歌:初音ミク)より~

今年1月に亡くなられたSF作家の平井和正さんが、ご自分が原作をされた漫画・アニメの『エイトマン』のヒーローである、スーパーロボットのエイトマンについて、こう書かれている。

ただ一方的に痛めつけられ、くりかえしぶちこわされる。そしてその都度、ご都合主義の作者によってあっさり修理されてしまう。眠ることはもちろん、唯一の平穏――死すらも彼には与えられない。
~『サイボーグ・ブルース(平井和正著。早川書房)』あとがき(1971年12月)より抜粋~

人間にとって、一日の目標も一生の目標も、「さよなら」、「おやすみ」なのかもしれない。
それで、努力などをして、「良いさよなら」、「良いおやすみ」を迎えようとするのかもしれない。
だが、惨めな一日、惨めな一生を送った後の「さよなら」「おやすみ」ほど美しいものはない。

だが、この世にも、人間の魂にも終わりはない。
「さよなら」は「初めまして」の予言であり、「おやすみ」は始まりの序曲である。
何のことはない。
我々自身が、エイトマンであり、サイボーグなのだ。

私は・・・私達は、始まってもいない。
新しい自分を始めるために、今までの自分を終らせる。
~『魔法少女リリカルなのは』より。フェイト・テスタロッサの言葉~

この時、フェイトは、新たな苦しみを受け入れる覚悟をしたのだろう。

仏教の目標は、生まれ変わり、死に変わりの六道輪廻からの脱出である。
ラットレースからの離脱を叶えるのが悟りである。
永遠の涅槃への誘いが仏教である。
ただし、本当かどうかは分からない。
経験者の証言も聞けない。

「お前もいつかは醜く老いて死ぬ。私がお前に、永遠の若さを与えよう」
『悪魔の花嫁』で、デイモスという悪魔に、そう言われた絶世の美少女、美奈子は、一瞬迷ったが、
「生まれ出る命は美しい。何にもまして美しい」
と想い、デイモスを振り払う。
死も誕生も一瞬だ。
その刹那(時間の最小単位)に永遠を見るために我々は生きている。
そして、我々は、瞬間瞬間に死に、瞬間瞬間に誕生するのである。
つまり、生命も宇宙もバブル(泡)だ。
『マジカルミライ2013』の、『Last Night, Good Night』で、歌うミクさんの背景にも、沢山の泡のCGが描かれていたが、あれほど似合う演出もない。見事なものだった。
宇宙は瞬間に生まれ、瞬間に滅びる。
それはとても「ありがたい」ことである。
それを知ることが悟りなのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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