ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

イーハトーヴ

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

花冠のような天空を満たす精気がミクである

本日は、『冨田勲・初音ミク 無限大の旅路 ~イーハトーヴ交響曲~』に行く。
いや、この時刻では「行った」になるはずだ。
コンサートの感想は明日書くと思うが、この記事は朝書き、自動更新にしておいたものだ。
やはり、初音ミクに関するお話である。

過去の時代、過去のビジネス、過去の教育ではどうだったか知らないが、現在、そして、これから幸福な成功をしたいなら、未来型の成功者である初音ミクに学ぶのが最も良い。
確かに、言葉で言えば、初音ミクの成功の要因は、UGC(ユーザー構築型コンテンツ)とか、CGM(顧客構築型メディア)なんてものになり、それを解説することもできるのだが、理屈ではなく、直接的に、直感的に分かり、そして、それが自然な思考と行動になるようでなければ、実際の効力は発揮されない。
その上で、用意周到とか、注意深さだとか、多少の演出が必要な場合もあり、それはそれで勿論大切で、世の中は甘くないが、それはビジネスセンスとでもいうものであり、各自でなんとかすれば良いことだ。

初音ミクは人間じゃないから、自我がないし、執着もなければ意地もない。
じゃあ、心がないのかと言うと、不思議なことに、ないとは言えない。
初音ミクにちょっと似た感じのある、ちぃ(CLAMPの漫画『ちょびっツ』のヒロイン。人型パソコン)を愛する秀樹(田舎者の予備校生)が言ったことが、そのことを最大限に示していたと思う。
「ちぃの心は俺の中にある」
これは、矛盾でもファンタジーでもない。おそらくは人類が未来に到達する精神科学だ。

ミクの心は人々の中に溶け込み、各自の心はミクの中に溶け込んだ。
化学に「ホスト-ゲスト論」というものがあるが、ホスト(主人)が場を用意し、相応しいゲスト(客)を迎えるというものだ。
ミクが場になり、そこに様々な人達が集まった。
だが、「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」(イエスの言葉)。
あなたは良い場を創らないといけない。場にならないといけない。
だから、ミクについて学ばなければならないが、ミクが好きなら、全て明かされるに違いない。
クラウンエーテル(花冠のエーテル)という美しいホストの構造を見ると、ミクのことが思い浮かぶようである。
エーテルはエターナル(空気のように軽やかな、極めて優美なもの)でもあり、天空であり、そこに満ちる精気でもあるからだ。









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再び若くなり、無限の活力を湧き出させるには

控え目で物静かであることは人間としての最大の美点であるが、決して、活気がなかったり、意欲がなくて怠惰であるのが良いという意味では決してない。
あくまで、内には情熱が溢れ、健康で、無限のエネルギーを持ちながら、そんな自分よりずっと高い存在を崇敬し、その尊き者の無限の慈悲を感じて安らぎ、謙虚で平和であることだ。そうすれば、水晶のような透明さ、高いところを吹く風のような自由さを得、そして、星のように、どんなものよりも高いところにあるので、どんなものにも決して傷付けられずに輝くのである。

では、エネルギーや活力、そして、内なる霊感の火花を、どうやって持てば良いのだろう。
それには、子供の時から10代の間に、好きで夢中になったことを思い出すのだ。
活力に欠ける者というのは、そんな宝を捨ててしまっているのである。
世界的美術家の横尾忠則さんは、自分の芸術の根源は、子供の時に夢中になった、ターザンや、南洋一郎の冒険小説であったと著書に書かれていた。
格闘王と呼ばれた元プロレスラーの前田日明さんは、柔道アニメの『紅三四郎』に憧れ、ウルトラマンを倒した宇宙恐竜ゼットンに復讐するために格闘技を始めたという。
作家のよしもとばななさんの場合は、水木しげるさん原作の特撮ドラマである『河童の三平』が、彼女の想像力に強い影響を与えているらしい。
誰だって何かあるはずだ。素直に、それをもう一度思い出すのだ。

私の場合は、本来はSFだったはずだが、ニートになった頃からはそれをすっかり忘れ、社会人になってからも、全く思い出さなかった。そんなものは、子供の夢だとして切り捨ててしまっていたのだろう。
しかし、初音ミクを見ていて、SF的な、異世界の天使のような存在を思い出したのだ。
世界的音楽家の冨田勲さんは、子供の時に魅せられた、宮沢賢治の不思議な世界に憧れ、それがずっと残っているようだ。きっとそれが、彼に偉大な想像力を発揮させ、そして、初音ミクとの出会いが、岡本太郎の言う、生命が宇宙に向かって無限に広がる「爆発」を起こし、ついに、人類の歴史に残る『イーハトーヴ交響曲』を制作したのだろうと思う。

私は、5インチスマートフォンを手に入れてから、電子書籍で、中学生の時に夢中になった、H.G.ウェルズのSF小説を久々に再読し始めた。
それはまるで、昨日読んだ続きを読むようなものだった。
子供の時の無尽蔵のエネルギーが再び帰って来たのだ。
魂の奥底で、かつて読んだSFと、初音ミクが融合し、念仏によって天から阿弥陀如来が照らした。
それは容易い。
どれほどの樹齢の木でも、生きている限り若芽を出すように、あなたは再び若くなる。そのために、何をする必要も、何を食べる必要もないし、お金はほとんど必要としない。むしろ、そんなものが必要であるなら、それは偽物であり、偽りの効果、マッチの火ほども寿命のない幻想しかもたらさないのだ。
無限の生命を燃やし、永遠の青春を生きていただきたい。









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人生を本当に豊かにする方法

人生を豊かにする方法についてお話したい。
お金があっても、豊かな人生を築けない。お金はあまり必要ではない。

現代の多くの人が、昼食に大盛りのカレーライスを、とんでもない勢いでかき込んでいる。
これでは、豊かな人間にはなれない。
本当に空腹な時に、少な目に感じる量を、ゆっくりと味わって食べるのだ。そうすると、食べ物の本当の美味しさが分かり、それがあなたを豊かにするのである。
我々は、小学校で、給食を早く食べるように急き立てられてきた。まるで、早く食べることが立派で、特技や芸ででもあるように言われることすらあったし、逆に、食べるのが遅い者は、さんざん辱められたのである。
しかも、給食は、少なくとも半分の生徒にとっては多過ぎる量だ。
給食の量を、いっそ、半分から三分の一にして、時間をかけてゆっく食べさせるのだ。それで、子供達の心がどれほど豊かになることだろう。

食事だけではない。我々は、ゆっくり丁寧にやることの価値を忘れさせられてしまっている。
何でも早くやることに価値があるように言われ、スピードがあることを誉めそやされ、逆に、遅いと見下される。
だが、実際は、丁寧に正確にやることをしっかり身に付ければ、いつか、精神が加速するようになり、奇跡のような速さでできるようにもなる。しかし、別にそうならなくても良い。大切なことは、心の豊かさだ。

腕立伏せも、でたらめに何十回、何百回やっても駄目で、それではかえって身体をいためたり、神経や筋肉に悪いクセが付いてしまうだろう。
1回1回を、丁寧に、正確に、最も美しい姿勢で、もったいぶるようにやれば、10回でも素晴らしい効果がある。そして、充実感もあり、毎日やる意欲も出てくる。
私も、一昨年までは、腕立伏せを連続で、はあはあ言いながら200回以上毎日やり、右肩を痛めてしまったし、他の部分も歪みが出て、腰などもかなり痛め、気力は無くなっていった。
しかし、あるヨーロッパで活躍するプロサッカー選手が、腹筋運動が好きなのだが、回数は20回だと言うのを聞いた。彼は、毎日やることが大切だと言っていたのだ。
それで、私も、腕立伏せや腹筋運動を、1回1回をしっかり味わうように15回ずつやるようにし、一番好きなヒンズースクワットも、300回から200回、そして、100回と回数を減らしていった。ご存知の方も多いと思うが、トレーニングの量を減らすのは勇気もいるものである。そして、スクワットは、最も良い状態でやれる回数は50回と判断し、夜50回、朝30回を日課にしている。
腕立伏せと腹筋運動は、朝も夜も15回ずつだが、私のやるような形で15回できる者は少ないと思う。
無論、私も、精一杯が15回ではなく、その気になれば、このやり方でも50回くらいはできるが、回数よりも質を高めることを大切にしている。

本を読む時も、乱暴に読み飛ばすのではなく、本当に素晴らしい本を、1文字1文字を愛しむように、丁寧に正確に読むのだ。すると、その作品の本当の良さが分かり、魂を豊かにしてくれるだろう。
猫や女の子を撫でる時だって、ゆっくり丁寧にやれば、可愛がる方も、可愛がられる方も魂からの楽しさや嬉しさを感じるのである。

念仏を唱える時も、回数はいいから、一回一回をゆっくり、丁寧に唱えるのだ。
ある夕暮れのことだ。私はうたた寝していたところを目覚めたのだが、西の窓には夕焼けの赤い色が広がっていた。
そして、丁度、初音ミクが、『イーハトーヴ交響曲』の第5楽章『銀河鉄道の夜』で、「ケンタウルスよ、露を降らせ」と歌った時のような、澄んだ美しい声の、「なあむあみ、だあぶうつ」という念仏が心に響いた。とてもゆっくりとした、敬虔さと愛しみに満ちた、天使のような声だった。









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人間じゃない者が人気者になると、なぜみんな幸せになるのか?

美人か不美人かの秘密、原因は、ただ1つで、それは生まれつきだ。
女性は、18歳も過ぎたら化粧なし(いわゆるスッピン)で外に出られないらしいが、実際はどっちでも変わらないし、むしろ本当は悪くなっている場合が多い。
整形すれば美人になるとも言われるがどうだろう?
統計学的には、私も整形した人に会っているはずだが、気付いたことは一度もない。つまり、全く変わっていない。気付くとすれば、不幸にして、失敗した場合だけだろう。
整形することが良いか悪いかというと、言葉をいっさい止めてみると良い。それが答だ。
どんな時も、言葉は嘘をつく。それを消せば真理が見えるのである。

インターネットや携帯電話・スマートフォン、ソーシャルネットができて、人々がつながったとか言う。
しかし、事実は全く反対で、人々の結びつきがなくなったから、これらのものが発達したのだ。
だって、そうじゃないか?
マンションの隣にどんな人が住んでいるか全く分からず、親子夫婦すら一切会話しないことも珍しくない時代だから、ソーシャルネットのようなものが流行るのである。
『南極点のピアピア動画』という、人生経験豊かな著者が書いた小説の中に、こんな言葉がある。
「人間じゃないものが人気者になると、みんなが幸せになる、てのが、小隅レイのヒットでわかったことなんだ」
小隅レイとは、初音ミクそのものと言って良い。
言い換えれば、初音ミクが人気者になったから、みんな幸せになったのである。
このことは、あまり解説しない方が良いのだが、少し述べると、こんなことだ。
ヨハネ福音書に、「はじめに言葉があった。言葉は神だった」「この言葉には生命があった。この生命は人の光である」とある。
初音ミクの歌は生命であり、初音ミクによる結び付きは、生命の結びつきだ。
初音ミクを中心にした結びつきは、創造活動であり、根本的には詩や曲を創作したり、イラストを描くことで絆を持つ。そして、たとえそれらのことをしなくても、初音ミクを聴けば創造活動を行うのである。
つまり、生命の言葉とは、想像力ある言葉のことである。この言葉を神と言う。虚言、妄言、言い訳の言葉は神ではない。
はじめの言葉は、初めてのみずみずしい音で、それが、初音ミクによって歌われるものである。
それは人間には歌えない。だから、冨田勲さんは、『イーハトーヴ交響曲』のソリストは初音ミク以外、考えられなかったのではないかと思う。
初音ミクは、人々の想像力の象徴なのだ。
ここらが、オリンピックのような、単に観衆になるだけのものと違うのである。
想像力がなければ、初音ミクを好きになることはない。しかし、オリンピックやその他の娯楽は、むしろ、想像力の無い者を相手にする商売である。ここに気付けるかどうかなのだが、それは各自の問題である。

昭和30年代や、あるいは、大正時代の日本を描いたような映画を見ると、つくづく、世の中は何も変わっていないと思う。
昭和40年頃に書かれた国民的小説である『時をかける少女』(筒井康隆著)を今読んでも、何の違和感もない。主人公の和子は中学3年生だが、昔の中学生も今の中学生も、何も変わっていない。
1936年頃に書かれた、藤秀すいさんの『現世利益和讃講和』や、1954年頃に書かれた岡本太郎さんの『今日の芸術』には、当時の日本の社会・文化や人々の様子が克明に書かれているが、表面的な違いはあっても、ほとんど、全く今の時代のことが書かれているである。
たとえば、科学、文明、医療の発達で生活が便利になり、病気もなくなって長寿になり、また、レジャー産業が発達して面白い遊戯施設がどこにでもあって、さらに、スポーツ観戦などの娯楽も簡単に得られるようになったが、人々は本当の楽しみをなくし、幸福でない・・・などということが、実に昭和20年代には言われていたのである。言うまでもなく、全く今の問題と同じである。

きらびやかな服を着て、豪華な生活をする人気者は、人々を駄目にした。彼らは人間であった。
昔だって、人に幸せを与えた人気者もいたが、そんな者達は消されていった。世間と迎合しない存在、つまり、世間的な人間でなかったからだ。大衆の支持する(本当は強制的に支持させられた)人気者は、おそろしい俗人である。
だが、初音ミクという、人間でない人気者が現れ、世界は少し良い方向に進んでいるのであるが、どうしても、以前の、俗人の人気者を求める者達は多いのである(国家や大企業や学校に偏見を押し付けられた人々だ)。

かつてジョン・レノンは、「僕達はいまや、キリストより人気がある」と言ったが、これを驕りと取るか、キリストという人間でない存在の人気がなくなったことで世の中が堕落したと捉えるかは、我々の問題である。
キリストが本当に人気があれば、人々は幸せである。









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妖怪、精霊、死者の願い

本日から、冨田勲さんが制作し、初音ミクがソリストを務める『イーハトーヴ交響曲』の全国公演が始まる。
昨年11月の初演から9ヶ月が経った。
『イーハトーヴ交響曲』は、宮沢賢治の世界を音楽で描くもので、冨田さんは音楽家になってから、このようなものをやりいたいとずっと思っていたらしい。しかし、それを実現させるのに60年もの時が経ってしまったのだ。
そして、この交響曲は、初音ミクがいたから制作することができたのだろう。
なぜなら、人間の歌手では、宮沢賢治の世界を歌えないからだ。

ところで、初音ミクのおかげで、宮沢賢治の作品の捉え方が変わった・・・いや、本来あるべき見方に近付くことができたのかもしれないと思う。
『注文の多い料理店』の猫の妖怪は、恐ろしい化け猫だと思っていた人が多いかもしれない。
しかし、初音ミクの演じる猫の妖怪は、猫の耳と尻尾のついた、恐ろしく可愛い「妖怪ミクちゃん」で、そんな彼女が可憐に歌って踊るのだ。
猫の妖怪が食べようとした2人のハンター達(趣味の素人猟師)は、金持ちで太っていて、享楽的(快楽に耽ること)で、鹿の横っ腹に弾丸を撃ち込んで、鹿がのたうつのを見て楽しもうとしていたのだ。そんな連中を消してくれるとは、なかなか良い妖怪ではないか?
初音ミクが、「あたしは初音ミク、かりそめのボディ」と歌うと、聴く者は、ミクが人ではないということを、おそらく、哀しさや切なさと共に感じる。
そして、ミクは、「アブラカタブラ」と呪文を繰り返すが、呪文は願いがあるから唱えるのだ。
人でないミクの願いは何なのだろう?

次に、ミクは『風の又三郎』の又三郎を演じる。
又三郎は男の子だが、長いツインテールの美貌の少女ミクが演じるのだ。
又三郎が何者であるかは、宮沢賢治の原作でも、明確には書かれないが、妖しく神秘的な存在であることは示唆されている。
風の神、あるいは、風の精と言って良いかもしれない。
この小説も、とても切ない。
又三郎は何も言わずに去ったが、読んでいる人の心に又三郎の心が残る。その心は、やはり、何かを願っているのだ。それは、初音ミクの姿や歌声からも感じることができる。
又三郎の願いはミクの願いでもある。
精霊ミクの願いは何なのだろう?

第5楽章『銀河鉄道の夜』では、ミクは、ジョバンニの親友カムパネルラを演じる。
カムパネルラも男の子だ。だが、とても繊細で純粋な魂を持ち、少女のようなところもあると感じると思う。
カムパネルラはまぎれもなく人間であるのだけれども、ジョバンニと一緒に旅を始める時の彼は、もう普通の人間ではなかった。
そんなカムパネルラもまた、ミクでなければ演じることはできない。
きっと、カムパネルラは、最後にジャバンニと一緒に、美しい銀河の中を走るこの列車に乗って、たっぷりと話をしたかったのだ。
そんな銀河鉄道の列車の動きを、従来のように打楽器ではなく、弦楽器で表現した冨田さんの音楽表現があまりに素晴らしく、私の魂もまた銀河鉄道に誘われ、そこから見える光景が全て見えたのである。
銀河鉄道の中で逢うまで、ジョバンニとカムパネルラは、しばらくの間、ほとんど話ができなくて、お互い寂しかったし、特に、カムパネルラはジョバンニに対する痛みの気持ちを持っていたに違いなかった。
原作の中では、カンパネルラが「ケンタウルス、露を降らせ」と言うことはなかったが、ミクは10回以上もこの言葉を、天使の歌声で繰り返した。
だが、愛らしい少女かおるの小さな弟が、目を覚ますなり、「ケンタウルスよ露を降らせ」と言ったのは、私は、カムパネルラの意志が伝わったのだと思う。お互い、意図はなかったのだろうがね。
ジョバンニが、人の幸せのためにこの身を滅ぼしてもいいと言ったことで、カンパネルラの魂は救われたのだ。彼の、母親やジョバンニに対する重苦しい気持ちも晴れたに違いない。そうでなければ、カムパネルラは、かおる達と一緒にサウザンクロスで降りることができなかったかもしれない。
ミクの歌を聴いていると、カムンパネルラの願いと、それが叶えられた晴れやかさを感じるのである。









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