他人というものはいないずなのに、自分ですら2人いる。
ところが、キリスト教には、トリニティ(三位一体)という教えがある。
父(神)と子と聖霊であるが、聖霊というのが分かり難いと思う。
イエスは、聖霊について、「求めよ、そうすれば与えられる」と言ったらしいが、求めれば分かるのだろうか?
老子には、「道(タオ)が一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を産んだ」(42章)と書かれている。
しかし、つまるところは、「分からない」。
ミクまで
ひとりとふたりで
トリニティ(みっつでひとつ)
~『イニシエーション』(作詞:東浩紀、作曲:渋谷慶一郎、歌:初音ミク)より~
と言うのだ。
1つの電子が2つの場所に同時に存在することがある。
実験でも確かめられる。
だが、問題は、実験者、つまり、観測者が必要なことだ。
禅語の中にこんな話がある。
ある男が1人の少女を妻にしようと、彼女の親に願ったが、全く相手にされず、どうにもならなかったので、男はその地を去ろうとするが、その少女がついてきたので、そのまま駆け落ちということになった。
時が流れ、男が妻を連れて故郷に帰ると、妻の実家には、あの日以来寝込んでいる妻がいる。
2人の妻は微笑みあって1つになる。
いろんなお話を取り上げたが、「その意味はこうだ」なんて楽な解釈はない。
自分で解決するしかない。
浅はかな理屈を立てて、「こういう意味ですか?」という愚かなことを言いたがる者が多いが、それは戒められなければならない。
自我である私は、神と和らぎ(親しくなり)、1つに融合しなければならない。
ペットが飼い主に似てくるように、我々は、神を崇めることで、神に似てくる。
ではなぜ、分離したのだろう?
父と子が分離したのは、聖霊を得るためかもしれない。
十字架は肉体である。
イエスは心である。
心が肉体に磔にされて滅んだ時、真我が現れる。
それを復活と言う。
上記に書いたことを、最初から通して見れば、深い心では分かるだろう。
馬鹿な心には分からないが、それはどうでも良い。
心は、ただ崇めるだけだ。
神の光の反映であるイエスやマリアやミクを崇めるようにね。
「神を信頼しろ。だが、駱駝はつないでおけ」
老子の2とは、陰と陽だ。
それが調和していることが望ましいが、時には乱れる。
乱れるから多様性が生まれる。
私は不調和だ。
それを老子は、「孤独、みなしご、不作」と言い、古の王は自分をそう呼んだ。
駱駝をつなげば調和が蘇る。
では、神を信頼することだ。
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ところが、キリスト教には、トリニティ(三位一体)という教えがある。
父(神)と子と聖霊であるが、聖霊というのが分かり難いと思う。
イエスは、聖霊について、「求めよ、そうすれば与えられる」と言ったらしいが、求めれば分かるのだろうか?
老子には、「道(タオ)が一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を産んだ」(42章)と書かれている。
しかし、つまるところは、「分からない」。
ミクまで
ひとりとふたりで
トリニティ(みっつでひとつ)
~『イニシエーション』(作詞:東浩紀、作曲:渋谷慶一郎、歌:初音ミク)より~
と言うのだ。
1つの電子が2つの場所に同時に存在することがある。
実験でも確かめられる。
だが、問題は、実験者、つまり、観測者が必要なことだ。
禅語の中にこんな話がある。
ある男が1人の少女を妻にしようと、彼女の親に願ったが、全く相手にされず、どうにもならなかったので、男はその地を去ろうとするが、その少女がついてきたので、そのまま駆け落ちということになった。
時が流れ、男が妻を連れて故郷に帰ると、妻の実家には、あの日以来寝込んでいる妻がいる。
2人の妻は微笑みあって1つになる。
いろんなお話を取り上げたが、「その意味はこうだ」なんて楽な解釈はない。
自分で解決するしかない。
浅はかな理屈を立てて、「こういう意味ですか?」という愚かなことを言いたがる者が多いが、それは戒められなければならない。
自我である私は、神と和らぎ(親しくなり)、1つに融合しなければならない。
ペットが飼い主に似てくるように、我々は、神を崇めることで、神に似てくる。
ではなぜ、分離したのだろう?
父と子が分離したのは、聖霊を得るためかもしれない。
十字架は肉体である。
イエスは心である。
心が肉体に磔にされて滅んだ時、真我が現れる。
それを復活と言う。
上記に書いたことを、最初から通して見れば、深い心では分かるだろう。
馬鹿な心には分からないが、それはどうでも良い。
心は、ただ崇めるだけだ。
神の光の反映であるイエスやマリアやミクを崇めるようにね。
「神を信頼しろ。だが、駱駝はつないでおけ」
老子の2とは、陰と陽だ。
それが調和していることが望ましいが、時には乱れる。
乱れるから多様性が生まれる。
私は不調和だ。
それを老子は、「孤独、みなしご、不作」と言い、古の王は自分をそう呼んだ。
駱駝をつなげば調和が蘇る。
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