ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

イエス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人間の最大の武器

他人が恐くない人間はいない。
つまり、他人が苦手なのは、ひきこもりや臆病な人間だけではないのである。
金持ちや権力者は、他人に配慮しなくて良い立場にあるだけで、意外なことに、彼等は、普通の人より他人が苦手で恐いのである。
彼等は、他人が恐いから富や権力を得たのである。
さらに、生まれた時から富や権力がある者は、なんと、心の中では他人を恐怖している。
金持ちや権力者が、家庭では普通の人よりずっと惨めな理由は、富や権力が通用しない身内に対し、彼等は何も出来ないので、間違った対処をしてしまうからだ。
ところで、家庭の中では、父親より、若い妻や子供の方が強いのである。
家庭の中で、父親がやたら権力を示したがるのは、実は自分が一番弱いことを知っているからである。
本当に強い人間が虚勢を張るはずがない。

世の中でうまくやっていくためには自信が必要だ。
ひきこもりが特に世の中でうまくやれない理由は自信がないからだ。
自信とは、所詮、他人との間のランキングで、自分が上位にあるという確信なのである。
ただし、勘違いしやすいのが、「どのランキングが自信をもたらすか?」なのである。
学校の成績というのは、偽りの自信しか与えてくれない。
だから、鼻高々の優等生は、不利な立場に置かれると、惨めなほど弱いのである。

では、何のランキングが自信をもたらしてくれるかというと、所詮、肉体の美と力である。
人間たるものが、何とも情けないことだが、それが事実である。
ただし、言うまでもないが、それらは、「あっという間」に失われてしまう。
イエス・キリストが人類の中で最も人気があるスーパースターである理由は、復活したからだ。
復活は、永遠の美と力を暗示しているのである。

当面の自信を持つには、誰にも負けない何かを持つことだ。
それがたとえ、学校の成績のような偽りの自信でも、あった方が良い。
だが、上にも述べた通り、肉体的な美や強さの方が効果的なのである。
優等生より、イケメンや可愛い子、スポーツマンが人気があるのを見れば分かると思う。
自信をもたらすものを何も持たないと、まるで駄目男君(私の職場にいる30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)になる。
そして、何かで自信を得たとしても、それが偽りの自信であることを自覚し、次に、本物の強さを目指すことだ。
それが、「本当に大切なものは目に見えない」ということなのだが、目に見える「ちょっと大切なもの」を先に得なければならないことを忘れてはならない。
ただそれは、1年365日、欠かさずやり続ければ得られるものである。
楽器の演奏とか、腕立て伏せとか、聖書を読むとか、どんなことでも達成出来る。ちょろい。
それでは、永遠の自信はどうやって得るのかというと、想像力を使うのである。
世間的な自信を得た人・・・金持ち、権力者、エリートが実際には驚くほど弱いのは、想像力を失ったからであると言えば分かるのではないかと思う。
失ってはならないもの、人間の最大の武器は想像力である。
詳しくは明日にでも書くが、それを得るヒントが、宇宙飛行と初音ミクさんのコンサートである。
なぜ、どれほど大金を積んでも宇宙に行きたがる人がいるのか、バーチャルなアイドルに心からの声援を送るのか?
そこに人類の究極の秘密があるのである。









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パンと花はどちらが大切か

勇気と自信は、どちらが大切だろうか?
比べることに意味はない。
それは、パンと花のどちらが大切かと訊くようなものだ。
普通は、パンの方が大切だと言うかもしれない。
しかし、人間は、花がないと生きられない。
それをイエスは、「人はパンだけで生きるのではない。神の言葉でも生きる」と言ったのだ。

パンは食べ物といった、物質的に必要なものの象徴。
花は、美しいものの象徴だ。
私なら、「私はパンだけで生きるのではない。初音ミクさんによって生きる」となるのだが。

花や神の言葉や初音ミクさんというのは、心の食べ物だ。
パンや魚やリンゴは身体の食べ物だ。
どちらも大切である。

ジョージ・アダムスキーが宇宙人に、
「ついでに朝食をとりましょう」
と言うと、宇宙人が、
「そうですね。我々は身体も養わなければなりません」
と言ったのが印象的だ。
我々は、心も身体も、両方、養わなければならないのだ。
疑うことなく誠実は大切だが、エッチだって大切である。

『星の王子さま』に、有名な、「本当に大切なものは目に見えない」という言葉があるが、目に見えるものも大切である。
ただ、「目に見えないものだって大切だよ」と言いたかったのだろう。
どちらがより大切って訳でもない。
愛のために死ぬことだってあるが、生きるために愛を捨てることが必要なこともある。
まあ、それがより大きな愛なのだが。

つまり、一番大切なものは、神の愛なのだが、それは人間には分からないので、ただ、神にまかせるしかない。
昨日、私は、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」のチケットの抽選に漏れてしまったが、こういったことも、神にまかせるしかない。
後、抽選は2回と、普通の販売の3度のチャンスがあるが、全部駄目でも、それが神の意思なら私の意思でもあるのだ。
まあ、当るに越したことはないがね(笑)。
そして、日曜昼のSS席のチケットは得ているので、それは本当に感謝している。
だが、一番大切なことは、ミクさんを敬うことなのだ。

神人とも言われた、合気道の達人、植芝盛平によれば、宇宙生成の音は「ス」だ。
「スススス」と称えると、新しくなり、若やぐ。
だから、「好き」という言葉をよく使うことだ。
高額な美容法より、よっぽどきれいになると思う。









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モテたかったら少しは良い服を着ろ

ラメッシ・バルセカールの本で見つけたのだが、スーフィー(イスラム神秘主義)の格言に、
「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」
というものがあるらしい。
バルセカールが、どんな意味で言ったのかは知らないが、私は、即座に気に入ってしまった。
そして、今では、これが人生最良の心構えだと思う。
これを忘れなければ、まあ、困ったことにはならないし、望みを叶え損なうこともない。

神は自分の内部にいる。
それは間違いない。
本物の賢者は例外なく、そう言う。
そして、イエスが断言した通り、神は、どんな願い事も叶えてくれる。
ミルトン・エリクソンは、「無意識を信用しなさい」と科学的に言ったが、無意識の中の力が神の力だ。
それは、想像を超えた、途方もない力である。

ニートだが働きたければ、願えば、神は良い仕事をくれる。
だが、よほど優れた技量を持っているのでない限り、誰かが、自分のところまで、うやうやしくスカウトに来るはずがない。
それなのに、良い仕事の情報が目に入ったのに電話1本もしなかったり、誰かから、「こんな仕事があるが、一緒に見に行かないか?」と誘われても、面倒臭がって見に行かなければ、仕事は得られない。
ところが、そんな人間は多い。
神を信用すべきだが、駱駝をつなぐ程度のことはしなくてはならない。

神様は慈悲深いので、可愛い彼女や格好いい彼氏が欲しければ、ちゃんと引き合わせてくれる。
だが、それなら、普段から、ちっとは良い服を着たり、少しは食を慎んでダイエットしたり、たまには良い本を読んで心を磨いたりといった程度のことはしなければならない。
だが、それを全くせず、相変わらず汚い格好で、だらしない生活をする者に、素敵な彼女や彼氏が出来るはずがないじゃないか?

忘れてはならないのは、あらゆる達成は、自分と神との共同作業であり、神は年長のパートナーであるということだ。
仕事のパートナーがいかに優秀でも、自分は何もせずに遊んでいたら良い成果は得られない。自分がパートナーに著しく劣るとしても、パートナーを信用すると同時に、自分も出来ることをしなければならない。
だが、多くの人は、怠惰に何もしないか、余計なことをするかのどっちかなのだ。

私は、昨年も今年も、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」のSS席のチケットを得るための宿泊プランへの申込みに遅れ、初めはチケットを得られなかった。
だが、がっかりしながらも、その後、さりげなく申込みサイトを確認したら、希望する条件に合うコースに空きが出ているのを見つけ、無事、申込めた。
昨年も今年もそうだった。
神を信用すべきだが、駱駝はつないでおく・・・この場合、申込みサイトを確認するくらいは、しなければならないのである。
昨年と今年の「マジカルミライ」のおかげで、この大切なことを改めて感じ、しっかり覚えることが出来た。
やはり、ミクさんは私を導いてくれる天使だなあと、つくづく思う。









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さりげなさが幸運を呼ぶ

それほどよくある話でもないと思うが、友達の付き合いでアイドルのオーディションを受けたら自分がアイドルになってしまったという人は案外いるらしい。
宝くじを買って、「当たりますように」と必死に神頼みをしたり、「信念が大事だ。当る、当る、必ず当る」と念じたりしても、まあ、効果はないが、気まぐれに買ったり、拾った宝くじで大金を当てた人がいたりする。
これらは、珍しい話だからスポットライトが当るというものでもあるのだが、案外に運の本質を示している。
というのも、私個人でも、アイドルや宝くじではないが、似たような経験がゴマンとあり、皆、忘れているだけで、きっとそうだからだ。

友達の付き合いで、アイドルオーディションに行ってアイドルになった人や、気まぐれで宝くじを買って大金を当てた人達だって、アイドルになることや、宝くじを当てることに興味がなかったわけではないのだ。
ただ、クールでさりげなかったのである。
しかし、さらに言えば、クールでさりげないが、案外に、内心の期待はあったのだ。
近藤真彦さんの有名な歌『ギンギラギンにさりげなく』といった感じである。この歌の作詞をした伊達歩さんは、もちろん一流の作詞家だが、伊集院静のペンネームで大変な数の著作を持つ大作家でもある。彼の「大人の流儀」シリーズは実に味わい深いので、良ければ1冊読んでみると良いかもしれない。

この世は、信じれば叶う世界である。
だが、信じることは難しい。
イエスは「山に動いて海に入るよう命じ、その通りになると信じて疑わないならそうなる」と言ったが、これは、心の力の偉大さと共に、信じることの難しさも示しているのだろう。
人は、無理矢理何かを信じることは出来ない。
秘密を1つ教えると、気まぐれで宝くじを買って当った人は、当ることを信じようとはしなかったが、当ると信じてはいたのだ。どういうことかと言うと、「当ると信じさせられていた」のだ。
誰に信じさせられたと言うと、「自然に」としか言い様がない。まあ、「神に」と言っても良い。
つまりだ。
人は、自分で信じることは出来ない、信じさせられるだけなのだ。
それでは面白くないので、実用的なことも言ってみよう。
「僕の愛が信じられらいのかい?」
「信じていないわ。でも疑ってもいないわ」
こんな女の子が本当にいたら、その子は賢者である。
「人は愛することは出来ない。憎むのをやめることが出来るだけ」と、アイルランドの詩聖W.B.イェイツが言ったが、それが真理だ。
そして、疑わないことや、憎まないことを、本当に出来ている時というのは、人は「さりげない」のである。
怒りを必死で抑えている時は、まだ実際は怒っている。
本当に怒りを消せる時には、さりげなさがある。
普段、さりげなく、怒らないこと、疑わないこと、憎まないこと、恨まないこと、妬まないこと・・・を練習してコツを掴めば、まあ、大抵のことは思い通りになる。
これは、大秘法なので、さりげなく書いておく。









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王子様・お姫様として育てられた人間は、どこでも必要とされない

犬を飼ったことがあるだろうか?
犬は、きちんとしつけたら、従順で賢い動物だ。

昔、小鳥や金魚の他に動物を飼ったことがない私の家で、突然、小型犬のマンチェスター・テリアの赤ん坊を貰って、飼うことになった。
我々家族は、徹底して甘やかした。
犬が、「くうん、くうん」と切なそうな鳴き声を出すと、それを止めるためには、何でもしてやった。
結果、とんでもない馬鹿犬になった。
自分の欲求が叶えられないと、吼えまくり、暴れまくり、平気で人間を噛んだ。

しかし、犬をそんなふうに育てる家なのだから、私もそう育てられたのだろう。
私も、とんでもない馬鹿な人間になった。
それで、当然、ニートになったが、幸いだったのは、二十歳そこそこの頃、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンになり、かなり世間に躾けられて、少しはマシになったことだ。
これも、19歳の時に、ジョセフ・マーフィーの本を読んだおかげかもしれない。

私の友人だった、セールス会社の社長(もう亡くなったが)のところに、一人の青年が預けられた。
その社長はクリスチャン(キリスト教徒)で、同じ教会に所属する人に頼まれて、その人の息子の面倒を見ることになったのだった。
その青年は、いい歳になっても、引きこもって、勤めようとしなかった。
社長は、自分の会社で、その青年にセールスをやらせた。
ある日の夜、会社に帰ってきた青年に、社長が、「今日はどうだった?」と、セールスの様子を尋ねた。
すると青年は、「今日は心が落ち着かなかったので、1日、教会でお祈りをしていました」と、多分、真面目に答えた。
きっと、とんでもなく、甘やかされた青年だったのだろう。
心はセールスは嫌がるが、お祈は、それよりは、はるかにマシだというだけの話である。
青年は、心が喜ぶ方を選んだだけだ。

犬も人間も、心が喜ぶことばかりをしていれば、心は暴君になって、主を滅ぼす。
心がどれだけ嫌がっても、良いこと、やらなければならないことをしなければ、私が飼っていた犬や、私や、上の愚かな青年のようになる。

犬の躾け方の基本は、お菓子を絶対に与えないことだ。
犬は、お菓子を欲しがるが、断固として与えてはならない。
人間が美味しそうに食べても、犬は駄目なのだ。
それは、可哀想でも何でもない。
そうやって、人間と犬の立場の違いを教えなければならない。
人間と犬は、平等なんかではないのだ。
同じく、心には、下僕としての立場を教えないといけない。
子供が、我が家の王子様、お姫様なんて、とんでもない話で、そんな育て方をした子供はお仕舞いだが、そうやって育てられた人間が多いのだ。
子供には、親との立場の違い、つまり、親よりはるかに下であることを教えないといけないのだ。
本当に王族に生まれても、賢い王や王妃は、子供を王子様、お姫様扱いなどしないのである。

さて、不幸にも、間違った育てられ方をして、悪魔である心が王座についてしまった人間はどうすれば良いだろう?
まあ、まずは、「これではいけない」と気付かなければならないのだが。
悪魔を王座から引きずり下ろし、自分が王座につくためには、犬からお菓子を取り上げるように、最大の欲望を犠牲に捧げるのだ。
好きで好きでたまらないもの。
それのことを思うと、狂気のようになること。
それを、切って捨てるのである。
イチローがいかに野球が好きでも、それを思って狂気になったりはしない。
そういった、信念のあるものでの、こだわりは良いのである。
逆に、貶されて、激怒するような「好きなもの」は偽物である。
イチローは、若い時でも、「野球なんて下らない球遊びだ」と言われても、悔しいかもしれないが、相手にならなかったはずだ。
私だって、初音ミクさんのことで酷いことを言われても、悔しくはあっても、やり返そうとは思わない。

さて、私は犠牲を捧げた。
それで、神の力を取り戻したのである。
多分、キリスト教の真の意味も、そういうことなのだと思う。
イエスは、肉体の生命に象徴される何かを捧げ、精霊を得たことを示したのだ。









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