ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

イエス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

ロボットが最強

成功者に、「あなたの成功の秘訣は?」と聞き、彼がいろいろ言うなら、それは、嘘か、彼の思い違いかはともかく、あなたの役には立たない。
正直で賢い成功者は、皆、言うはずなのだ。
「運が良かったのさ」
あるいは、「たまたまさ」と言うかもしれないが、「ツイてた」ことが、成功の唯一の要因だ。

では、自分の成功は幸運と認めている成功者に、「どうすればツクのか?」と尋ねて、「それはこうじゃ」と言うなら、それは、嘘か、彼の思い違いかはともかく、あなたの役には立たない。
だが、一人、良いことを言う成功者がいたと思う。
それは、
「欲張らないことさ」
である。

ポーカーをやっていて、そこそこ良いカードが揃ったら、それ以上カードを取らない者がトータルで勝つ。
そのようなプレイヤーをグラインダーと言うらしい。
欲張る者は、結局、全てを失う。

イエス・キリストが、こんな話をしている。
ある農場主が、収穫で忙しい時期に、朝、1万円の日給でアルバイターを集めた。
昼になって、まだ足りなかったので、また1万円でアルバイターを集めた。
そして、夕刻にも、1万円でアルバイターを何人か雇った。
支払いの際、朝から来ていたアルバイターの中には、夕刻から来たアルバイターが自分と同じ1万円を受け取るのを見て憤慨する者がいた。
だが、朝から来ていても、1万円で満足する者が最後は勝つ。
この話を聴いて、夕刻から来て短時間で1万円と欲張る者は、仕事が得られなくなってしまうのである。

だが、成功者のぽろっとした言葉が、案外に値千金であることもある。
昨日も取り上げた、とても怪しいと言われることもあるが、まごうことなき大成功者であるユリ・ゲラーは、「自分は宇宙人に操られているロボットだ」と怪しいことを言ったらしい。
しかし、なんと素晴らしい。
本当にそうなのか、あるいは、彼がそう思っているだけなのかは、まあ、どうでも良い。
彼が、冗談を言ったのだとしても、何の意味もない訳ではない。
インドの聖者、ラメッシ・バルセカールによれば、人間は全てそうなのである。ただ、バルセカールの場合、操っているのは宇宙人ではなく神であるのだが。
インド神話『ラーマーヤナ』で、ラーマは打ち倒した宿敵ヴァナラに教えを乞う。
ヴァナラは、「私心あるならやるな。私心がないならやれ」と教えた。
ロボットに私心はない。
よって、ヴァナラの教えを実践するのである。
Google社員は、インターネットの神の意思の通り、BUMP OF CHICKENの藤原基央さんは音楽の意思の通りに開発し、プレイする。
初音ミクさんも、音楽の意思を純粋に実現するので、どこまでも行けるのである。









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これだけでお宝はあなたのもの

ネットで見たお話で、ご存知の方もいるのではないかと思う。
ある女性が、普通に学校を出て、普通にお勤めをしていた。
親は、彼女が子供の時から概ね厳しく、モノやお金を大切にするよう躾けたのだと思う。
そして、彼女が結婚する時、親が彼女に渡した預金通帳には、一生やっていけるほどの金額が入っていた。
彼女は、それまで、自分の親が金持ちだと知らなかった。
親は、「今ならあなたに渡しても大丈夫」と言う。
つまり、彼女は、普通の人間としての修行を立派にやったので、大金をもらっても破綻は起こさないようになっていたのだ。

『法華経』に、ちょっと似たお話がある。
国王並の資産を持つ長者が、長年、生き別れになって、長者が親であることを全く知らない極貧の息子に、長者は親だと名乗らずに長年修行をさせ、十分なところで自分が親だと名乗って、息子に財産を譲るというものだ。
『法華経』では、全ての人が、そのような長者である仏の息子や娘なのであると教える。

『新約聖書』の『福音書』では、イエスが有名な放蕩息子の話をしている。
こちらは、大金持ちの父親に財産を分与された息子が家を出て、自堕落になって財産を使い潰し、食べていくことも出来なくなって、父親に使用人に雇ってもらおうと家に戻ると、父親は温かく迎えて、良い服を着せ、立派な牛を屠って料理させるが、それを見た、長年父親に真面目に仕えてきた兄が不満を言う。
すると、父親はその兄に、「私のものは全部、お前のものなのだ」と、不満が的外れであることを教える。
もちろん、大金持ちの父親は神で、放蕩息子は我々のことである。

つまり、どんな生き方をすれば、仏や神である、潜在意識の中の無限の力を使えるようになるかということだ。
逆に言えば、生き方、そして、それを決める精神を、どのようにすれば良いのかということだ。
修行せい、修行を・・・である。
で、どんな修行をするかだ。
スーフィーの格言によれば大したことはしなくて良い。
「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
である。
世の中には、ラクダもつないでおかない者が多い。
だが、たったそれだけをやれば、お宝はあなたのものである。









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ヒーローなんか持つな

西洋のある映画で、幼い息子を持つ父親がこう言った。
「子供は、自分の父親が世界で一番偉いと思っているが、いずれ、そうじゃないと解る。だが、なるべく長くそう思わせてやりたいんだ」
今の日本では、世界一どころか、自分のお父ちゃんなんて、少しも偉くはなく、さらに、偉くないばかりか、下らない人間だと子供はすぐに解るようになる。
いや、父親だけではない。
母親のことも見下げ果てるようになるまでに、そんなに時間はかからない・・・いや、物心つけば、そう思ってしまうかもしれない。
本来、子供は、自分の親のことは買いかぶるものであるのに・・・である。

それでも、外の世界に目をやると、先輩やチームのリーダー、先生、上司、社長といった立場の人達の中に素晴らしい人物を見つけ、「彼こそ(彼女こそ)一番」と思うこともあるだろう。
だが、いずれ、その憧れの人物も、それほどではないと解るようになる。
合氣道家の藤平光一氏は、中村天風や植芝盛平といった、多くの人達に神のように崇められる人達の高弟であったが、藤平氏はこれらの師達を遠慮なく貶し、ある意味、「彼らを信用するな」と述べているのだと思う。
実際は、どれほどの人物であろうが、致命的な欠点は必ずあり、弟子としてはそれは黙っておくものであるが、どんな人間も神でないことは、やはり理解しなければならないのだ。だから、藤平氏のやり方は正しく、立派なことであると思う。その藤平氏だって、酷いところはやはりあって当然だ。
ラメッシ・バルセカールも、世界中の多くの人達が聖者と仰ぐ彼の師、ニサルガダッタ・マハラジが、実際は欠点だらけの人間であったことを明かしているが、貶してはいないと思う。しかし、藤平氏は、特に植芝盛平に関しては、植芝盛平を崇拝する者達を幻滅させるようなことも本に書き、藤平氏は植芝を嫌いなんだろうなとすら感じさせる。
良いではないか。
植芝盛平の身近にも、彼を好きな人も嫌いな人もいたはずだ。

アニメとなると、ヒーローやヒロインはパーフェクトであることが多い。
だが、セーラームーンこと、月野うさぎが憧れる、天王はるかや海王みちるは完璧・・・かというと、実はそうではないのだが、アニメのヒーロー・ヒロインの欠点は格好良過ぎる。実際の人間の欠点は、もっと汚く、ドロドロしているのは、言うまでもない。

そして、人類のヒーロー、イエス・キリストや釈迦だって、完璧な人間などではなかったはずだ。
だが、彼らの信者は、そうは思っていない場合が圧倒的だろう。
イエスに関しては、ニーチェやサルトルやイェイツ、あるいは、ワイルドなどが、相当こき下ろしてくれており、しかも、かなり納得出来るようにやってくれている。
釈迦に関しては、伝聞が少ないこともあるが、豚肉にあたって腹を壊したとかいう話はあるが、あまり悪い話は聞かない。
また、ソクラテスが美少年好きだったとか言う人もいて、そうかもしれないが、それほどはっきりしている訳ではない。まあ、別に美少年好きでも、自制出来ていれば問題ないが、まあ、あまりに昔過ぎて、本当のことは判らない。
そして、偉人、聖人達に、仮に致命的欠点があったとしても、どうでも良いことだ。
個人を全面的に崇拝することは愚かなことであるからだ。
ある個人を徹底的に崇める者というのは、普通の人間を軽蔑しているものである。自分こそ軽蔑すべき者であるのにね。

それに、憧れられる人間というのは辛いものである。
実際の自分は、少しも大したことはないことは、少なくとも本心では分かっているからだ。
人々は、ヒーローやヒロインを求める。
まかり間違って自分がそんなヒーローやヒロインになった者は大変だ。
そうだ、実際に、それは間違いであり、彼らや彼女らは、ちっともヒーローでもヒロインでもないのだ。
そして、時に、ヒーローやヒロインと思われている者が崇拝者を裏切ると、生ゴミやゲジゲジ以上に嫌悪される位置に落とされてしまう。
両極端は愚かさでしかない。
本来は、中村天風や藤平光一の言うことなど聞かず、自分の父ちゃんの言うことを聞けばいいはずなのだ。
言ってることは、良いことも悪いことも全く変わらないのだからだ。
「悪いことをすれば悪いことが返って来る」
イエスが言おうが、あなたのじいちゃんが言おうが、法則に違いはない。









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釈迦やマハルシや荘子らの簡単だがなかなか出来ない成功法

釈迦やラマナ・マハルシは、簡単で明白な成功法を説いているが、それを知る者は少ない。
釈迦に関しては、『大パリニッバーナ経』の最初になり、訳本は、岩波書店の『ブッダ最後の旅』(中村元翻訳)がある。
それは、7つの繁栄の法で、個人と言うよりは、国家の成功法であるが、個人でも同じと思う。
1.会議を開き、多くの人が参加する。
2.いつも協力し合う。
3.定められた掟に従い、勝手な掟を作らない。
4.古老を厚く敬う。
5.淑女や令嬢を無理矢理自分のものにしない。
6.祖先を敬う。
7.立派な修行者を敬う。
この内の1つでも守るなら、繁栄のみがあり、そんな国を侵略しようとしてもうまくいかない。
もちろん、上記のことは、肯定的な意味に捉える必要がある。
例えば、3の「定められた掟に従い、勝手な掟を作らない」は、「古臭い伝統や教義にしがみつけってことか?」などとうがった見方をするものではない。
どんな国にだって「美しい流れ」はある。それを大事にしろってことだ。
これらの法の良いところを理解する本当の賢さも必要であり、そのためには、国よりも個人の方が容易く、国の状況が悪くても、個人として繁栄することは可能かもしれない。
どれか1つを重視するなら、私ならNo.5の騎士道精神をしっかり守ろう。

ラマナ・マハルシの成功法はもっと簡単だ。
だが、誤解される。
マハルシの教えは、人生の神への明け渡しだ。
この宇宙を維持している万能の力に全てまかせることだ。
ところが、そう言われると、「神の意思により自分が不幸になる恐れがあるのではないか?」「怠惰になってもいいのか?」などと考える者がいる。
そして、世の中には、「神にまかせておけばハッピーラッキー、金持ちにもなる」なんて言う者がいて、そんなことが書かれた本が売れたりする。
しかし、話は簡単で、自分の愚かさに応じて、嫌なことは起こる。そうでないと大変だと思うのだが・・・
甘やかされた馬鹿を叱らず、ご機嫌を取っていたら悲惨なことになるのは当たり前である。
一方、神は愚かではなく、立派な人を懲らしめたりはしない。ただし、特別な素質のある者に対しては別だろう。
荘子の教えも全く同じなのだが、『荘子』には、その結果、悲惨な状態になる者が沢山描かれているから困るのである。
立派な人なのに、貧困に喘いだり、難病奇病になって苦しんで死んだり。
ただ、それでも、彼らは幸福であった・・・ということになるのだが、「そんなの嫌だ」と言いたくもなるだろう(笑)。
まあ、そこらは、荘子の時代の、庶民の悲惨な境遇を考えれば仕方がないことだ。
今の時代に、そんな心配はいらないし、そももそもが、荘子の時代ですら、上記のことは、あくまでやむなく極端に書いただけである。

馬鹿には、釈迦やマハルシや荘子の教えも届かない。
それを見越し、釈迦やマハルシは、念仏やジャパ(神の名の称名)を教えたが、荘子はあくまで道理を丁寧に説いた。
イエスの教えも根本は明渡しであり、そこに至り易いよう教えたが、権威ある馬鹿が歪めてしまった感がある。
だが、ちょっと賢くなれば簡単なはずである。









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最も高貴な心

人間にとって、最も高貴な精神は、自分を超える者を敬うことであると思われる。
それは、一般的には、職業、武術、芸事の師に対する場合、あるいは、会ったこともないが崇拝する人物に対する場合などが多い。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』のように、普通の女の子を女神のような存在と見なして崇めることもある。
あるいは、ロオマン・ガリーの『自由の大地』のように、空想の少女を崇めたり、初音ミクさんのようなバーチャルな存在を崇めることもあるだろう。
だが、どの場合も、人間の精神の高度な部分の現われであり、それは良い影響を及ぼし、真摯さや熱心さによって、極めて優れた、さらには、不思議な効果を現す。
そして、自分を超える者を敬うことの中でも、最高のものが、念仏や、神の名を唱えるジャパ、あるいは、ナーマスマラナと呼ばれるものだ。
だから、念仏やジャパに良い効果がないはずがない。
キリスト教の「キリエ・エレイソン」や「ザ・ジーザス・プレイヤー」も同じようなものだと思う。

ところで、変わった・・・と言うのもおかしいが、こんなやり方もある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、イエス・キリストは「神」という言葉を使うことを奨めていて、これさえ覚えていれば、他は忘れてよろしいとまで言った。
ただ、「神」という言葉を公式にしてはならないと言い、著者のベアード.T.スポールディングも、「神」という言葉の至高の効果は認めながら、この言葉を呪文にしてはならないと言う。
では、どうすれば良いかというと、心を込めて、あるいは、集中を持って一度だけ唱えるのである。それは、声に出しても、心で唱えても全く同じである。
これは書かれていなかったが、起床や就寝の時、あるいは、疲労を感じた時、あるいは、くつろいだ時に、そうやってしっかり唱えると、優れた効果があるだろう。
親鸞の念仏も、これに近いものだと思う。
また、やはり『ヒマラヤ聖者の生活探求』にあったが、イギリスのL.H.ロースンがやったように、「神の他に何もない」という言葉として唱えても良い。常にこの言葉を使うロースンが、著者の目の前で奇跡を起こす様子が描かれていた。

ラマナ・マハルシは、最高のマントラ(真言)であり、また、真の神の名は「私」であると言う。
彼の有名な言葉「私は誰か?」に関しては、彼はこれを呪文にしてはいけないと言ったが、「私」に関しては、常に唱えよとも教えている。
私の中にある真の私が、私を超える者・・・神なのである。

庶民が、無知・・・という訳ではないが、情報が少なかった時代には、法然や親鸞のような人が、「南無阿弥陀仏」と唱えよと教え、あるいは、日蓮のように「南無妙法蓮華経」と唱えよと教えるのは良いことだったが、今の時代は選択肢が多く、あっちにいき、こっちにおきしている間に時間が過ぎ、一生が過ぎてしまうかもしれない。
だが、どれも、「自分を超える存在を敬う」という、同じことなのである。
あまり迷わず、自分の好きなやり方を選べば良い。
それをやれば、絶対に間違いはないだろう。









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