ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

イエス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人間は放っておくと楽な方に流される

人間は、放っておくと堕落する。
私は初めて社会人になった時、職場の先輩達は皆、尊敬すべき立派な人達だと感じていた。
しかし、半年も経った頃、それは、彼らが上辺の体裁を整えていただけで、本当は呆れるほど腐っていることを発見し、愕然とした。
そんな中、誰かが言った言葉が胸に刺さった。
「人間は放っておいたら楽な方に流される」
全くその通りなのだろう。
そして、それはきっと、子供でも同じなのだ。
ただ、子供の場合、理由はいろいろだが、自分を律する気持ちを持っている場合が多く、理性的に考え、振舞う子が多いのではないかと思う。
だが、そうでない子も多く、そんな子は、楽な方に流されるままになっていて、やはり腐ってしまっている。
楽な方とは、快楽をひたすら求めることで、親がそれを止めてやらなかった子供、むしろ、親がそう、そそのかしてきたような子供は最悪だ。
それは、親自体が快楽主義者だからだろう。
中学とか高校で、性的にすっかり乱れてしまっているような者も沢山いるが、それも、楽な方に流されたなれの果てである。

結局のところ、人間の運命は、自分で自分を律することが出来るかどうかで決まる。
ただ、自分を律している場合でも、2つのケースには気をつけないといけない。
1つは、親に理想主義を押し付けられた子供で、高い理想は持っているが柔軟性がなく、結果、他人には物凄く厳しいが自分には甘く、身の程知らずに他人を見下す。
実は私がそうなのだ・・・と、自覚出来たのは最近だ。
もう1つは、得なことだけ自分を律する者で、それも親のしつけでそうなったのだと思うが、そんな教えには、子供も同調し易い。例えば、試験で良い点を取ることは頑張るが、得にならないことはどうでも良いと思っていて、冷淡だったり、無慈悲だったりする。それも、得と思えること以外は楽な方に流されていることであり、いずれ、最も得な部分以外では乱れていき、早い場合は、小学生の時は優等生で秀才だが、中学ではさっぱりになったり、早くから性的に奔放になったり、肥満したりで、結局は堕落した醜い人間になる。

イエスが人々に、モーセの律法(十戒のこと)を守るよう厳しく言ったのは、何か自分を律する掟を持たないと、人間は楽な方に流されて堕落してしまうことをよく知っていたからだろう。そのために、人々に馴染みがあり、多少でも尊重する気持ちがあるモーセの律法を持ち出したのである。
いかに他力(神仏の力に頼ること)を説いた者でも、何か戒めを人々に与えているものである。
例えば、全て神(天照大神)にまかせよと教えた黒住宗忠も「稼業に励め」など、いくつかの訓戒を教えているし、念仏さえ唱えれば良いと教えた法然も、念仏だけは規則正しく忍耐強く唱えることを厳しく教えている。
親鸞は法然に比べて随分ゆるいが、それは、親鸞が、自分が堅苦しい理想論者であったことを自覚し、それを脱却したかったことから来ているように思えるのだ。
だから、親鸞の教えには一貫性がなく、解り難いところは確かにあるのではないかと思う。
しかし、心の中に、凝り固まった理想主義を持っていて、それに苦しんでいるような人には、親鸞は救いのように感じるのだ。

あまりにありきたりに感じるかもしれないが、やはり人間は、最低限の理想を自分に課し、それだけは死んでも守らないといけない。
ジェームズ・アレンのように、徹底的に高貴な人であれという教えは、多くの場合有害ではないかと私は思う。
私は、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」という、エマニュエル・スウェーデンボルグの教えが良いと思う。
あるいは、昔の話だが、世良公則さんが、未成年女子には手を出さないと言ってたのも、非常に良い掟だと思うのだ。
ロリコンなら特に、少女には決して手を出さないことを誓うと、幸運に恵まれると思うが、それが出来ないと堕落の勢いは凄いことになるのは、まあ、間違いない。

何をやっても駄目で、皆に蔑まれる惨めな、まるで駄目男を知っているが、彼は、結局のところ、自分を律することが全くなく、ひたすら楽な方に流された哀れな男であるというだけのことだ。
彼とは逆に、あまりに厳しい掟を自分に課し、それを守らないと自分には何の価値もないと恐れるあまり、いびつな人間になっている者も、いくらかはいる。
そんな者が楽に生きられるようになるのは、かなり難しい。
彼も、人間はバランスが大切だと、頭では解っている場合があるが、どうして良いか分からないのだ。
彼には『歎異抄』がお薦め出来るかもしれない。
とはいえ、自分に甘い普通の人は、自分を律してExcel VBAを習得し、給料を上げて余裕を持って善い人間になろうと思えば良いと思う。









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チャンスに備える

人間は、幼い時もだが、生まれてくる前の母親の胎内にいる時の状態も非常に大切で、母親の役割・責任は極めて重い・・・なんて話をよく見た。
ソニー共同創業者の井深大さんや、思想家の吉岡隆明さん、そして、著名な発生生物学者のブルース・リプトンは科学的に懇々と著書に述べている。
しかし、そんな立派な母親がどこの世界にいるのか?
そんなものがいるはずがなく、あなたも私も、母親、そして、父親や学校の影響を受けた潜在意識にはガラクタが詰め込まれていると思って間違いがない。
大切なことは、そんなボロボロの潜在意識を抱えた我々が、どうやれば人生を楽しく生きられるかではないのかね?
潜在意識の力は極めて大きく、心はそれに決して逆らない。
その潜在意識が、あなたの人生を破壊するようなもので一杯なのである。
ところが、催眠療法など、精神の専門家による治療に頼ることは無意味だ。むしろ、逆効果になる場合が圧倒的だろう。
なぜなら、心理療法家や精神科医に頼ると、彼らの潜在意識の暗闇まで追加で背負ってしまいかねないからだ。

じゃあ、どうすればいいかというと、そんなこと、聞くまでもない。
怪しげな潜在意識浄化のテクニックなど不要で、そんなものは潜在意識を改悪化するだけだ。
単に、我々が「自分でしゃんとする」しかない。
泣き言を言わず、前を向いて、即ち、希望を持って生きる。
アホらしいほど当たり前だが、他にやり方なんてあるはずがない。

あえて言えば。チャンスが来た時に備えておくことだ。
身体を鍛えたり、勉強したり、身だしなみを整えたりしてね。
せっかくチャンスが来ても、体力がなかったり、必要な教養がなかったり、また、場合によっては外見がボロボロのままでは、著しく不利になりかねない。
そして、チャンスは必ず来ると信じ、それに備えることが、潜在意識を浄化する最良の方法なのである。

それについて、イエスがこんなことを教えている。
6人の乙女が、夜に外で花婿を待っていた。
3人は、ランプの予備の油を持っていたが、他の3人は持っていなかった。
ところが、花婿はなかなか来ずにランプの油が足りなくなり、予備の油を持っていなかった乙女達は油を買いに行く。
しかし、その間に花婿が来てしまい、油を買いに行った乙女達は見捨てられた。
チャンスは遅れてくるかもしれず、それに備えなければならない。
駆け出し俳優だったバート・レイノルズは、大俳優クリント・イーストウッドに、「成功するまでどうしてましたか?」と尋ねると、イーストウッドは「準備をしていた」と答え、理解したレイノルズは、そこから飛躍した。
『灼眼のシャナ』でも、敵の要塞に捕らえられ、手も足も出ない状況の中でシャナは、「何か必ず起こる」と信じ、それをただ待っていたのではなく、ただし、無駄な悪あがきをせず、その何かに備えたのだ。
「チャンスに備えて何をするか」
これだけが人生を分けるのである。









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言葉と潜在意識の力

水平に伸ばした腕を、他の人が押し下げることが出来るかどうかというテストがある。
もちろん、体重が重い、力の強い人が全力でやれば、誰だって押し下げられてしまうが、条件によって、押し下げられることに対する抵抗力に差が出ることを調べることが目的である。
Oリングテストも似たことをするのだと思うが、腕の押し下げの方が上手くやれるかもしれない。
私が、そんなものを初めて知ったのは、合氣道家の藤平光一氏(藤平氏は「合気道」は間違いで「合氣道」が正しいとする)の『氣の威力』という本で、確か、この本では、「腕を押し下げる」ではなく、「肘を曲げる」だったような気もするが、同じことと思う。
藤平氏は、「重みは下にある」という自然なことを言えば氣が出て腕は下がらないが、「重みは上にある」といった自然に反することを言えば、簡単に下げられてしまうと言う。
また、藤平氏は「好きだ」という言葉を言っても氣が出るし、「氣が出ている」と思うだけで出るのだとも述べられている。
UFO研究家の矢追純一氏は『カラスの死骸はなぜ見あたらないか』で、これについて詳しく書いておられた。
伸ばした腕と反対の手にタバコを持てば、腕は簡単に下げられてしまうが、キャラメルを持てば、タバコを持った時と比べ物にならない力が出て、しかも、自分が持っているものが、タバコかキャラメルか、自分では分からなくても同じ結果になるという。
これは、タバコは身体に悪く、キャラメルは、少なくとも、タバコよりははるかにマシだということなのであるが、もっと面白い実験は、言葉を書いた紙を使うというものだ。
「タバコ」と書いた紙を持てば、本人は紙に何が書かれているか知らなくても力が抜けてしまうし、「和菓子」「果物」など、その時に身体に適したものであれば力が入るのだということだ。
著名な発生生物学者のブルース・リプトンは、この実験が人生を変えたと言う。
彼は、こんな実験を初めは馬鹿にしていた。なんと言っても、西洋流の教育をみっちり受け、それを生かして生物学の博士号を取り、あちこちの一流大学の医学部教授を務め、特に、スタンフォードでは終身職まで得ていたのだからだ。
彼は、カイロプラクターにこんな実験をさせられた。
腕を伸ばして「私はブルース(自分の名)だ」と言わされた。腕に力が入り、腕は下げられなかった。
だが、「私はナンシーだ」と言ったら、力が全く入らず、腕は押し下げられる。
西洋の科学者である彼は、その結果に納得がいかず、「ちょっと待ってくれ」とやり直しを要求したが、同じことだった。
また、その時、リプトンは自動車事故が身体が壊れていて、どんな治療もなかなか効果が出ないのに、カイロプラクターの簡単な施術であっけなく身体が回復したことにも驚いたようだ。
リプトンは、「潜在意識は自分がブルースだと知っているので、それに従えば力が入ったが、潜在意識に逆らって自分はナンシーだと言えば、力は出ない」と言い、いかに意識が潜在意識に逆らえないかを証明する実験だと述べる。

では、私なら、「私は初音ミクさんが大好きだ」と言えば、たとえガンダムやトランスフォーマー、グレートマジンガーが挑んできても、腕は1ミリも下がらないだろう。
あるいは、「初音ミク」と書かれた紙を持てば、元気百倍、勇気千倍で、千万の敵も蹴散らすであろう。
「ミクさんマジ天使」の呪文を唱えれば、人類は超人類に進化するのだ。
まあ、そんなつもりで、上のことを実用するのも手かもしれない。
また、精神科医のデヴィッド・ホーキンズ博士が『パワーかフォースか』『<わたし> ―真実と主観性』で、このような実験と、その深い意味について書いている。

いずれにしろ、言葉は大事である。
くれぐれも、心を汚し、潜在意識のエネルギーとのつながりを断ってしまう言葉は使わないことだ。
イエスも言ったものだ。
「我々は口から入るもの(食べ物)では穢れない。口から出るもの(言葉)で穢れるのである」
尚、口から出る言葉は、心から出ているのであるから、心の想い、あるいは、心で言う言葉も大切であるのだと思う。









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自分を太陽だと思った月

社会不適合者とは何かを細かく分析するとキリがないが、それはつまるところ、「他人とうまくやっていけない者」だ。
そして、なぜ他人とうまくやっていけないのかも分析し出すとキリがないが、これも、早い話が「中2病」、つまり、自分を特別な存在と思っていることだ。
いや、自分を特別な存在だと思うことは、差し支えないし、必要ですらある。
要は、自分がどう特別なのかの認識が大いにズレていることが問題なのだ。

この問題も、分析なんかしたら、ややこしくて仕方がない。
だが、こう言えば十分である。
中二病患者は、自分はイエス・キリストだと思っているのだ。
中二病患者が新約聖書の福音書のイエスの物語を読むと、「ああ、これが私だ」と思う。
それは正しい。
イエスは中二病患者だ。
だから、世間の人々はイエスを軽んじ、馬鹿にしたのだ。
いや、イエスを崇拝し、熱狂していた人々はいっぱいいたと言いたいかもしれないが、それはまさに熱狂した人達で、おかしな人達だった。
だが、イエスは死んで復活し、中二病を克服したのだ。
つまり、イエスという自我が滅んだ・・・自我はあるにはあるが、太陽であることをやめ、月になったのだ。

福音書は、中二病イエスの4通りの物語だ。
人間は皆、大なり小なり中二病で、自分を太陽だと勘違いしている月なのだ。
レイ・カーツワイルによれば、太陽光の0.03%で、地球の全エネルギー需要をまかなえるのだそうだが、月では、そのようなことは出来ない。
月には、現実的には、何の値打ちもない。
だが、人も動物も月が好きなのだ。
あれほど、太陽の光をパーフェクトに反射している存在はないのだからね。
地球から見た大きさも、驚くべきことに、太陽とぴったり同じなのだ。
自分が月であることが解れば、あらゆる問題は消えるだろう。

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「平成」は「平和に成る」か「平和を成す」か

平成の元号はやがて終わるが、人々に、平成という元号の意味を聞いたら、多くが「平和に成る」と答えたのだと思う。
誰かが、『「平和に成る」ではなく、「平和を成す」でなければならない』と言っていたが、さあ、どうだろう?
「誰かが平和にしてくれるという、受け身、人任せでは駄目だ」と言いたいのだろうが、平和を成そうとすると争乱を起こすのが人間である。
昔から、丸くしようとすればするほど丸から離れると言われる様なものである。
ケネディーが大統領就任演説で言った「アメリカが諸君のために何をするかではなく、諸君がアメリカのために何が出来るかを考えよ」と言ったのは、それとは全く違う。
「まず与えよ、そうすれば与えられる」というキリスト教精神なのである。
ただし、アメリカを愛していることが前提だがね。

「成」は、自動詞で「なる」、他動詞で「なす」という意味であるが、「成功」と言った場合、「功をなす」ということになるような気もするが「功がなる」とも取れる。
そして、「功がなる」の方が、「功をなす」より功のスケールが大きいのである。
なぜなら、「功がなる」は、「自然になる」「なるべくしてなる」、あるいは、「神がなす」であり、人間が無理矢理にやったのではないからである。

イエスは奇跡を起こす時、「成れ」と言ったのであり、「私が成す」とは言わなかった。
「成す」のは神である。
イエスが「成れ」と言ったのは、自分が神の権威を持つことを示すためだった。
彼の心には「成った」というイメージしかないのであり、「成った」と思うから成るのである。
だが、イエスは自分が特別だとも言わなかった。
だからイエスは「願いは叶ったと思えば叶う」と言ったのである。
暗示療法で有名なフランスのエミール・クーエは、身体の不調を治したい時には、
「治る、治る、治る、・・・・、治った」
と唱えるよう教えている。
これは、万能呪文である。
成るというのも万能語である。
よって、
「成る、成る、成る、・・・・、成った」
で全て叶う。
身体の痛みや不快感、あるいは、日常のトラブルを、この呪文、あるいは、暗示語で解決する練習をすれば、これで大きなことも出来るようになる。
心が硬い人は、最初は、痛みや痒みを、これでうまく除くことが出来ないかもしれない。
しかし、練習次第でうまくいく。
そうすれば、後は、成功する一方なのである。

















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