ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

イエス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

クリスマスの空気

昨日がクリスマス・イブだと気付いたのは、昨日の夕方だった。
それでも、早く気付いた方で、近年では、私は、クリスマスを知らずに過ごすことが多かった。
と言うのも、不況のせいか、昔と違い、百貨店や商店街等でもクリスマスの飾りつけをしたり、クリスマスの音楽を流すこともなくなったからだと思う。
テレビもあまり見ないが、いかにもクリスマスらしい番組というのも、そうはないような気がする。
確かに、イエス・キリストの誕生日は本当は12月25日ではなく、それは6世紀頃に会議で決めたのだという話を見た覚えがあるが、それでも、長い間、この日をイエスの誕生日として祝ってきたのであるから、人類にとって特別な日であることは間違いない。
イエスの生年も西暦元年ではなく、それより数年早いらしい。学者の計算違いで現在の西暦になってしまったが、間違いに気付いた時、既に数世紀になっていて、「いまさら変えられない」ので、誤差があると分かったまま、A.D.(アンノドミニ=ラテン語で「主イエスの年に」。西暦紀元。キリスト紀元)をそのまま継続しているということだ。

私は、昨日、クリスマス・イブには気付いていなかったのだが、朝から、『新約聖書』の福音書と、『観無量寿経』をよく読んでいた。
イエスの語り口と釈迦の語り口が、なんだか響き合う感じがして、両方がよく分かるような気がした。
私は昔は、イブには、ディケンズの『クリスマス・キャロル』や、アンデルセンの『マッチ売りの少女』を読むのが好きだったが、やはり、クリスマスというのは特別な空気があるのかもしれない。

それで結局・・・いや、あまり脈絡はないが、誓ったことは、昨夜も書いた通り、何か1つの必殺の武器を磨き上げることだ。
高原由紀のナイフ投げ、堀辺正史さんが見たヤクザのオッサンの脚折りキック、そして、これらには劣るが、昔の私のプログラミングのようなものだ。
ただ、私はいまや多次元に生きているので、1つのつもりで、いくつか並行するだろう。
私なりのプリズナートレーニング(囚人のように狭い部屋の中で肉体を鍛え上げるトレーニング)や、プログラミングを極めることもあるが、真に求めるものは他にある。

昨日は、初音ミクさんの『Last Night, Good Night』を5回くらい聴いた。
私の聖歌のようなものだ。
また、『FREELY TOMORROW』も、やはり5回ほど聴いた。
こちらは、私のエメラルドタブレットであろうか。
そして、『マジカルミライ2014』のブルーレイで、これらの歌を歌うミクさんを、それぞれ2回崇めていた。
その後、トレーニングをしたが、ヒンズースクワットを久々に393回(ミクさん回)やり(普段は休日は300回、平日は200回)、武術の訓練も十分にやった。
これらは全部、部屋の中で出来るし、部屋の中でやることに意味がある。
やはり、クリスマスは空気が違うのだ。特にイブの夜は。

そんな訳で、私のように地を這うしかない皆さん、共に、自分のエクスカリバー(アーサー王の聖剣の名)を磨こう。
そうすれば、イエスの言う、天に富を積むことも出来るようになれるだろう。









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勝利の最大の秘訣

昔、「想定内」という言葉が流行ったが、本当に賢い人とは、「想定外も想定内」である人だ。
幸福とか成功とは、思いがけないことから始まる・・・いや、思いがけないことからしか始まらない。

収穫豊かで災害がなく、よく収まった平和な村がありました・・・なんて言ったら、そんな村ほど恐ろしいものはない。
そんな村では、必ず起こる問題には蓋がされ、内部は腐りきっているものだ。
普通の学校や会社がそうじゃないか?
表面的な平和だけ大事にする年寄りに支配されたところから、さっさと出て行くが良い(精神的にで良い)。
思わぬ出来事を歓迎すれば、自然に情熱に満たされ、自ずと進歩向上する。

アニメの『美少女戦士セーラームーンSuperS』で、ちびうさが、「女の子だって待ってるだけじゃ駄目。時には白馬に乗って王子様を探しに行かないといけないの!」という名文句を吐くが、あくまで、「時には」である。
黙っていても、そうしなければならない出来事は起こる。
ちびうさだって、エリオスがやって来るという、予期せぬ出来事があったから、そう思ったのだ。
そして、エリオスがやって来たことを喜んだから、ちびうさは本物のプリセンスなのである。
ただ、ちびうさは、すぐに出かけたのではない。
まずは受け入れたのである。

それを分かり易く表現した場面が、アニメ『灼眼のシャナIII(ファイナル)』にあった。
力を奪われ、監禁されていたシャナは、最初は無駄な抵抗もした。
確かに、適度に試してみることは悪くない。
しかし、彼女は本当に賢かった。
だから、彼女は「待った」のだ。
「何かが起こる」と。
彼女は期待して待った。
だから、それが起こった時、彼女は「来た!」と即座に反応出来た。
今も衰えないネットの、
「キタ―――(゚∀゚)―――― !!」
は、本来、予期せぬ出来事の意味があったはずで、だから流行ったのである。
しかも、「期待して待った」の雰囲気があるから良いのである。
何が来るか分からないけどね。

そして、W.B.イェイツの戯曲『カルヴァリー』が究極である。
イエスが、「私が神に願えば、どんなことも叶えてくれる」と言うと、ローマ兵達は言う。
「それがどうした?サイコロが我々の神だ。予期せぬことでさえあれば、起こるのが最善なのだ」
彼らの強さに屈服したイエスは言う。
「私の神よ。なぜ私を見捨てた?」
これは、あくまで、アンチ・キリストであったイェイツの言い方である。
このイェイツにしても、やはり、アンチ・キリストだったニーチェにしても、アンチ・キリストであったからこそ、イエスの偉大さをよく分かっていた。
だが彼らは、彼らの作品の中の人物に言わせた通り、イエスに逆らわずにはいられないのだ。
1つには、イエスを権威化している世間を馬鹿にしていたのだろう。

何度か引用したが、『カードキャプターさくら』の、エリオルとスピネルの対話が印象深い。
「この世で一番楽しいことは何か知ってるかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「予想しないことが起こることだよ」

予期せぬことは起こる。
でないと、あなたの願いは叶わない。
どんな予想しなかった出来事も、良いこととして受け入れることだ。
そうすれば勝てる。









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備えあれば憂いなし

人生を変える出来事は、全て偶然だ。
大人物ほど、「もしそのことがなかったら、後の彼(彼女)はない」という重要な出来事がある。
王貞治さんだって、草野球をしていた時に、たまたまプロ野球のコーチが通りかかり、当時右打ちをしていた王さんに「左で打ちなさい」と言わなければ、野球選手になっていなかったと王さんが言われていたと思う。
普通の人だって、良い状況になる前に、何か思いがけない偶然の出来事があったのだ。

だが、大切なことは、偶然の出来事があった時に対応出来る準備を、普段からしているかどうかだ。
駆け出し俳優だったバート・レイノルズが、既に大俳優だったクリント・イーストウッドに、「成功するまで何をしていたか?」と尋ねた時、イーストウッドは「成功するための準備をしていた」と言ったらしい。
それは、要は、「チャンスに備えて準備しておけ」ということだろう。
早い話が、俳優なら、演技の訓練を怠らず、キメポーズやキメ顔も大真面目に考え、普段の生活にも常に気を配れということだ。
片想いの彼女と思いがけず一緒にどこかに行くチャンスが出来た時、いい服やいい靴を持っていなかったり、いろんな準備をしていなければお話にならないだろう。
そして、ちゃんとした準備が出来ている者に、思いかげない偶然のチャンスが訪れるものなのだ。

セレンディピティという言葉は、思いがけない偶然を引き寄せる能力といった意味だが、初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は講演会で、何かを熱心に続けていればセレンディピティが起こると言われていた。そして、続けるためには、やはりそれが好きでなければならない。そして、好きなことを続ける仕組みは自分で作らないといけないと、親切にアドバイスをしてくれていたのである。

現状を嘆く人は多いが、それを打開するための準備を何もしていないなら、新約聖書のマタイの福音書にある、イエスが話した十人の乙女の話の中の、5人の愚かな乙女のようである。
夜中に花婿がやって来るのだが、花婿は遅くやって来たので、ランプの油を十分に用意していなかった乙女達は、油を買いに行っている間に、花婿の家の門を閉ざされてしまう。
しかし、油をちゃんと準備していた賢い5人の乙女達は、花婿達と一緒に家に入れた。
私は、何の特技もない事務員だった時、たまたま技術課長に、「君、プログラミングをやりなさい」と言われてすぐに従ったが、それは、何か特技が欲しいと常に望み、また、専門技術者を敬う心構えがあったからで、そんな心がけが準備になっていたのだろう。また、パソコンソフトを使うなら、それを徹底的にマスターし、パソコンに慣れていたということもある。
今、何も特技がないなら、プログラマーになってはどうだろうかと、私はよく言う。
そのための準備の1つは以下の通り。
Excelを使える状況にはあるだろうし、もし、そうでなくても、家のパソコンにExcelを入れるくらいは出来るだろう。
そうしたら、まず、Excelを一通り使えるようになり、そして、Excelに入っているVBAというプログラミング言語でプログラミング出来るようになれば、会社にとって貴重な戦力になれる。
会社の仕事だって、ExcelとVBAでどう処理すれば良いのかと考えると、業務を改善、あるいは、改革出来るようになる可能性もある。
ExcelからAccessに進み、AccessでVBAを使えれば、十分に専門プログラマーになれる。

ハッカー的プログラマーを目指すなら、そんな人ならもうとっくにやっているはずだが、今は自分のパソコンに本格的な開発環境を無料で入れることが出来る。
C言語もC++、C#も、JavaもRubyもPythonもLispも、何でもやりたいことはやり放題。本当に良い時代だ。
勉強する範囲は、OS、WebOS、ネットワーク、その他広くなるだろうが、今はWeb上にいくらでも情報がある。
なんとも羨ましい時代だ。









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神頼みの仕方

イエス・キリストの教えを簡単に言えば、
「神様が面倒見てくれるから心配するな。ただ、神様への敬意を忘れるな」
だと思う。
法然や親鸞の教えも、つまるところは、
「阿弥陀如来が全て面倒見てくれるから安心しろ。ただ、念仏をしろ」
である。
以上、断言しておく。
ただし、イエスは神様は天に居ると言い、法然や親鸞は、阿弥陀如来は西方極楽浄土というところに居ると言った。
天国も西方極楽浄土も、遠いところのようだ。

一休は、阿弥陀如来は我々の内に居ると言ったが、あまり広まらなかった。
キリスト教でも、ぼんやりと、神様は我々の中に居ると言った人はいたかもしれないが、宗教的教義に反するからだと思うが、そう言い切った人がいないように思う。
宗教者ではないが、科学者のルネ・デカルトが、「自分が正しいと思っていることでも、全部間違いなのだが、確かに、自分でも疑うことが出来る。なぜ疑うことが出来るのかというと、内に神様がいるからだ」と言ったが、これも、あまり知られていない。
デカルトの「疑っている主体は絶対に存在する」が、「我思う、ゆえに我あり」という、妙な言葉になってしまったしね。

まあ、ともかく、神様は我々一人一人の内にいる。
では、どこにるのかと言うと、心臓が有力らしいが、それはこだわらない方が良いかもしれない。
心臓と反対である胸の右側とか、いや、腹だ、丹田だとか言う人もいるので、ややこしい。
どっかにいるのだ(笑)。

で、神様が内にいるとして、人々が神様に何を望むのかというと・・・まあ、いろいろあるだろうが、つまるところ・・・月給である(笑)。
皆とは言わないが、社会で苦労し、特に大した才能に恵まれない凡人は、あからさまに言えば、そんなものなのであると思う。
ところが、イエスも親鸞も、それが叶うことは保証しているのである。

神様、仏様を敬えば月給がもらえる(もちろん、間接的にだが)と言うと、ロクでもない宗教が多い中でも、最も馬鹿げた信仰になってしまうが、一番馬鹿なのが一番本当なのである。
法然や親鸞、さらに、彼らの先輩と言える、道綽や善導は、とても親切に、仏様の簡単な敬い方として、念仏を教えたし、それは、善導や道綽よりずっと前の龍樹という天才にまで遡る。
釈迦が直接そう言ったという証拠はないが、釈迦の真意には反していないと思う。
キリスト教には念仏のようなものはないが、発祥不明の「十字を切る」というものが、それに当ると考えて良い。
とはいえ、大切なことは、神仏を敬うことである。

なんで急に(でもないが)こんなことを言うのかというと、どう言っても、人間は弱いものである。
神頼みは許される。
ただ、神頼みをする時は、呼吸が静かでなければならず、微かと言えるほどであれば、さらに良いのである。
それは経験上、保証出来る。









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英雄になる方法

憧れている人物を真似れば、そのような人物に近付けるという話がある。
それは本当だが、多くの人は勘違いする。
まるで、物真似芸人のように、その人物の真似をしても、何にもならない。
それで本物になれるなら、一流の物真似芸人は、彼らが真似しているスポーツ選手や歌手のような大スポーツ選手、大歌手になるはずだが、そんなことはあり得ない。
普通の人なら、いくら大人物の真似が上手くなっても、せいぜいが、宴会やかくし芸大会の人気者になれれば合格だろう。

しかし、何か困難な問題にぶつかった時、「あの人ならどうするだろうか?」と考えることには意味があるかもしれない。
ただし、もちろん、そのためには、あの人(憧れる大人物)のことを、ある程度理解していることが必要だ。
しかし、別に、その大人物が書いた本を読んだり、鞄持ちをして四六時中接していなくても、人間の感覚というのは大したもので、澄んだ心で、その人物の雰囲気を感じていれば、かなり、その人物のことを、心の奥では理解出来るものなのである。
また、遠い過去の人で、映像すら見ることが出来ず、声の録音がない場合でも、その人が書いたものや、インタビュー記事があれば、直感的にその人のことが分かる。心静かに見ればね。
釈迦のことが知りたければ『スッタニパータ』を読めば、イエスのことが知りたければ『新約聖書』の福音書を読めば、彼らのことがかなり分かるだろう。
それらの書物は真実を伝えていないという話もあるが、そう思うのであれば、初めから、釈迦やイエスへの憧れは出てこないだろう。
そして、これらの書物は、完全ではないにしろ、十分に、釈迦やイエスの真実を伝えている。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、「英雄の話を読む時は、自分のことが書かれていると思え」と、目の醒めるような教えを残している。
『スッタニパータ』や『新約聖書・福音書』を読む時、それは、自分のことを書いていると認識しなければならない。
ただし、呼吸を微かにして読むなら。
呼吸が微かであれば、おかしな妄想を起こすことはない。
無論、他の大人物について書かれたものを読む時も同じである。









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