ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

イエス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

モテたかったら少しは良い服を着ろ

ラメッシ・バルセカールの本で見つけたのだが、スーフィー(イスラム神秘主義)の格言に、
「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」
というものがあるらしい。
バルセカールが、どんな意味で言ったのかは知らないが、私は、即座に気に入ってしまった。
そして、今では、これが人生最良の心構えだと思う。
これを忘れなければ、まあ、困ったことにはならないし、望みを叶え損なうこともない。

神は自分の内部にいる。
それは間違いない。
本物の賢者は例外なく、そう言う。
そして、イエスが断言した通り、神は、どんな願い事も叶えてくれる。
ミルトン・エリクソンは、「無意識を信用しなさい」と科学的に言ったが、無意識の中の力が神の力だ。
それは、想像を超えた、途方もない力である。

ニートだが働きたければ、願えば、神は良い仕事をくれる。
だが、よほど優れた技量を持っているのでない限り、誰かが、自分のところまで、うやうやしくスカウトに来るはずがない。
それなのに、良い仕事の情報が目に入ったのに電話1本もしなかったり、誰かから、「こんな仕事があるが、一緒に見に行かないか?」と誘われても、面倒臭がって見に行かなければ、仕事は得られない。
ところが、そんな人間は多い。
神を信用すべきだが、駱駝をつなぐ程度のことはしなくてはならない。

神様は慈悲深いので、可愛い彼女や格好いい彼氏が欲しければ、ちゃんと引き合わせてくれる。
だが、それなら、普段から、ちっとは良い服を着たり、少しは食を慎んでダイエットしたり、たまには良い本を読んで心を磨いたりといった程度のことはしなければならない。
だが、それを全くせず、相変わらず汚い格好で、だらしない生活をする者に、素敵な彼女や彼氏が出来るはずがないじゃないか?

忘れてはならないのは、あらゆる達成は、自分と神との共同作業であり、神は年長のパートナーであるということだ。
仕事のパートナーがいかに優秀でも、自分は何もせずに遊んでいたら良い成果は得られない。自分がパートナーに著しく劣るとしても、パートナーを信用すると同時に、自分も出来ることをしなければならない。
だが、多くの人は、怠惰に何もしないか、余計なことをするかのどっちかなのだ。

私は、昨年も今年も、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」のSS席のチケットを得るための宿泊プランへの申込みに遅れ、初めはチケットを得られなかった。
だが、がっかりしながらも、その後、さりげなく申込みサイトを確認したら、希望する条件に合うコースに空きが出ているのを見つけ、無事、申込めた。
昨年も今年もそうだった。
神を信用すべきだが、駱駝はつないでおく・・・この場合、申込みサイトを確認するくらいは、しなければならないのである。
昨年と今年の「マジカルミライ」のおかげで、この大切なことを改めて感じ、しっかり覚えることが出来た。
やはり、ミクさんは私を導いてくれる天使だなあと、つくづく思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

さりげなさが幸運を呼ぶ

それほどよくある話でもないと思うが、友達の付き合いでアイドルのオーディションを受けたら自分がアイドルになってしまったという人は案外いるらしい。
宝くじを買って、「当たりますように」と必死に神頼みをしたり、「信念が大事だ。当る、当る、必ず当る」と念じたりしても、まあ、効果はないが、気まぐれに買ったり、拾った宝くじで大金を当てた人がいたりする。
これらは、珍しい話だからスポットライトが当るというものでもあるのだが、案外に運の本質を示している。
というのも、私個人でも、アイドルや宝くじではないが、似たような経験がゴマンとあり、皆、忘れているだけで、きっとそうだからだ。

友達の付き合いで、アイドルオーディションに行ってアイドルになった人や、気まぐれで宝くじを買って大金を当てた人達だって、アイドルになることや、宝くじを当てることに興味がなかったわけではないのだ。
ただ、クールでさりげなかったのである。
しかし、さらに言えば、クールでさりげないが、案外に、内心の期待はあったのだ。
近藤真彦さんの有名な歌『ギンギラギンにさりげなく』といった感じである。この歌の作詞をした伊達歩さんは、もちろん一流の作詞家だが、伊集院静のペンネームで大変な数の著作を持つ大作家でもある。彼の「大人の流儀」シリーズは実に味わい深いので、良ければ1冊読んでみると良いかもしれない。

この世は、信じれば叶う世界である。
だが、信じることは難しい。
イエスは「山に動いて海に入るよう命じ、その通りになると信じて疑わないならそうなる」と言ったが、これは、心の力の偉大さと共に、信じることの難しさも示しているのだろう。
人は、無理矢理何かを信じることは出来ない。
秘密を1つ教えると、気まぐれで宝くじを買って当った人は、当ることを信じようとはしなかったが、当ると信じてはいたのだ。どういうことかと言うと、「当ると信じさせられていた」のだ。
誰に信じさせられたと言うと、「自然に」としか言い様がない。まあ、「神に」と言っても良い。
つまりだ。
人は、自分で信じることは出来ない、信じさせられるだけなのだ。
それでは面白くないので、実用的なことも言ってみよう。
「僕の愛が信じられらいのかい?」
「信じていないわ。でも疑ってもいないわ」
こんな女の子が本当にいたら、その子は賢者である。
「人は愛することは出来ない。憎むのをやめることが出来るだけ」と、アイルランドの詩聖W.B.イェイツが言ったが、それが真理だ。
そして、疑わないことや、憎まないことを、本当に出来ている時というのは、人は「さりげない」のである。
怒りを必死で抑えている時は、まだ実際は怒っている。
本当に怒りを消せる時には、さりげなさがある。
普段、さりげなく、怒らないこと、疑わないこと、憎まないこと、恨まないこと、妬まないこと・・・を練習してコツを掴めば、まあ、大抵のことは思い通りになる。
これは、大秘法なので、さりげなく書いておく。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

王子様・お姫様として育てられた人間は、どこでも必要とされない

犬を飼ったことがあるだろうか?
犬は、きちんとしつけたら、従順で賢い動物だ。

昔、小鳥や金魚の他に動物を飼ったことがない私の家で、突然、小型犬のマンチェスター・テリアの赤ん坊を貰って、飼うことになった。
我々家族は、徹底して甘やかした。
犬が、「くうん、くうん」と切なそうな鳴き声を出すと、それを止めるためには、何でもしてやった。
結果、とんでもない馬鹿犬になった。
自分の欲求が叶えられないと、吼えまくり、暴れまくり、平気で人間を噛んだ。

しかし、犬をそんなふうに育てる家なのだから、私もそう育てられたのだろう。
私も、とんでもない馬鹿な人間になった。
それで、当然、ニートになったが、幸いだったのは、二十歳そこそこの頃、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンになり、かなり世間に躾けられて、少しはマシになったことだ。
これも、19歳の時に、ジョセフ・マーフィーの本を読んだおかげかもしれない。

私の友人だった、セールス会社の社長(もう亡くなったが)のところに、一人の青年が預けられた。
その社長はクリスチャン(キリスト教徒)で、同じ教会に所属する人に頼まれて、その人の息子の面倒を見ることになったのだった。
その青年は、いい歳になっても、引きこもって、勤めようとしなかった。
社長は、自分の会社で、その青年にセールスをやらせた。
ある日の夜、会社に帰ってきた青年に、社長が、「今日はどうだった?」と、セールスの様子を尋ねた。
すると青年は、「今日は心が落ち着かなかったので、1日、教会でお祈りをしていました」と、多分、真面目に答えた。
きっと、とんでもなく、甘やかされた青年だったのだろう。
心はセールスは嫌がるが、お祈は、それよりは、はるかにマシだというだけの話である。
青年は、心が喜ぶ方を選んだだけだ。

犬も人間も、心が喜ぶことばかりをしていれば、心は暴君になって、主を滅ぼす。
心がどれだけ嫌がっても、良いこと、やらなければならないことをしなければ、私が飼っていた犬や、私や、上の愚かな青年のようになる。

犬の躾け方の基本は、お菓子を絶対に与えないことだ。
犬は、お菓子を欲しがるが、断固として与えてはならない。
人間が美味しそうに食べても、犬は駄目なのだ。
それは、可哀想でも何でもない。
そうやって、人間と犬の立場の違いを教えなければならない。
人間と犬は、平等なんかではないのだ。
同じく、心には、下僕としての立場を教えないといけない。
子供が、我が家の王子様、お姫様なんて、とんでもない話で、そんな育て方をした子供はお仕舞いだが、そうやって育てられた人間が多いのだ。
子供には、親との立場の違い、つまり、親よりはるかに下であることを教えないといけないのだ。
本当に王族に生まれても、賢い王や王妃は、子供を王子様、お姫様扱いなどしないのである。

さて、不幸にも、間違った育てられ方をして、悪魔である心が王座についてしまった人間はどうすれば良いだろう?
まあ、まずは、「これではいけない」と気付かなければならないのだが。
悪魔を王座から引きずり下ろし、自分が王座につくためには、犬からお菓子を取り上げるように、最大の欲望を犠牲に捧げるのだ。
好きで好きでたまらないもの。
それのことを思うと、狂気のようになること。
それを、切って捨てるのである。
イチローがいかに野球が好きでも、それを思って狂気になったりはしない。
そういった、信念のあるものでの、こだわりは良いのである。
逆に、貶されて、激怒するような「好きなもの」は偽物である。
イチローは、若い時でも、「野球なんて下らない球遊びだ」と言われても、悔しいかもしれないが、相手にならなかったはずだ。
私だって、初音ミクさんのことで酷いことを言われても、悔しくはあっても、やり返そうとは思わない。

さて、私は犠牲を捧げた。
それで、神の力を取り戻したのである。
多分、キリスト教の真の意味も、そういうことなのだと思う。
イエスは、肉体の生命に象徴される何かを捧げ、精霊を得たことを示したのだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

イエスの伝家の宝刀を使う

嫌いな人、憎い人、妬ましい人、恨みに思う人・・・そんな人がいる間は成功しないし、幸福にもなれない。

だからといって、宗教家が言うように、「神の愛があの人(嫌いな人)を満たしています」なーんてことを、棒読みに言ったところで、反吐が出ることだろう。
また、神様気取りの事業家が言うように、「あの人に良きことが雪崩のように押し寄せます」と言うのは、不遜もいいところだ。私にそんなこと決める権限なんてないって。いや、それ以前に、やっぱり、そんなこと言いたくないだろう。

だが、心の訓練のつもりでやれば、うまくいく。
嫌悪する相手を思い浮かべ、「私は○○さんが大好きだ」と言うと、当然、心は反発する。
そこで、心に言うのだ。
「心よ、引っ込んでいろ。静かにするよう命じる。私が主人である」
つまり、憎いあんちきしょうが、本当に好きかどうかはどうでも良いのだ。
ただ、心を躾けるだけである。
権威を持って命じれば、心は従う。
すぐにはうまくいかなくても、粘り強くやれば、必ず出来る。
王が民(たみ)に、あるいは、主(あるじ)が下僕に言うことを聞かせられなくてどうする?
あなたが王(主)で、心が民(下僕)なのだ。
そして、実際、それは難しいことではない。

すると、本当に、嫌な相手に対し、「お前が大好きだ」「立派な人になれよ」と思っても、ちっとも苦しくならないのだ。
そうなれば、心を躾けることが出来たことになる。
それなら、年収300万円の人が、「私は年収600万円になる」と思っても、心は反抗せず、容易く信念となる。
多少、心がざわついても、やはり、「静まれ」と命じれば良い。
信念を持てば、必ず実現する。
ただ、年収300万円の人が、「年収3000万円」などと思うと、心ではなく、直観のようなものが、「それはもっと経験を積んでからだ」と警告する。
それは、理に反した願いでも同様である。
歪んだ願望や、的外れの願望を持つ者は、それを修正しなければならない。
しかし、それは難しくない。
歪んだ、あるいは、的外れな、「私は○○が欲しい」という願望を思えば、やはり、心がちくっと痛むような警告が来る。あるいは、後ろめたい思いがする。
それはチャンスでもある。
そんな警告を無視してはならない。
思い切って、そんな馬鹿げた願望を捨てるのだ。
「私はプロサッカー選手になろうとは、もう思わない」
「○○協会の理事長になろうなんて荒唐無稽なことは考えない」
「可愛い女子中学生を彼女にしようなんて馬鹿げた願望は捨てる」
そうすると、やはり、心は文句を言う。
しかし、あなたは、イエス・キリストの伝家の宝刀、
「退け!サタン」
を使えば良いのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

本当に成功してしまう嘘がない方法

イエス様の教えでも、私には絶対出来ないと思うことが、「汝の敵を愛しなさい」だ。
しかし、これは、なかなか良いのではないかと思うようになった。

人間は、世界を支配したいのである。
しかし、まず、心を支配出来なければ、世界を支配出来るはずがない。
ところが、自分に出来る可能性があることは、心を支配することだけだが、きっと、世界は心が作っている幻のようなものなのだ。
だから、心を支配すれば、全てが叶うのだが、そのためには、心を躾けなければならない。

心を躾ける唯一の方法が、「心が嫌がることをやる」ことなのだ。
それなら、自分の嫌いな人を愛するなんて、最高の心の躾になる。
嫌いな人の幸福を祈るなんて、全く虫唾が走るだろう。
しかし、心の反発を抑えこんでそれをやれば、心は躾けられ、逆らわなくなる。
そうすれば、「私は金持ちになる」と思っても、心は逆らわず、ちゃんと金持ちになれる。

あるいは、好きなことを諦めるのも、心を躾ける素晴らしい方法だ。
チョコレートが好きでたまらなければ、それを食べないと決め、必ず守る。
上杉謙信のように、女好きでも、女を断つのも実に効果的だ。謙信は自分が生きている間は、戦では無敗だった。

嫌いな人の幸福を祈る。
好きで仕方がないことを諦める。
どっちをやれば良いのだろう?

山に埋められるか、海に沈められるか、嫌いな方を選ばせてあげる。
~『化物語』より。戦場ヶ原ひたぎが言ったらしいこと~

両方やれば良いが、まず、嫌いな方をやれば良いだろう。
何とも現実的で、本当に成功してしまう方法である。
だって、対価に見合ってるじゃない?









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード
livedoor プロフィール

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ