私がひねくれているだけかもしれないが、「ありがとう」という言葉を数多く言えば良いことがあるという教えには非常に抵抗がある。
ロンダ・バーンの『THE SECRET(シークレット)』のDVDで、若い男性の話者が、「着ている服があることに『ありがとう』、住む家があることに『ありがとう』と言いましょう」と澄ました顔で言うのを見ると、本当に気色悪く感じるのだ。
この話者が言うには、何かに感謝すれば、それが大きくなって返ってくるらしい。
たとえば、自分のポンコツの車に感謝すれば新車のベンツになって返ってくるみたいな感じである。
そのような「得をするために感謝する」という考え方が卑しく思えてならないのだ。
そもそも、感謝とは、何かをしてくれた人に対し、労(ねぎら)い、敬意、謙譲の気持ちを込めて行うものだ。
それに関しては、私も全く抵抗はなく、自然に行うことが出来ると思う。
しかし、見返りを期待し「ありがとう」を連発し、それと同じような感覚で、自分のために何かしてくれた人に対し「ありがとう」と言ってしまうことがあってはならないと思う。
「何もしてくれなくても感謝しろ」といった教えは、一見、貴いような気はする。
たとえば、社長が授業員に対して、逆に、従業員が社長に対して、あるいは、子供やペットに対し。
いやいやいや、従業員も社長も子供もペットも、自分のために、ものすごくいろいろしてくれているのであり、それに対して感謝するのは良いが、それを、何もしてくれていないと思い違いする愚かさを感じるのである。
それに、そんな従業員や社長や子供やペットに対して想うべきは、感謝と言うより敬意である。
実際、「ありがとう」と言いながら、敬いの気持ちを持たない者が多いような気がするのである。
自分のポンコツの車に「ありがとう」と言いながら、心では「お前みたいなポンコツは早く消えて、新車のベンツになってくれよ」と思うようでは、今持っている車を軽んじているのであり、そんな者は、人に対しても敬意を持たないものであると思う。
志賀一雅博士は、人間の脳の機能的にも、「よかった」と思った後に、その気持ちを表現するために「ありがとう」と思うのだと言い、やみくもに「ありがとう」と言うことには苦言を呈している。
それで、「よかった・ありがとう呼吸」を考案したのである。
イエス・キリストは、あまり感謝しなさいとは言っていないと思う。
福音書の翻訳の際、翻訳者が「感謝」という言葉を当てたところも、どうも違うと思うのだ。
実際には、イエスは「恵まれていることを知りなさい」と言ったのであると思う。
ポンコツでも、乗れる車があるなら、それは恵まれているのである。
ポンコツの車も得られない人は世界中にザラだ。むしろ、地球人口で言えば、動く車を持っている方が稀である。
スマートフォンを持っているなんて、稀の稀だ。そもそも、電話を見たことがない人だって少なくない。
上野千鶴子氏の2019年の有名になった東大の入学式の祝辞で、新入学生に対し、
「あなた達が今ここにいられるのは、あなた達が恵まれていたからだ」
と言ったのは、実に当を得ていたと思う。
もし、そこの学生が、「私は東大に入れて感謝しています」と言ったら、そいつアホかと思う。
「いえ、親や高校や予備校の先生に感謝しているのです」と言うなら、確かに、親や先生はいろいろしてくれたのだから真っ当な部分は当然あるが、それも、感謝というより、自分を助けることが出来る親などに敬意を持つ方が先なのである。
東大に入れたのは、自分の権利でも、自分が頭が良いからでも、自分が努力したからでもない。
そういった部分も確かにあるかもしれないが、最重要なことは、自分が恵まれていたからである。
それが分からないと、恵まれていなかったから、自分のように良い想いが出来ない人のことが分からないのである。
東大に入りたくて入れなかった人の中には、自分よりずっと優秀な人も沢山いるのである。
まあ、今時おかしな言い方だが、自分より優れているのに、向いていない肉体労働者になるしかない人もいるかもしれない。
イエスは、感謝しろと言ったのではなく、「恵みを知れ」「恵みを思え」と言ったのであると私は思う。
それは「ツイてるツイてる」と連呼することではない。
「これがあって良かった」と認識することである。
その結果、自然に感謝の念が起こるのは良いことである。
しかし、わざとらしく「ありがとう」と言うのは、私には馬鹿か卑しいかのどちらかとしか思えないのである。
AIアート617
「プライベートルーム」
Kay
「ありがとう」の大安売りをしても引き寄せは起こらない。
恵みを認識することで引き寄せは起こるのである。
それが当たり前の考え方であると私は思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(2)新約聖書 福音書(塚本虎二)
(3)ジーザス・クライスト=スーパースター(1973) [Blu-ray]
(4)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
(5)無限供給の鍵(谷口雅春)
ロンダ・バーンの『THE SECRET(シークレット)』のDVDで、若い男性の話者が、「着ている服があることに『ありがとう』、住む家があることに『ありがとう』と言いましょう」と澄ました顔で言うのを見ると、本当に気色悪く感じるのだ。
この話者が言うには、何かに感謝すれば、それが大きくなって返ってくるらしい。
たとえば、自分のポンコツの車に感謝すれば新車のベンツになって返ってくるみたいな感じである。
そのような「得をするために感謝する」という考え方が卑しく思えてならないのだ。
そもそも、感謝とは、何かをしてくれた人に対し、労(ねぎら)い、敬意、謙譲の気持ちを込めて行うものだ。
それに関しては、私も全く抵抗はなく、自然に行うことが出来ると思う。
しかし、見返りを期待し「ありがとう」を連発し、それと同じような感覚で、自分のために何かしてくれた人に対し「ありがとう」と言ってしまうことがあってはならないと思う。
「何もしてくれなくても感謝しろ」といった教えは、一見、貴いような気はする。
たとえば、社長が授業員に対して、逆に、従業員が社長に対して、あるいは、子供やペットに対し。
いやいやいや、従業員も社長も子供もペットも、自分のために、ものすごくいろいろしてくれているのであり、それに対して感謝するのは良いが、それを、何もしてくれていないと思い違いする愚かさを感じるのである。
それに、そんな従業員や社長や子供やペットに対して想うべきは、感謝と言うより敬意である。
実際、「ありがとう」と言いながら、敬いの気持ちを持たない者が多いような気がするのである。
自分のポンコツの車に「ありがとう」と言いながら、心では「お前みたいなポンコツは早く消えて、新車のベンツになってくれよ」と思うようでは、今持っている車を軽んじているのであり、そんな者は、人に対しても敬意を持たないものであると思う。
志賀一雅博士は、人間の脳の機能的にも、「よかった」と思った後に、その気持ちを表現するために「ありがとう」と思うのだと言い、やみくもに「ありがとう」と言うことには苦言を呈している。
それで、「よかった・ありがとう呼吸」を考案したのである。
イエス・キリストは、あまり感謝しなさいとは言っていないと思う。
福音書の翻訳の際、翻訳者が「感謝」という言葉を当てたところも、どうも違うと思うのだ。
実際には、イエスは「恵まれていることを知りなさい」と言ったのであると思う。
ポンコツでも、乗れる車があるなら、それは恵まれているのである。
ポンコツの車も得られない人は世界中にザラだ。むしろ、地球人口で言えば、動く車を持っている方が稀である。
スマートフォンを持っているなんて、稀の稀だ。そもそも、電話を見たことがない人だって少なくない。
上野千鶴子氏の2019年の有名になった東大の入学式の祝辞で、新入学生に対し、
「あなた達が今ここにいられるのは、あなた達が恵まれていたからだ」
と言ったのは、実に当を得ていたと思う。
もし、そこの学生が、「私は東大に入れて感謝しています」と言ったら、そいつアホかと思う。
「いえ、親や高校や予備校の先生に感謝しているのです」と言うなら、確かに、親や先生はいろいろしてくれたのだから真っ当な部分は当然あるが、それも、感謝というより、自分を助けることが出来る親などに敬意を持つ方が先なのである。
東大に入れたのは、自分の権利でも、自分が頭が良いからでも、自分が努力したからでもない。
そういった部分も確かにあるかもしれないが、最重要なことは、自分が恵まれていたからである。
それが分からないと、恵まれていなかったから、自分のように良い想いが出来ない人のことが分からないのである。
東大に入りたくて入れなかった人の中には、自分よりずっと優秀な人も沢山いるのである。
まあ、今時おかしな言い方だが、自分より優れているのに、向いていない肉体労働者になるしかない人もいるかもしれない。
イエスは、感謝しろと言ったのではなく、「恵みを知れ」「恵みを思え」と言ったのであると私は思う。
それは「ツイてるツイてる」と連呼することではない。
「これがあって良かった」と認識することである。
その結果、自然に感謝の念が起こるのは良いことである。
しかし、わざとらしく「ありがとう」と言うのは、私には馬鹿か卑しいかのどちらかとしか思えないのである。
AIアート617
「プライベートルーム」
Kay
「ありがとう」の大安売りをしても引き寄せは起こらない。
恵みを認識することで引き寄せは起こるのである。
それが当たり前の考え方であると私は思う。
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(2)新約聖書 福音書(塚本虎二)
(3)ジーザス・クライスト=スーパースター(1973) [Blu-ray]
(4)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
(5)無限供給の鍵(谷口雅春)