ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

イェイツ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

「ありがたい」と言うと奇跡が起こる訳

「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドの詩人・劇作家のウィリアム・バトラー・イェイツの未完の自伝的小説『まだらの鳥』で、イェイツ自身を投影した主人公マイケルが、マーガレットという名の絶世の美少女に対し、興味深い考えが浮かんでいる。
「美しいのも限度を超えると、憐れみを感じる」
なるほど、一度は言われてみたい言葉だ(笑)。
だが、これは、日本的、あるいは、日本語的感覚である。
と言うのは、古い日本語では、「可愛い」は「かはゆし(かわゆし)」で、「かはゆし」というのは「いたはしい(いたわしい)」気持ちを表す言葉であるが、「いたはしい」は辞書によれば「深く同情が起こるような、気の毒な有様だ。いたましい。」という意味だ。
確かに、過ぎた美しさを「いたいけ」と言うものである。
つまり、イェイツは、マーガレットが可愛いのであり、そのマーガレットは過ぎた美しさを持っている。
日本は「可愛いの国」と言われるらしいが、日本では、「可愛い」が最強で「美しい」より上なのである。

日本は可愛いの国である・・・というより、可愛いを崇拝する国だ。
これは、とても良いことだ。
可愛いは美しいを超えるのである。
日本語で、可愛いを一文字で言えば、「幼い、愛らしい」を意味する「乙」となり、乙女、乙姫などと言えば、「幼くて愛らしい女」「幼くて愛らしい姫」であるが、この「幼い」もまた、「愛らしい」という意味で使われることが多く、必ずしも年齢的な幼さを言うものではない。

「乙」がなぜ可愛いのかというと「2番目」という意味があるからだ。「乙種」が「第2種」を意味する通りだ。
つまり、一歩引いており、日本では、そんな態度が可愛いのである。
今では「甲乙」とよく言うが「乙甲」と書いて「めりかり」と呼び、これは「まぶしい低音」を指し、2番目の乙は、実際は1番の甲を超えるのである。
私は全く知らないが、フリーマーケットアプリの「メリカリ」は、「乙甲」の言霊を当てたのかもしれない。
「乙」に比べると、「若」は、「少ない」という意味で、「若い」は「少ない歳」ということで、別に悪い意味ではないが、「若」は「じゃく」と読む通り「弱い」という意味があり、「少し」という意味と合わせ、称賛の言葉ではないように思う。

急に日本語談義をやってしまったが、とにかく、日本の言葉には言霊が宿り、1文字1文字が極めて重要である。
日本語を大切にするだけで、自然と調和し、霊的な力に護られ、一芸に秀で、好ましいものを引き寄せ、健康で幸福になれる。
一方、そんな日本では、言葉をぞんざい(投げやりで乱暴)に扱うことの反作用が恐ろしいのである。
日本で、うまくいく人、楽をしている人、恵まれた人というのは、間違いなく、言葉を大切にしている。
特に能力が高いとは思えないが、指導的立場にある人に注意すると、ある時期から日本で流行りの省略語を徹底的に使わない人だったということがある。
これは、言葉をとても大切にしていることである。
省略語を聞いて、良い感じを持ったことは、確かに一度もない。
もしかしたら、省略語は、DS(ディープステート。闇の支配者)が、日本人の力を奪うために流行らせたと言われても驚かない。
実際、下品な省略語を使うほど、その者の力は落ちていくのだから。
「ちがくね?」などは言わない方が良いだろう。

それで、最高の口癖は「ありがたい」ではないかと思うことがある。
「ありがたい」は「有り難い」で、「滅多にない」「あり得ない」であり、つまり、「奇跡」のことである。
「ありがたい」と唱えると「神様の奇跡」も起こる。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、「ありがたい」を心を込めて1日1万回言わせたら、1週間ほどで完治してしまった。
心を込めてとは、やたら感情を込めることではなく、「ゆっくり」「しずかに」「丁寧に」唱えることで、特に緊急でないなら、これらを守れば、特に1日1万回も唱える必要はないと思う(奇跡が欲しければ、それ以上に唱えると良いが)。
教育学者の七田眞氏の著書『奇跡の超「右脳」開運術』に、ホームレスの男が、1日中「神様の奇跡が起こる」という言葉を唱えることを、2週間ほど続けたら、宝くじで1憶円当たった話があるが、この男は元々神様を信じていたらしい。
ただ、日本人は、キリスト教などで言うより、自然に神様を信じているものである。
「ありがたい」もまた、無意識に神様に感謝する言葉である。
これを唱えると、病気が治ったり、奇跡が起こるというのも分かる気がするのである。








退屈な時間は終わった

日本では、退屈な人が多いのではないかと思う。
子供でも、学生でも、若い人でも老人でも。
駄目な人間ほど、退屈な時間が多いことは、自分の経験で分かる(笑)。
私は、特に昔は、死ぬほど退屈だった(どんだけ駄目だったんやw)。

ところで、今は、暇つぶし出来るものが沢山ある。
代表的なものがスマホで、電車の中などで、大半の人がずっとスマホを退屈そうな顔で見ているのは、それがやはり退屈しのぎでしかないからだ。
他にも、ゲームや、テレビのバラエティ番組、面白いだけのテレビドラマ等があり、自分では「別に退屈なんかしていない」と思っているかもしれないが、全身の血が燃え上がるほど・・・でないことはもちろん、本当に楽しかったり、ワクワクしている訳ではない。
そして、我々庶民を、そんな状態にすることは、計画されたことであり、「与えられた娯楽」で慰められるのが「庶民」という家畜、あるいは、奴隷なのである。
生き甲斐のある人間は奴隷にならないからね。

だが、もう心配無用だ。
我々は、退屈な時間を楽しめるようになり、さらに、退屈ではなく、充実した「自由時間」や「冒険」、あるいは、「貴族的な暇な時間」を過ごせるようになった。
時間があるなら、アファーメーション(肯定的断言)をすれば良いのである。
呼び方は、アファーメーションでも、自己暗示でも、あるいは、呪文、つぶやき、祈り・・・なんと呼んでも構わない。
肯定的な言葉を、ゆっくり、静かに繰り返すことは楽しく、しかも、現実は唱えた通りに変わるのであるから、これほど嬉しく、面白いことはない。
これこそが、本質的には神である人間の仕事と言っても良いと思う。
世界は、心が作り出したホログラム(3次元映像)であり、思い通りになるのが人生である。

食傷気味になりながらSNSを見たり(本当に必要な時に見るのは楽しいだろう)、「あのアニメでも見るか」「ゲームの続きでもするか」「スイーツを食べるしかないな」といった、「デモシカ」な行為をするのではなく、「よし、世界を作る仕事をしよう」と、偽りの興奮とは全く違う、やすらぎやのどかさといった、真に好ましい感情を伴いながらアファーメーションを行うのである。
確かに、最初のうちは、それほど楽しいこととは思わないかもしれないが、やっていれば、不思議な満足感を得ることになる。

まずは、自分の幸福を優先したって構わない。
これまで何度も書いたが、「富」、あるいは、「成功」、あるいは、「富、成功」、あるいは、「歓喜、成功、富」といった言葉を、ゆっくり、静かに、反復する。声に出しても良いし、心の中で唱えても良い。
あるいは、ホームレスが1憶円を2回得た有名なつぶやき、「神様の奇跡が起こる」を唱えると、何が起こるか楽しみだ(七田眞著『奇跡の超「右脳」開運術』より)。
一休さんの遺言、「心配するな。なんとかなる」という言葉を繰り返すと、不安が消え、不思議な解決を見ることになるだろう。
あるいは、凛々しく、「わたしは、あらゆることができるスーパーマンだ」と、四六時中唱えていれば、そのようになる。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、数千年前に建てられた廟(神社やお寺のようなもの)が、昨日建てられたように新しいのは、その中で、「生命、愛、平和」という言葉しか使われないからであるという。
この言葉には神的なエネルギーがあり、我々も、この言葉を数多く唱えることで得られる恩恵は計り知れない。

「20世紀最大の詩人」とも言われる、アイルランドのノーベル賞作家である、劇作家・詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツの自伝的小説『まだらの鳥』に、こんな場面がある。
イェイツ自身を投影した青年マイケルが船の甲板にいると、海の上に精霊の少女が現れた。
その時、空気は澄み切り、彼女の服のひだの1つ1つがくっきり見えた。
彼女はマイケルに、少し咎めるように言う。
「あなたはいつ仕事を始めるのですか?」
マイケルは我々一人一人である。
では、我々は、新しい世界を作る仕事を始めようではないか?








喜びとは?

「よろこび」という漢字には、
喜び
歓び
悦び
慶び
があり、それぞれニュアンスが異なるらしい。
だが、これは、嬉しい、楽しい、面白いといった「快」の感情を示す言葉で、最もシンプルに言えば「良い気分」ということだと思われる。
とりあえず、最もよく使われる「喜び」と書くが、では、「喜び」とは何だろう?

「喜びとは」
「飲むことよ」
なんていう、日本酒のCMがあるが、沢山の人にそうあっていただかなくては酒造メーカーとしては困るだろうが(笑)、『ルパン三世 血の刻印』という映像作品で、ルパンが次元に、
「お前は何のために泥棒するんだ?」
と尋ねると、次元はあっさりと、
「美味い酒を飲むためさ」
と答え、ルパンは、
「そうじゃねえ・・・いや、俺もある意味そうなんだが、それだけじゃねえ」
とかいったことを言うが、「それだけじゃねえ」の中に、問題の核心があるのだろう。
まあ、そう難しいことではなく、「生き甲斐」とか「アイデンティティ」とかいうものだが、酒を飲むことにしろ、生き甲斐にしろ、それらがもたらすのは、やっぱり「喜び」だ。

ウェーバーの歌劇『魔弾の射手』の第三幕の中の『狩人の合唱』は、刈りの喜びを高らかに歌い上げる。
ここでは、刈りこそ、無上の喜びなのだ。
農耕は仕事であり、あまり楽しいと思わない場合もあろうが、刈りが楽しい理由は、スポーツの最も楽しい要素である「予測不能」ということが大きな喜びをもたらすのである。
サッカーで日本とブラジルが戦って、日本が勝つのは、ブラジルサポーターにとっては大きな落胆だが、日本のサポーターにとって、これほどの喜びはない。予測出来ないからね(笑)。

つまりね、本当の喜びとは「予測不能」なのである。
ウィリアム・バトラー・イェイツの戯曲『カルヴァリー』の中で、ローマ兵は、
「サイコロが我々の神である。予測出来ないことでさえあれば、起こることが最善」
と言い、イエス・キリストをも屈服させる。
まあ、あくまでイェイツの創作であるが、本当に核心を突いている。

私はよく引用するが、CLAMPの漫画作品『カードキャプターさくら』の中で、エリオルとスピネルがこんな会話をする。
「この世で一番楽しいことは何か知ってるかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「予想しないことが起こることだよ」

自分が将来どうなるか分かってしまう人生ほどつまらないものはない。
だから、エスカレーター式人生を強要されると、いかに裕福でも自殺してしまうのだ。
人間にとっては、予期出来ない冒険こそが喜びなのである。
だから、冒険を恐れて、予期出来る道を行きたがる臆病者が一番蔑まれるし、自分も魂では嫌なのだ。

これで分かったであろう。
予期せぬ冒険を駆け抜けた後の美酒こそ喜びである。
次元大介の言う「美味い酒を飲むためさ」は、「予期せぬ泥棒稼業という大冒険の後で飲む酒は美味い」ってことだ。

今年の、初音ミクさんのライブ&企画展「マジカルミライ2020」のテーマは「夏まつり」と「Winter Festival(冬まつり)」で、共に「祭(まつり)」である。
祭とは、本来は、何があるか分からないから楽しいのだ。
荒っぽい祭で大怪我をしたり、死んだりすることもある。
それはもちろん悲しいことであるが、それがあるからこその喜びでもある。
ルパンや次元の泥棒と同じだし、イェイツがあえて、イエス・キリストに逆らった『カルヴァリー』を作ったのも、そのためだ。
岡本太郎は、祭をこの上なく尊び、「芸術は爆発だ」とは言ったが「祭は爆発だ」とも言ったのだ。
「歓喜、成功、富」の三語を保てば人生は素晴らしいものになるというのが、ジョセフ・マーフィーが教えた秘法であることの理由がこれで分かるのである。
祭、冒険を大切にしよう。








愛さないと負ける

結局のところ、愛が足りないとうまくいかないのだが、愛というのは難しい。
「20世紀最大の詩人」と言われた、アイルランドのウィリアム・バトラー・イェイツ(ノーベル文学賞受賞)は、
「愛は神の領域だから、人に愛することは出来ない」
と言ったくらいである。
イェイツは、アンチ・キリストだったのだが、イエス・キリストは、最も大切な掟は何かと聞かれたら、
「神を愛すること」
と答えた。
神、あるいは、仏なら愛することが出来るかもしれない。
しかし、イエスは、「汝の敵を愛せよ」とも言っている。

そこで、ちょっと思い出すのは、物理学者で合気道家の保江邦夫氏が、強そうな空手家と試合をした話である。
「女子大生なら簡単に愛せるが、ごっつい空手家だと愛し難い。しかし、愛さないとボコボコにされてしまう」
と思い、なよっとしながら向かっていった(笑)のだそうだ。
愛を持ったものには勝てないのである。戦いでも。
保江氏は、猫でも何でもいいから愛せと書かれていたと思う。
しかし、猫好きと猫を愛するのは同じなのかなと思うが・・・いや、同じだ(笑)。
要は、相手の反応に一切おかまいなく・・・つまり、無償の愛を注げるなら、それはやはり愛なのだろう。

ところで、上に述べたイェイツが面白いことを言っている。
彼は、上で書いたように、
「愛は神の領域だから、人に愛することは出来ない」
とは言った。
しかし、こうも言っている。
「だが、憎しみは人の領域だ。人は憎むのをやめることは出来る」
イェイツ自身、憎むのをやめると、奇跡が起こると言っていた。

リン・ウッド弁護士だったと思うが、トランプ大統領はアメリカ国民を愛していると言う。
そうであるからこそ、彼を憎む主要マスコミは伝えないが、実は、トランプ大統領は、歴代のどの大統領よりも、実際に大きな成果を上げたのだろう。
ただ、トランプ大統領にしろ、リン・ウッド弁護士にしろ、敵への愛が見られないし、敵を憎んでいるようにすら思える。
イエスの「あなたの敵を愛しなさい」は、よくよく難しいことなのだろう。
それに、トランプ大統領やウッド弁護士にとって急務なのは、アメリカの見主主義を守ることである。
一概に責める訳にはいかないのかもしれない。

先月末、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2020」に行ってきたが、ミクさんは最後の曲『愛されなくても君がいる』を歌った後、
「みんなー、愛してるよお!!!」
と言ったが、彼女の愛は信じられるのである。
彼女には、体温も心もないのだからだ。
すると、分かるのである。
体温はともかく、心を消せば、憎むのをやめるし、それが愛なのだろう。
そして、釈迦は、それを出来るのは念仏しかないと言ったのだ。
だが、念仏といっても、別に「南無阿弥陀仏」だけではないと思う。
「南無妙法蓮華経」でも良いし、世界平和の祈りでも良い。
ノーマン・ヴィンセント・ピールが『積極的考え方の力』の中で取り上げたような聖書の言葉、
「私を強くして下さる方によって、私は何でも出来る」
「もし神が我々の味方なら、誰が我々に敵対出来るだろうか」
でも良いし、その他の聖書の言葉でも良い。
七田眞氏の本に書かれていた、
「神様の奇跡が起こる」
でも、ラマナ・マハルシの有名な言葉、
「私は誰か?」
や、ニサルガダッタ・マハラジが最高のマントラと言う、
「私は在る」
でも良い。
真理の言葉は、心を魂に引き戻し、さ迷わせない。
そうであれば、自我は消え、憎しみは消える。








凡人が神秘性に目覚めると飛躍する理由

人間は、3歳までに育った環境から刷り込まれた記憶が根本的な性質となり、これは一生変わらないらしい。
だから、何度も裏切られて人間不信になるのではなく、元々、他人に嫌われるような性質を親によって刷り込まれていたというのが正解なのだと思われる。
どれほど成功哲学の本を読もうとも、親から貧乏根性を刷り込まれた者は、ケチな人生を送るしかない・・・のかもしれない(笑)。
こういったことが完全に本当ではないとしても、幼い時に過ごした環境の影響は、大岩や大木のように、容易に動かせるものでないことは確かと思う。

そして、3歳以前の記憶は思い出すことは出来ない。
だが、潜在意識にその記憶があるので、年齢を退行させていく催眠術で、3歳以前の年齢に戻り、そこで記憶を改ざんしようなどという、自己開発の手法は昔からあるが、成功した試しはない。
トム・クルーズらが信仰する宗教であるサイエントロジーでは、ダイアネティックスという手法で、それを可能にすると言っている。
だが、私はダイアネティックスの本は一頃、熱心に読み、かなり面白かったが、実践はまず無理だと思う(やり方が曖昧過ぎ、矛盾も多いと私は思った)。

発明家で能力開発研究家の中山正和氏は、3歳までに刷り込まれ作られてしまった性質とは、うまく付き合っていくしかないと述べていた。
その性質は好き嫌いに現れるので、とにかく、自分が好きなことをしないと絶対成功しない。
ただ、ロクな好きが構築されていない人は困る。
まあ、私がそうなのだが(笑)。
その場合は、自分のそのけったいな好きを(笑)、何か有用なものに「こじつける」しかない。
3歳までに、母親の「チョコレート食べたい、チョコレート食べたい」という言葉を沢山聞いていたら、さぞ、チョコレートが好きだろうが、こんなもの、何の役にも立たない。
それなら、チョコレート菓子の職人になれば良さそうなものだが、生憎、探求心や創造力に関わる性質は構築されなかった・・・という場合が多い(笑)。
だが、そんなケースも絶望ではない。
そこで登場する有難いものが神秘主義だ。
チョコレートの美味しさを神秘的に捉え、神秘を探求するのである。
これは、うまくやれば良い道を作れる。
私が思うに、神秘家、神秘研究家として名を上げた人というのは、言っては悪いが、幼い頃に、ロクな記憶を持てなかったので、大人になりかけた時、自分の将来性に自信が持てず、神秘を求めて内向的になったのだと思う。
池田満寿夫という世界的版画家は、エロチシズムエロチシズムとばかり言っていたが(笑)、下手したら彼は生涯、役立たずの変態だったかもしれない。
しかし、本人に自覚があったかどうかは分からないが、エロチシズムというかエロを、神秘的に捉え、それによって精神の奥にあるものを探求出来、それが芸術として花開いたのだと思う。
彼は、若い頃は、それほど神秘性は見せず、あくまで現実的なエロを追求していたが、歳を取ってからは、宗教的な作品を作るようになり、私も彼の晩年の陶器作品の写真集を持っているが、非常に神秘的と思うのだ。

医者の息子の家庭教師で苦労した知人がいる。
その医者としては、息子に医学部に入ってもらい、病院の後を継がせたいが、家庭教師に行った知人は、その医者の奥さんが若くて美人であるのを見て、直観的に嫌な予感がした。
およそ医療の世界と関りのない奥さんは、その息子に、全く医者向きでない性質を与えてしまっていたのだ。
だが、その美人妻が不思議大好き少女だったらしく、息子は自分の趣味に神秘性を見出して美大に進み、楽しくやっているらしい。

アイルランドのノーベル賞作家で、「20世紀最大の詩人」と言われたウィリアム・バトラー・イェイツは「神秘を信じない者には想像力がない」と言ったが、神秘的想像力は有難いものだ。
才能というのは、所詮、3歳までに刷り込まれた記憶である。
ロクな才能の源を刷り込まれていないのであれば、成功するには神秘的想像力に頼るしかないかもしれない。
「自分は凡人だ」と言う事業家に、神秘家や熱心な宗教信仰者が多いのは、彼らが神秘性に目覚め、自分の好きなものを神秘的想像力で探求したからである。
で、どうせなら、良い神秘性を。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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