ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

イェイツ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

忍び寄る侵略者に勝つ

日本も現在、侵略を受けている。
侵略と言っても、以前のようにドンパチ(ミサイルや戦闘機や機関銃)で攻めて来るのではない。
敵の攻撃は洗脳であり、侵略するのは我々の脳・心である。
その洗脳は、テレビ、新聞、学校、金融、映画、書籍を通して長年行われてきたが、いまや敵は、インターネット(SNSを含む)を手中に収めつつある。
その中で、我々の状況は、不利といった程度のものではない。
なぜなら、大半の者は、侵略を受けていることや、敵の存在にすら気付いていないのだから。
我々は何より、直ちに、敵の存在、敵の侵略事実を認識しなければならない。

どうすれば、それを認識出来るか?
何ごとも、まず、喩えが少しは役立つかもしれない。
萩尾望都さんが、レイ・ブラッドベリの『スは宇宙(スペース)のス』を中心に漫画化した作品、『ウは宇宙船のウ』の中の、『ぼくの地下室においで』を読むと良い。
ブラッドベリ自身の小説『スは宇宙(スペース)のス』でも良いが、これは売り切れのことが多く、何より、萩尾さんの漫画が良い。彼女は天才だ。
もちろん、この作品では、象徴的に描いているが、あの通りのことが、今、本当に起きている。
『ぼくの地下室においで』の中で、大学生のロジャーは、異常事態に気付いていた稀有な人間だった。
そして、彼は、ガールフレンドのマニーに警告するが、マニーは、いきなりだったこともあり、ほとんど理解出来なかった(だが、少なくとも真面目に聞いてくれた)。
最後にロジャーは言う。
「時間切れになるまえに…間に合ううちに…さもなきゃ僕らは…みな…おしまいだよ…!」
では、ロジャーはどうしろと言ったのか?
「気をつけろ」
「六感を・・・直観を働かせるんだ」
「頭の細胞全部使うんだ」

しかし、それではもう遅いかもしれない。
そこで、もっと良い方法を教えよう。
敵が手をつけられないものを使うのだ。
それは、神仏の名だ。
確かに、敵は、自分達の都合の良いように、神や仏の一般概念を穢し切り、歪めてしまった。
しかし、神仏の名には、決して手は出せない。
天照大神、阿弥陀仏、観世音菩薩、弥勒菩薩、イエス、クリシュナ・・・。
好きな神の名を、心の中で丁寧に唱えることだ。
神仏の名は、人がつけたものではない。
高次の魂が、高貴な人間の魂に伝えたものなのだ。それは、1つの神仏が、様々な言語での名前になる時にも、必ずそうだった。
そして、神仏の名を唱えると・・・心の中で丁寧に唱え続けるとどうなるだろう?
W.B.イェイツが『悪魔と野獣』で、

夜となく昼となく私を悩ませる
あの狡猾な悪魔とあの騒々しいい野獣が
少なくとも、ある瞬間だけは
私の視界から走り去ったのである。
~『W・B・イェイツ全詩集』(鈴木弘訳)より~

と述べたように、あるいは、T.E.ロレンスが『知恵の七柱』で

世界の物音、香り、彩が、思考の篩(ふるい)を通過せず、思考によって類型化されることなく、まさにそのもの自体として人間を直撃する
~『右脳の冒険』(コリン・ウィルソン著)より~

といったように、魂は神と融合し、全てが明らかになると共に、既に敵に打ち勝っているのである。
これが、神仏の名の神秘の力である。








ぼーっとすることの大切さ

我が国を代表する思想家で、名著『共同幻想論』の著者である吉本隆明(りゅうめい、または、たかあき)氏は、『ひきこもれ』の中で、「ぼーっとする」時間の大切さを説いていた。
どのくらい大切かというと、自分の娘達(彼の子供は女の子2人)がぼーっとしていたら、母親に買い物に行くことを言いつけられた彼女達の代わりに、この我が国最高の思想家が、自ら買い物かごを持って(当時の買い物スタイル)八百屋や魚屋に行っていたほどだった。
私が以前勤めていた高収益の優良な会社は、創業社長が一代で作った会社だったが、その社長が私によく、「仕事ばっかりするな。ぼーっとする時間も大切だ」と言っていたものだった。

ただし、「ぼーっとする」とは、妄想することではない。
「ぼーっとすることならまかせて下さい」と言う愚か者は、何もしていなくても本当にぼーっとしているのではなく、頭の中で下らないことを考えているのだ。
吉本隆明氏や、私が知っているあの社長が言う「ぼーっとする」は、無念無想に近い状態だ。
松本隆氏が作詞した、松田聖子さんの隠れた名曲に『メディテーション』というものがあり、その中に、
「波のハープだけ心ふるわせ 透明になった心が流れ出すの」
という歌詞があるが、これが、良い「ぼーっと」している状態の雰囲気と思う。
なぜ、波の音が心を震わせるのかというと、自分が波と一体化しているからだ。
人間は、自然と一体化し易く、特に、夕陽や柔らかい風や星空と一体化しやすい。
電波工学の世界的権威でサイ科学研究者であった関英男博士は、若い時、受信機から聴こえてくる宇宙からの電波を聴いているうちに、それと一体化し、その後、外に出て星を見たら、星が語りかけてきたという。
「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドのW.B.イェイツは、「正しく」ぼーっとしていると、壁の絵が語りかけてきたという。
私が知っている感性豊かな女子小学生は、夜によく壁に普通に話しかけるそうだが、壁も何か話してくれるのだと思う。きっと、良い漫画でも読んでいるうちに、ぼーっとするのだろう。

ぼーっとしている時、人間はどうなっているかご存じだろうか?
実は、人間本来の姿に戻っているのである。
では、人間本来の姿とは何だろう?
それは、時間と空間を超えた存在だ。
時間や空間を超えようなどと思わなくて良い。
元々、そんなものを超えているのだから。
その本来の姿になるためには、ただ、「ちゃんと」ぼーっとすれば良い。

正しくぼーっとするためには、波や風や光や、あるいは、絵や音楽や漫画や、自分のお気に入りのものに静かに没頭し、それと1つになると良い。
個人的には、ベドルジフ・スメタナの『わが祖国』の第2曲『モルダウ』を聴くと、ぼーっとしやすい。特にクラシック好きでなくても、聴き惚れてしまう美しい旋律の曲で、この『モルダウ』だけが演奏されることもよくある。
そして、W.B.イェイツは「憎むことをやめた時に」そうなりやすいと言っていたと思う。
誰かを、あるいは、何かを憎んでいると、ぼーっとすることは出来ない。

『マスターの教え』の中で、マスターが、「ぼーっと雲を見上げている時に心に入り込んだことは実現してしまう」といったことを言う。
ただし、ぼーっとした時に、願い事をする必要はない。
流れ星が消えない間に願い事をする離れ業をする必要がないのと同じだ。
流れ星を見ている時は、一瞬、ぼーっとするものだ。
そして、決意したことがあるなら、その時に叶ってしまうのである。
とはいえ、特に流れ星を待つ必要もなく、ただ、ぼーっとすれば良い。








間違いなく願いを叶える手順を超丁寧に

いろんな本やいろんな人の教え、そして、実践経験が1つにまとまり、まず間違いなく願いが叶う方法が分かる。
ソースは6つ。
これらの書籍の中に同じことが書かれている。
(1)書籍『その望みは宇宙がかなえてくれる』(ベルベル・モーア著)
(2)書籍『波動の法則』( 足立育朗著)
(3)書籍『成功の秘密にアクセスできるギャラクシー・コード』(大野靖志著)
※参考。同じことを意図した文章、あるいは、会話があった。
(1)書籍『眠りながら成功する』(ジョセフ・マーフィー著)
(2)直接面談:政木和三氏
(3)直接面談:宇宙人チャネラー、芸術家

さて、これらの情報を、一まとめで簡単に言うなら、どうなるだろう?
それは「決意する」だ。
チャネラーを通して語った宇宙人は、「願いを宇宙にぽーんと投げよ」と言い、 足立育朗氏は、「プログラムして宇宙に投げる」といったような表現をしていたと思う。
「プログラムする」とは、私の解釈では「言葉で表現する」だ。
なぜなら、日本語は、優れた宇宙創造言語、つまり、言霊であるからだ(大野靖志氏の著書では一貫してそう書かれている)。
「決意する」は、「決心する」「決める」「誓う」などと言っても良いと思う。
ただし、重々しく決意するのではなく、また、決死の誓いをするのではなく、「軽く」「ソフトタッチ」で決めるのだ。
それに関しては、ジョセフ・マーフィーの著書や大野靖志氏の著書に共通する。

「軽く」「ソフトタッチ」を「陽気」と考えても良いかもしれない。
もし、機会があれば、W.B.イェイツの『瑠璃(ラピス・ラズリ)』という詩を読んでいただきたいと思う。
その中に、何度も、gay(陽気な)という言葉が出てくる。
「世界を滅ぼし、再び構築する者はgay(陽気)である」
他にもあるが、そのgayという言葉で表される喩えが非常に良いのである。
イェイツは、イエスが比喩(たとえ話)の達人であると述べているが、イェイツがまさにそうなのだ。
このイェイツの詩でgay(陽気)の神髄が掴めるのではないだろうか?

『灼眼のシャナII(Second)』で、こんな場面がある。
シャナが真剣な顔で「佑二、誓って。立ち向かうって」と佑二に言う。
佑二も真剣な顔で「誓うよ。何があっても立ち向かうって」とシャナに応える。
すると、シャナは陽気な笑顔を見せた。
この明るさ、陽気さが勝利の鍵なのである。

同じように、言葉で、「〇〇する」「〇〇になる」と決意するのだ。
だが、それは軽く決めるのが良い。
軽くても、「静かに、ゆっくり、丁寧に」言うのだ。それが真摯な誓いになる。
そして、既に叶ったと思って、陽気な気持ちになる。
そうすれば、確実に叶うだろう。
イエスだって、「願いは叶ったものと思え。そうすれば叶う」と言ったが、それを丁寧に言えば、以上のようになる。








偉大な人物達のターニング ポイントになった出来事

偉大になった人物には、必ず、ターニング ポイント(転機)になった出来事がある。
そして、そんな出来事は我々にも起きるし、起こす方法も分かってきたと思える。

発明家、工学博士の政木和三氏は、小学5年生の頃、吃音(きつおん。どもり)を治したいという思いから、腹式呼吸の訓練をしたらしい。
呼吸数をどんどん落とし、1分で1回の呼吸が出来るようになった時、何かが起こった。
母親が毎日上げているお経の意味が勝手に解ってしまい、母親に説明して驚かれたようだ。
また、練習したこともないピアノが不意に弾けるようになってしまった。
ピアノの腕は一生涯続き、プロのジャズピアニストに絶賛される腕前で、自身が作曲した曲のピアノ演奏のCDも出した。
講演の際も、ピアノが用意されていれば、弾いて聞かせたこともよくあった。
その他にも、政木氏には神的な知恵や能力が発現したようである。

発明家、理学博士の橋本健氏は、高校生の時、深刻な病気になって、医者に余命僅かと宣告され、絶望に陥っていた。
その時、谷口雅春氏の著書『生命の実相』を一心不乱に読んだそうだ。
すると、病気が治って健康になってしまい、あらゆる幸運が舞い込む「円滑現象」が起こるようになった。

電波工学の世界的権威で工学博士の関英男氏は、大学を出て、KDDIの前身である国際電気通信に勤務していた時、毎日、研究中の電波受信機から聴こえる音を聴いていた。
ある時、いつもと違う音が聴こえてきて、それを聴いているうちに、宇宙と一体になった感じがして、それ以降、不思議な出来事や出会いが度々起こるようになったという。

特に印象的なものを取り上げたが、調べれば、およそ偉大な人間で、このような体験を持たない者はいないことが分かる。
こういった体験は、心理学者のアブラハム・マズローが「至高体験」と名付けたものと同じと思えるが、マズローは、
「偉大な人間と平凡な人間の違いはただ1つ。至高体験があるかないかだ」
と言ったのだ。
ただし、マズローと交流があったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、至高体験は誰でも経験しているものだと言い、後にマズローも、それを認めたらしい。
そして、ウィルソンは、至高体験を意識しているか、自在に起こせるかということが重要であることに気付き、それが彼のライフワークにもなった。
マズローは、自分が教えていた大学の学生達に、「自分が幸運だと思ったこと」を発表させたら、そこにいた学生たちが、次々に至高体験を起こすことに気付いた。
ウィルソンは、至高体験について、「単に、自分が幸運だと思うこと」と言う。

「20世紀最大の詩人」と言われる、ウィリアム・バトラー・イェイツは、おそらく至高体験と同じものを「エクスタシー」と表現し、芸術の目的はエクスタシーであると述べている。
また、それ(至高体験やエクスタシーと同じもの)を、ロマン・ロランは「大洋感情」、夏目漱石は「天賓」と呼んだが、およそ文豪で、至高体験について書いたことのない者はいないと言われる。
哲学者ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、こう表現している。
「神の魂が私の魂に流れ込み、私の魂が神の魂に流れ込んだ経験は忘れることが出来ない」
関英男博士も、宇宙とつながった時のことを、そういった雰囲気で表現していたと思う。

そして、コリン・ウィルソンが言ったように、至高体験は誰でも起こせるのである。








穢れを祓うと愛になる

力や幸運を得たければ、とにかく何でもいいから愛すれば良い。
武道でも、敵を愛すれば、敵は何も出来ない。
しかし、ご存じとは思うが、「好き」は必ずしも愛ではない。
とはいえ、別に難しいことではなく、純粋な「好き」が愛なのであるが、不純な「好き」を愛と勘違いすることが多い。
犬や猫が可愛いからといって飼い始めても、世話をするのが面倒で捨ててしまう者が多い。
その人は、犬や猫に楽しませてくれることを期待していただけで、それはエゴであり、純粋な「好き」ではなかったのだ。
いや、犬や猫だけでなく、自分の子供を捨てたり、虐待する親も増えている。
そして、実を言うと、大半の母親は、本当は子供を愛していないという恐ろしい説もある(真偽は恐くて言えないが)。

物理学者で合気道家の保江邦夫さんの本で、保江さんが、空手の猛者と試合をした時の話があった。
保江さんは達人とはいえ、60歳もとおに過ぎ、相手のゴツい空手家の方が体力、筋力、それに、おそらく体格もはるかに優っていた。
合気道は、愛気道とも言うくらい、敵を愛することが大切であるし、愛さないと勝てない。
保江さんは「女子大生ならいくらでも愛せるが、あんなのを愛するのは難しい、でも、愛さないとボコボコにされてしまう」と書いていたが、本人も分かって書いているのだろうが、女子大生だって、愛することは本当は難しい。若い女性の身体なら、どんなオッサンも大抵好きだろうが(笑)、当然、それは愛ではない。
まあ、ともかく、むさ苦しい相手の空手家を愛さないとヤバいことになる。
それで、どこまで本当か分からないが、保江さんは、「形から入ろう」ということで、なよっとして向かっていったそうだ。
相手を愛したからか、相手が気持ち悪くなって戦意喪失したのかは分からないが(笑)、それで相手は抵抗不能になって、保江さんが勝ったのである。

純粋に好き・・・何の見返りがなくても好きなことが愛である。
子供が構ってくれないと言って悲しむ父親(本当に泣く人もいる)も、「ここまでしてやっているのに俺は報われない」と、見返り(子供が自分を楽しませること)を求めているのだから、これもちっとも愛ではない。
アイドルを愛してグッズ購入に惜しみなく金を注ぎ込むのが愛であるかというと、それで見返りを得られるような妄想を与えるプロダクションの罠にかかっただけである。
アイドルが、「私を愛しているなら、毎月10万円振り込んで下さい。見返りは当然、何もありません」と言って、それに従うなら愛の可能性はあるが・・・

『キャシャーンSins』というアニメで、ルナという少女が幼い時から、彼女に仕えているロボットのドゥーンは、身体の腐敗が進行し、ルナが不思議な力でそれを癒し治すことが出来るのだが、ドゥーンは癒されることを拒否する。
ドゥーンは、「俺は(ルナを)見ているだけでいい」と言い、ルナを害する敵と戦い続ける。
これなら一応は愛と言えるが、どこか、純粋な好きとは言えないものも感じる。
つまり、ドゥーンは、どこかで、ルナに精神的見返りを期待していたのだ。
あるいは、ドゥーンは、「自分の想いは、見返りを求めない純粋な愛である」ことを願い、見返りを拒否したのである。
それもまた執着だ。

つまり、愛とは非常に難しい(笑)。
しかし、アイルランドの「20世紀最大の詩人」、ウィリアム・バトラー・イェイツが、良いヒントをくれている。
「愛は神の領域であり、人は愛することは出来ない。だが、憎しみは人の領域であり、人は憎むことをやめることは出来る」
そして、憎むことをやめれば、愛が出て来てしまうことを、イェイツは理屈ではなく、証拠を上げて見せる。
つまり、憎むのをやめると、「視界がぱーっと開け、不思議な解放感に満ち、壁の絵が語りかけてくる」体験・・・これは、大洋感情とか至高体験と言われ、今で言う、フローやゾーンも似たようなものと思う。
だが、問題は、憎むことをやめることも難しいことだ。
けれども、日本古来の知恵はそれを解決する。
憎しみは、穢れである。
日本には、「祓う」という秘儀があり、憎しみも含めた罪、穢れを祓えるのである。
どうやってかというと、「言霊」によってである。
それこそ、「愛」という言葉が愛である。
この言葉を、「静かに、ゆっくり、丁寧に」繰り返せば(口で言っても心で思っても良い)、言霊の力で愛になる。
だが、積もり積もった穢れを祓うには、祝詞の力を借りるのが一番だ。
「大祓祝詞」は、強力な祓いの祝詞なのだから、これを聴いたり、自分で唱えると良い。
「一二三祝詞」を、書いたものを見ながら唱えるのも良い。
しかし、「トホカミエミタメ」と唱えるのが一番簡単で効果的であるようだ。
理屈はともかく、試してみると分かると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード