ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

イェイツ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

たまたま上手くいく人の特質

成功した人が、冷静な判断力があって、なおかつ、正直であるなら、自分が成功出来たのは「たまたま」と言うだろう。
また、九死に一生を得た人が、後で冷静に振り返ることが出来れば、自分が生き延びたのは、やはり「たまたま」と言うのだ。
そして、そのことに早く気付いた方が幸福になり易い。

こんな話がある。
ある人が、外国で電車で移動していた時、トイレに行ったが、使用中だったので、隣の車両のトイレに行った。
すると、電車が爆撃され、その人が、元いた車両は爆破された。
もし、トイレが使用中でなかったら、その人は死んでいたはずで、生き延びたのは、まさに「たまたま」だ。
この出来事で、その人は、世界は偶然で出来ていることを悟り、すると、その後は何をやっても、ひどくうまくいくようになった。

あなただって、妻や夫や、恋人や友人に巡り逢ったのは、全く「たまたま」のことだったと思う。
『からかい上手の高木さん』という漫画・アニメで、2人は、たまたま隣の席になり、入学式の日、高木さんが落としたハンカチを、たまたま西片君が拾ったことで、2人は一緒にいることになったのだが、まあ、現実にもよくある話である。

哲学者のニーチェや、詩人イェイツは、共に、
「たまたま起こったことを、自分の意思と見なせば、神に近付く」
と述べている。
どんな出来事も、自分の意思で起こったのである。
「そう思う」というのではなく、「それが事実」と見なすのである。
それなら、後悔も、文句も、泣き言も、言い訳もあるはずがない。
イェイツは、こんな謎の手記を残している。
ある、賢者と言われる男は、家族を殺された時、それを自分の意思を見なした。すると、幸福感を感じた。
男は富豪になるが、家や財産を奪われ、奴隷になった。これもまた、自分の意思と見なすと、やはり、幸福を感じた。
そして、自分に死期が近付いた時、死ぬこともまた、自分の意思と見なすと、恍惚とした幸福感に満たされた。
まあ、これはあくまで極端な例であるが、このようにすれば、自分は限りなく神に近付くのである。
間違えてはならないのは、全てを神の意思として尊重するのではない。
あくまで、自分の意思であるとするのである。

これを、この世界は漫画で、自分は漫画の登場人物であるという「世界=漫画理論」で考えると分かり易い。
(実際は、漫画でもアニメでも小説でも映画でも紙芝居でも構わないが)
物語は全て、作者が決めた通りに進行する。
その時、辛い目に遭っている登場人物が嘆いてはならない。
登場人物である我々の心は、作者の心の一部なのだ。
だから、物語の展開は自分の意思であるとすれば、自分は作者に限りなく近づく。
そのような登場人物を不幸には出来ないのである。
なぜなら、作者は、物語を肯定する登場人物は自分だと感じており、そして、作者は自分を愛しているからである。








なぜ嫌われるのか

カンザキイオリさんの有名な楽曲(ボーカロイド曲)『命に嫌われている。』は、特に若者に異常な人気を博したが、私がそうだが、このタイトル 『命に嫌われている。』だけで、極めて印象的だ。
狙っていたものが得られなかった時、その狙っていたものに「嫌われた」と表現することがある。
たとえば、トランプでA(エース)を待っているのに、なかなか来なければ「Aに嫌われた」と言う。
誰がこんな考え方を思いついたのか分からないが、これは深い・・・霊的に深い洞察だ。

『命に嫌われている。』で、なぜ命に嫌われているのかというと、例えば、「死にたい」と軽々しく言うからだが、別に、命の方が「私は君が嫌いだ」と言ってきたわけではない。
では、想像するに、元々、「命に嫌われている」から、軽々しく「死にたい」と言うのだとも考えられる。
だが、命には嫌うという感情はないので、どちらも妄想である。
この歌が、妄想に苦しんでいる者の気持ちを歌った歌だと言えば露骨過ぎるが、まあ、そんなものである。

そして、嫌っているものに嫌われているように感じるのは自然なことである。
つまり、『命に嫌われている。』という歌は、「生きることが楽しくない」者の歌で、この「生きることが楽しくない」という気持ちを、自分が「命を嫌っている」と感じているので、反作用で命に嫌われていると思い込んでいる、やはり、妄想である。

試験に嫌われていると思えば、試験で良い点が取れないが、それは、先に自分が試験を嫌っているのである。
おみくじを引いて、なかなか「吉」が出て来ないと、「吉に嫌われている」と思うかもしれないが、それは、おみくじに関する何かが嫌いなのである。

ところが、「僕が彼女に嫌われているのは、想像じゃなく事実ですよ」と言う人がいて、実際に、その者が、その彼女に嫌われていることもあるだろう。
しかし、これも、先に、あるいは、同時に、その者が彼女を(あるいは彼女に関係する何かを)嫌った結果でしかない。
お金に困っていると、「私はお金に嫌われている」と思うかもしれないが、それも、先に、お金(あるいはお金に関する何かを)自分が嫌ったからである。

岡本太郎が、ある時期、絵が描けなかったことがあり、その時は苦しんでいたらしい。
ひょっとしたら、岡本太郎はその時、「絵に嫌われている」と思っていたかもしれないが、そうであれば、岡本太郎が、絵や絵の何かを嫌っていたのだ。

「女の子は大好きだけど、僕、全然モテないですよ」と言う男は、やはり、女の子の何かが嫌いなのである。
では、女の子の全てを好きになったり、お金の全てを好きになったら、女の子にモテ、お金が入って来るかというと、全くその通りである。
ただし、そんなこと、意図的には出来ない。
全てを好きになるということは、愛するということであるが、人間は自在に愛することは出来ないのだ。
これは、アイルランドの大詩人W.B.イェイツも明言したことだ。
だが、イェイツも言う通り、「人間は、愛することは出来ないが、憎むのを止めることは出来る」のである。

女の子を嫌うのを止めたら、アラ不思議、女の子にモテるし、お金を嫌うのを止めたら、アラ不思議、お金が入って来るようになる。
だが、それが真実だと分かれば、大多数の人間は、女の子を愛そう、お金を愛そうとして失敗する。
繰り返すが、それは無理なのだ。
やはり、嫌うことを止めなければならない。
では、ここからが秘法だが、どうすれば、女の子やお金を嫌うことを止めることが出来るだろうか?
『命に嫌われている。』で言えば、どうすれば、命を嫌うことを止め、命に嫌われているという妄想から脱することが出来るだろうか?
簡単なことだ。
女の子や、お金や、生きることを好きになるのを止めれば良いだけだ。
モテる男は、女の子に対しクールだし、モテる女は、男に媚びを売らない。
金持ちは、お金に執着しない・・・と言ったら、「いや、1円のお金も大切にするのが金持ちだろう?」と言うかもしれないが、金持ちは、お金やお金の流れに厳しいだけで、お金が好きなわけではない。お金持ち本人が誤解して「俺はお金が大好きだ」と言う者もいるがね。
楽しく生きようなんて思うから、命に嫌われるのである。
「生きてるだけで丸儲け」と思っていると、命に好かれるのである。








陽気に不幸は近付けない

この世界は漫画のようなもので、我々は漫画の登場人物のようなものだ。
このように、漫画に喩えるのが一番分かり易い。
だが、紙芝居が好きなら紙芝居、ゲームが好きならゲームでも良いが、静止画の方が良い。
動く映像だと、どうしても時間の流れを感じる。詳しくは言わないが、時間とは概念、あるいは、情緒に過ぎず、実体はない。
それで、時間を感じると、どうしても、本質が眩んでしまうのである。
どうでも良いことだが、私個人は紙芝居に喩えることが好きである。

この世界という漫画の作者は神のようなものであるが、神である作者の機嫌を取ったり、作者に好かれて運命を良くしようなんて思わないことだ。
全く無駄なことだからだ。
要は、主役たりえる態度でいれば良いのである。
そのためにはどうすれば・・・いや、することは作者が決めるし、考えることも同じだ。
だが、登場人物の想念(あるいは念)は、作者すら、「我々を見て感じる」のである。それで、作者が意外に思うことすらある。
想念だけは我々のものだ。
だから、我々は主役の想念を持たねばならない。
では、主役の重要な想念とは何か?
これに関しては、アイルランドの大詩人ウィリアム・バトラー・イェイツが、『ラピス・ラズリ(瑠璃)』という詩で、一言で言ってくれている。
それはGay(陽気な)だ。
悲劇のヒーロー、ヒロインであるはずの、リア王、ハムレット、それに、オフィーリアすら、皆、陽気なのだとイェイツは洞察した。
だが、我々は、しかめっ面をし、陰気になり、不満を感じている。
それは主役の態度ではない。
主役は陽気だ。
『リア王』や『ハムレット』等は、悩んだり、迷ったりしたら不幸になることを示す劇であるだけなのだ。
一方、我々は陽気でいる限り、不幸は近付けない。
だから・・・「陽気に笑え」である。
笑うことほど大事なことはない。








文豪達が直観で見抜いたこの世のカラクリ

「人生は大したものではない」「人間は大したものではない」「あなたは大したものではない」と言うネットの人気者がいるようだ。
その理屈は、だいたい、
・ほとんどの人には、さほどの才能や能力がない
・スーパースターになれるのは、一握りの特別な才能がある人だけ
・自分に才能があると思うのは、自己啓発本に騙されているだけ
あたりに集約されると思う。
そして、才能もないくせに、凡人に甘んじるのは嫌だと思っている者(中二病)ほど滑稽なものはなく、また、そのままでは人生を棒に振る恐れもあるので、早めに諦めて楽な道を選べというわけだ。

実は、この論には、私も反対ではないのだが、1つ抜けているのだ。
『荘子』の中に、こんなことが書かれている。
「本物の神人は、お前には区別がつかない」
つまり、神人は、そこそこいるのだが、凡人のフリをしている。
一方、有名なスーパースターなんて、操り人形に過ぎず、少しも幸福でないものだ。
だから、学校やマスメディアや自己啓発本が宣伝するようなスターなど目指さないことだ。
神人は、力の及ぶ範囲に違いがあるだけで、その気になれば誰でもなれる。

私は、W.B.イェイツの『ラピス・ラズリ』は、暗記しておくべき詩と思う。
イェイツは、世界のカラクリを全部知っていたわけではなかったと思うが、天才詩人の直観で気付いた肝心なことは、この詩に全部書いてある。
イェイツの時代は漫画が無かったので、彼はシェイクスピアの戯曲を使って説明しているが、漫画の方が分かり易いので、漫画で考えても良いと思う。
劇の主役たる、ハムレットも、リア王も、オフィーリアもそこいらにいる。
で、本物のハムレットなら、これが劇であることを知っているし、自分が劇の登場人物、つまり、漫画のキャラクターであることも知っている。
だから彼らは・・・陽気なのだ。
彼らは泣いたりしない。シャンとしているのである。
また、高貴な魂を持とうとしている。でないと、劇の主役を張れないことも分かっているのだ。

ダンテにいたっては、イタリア文学の最高傑作とまで言われることになる自分の作品に『喜劇』と名付けた。
それが、『神聖なる喜劇』という御大層な題名になってしまい、日本では、森鴎外という困った人が(笑)『神曲』というわけのわからないタイトルにしてしまった。
だが、ダンテは、9歳の時からずっと憧れたが、相手にされないまま24歳で亡くなったベアトリーチェとの大ロマンスを書きたかっただけかもしれない。ただし、やはり、高貴な魂を持ってね。
ダンテは、この世界が劇であることは、あまり分からなかったのかもしれない。
だが、イェイツが「ルネッサンス最高」とまで言ったダンテの想像力は偉大だ。
だから、『喜劇』もしくは『神曲』を読んだ人は、分かってくれるだろう。








主役の特質

弱音を吐くところを絶対に見せられない相手がいる。
例えば、親が子に対して、あるいは、姉も同じかもしれないが、特に、兄が弟や妹に対して。
また、社長が社員に対して、隊長が部下の兵士に対して。
子も、弟や妹もなく、社長や隊長になったことがなくても、弱い子供や動物が自分を頼ってくれたら、弱音は吐けないことは分かると思う。

弱音を吐かないということは、シャキッとするということで、シャキッとするということは、引き締まった顔をすることだ。
この世界は、漫画のようなもので、人間は漫画のキャラクターなのだが、本当の漫画同様、弱音を吐かず、シャンとした、引き締まった顔を続ける者が負けるはずがないのである。

「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツは、『ラピス・ラズリ』で、こう書いている。

劇の主役にふさわしい人間なら、
台詞の途中で泣き出したりはしない。
※『イェイツ詩集』(岩波文庫)より

英国の作家コリン・ウィルソンは、『右脳の冒険』(だったと思う)で、こんな少年時代の思い出を語っている。
幼い弟と二人、森の中で迷ってしまった。
何時間、歩き続けても、森を出られる様子はまるでなく、おまけに雨が降り、空腹と疲労、そして寒さで、弟はしゃがみ込んで泣き、動こうとしない。
コリンもそうしたかった。
だが、自分は兄だ。そんなことが出来るはずがない。
コリンは、やせ我慢だったのだろうが、シャキッとし、弟を叱咤激励し、顔を引き締め、力強く振る舞った。
すると、なぜかスムーズに森の出口に導かれた(これが右脳の力である)。

イェイツの詩の通り、主役でありたいなら、泣いたり、弱音を吐いたりせず、無理にでもシャキッとすることだ。
主役には、負けるシナリオなどないのだから。

私も、リーダーを務めるシステム開発プロジェクトで、もう、どう考えても破綻するしかないような状況になったことが何度かあるが、やせ我慢でシャキッとし、平気な顔でいると、いつも、奇跡のように問題が片付き、なんとかプロジェクトを完成させた。
また、私がセールスマン時代、本社から支店に、とんでない額の売上げノルマを課せられ、セールスマン達は不満の声を上げたが、支店長は一言の不満も泣き言も言わず、顔を引き締めると、支店は奇跡のような売上げを達成し、さらに支店長は、同じように無茶なノルマを課せられた別の支店の支店長に、「泣き言を言うな!しっかりしろ!俺が手伝うから」と叱咤激励していたのだった。

シャンとする・・・これが奇跡を起こす魔法である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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