ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

イェイツ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

邪悪な人間にどう対応するか?

善良でない相手にどう対応するかは難しい問題だ。
アメリカの著目な啓蒙家、W・クレメント・ストーン(1902~2002)の本で、ストーンは、学校でいじめられて泣きながら帰ってきた息子に「やり返してくるまで家に入れない」と言った父親を称賛していたが、日本でも、昔はそうだったかもしれない。しかし、今は、子供にそんなことは言えないと思う。言ったら、息子が殺されるかもしれない。子供達の倫理観の低下がそれほど酷いのだ。
ところで、こんな世の中では、些細な悪にも、極端に敏感になってしまう人がいる。
というか、私は、自分がそうなのだなあと感じたのだ。
昨日も少し書いたが、1973年のアメリカのテレビドラマ『大草原の小さな家』(1980年まで続いた)をAmazonプライムビデオで見たのだが、今よりも、人々の間に善意があった時代に作られたTVドラマなのだと感じる。
そのドラマの中で、お金持ちの家の子が自己中心的に振る舞い、豊かでない家の子を時に虐げたる。また、脚の不自由な女の子がいて、誰も彼女をいじめはしないが、相手にもせず、その子は辛い思いをしているが、彼女の父親は、彼女を愛するために、彼女を学校に行かせたくない。まあ、子供達の間のことだから、それほどドロドロしたことはないが、子供達の心だって天使ではないし、子供達の親となると、さらにそうだ。
ところが、このドラマの製作者は、このドラマを物凄く健康的なものにしようという意図があったのだと思う。
様々な悪意に対して、主人公のローラの両親は、ストレートな善意で対応するよう、ローラ達に教える。
まあ、それがキリスト教の有名な「汝の敵を愛せよ」なのであろうか?
つまり、嫌がらせをしてくる相手、利己的な相手に対し、善意と礼儀を尽くすのである。
そして、このドラマの中で、本当にそんなことをするのだから、私はとてもではないが、見ていられない。
嫌なことをされても仕返しをしてはならないとか、悪意を持たず黙って耐えろというなら賛成しないでもないが、親切と愛を返せとなると、現実的には、止めておけと言うしかない。

だが、昔なら、「やられたら、男ならやり返してこい」とか、「相手を根っからの意地悪だなんて思わず、優しくしなさい」というのは、正しかったのかもしれない。
つまり、悪いやつに見えて、中身は案外そうでなかったり、少なくとも子供であるなら、多少、性格が悪いように見えたり、いじめっ子であっても、限度は心得ていたのだと思う。
しかし、今の子供達の中には、本格的にクレイジーな者がいくらでもいる。
親や教師の中には、本物の外道がいくらでもいることとも大いに関係があるだろうが、とにかく、今は、大人も子供も信用出来ない時代である。
そんな中では、誰も信用出来ないと思うようになってしまう者がいる。しかし、そんな者はやはり、心が弱い者であると思う。
そして、自分がそうであると気付き、ちょっと愕然としたのだ(笑)。
だが、それでは、人生は豊かなものにならない。
とはいえ、無理に、他人を嫌うなとか、誰にも親切にしろと言うのではない。
そんなことをすれば、心が分裂し、苦しむことになる。やはり、それは不自然なのだと思う。
「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家、W.B.イェイツによれば、愛することは無理でも、憎むことを止めれば良いのだそうだ。
だが、荘子によれば、好悪の別を持つ限り、何も解決しないようだ。
つまり、「あの子は好きだが、あいつは嫌い」という感覚を持つ限り、「好き」はあっても「憎しみ」も避けられない。是非好悪の判断をしない・・・それが究極の秘訣ではあるが、実践は難しい。
ただ1つ。おそらく、善良な人間も邪悪な人間も、作り出しているのは自分の心であるのだと思う。
せめて、それを意識することが大切と思う。













当ブログオーナー、KayのAI書。
今、AIに関して、一握りのエリートと、その他、全くAIが作れない人に分かれると思います。
全くAIが作れない人の中には、数学やプログラミングによる難しいAIの勉強に必死に励んでいる人や、AIの教養書を読んで解った気になっているだけの人もいます。
しかし、AIなんて、自分で作れないと意味がないと思います。そして、今や、AIは誰でも作れます。
この本では、Excelが最低限使えるスキルがあれば、数学やプログラミングなしで、ほぼ無料で(Windows8.1/10パソコン、Excel、そして、この本は必要ですが)AIを作る方法を説明しています。
しかも、なるべく面白いテーマでそれが出来るよう工夫しました。

心を鍛えれば平和になれる

不安があったり、不満を持ったり、イライラしたり、憂鬱であったり、人生が楽しくないというのは、心が弱いことが原因だ。
あまり心が弱いと、いつもビクビクし、心が休まらないが、そんな者は、何をやっても上手くいかない。
だから、どうしても、心を鍛え、強くしなければならない。

弱い心は、コップの中の水のようなもので、かき混ぜると、いつまでも動いている。
一方、強い心はハチミツのようで、いくら激しくかき回しても、かき回すのをやめると、全く動かない。

「20世紀最大の詩人」と言われた、アイルランドのノーベル賞作家W.B.イェイツは、「心は孤独によってのみ鍛えられる」と言った。
だが、この孤独とは、必ずしも一人で居ることではなく、心を鍛えるために、山奥に独居する必要はない。
騒がしいオフィスの中にいたって、孤独であることは出来る。いや、むしろ、喧騒は心を鍛える良い舞台である。
孤独とは、心の痛みに静かに耐えることだ。
心配しなくても、心の弱い者に平安はないので、必ず痛みは感じている。
それに、黙って耐えることだ。
それを徹底して貫けば、心は強くなる。
心が強くなるとは、弱い心が取り除かれ、魂に密着した純粋な心だけが残るということだ。
ある覚醒した人の表現であれば、「心をグラつくままにグラつかせておくと、やがて、心は根元から抜け落ちる」とある。
心が勝手に抜けるまで、ぐらつくままにして、その痛みに耐えるのである。
そして、不純な心が消え、心が強くなれば、世界を自在に支配出来る。
つまり、事実上の魔法使いになるのである。
だから、何をおいても、心を強くしなければならない。
そのためには、不満を言わず、文句を言わず、言い訳をせず、非難批判を全くしないことだ。
それが、心の痛みに黙って耐えることである。

罪のない者が、大切なものを守るために、鞭で打たれながら黙って耐えるように、高貴な心で、心の痛みに静かに耐えれば、やがて、奇跡が起こる。
世界が終るかもしれない中で、その奇跡を見るべきである。
なぜなら、それが起これば、世界が終ろうと、あなたには何の関係もないからだ。













当ブログオーナーKayのAI書(Kindle版は販売中ですが、紙の本は5月30日発売です)。
Excelが使えれば、高校生でもある程度(Chapter.1あたり)は学習と実践が可能と思います。
易しくて面白い問題を取り上げましたし、ほぼ全ての実習(実際にAIを作る)のためのデータを作ることが出来る、Excelマクロ(VBAプログラム)を無料でダウンロード出来ます。
これを機会に、Excel VBAを勉強すると良いかもしれません。その意義も、本書の中のコラムに記述しています。

真の意味で自分が英雄である

子供の時、やたら繰り返して読んだ小説や漫画、あるいは、子供向けの科学書などがあったかもしれない。
そして、なぜ子供にはそんなことが出来るのかを考えると、大人でも、新しいことを学ぶ可能性を高めることが出来る。

私で言えば、小学生の時、『ピノキオ』『みつばちマーヤの冒険』『怪傑ゾロ』を本当に繰り返し読んだもので、いまだ、本のページの映像を思い出すことがある。
だが、大人であれば、最初はいかに面白いと思っても、何度も読めば飽きるし、それどころか、2度目はもう面白くないということも少なくないかもしれない。
だが、こんな話がある。
映画評論家だった淀川長治さんは、アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』を400回以上見ていて、その度に、必ず涙を流すと言われていた。
これは、『太陽がいっぱい』で淀川さんが感じる世界観が、淀川さん自身のバックグラウンドと重なる部分があるからだと思う。
一方、子供の場合は、まだ確固としたバックグラウンドがないので、淀川さんとは事情が異なるように思うが、実は、案外似ていると思うのだ。
つまり、子供は、物語の世界観が、そのまま自分のバックグラウンドにすることが出来る・・・もっと易しい言い方をすれば、自分が、物語のヒーローやヒロインになり切れると言えば、多少は納得出来ると思う。
そして、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、子供というものは、シェイクスピアを読む時は、シェイクスピアになり切ってしまうのだと言う。
また別のところで、エマーソンは、「英雄の物語を読む時には、自分の物語を読んでいると思わなければならない」と述べてる。合わせて考えると、子供にとって、シェイクスピアになるということは、その作品の主人公であるハムレットやオフィーリアになることなのだと思う。
そして、その際に極めて重要なことを、「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツが述べている。
悲劇の主人公であるハムレットもリア王も陽気なのだと。
しかし、人々は、憂鬱で苦悩するハムレットやオフィーリアを演じているのだとも、イェイツは言う。
(イェイツの最晩年の詩の1つ『ラピス・ラズリ(瑠璃)』より)

確かに、子供がハムレットになる時は、決して「生きるべきか死ぬべきか」と悩むのではなく(そんな子供、見たくない)、正義感が強く、ハンサムでモテモテの貴族の青年としてのハムレットになるはずなのだ。
オフィーリアなる女の子も、美少女で、ハムレットに愛され、他の大勢の男の子をも虜にする美味しい役柄のオフィーリアになるはずだ。

淀川さんだって、克服し切れていなかったとはいえ、全て暗かったとは思えない。
格好がよく頭の切れる青年としてのトムに同一化する部分もあったと思うのだ。
そして、それは、自分の境遇がトムに似た部分もあるからこそ可能なのである。

まあ、ややこしい話はともかくとして、我々は、大人になっても、自分をヒーローやヒロインと見なさなければならないのだ。
それが出来ないことを「自分に見切りをつけた」と言うのではないだろうか?
自分に見切りをつけてしまっては、生き甲斐もなく、食欲、性欲にしか関心がなくなる。
だが、子供の感覚を思い出せば、やはり、子供の時のエネルギーを再び得て、人生は面白いものになる。
そして、それが出来る者は、ヒーローやヒロインのお話を何度でも見ること、読むことが出来るだろう。

私も、かつては、マーヤや怪傑ゾロだったが、それを忘れてしまっていた。
今でも、マーヤやゾロでなくてはならないのだ。
ところで私は、昨年9月頃からか、アニメ『まちカドまぞく』全12話を20回以上見ていて、今も見ている。
私は、魔法少女、千代田桃に深く共感するのだ。
千代田桃は、千代田桜の本当の妹ではないが、心の妹だった。
桃は、強く完璧な桜に憧れていたのだろう。
しかし、突然、桜は失踪し、後継者となった桃は、自分が桜に及ばないことを実感し、心を閉ざしている。
ところが、優子という愛する存在を得て、桃は変わり始める。
制作されるはずの第2シーズン以降には、なぜ桃がかくも優子に惹かれるのかも解るだろう。
もちろん、解釈は人それぞれであり、各自、好きな作品で、好きなヒーロー・ヒロインになり切り、力強く生きれば良いのである。
あなたは、真の意味で英雄なのである。













KayのAI書籍『楽しいAI体験から始める機械学習』のカバーがついに公開。
可愛い(笑)!
カバー絵の可愛い女の子達と一緒に、本物のAIを作ろう!
ついでにVBAも覚えよう!

書籍の説明は、Kayの別ブログ「メディアの風」

世界はいったん終り、こう変わる

「20世紀最大の詩人」と言われ、老人になっても安らぎを求めず、死の直前まで名詩を残したアイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865~1939)の詩を読むと、現在の状況を預言しているようであり、また、今後、どうなるかも予感させる。
そのいくつかを見てみようと思う。

ところで、イェイツだけではないだろうが、芸術的な詩は、翻訳者によって、あまりに意味が異なる場合が多く、イェイツは特にそうだと思う。
イェイツの詩には、霊的な意味合いが濃く、霊的なものに、定義や共通の認識を期待する方が難しいからだ。
私は沢山のイェイツの詩集の翻訳を所有しているが、今回は、『対訳 イェイツ詩集』(岩波文庫。高松雄一編)を見よう。

まず、特に名詩と名高い『ラピス・ラズリ』(1938年。『瑠璃』と訳されることが多い)から、何行か抜き出す。

・・・
劇の主役にふさわしい人間なら、
台詞の途中で泣き出したりはしない。
彼らはハムレットもリアも陽気なことを知っている。
陽気さが恐怖をそっくり変えてしまうのだ。
・・・
すべての事物は崩壊し、また構築される。
そうして、ふたたび築く者たちは陽気だ。
・・・

悲劇の主人公たるハムレットやリア王が陽気とは面白い。
それを、一流の役者は皆、知っていると言うのだ。
逆に言えば、ハムレットやリア王が陽気だと知っているのが一流の役者の証である。
そうだろう。
ハムレットやリア王が本当は陽気だからこそ、シェイクスピアのこれらの戯曲は傑作なのである。
アメリカの作家カート・ヴォネガットは言っていたものだ。
「シェイクスピアはうまい作家じゃない。だけど、人間を知っていた」
普通の人々は、ハムレットやリア王や、あるいは、オフィーリアを気取って憂鬱そうにしているのだと、この詩の別の部分でイェイツは書いている。
我々も、凡人でありたくないなら、苦しい時に陽気でなければならない。
愚か者ほど、落ち込んで見せるのだ。

今のコロナウイルスは、経済も現代人の価値観も全て叩き壊す。
そして、新しい人間が、新しい世界を作るが、そんな者達は陽気なのだ。
あるイェイツ研究者によれば、再び構築する者が陽気なのではなく、「滅ぼし、再び構築する者」が陽気なのである。
あえて言えば、「陽気」を、低い意味に捉えてはならない。
gay(陽気)こそが、イェイツ詩の鍵と言う者もいるのだから。

では、『再臨(The Second Coming)』(1920。『再来』と訳されることが多い)に移る。
キリスト教では、再臨するのはイエスだが、イェイツは、スフィンクスのような野獣が再臨し、新しい野蛮な文明が始まると考えていたようだ。
しかし、イェイツは、ニーチェ同様、イエスの類稀な能力を認めながら、ニーチェやワイルドやサルトル同様、アンチ・キリスト主義だった。
キリスト教文明こそ野蛮で、それが今終わる。
そして、詩の最後で、再臨する野獣がどんなものであるかは、イェイツも知らないことを明かす。

・・・
最良の者たちがあらゆる信念を見失い、最悪の者らは強烈な情熱に満ち満ちている。
・・・
再び暗黒がすべてを閉ざす。だが、今、私は知った。
二千年つづいた石の眠りが
揺り籠にゆすられて眠りを乱され、悪夢にうなされたのを。
やっとおのれの生まれるべき時が来て、ベツレヘムへ向いのっそりと歩み始めたのはどんな野獣だ?

新型コロナウイルスがその野獣かもしれない。
これが生まれたからには、もはや以前の世界に戻ることはない。
長谷敏司さんの小説『BEATLESS』で言えば、その野獣はレイシア(超高度AI。姿は17歳くらいの美少女)になると思う。
レイシアの望みは、富の再分配だったと思うが、それが実に当を得ている。
新型コロナウイルスで人類が滅ばないために必要なことがそれだ。
レイシアと対立する超高度AIアストライア(正義の女神の名)は、強制的な変革の危険を説く。確かに、レイシアの戦いは苦しかった。
しかし、新型コロナウイルスは、強制的な変革を行う。
人類のエリート達があまりに利己的で強欲だからだ。
世界で言えばオリンピック、日本での似たようなものである高校野球甲子園大会はもう出来ない。
世界は強制的に変えられる。
新たな世界を作る者は陽気(Gay)である。












KayのAI書籍(数学講師MrΦとの共著)。

誰でもAIを無料で作れる時代。
権力者達がAIで世界を支配するのを防ぐためにも、我々がAIを理解しなければなりません。
そのためには、AIを自分で作るのが一番です。
それを、簡単に楽しく出来ることを意図し、面白いテーマを考えました。

奇跡によってのみ人生は面白くなる

人間は、奇跡によって成功し、奇跡によって幸せになる。
つまり、平凡な日常の中に、予想しなかったことが起こり、運命が開け人生が変わるのである。

「この世で一番楽しいことは何か知っているかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「予想しなかったことが起こることだよ」
~CLAMP『カードキャプターさくら』より~

「予期せぬことでさえあれば、起こることが最善だ」
~W.B.イェイツの戯曲『カルヴァリー』より~

私はプログラミングを覚えなければ、ロクでもない人生になっていたと思うが、プログラミングを始めたきっかけも奇跡だった。
営業の仕事をしていた時、少し前に会社を辞めていた同じ営業部の先輩だった人に偶然電車の中で会い(後にも先にも一度しか会わなかった)、彼が、「今、プログラマーをやっていて、営業の時と違ってやりがいがある」と言うのを、私は印象深く覚えていた。
私はその後転職した時の仕事は管理事務だったが、たまたま前の席だった技術課長が私と同じ大学の出身で(私は中退だが)、彼が私に「プログラムをやっておくと良い」と言ったのである。
その他にも、プログラミングを始める動機になる出来事が立て続けに起こったのは不思議なことだった。

フィリップ・フリードリヒ・ジルヒャー作曲の『ローレライ』(原詩はハイネ)の訳詩で、誰もが誘惑されずにいられない金色の髪の美少女ローレライのことが「奇(くす)しき魔が歌う」と語られている。
「奇しき」とは「普通とちがっている。めずらしい。すぐれている。ふしぎ。」「思いがけない。」ということで、それはやはり、「滅多にないこと」「奇跡」の意味が込められている。

若い時は、比較的よく奇跡が起こる。
なぜなら、若さとは危ういことで、その不安定さが奇跡を呼ぶのだ。
早い話、奇跡には冒険が必要である。
若くても危うさがない者、安定志向で冒険をしない者には奇跡は起こらない。
良い大学を出て、良い会社に入ったり公務員になって安定している者に奇跡が起こることはない。
奇跡を起こすには、ゆらぎが必要なのだ。

もっと
クラクラクラ クラクラさせてよ
ユラユラユラ ゆらぎを見せてよ
キラキラキラ きらめいていてよ
~『テオ』(作詞・作曲・編曲:Omoi。唄:初音ミク)より~

思想家の東浩紀さんは『弱いつながり』の中で、ゆらぎを起こす有効な手段として旅を挙げていたが、確かに、たとえパックツアーでも珍しい場所に行き、珍しいものを見ればゆらぎは起こる。
ゆらぎとは、非日常である。

一休さんの遺言は「心配するな。なんとかなる」だったという話がある。
どうにもならなくなった時の心構えとしての言葉であったと思う。
それは、「奇跡が起こるから大丈夫」という意味なのだ。
つまり・・・心配しなければ奇跡が起こるのである。
だが、その前に、心配したくなる危機がなければばらず、そのためには、冒険、ゆらぎ、非日常が必要なのだ。

変わったこと、新しいこと、非日常的なことをやって、ゆらぎを起こし、何が起こっても超然としている。
そんな人に奇跡はバンバン起こる。
どんな時も、「大丈夫」「奇跡は起きる」「ありがたい」を口癖にして落ち着いていると奇跡は起こるのである。
「神様の奇跡が起こる」と1日中唱え続けたホームレスが、頭に浮かんだ数字でロト6を買ったら1億円あたり、その後、いろいろあってローマ法王に会い、その後、また1億円あたったように。











プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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