ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

イェイツ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

高品質アファーメーション(2/2)

今朝に続き、特に高品質で、汎用的で、どんな人にも適応性が高いアファーメーション(肯定的確言)の2つ目である。

「予期しないことが起こり、道は開ける」

奇跡の第一の特徴とは何かご存じだろうか?
それは「予期出来ない」ことだ。
「20世紀最大の詩人」と呼ばれ、ノーベル文学賞を受賞しているアイルランドの詩人・劇作家であるウィリアム・バトラー・イェイツの戯曲『カルヴァリー』の舞台は、日本の歌舞伎を参考にしたと言われる。
その『カルヴァリー』の中で、極めて印象深い場面がある。
それは、イエス・キリストとローマ兵との間で交わされる、福音書とは異なる会話の場面だ。
イエスは、神の力の偉大さを説き、自分が、神から、地上の一切の権限を任されていることを宣言した。
ローマ兵達は、イエスの言葉を疑ってはいなかった。
だが、ローマ兵の1人は、イエスに言う。
「それがどうした?お前の神は我々の神ではない。サイコロが我々の神だ。予期せぬことでさえあれば、どんなことでも起こることが最善だ」
イエスは、ローマ兵達の強さに屈服する。

確かに、イェイツは、ニーチェやオスカー・ワイルドらと同様、アンチ(反)キリストだった。
とはいえ、彼らは、決して、イエスをナメているわけでも、低く評価しているわけでもない。
ただ、反発したいのだ。
ニーチェは、『ツァラトゥストラはこう語った』で、ツァラトゥストラに、イエスが高貴な魂の持ち主であると言わせているし、イェイツも、イエスの教えの巧みさを称賛していた。
だが、イェイツは、上の『カルヴァリー』で、イエスを裏切ったイスカリオテのユダに、イエスに向かってこう言わせている。
「俺は、お前が神であることを疑ったことなどない。俺がお前を裏切ったのは、お前が万能に思えたからだ」

ここらは、少し困惑するかもしれない。
だが、何かを感じるのである。
『カードキャプターさくら』でも、魔術師クロウ・リードの生まれ変わりであるエリオルが、聖獣スピネルと、こんな会話をしている。
「この世で一番楽しいことは何か知っているかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「それは、予想しないことが起きることだよ」

予期しないことを受け入れる者は強いのだ。
予定された、決まったレールの上を行きたがる者は弱い。
分かり易く言えば、強い心の持ち主、勇気ある者は、冒険を恐れず、むしろ、冒険を求める。冒険こそが人生なのだからだ。
そして、奇跡とは、冒険を楽しむ者・・・つまり、予期しないことを待ち望む者に訪れるのである。

神の力は想像を超える。
讃美歌では、神の業のことを、度々「奇し(くすし)」と言う。
「奇し(くすし)」とは、神秘的であるという意味で、人間には不思議なことだ。
神が、人間に予想出来るような、当たり前のことをするはずがない。そんなものは人間にやらせている。
だが、当たり前のことしか起きなければ、大きな発展はない。
山のような大きな問題が解決することもない。
偉大な救い、歓喜する喜びもない。
だから、予期しないこと・・・神の業を受け入れるのである。
そのための言葉が、
「予期しないことが起こり、道は開ける」
なのである。
あなたは今、八方ふさがりかもしれないし、いかに努力しても、厚い壁はビクともしないかもしれない。
しかし、奇跡は起こるのである。
あなたが受け入れさえすれば。
だから、「予期せぬことが起こり、道は開ける」と、常に唱えることにより、神の奇しき業で道は開かれ、あなたは勝利し、歓喜するのである。








あなたは世界で唯一の「考える人」

私は、大人になってから覚えた好きな言葉が2つある。
なぜ好きかというと、気楽になるからだ。
あなたも、気楽になれる言葉を知っておいた方が良い。
そして、私も、これらの言葉で、もっと気楽になっておけば良かったのだ。
そうすれば、もっと幸福になれただろう。

その、たった2つの言葉は、
「神に出来ないことはない」
「私はこの世界で唯一の考える主体である」
だ。
唱えれば気楽になる言葉だが、気楽になるということは、宇宙的に正しい認識に導く言葉なのであるが、ある意味、心を訓練、あるいは、調整する言葉だ。
これらの言葉で、心を整えておけば、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱える行)、真言、アファーメーションが、即座に威力を現わすのである。

「神に出来ないことはない」
神の万能性を示す言葉で、当たり前の事実を指すが、当たり前のことを改めて想うと心は落ち着くのである。
しかも、これは絶対的な真理であるので、心は清々しくなる。
そして、神は味方であるに決まっているし、イエスが神を父と言ったように、あなたを息子と思い、この上ない気遣いをしてくれるに決まっているのである。
よって、この上なく気楽になるわけである。
自分の父が億万長者であるとか、王様であると知っているだけで安心するはずだ。
ましてや、神様なのだ。
因幡の源左(いなばのげんざ。江戸末期から昭和初期の念仏者。庶民だが高徳な妙好人)の父親は、自分が死ぬ時、源左に「これからは親様を頼れ」と言ったが、この親様とは阿弥陀如来のことで、宇宙最強の存在を指しているのである。それが、今からお前の親だと言っているのである。
黒住宗忠(江戸末期の神道家。黒住神道の開祖)も、天照大神(アマテラスオホミカミ)を親様と呼んでいた。尚、宗忠が言う天照大神は、神話の女神ではなく、唯一絶対神を指していた。

「私はこの世界で唯一の考える主体である」
この世に存在するのは私だけなのである。釈迦が言ったという、「天上天下唯我独尊(世界で我一人尊い)」に近いか同じと思う。
他の人間も考えているように感じるかもしれないが、それは見かけだけである。
世界はショーであり、幼稚園の演劇のようなものである。
全て自作自演であり、世界は、自分が思った通りになる。
一方で、予期しない出来事があるからこそ人生は面白いのであるが、予期しないように見える出来事だって、実は、自分が作ったシナリオなのだ。
どうせ芝居なんだからと悪夢を作ってきたかもしれないが、悪夢にはまり込んでしまった感はある。
気を変えるには、自分が神であることを思い出す必要があるが、そのために、神仏の名や真言、あるいは、アファーメーションを行うのだが、よほど酔ってない限りは、神仏の名を唱えるのが一番良い。
ただし、酔っているなら、真言やアファーメーションで、酔っ払いが頭を一振りするように、しっかりした方が良い。

諸君、拍手を。喜劇は終わった。
~ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン~

だが、今、私は、知った、
二千年つづいた石の眠りが
揺り籠(かご)にゆすられて眠りを乱され、悪夢にうなされたのを。
~『再臨(The Second Coming)』(W.B.イェイツ)岩波文庫『イェイツ詩集』より~








忍び寄る侵略者に勝つ

日本も現在、侵略を受けている。
侵略と言っても、以前のようにドンパチ(ミサイルや戦闘機や機関銃)で攻めて来るのではない。
敵の攻撃は洗脳であり、侵略するのは我々の脳・心である。
その洗脳は、テレビ、新聞、学校、金融、映画、書籍を通して長年行われてきたが、いまや敵は、インターネット(SNSを含む)を手中に収めつつある。
その中で、我々の状況は、不利といった程度のものではない。
なぜなら、大半の者は、侵略を受けていることや、敵の存在にすら気付いていないのだから。
我々は何より、直ちに、敵の存在、敵の侵略事実を認識しなければならない。

どうすれば、それを認識出来るか?
何ごとも、まず、喩えが少しは役立つかもしれない。
萩尾望都さんが、レイ・ブラッドベリの『スは宇宙(スペース)のス』を中心に漫画化した作品、『ウは宇宙船のウ』の中の、『ぼくの地下室においで』を読むと良い。
ブラッドベリ自身の小説『スは宇宙(スペース)のス』でも良いが、これは売り切れのことが多く、何より、萩尾さんの漫画が良い。彼女は天才だ。
もちろん、この作品では、象徴的に描いているが、あの通りのことが、今、本当に起きている。
『ぼくの地下室においで』の中で、大学生のロジャーは、異常事態に気付いていた稀有な人間だった。
そして、彼は、ガールフレンドのマニーに警告するが、マニーは、いきなりだったこともあり、ほとんど理解出来なかった(だが、少なくとも真面目に聞いてくれた)。
最後にロジャーは言う。
「時間切れになるまえに…間に合ううちに…さもなきゃ僕らは…みな…おしまいだよ…!」
では、ロジャーはどうしろと言ったのか?
「気をつけろ」
「六感を・・・直観を働かせるんだ」
「頭の細胞全部使うんだ」

しかし、それではもう遅いかもしれない。
そこで、もっと良い方法を教えよう。
敵が手をつけられないものを使うのだ。
それは、神仏の名だ。
確かに、敵は、自分達の都合の良いように、神や仏の一般概念を穢し切り、歪めてしまった。
しかし、神仏の名には、決して手は出せない。
天照大神、阿弥陀仏、観世音菩薩、弥勒菩薩、イエス、クリシュナ・・・。
好きな神の名を、心の中で丁寧に唱えることだ。
神仏の名は、人がつけたものではない。
高次の魂が、高貴な人間の魂に伝えたものなのだ。それは、1つの神仏が、様々な言語での名前になる時にも、必ずそうだった。
そして、神仏の名を唱えると・・・心の中で丁寧に唱え続けるとどうなるだろう?
W.B.イェイツが『悪魔と野獣』で、

夜となく昼となく私を悩ませる
あの狡猾な悪魔とあの騒々しいい野獣が
少なくとも、ある瞬間だけは
私の視界から走り去ったのである。
~『W・B・イェイツ全詩集』(鈴木弘訳)より~

と述べたように、あるいは、T.E.ロレンスが『知恵の七柱』で

世界の物音、香り、彩が、思考の篩(ふるい)を通過せず、思考によって類型化されることなく、まさにそのもの自体として人間を直撃する
~『右脳の冒険』(コリン・ウィルソン著)より~

といったように、魂は神と融合し、全てが明らかになると共に、既に敵に打ち勝っているのである。
これが、神仏の名の神秘の力である。








ぼーっとすることの大切さ

我が国を代表する思想家で、名著『共同幻想論』の著者である吉本隆明(りゅうめい、または、たかあき)氏は、『ひきこもれ』の中で、「ぼーっとする」時間の大切さを説いていた。
どのくらい大切かというと、自分の娘達(彼の子供は女の子2人)がぼーっとしていたら、母親に買い物に行くことを言いつけられた彼女達の代わりに、この我が国最高の思想家が、自ら買い物かごを持って(当時の買い物スタイル)八百屋や魚屋に行っていたほどだった。
私が以前勤めていた高収益の優良な会社は、創業社長が一代で作った会社だったが、その社長が私によく、「仕事ばっかりするな。ぼーっとする時間も大切だ」と言っていたものだった。

ただし、「ぼーっとする」とは、妄想することではない。
「ぼーっとすることならまかせて下さい」と言う愚か者は、何もしていなくても本当にぼーっとしているのではなく、頭の中で下らないことを考えているのだ。
吉本隆明氏や、私が知っているあの社長が言う「ぼーっとする」は、無念無想に近い状態だ。
松本隆氏が作詞した、松田聖子さんの隠れた名曲に『メディテーション』というものがあり、その中に、
「波のハープだけ心ふるわせ 透明になった心が流れ出すの」
という歌詞があるが、これが、良い「ぼーっと」している状態の雰囲気と思う。
なぜ、波の音が心を震わせるのかというと、自分が波と一体化しているからだ。
人間は、自然と一体化し易く、特に、夕陽や柔らかい風や星空と一体化しやすい。
電波工学の世界的権威でサイ科学研究者であった関英男博士は、若い時、受信機から聴こえてくる宇宙からの電波を聴いているうちに、それと一体化し、その後、外に出て星を見たら、星が語りかけてきたという。
「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドのW.B.イェイツは、「正しく」ぼーっとしていると、壁の絵が語りかけてきたという。
私が知っている感性豊かな女子小学生は、夜によく壁に普通に話しかけるそうだが、壁も何か話してくれるのだと思う。きっと、良い漫画でも読んでいるうちに、ぼーっとするのだろう。

ぼーっとしている時、人間はどうなっているかご存じだろうか?
実は、人間本来の姿に戻っているのである。
では、人間本来の姿とは何だろう?
それは、時間と空間を超えた存在だ。
時間や空間を超えようなどと思わなくて良い。
元々、そんなものを超えているのだから。
その本来の姿になるためには、ただ、「ちゃんと」ぼーっとすれば良い。

正しくぼーっとするためには、波や風や光や、あるいは、絵や音楽や漫画や、自分のお気に入りのものに静かに没頭し、それと1つになると良い。
個人的には、ベドルジフ・スメタナの『わが祖国』の第2曲『モルダウ』を聴くと、ぼーっとしやすい。特にクラシック好きでなくても、聴き惚れてしまう美しい旋律の曲で、この『モルダウ』だけが演奏されることもよくある。
そして、W.B.イェイツは「憎むことをやめた時に」そうなりやすいと言っていたと思う。
誰かを、あるいは、何かを憎んでいると、ぼーっとすることは出来ない。

『マスターの教え』の中で、マスターが、「ぼーっと雲を見上げている時に心に入り込んだことは実現してしまう」といったことを言う。
ただし、ぼーっとした時に、願い事をする必要はない。
流れ星が消えない間に願い事をする離れ業をする必要がないのと同じだ。
流れ星を見ている時は、一瞬、ぼーっとするものだ。
そして、決意したことがあるなら、その時に叶ってしまうのである。
とはいえ、特に流れ星を待つ必要もなく、ただ、ぼーっとすれば良い。








間違いなく願いを叶える手順を超丁寧に

いろんな本やいろんな人の教え、そして、実践経験が1つにまとまり、まず間違いなく願いが叶う方法が分かる。
ソースは6つ。
これらの書籍の中に同じことが書かれている。
(1)書籍『その望みは宇宙がかなえてくれる』(ベルベル・モーア著)
(2)書籍『波動の法則』( 足立育朗著)
(3)書籍『成功の秘密にアクセスできるギャラクシー・コード』(大野靖志著)
※参考。同じことを意図した文章、あるいは、会話があった。
(1)書籍『眠りながら成功する』(ジョセフ・マーフィー著)
(2)直接面談:政木和三氏
(3)直接面談:宇宙人チャネラー、芸術家

さて、これらの情報を、一まとめで簡単に言うなら、どうなるだろう?
それは「決意する」だ。
チャネラーを通して語った宇宙人は、「願いを宇宙にぽーんと投げよ」と言い、 足立育朗氏は、「プログラムして宇宙に投げる」といったような表現をしていたと思う。
「プログラムする」とは、私の解釈では「言葉で表現する」だ。
なぜなら、日本語は、優れた宇宙創造言語、つまり、言霊であるからだ(大野靖志氏の著書では一貫してそう書かれている)。
「決意する」は、「決心する」「決める」「誓う」などと言っても良いと思う。
ただし、重々しく決意するのではなく、また、決死の誓いをするのではなく、「軽く」「ソフトタッチ」で決めるのだ。
それに関しては、ジョセフ・マーフィーの著書や大野靖志氏の著書に共通する。

「軽く」「ソフトタッチ」を「陽気」と考えても良いかもしれない。
もし、機会があれば、W.B.イェイツの『瑠璃(ラピス・ラズリ)』という詩を読んでいただきたいと思う。
その中に、何度も、gay(陽気な)という言葉が出てくる。
「世界を滅ぼし、再び構築する者はgay(陽気)である」
他にもあるが、そのgayという言葉で表される喩えが非常に良いのである。
イェイツは、イエスが比喩(たとえ話)の達人であると述べているが、イェイツがまさにそうなのだ。
このイェイツの詩でgay(陽気)の神髄が掴めるのではないだろうか?

『灼眼のシャナII(Second)』で、こんな場面がある。
シャナが真剣な顔で「佑二、誓って。立ち向かうって」と佑二に言う。
佑二も真剣な顔で「誓うよ。何があっても立ち向かうって」とシャナに応える。
すると、シャナは陽気な笑顔を見せた。
この明るさ、陽気さが勝利の鍵なのである。

同じように、言葉で、「〇〇する」「〇〇になる」と決意するのだ。
だが、それは軽く決めるのが良い。
軽くても、「静かに、ゆっくり、丁寧に」言うのだ。それが真摯な誓いになる。
そして、既に叶ったと思って、陽気な気持ちになる。
そうすれば、確実に叶うだろう。
イエスだって、「願いは叶ったものと思え。そうすれば叶う」と言ったが、それを丁寧に言えば、以上のようになる。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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