私は、昔から、『婆子焼庵(ばすしょうあん)』という禅の公案(禅の修行者のための課題)について考えている。
簡単に言うと、こんなお話だ・・・いや、簡単なお話だ。

ある年配の女性が、長い間、1人の修行僧の面倒を見ていた。彼専用の庵(小屋)も作ってやり、修行に没頭させてあげていた。
ところがある日、女性は、自分の美しい娘に僧を誘惑させる。
すると僧は、「私は冬の冷たい岩にくっついた枯れ木のようなもの」と言って動じなかった。
それを聞いた女性は、僧を見放し、彼を追い出すと、彼のために作った庵を焼き捨てた。

このお話の意味することは何だろう?
私も、その都度の答を出してきたが、こんな簡単な問題に迷っていたことに自分で呆れる。
また、偉い先生方が、なんと下らない解説をしてきたことか!

ルドルフ・シュタイナーは、こんな不思議な像を造ったらしい。
それは、上にルシファー(悪魔)、下にアーリマン(魔神)、そして、中央にイエス・キリストというものである。
ルシファーは熱狂と生命力を、アーリマンは冷淡と死を表す。そして、そのバランスを取るのがイエスである。
これを、上の公案に当てはめれば良いのだ。

僧は、大いに誘惑されるべきだった。
しかし、同時に、修行により、自己支配も難しくはないはずなのだ。
私ですら、性的なことに関しては、自身の制御は可能である。
よって、私はルシファーに操られない。
しかし、私は、この僧のように、アーリマンに仕えている訳でもないのだ。

ところで、現代では、若くて美しい女性をいつでも性的対象として見るのが当たり前であるといった風潮(ありさま)が残念ながらある。
いまや、その愚かさを疑うことすら出来ない者が多いのである。
男や女に限らず、若者には無限の可能性があるのに、ただ女であり若く美しいというだけで、性的魅力しか見ようとしないのである。
これは、人類が2000年も前に克服すべき暗愚であったはずなのだ。

では、あの僧は、どうすれが良かったのだろうか?
無論、一通りではないが、私は、あることを思い出す。
『007 カジノ・ロワイヤル』は、イアン・フレミングの007シリーズ小説の第1作であり、また、現在の007俳優の座を確定した感のあるダニエル・クレイグが初めて007を演じた、2006年の映画作品でもある。
ところが、1967年に、やはり、『カジノロワイヤル』という映画が制作されているが、これはなんとコメディー(喜劇)であり、正式な007映画とはされないが、実に壮大豪華な冗談映画だった。
ヴェスパー役は『ドクター・ノオ』の初代ボンド・ガールであったウルスラ・アンドレス。そして、ルシッフル役はなんとオーソン・ウェルズであり、その他も、超有名俳優達を配した豪華絢爛な007番外編であった。
私も昔、この映画をビデオか何かでちょっと見ただけで、当時は『カジノ・ロワイヤル』のお話自体知らなかったので、いい加減な記憶であることをお断りしておく。
この映画では、既に年を取って引退したジェームズ・ボンドが現役復帰して活躍する。
その中で、ボンド陥落の使命を受けた美女達がボンドを誘惑する。その1人であったのかもしれないが、女子中学生のようだったと記憶しているが、1人の少女がボンドと一緒に入浴する(ボンドがバスルームに入った時、先に入っていたような気もする)。
ボンドも一応はあせるが、彼女に、「何が得意?」と聞く。これは、学校の学科とか、スポーツといった意味だ。
私は小学生だったが、それを見て、はっと悟ったことがあった。
男も女も、異性にとって魅力的であるというのも、もちろん大切なことであろうが、それはほんの一部に過ぎないはずなのに、世間はそこばかり拡大する傾向がある。男でも、女でも、世界や人々のために何かをすべきであり、また、特に若い間は、そのための無限の可能性を秘めているのだ。
だから、ボンドが少女に「何が得意?」と聞いたのは、良識ある正しいことであったと思えたのだ。
そういった見方で女性を見れば、ルシファー的な熱狂に囚われることなど無い。
イエスは、「女を淫らな目で見れば姦淫したるも同じ」と言ったが、これは、ルシファーに操られるままにせず、アーリマンの力も借りよということと考えることも出来る。ルシファーやアーリマンは、悪魔、魔神ではあるが、本当は天使であり神であるのだ。
ルシファーやアーリマンを悪魔、魔神とするか、天使、神とするかは、実に、人間次第なのである。

ところで、今、Amazonで見たら、1967年の『カジノロワイヤル』と、ショーン・コネリー主演の最後の007映画『ネバーセイ・ネバーアゲイン』がセットで991円というDVDを見て仰天した。何とも言いようがない。お勧めしておく。









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