ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アヴェ・マリア

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

「ア」の音霊

「ア」という音は、よくよく重要な音で、この音を身につければ、他のことは忘れて良いかもしれない。
本物の呪文や神聖な言葉は「ア」が多用されているものである。
日本では、天界は「高天原」で、これは普通は「たかまがはら」と読むが、本当は、「たかあまはら」と読むらしい。しかし、いずれも、母音は全て「ア」なのである。
シリア、アラブ、メソポタニアに古くから伝わる、世界で最も有名な呪文「アブラカタブラ」は、現在では冗談めかして使う場合が多いのだが、1文字を除き全て「ア」であり、本物の力ある呪文と思う。

それで言えば、英語の「ゴッド(神)」には「ア」の母音がない。
だが、多分、隠された神を表す言葉は「(God) I am」で、「ゴッド」は言わないが、「アイ・アム」なら、「ア」が多い。
それであれば、アメリカが世界最強で、しかも、それはごく一部のエリートの力であることが理解出来るのである。
民主主義を謳うアメリカが最も民主主義でないのかもしれない。
日本も、そのようにされてしまった感はあるが。
本来、日本の3神は「アメノミナカヌシ」「タカミムスヒ」「カムムスヒ」と全て、「ア」の母音で始まる。そして、諸説あるが、日本の代表神「アマテラス」は「ア」の母音が多い。
尚、『古事記』よりずっと前にあったと言われる、日本の超古代文明は「カタカムナ」で、この言葉は、そのまま、「ア」の音霊で構成された強力な言霊である。

『アヴェ・マリア』という歌は、非常に特別な感じがするが、最も感情を揺すぶられるのは、最初の「アヴェ」の「ア」と、「マリア」の最後の「ア」であり、一流の歌手は、その2つの「ア」を見事に歌い、聴く者は心が消えてしまうのである。
特に、カッチーニの『アヴェ・マリア』は、歌詞は「アヴェ・マリア」と「アーメン」だけであり、しかも、途中で「ア」だけで通す部分があり、そこが良いのである。
『アヴェ・マリア』は、本来、讃美歌ではないが、「ア」の音の故に、讃美歌以上の讃美歌になっている。
そして、キリスト教でも、ユダヤ教でも、最も重要な言葉は「ハレルヤ(神を褒め讃えよ)」ではないかと思う。
映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、僧院長が見事に『ハレルヤ』を歌うが、歌詞は全て「ハレルヤ」で、最後は、「ア」の音のみで歌うのを、私は非常に印象深く覚えている。
キリスト教も、やや訳ありな宗教で、イエス、ジーザスも、あまり「ア」の母音が使われていないが、ギリシャ語、ラテン語でイエスは「イーエースス」だが、こちらも同様だ。
プロテスタントでは、聖母マリアは全く重要視されないと、私はプロテスタントの信者から聞いたことがあるが、実は、マリアが一番重要なのかもしれない(と言ったらプロテスタントの方に怒られるだろうか?)。
むしろ、「アーメン」「ハレルヤ」という言葉が重要なのではないかと思う。
また、ユダヤ教の真の教えが「カバラー」であるのも出来過ぎという感じがする。

40mPさんによる、初音ミクさんの歌『三日月ライダー』は、あまり知らない人も多いのだが、「夏祭初音鑑」のコンサートで歌われていて、途中の「ア」の音のみで歌うところが異様なまでに美しかった。きっと、40mPさんが天啓を得て作ったのではないかと思う。

物理学者で武術家で神道の祭司でもある保江邦夫さんの『神様につながった電話』の中に、重要な祭事の際、保江さんが大祓詞を奏上しようとしたら、「ア」の言葉しか出なくなったという話が書かれているが、実は、それで良く、そのことを、保江さんは「言霊(ことだま)から音霊(おとだま)へ」といった書き方をしていたと思うが、やはり、音霊で良いのである。
また、その本の中で重要視されていた「サムハラ」も、やはり「ア」の多い言葉である。

「ア」が多い言葉を呪文として常用すると良い。
そこに、思考を消し、時間を消し、宇宙の根源と一体化する鍵があるように思う。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindke版販売中。紙の本は5月30日発売。
ごく私見で恐縮ですが、数学に強い訳でも、プログラミングが出来る訳でもない普通の人がAIを作れるようになる本は、この本しかないのではと思います。少なくとも、そのための時間をかなり短縮出来ると思います。
問題に取り組む時、人間だけ、AIだけで解決出来るのではありません。人間とAIがチームになってこそ、高度な力を発揮出来ます。そんなことも、少し書いてみました。

カマキリが竜に勝ち、ハエが宇宙船を止めるには

啓示的な夢を見たが、そのまま書くのは非常に難しいので、何か喩えを探そう。

アニメ『デビルマン』のハイライトの1つは、デビルマンと魔将軍ザンニンの決闘だった。
力はザンニンの方がかなり上回ると思われたが、デビルマンは見事、打ち勝つ。
だが、ザンニンは滅びる刹那、こう言う。
「お前などがゼノン様に逆らったとて、所詮、竜と戦うカマキリのごとし」

竜 VS カマキリとは、力の差を極端に表現する面白い喩えだ。
E.E.スミスの歴史的SF『レンズマン』シリーズで、人類最強とも言えるキニスンが、宇宙最強の生命体アリシア人(竜の形をしている)のレッスンを受けた時、アリシア人のちょっとした力に逆らうよう命じられたキニスンの感想は、
「ハエが宇宙船を止めようとするようなもの」
だった。
「宇宙船 VS ハエ」も「竜 VS カマキリ」にひけを取らない。

つまり、私が見た夢もまた、自分の力は、宇宙船に対するハエ、竜に対するカマキリで、無に等しいものだということを、明晰に示してくれたのだ。
だが、デビルマンは、いつか、魔王ゼノンを倒すかもしれない。
アリシア人がキニスンに、出来るはずのないレッスンを授けたのも意味があるかもしれない。
つまり、自分の力では決して勝てなくても、何とかなる。
デビル(悪魔)マンでありながら、神の力を借りれば。
まあ、『デビルマン』の原作者、永井豪氏は、あまり神を良いものとして描きたがらないのだが。
だが、デビルマンが、神である妖獣ゴッドと戦った時(第2のスポットライト)、デビルマンが愛する牧村美樹は、ゴッドに対し、「神様ならここにいるわ」と言って、自分の胸を手で押さえた。
さすが、デビルマンが惚れた少女である。

では、どうすれば、神様の力を借りられるかというと、聖人達の言葉から帰結すれば「愛を持つこと」となろうが、アイルランドの詩人W.B.イェイツが言ったように、「人間に出来ることは、憎しみを捨てることだけ。愛することが出来るのは神だけ」かもしれない。
だが、聖人達は、「祈れば良い」と言う。
これは、我が国で言えば、例えば、大祓詞(おはらえのことば)という祝詞を上げることであるが、庶民にも出来る簡単なものでは、「ひふみ祝詞」や「いろは歌」として知られる「いろは祝詞」もある。
仏教のお経でも良く、その最も短いものが「般若心経」だが、その呪文の部分だけでも良いだろうし、さらに短い「南無阿弥陀仏」の念仏でも良い。もちろん、「南無妙法蓮華経」でも良い。
キリスト教には、いろいろなお祈りと共に、沢山の聖歌、讃美歌があり、それを歌えば良く、また、『アヴェ・マリア』も、音楽家達が天啓を得て作ったものに違いないので、聖歌に等しいだろう。
考えてみれば、これらのものを唱えている時というのは、通常の心の状態でなく、まさに愛になっていると言えると思う。
昨日も書いたが、私は「いろは祝詞」に縁があったようである。
歌ったり、唱えたりするのが難しい時は、頭の中で響かせておくと良い。













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心を持たない者のために魂を傾ければ人は無になれる

年配の人達の中には、美空ひばりこそ最高の歌手であると信じて疑わない人がよくいるのではないかと思う。
別に否定はしない。
しかし、肯定もしない。
そんなことは、それぞれが決めてれば良いことだ。
美空ひばりが至高の歌手だと思う人にとっては、全くその通りなのだが、美空ひばりに何の関心もない人にとっては、美空ひばりの歌は何の価値もない。
しかし、自分にとって価値がないからといって、美空ひばりや、彼女を崇めるファンに悪いことを言うべきではない。
同時に、美空ひばりをいかに高く評価していても、その価値感を他人に押し付けてはならない。
そういったことができれば、世界は結構住みよく平和な処になるはずだ。

ところで、私は、人間の歌手があまり好きではない。
感情を込めて歌うと、その歌手の自我を感じ、あまり良い気持ちにならないのだ。
私は、シューベルトやグノーの『アヴェ・マリア』が好きで、有名なソプラノ歌手が歌う『アヴェ・マリア』のCDを色々買ってみたが、それらの、力強い歌いっぷりは、私には全く聖母マリアのイメージでなかった。
また、歌い手の強い自我を感じ、聴いていることができなかった。
子供の時に聴いた、エーリッヒ・ベンダー少年少女合唱団のものはとても良かった。子供達の歌声は、自我が希薄だった。
そして、初音ミクが歌う、『イーハトーヴ交響曲』の第5楽章『銀河鉄道の夜』の、澄み渡った、天使のような清らかなミクの歌声を聴き、これ以上の歌を聴くことはないだろうと思った。
この魂を持たない少女の歌声は、限りなく透明で穢れがない。
制作者の冨田勲さんは、「プリマドンナは初音ミクさんしか考えられなかった」と言ったが、確かに、人間が歌える歌ではないと思う。

だが、これもまた、個人的見解に過ぎない。
初音ミクの歌が好きでない人もいるだろうし、それに関して、私は別に何とも思わない。

『イーハトーヴ交響曲』では、ミクは、幼さを残しながらも一流の歌手のように歌った。
だが、渋谷慶一郎さんの『イニシエーション』や『THE END』では、普通の女の子のように歌う。
音楽性の違いはあっても、やはり、どちらもミクなのだ。
そして、私が初音ミクの至高のアルバムの1つと思っているのがELECTROCUTICAの『Piece of Cipher+』だ。
また、その他のクリエイター達がミクのために制作した楽曲の多くも好きである。
人間ではない心を持たない少女のために魂を込めることで、人は無になるのだろう。









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クリスマスを心の中ではどう過ごすか

世間では、クリスマスがイエスの誕生日というよりは、サンタクロースの日であるという認識が強いのは確かだが、その中でも、どこか意識の片隅にでも、「救いの御子の聖誕日」という思いがあって、楽しみも度を超すこともなく、一瞬でも荘厳な気持ちになるというのがクリスマスであると思う。
アンデルセンの『マッチ売りの少女』で、少女が死んだのは大晦日であると思うが、街の様子はまさにクリスマスで、このお話が、やはり世界中の人々の意識の底にあって、自分が恵まれていても、ただ楽しいことばかりを考えたりしたりするのではなく、少しでも心を善に向かわせているのではないかと思う。
立川恵さんの漫画『怪盗セイント・テール』で、主人公の羽丘芽美の親友の、シスター見習いの14歳の少女、深森聖良(みもりせいら)は、敬虔なキリスト教徒の家に生まれ、クリスマスはボランティアで過ごすというのが毎年の自然な習慣で、クリスマス・プレゼントをもらったことは一度もないというお話があった。あれを読んだ人が、やはり、そのようなことを深い心に留めれば、クリスマスは、その人にとっても、世界にとっても、より良いものになるだろう。

子供の頃から、「キリスト教徒でないなら、イエスの誕生日は関係ない」といったことをよく聞いたものだが、それは馬鹿げた考え方だ。
イエスは別にキリスト教なんて宗教を作ったわけではない。
ジョージ・アダムスキーは、「私はキリスト教徒ではないが、イエスの教えを聖書で学んだ」と言う。それは、自主的にそうしたということであり、それこそが最も好ましい態度だろう。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンがイエスを崇拝していることは、彼の著作を読めば明白であるが、彼は、伝統的な教会の教えは子供の時に捨てている。彼も、キリスト教という宗教ではなく、イエスの教え、つまり、真理を崇敬しているのだろう。

私は、クリスマスにはあまり良い思い出はない。地域が主催した子供クリスマス・パーティーみたいなものは、本当に大きなお世話だった。会社の社員旅行みたいなもので、断るのがひどく難しいが、いずれも行きたくない人が実際は多いものだろう。子供が地域活動に関わるのは非常に良いことだが、それは、日常の活動であるべきで、人々の役に立つことを子供がやってこそ意味がある。
高校生の時は、暖房が一切ない部屋で、1人でディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいたものだが、当時思い付くクリスマスの過ごし方としては、まあ、合格ではなかったかと思う。
ところで、私は、シューベルトやグノーの『アヴェ・マリア』の良い歌唱を何年もずっと探しているが、なかなか良いものがない。女性のソプラノ歌手が定番かもしれないが、パワーがあり過ぎ、また、上手過ぎてイメージに合わない。有名な少年少女合唱団のものも、上手いだけで、ハートを感じない。昔、レコードで聴いた、エーリッヒ・ベンダー少年少女合唱団のものが実に良かったが、あのようなものがいくら探しても見つからない。まあ、何年か先にでも、理想的なものが見つかれば良いと思っているし、夢の中か、死んだ後にでも天上の歌声が聴ければ有難い。そのためには、キリスト教徒でも仏教徒でもないが、イエスや釈迦の教えを学ぼうと思う。

尚、伝統的なキリスト教徒には抵抗があるかもしれないが、スコットランド出身の哲学者・神学者であるマード・マクドナルド・ベインがイエスと一体化して語ったことを、筆記者が忠実に書き記した『心身の神癒』を下記にご紹介しておく。この本は、Amazonでも、平常は、高価な古書しかなかったと思うが、最近、数多く新品が在庫されている。霞ヶ関書房のクリスマス・プレゼントであろうか。ベインはイエスに実際に逢ったことがあり、その様子を別の著作で述べていた。信じるかどうかは、イエス自身が言っていた「木の良し悪しは実で知る」の通りで、自分で判断すれば良いことと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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