ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アンドレ・ザ・ジャイアント

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

今日、辞職する哀れな都知事のようにならないためには

Googleの有名なスローガンが「Don't be evil」で、直訳すれば、「悪になるな」だが、ニュアンス(微妙な意味合い)としては、「邪悪なものになるな」「不道徳をするな」「良心に反したことをするな」という意味だと思う。
別に、Googleの人に聞いた訳ではないが、そうだと思う。
つまりね、Googleの人達は皆、天才だし、それも、創造力に溢れた力ある天才で、その集団であるGoogleは、その類稀(たぐいまれ)な知力と創造力で、世界に対し、巨大な力を持っている。
そして、その巨大な力を持つことは、初めから分かっていたのだろう。
それで、「神に選ばれた力ある天才である我々は決して悪いことをすべきじゃない」という気持ちが、「Don't be evil」という言葉になったのだと思う。
私は、勝手にそう考えている。
なぜなら、そう考えるのが自然だからだ。

力ある者は皆、より良く生き、発展するため、そして、滅びないために、「Don't be evil」と思っているものなのだ。
昔、アンドレ・ザ・ジャイアントという、身長220cm、体重230kg以上という巨人レスラーがいて、身体の大きさの分、若い頃は人間を隔絶した強さを持っていた。
そのアンドレは、リング上では、決して手加減を忘れなかったのだと思う。
きっと、相手に怪我をさせないよう、神経を使っていたはずだ。
それもまた、「Don't be evil」で、それがあったから、彼は成功したのだと思う。
そんなアンドレも、晩年は、あまりの不摂生のため、強くはあったが、圧倒的とまでは言えなくなり、しかも、足腰が、その体重を長時間支えることも出来なくなり、挙句、病気になってしまった。
46歳の若さで亡くなったが、果たして、彼が人生に満足したのかどうかは分からない。

潜在能力という点からは、誰でも天才で、大きな力があるはずなのだ。
邪悪なまま、その力を解放すれば、必ず自滅する。
自分の内に大きな力があることを認め、その力の行使を望むなら、「悪いことをしない」という心構えが必要だ。

Hey lonely boy リアルな自分は ちっぽけなんかじゃない
~『愛Dee』(作詞:Mitchie M・Cotori、作曲・編曲:Mitchie M、歌: 初音ミク ・ 巡音ルカ)より~

人間は誰でも、本当はちっぽけではないが、不道徳なこと、良心に反することをしたい誘惑を断固拒否する心の強さがないなら、ずっと、ちっぽけなのだ。
「人が見ていないから」と、利己心を起こして悪い事をする弱い心に勝てないなら、いつまでも弱いままだ。
舛添要一さんって人は、優秀だし、きっと良いところも沢山ある人なのだが、Don't be evilの精神がなかったのだろう。もし、この言葉を自らに課していれば、もっともっと大きくなれたのではないかと思う。
彼は、「自分は東大卒で優秀だ」と言っていて、確かにその通りだろうが、「自分は悪いことをしない」と自分に言わなかったのだろう。
彼の失敗に学ぶべきである。
もしかしたら、我々の中には、悪が組み込まれているのかもしれない。
そんな悪の誘惑に負けてはならない。
あなたも、負けないほど優秀なのだから。









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何事もほどほどに

私が小学校の3年生くらいの時だったと思う。多くの子供と同様、私はプリンが大好きだったのだが、もしかしたら、あらゆる食べ物の中で一番好きだったかもしれない。そして、やはり、プリンに目が無い2つ年上の女の子とプリンについて話していた。その時、私が、「いくら好きでも、ドンブリ一杯のプリンを食べるわけにもいかないだろう?」と言ったら、彼女は、「いや、私は食べられる」と大真面目に言う。その、食べる気満々の目の据わった表情を見て、8つか9つだった私は、冷静に、「ああ、こいつ、本当に馬鹿だな」と、多分思った。私だって、そのくらい食べられたら最高だと思うし、食べられるとは思う。しかし、そこまでやっちゃいけないのだ。ちなみに、彼女は学校の成績は悪くはなく、クラスでのランキングは私よりずっと上で、時々私は馬鹿にされたこともあった。

また、私が小学4年生の時、近所の同じ学年の男の子とプロレスごっこをした時のことだ。彼は、真剣に即効をかけ、私を逆エビ固めに決めて絞り上げてきた。本当に苦しかった。私は悔しくてギブアップしなかったが、周りの子供達が止めてくれた。危ないと思ったのだろうし、下手すれば事故になっていたかもしれない。今思えば、あいつは本当に馬鹿だと思う。そして、その男の子はかなりの優等生だった。

ものには限度というものがある。これは、決して中途半端とか、曖昧を推奨するのではなく、バランス感覚が大切だという意味だ。仏教では、中道ということをとても大切にするが、それも同じような意味ではないかと思う。ヨーガというものも、バランスを何よりも大切にするのだと聞いたことがある。
我々が、社会で痛い目に遭わないといけないのは、中道とか、バランス感覚を磨くためだ。家族というものは、特に、親は子供をどうしても甘やかすし、また、そうでなくてはならない部分もあるのだが、そんなだから、家の中にいては、バランス感覚を身に付けることができないのだ。本を読むだけでも駄目だ。人間は、身体で痛い目に遭って、初めて理解できることが多いものだ。本を読むことは非常に良いことだが、その内容を実践でたしかめてこそ、本当に自分のものになる。

プロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントという人は、230cmの身長と200kg以上の体重で、文字通り人間離れした肉体の強さもあった。そのため、トレーニングをしなくても無敵だったと言われる。世界的な人気者で、収入も凄かった。若い頃はその身体にコンプレックスを持ち、ひどく悩んだらしいが、その後は幸福な一生を送れたはずなのだ。
だが、彼は、毎日、ビールを1ダースも飲み、その他にも、美食に耽るようになった。それで、いつか、彼を負かすほどのレスラーも現れるようになり、身体を悪くして、まだまだ現役を続けられたはずの46歳の若さで亡くなってしまった。

ものには限度がある。
孔子が、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」と言い、徳川家康も、この言葉を非常に重視したという。
私も、子供の頃から、何をやっても、これが真理であると実感することが多く、誰が言ったのかは知らなかったが、世の中には賢い人がいるものだと驚いていたものだ。
だが、孔子がいちいちこんな言葉を残したというのは、人間というものは馬鹿で、これをなかなか守れないということなのだろう。

ものごとは、徹底的にやるべきという面も確かにあるし、それはやらねばならない。
しかし、限度がある面もある。このあたりのバランスを身に付けた者を賢者と言うのかもしれない。
例えば、どんなに自分に理があっても、争いの中で、引くべきところは引かねばならない。
相手がどんなに間違っていても、徹底的に追い込むのは馬鹿だ。
虫や動物は、オスがメスを奪い合って戦うことはよくあるが、決して致命傷は与えないのだそうだ。人間は、虫や野獣よりずっと賢いはずなのに、それが出来ない。
敵をあなどって大逆転を赦すのは、怠惰であったり、傲慢であるからであり、勝負がついたら、敵に逃げ道を残しておいてやるのが賢い人間である。









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無敵の力はどこから来るのか

あなたが男性なら、子供と相撲を取ったり、プロレスごっこをしたことがあると思う。あるいは、あなたも子供だったが、ずっと小さい子供を相手にそんなことをしたかもしれない。
そんな時、あなたは、自分が勝つにしろ、相手に怪我をさせないよう手加減をしたはずだ。力の差があり過ぎる場合は、馬鹿でない限りそうするだろう。

もう亡くなったが、アンドレ・ザ・ジャイアントというプロレスラーがいた。彼にとっては、他のプロレスラーとの対戦が、子供を相手にする大人のような感覚だったのだろう。身長が230センチで体重も200キロをはるかに超えていて、大男揃いのプロレスラーも、彼の前では子供のようなものだった。
彼も、時には、エキサイトして見せたり、苦しい顔もするのだが、それは、ファンサービスというか、自分がプロレスラーを続けるための業務上の義務のようなものだろう。
大人が子供相手のプロレスごっこで本気にならないのと同様、アンドレも決して本気で戦ったりなどしなかった。彼は、実はとても繊細で優しい男で、相手に怪我をさせることをひどく恐れていたのだ。
彼と同時代の世界チャンピオンですら、「あいつと俺達人間を、同じに考えないでくれ」と言って、力そのものでは、自分でも全く歯が立たないことを隠しもしなかった。

あなたも、世間の中にあっては、アンドレのようでなくてはならない。
子供を相手にするプロレスラーのように、全てのことを、子供の遊びにしてしまうのだ。そうすれば、どんなことも、あまりに簡単なので、全て自動的に進んでしまうのである。
しかし、そうなっても、あまり欲をかかず、手加減や引き時を心得ていなければならない。
ただの遊びとして、優雅に、できれば気品を持って人生を楽しむべきなのだ。

そして、その力が自分のものではないことを知り、謙虚でなければならない。
その気になれば、いくらでも得られが、快楽に溺れてはならない。
アンドレは、いくらでも金が入ってくるので、贅沢三昧になり、ビールを毎日1ダース飲み、自分で歩くこともしなくなった。それで、40歳を過ぎると、実力的にも、無敵とはいえなくなったし、身体のあちこちに障害が起こり、46歳の若さで亡くなってしまった。
プロレス史上最強と言われたルー・テーズが、素質的には恵まれていなかったと言いながら、46歳の時には、まだ誰にも負けないと思っていたことを自伝の中で明かしていたのとは大変な違いだ。

この世を動かすのは、量子を活動させる力、生物を生かし、進化させる力、星々を動かす力などがあり、それは、なんらかの知性が司っているに違いない。
その至高の力の所有者を神と呼ぶなら、神に全てを委ね、完全とは言えないまでも無に近付けば、世間であなたに逆らうような力はない。

そうなる方法は、傲慢な自我を支配し、全てを神に明け渡す道を見つけることだ。
自我が邪魔をしない限り、無限の力はあなたと一体である。
聖書の詩篇91篇は、そのための心構えを説くものだ。実際、これにより、第1次世界大戦中、5年も戦いながら、1人の死者も出さなかった英国の一連隊があった。率いたのは、ウィットルゼイ大佐と言われる。大佐の指示で、この部隊の全員が、詩篇91篇を暗記し、定期的に唱えたのだ。
これが、至高の力を味方に付ける最も簡単な方法の1つなのだろうと思う。
誰でも奇跡を起こせる2つの言葉(全文掲載)









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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