ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アントニオ猪木

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

地味でシンプルでさりげないものに本物がある

日本人だけのことではないかもしれないが、特に今の人々は派手さ、見ごたえを有難がる。
逆に、シンプルなこと、さりげないこと、飾りのないものを、有難味が薄いとして嫌う。
シェイクスピアの『リア王』を読んだことがないのだろうか?

アントニオ猪木さんが、人類でただ1人、オリンピック柔道で1大会で2つの金メダル(重量級と無差別級)を取ったウイリアム・ルスカと日本武道館で戦った時の、猪木さんがルスカに指示した試合内容のラストはこうだった。

俺がドロップキックを放ったら、もうすぐ仕事は終わりだ。俺はバックドロップを3発決める。1発ではありがたみがないからだ。
~『完本 1976年のアントニオ猪木(文春文庫) 』より~

そして、シナリオ通り、ルスカが猪木さんのバックドロップ3連発を喰らった直後、ルスカのセコンドのドールマンがタオルを投げ、猪木さんのTKO勝ちとなった。
私も試合をDVDを購入して見たが(今は中古品も高額なものが多い)、猪木さんのセンスは抜群で、あそこはやはりバックドロップ3連発が派手で見ごたえがあった。
途中で、ルスカの腕ひしぎ逆十字で猪木さんが腕を痛める場面も緊迫感があって良かった。

しかし、今の総合格闘技の試合を見たら分かる通り、本当の格闘技の試合でこんなものはない。
本当の格闘技の試合は、腕固め1つ、首締め1つでさりげなく決まる。
猪木さんが真剣勝負(格闘技界ではシュートと言う)をやったのは、パキスタンでアクラム・ペールワンと戦った時くらいだったらしい。
モハメッド・アリとの試合もそうであったと言う人がいるが、素人の私が見ても、シナリオはないとしても、両者本気とは思えなかった。

まあ、とにかく、世間の人は派手なもの、有難味が厚いものが好きだ。
しかし、我々が健康になるための運動や、引き寄せのメソッドも、さげなく、地味で、シンプルで、有難味が薄いものが本物だ。
だが、多くの人が、運動も、器具を使ったり、ジムに行ったり、キツくて顔を歪めるものを有難がる。
あまりに楽でさりげない、佐川幸義流四股や腕振り運動などは、本物の効果がありながら、軽視され、下手したらまがい物扱いだ。

女神の挨拶
AIアート594
「女神の挨拶」
Kay


引き寄せで、たとえばお金が欲しいなら、「お金がある」のアファーメーションというか口ぐせがかなり有効と思うが、これも有難味が薄いので人気がないと思う。
実際、こういったシンプルな言葉だけを奨める書籍を見たことがない。
だが、このメソッドは本質的に道理に合っている。
「お金がある」と言ったら「1円でも、お金があると言えるではないか」と思うかもしれない。
では、お金を空気と言い換えれば良い。
空気があると言う時、1ccの空気があると言うのではなく、空気が無限にあることを意味する。
お金も同じなのだ。
空気があなたのために無限にあるように、お金もあなたのために無限にある。
慣れるまで「空気がある。お金がある」と言っても良い。
お金がない人の心の深奥では「お金がない」という言葉が響いている。
それを、根気よく「お金がある」と言い続けることで、心の深奥の言葉を「お金がある」に変えることが出来る。
魂の光は、心の深奥の言葉をフィルムとして外界のスクリーンに投影するのだから、自ずとお金が出来る。
これ以上複雑に書くと、有難味は増すかもしれないが、それでは何も得られない。
地味でシンプルだが、本当に力があることを実践すべきだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)完本 1976年のアントニオ猪木
(2)リア王 (シェイクスピア著。光文社古典新訳文庫)
(3)アントニオ猪木全集4 異種格闘技戦 [DVD]
(4)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(5)あなたも金持になれる(ジョセフ・マーフィー)
・佐川幸義流四股関連
(1)佐川幸義 神業の合気
(2)四股鍛錬で作る達人
(3)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
・腕振り運動
(1)超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)

人を大切にが日本の美しい伝統

やっぱり人間性が大事だなあと思う(笑)。
いくら能力があっても、人間性が低ければ、一時的には成功しても、いや、一時的に成功した方が転落が凄い。

少し前に、アントニオ猪木さんが亡くなられたが(2022年10月1日)、猪木さんが現役時代、猪木さんと共に日本のプロレスの2大スターだったのがジャイアント馬場さんだった。
2人は選手としてだけでなく、馬場さんが全日本、猪木さんが新日本というプロレス団体の社長で、激しく興行戦争をしていた。
新日本が躍進している時期があったのかもしれないが、全体では全日本が圧倒していたと思う。
そんな中、2人は凄く仲が悪いように言われていたが、馬場さんはプロレス入門では同期ながら年下の猪木さんの面倒を見ていたし、猪木さんも馬場さんを慕っていたと思う。
馬場さんの人間性が抜群だったのだろう。

夜風
AIアート120
「夜風」
Kay


馬場さんが初めてプロレスの本場アメリカに渡ったのは昭和30年代で、今の有名野球選手などの海外移籍とはまるで違い、飛行機の切符を1枚渡されて「行け」と言われただけだが、日本人の海外旅行など考えられなかった時代だし、アメリカの国の仕組みも、プロレス組織も日本と全然違い、馬場さんは途方にくれていたが、親切に世話を焼いてくれたアメリカ人レスラー達がいた。
元々、天才的な運動神経の持ち主で、プロ野球で鍛えられた馬場さんはたちまち大スターになり、普段は高飛車な全米中のプロモーター達が皆、馬場さんの機嫌を取って自分のテリトリーに呼んだ。
ところが、馬場さんは、控室ではいつも隅っこで小さくなり、世話になった先輩レスラー達を立てることを忘れなかった。
時が流れ、日本に帰り、日本プロレスのトップだった馬場さんが、外人選手の控室に行くと、若い巨漢の黒人レスラーが、1人でぽつんと寂しそうにしていた。無名選手だし、他に黒人選手がいなかったのだ。
馬場さんは、その黒人選手に「ビフテキを食いに行こう」と誘い、美味いビフテキを奢った。
ところが、日本プロレスが放漫経営で倒産し、意図もせず馬場さんが全日本プロレスを起ち上げることになってしまった。
選手としては大スターでも、経営などやったことのない馬場さんが、全日本プロレスの社長になってしまったのだ。
1人でアメリカにいけば、即座に稼げたのにである。
当然、困難につぐ困難という状況になった。
アメリカの有名レスラーを呼ばないと客は来ないが、ツテはないし金もない。
だが、アメリカで大スターであった馬場さんに立ててもらったりで馬場さんの人柄を知っていたアメリカの大物レスラー達が、馬場のピンチと聞き、皆、日本に来た。
そして、馬場さんは「ニューヨークの帝王」と呼ばれ、アメリカで最も人気のある大レスラー、ブルーノ・サンマルチノに会いにニューヨークに行く。
馬場さんの来日要請にサンマルチノは二つ返事でOKする。
サンマルチノがニューヨークを離れるなどあり得ないが(しかも長期遠征)、馬場さんとは新人時代からのライバルで、共に大スターになる中で、馬場さんの人間性に惚れ込んでいたサンマルチノは馬場さんの親友だったのだ。
すると、サンマルチノは傍らにいたレスラーに「君も行くだろ?」と声をかけると、その巨漢の黒人レスラーは、
「もちろんだ。俺にビフテキを奢ってくれたのは馬場だけだ」
と答えた。彼こそ、全米で屈指の人気レスラーになっていたアブドーラ・ザ・ブッチャーだった。

やっぱり、人とは損得抜きで付き合い、大切にし、恩を忘れてはいけないという日本の美しい伝統は良いものであると思う。
馬場さんの名前は正平で、字はと違うが、大谷翔平さんと同じ「しょうへい」だ。
「しょうへい」は人柄が良くなる名前かもしれない(笑)。
尚、上記の話は、私が本や雑誌や動画やWebサイトで見た話を覚えていたもので、事実でない話もあるかもしれない。








気分が良ければ何でも出来る

アントニオ猪木さんの豪快な人柄は魅力的と思う。
昔、猪木さんの事務所に泥棒が入り、現金250万円を盗まれた時、猪木さんは怒っておられたが、その怒り方が普通の人と全然違う。
「何で俺が居る時に来ない。俺が居たら500万やる。猪木の事務所は250万しかないと思われたら格好悪いじゃないか」
これで思い出す話がある。
アメリカの大富豪ロス・ペローが、自動車を点検に出した時、点検に出したディーラーのセールスマンが、自分に新車をセールスしないことに苦言を呈した。
それを聞いた若いセールスマンが新車の超高級車を運転してペローの屋敷にやって来て、帰りはペローの運転手に送ってもらった(つまり、その新車をペローが買った)のだった。
その若いセールスマンも根性があるが、本当に車を買ったペローの心意気を称賛すべきだろう。ビル・ゲイツなら買わないと思う(彼に限らず、金持ちの多くは倹約家だ)。

多くの人が、猪木さんやペローのようにありたいと思っているが、なかなかそうはいかない。
猪木さんのキャッチフレーズは「元気があれば何でも出来る」だが、「元気」って何だろう?
一年中、「イチ!ニー!サン!ダー!!」ってやってはいられない。
そんなことしたら、疲れて元気がなくなってしまう(これを本末転倒と言う)。
つまり、元気ってのは、ハイテンションなことだと考えてはいけないのだ。
本当の元気とは、気分が良い(FEEL GOOD)ことである。
そして、無理にハイテンションになって行動しても、うまくいくとは限らない。むしろ、失敗して元気がなくなることが多い。
しかし、良い気分でいれば、何もしなくても、全てうまくいく。
バタバタ走り回るより百万倍もうまくいくのだ。
なぜかというと、宗教的に聞こえるかもしれないが、気分が良ければ、宇宙の全潜在力が、気分の良い人の気分をさらに良い気分にする出来事を起こすのが宇宙の仕組みだからだ。
宗教的に言っても、科学的に言っても、地球上では、水は高いところから低いところに流れる。
それと同じ真理なのである。

猪木さんは、若い時から豪快なことを次々にやって、人々を楽しませ、元気も与えてくれたが、本人は大変だったはずだ。
しかも、ハイテンションなことはすぐに飽きられるので、次々に無理なことをやり続けた。
普通の人には無理なことだし、猪木さんといえども、やっぱり大変で、すっかり身体もボロボロのようだ。

私が知っている、ある程度の規模の会社の社長が、「 イチ!ニー!サン!ダー!!」タイプで、社員には、バタバタ走り回ることを要求した。
それで、汗をかいていることを見せない社員は容赦なく攻撃した。
すると、もちろんだが、業績は低迷し、創業者が作った資産を使い潰し、このコロナ禍(私はどうしても「コロナなべ」と呼んでしまう)でどうにもならない状況だ。
それでも彼は、経営者らしい懐の深さもあり、やってるアピールをしない社員を叩きながらも、「こいつをあんまり嫌いたくない」と言う面もあり、そのおかげで何とか破滅は免れているが、「嫌いたくない」と言いつつ嫌っているのだし、嫌うかどうかより、それで気分が良いはずがないことが問題だ。
気分が悪ければ、さらに気分が悪くなる状況になっていくのが、この世界だ。

確かに、「人を嫌ってはいけない」というのは大事なことだ。
しかし、嫌いな者を無理に「嫌わないでいよう」なんて思っても無理なことなのだ。
いや、決して、「大いに嫌え」と言うのではない。
嫌いなヤツのことなんか考えないことだ。
ところが、大抵の人間は、嫌いなヤツのことばかり考えて気分が悪くなり、さらに気分が悪い状況を作り出しているのである。

「元気」という言葉には、どうしても「ハイテンション」というニュアンスがあるし、「勇気」という言葉を信奉すると、「匹夫の勇」、つまり、「勝てるはずのない強い悪人に正義感だけで挑む馬鹿な善人」のようなものになりかねない。
そんな元気や勇気は必要ない。
ただ、良い気分でいれば、あなたの百億の百億倍以上強い何かが、代わりにやってくれる。
それを確かめてみるべきである。
すると、すぐに真実だと解るだろう。








本物は迫力がないことも多い

「本物の迫力」などと言うことがある。
しかし、本物は地味で、少なくとも、大衆うけするような迫力はない。
柔道やアマチュアレスリングの試合なんかより、プロレスの方がずっと迫力があるが、プロレスは迫力で観客や視聴者を喜ばせるショーであるからだと思う。
プロボクシングだって、リング外での選手のパフォーマンスが迫力があったり面白かったりすることはあっても、試合そのものは、大概地味である。

人気者の参議院議員のアントニオ猪木さんの知名度が抜群なのは、プロレスの大スターだったからだが、1976年の、当時プロボクシング世界ヘビー級王者だったモハメド・アリとの異種格闘技戦は特に有名と思う。
その時のモハメド・アリは、単なるボクシング世界チャンピオンというだけでなく、人類的、地球的大スターだった。
ところで、この試合が真剣勝負だったのかというと、『1976年のアントニオ猪木』(柳澤健著。文藝春秋)では、そうであると書かれてあり、『大山倍達正伝』(小島一志 ・塚本佳子著。新潮社)では、ショーであったとしている。
いずれも、事実を正確に伝えるよう取材を重ねて書かれてあり、信憑性の高さが感じられたが、アリVS猪木戦では、違うことが書かれていて、私のような素人に判断がつくものではない。しかも、それぞれ、アリVS猪木戦が、真剣勝負であった、あるいは、ショーであったことを裏付ける、かなりのエビデンス(証拠)も示しているのだから、さらに判り難い。
ただ、あの試合は、世間では非常に不評であった・・・猪木はアリのパンチを防ぐため、寝転がって戦ったことが迫力がなかったのが、観戦者達には大いに不満であった。
そのことから考えると、この試合が真剣勝負であった可能性が高いと思えるのだ。
ショーとして行うなら、特に興行主の猪木さんは、ファンが満足する迫力ある試合になるよう計画したはずである。
ただ、アリが大物過ぎて、シナリオを作るのが難しく、最後まで完全な台本が出来なかった、あるいは、台本の明確な承認に至らなかったということも考えられる。
アリとしては、自分ほどの世界的スーパースターは、出るだけで良いと思っていたのかもしれない。
しかし、アリが猪木のローキックで脚にかなりの負傷を負い、アリは、その後訪問したイギリスで、エリザベス女王に脚の状態を心配されたことが、朝日新聞に載っていた。
ショーマッチで、そんなことが起こるとも考え難いが、実は、ショーであったはずが、猪木のキックがこれほどアリにダメージを与えることが想定外だったとも考えられる。
いかにショーであっても、観客に分かるような力の入っていないパンチやキックならバレてしまうので、ある程度は、力ある攻撃をするだろうからね。

1つの無責任な想像としては、この試合は、上で述べた通り、打ち合わせが完了せず、中途半端な状態、あるいは、お互いの理解に齟齬があることを知りながら、始まってしまった試合ではないかと思う。
戦っている当人達や、それぞれの陣営も、どんなことになるか、分からない部分がかなりあったのではと思うのだ。
『大山倍達正伝』では、アリ側は、レスラーとしては2流だが、本物の格闘家であるジーン・ラーベルをレフェリーにして、猪木が無茶をやり始めたら制止する準備をしていたらしい。
予定では、最後は、もっと和やかな雰囲気の中で引き分けでお茶を濁すつもりだったかもしれないが、予想外にヒートアップし、アリが、猪木さんを気遣ったのか、それとも、今後の自分のためを考えたのかのいずれかの理由で、試合後、非常に友好的な雰囲気を作ったようにも思える。儲かったのはアリで、アリの機嫌が悪いはずはない。しかし、猪木さんは、アリへの支払いのために、かなり無理したのは確かと思う。
いずれにしても、関係者ですら見解が分かれ、一概に何が起こったのかは語れないのではと思うのだ。

「パフォーマンス」という言葉が頻繁に使われるように、世界はますますパフォーマンス重視になっているが、それは、「見かけ重視」ということでもある。
もちろん、実質を伴ったパフォーマンスもあるが、世の中のほとんどのパフォーマンスは偽物である。
だが、偽物でも、楽しませてくれるものを人々は求め、「面白くない」「楽しくない」本物には見向きもしない。
それを自覚し、抗うことが必要だが、そのためには、なぜ、そうでないといけないのかを、しっかり意識しなければならないのである。









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座右の銘

座右の銘とは人生の指針であるが、出来れば子供の時・・・それが無理でも、出来るだけ若い時に、それを決めることが出来た者は幸せだ。
ただし、それは、決して他者から与えられたものではなく、自分で決めることが大切だ。
私の座右の銘は「節制」だが、残念ながら、それを明確にしたのは最近だ。
だが、子供の時から、天使はそうささやき続けてくれていたのだ。
それを聞き逃していた。
あなたは、そんな愚かな間違いをしてはならない。
だが、聞き逃していたとはいえ、確かに影響はあった。

節制とは、言い換えれば、「ほどほどに」「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」である。
私は、小学4年生の時だろうか、正月に凧(たこ)揚げをしていて、凧に紙の脚を付けるとよく上がることに気付き、長めの脚を付けたら思った通り、よく上がったので、もっと長い脚を沢山付けたら、重くて飛ばなくなった。
その時に、「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」と実感した。
そして、その時、私はこれを座右の銘にしようと思ったのだが、そうしなかった。

最近、「節制」を座右の銘にしようと思った、あるきっかけがある。
『1976年のアントニオ猪木』は、プロレスラー、アントニオ猪木の伝記で、これには、猪木さんの悪い部分も沢山書かれている・・・いや、印象では、悪いところ9割といった感じで、圧倒的に、猪木さんの欠点が書かれている。
しかし、これが良いのである。
私は、それまで、あまり好きでなかった猪木さんが大好きになった。
そして、猪木さんに一環して感じられるのが「節制」なのだ。
猪木さんは、まず、プロレスラーとして、美しい身体を維持することに余念がなかった。
パキスタンで、地元の英雄アクラム・ペールワンに勝った時、報道だったか何だったか忘れたが、「アクラムは、日本の美しいペールワン(レスラーのこと)に何も出来なかった」と言われたらしいが、これこそ、猪木さんに相応しい賛辞と思う。
アクラムは、猪木さんを初めて見た時、猪木さんの身体を「シェイプされている」と感じ、アクラムの弟のゴガは、猪木さんの身体が、節制され訓練を怠っていない身体と見抜き、47歳の兄アクラムが勝てるはずがないと思って、39歳の自分が代わりに戦おうとしたという。

大我ドラマ最高視聴率の『独眼竜政宗』で、秀吉の要請に対し、かなり遅れて小田原に参陣した伊達政宗に未来はなかったが、徳川家康は息子を政宗のところにやり、さりげなく「ほどほどに」と伝言したとされていた。
家康の座右の銘がまさに、「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」「ものごとはほどほどに」であり、それが政宗を救った。
・・・というのは、おそらく、私の湾曲された記憶であるが、私は、そのように考えるのが正しいと思っている。

節制には、基本的なものとして、食の節制、睡眠の節制、性の節制がある。
ただし、私は、あまりに厳しい規制は、節制ではなく、恐怖から来るこだわりか、権威による強制と思う。
『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神は、アルジュナにこう教える。
「食べ過ぎてはいけない。だが、少食過ぎてもいけない。惰眠を貪ってはならない。だが、眠りが少な過ぎるのも良くない」
私は、これが正しいと思う。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、食について、天使に警告を受けた。その言葉は訳者によって異なるが、次の2つがある。
「汝、食を過ぎるなかれ」
「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」
これに全く同意である。
食の節制は、そのようにすれば良い。
ある、超少食を説く医師がいて、私も一時はそれに傾倒したが、その医師の教えを実践していたミュージシャンは、明らかにパワーがなくなって肉体は老化した。
そして、その医師自身、亡くなったのが82歳くらいだったから、短命とは言わないが、本当に超少食が良いなら、もっと長生きすべきだったと思う。

「節制」を座右の銘にした時から、不安は一切消え、明るい未来しか見えない。
もちろん、これは私の座右の銘であるが、人類全てに「節制」が極めて有益であることは間違いない。
もし気に入るなら、「節制」を座右の銘にするなら、無敵への道が開けたと言って間違いないだろう。
「日本節制党」を作ろうと思う(冗談だ)。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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