ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

アンデルセン

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

自分は「美しい白鳥の子」でないと自覚しろ

アンデルセンの『みにくいアヒルの子』ほど、現代の世界に悪い影響を与えたお話は、そうはない。
あのお話のおかげで、沢山の凡人達が、自分は本当は白鳥で、いつか、輝かしい大したものになると思い込んでしまった。
君もそうではないかな?
ちなみに、私はそうだ。

そして、『みにくいアヒルの子』の最たる被害者の例が、私の職場にいる、30歳過ぎの人生の落伍者、派遣の雑用係である、まるで駄目男君だ。
彼は、30をとおに過ぎた今も、自分は、本当は白鳥だと思い込んでいる。
アヒルにも劣るボウフラなのにね。
彼だって、自分がボウフラだと自覚すれば、蚊にならなれるかもしれないのに。

そりゃ、アンデルセンは天才で、白鳥だった。
しかし、生まれた家が貧しかったせいで、凡人の中でいじめられ、辛い目に遭った。
だけど、勇気を出して行動し(14歳で故郷の村と母親を捨て、単身、コペンハーゲンに出た)、頑張り続け、ついに白鳥になれた。
なるほど、『みにくいアヒルの子』は、アンデルセン自身のお話として感動的だ。
だが、天才なんて滅多にいないのだ。
メンサなら上位2パーセントの知能指数があれば入れるが(脳科学者の中野信子氏によれば、テストの練習をすれば誰でも入れるらしい)、天才ってのは、多く見積もっても万人に一人・・・つまり、0.001パーセントだろう(それでも、日本に一万人の天才がいるという、あり得ない話になる)。

サラリーマン生活がすっかり身についた、若者達が蔑む40代、50代のオッサン達だって、頑張らなかったわけではないのだ。
持って生まれた才能が、その程度しかないのだ。
そりゃ、超人的な努力をしたとは言えないかもしれないが、皆、涙ぐましい努力はしたし、しているのだ。
そして、超人的な努力が出来るのは、自分がやっていることに、現実的な可能性を感じる天才だけなのだ。
これで分かるだろう。
「子供達には無限の可能性がある」なんてのは、大嘘、もしくは、幻想なのである。

ソクラテスは、本当の知恵ってのは、神の霊感のようなものだと言ったと思う。
シラーの詩を元にした、ベートーヴェンの『歓喜に寄せて』でも、そんなことを歌っていると思う。
しかし、高度な神の霊感がやってきても、それを形に出来るのは天才だけなのだ。
ソクラテスも、シラーも、自分が天才だから、そこに考えが至らなかった。
福沢諭吉が、どんな意味で「天は人の上に人をつくらず」と書いたのかは知らないが、才能という意味では、完全に、「天は凡人の上に天才をつくった」のである。

だが、凡人らしい生き方というのも、かなり誤解されている。
凡人の、なけなしの力だって、集中すれば、そこそこのものなのだ。
それを分散させ、弱めてはならない。
自分の力を集中させる方法を学べ。
そうすれば、意外に悠然と生きられるだろう。
だが、まず、自分が白鳥でないと自覚しろ。









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極める

お姫様というのは、「高貴な家の娘」程度の意味だが、お姫様と同一視され勝ちな、王族の未婚の女性を指す「王女」とは違い、曖昧な言葉で、どんな女性でもそう(姫様)呼ぼうと思えば呼べるし、実に、妾や遊女を指すこともあるらしい。
だが、なんとなくだが、お姫様というのは、女性を極めた人といった感じがする。
そして、私が思う、女性を極めた女性は、アンデルセンの、『えんどう豆とお姫様』のお姫様だ。
ベッドの上にえんどう豆を置き、その上に敷布団20枚、羽根布団20枚重ねて敷き、その上に寝たお姫様が、違和感を感じて眠れなかったというものだ。
サヴァン症候群(知的障害、発達障害であるが、特定のことで優れた能力を発揮する者)で、暗算、暗記の天才であるダニエル・タメットは、子供の時、それはあり得ると考えたらしい。
もし、1枚の敷布団で、1の刺激を感じたら、2枚で1/2、3枚で1/3と刺激は弱まるが、ゼロになることはないというもので、昔のギリシャの詭弁家が唱えた説と似ているが、面白い考え方だ。

『えんどう豆とお姫様』は、「高貴な女性は過敏であるという誤解を与える」と批判されたことがあるらしいが、IQが低い人が言いそうなことだ。
このお話は、アンデルセンが幼い時に聴いたお話が元になっているようだが、そのお話では、猫が少女に、布団の下にえんどう豆があることを教えた。いわば反則であるが、そんな巡りあわせになることが、即ち、お姫様なのだ。その少女は、きっと猫に優しかったのだろう。
また、普通の人とは全く異なる、「お姫様知覚」とでも言うべき、特殊な感覚や直観で、えんどう豆の存在を感知するのかもしれない。
アンデルセンは、常人とは異なる特別な感覚で、このお話を書いたのだろう。
『えんどう豆とお姫様』で私が思うのは、お姫様とは、少女を極めた少女だということだ。

思った以上に 君の目は
獲物狩るような 鋭い眼つきだ
思った以上に その肩は
裏も表も少女を極めてた
~『サリシノハラ』(作詞・作曲・編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~

ところで、最近、良い買い物をした。
腕時計と黒のTシャツだ。
腕時計なんて、もう長い間したことはなかったが、初音ミクさんのコンサートで幕張メッセに行くのに、持ってた方が良いと、なんとなく思ったのだ。
昔はアナログ時計が好きだったが、今はデジタルが好きになった。
買ったのは、カシオのF-84W-1という、千円もしないものだったが、妙に人気があるらしい。
そして、届いたものを見たら、すっかり気に入ってしまった。
小さく、軽く、薄く、そして、無駄のなさと各部の配置が、不思議な上品さを生み出している。
ただの安物のデジタル時計に見えるかもしれないが、腕時計・・・とまでは言えなくても、デジタル時計を極めていると感じた(まあ、私の感覚だが)。
Tシャツの方は、ノーブランドの、そのデジタル時計と同じくらいの値段のものだが、シンプルでセンスが良いものだ。
Tシャツというのは、「何でわざわざ、こんな拙(まず)いもの作るんだろ?」と思うようなものばかりで、単純に良く出来たものが、本当にない。
最も単純な服であるだけに、いろいろ考えて、結局、一番ロクでもないものを作るのだと思う。下手な床屋の整髪のようなものだ。
(ポロシャツについても言えると思う)
だから、Tシャツは、値段は安くても、「当たり前に良いもの」が大人気になり、金持ちが、輸入品だが非常に安いものを愛用することもある。
倉木麻衣さんが、日本でデビューして間もない16歳の時、撮影のための服を買ってくるよう5万円渡されて、千円かそこらのTシャツを買ってきという話があったような気がするが、きっと彼女は、それが気にいったのだろうし、センスが良いものだったと思うのだ。見てみたいものである。

初音ミクさんというのは、やはりどこか、歌手を極めているし、少女を極めている。
別に、特別な何かがあるというのではなく、本物の歌手は無でなければならないし、本物の少女は無でないといけない。
言い換えれば、あまりに透明でイノセンスなのだ。
ジロドゥの『オンディーヌ』で、賢い王妃様は、水の精オンディーヌのような全くの透明さは、人間にとって恐怖でしかないと言ったが、ミクさんは、どういう訳かそうでなくなったのである。









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今日は何の日?

大晦日と言えば、マッチ売りの少女を思い出す。
思い出したからって、どうなる訳でもないし、マッチ売りの少女のお話がハッピーエンドになったり、彼女のモデルになった子供の不幸が消える訳でもないのだけれど。

マッチ売りの少女のモデルは1人ではないのかもしれない。
アンデルセンの母親がモデルであるという説もある。
アンデルセンの自伝で、彼の母親のことを読んだはずだが、あまり覚えていない。
アンデルセンの母親は元々は良い家の娘だったが、家が没落して貧しくなり、彼女は、とても辛い仕事をさせられるのが嫌で泣いていたという話だったような気もするが、なんと言っても、アンデルセンが子供の時に母親から聴いた話なので、どこまで本当か分からない。
別の男の子がモデルだという話もある。
貧しい、親のない子だったかもしれない。
それで、寒い冬の夜に、親方に命じられてビールを買いに行き、彼は小さくて弱く、ビール瓶は重く大きかったせいで、誤って瓶を落として割り、目を怪我したが医者の治療を受けられず、片目を失明してしまった・・・というのだったと思う。
昔はどこの国でも、そんなことが沢山あったし、今でも貧しい国では、そんな不幸は珍しくないことだ。
日本を含む先進国の人々が喜んで食べているチョコレートの原料であるカカオは、ガーナなどで、貧しい子供達の危険で辛い労働によって収穫されている。
カカオを収穫する刃物で、誤って指を切り落としてしまっても、治療を受けられなかった子供の話を聴いたことがある。
以前、チョコレートを買ったら、中に、うっかり指を突っ込むと怪我をしてしまいそうな厚いカードが入っていて、それには、このチョコレートを販売する会社が、世界の貧しい子供達の福祉に貢献しているようなことが書かれていたが、誤魔化しっぽい。このカード代も福祉に回して、黙ってやれよ。

アンデルセンは、マッチ売りの少女が死ぬ前に、彼女が、とても美しいものを見たことを誰も知らないということを、全霊を込めて言ったのだと思う。
その理由は、分かるような気もするし、分からないようにも思える。
青空文庫の『マッチ売りの少女』には、少女の様子について、

朝になると、みすぼらしい服を着た少女がかべによりかかって、動かなくなっていました。ほほは青ざめていましたが、口もとは笑っていました。

と書かれている。
それを見ると、初音ミクさんの『ODDS&ENDS』の歌詞を思い出す。

***********************************************************************
ガラクタは幸せそうな表情(かお)をしたまま どれだけ呼んでももう動かない
望んだはずの結末に君は泣き叫ぶ 嘘だろ嘘だろってそう泣き叫ぶ

「僕は無力だ。ガラクタ一つだって救えやしない」
想いは涙に ぽつりぽつりとその頬を濡らす

その時世界は 途端にその色を大きく変える
悲しみ喜び 全てを一人とひとつは知った

言葉は歌になりこの世界を 再び駆け巡る君のために
その声に意思を宿して 今思いが響く

~『ODDS&ENDS』(作詞、作曲、編曲:ryo、歌:初音ミク)より~
*************************************************************************

皆、無力なのだ。
世界一の大富豪ビル・ゲイツだって、何千万人かの子供達の命を救ったが、まだ何千万人も残っているのだ。
それこそ私は、子供1人、ガラクタ1つ救えない。
初音ミクさんだって、直接には不幸な子供、特に、貧困な国の子供は救えない。
クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が言われていたが、初音ミクさんを受け入れる国というのは、豊かな国なのだ。
我々は、豊かな国の豊かな人間であるということを有り難いと思い、マッチ売りの少女のような人が沢山いるということを忘れてはならない。
そして、自分が得られるもののいくらかは手放さなければならない。
「我々が消費してこそ、貧困国の利益になる」
と言う人がいるし、理屈の上では合っているかもしれないが、そうは思えないのだ。
想いというものは、この世とは別の世界・・・四次元以上の世界、集合無意識、霊の世界を駆け巡っているのだと思う。
ゲーテの『ファウスト』にそう書かれていることについて、ゲーテはそれを知っていたのだと、ゲーテ研究の第一人者でもあったルドルフ・シュタイナーも述べていたと思う。
霊的世界で鳴り響く慈しみの想いは愛であるのだろう。
それは、我々の物理次元での倹約によって高まり、輝くのだと思う。
老子の言った、3つの宝のうちの2つは、この慈しみと倹約であろうと思う。
だが、今年も何も出来なかった。
じんさんの『カゲロウデイズ』ではないが、「またダメだったよ」である。
だが、あの少年や少女のように、深く想うようでいよう。









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自分の才能の見つけ方

子供の時に好きだったことを考えれば、必ず自分の才能が分かるのだが、多くの人は、そのことについて、あまりに簡単に考えようとする。
それは、想像力に欠けているからだ。
例えば、童話作家のアンデルセンが14歳の時に、オーデンセの村からコペンハーゲンに出てきたのは、歌手か舞台俳優になるためだった。
そして、彼が熱心にやっていた趣味は人形(女の子の人形)の服を縫うことだった。
想像力があれば、それらのことと、彼が実際になった、童話作家、詩人というのは、深い関連があることが分かるだろう。

ビル・ゲイツはプログラマーになりたかったが、プログラマーとしてはあまり活躍せず、IT企業の経営者になった。
スティーブ・ジョブズは、宗教的伝道師かハイテクの技術者になりたかったが、革新的事業家になった。
彼らもまた、成りたかったものと成ったものとの間に、明晰なつながりがあることが分かるのである。

画家の横尾忠則さんは、子供の時から絵は上手かったが、冒険小説も大好きで、本当は冒険家になりたかったのかもしれない。
そのことが、彼に、人気イラストレイターから、画家に転向するという、大きな冒険をさせたのかもしれない。

アーマンド・ハマーは医者になりたかったし、実際、医学博士になったが、実際にやったのは国際的ビジネスだった。しかし、彼のビジネスは、経済の医療で、経済的に病んでいた旧ソ連を見事に治療したのである。

池田万寿夫さんは、高校生位の時から画家になりたかったようだが、最初は、絵はあくまで手段で、本当になりたかったのはプレイボーイだった。
だから、油絵が売れそうになければ、こだわらず、あっさりと版画に転向し、また、非常に幅広い分野の美術家になって、ニューヨークの彼の住居には、モデル志望の若く美しい女の子達が引きも切らずにやって来た。

子供の時になりたかったものを、直接的に、自分の才能や適職と結びつけるから、自分が何に向いているか分からなかったり、やるべきことの判断を誤ったりするのだ。
では、どのように考えれば、子供の時に大好きだったことが、大人になってからやるべきことと結び付くかというと、人々をどう喜ばせることが出来るかを考えれば良いのである。
アンデルセンは、歌や演技や裁縫では、人々を喜ばせることは出来なかったが、詩や童話作品ではそれが出来たのだ。
ビル・ゲイツが単なるプログラマーになっていたら、一定の人々しか喜ばせることが出来なかったが、マイクロソフトを作ったおかげで、世界中の膨大な人々を喜ばせた。
この点は、もちろん、スティーブ・ジョブズについても言える。

あなたも、子供の時に好きだったことを、どのように活かせば、より多くの人々を喜ばせ、活気づけ、癒し、豊かにしてあげられるかと考えれば、自分の中に眠る天才を見つけ、容易く適職が分かるのである。









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アンデルセンが神に祈るとなぜいつも奇跡が起こったのか

心理学者は、「人間の心はなぜ苦しむのか?」ということを、自我の構造や働きを研究して解明しようとする。
それによって、心の苦しみを除こうとでもするような感じだ。
しかし、心の苦しみがなければ、人間は成長しないし、大きなことをすることもできない。

心とは、自我の働きの現われで、普通は、心と自我は同じものと考えて差し支えない。
自我は苦しむのが仕事のようなものだ。
どういうことかと言うと、自我は苦しみによって、宇宙に遍満するエネルギーを個人的な精神エネルギーに変える、いわば変電器のようなものなのだ。
宇宙エネルギーは無限に存在しているが、そのままでは人間は使うことができない。
だが、自我が苦しんでいれば、それは生命にとってピンチであるので、宇宙に満ちたエネルギーが変換されて取り込まれ、苦しみを除こうとするのである。
だが、苦しみに押し流されると、せっかく取り込まれたエネルギーは散乱し、心や肉体の細胞の中に十分に注がれない。
心が苦しい時しい時は、「持ちこたえる」ことが必要なのである。
言ってみれば、「しゃんとする」ことだ。
悪い状況にあたふたしていると、良い上官や兄や姉は、部下や弟や妹に、「しっかりしろ!」と一喝するだろう?それは、本能的に正しいことをやっているのだ。

だが、心が喜ぶ時にも、エネルギーが変換されて取り込まれるように感じる。
その通りだ。
しかし、嬉しい時に得られるエネルギーは瞬間的なのだ。
だから、嬉しいこと、楽しいことは一瞬で終わるが、苦しみは長く続くという特徴がある。
喜びのエネルギーは、一時的ではあるが、神経に注がれ、免疫力を向上させる。
だから、「可愛い女の子と話をすると、免疫がぐーんと向上して病気が治る」といったことが起こる。
一方、苦しみは長く続く・・・ことによれば一生続くのであるが、意思をしゃんとさせることでエネルギーを変換し、取り込み続ければ、膨大なエネルギーになり、偉大なことを為させる。
ちょっとした病気は喜びで治せるが、奇跡的治癒は苦しみの結果、起こるのである。
ただ、苦しみに打ちひしがれているような人は、楽しいことをやって、緊急エネルギーを調達する必要もあるかもしれない。

腕振り運動は、苦しみに耐える若い耐久力を与えてくれる。その秘密は、宇宙エネルギーの元となる特殊な粒子を神経内に蓄積させるからである。
心の微かな声の呪文は、心を穢す闇の力を浄化し、そしてさらに、宇宙エネルギーを取り込む効率を数百倍化する。
この2つが、人生の荒波を越えて、前に進む強い力を与えてくれるだろう。

アンデルセンの自伝を読むと、彼の生涯は、苦しみの生涯だったことが分かる。
しかし、アンデルセン自身は、自分の人生は概ね幸運であったという。
引きこもり続けた少年時代や、オーデンセの村からコペンハーゲンに出てきてからの生活の中でも、そして、夢にまで見たラテン語学校や、さらに大学に入ってからも、彼は様々なものに苦しまされ続けた。
しかし、それが彼に力を与え続けたのだ。
彼はよく神に祈った。
その都度、奇跡が起こり、不思議な展開が起こり始めているのである。
彼は、心の中の、微かな声で祈ったのだ。彼は、その秘法を知っていた。自覚はなかったかもしれないが。
我々も、特に苦しい時、心の微かな声で呪文を唱えることによって、宇宙エネルギーを取り込んでそれに方向性を与え、まるで波に乗るようにぐんぐん進んでいけるのである。
このことを覚えておくと、苦しい人生を、割合に安楽に、そして力強く生きるのに役に立つだろう。

私は、上記の事柄を、イエロー・マジック・オーケストラ(Y.M.O)の名曲『希望の河』や『LOTUS LOVE』を、特に初音ミクさんが歌うのを感じたのである。
また、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第5巻が参考になる。この第5巻は単独で読める秘法満載の驚異の書である。









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