ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アンデルセン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

将来の夢なんて考えては駄目な理由

人間はつまらない、人間でいるのはもう嫌だ。
ウルトラマンなんかになりたい。
・・・と想うことはないだろうか?
あるいは、まさに今、そう思っているかもしれない。
まあ、ウルトラマンでなくても、仙人とかヒーローとか・・・。
そこまでいかなくても、芸能人やミュージシャン、あるいは、小説家とかかもしれない。

そういうのは、かなりピンチな症状だ。
こう言ったら、
「ウルトラマンはともなく、芸能人や小説家になれないとは限らないではないか?サラリーマンからミュージシャンになった人だっている。仙人だって目指すのは悪くない」
と言いたい人もいるだろう。
確かに、それはその通りだ。
しかし、「お前が言っても、どこか可笑しい」って人がほとんどなのだ。

あのアンデルセンの父親は靴職人だったが、彼はその仕事を嫌っていた。
当時は、庶民の男の子は15歳にもなれば、職人の親方の使用人を兼ねたような弟子になり、横柄な親方に耐えながら技術を学んで独り立ちするしか生きる術がなかったのだ。
何か別のものになりたかったアンデルセンの父は、ある時不意に英雄になろうとナポレオン軍に入って、そのまま死んだというが、アンデルセンが言うには、子供ながら父親の精神がおかしくなっていたことに気付いていたらしい。
アンデルセンの父は、作家になりたいと思っていたようだ。それで、ラテン語学校に通うどこかの子息を羨ましそうに眺めていることが、よくあったという。しかし、貧しい家の出だった彼には無理なことだった。

ミュージシャンや小説家になりたいというのは、アンデルセンの父と同じで、やっぱり精神がおかしくなっている。
そんな人を見ると、かなり痛々しい。実際、そんな人達を「痛い人」と言うのだろう。
中には、歌も演奏も、素人から見たらかなり出来、動画投稿サイトにも投稿しているが、プロのミュージシャンになるなら、せめて数十万のアクセスがないといけないのに、数十とか、せいぜい、数千とか・・・
架空の話ではあるが、『ぼっち・ざ・ろっく』のぼっちちゃん(一人ちゃん)が、動画投稿サイトで数十万アクセスを得ていたのは中学生から高校生の時だったのだ。
米津玄師さんも動画投稿サイトのボカロP出身ではあるが、高校時代からバンドをやってて、パソコンの前で1日中曲作りをするオタクであり、やはり、普通の人と全然違う。

そこで「一万時間の法則」というものがあり、一万時間かければプロになれるそうだが、今の自分と違う何かになりたいと言う人には、そこまでやっている人はまずいない。
考えてみれば、ぼっちちゃんも米津玄師さんも一万時間を軽く超えてやっていたのだと思う。

シスター
AIアート452
「シスター」
Kay


何か大それたものになりたいと思っている人は精神がおかしく、ピンチの状態だが、そんな人達は呼吸が足りないのだ。
深呼吸をしっかりやれば、精神が安定する。
さらに深呼吸をやれば思考が消え、その人にとって変なものになろうとか、変なものを持とうとか、変なことをしようと思わなくなる。
そして、魂か潜在意識か神か、呼び方は何でも良いが、それが、自分は何になるべきかを教えてくれる。
何になるかを自分で考えてはいけない。
それは高い存在が決めることだ。
学校で「将来の夢」なんてものを子供に言わせるのは問題がある。
どこかのサッカー選手や野球選手のように、何も考えずに「サッカー選手になる」「プロ野球選手になる」と閃き、それを学校の作文用に脚色したもの(たとえば「セリエAに入る」など)が取り上げられ誤解されるが、大きな夢を持つことが大事なのではない。
夢なんか持たないことが大切だ。
その上で、昨日も書いたが、無頓着に、健康的な範囲で自由にやれば良いのである。
だがまず、何より深呼吸である。








美の女神との一体感

昨日、私は幼稚園の時、自分の上空を飛んでいる旅客機に乗っている人達と一生会うことはないことを悲しく思ったという話を書いた。
そして、その想いは誤解で、その飛行機の乗客達に会っていることが明確に分かって安心したということも述べた。
しかし、実は、私は、十数年前から、飛行機の乗客達のことより、もっと心残りなことがあった。

有名な童話作家であるハンス・クリスチャン・アンデルセンは、作家・詩人として成功した後、ヨーロッパ中を広く旅行していた。
成功したと言っても、今のような著作権とか印税とかいったものはなく、作家としての収入は知れていたが、作品の評価により、デンマーク国家から生涯年金を得ることが出来た(大した額ではないが)ので、働く必要がなかった。
それで、アンデルセンは、ヨーロッパ中を放浪の旅をしていたのだが、鉄道や客船などはあったらしいが、快適な旅や宿泊が出来る時代では全くなかったはずだ。
それでも、アンデルセンは旅をせずにいられなかったのだ。なぜかは分からないが。

それで、アンデルセンがスペインに行った時、おそらく、生涯忘れられない出会いがあった。
それは、神殿の石段に座っていた、粗末な服を着た、貧しい黒い髪の少女だ。
彼女の歳は11歳くらいだが、アンデルセンは、彼女を美の女神の化身とまで書いている。
それほどの美少女だったが、彼女は盲目だった。
アンデルセンは、『即興詩人』という小説で、その少女をモデルにしたララという名の、やはり盲目で貧しいが絶世の美少女を登場させ、自分を投影した主人公に、彼女に銀貨の施しをさせている。
アンデルセン自身は、あの少女に施しをすることが出来なかったのだ。

お姫様
AIアート75
「お姫様」
Kay


私は、アンデルセンの自伝で、その少女のことを読んだ後、彼女がその後、どんな生涯を送ったのかという想いが、頭を離れなくなった。
もちろん、それはさっぱり分からないことだし、何の記録も残っていないだろう。
だが、私は、あの旅客機の乗客のこと以上に、彼女のことが分からないことを理不尽に感じた。
「そんな馬鹿な!」である。
だが、やはり、彼女のことも分かったのだ。
彼女を構成していた電子は全て、私を構成している電子でもあるのだから。

ひろさちや氏の本に書かれていたが、ソクラテスの身体を構成したことがある原子を、我々は皆、10万個程度は持っていると、科学者が計算したことがあるらしい。
しかし、そんなものとはレベルが違う。
ララのモデルになった少女を構成していた電子と私を構成している電子は、そっくり同じなのだ。
なぜなら、この宇宙に電子は1個しかなく、その電子は、過去、現在、未来を通して同じものだからだ。
そして、電子はタイムトラベルする。
だから、今でも、私は彼女と一心同体である。
それが分かって、私は安心することが出来たのである。

尚、『即興詩人』を森鴎外訳で読むことはお奨めしない。
彼の格調高い文語訳は、私にはさっぱり読解出来なかった。
よほど文語に慣れた人でない限り、避けた方が良いと思う。








『老子』第26章を一言で言えば「何もしない者が一番強い」

今回は『老子』第26章である。
この章を一言で言えば「何もしない者が一番強い」だ..

『老子』は、全章を通して思想が一貫しているが、特にこの第26章までの数章は、表現こそ違うが、全くと言って良いほど、同じことが書かれている。
だから、分かっている者が読むと退屈になるが、そもそも、『老子』は、分かってしまったら、もう読む必要はないと思う。

祖父が言っていたものだよ。
攻撃こそ最大の防御なり。
最大の攻撃とは無抵抗なり。
だから、何もしない者が一番強いんだ。
~英国テレビドラマ『ダンディ2 華麗な冒険』より、ブレット・シンクレア卿の言葉~

この祖父とやらが、老子と同じことを言っているのである。
そして、これが全てだ。
ついでに、何度も取り上げたが、ラマナ・マハルシの以下の言葉を再度提示する。
「ある事業家は、大きな事業を成し遂げようとしている。だが、彼は何もしていない」
「財務長官は、最大の注意と責任感を持って仕事を行う。だが、彼は何もしていない」
どういうことかというと、優れた力を発揮する者ほど、自分がそれをやっているという意識がないのである。
画家の横尾忠則氏も著書に書いていたものだ。
「自分でも、どんなものが出来るのか分からない時ほど、良い作品になる」
つまり、自分が描いているという意識が邪魔なのである。

『老子』第26章でも、君子が徹底的に何もしないことが書かれている。

何もしないことの無限の力について、荘厳な話をしているのが、岡本太郎の『美の呪力』の最終章『宇宙を彩る』の「無限への変転<綾とり>」だ。
あの岡本太郎が、綾とりをする幼い少女に、言いようのないエロチシズムを感じるという。
男の子は、駆けたり、取っ組んだり、飛び跳ねたり出来る。
しかし、女の子は何も出来ない、孤独で弱い存在だ。
願いしかない。
しかし、だからこそ、無限の夢が繰り広げられる。
少女はひたすら、糸を操り、運命を幻想的に繰り出し、遊ぶ。

まあ、今の時代に限らず、男の子でも、そんな女の子的な子もいる。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンなんてまさにそうで、彼は17歳になっても、綾とりはしないまでも、人形の服を縫っていたのだ。
だからこそ、あれほどの詩や童話が書けたのだ。
女の子が綾とりをしている時、アンデルセンが人形の服を縫っていた時、自分が糸を操っているとか、自分が縫っているという意識はないのである。

もし、引き寄せの秘儀があるとすれば、そこにある。
糸を操ることは、運命を操ることなのである。
そのためには、「私」が消えなければならない。
そして、そうなるための、あまりに高度な手法が、「私は誰か?」と自分に問うことなのである。
「私は誰か?」と問う際の注意点は今朝も書いたので、よければ参照願う。








IQが低くても出来る世界の消し方

この世界は幻だという話は珍しいものではない。
古代の神秘思想から現代の量子力学においても、そう言える根拠を示せそうだが、そもそも、「幻(まぼろし)」とは何かと言うと、辞書によれば、「感覚の錯覚によって、実際は存在しないのに存在するように見えるもの」で、対義語は「現(うつつ)」である。

つまり、世界が幻であるなら、それは「世界は感覚の錯覚によって、存在するように見えるが、実は存在しない」ということになる。
実に、その通りだ(笑)。
しかし、そんな言い方では、「だから何?」ってことになる。
それで、私は、この世界は想像世界だと言う。
あなたは、自分が王様である世界や、スポーツのスーパースターである世界を想像出来るが、そんな想像世界と、現実世界だと感じている世界は全く同等で、単に、現実世界と思っている世界にリアリティ(現実感)を感じているだけだ。

この世界が幻だと言われて、ちょっと嬉しいのは、この世界が苦しい世界だと感じている人だ。
そして、おそらく、大半の人がそうではないかと思う。
そりゃ、可愛い彼女が出来たばかりなら、この世はハッピーかもしれないが、そんな楽しさはすぐに消える。
徳川家康が、「人生は重い荷を背負って昇る坂道のようなもの」と言ったらしいが、あまりに的確な表現で笑える(笑)。
何を笑えるかというと、日本最大のコンカラー(征服者。勝者)である家康が、そんなことを言ったのだから、「人生とは辛いものだ」ということになる。

で、私は昨日、この世界の現実感を弱くする方法を述べた。
それにより、現実の辛さは減少し、同じ理論を逆に使えば、楽しい想像世界の現実感を増し、ついには、その楽しい世界を現実化する。
あれも難しい方法ではないが、もっと簡単な方法があり、しかも、よく使われていた。
というのは、今もだが、昔から大国、強国の多くでは、庶民は搾取され、夢も希望もないことがよくあった。
そんな庶民は、この世は幻だとでも思わないとやっていけないが、頭が悪い者も沢山いるので、馬鹿でも、この世が幻だと認識できる方法が必要だったのだ。
日本でも『閑吟集』に、有名な唄、
「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
(真面目くさっても仕方なだろ。この世は夢だ、ただ狂え)
というものがある。
「そうであればいいなあ」ということだろうが、それを実感出来る簡単な方法が必要で、実は宗教の目的も、それが大きい。だから宗教は流行るのだ。
しかし、一番簡単な方法は「薄目をする」ことだ。
だから、ある大国では、昔から、庶民は皆、薄目をする癖がある。
また、画家のムンクは、薄目をすれば、この世界が幻だと実感出来ることに気付き、作品を、薄目をした時に見えた映像として描き、人々は、それが分からなくても、無意識で彼の作品に惹き込まれた。

ところが、コリン・ウィルソンが見つけたのだが、ある研究者が薄目の研究をした末、とんでもないことが分かってしまった。
それが、この世界も想像世界だったということだ。
今では、量子力学の研究範囲として考えることも出来るかもしれないが、当時、量子力学はあったかもしれないが、あまり知られていない時代だったと思う。また、量子力学なんて、大抵の人には理解出来ない(物理学者ファインマンによれば誰にも理解出来ない)のだから、こちらの薄目の研究の方がありがたい。

薄目をしていると、この世界が自分の想像であることが分かる。
すると、この世界のリアリティが消えていく。
さらに、そうすると、この世界を自由に想像し創造出来るようになる。
目が見えないヘレン・ケラーは、ごく若い時に、そんなことに気付いていた。
耳も聞こえない彼女の「想像世界」は、我々のものとはかなり異なるが、むしろ、世界と精神がダイレクトにつながり、ある意味、我々より「ものが見えた」。
アンデルセンは、スペイン旅行中に出逢った、盲目の11歳くらいの少女に深い感銘を受け、「美の化身」とまで呼んで畏怖し、『即興詩人』の中で、ララという名で登場させた。
しかし、それは、アンデルセンも気付いていなかったが、単に、その盲目の少女が美少女だったからではなく、彼女から伝わって来る意識の高度さを、精神性が優れていたアンデルセンが感じたのである。

我々は、ヘレン・ケラーや、ララのモデルの少女や、アンデルセンに敵わない。
だが、薄目で世界を見れば、少し意識を引き上げることが出来る。
ただし、「現状肯定。過去オール善」という想いで見れば。
だから、どんな時も、「完璧」と言う癖をつけておけば、引き寄せは容易いのである。








個性に関する大発見をした

個性的であれと言われたら、大抵の人は困惑するのではないかと思う。
なぜなら、皆、自分が個性的だと思っているからだ。
口では、「私は平凡な人間だ」と言っても、内心では、「俺だって、そこらにはいない特別な人間だ」と思っている。
また、昔のヒット曲の影響ではないと思うが、「自分は元々特別なオンリーワン」だと思っていることも意外と多い。
一番困るのが、「私は特別だ」という「御印」みたいなものを持っている場合だ。
たとえば、一流大学・大学院卒とか、博士号を持っているとか、プログラミングが出来るとか、柔道三段とか。
しかし、そんな人間、世の中にゴマンと居る。少しも特別ではない。
つまり、学校やテレビに洗脳された一般人というのは、個性的であるとはどういうことか知らないのである。

ところで、面白い話がある。
世界的ミュージシャンのジョージ・マイケルは「スーパースターは何か特別なものを持っているのではなく、何かが欠けている者だ」みたいなことを言っていた。
この言葉を引用した宗教人類学者の植島啓司氏は、初音ミクも同じ・・・つまり、初音ミクには何かが欠けているからスーパースターなんだと述べていた(週刊文春2012年3月22日号)。
そして、初音ミクに欠けているものは「成熟」だと言う。
それだと、単なるロリキャラということだが、少女として理想的な容姿(特にプロポーションと思う)を持ち、音程を外さずに完璧に歌い、ダンスは抜群でありながら成熟に欠けているから良いのである。

つまり、個性とは、何かを持っているというよりは、何かが欠けていることが、まず重要だ。
これは大発見だ。
だが、それだけでは駄目だ。

有名な童話作家のアンデルセンは、とても個性的な人間だったが、どこが個性的だったか?
彼も、何かが欠けていたのだ。
彼は、幼い頃から、神話やおとぎ話が大好きだった。
しかし、そんな人は、当時でも沢山いただろう。
だが、彼は何かが欠けていたのだ。
彼に欠けていたのは「男っぽさ」である。
彼は、子供の時から、ある程度の野蛮さや強引さといった、他の男の子達が持っている男っぽさに圧倒的に欠けていた。
だから、普通の男の子は、10歳にもなれば工場で働くが、アンデルセンは、野蛮な男の子達に馴染めず、一緒に工場で働けなかったし、当時は、どこかの親方に弟子入りして職人になるしか庶民が生きる道がなかったが、それにはやっぱり、男っぽさがないと駄目で、アンデルセンは、自分がそれをやることを考えると、心底ぞっとした。
アンデルセンは、17歳くらいになっても、趣味は人形の洋服を縫うことであった・・・と言えば、彼が男っぽさに欠けていることを納得いただけると思う。
ただし、彼が、その欠けているものを個性にするには、知識を得、表現力を磨くことが必要であり、そのために大変な苦労をした。
彼の学生生活は苦痛なことだらけだった。
だが、彼は、ラテン語学校や大学をやめることはなく、また、不思議な援助でそれを続けることが出来た。
個性を磨くことをしたから幸運にも恵まれたのだ。
そして、報われた。
彼は、すぐにヨーロッパ中でヒットした作品から富を得ることはなかったが(当時は著作権法などなかった)、実績に対し、国王から年金が支給され(大した額ではなかったが)、一生働く必要がなく、作品から収入は得られなくても、知名度があったことで、優れた人物達との交流が出来た。

ジョージ・マイケルは「スーパースターは特別な何かを持っているのではなく、むしろ、何かが欠けている」と言ったが、欠けているだけでは駄目で、欠けているものを補う何かを磨き、そこを美点に変えないといけないのだ。
彼は、そこまで言ってくれなかったし、植島啓司氏も、気付かなかったのか、書いていなかった。
言うまでもなく、ジョージ・マイケルは音楽の実力を磨いたし、初音ミクは美点だらけだ。

個性が欲しかったら(ないと引き寄せは出来ない)、自分に欠けているものに気付くことだ。
ジョージ・マイケルのようなスーパースターでなくても、誰にでも欠けているものはある。
そして、それを補う何かを磨くのである。
例えば、どうしても仕事が続かないとしたら、それは大いに欠けていることであるから喜んで良い。
しかし、その欠点を生かすために、何かをしなくてはならない。そうすれば、天も味方してくれるだろう。
岡本太郎も、三島由紀夫も、おそろしく欠けていたはずだ。
彼らが、それを補うために何かをしたことは確実である。でなければ、ただの変人で終わっていた。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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