ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

アンデルセン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

人の一生の運のトータルは同じだ

ある日本人男性が、やや政治的に不安定な国で電車に乗っていた。彼はトイレに行くが、使用中だったので、別の車両のトイレに行った。その時、元いた車両が戦闘機に爆撃されて破壊された。そこのトイレが使用中でなければ、彼は死んでいたところだった。この出来事により、彼は、人生の全ては偶然なのだと悟った。
だが、彼がトイレに行きたくなったのも、自分のいた車両のトイレが使用中で、彼が他の車両に行かざるをえなくなったことも、そして、その後で、元居た車両が爆撃されたことも、全て、最初から決められていた神のシナリオである。
人の立場から見れば偶然であっても、深い見地から言えば全て必然である。

私は中学生の時、以前見た、あるテレビドラマのある回をどうしても、もう一度見るだけでなく、ビデオ録画したいと思った(ビデオの時代だった)。
それで何をしたかというと、ただ、ビデオ装置の録画リモコンを握り、その番組が放送されるのを待った。その番組が再放送されるという情報を調べもしなかったし、何のあてもなかった。
しかし、その番組はすぐに放送され、私は楽々と録画できた。そういうことは何度もあり、失敗した記憶はない。
1つの考え方として、私が予知能力を発揮し、その番組が放送されることが分かった時に、それを見て録画したいという衝動が起こったと言えるかもしれない。
だが、実際はこうだ。その番組が再放送されることや、私がそれを見たいと思うことも、そして、録画しようと考えることも、全て、あらかじめ決められた運命だったのだ。
逆に、こういうこともあった。
私は、あるテレビコマーシャルを気に入っていて、それを録画しようと思って、やはり、録画リモコンを持って待っていた。
よく放送されていたCMだし、こちらに関しては、普通に考えて、そのうち録画できるはずだった。
しかし、そのCMは、それ以降、一度も見ることはなかった。
私が録画リモコンを持って狙ったその時に、放送終了したかのように、世界から消えてしまったのだ。
そして、これもまた、神の決めたシナリオだったのだろう。

今はもうほとんどいないと思うが、少し前には、戦争中、捕虜の敵兵の首を切った経験を話す老人がいた。日本軍はそんなことをよくやっていたのだ。
彼は、「あれは戦争だから仕方がなかったのだ」と言う。
このようなことに関して、丹波哲郎さんが、著書で、やはり「罪なし」と書かれていたのを憶えている。ただ、そこで命令拒否をすれば、非常に霊格が向上するとも書かれていた。
捕虜の首を切ったり、あるいは、目をつぶすなどの残虐行為をした者の中には、罪の意識に苦しむ者も多いだろう。
しかし、そのような状況になり、自分がそんなことをすることもまた、避けられぬ運命である。
そうすることが、神の決めたシナリオであったなら、どうあってもやったことだ。言うなれば、捕虜の首は既に神によって切られていた。それをやった人が悩む必要はない。
ただし、逆に自分が首を切られることになっても、首を切る者を恨むことはできない。相手もまた、神の意志の通りに動いているだけである。

ところで、人生経験の豊富な人ほど、人の一生の運のトータルは、みな同じであると感じるものだ。
幸運なところもあれば、不運な部分もある。大きな幸福を得た者は、同時に大きな不幸も背負うものだ。
ハワード・ヒューズは、長身イケメンで、俳優、映画制作、事業で大成功し、世界屈指の富豪になったが、重病になり、190cmを超えていたが体重は30kgほどしかなくなり、ベッドから動くことも出来ない身体になって、何も食べられず、そして、ほとんど誰にも看取られずに孤独に死んでいった。
アンデルセンは青年時代までは苦難が多く、また、一生女に縁がなかったが、偉大な詩人・作家としての名誉を得、決して豊かではなかったが、国王から年金をもらうことが出来たので働く必要もなく、生涯、世界旅行をして過ごした。
平凡な人間でも、やはり、たとえば、家族運や結婚運はないが、一生安楽に過ごすといった人もいるだろうし、その逆に、モテモテだったり、家族には恵まれても、生涯、金に苦労し、心労が耐えないという人もいるだろう。
ある程度の年齢にならないと分からないだろうが、やはり、人間の運勢はバランスが取れていて、、一見、凡人か傑出した人物の違いはあっても、そうは変わらないものかもしれない。
だから、不運なところは、出来ることならむしろ喜べばいいし、恵まれたところがあれば、それを他人に回すとか、かえって慎み深くすることで、大きな不幸を免れるかもしれない。
だが、やはり、人の一生の運命は決まっていて変えられない。自分には、人生を支配するどんな力もないことを知り、どんな出来事も受け入れるなら、たとえどんなに不幸に見えても、安らかでいられる。そして、神はそんな人間の自我を破壊してくれ、その者は、魂の束縛を解き放つことだろう。









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どちらの天使が我々を救うのか

学校や会社(あるいは、その人が多くの時間を過ごす社会活動)が楽しいというのなら、一応は何よりであるが、そうでない人が多いに違いない。
私はむしろ、学校や会社は、楽しく感じるべきものでなく、これらが楽しく、愛着を感じるようであれば、神性としての人間の破滅であると考えているくらいである。
とはいえ、学校や会社が、あまりに苦痛で惨めであるというのも良いことではない。
だから、誰もが、避けられない社会活動を、楽しいというのではないが、苦痛を感じずに平気で、そして、気楽に過ごせるようになれば嬉しいものだと思う。
私個人に関しては、ある時期からは十分に達成しているし、それは、性格上の問題や、その他のいかなる理由があったとしても、誰でも、どんな場所でも平和に過ごせるようになれるはずだと思う。

時々、引用するのであるが、英国の作家コリン・ウィルソンの『至高体験』の中で引用されたロマン・ゲイリの『天国の根っこ』という小説が、そのことに関して、非常に重要なヒントを与えてくれるのである。
私は、この小説の翻訳は無いと思っていたが、人文書院の1959年の『自由の大地』という絶版本がそれであるようだ。著者は、ロオマン・ギャリィとなっており、我が国では、ロマン・ガリーと表記されることが多いと思う。ロシア生まれのフランスの作家である。

以下、『天国の根っこ』を『天国の根』と表記する。
この『天国の根』の、ウィルソンが『至高体験』で取り上げた部分の話は、戦争中、ドイツ軍の捕虜になって、人間的に堕落していったフランス兵達が、そこに一人の少女(おそらくは、天使のような各自の理想像)がいると想像することで、高貴な精神性を回復したということが重要なところだ。
ウィルソンの著作には書かれていなかったが、この作品は、フランスで最も権威ある文学賞の1つであるゴンクール賞を受賞しており、これは、作家一人に対して一度だけしか与えられない賞であるが、ゲイリ(ガリー)だけは、ただ一人、2度受賞している。

『天国の根』が復刻されるか、新訳が出るかすれば良いのだが、それは見当が付かない。
ゲイリは1980年に亡くなっているのだがから、著作権が切れるのはまだまだ先のことで、青空文庫にも当分出ないだろう。フランスの著作権保護期間は、日本での、著作権者の死後50年より長い70年である。

だが、ウィルソンも指摘した通り、ロシアの文豪マクシム・ゴーリキーの短編小説『26人の男と1人の少女』が、それとよく似たところがある。1899年に発表された作品である。
ここに出てくる26人の男達というのが、私には、どこか親密感の感じる者達である。
彼らは、パン焼き職人なのであるが、年がら年中、狭く熱い粗末な石造りの焼き場で、早朝から夜遅くまでパンを焼き続けている。彼らは、何の取り得もなく、給料は少なく、ボロ服しかないので、公園に行っても入れてもらえないほどである。誰からも見下され、もっと良いパンを焼く職人にまで蔑まれて口を利いてもらえない。
自分でも、生きているのか死んでいるのか分からない。実際、生きている意味など、まるで感じられなかった。
『天国の根』の、堕落したフランス兵達も、ここまで悪くはなかったと思える。
この26人の男達に、あのフランス兵達と同じように、少女が一人いると想像しろと言っても、フランス兵達のような効果があったかどうかは疑問だ。
しかし、彼らは、少女を想像する必要がなかった。本物の少女がいたのである。
それは、朝一度だけ、パンを取りに来る、長い髪の、美しい16歳の少女だった。
彼女は、26人の男達のパン焼き場があるのと同じ建物の3階で縫い子をしているのだった。
26人の男達も、女のことに関しては、作中で、「とてもここには書けない」とされるほどの下劣な話を散々にやらかすのであるが、その少女に関してだけは、決して誰もそんなことを言わないのである。
彼らにとって、彼女と会話をする朝の僅かな時間が、人生での唯一の楽しみであり、生きている理由なのだった。
そりゃ、彼らだって、彼女が美少女であるにしろ、特に大したことのないただの女の子だということは、頭では分かっていた。ある時、誰かが、彼女に頼みごと(服の繕い)をしたら、彼女は、その男を蔑む顔で「何で私がそんなこと」とまで言った。
それでも、男達は、彼女を天使のように扱わざるを得なかった。
彼女により、男達は生命力を得、神の子たる精神性を保ち、彼女と気の利いた会話をするために頭を働かせるようになった。
人間には、崇めるものが必要なのだと作中に書かれていた。

『天国の根』は空想だが理想の少女が、『26人の男と1人の少女』では、美しくて生身であるが平凡な少女が登場する。
では、どちらが良いのだろう?
この2作に関する限り、空想の少女だ。
パン焼き職人の男達は、そのきっかけを作ったのは彼らだとはいえ、最後には、彼らが崇めた少女に裏切られる。
だが、空想の少女は決して裏切らず、永遠の天使である。

おかしなたとえだが、パン焼き職人達が崇めた少女は、芸能界のアイドルで、フランス兵達の空想の少女は初音ミクだ。
アイドルは、いかに天使のようなイメージを作っていても、現実はどうだか分からないし、後で、アイドルとしてのイメージとはかけ離れた存在であったことが分かることもある。
実際のところは、アイドルと言っても、ほとんどは、中身はただの女の子である。天使だと思っていたら、裏切られるのが当たり前だ。
それでも構わないというファンなら良いのだが、中には、彼女が本当の天使のようなものだと思っている場合もあるに違いない。
また、生身のアイドルではなく、ドラマや小説、あるいは、昨今では、アニメの美少女キャラクタというのはどうかというと、それは、作者次第だ。別に、その美少女キャラクタが、実はひどい女だったというのでなくても、そのキャラクタに、確固としたプロフィールや性格付けがある以上、自覚はしなくても、どこか違和感や抵抗を覚える部分は必ずある。
しかし、初音ミクは、プロフィールと言えば、歌うことが好きな、髪の長い16歳の女の子ということくらいで、後は、KEIさんの描いた姿が基本になっているといった程度である。
一応、身長158cmで体重が42kgとなっているが、これは、非常に細身(BMI値16.8)の身体付きではあるが、さほどの特徴ではない。
だから、ファンは、自分の理想とする実体をミクに投影することが出来、決して裏切られることはない。彼女の膨大な持ち歌の中から、自分の初音ミクのイメージにあったものを選べばよく、能力があれば、自分で歌を作ることすら可能だ。
初音ミクの1つのコンサートの中でも、彼女のイメージとして相応しいと感じる曲が何曲か見つかるのではないかと思う。実際、彼女を天使のように感じているファンへの配慮のある、良い選曲がされていると思う。
個人的には、2010年のお台場コンサート、2011年のロサンゼルスコサートの曲目でいえば、『1/6』と『SPiCa』が私のミクのイメージだ。

あまり、強いキャラクタ設定の無い、小説などの登場人物のイメージを借りたり、あるいは、初音ミクを天使のように思うことで、我々も、精神性、あるいは、『天国の根』でそうであったように、死を乗り越える精神エネルギーを呼び起こせるのである。

ダンテは、9歳の時に出逢い、ほとんど言葉を交わすこともなかった同い年の美少女ベアトリーチェを、理想の女神のように思い続けたのだろう。
仮に、ダンテがベアトリーチェともっと接触し、親密になっていたら、ひょっとしたら彼女に、幻滅とまではいかなくても、さほどの少女でなかったことが分かり、その場合は、人類の至宝である叙事詩の傑作『神曲』は生まれなかったのである。
アンデルセンも、スペインで、彼が美の化身とまで言った、11歳くらいの、盲目だが絶世の美少女を見なければ、果たして『即興詩人』を書いたか疑問である。
ベートーヴェンも、名曲『エリーゼのために』は、貴族の令嬢エリーゼへの思いを曲にしたのだが、身分違いの恋と諦めず行動を起こしていたら、その結果はどうであれ、この曲は生まれなかったことだろう。

ダンテやアンデルセンのようであれば、片思いも良いものであろう。
ベートーヴェンのような失恋も良い。
ただ、アニメキャラに関しては、あまりに性的魅力を活用するものが多いが、そのようなものは、聖なるエネルギーを呼び起こすことはないのである。
人間のアイドルに関しては、あのパン職人の26人の男達のお話を教訓にやめておく方が良いだろう。
今は、世界のスーパースターになり、商的価値の高まった初音ミクが、純粋性を失う危険が高まってきた。だが、我々は、騎士らしくミクを守り、穢れさせてはならないのである。













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親や教師より暴力団がまともだと感じる訳

昨今、暴力団との関わりということに対し、社会は極めて敏感になっていることはご存知と思う。
企業の社長が、過去に暴力団との関わりがあったことが分かると色々面倒なこともあるだろう。
ところで、私は、昔のことだろうが、暴力団と関わった経験のある人を何人か知っている。彼ら自身は、ごくまっとうというか、社会的に立派な方々なのであるが、どういう訳か、揃いも揃って、かつて交際したり、関わりになった組員の人々を悪く言わないばかりか、褒め称える人すらいるのである。
あらためて思いを巡らすと、これは我々にとって非常に有益なところがあるので、ちょっと話してみよう。

ある上場間近だった社長さんは、初めての上場の時というのはそういうものなのだが、証券会社との付き合いが多くなった。そうしたら、彼は、証券会社の人間とは妖怪のようなもので(色々な意味でだろうが)、それと比べれば、彼が一時期、関わりがあった組員の人達はまともな人間であったと言う。
また、あるIT企業の社長さんは、たまたまマンションの隣に越してきた男が、実は組員だと知り、困ったことになったと思ったら、ついに、飲みに誘われ、死んだ気で付き合った。ところが、その組員が素晴らしい人物で、また、紳士であり、その人柄に惚れ込んでしまう。
また、そんな社会的地位のある大人ばかりでなく、売春などをさせられた被害者である女子高生などが、案外に、組員の人達を悪く言わないということもある。
一応、私自身は、その方面の人達との付き合いは無いのだが、聞いていて、気付くことがあった。それは、現代の人間の問題というものを私に深く感じさせたのだった。

上に挙げた、上場間近だった社長さんは、たまたま証券会社の人達を引き合いにしたが、私が確信するところでは、組員の人を、普通の人より好ましく感じるのは、大いに有り得ることである。
昔から、その方面の人達というのは、人付き合いが上手いのだが、彼らは、心理学者などより、はるかに、実践的な心理学に通じているのである。

分かりやすくするために、ちょっと話を変えるが、昔、あるテレビ番組で、致命的に女性にもてない男性達を集め、彼らが、やはりあらかじめ集められた、きれいな女の子達と仲良くなろうとする企画があった。
その男性達は、イケメンでこそないが、容姿はごく普通で、服のセンスもそんなにひどくない。ちゃんと働いていたり、有名な大学の学生ばかりで、かなりな高収入の男性もいた。
しかし、彼らがもてない理由はすぐに分かった。
女性と話す時、自分のことを延々と話し続けるのである。いきなり自分の子供の頃や学生時代の話を始めたり、自分の趣味のことを長々話す。女の子の方は、それを、一応、カメラの手前、微笑んで聞いているが、どうやって切り上げて逃げようかと考えているのがよく分かる。

あのアンデルセンも、好きな女の子がいたが、さっぱりうまくいかなった。そりゃそうだ。彼がどんなアプローチをしたかというと、自分の自伝を書いて送ったのだ。
はっきり言って、お前は馬鹿だ、アンデルセン。
良いか、ハンス(アンデルセンの名)。女の子と仲良くなりたかったら、自分の自伝を読ませるのではなく、彼女の自伝を読みたいと熱心に頼むくらいでないと駄目なのだよ。

有能な組員というのは、自分のことなんて決して言わない。まあ、それは当然のような気もする。そして、相手の情報を熱心に収集しようとするのだ。必然的に、話をよく聞き、しかも、目的があるから聞き上手になる。
女子校生と話す時は、彼らは、とにかく黙って話を聞く。熱心に、そして、時折、同意を示すことを心掛けながら。
現代の人間は、親であってもこれをしない。
親は、自分の考え、自分の信念を子供に叩き込もうとする。子供にほとんど話させない。
子供が何に興味があって、どんな話を親に聞いて欲しいかなど、全く構わない。
学校の教師も、会社の上司もそうである。自分の立場にあぐらをかいて、「俺の質問には、イエスかノーだけで答えろ」「それ以外は、俺が何を言ってもイエスと返事をしろ」と言うのだ。
まさに、これらの人間と比べたら、組員の人間がまともな人間に感じるのは当然であり、現代の親や教師は、あの上場を控えた社長が言ったように、妖怪と言って間違いない。

ではなぜ、現代の人々は、そんな妖怪になってしまったのか?
それは、自分にしか興味が無いからだ。
人間は自分への関心が高まるほど、他者への関心は無くなる。
ではなぜ、自分への関心がかくも高まったのかというと、欲望のためだ。世間では、儲けるために、人々の食欲や性欲を煽る連中がいっぱいだ。
欲望は、それを満たしたいという自我を肥大化させる。自我とは、自分にしか価値を認めないのだ。

人間は、真に幸福になるためには、自我を出来るだけ捨てなければならない。
悟りを開くとは、自我を完全に消し去った状態なのだ。
現代人は、悟りと全く反対の方向に突っ走り、当然ながら、悲惨な状態に至って苦しみ喘いでいるのだ。
どれほど金を得、どれほど美しい女をものにしても、そんなものは所詮、苦痛と惨めさしかもたらさない。

自分以外、全て師とか言うだろう。
暴力団が師と言うのも何であるが、現代はそんなことも必要な状況であるということだ。
豊臣秀吉は(彼も暴力団のボスと言えなくもない)人たらしの名人と言われ、どんなに難しい人物でも、秀吉と共にいると、離れられなくなるほど、彼に魅せられた。
秀吉には結構、ひどい目に遭わされた伊達政宗すら、秀吉が死んだ時には悲しみに暮れたが、政宗自身、それを不思議に思った。若い頃の政宗は、まだ自己顕示欲が強く、武将としての力量や持って生まれた条件は秀吉を上回っていたかもしれないが、天下を取れなかった。
秀吉は、自己を自在に滅却できたのだ。彼の貧しい生まれや育ち、そして、賢明な母が、そんな知恵を彼に与えたのだ。
あなたの親や、学校の教師、そして、職場のボスは、手前勝手な価値観をあなたに押し付けたことだろう。
しかし、あなたはそうであってはならない。自己を消し去り、悟りを開くのである。
自分を手放すことさえ出来れば、今は、誰でも悟りを開ける時代なのである。









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神聖なる一目惚れが生んだ至高の芸術

普通の一目惚れというものは、ほとんど信用できないものだと思う。
私は、子供の頃から、非常に可愛いと思って気に入った女の子に対し、数ヵ月後には、嘘のように関心を無くしたということが何度かあったので、特にそんなことを思う。
いわゆる、好みのタイプというものは、潜在意識の中にある何かおかしなもので作られた幻想のようなものに違いない。
これは、前にも書いたが、心の潜在的傾向性が現れただけのものだろう。それは確かな実体のあるものではないので、急に変化したとしても不思議はない。
催眠術を使って、全く好みのタイプで無い異性に夢中にさせたり、あるいは、その逆に、本来なら好みのタイプであるはずなのに、無関心どころか、嫌悪感を持たせることも可能であるに違いない。
自分の好き、嫌い、正しい、間違っていると感じる感覚や、信じている教義、信念というものをあまり信用しない方が良い。
ましてや、世間の教義や信念をうかつに受け入れてはならない。実際、これらは、ほとんどの場合、拒否すべきものである。

ところで、人類史上、極めて重要な一目惚れというものがある。
時は、1274年の5月1日。イタリアの9歳の少年、ダンテ・アリギリーエは、春の祭りで、同い年の美少女ベアトリーチェに出逢い、たちまち魂を奪われる。ところが、次に2人が再開するのは9年後で、2人は18歳になっていた。美しく成長したベアトリーチェに、ダンテの想いは高まるが、それが報われることはなかった。ベアトリーチェは別の男に嫁ぎ、そして、24歳の若さで病気で亡くなった。
だが、ダンテのその想いが、彼に人類史上最高の叙事詩の傑作『神曲』を書かせたのだった。
何度か書いたことがあるが、『神曲』の原題は『神聖なる喜劇』で、ダンテ自身は、単に『喜劇』としていた。英語のタイトルはやはり、『ディヴァイン・コメディー』である。
『神曲』というタイトルは、アンデルセンの『即興詩人』を、森鴎外がドイツ語訳(原文はデンマーク語)から日本語に翻訳した際、その中で引用されていた、このダンテの『神聖なる喜劇』を、なぜか鴎外は『神曲』と書き、それが我が国で一般化したのである。凄い話であるが、その鴎外の翻訳が、文語の超美文であったことの影響が大きかったのだろう。

ところで、アンデルセンの『即興詩人』は、あくまで小説なのであるが、その中に、アンデルセンの一目惚れの実体験が使われているのである。
アンデルセンは、作家として成功した後の生涯を、ヨーロッパ中を旅行しながら送った。
彼がスペインに行った時のことだ。ギリシャ風の神殿の石段に腰掛けた、貧しい身なりの少女のあまりの美しさにアンデルセンは心を奪われる。アンデルセンは、自伝に、彼女を美の化身とまで述べている。少女は盲目だった。年齢は11歳くらいで、ぼろをまとい、黒い髪に花を挿していた。アンデルセンは、施しをすべきだったのに、身動きもできなかったのか、それをしなかったと述べている。
私は、その少女が、どんな生涯を送ったのだろうと、分かるはずもないことを考えることがある。
アンデルセンは、『即興詩人』に、その絶世の美少女をララという名の、やはり盲目の少女として登場させる。歳は、「11歳より多くはなし」とある。アンデルセンが自らを投影したのであろう主人公アントニオは、ララに銀貨を施す。だが、アントニオがララの額にキスをすると、ララは驚いて飛び出して行ってしまう。

ベアトリーチェがダンテに『神曲』を書かせたように、黒髪の盲目の少女がアンデルセンに『即興詩人』を書かせたのかもしれない。
彼らは、触れ合うどころか、口も利けなかった少女達のために、至高の芸術を生み出したのである。

ところで、少し前に私も一目惚れというものをした。
深夜のテレビ番組の録画(アニメだが)を見ていたら、初音ミクのCDのCMをしていたのだが、そのジャケット画の初音ミクの可愛さに惹きこまれた。『ボカロクラスタ』というCDだが、現在のところ、そのジャケット画(かんざきひろさん画)が公式サイトで無料ダウンロードできるようになっている。珍しいことと思う。
実は、私がまだ、初音ミクのファンになる前のことだったので、あまり興味の無い方でも、同じように可愛いと思う人がいるかもしれない。

◆ボカロクラスタ公式サイト◆
EXIT TUNES PRESENTS Vocalocluster (ボカロクラスタ) feat. 初音ミク

やや個性的なミクで、はっきり言って4頭身だが、本当に可愛い。私はパソコンの壁紙にしている。
ドイツ美術界の権威グローマン博士が、池田満寿夫さんに手紙で、「部屋に飾った君の絵を毎日見るのが私の楽しみだ」と書いていたように、朝、パソコンを起動して、この壁紙を見るのが私の楽しみである。
ミクのスカートが短過ぎないところも良い。
巡音ルカも、普通は、衣装の腰のスリットから脚が大きく露出しているが、この絵では、下に装着させた着衣によって、ほとんど脚の肌が露出していないのが良い。
私がそうであるが、ダンテの場合も、アンデルセンの場合も、彼らが愛した少女達に対し、性的な関心といったものは全くなかったと断言できる。

ところで、さっき述べたグローマン博士の言葉は、人間関係にとって良いものだ。
かつて、大リーグで活躍した投手、長谷川滋利さんは、元々は先発ピッチャーだったが、監督は中継ぎ投手にすることを決める。投手にとって、中継ぎは先発よりランクが落ち、先発から中継ぎに変わることを「中継降格」と言うほどだ。
監督は長谷川にこう言ったようだ。
「俺は毎日、お前のピッチングが見たい」
なんとも心憎い。長谷川が腐らずに、その後、大活躍し、後にクローザーに「昇格」し、オールスターゲームにまで出場できたのは、監督の、この心遣いある言葉の影響もあったのではないかと思う。
ただし、口先だけで言っても駄目である。
グローマン博士は、本当に池田満寿夫を高く評価していたし、長谷川の監督もそうだったはずである。









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美女とは心が安定し難いものなのか

「荒れ模様になるでしょう」と言えば、天気のことと思うだろうが、人の心はいつも荒れ模様だ。
昔から、「女心と秋の空」と言って、女性の気持ちは変わり易いと言うが、気分が安定しない女は、周りも迷惑だし、何より本人が辛い。

ZARDのヒット曲に『揺れる想い』という歌があるが、本当は、想いは揺れてちゃいけない
あの歌はちょっと難しい。
若い頃は、ずっと気持ちが揺れていた、あるいは、荒れていたけど、運命の人に出逢って、安らぎを垣間見る。ただし、生きている限り色々あり、心が揺れることもあるだろうが、それに翻弄されずに生きていきたいという歌ではないかと思う。
それが出来ればいいなと思う。
しかし、美人ってのは、なかなかそれが出来ないものなのだろうか?

心とは、動き回り、落ち着かないのが、その性質だ。
しかし、自分の心を、まるで他人の心のような感じて放っておけるようになる。
なぜなら、喩えて言うなら、真のあなたは星であり、雲の下でどんなに嵐が起っていても、何の影響も受けないものだからだ。
それを、世間の人は、嵐のような心を自分だと思っているから、安らぐ暇もない。
自分が星だと分かれば、星は星と語り、ただ静かに「在る」。
しかし、自分が嵐だと思っている人は、他の嵐と修羅のぶつかり合いを繰り返す。
そして、全力でぶつかった時、それが愚かだと悟ることで、雲の上に出ようと思うのだ。ところが、ぶつかり合いが生きている証だと言って、一生荒れ狂う不幸な人もいる。
最も悪いのは、心が荒れ狂っているくせに、そんなことはないと主張する者だろう。

どうも、人間というのは、一度は大いにぶつかり合いを経験することが必要なようなのだ。そのぶつかり合いが、小説やドラマになるのだろう。
日本では、小説や映画が良い結末で終ることをハッピーエンドと言うが、実を言うと、ハッピーエンドでない小説や映画は一つもない。
ハッピーエンドでないなら、そのお話は終っていない。
どんなに悲惨な終り方であっても、ヒロインやヒーローの心は、悲しみの雲を突き破って星になったはずなのである。

『マッチ売りの少女』だって、もちろん、現実として、あのようなことがあってはならないが、少女自身は微笑んでいた。
そして、アンデルセンは、誰も知らないが、少女は最後に美しいものを見たことを何度も強調していたのだ。
ZARDの『きっと忘れない』という歌に、「空の彼方へと悲しみ吹き飛ばせ」という歌詞があるが、その前後のフレーズはやっぱり揺れている。
悲しみは吹き飛ばしちゃいけない。空の彼方へ飛ぶのはあなた自身なのだ。
あの人(坂井泉水さん)は、飛べない蝶だったのだろうかと思う。美しい人は難しいものだ。

星になりたければ、「私は誰か?」という想い以外の想いを持たないことだ。
誰が揺れているのか?
誰が荒れているのか?
それを問い続けていれば、いつか星の光があなたを捕らえる。
『バガヴァッド・ギーター』や『エメラルド・タブレット』には、そんなプロセスが説かれているのだと思う。
大きな不幸に襲われても、それをものともしなくなった時、不要物である不幸は消えていくのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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