ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アンデルセン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

世界は思い込みで作られている

私が好きな古い引き寄せの本に、『トーチェ氏の心の法則』がある。
1959年に書かれたもので、もちろん、当時は「引き寄せ」という言葉があったわけではないが、引き寄せの本と言っても良いと思う。
元々は、研究報告書のような形で書かれたもので、全ての話がエビデンス(根拠)となる具体的事例と科学的推論に基いて書かれているが、一般向けに書き直したのか、決して難しくはない。

『トーチェ氏の心の法則』では、まさに、世界は意識が作っており、人間は、信念・・・というか、自分の思い込みで世界を作り上げていることが明晰に語られている。
たとえば、ある末期癌の患者が、沢山食べれば治ると思い込み、一生懸命食べていたら、本当に治ってしまったという話の他に、沢山の不思議な話が書かれている。
逆に、「思い込みがなければ起きない」という、逆方向の面白い話もある。
たとえば、ある未開民族の人々は、脚が折れたら走れなくなることを知らないので、脚が折れていても平気で走り回っていたという。
また、酔っぱらって3階か4階から落ちた酔っ払いの2人連れは、酔いのため、ちょっと何かを踏み外しただけだと思っていたので、すぐに起き上がると、気分良く歩いて行った。

今、参政党という新興の政党が人気がある。
この参政党では、小麦製品を食べてはいけないと主張している。
つまり、パンや小麦で作ったクッキーのようなお菓子は絶対に食べてはいけないという。癌になるリスクが高まるのだそうだ。
『トーチェ氏の心の法則』の著者が、もし、この話について研究していたら、次のようなことを書くかもしれない。
「これまでパンやクッキーを沢山食べても健康だった人が、参政党の話を信じてしまい、癌になって死亡した」

コリン・ウィルソンの『超越意識の探求』という本のあとがきに、こんなエピソードが書かれている。
何をやっても駄目で、自信がない青年がいた。
ある時、この青年が「僕はなんて駄目なんだろう」とつぶやくと、側にいた知人が、
「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけさ」
と言ったところ、この青年は何かを感じ、知人のその言葉が心から離れなかった。
そして、この青年は、誰からも尊敬される素晴らしい人物に生まれ変わった。
『トーチェ氏の心の法則』を適用すれば、この青年は思い込みを「自分は駄目」から、少なくとも「ちっとも駄目じゃない」に変えただけだ。

もし、あなたの収入が少ないなら、自分は安い収入しか得られないと思い込んでいるだけだ。
もし、あなたがモテないなら、自分はモテないと思い込んでいるだけだ。

引き寄せというのは、つまるところ、自分に都合の良い思い込みを持つというだけのことだ。
ドナルド・トランプが若い頃、「俺はスーパースターだ。どんな女もモノに出来る」と威勢よく言う音声が公開されたことがあった。2016年の大統領選で、敵側がトランプの人格を攻撃するためだった。
これに対し、トランプは、「若い時は誰だってこんなことを言うものだろう?」と言い、「そりゃそうだ」ということになった。
しかし、羽目を外した冗談は誰でも言うが、トランプのように「俺はスーパースターだ」とは滅多に言わない。
トランプは、いつもそう言っているうちに、それが思い込みになり、本当にスーパースターになったのだ。
一種のアファーメーションである。

だが、多くの家庭では、親によって子供に酷い思い込みを持たせている。
「お前はグズだな」
「あんたってブスね」
「この短足」
そのために、子供は自分がグズだと思い込んで本当にグズになり、ブスになり、脚が短くなるのだ。

アンデルセンの『みにくいアヒルの子』という有名な童話があり、このお話は、自分は醜いと思い込んでいたアヒルの子が実は白鳥だったというもので、単純に捉えれば、トーチェ氏の話と反対のように思える。
だが、それは全くの誤解だ。
このお話は長く、いろんな想いが込められている。
このお話は、アンデルセン自身の物語であり、アンデルセンは読者に「君は本当は素晴らしいのだ」と教えているのである。
それも巧妙にね。
このお話を、特に子供の時に真面目に読んだ人は幸運である。








倣うならノッてるやつ

身近に、絶好調な人がいれば、その様子を感じると良いだろう。
身近な人でなくても、伝記や評伝みたいなものでも良いが、そういった本は、どちらかというと苦労話が多く、絶好調の時の明るい様子が描かれているものは少ないように思う。
伝記で、明るい雰囲気が味わえるものと言えば、アンデルセンの自伝がある。
ある時期までは、アンデルセンの人生は辛く苦しいものだったが、作家として有名になり、若くしてデンマーク国王から生涯に渡って年金を与えられることを承認されてからは、幸福な様子が感じられるのである。
確かに、大した額の年金ではなかったのだが、アンデルセンは働く必要がなくなり、ヨーロッパ中を船や鉄道で好きなように旅行し、見たいものを見、会いたい人に会いながら、自由に創作活動を行った。
これこそ、作家冥利に尽きると言える。

起業して成功した人の多くは、富や地位や影響力が大きくなるにつれ、いろんなものに縛られ、あまり幸福に見えなくなる。表向きには明るく幸せそうでも、実態は普通の人よりずっと惨めであるかもしれないのだ。
成功者については、成功し始めの、仕事を楽しんでいる時の様子を見たいものだが、そういったものはなかなか見られないのだ。

私の知り合いに、学生の時に起業し、成功し、事業を拡大していった人がいる。
もちろん、最初は苦労もあったろうし、24時間働いているような状況だったが、それも楽しかったようだ。
私は、その人が絶好調の時から知っているが、その頃は、本当に、明るい素晴らしいエネルギーを放っていた。
お金はいくらでもあり、また、いくらでも稼げる自信があるので、不安がなく、良い意味で非常に強気だった。
その頃、彼は何かにつけて、「金があるからな」と言っていた。
確かに、そう言われると、「なんじゃ、こいつ」とは思うのだが、見栄でも何でもなく、自信を持って言うのだから、悪い印象はないし、それどころか、非常に頼もしく感じるのである。
何があろうが、「金があるからな」で、ビクともしない感じだ。
社長である彼だけではない。
副社長以下、幹部達も、すっかり安心しており、皆、強気で仕事をしていて、確かに生意気に感じる面もあったが、弱気より強気が良いということをつくづく感じたものだ。
そして、幹部の増長に関しては、社長がうまく押さえていた。
社長の言うことは何でも実現するので、幹部達も社長には素直だったのだ。

だが、そうやって儲けていると、いろんな連中が近付いて来る。
まずは上場・・・いわゆる株式公開をする際には、証券会社が入るが、この、金にしか興味がない、そして、明日の百億円より今日の1憶円という考え方の連中と付き合うのは、そう楽しいことではない。
また、いろんな人が、いろんな投資話、儲け話を持ってくるが、銀行や証券会社、あるいは、付き合いの出来た大企業の偉い人が持ってくる話には、ある程度乗らないといけない。
そうしているうちに、大切なお客さんにサービスをすることの他に仕事が沢山出来てしまい、どうしても、サービスに落ち度も出てくる。
上場が悪いわけではないが(当然、良い面が多い)、経験豊かな知り合いがいないと、ついつい利用されてしまうことにもなる。

それで、私は、その社長の良い時のことを思い出すことにしている。
「金があるからな」
「金を作るのなんか簡単だ」
良い時代の、そんな口ぐせを、アファーメーションにしても良い。
ただし、アファーメーションは、あくまで、唱えていて楽しいと感じるものがよく、自分用に改造しても良いのである。
作家で人気YouTuberで大学教授である岡田斗司夫さんは、昔の全盛期に、『ま、金ならあるし』という本を書いていて、全8巻だが、今はKindle版が1冊100円程度で買える。そして、まあ、2~3巻まで読めば良い。今、確認したら、私も3巻までしか買っていない。多分、3巻で面白くなくなったのだが(笑)、1、2巻は非常に面白かった記憶がある。
その中で、度々、「ま、金ならあるし」とタイミング良く書かれているが、それがなかなか良いのである。
その雰囲気を掴み、「ま、金ならあるし」をアファーメーションにしても良いだろう。
実際、「お金がある」とか「なぜだか分からないが、お金がどんどん入ってくる」をアファーメーションにして唱えていたら、特に何もしなくても金持ちになったという人がいるようだ。
こういう、気楽なやり方が向いている人も多いと思う。








乙女っぽい性格だったアンデルセンの成功法

仏教では、人間には八つの苦しみがあるとするが、我々が一般的に辛いと思うのは、「やりたいことが出来ない。やりたくないことをしないといけない」ことだろう。
それなら、手っ取り早く、やりたいことをやれば良いのだが、そもそも、自分が何をやりたいのか知らない人が多い。
なぜ、自分が何をやりたいのかを知らないのかというと、学校やテレビは、国民が自分のやりたいことを分からないようにするものだからだ。

有名な童話作家で詩人のハンス・クリスチャン・アンデルセンも、そういったこと(やりたいことが出来ないこと)で大いに苦しんだ人だった。
彼は、貧しい庶民の家に生まれた。
10歳位になると、貧しい庶民の家の男の子達は工場に働きに出るものだが、アンデルセンは女の子っぽい繊細な性質で、野蛮な男の子達と一緒に何かするのは物凄く苦痛だった。
それで、働きに出るのを嫌がったが、母親がそれを容認したので、アンデルセンは家で空想に耽ったり、人形の洋服を縫っていた。
だが、庶民の家の男の子としては、15歳くらいまでには、どこかの職人の親方に弟子入りし、親方の家に住んで修行しないといけない。
しかし、アンデルセンは、職人の修行そのものよりも、職人の親方のようなデリカシーのないオッサンなど大嫌いだし、他の弟子達と「男の子っぽい」付き合いをするのも無理だった。
そこで、アンデルセンは、14歳で故郷のオーデンセの村を出て、デンマークの首都コペンハーゲンに行った。
デンマークに着くも、住むところもなく、あわや行き倒れになりかけたアンデルセンだったが、神様にお祈りしたら、住むところが与えられる流れになった。
アンデルセンは、舞台俳優になろうと思っていた。
だが、彼は別に、本当に舞台俳優になりたいわけではなかったと思う。世の中に、肉体労働以外に、どんな職業があるか知らなかっただけだろう。
それで、アンデルセンは、歌も演技も上手いはずがなく、なんとか音楽教師に歌を聴いてもらった時、その女性教師は、アンデルセンを気の狂った少年だと思って恐怖したらしい。そんな歌いっぷりだったのだ(笑)。
ところが、アンデルセンは運が良かった。
アンデルセンの父親が、大人になった時でも行きたいと憧れて止まなかったラテン語学校に通わせてもらい、さらに、大学にまで行けることになった。まあ、辛い学生生活ではあったが、大学を出られたのは奇跡だった。
そして、大学に行きながら、詩や物語を書いているうちに、作品が評価されるようになった。才能ということもあったのだろうが、小さい時から、他の子のように働きもせず、ぼーっと空想ばかりしていたのだから、妄想のレベルが違う(笑)。いわば、優秀な野球選手が数多くバットの素振りをするように、アンデルセンは妄想の素振りをしてきたのだ。
当時は、著作権だの印税だのはなかったので、素晴らしい作品を書いても、出版社に高くもない金額で作品を売ったら、収入はそれまでだった。
ところが、幸運にも、アンデルセンは、親しい人のアドバイスで、国王に謁見した際に(高くはないが)年金の受給を願い、国王はそれを許可し、以降、アンデルセンは働かなくても良くなった。
すると、アンデルセンは、生涯に渡って、船や鉄道でヨーロッパ中を旅行し続け、そして、童話や詩の執筆に精を出した。
アンデルセンは、旅とものを書くことが好きで、彼がやりたいことはそれだった。
そして、彼は伝記に、「良い人生だった」と書いたのである。
アンデルセンのことを考えると、やりたいことをやり、やりたくないことをやらないことが良い人生なのだと分かるのだ。
だが、アンデルセンも、子供の時や学生の時は、やりたくないことばかりやり、やりたいことが出来なかった。

じゃあ、なぜ、アンデルセンは、やりたいことだけ出来るようになったのか?
別に、アンデルセンの霊と交流したわけではないが(笑)、私には分かるのだ。
彼は、ある日、思ったのだ。
「もうまっぴらだ。僕はやりたいことをやる。それも、いつかじゃない。子供の時からやりたくないことばかりやって、もううんざりだ。やりたくないことはもう金輪際やらない。今すぐやりたいことをやるんだ」
なぜ、分かるのかというと、他にあるはずがないからだ。
これは、度々取り上げた、世界的セールスマンの夏目志郎さんと似ている。
夏目さんは、こう祈ったのだ。
「神様、これまでの私の人生の失敗は私の責任です。でも、これからの人生は、あなたに責任を取って欲しい」
夏目さんには、翌日、神の使い(正確には外資系企業のスカウト)が来たのである。
今、この瞬間、神の導きでやりたいことをする。
そう決意すれば良いのだと分かるのである。








私の引き寄せの力の秘密がかなり分かった

何度も書いたが、私は、自分があり得ないような奇跡を自分の意思で明確な形で起こせることから、そのやり方を出来るだけ簡単に・・・形式的とか公式とは言わないながら、単純な手法に出来ないものかとずっと思っている。
その中で、分かってきたことがある。
それは、奇跡を起こした人には、共通のやり方があるというよりは、共通の性質があるということだ。
そして、自分で奇跡を起こした時のことを考えても、やはり、共通のやり方ではなく、共通の「状態」があったのだ。
つまり、こういうことだ。
奇跡・・・つまり、出来過ぎの引き寄せは、テクニックではなく、体質の問題なのだ。
体質というのは、体の性質という意味だけでなく、精神的な特徴・・・つまり、精神性も指す。
精神性と言うと難しそうだが、これから述べるように、難しいことではない。
だが、やはり、「精神性」という言葉よりは、「体質」の方がぴったりすると思う。
この精神性という意味での体質を、「在り方」といった表現をする人がいるが、それだと抽象的過ぎて分かり難い。
実際、とても簡単なことなのだ。
だが、その体質(精神性)を直接表現しようとしたら、やはり、「在り方」なんて言葉になってしまうのかもしれない。
そこで、体質そのものの説明ではなく、その体質を作る方法について述べる。これだと、ますます、誰でも出来ると思う。

2022年4月7日、藤子不二雄Ⓐさんが亡くなられ、元・藤子不二雄コンビだった、藤子・F・不二雄さん、藤子不二雄Ⓐさんの両方が亡くなられたが、彼らの少年時代は、戦後間もない頃で、漫画の本や雑誌は非常に少なく、手に入ったものを、何回もと言うより何十回と読んだことだろう。
実は、それが引き寄せの体質を作るのだ。
今は、漫画に限らず、小説もアニメも、非常に沢山あって、同じものを繰り返し見たり読んだりすることが少なくなった。
それが、引き寄せが下手な人が多い原因のように思う。
ところが、非常に凝り性で、同じ作品を、何回も、何十回も繰り返し見る変わり者がいるが、引き寄せを無意識でやってしまうのは、そんな人達だった。
もちろん、同じ漫画を何度も読むと飽きる。
藤子・F・不二雄さん、藤子不二雄Ⓐさんらの場合、同じものを何度も読むしかなかったのだが、それでも十分楽しんでいたのだと思う。
引き寄せが上手い時の私は、まさに、そんな感じだ。

アンデルセンの自伝を読むと、アンデルセンも強力な引き寄せの力を持っていたことが分かる。
彼は、子供の時、家に一冊の童話の本しかなく、幼い時はそれを母親に読んでもらい、自分で読めるようになると、それを自分で繰り返し読んでいた。
それで、彼は、自然に引き寄せの力を身に付けたのだろう。
確認出来る限り、偉人のほとんどがそうだが(ニュートンもアインシュタインも)、別に偉人でなくても(私がまさにそうだが)、引き寄せが上手い者は、そんなことをやっているものだ。

私は、子供の時、粘着的なほど何度も、『ピノキオ』や『みつばちマーヤの冒険』を読んでいたが、その頃の引き寄せの力が強かったことは何度も書いた。
また、中学1年生の時は、平井和正さん原作の、石ノ森章太郎さんの漫画作品『幻魔大戦』をひたすら読み、やはり、あり得ない引き寄せを起こしていたのだ。
今でも、『幻魔大戦』に書かれた、ほとんどのセリフを覚えているほどだ。

読むもの、見るものは、本当に何でも良い。
ただ、精神性が低い作品は、おそらく、繰り返し読むことは出来ないが、もし、出来たとしても、そのような作品では、引き寄せの力は得られない(負の引き寄せなら出来るかもしれないが)。
引き寄せには、ある程度のモラル、道徳性が必要なことは事実である。
幸い、私が子供の時、繰り返し読んだ『ピノキオ』も『みつばちマーヤの冒険』も『幻魔大戦』も、非常に高いモラルを持って書かれたものだった。
私の引き寄せの力の秘密が、かなり分かったと思う。












家出人の鮮やかな引き寄せ

子供部屋おじさん、子供部屋おばさんという俗語があるらしいが、これは、大人になっても親の家に居続け、必然的に、子供の時にあてがわれた自分の部屋に居ることになることから、そう呼ばれるのだろう。
世の中には、いい歳をして親の家に居る者を、恥ずかしいことと蔑む者が、特に年配者に多い。
ただ、「親の家に居続けることは恥ずかしい」という考え方の元になる「独立してこそ一人前」という思想を広げたのは、実は、不動産屋や家電メーカーという話もある。
つまり、息子や娘が親の家を出てくれたら、マンションを借りてくれるし、テレビも冷蔵庫も売れるというわけである。

昔であれば、男なら、15歳にもなれば家を出て独立するのが普通で、女の場合は、一番美しい十代の中頃に嫁に行くのが普通だった。『赤とんぼ』という歌の「十五で姐(ねえ)やは嫁に行き」は、珍しいことでもなかったのだろう。
こんな昔の慣習を持ち出して、「親の家にいつまでもいるのは情けない、いや、おかしい」と言う者もよくいるが、よく考えれば、上で述べたようなことは貧しい庶民の話で、貴族のような家柄の良い家や、あるいは、親が富、地位を持っている場合は、むしろ、必要もないのに家を出るのは、親や、あるいは、親族を裏切ることになる。

野生動物の世界では、親子の関係こそ忘れ、離れるとしても、同じ群れに居ることが多く、実質、親の家にいるようなものだが、全く独立して単独で生きる動物もいる。
昔の、多くの貧しい庶民は、やはり息子は15歳くらいになったら、旅姿で、親と涙の別れをして家を出、その後、生涯、親子が会わないことも珍しくはなかっただろう。
ただ、これは、やはり相当な昔のことで、出て行く息子も、あてもなく出て行くわけにはいかないので、普通は、同じ村か近くの村の、顔見知りの職人の親方に弟子入りして、親方の家に住むといった具合だったのだろう。
ところが、あてもなく出て行くこともあり、これがなかなか興味深いのである。

野生動物では、単独で親から独立した直後に襲われて死ぬこともあるだろうが、人間だって、旅姿でさっそうと出ていった男が、あっという間に強盗に襲われて身ぐるみ剝がされたり、最悪、殺されることもあっただろう。
あるいは、一人前の男として、希望を持って出て行ったが、奉公先が見つからず、乞食に身を落とすこともあったかもしれない。
まあ、そういうことがないように、いろいろな意味で備えておくものだが、どうしても、要領が悪い・・・というよりは、はっきり言って頭が悪い者はいる。
だが、男も若いうちは見栄えが良いので、女に世話してもらい易いというのではなくても、雇ってもらいやすいものである。
これは、現代でも、そう違いはなく、独立するなら、外見が良くて好かれ易く、また、エネルギーがあって何でも出来る若い時に限るとは言える。

いずれにしても、独立のリスクというものがあり、それを恐れて、親元から離れない者は多いだろう。
しかし、あてもなく出ていった者には神の恵みがあったり、あるいは、引き寄せの力を発揮することが多いように思うのである。
例えば、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、14歳で故郷のオーデンセの村を出て、デンマークの首都コペンハーゲンに1人で行った。コペンハーゲンに親戚がいたらしいが、結局、そこには行かなかった(単に、辿り着けなかっただけだろうが)。
それで、アンデルセンは路頭に迷うが、そこで神様に熱心に祈ったらしい。
すると、裕福な奥さん達が世話を焼いてくれて、住むところや仕事を得ることが出来た。アンデルセンはこれを神の恵みであったと述べている。
ちなみに、アンデルセンは、長身ではあったが、容貌は醜く、そのせいか、生涯独身であった。

もう1つ、私が好きな面白い話がある。
著名な精神科医ミルトン・エリクソンの父親の話だ。
エリクソンの父親は16歳で家出し、あてもなく旅をしていたが、家出こそ、本物の独立と言えるかもしれない。
彼は、若かったので、別に不安もなく、たどり着いた村を歩いていた。
すると、そこに馬車が通りかかり、馬車に乗っていた男にエリクソンの父親は自分を売り込んで、その男に雇われ、さらに、その男の娘を嫁にした。
エリクソンらしく言うと、無意識にまかせて自然にうまくいったのだ。
すると、私は、さらに、こんな話を思い出した。
自動車セールスでギネス記録を持つジョー・ジラードが、30歳で初めて自動車ディーラーの販売員になった時のことだ。
ジラードは自動車販売店にいて、客が来るごとに、セールスマン達が順番に対応して車を売ることになっていた。
だが、客が入ってきた時、ジラードは自分の番ではなかったが、出て行って客に対応した。
ジラードがそんなことをしたのには理由があった。
彼は無一文で、どうしても、今日、車を売って販売手数料をもらい、家族の食べ物を買わなければならなかったのだ。
ジラードは、その時、何を言ったのか、何をしたのか、全く覚えていないと言う。
だが、車は売れ、彼は見事、妻子に食べ物を買うことが出来たのだ。
この時も、ジラードの無意識がうまくやったのだろう。
私も、セールスコンテストで優勝した時の、神がかったセールスは、無意識によるものだったと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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