芸術家は職業ではない。
よって、芸術家では食べていけない。
金持ちの芸術家もいるだろうが、その人は、芸術家であると同時に、売れるデザイナーやイラストレーターやアーチストであるのだ。器用なものだ(笑)。
自身もイラストレーター、デザイナーである横尾忠則氏は、岡本太郎をデザイナーとしては評価していたが、芸術家としては、大抵、貶していたように思う。
横尾氏は、岡本太郎の代表作と言える「太陽の塔」も、デザインは超一流だが、芸術品ではないと言う。
私もそう思う(本当に分かっているのか?笑)。
岡本太郎は、椅子やカップ、あるいは、「グラスの底の顔」なんてものをデザインしていて、それらは非常に個性的であったが、やはり、芸術作品ではなくデザイン作品と思う。
だが、彼の、オリンピック(東京、ミュンヘン、札幌冬季)記念メダルのデザインは実に素晴らしく、本当に彼は超一流のデザイナーなのだと思う。
そして、岡本太郎が人気があり、おそらくは経済的に裕福だったのも、それらデザイン作品と共に、彼のエキセントリックな言動が、今日の個性派タレントのように受けていたからだと思う。
あの「芸術は爆発だ」「今日の芸術はうまくあってはならない」等の強烈な芸術論にしても、タレント的なセリフだったのではあるまいか。
そして、それでいて、温かい、敬愛すべき人物であったのだ。
アメリカのアンディ・ウォーホルは、まず、イラストレーター、デザイナーで大成功し、「ポップアート」という、イラストやデザインと、芸術が混ざったもので、芸術家としても成功したが、やはり、根本的にはデザイナーなのだと思う。
つまり、裕福な画家になりたいなら、まず、イラストレーターやデザイナーとしての技術を持っておいた方が良いのだと思う。

アラーキーの愛称で親しまれている、自称「天才写真家」の荒木経惟(あらきのぶよし)という有名な写真家がいるが、彼も純粋な芸術家ではあるまい。
彼は昔、雑誌のインタビューで、「写真家になる方法」みたいなことを問われた時、こんなことを言っている。
「黒子に徹すること。時代に平伏(ひれふ)すこと」
まあ、彼が本当にそんなことを言ったのかどうかは分からないが、もし本当なら、これは、芸術家ではなく、超一流の写真家の姿勢であると思う。
いや、写真家だけでなく、あらゆる職業がそうなのだ。
例えば、超一流のコックというのは、決して芸術的な味を追求するのではなく、その時代、その民族の人達の嗜好に平伏し、黒子に徹するのである。
「俺はこの味が良い」と言ったところで、裕福なお客様達に好まれなければ、料理人として成功することは出来ない。

岡本太郎は、『バガヴァッド・ギーター』10章で言われるペテン師だった。
『バガヴァッド・ギーター』を読めば、それは、貶しているのではなく、最大の賛辞であることが解ると思う。
「ぺてん師たちの賭博」(岩波文庫。上村勝彦訳)
「だましの中の大賭博」(タオラボブックス。田中嫺玉訳)
「詐欺の中の賭博」(日本ヴェーダーンタ協会)
これは、至高神クリシュナのことであると、クリシュナ自身が、アルジュナに述べたことである。
太郎には、敢えて騙されても良いだろう。
英文学者でタオイスト(老荘思想家)の加島祥造氏が、「老子は嘘つきで、荘子は大嘘つき」と何かの本に書かれていたが、彼も騙されて本望なのだろう。













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