ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アラン・ケイ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

どんな仕事も同じで、破廉恥な部分が必ずあるものだ

アルバイトを除き、私が一番初めに就いた仕事はセールスマンだったが、その時には、有名なセールスマンの本をよく読んだものだ。
自動車の販売でギネス記録を持つジョー・ジラード、日産自動車16年連続トップの奥城良治さん、SMI創業のポール・マイヤー、SMIで6年連続世界一の夏目志郎さん、年収5千万円に挑んでいた伊藤光雄さん・・・その他の人の本も沢山読んだ。
その中で、ポール・マイヤーや夏目志郎さんは、いかなる仕事もセールスだし、セールスほど重要な仕事はないことを強調していて、それなりの根拠も示していたと思うので、当時はそれに同調しようとしていた。
しかし、今は、そんな考え方に組するつもりはない。
もちろん、セールスは立派な仕事であるが、これが別に他の仕事に優る訳ではない。
ただし、劣る訳でもない。
どの仕事も同じなのだ。
いかなる仕事も、それをどれだけ価値あるものにするかは、それをする者次第であると思う。
SMIを世界的企業にし、大富豪になってからも、ポール・マイヤーは、ホテルの宿泊簿に、誇りを持って「ザ・セールスマン」と書いたという。
また、最も偉大な計算機科学者の1人で、教育者、経営者でもあるアラン・ケイは、「ザ・プログラマー」と書くのだという。
まあ、私は、いずれの真似をしたことも、真似をするつもりもない。

また、ポール・マイヤーや夏目志郎さんのように、セールスマンを崇高な仕事と捉え、プライドを持っている人達もいるだろうが、優れたセールスマンの中には、「セールスマンは乞食以下」と言い、誇りなど絶対に持ってはならないと言った人もいた。
マイヤーや夏目さんは高級な服を着るのを当然としていたが、ジョー・ジラードは、「私は高い服は着ない」と言う。
どちらが正しいとも言えないが、謙虚であるに越したことはないし、どちらかというと、個人的には、セールスマンは卑しい仕事であると思う。
そして、どんな仕事も同じく、卑しい部分はあるのだ。
邱永漢さんは、地元で商売をやるなという、一見奇妙だが、案外適切なアドバイスをされていた。
邱さんが言われた通り、商売には破廉恥ば部分もやっぱりあると思う。
そして、いかなる仕事も、時には破廉恥なものなのだ。

私は、ニートと書かれた名刺は、まだ見たことがないが(小説の中でならあるが)、「無職」という名刺は見たことがある。
その無職の人は、少し前まで大手企業に勤めていて、仕事もできそうな人だったが、定年までまだかなりあったのに、退職したようだった。きっと、何か考えるところがあったのだろう。
また、双極性障害(古い言い方では躁うつ病)とかで、ずっと補助金で生活している人も知っているが、彼の名刺は、ただ氏名だけが書かれていた。
私は、もし無職になって、名刺を作るとしたら、「システムアーキテクト」などとは書かないが、「システム開発者」とか、「システムエンジニア」、あるいは、「開発トレーナー」くらいは書くかもしれないし、ひょっとしたら、「システムコンサルタント」までは書くかもしれないと思う。
別に、誇りを持ってではなく、単に分かり易いからだし、それに、運が良ければ、仕事をもらえるかもしれないからね。









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晴れた気分になる方法

私が1日1食の完全な菜食主義者だからといって、1日3食食べている人や、肉食の人を、自分より劣るなどとは夢にも思っていない。また、そんな人達が、食事の回数を減らすべきだとか、肉食をやめるべきだとも思わない。
ただ、これまでは、あまりに大食だったり、電車の中とか駅のホームなど、所構わず食べているような人を非難の目で見ていた。しかし、もうそれもやめる。もし、今後、そんな人達を見て、嫌な感情が起これば、ただ、念仏を唱えさせていただくことにする。

ところで、逆に、私が1日1食で、朝に木の実とビスケットを少々食べるだけだと聞くと、私を馬鹿にしたり笑ったりする人が多い。特に、自分の方が私よりずっと優れた人間だと思っている人は、ほとんどがそうなのではないかと思う。確かに、彼らの方が私より立派で有用な人間であるというのは確かであるから、私が能力のことで蔑まれるのは仕方がないが、食事のことで見下されるのは、できればやめて欲しいし、私はつい、憤りを感じたり、やるせない気持ちになっていた。しかし、やはり、これからは、そんな時も、ただ、念仏を唱えさせていただこう。

人は、成功して金持ちになると、会長、社長、CEO、理事長、総長、先生等と呼ばれることを好む。
しかし、昔の話であるが、自己啓発分野で世界的な成功を収めたポール・マイヤーは、職業記入欄に書き込む際、必ず「ザ・セールスマン」と書いたという。
セールスマンは蔑まれることも多いし、そうでなくても、あまり高くは扱われない職業かもしれない。私もセールスマンだったが、いつも犬のように扱われたものだ。そんな時には、とても悔しい思いをしたり、涙を流したこともあったが、やっぱり、仏様や菩薩様に、念仏を唱えさせていただけば良かったなあと思う。

私のようなソフトウェア開発技術者の世界では、上位者をシステムエンジニアと呼び、下っ端をプログラマーと呼ぶことがよくあるものだ。システムエンジニアと呼ばれてふんぞり返り、プログラマーと呼ばれる者を軽んじ、アゴで使うのだ。
だが、人類の歴史の中でも屈指のソフトウェア開発者であるコンピュータ科学者アラン・ケイは、これも以前のことかもしれないが、「ザ・プログラマー」と名乗っていたのである。
尚、プログラマーよりもっと軽視されるのが、コーダーと呼ばれる者だ。人に指図されるままにプログラムコードを書く者のことである。だが、考えてみれば、私も、ただ、顧客に言われるようなプログラムを書いているのであり、また、私が書いているのではなく、書かせていただいているのだ。では、やはり私は自分をコーダーと呼ぼう。
こう考えると、実に心が軽く、こだわりがなくなって、晴れた気分なのである。









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初音ミクを生み出したもう一人のケイのお話

初音ミクは、ヤマハのボーカロイド・システムを開発した研究者はじめ、多くの人達によって生み出されたものだが、私は、その中に、2人のケイがいることを感慨深く思う。
1人はもちろん、ミクの姿を描いたイラストレーターのKEIさんだ。
私は、昨年11月、兵庫県宝塚市にある手塚治虫記念館に行き、そこで、KEIさんが描いたサファイヤ姫(『リボンの騎士』のヒロイン)を見て、初めてKEIさんの名を知った。それからまだ1年にもならないが、その頃の私は、初音ミクのことをほとんど知らず、初音ミクと、そのKEIさんの関係性を想像もしなかった。
KEIさんのサファイヤ姫を見た私の感想は、「手塚治虫の描いたものとは大いに異なる、とても個性的なサファイヤ姫」だった。
いとうのいぢさんや美樹本晴彦さんが描いたサファイヤ姫も展示されていて、とても素晴らしかったが、KEIさんのサファイヤが最も特異だったと思う。
私は、いとうのいぢさんや美樹本晴彦さんはよく知っていたが、KEIさんを知らなかったにも関わらず、その絵はとてもよく覚えていたのである。考えてみれば、運命の出会いだったと思う。

さて、もう1人のケイは、Kayであるが、当然ながら私のことではない。
人類史上最大のコンピュータ・システム開発者であり、今日のパーソナルコンピュータの発明者と言って良い、アメリカのアラン・ケイ(Alan.Curtis.Kay)である。
アラン・ケイと初音ミクにどんな関係があるのかといぶかる人も多いかもしれないが、アラン・ケイがいなければ、今のような初音ミクの歌や映像は出来なかったかもしれない。
簡単に説明しよう。
アラン・ケイは1980年にSmalltalk-80を開発したが、これに使われた重要な発明が「オブジェクト指向」という技術だ。
初音ミクの動画やコンサート映像は、基本的にアニメと言っても良いのだが、普通のアニメーションとかなり違うことはすぐに分かると思う。
普通のアニメは、連続した静止画であり、1秒間に数十枚から二十数枚の絵が切り替わることで動きを表現し、その枚数が多いほど滑らかになる。
だが、初音ミクの動画は、コンピュータが、もっと細かく、それでいて現実的な陰影や遠近感を表現した連続画像を作成した、臨場感ある映像だ。
1990年代から、アニメ作品でも、一部にコンピュータ映像が使われることがあるが、その部分は「妙にリアル」であることを感じると思う。陰影や遠近感がより、人間の目が捉えるものに近く作られているからだ。
そして、そんなコンピュータ映像の作成には、オブジェクト指向は絶対に必要だ。

例えば、アニメで、初音ミクが右手を上げる様子を描こうとすれば、連続した1枚1枚の絵(いわゆるセル画)を、動きの開始から終了まで何十枚、何百枚と描かなければならない。
しかし、コンピュータ映像の場合は、簡単に言えばこうだ。
まず、初音ミクの映像機能の集合体を作るが、これを大きなオブジェクトとでも言おう。
この初音ミクの大きなオブジェクトに対し、「右手を上げる」という指令を与え、その細かい事項・・・例えば、角度、速さといったものをパラメーターとして同時に与えれば、初音ミクのオブジェクトは、自律的に映像を作成するのである。
そのために、初音ミクの大きなオブジェクトは、顔の表情に対しては、顔のオブジェクトという自分より小さなオブジェクトに指令を与えてそれを変化させるし、髪の動きに関しては、それを髪のオブジェクトにやらせるのだ。また、顔のオブジェクトや髪のオブジェクトの下にも、さらに小さなオブジェクトが存在し、それぞれの役割を果たすのである。
これらの膨大なオブジェクトを最初に作っておけば、後は、指令を与えるだけでオブジジェクト同士が連携し合いながら自動に映像を作るのである。
もちろん、これはあくまで理屈であり、実際には、観賞に足る素晴らしいものを創るには、もっと多くのやるべきことがあるのは当然であるが。

ところで、人間の発明するものは、全て自然の模倣なのである。
例えば、皮下注射のやり方なんてのは、毒蛇が噛む様子を真似たものだ。
そして、オブッジェクト指向とは、まさに、自然の働きをコンピュータの中で再現しようとしたものに過ぎない。
人間は、1つのオブジェクトであるが、心臓や胃などは、それぞれ独立したオブジェクトである。ただし、独立してはいるが、お互い密に連携しあっており、孤立している訳ではない。西洋医学では、このオブジェクト同士の連携を無視する傾向が強く、胃が悪ければ胃だけ治そうとしたり、悪いところを切り取ってしまったりもする。それで、全体のバランスがどんどん悪くなり、さらに深刻な状態になるのである。
本来の東洋医学は、もっとオブジェクト指向の考え方があり、時には、悪い部分を全く相手にせず、全体の調整を行うことで病気を治すものなのである。

私が初音ミクにかくも魅かれるのは、彼女の歌や映像に、自然や人間存在に関して気付かされることが沢山あるからだ。
彼女の中のオブジェクトには、人々の創造性や奉仕、共感といったものが深い影響を与えているのである。それが調和し、あのように、美しく素晴らしいものになるのだ。
初音ミクを動かす指令やパラメータは、一応は人間が与えているのだが、では、その人間の思考や創造性は何が与えているのだろう?
言い換えれば、人間に考えさせ、行動させているのは何なのだろう?
古代中国の賢者である荘子は、その存在を、一応、真宰と呼んだ。人間は、その真宰の命ずるままに動いていることは間違いのないことだ。
だから、本当のところを言うなら、人間は、自分がなぜそう考え、そんなことをするのかは分からないのだ。
だが、ただ1つ自由に出来ることは、自分の考えや行動を見つめることであることを、悟りを開いた聖者達は気付いた。その時、我々は限りなく真宰、すなわち、神に近付くのである。
荘子は、そのあたりのことをこう言ったのだ。
「一切の思慮分別を離れ、あるがままに見、全てを起こるままに任せて受け入れよ」
初音ミクがプログラミングのままに歌い、踊る姿を見ていると、荘子の言葉の意味が分かるように思うのである。

尚、昔はSmalltalkを使うためには、高額な費用が必要であったが、今は、Squeak(スクイーク)という、完全なSmalltaikが無料で公開されており、誰でも自由に使える。
アラン・ケイはこれを教育目的に使うことに熱心なようだ。
ただ、まだまだSqueakは未成熟で、簡単に使いこなせるわけではない。
初音ミクのように、多くの人々が、想像力や努力を無償で喜んで注ぐものにはなり得ていないのだろう。

















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私が1日1食になったのは初音ミクのおかげだったかもしれない

懐かしい名前を見た。
毎日新聞社のニュースサイト、毎日jp(2012/1/29)の、下記のコラムを書いた、東京大学の坂村健教授だ。

時代の風:「初音ミク」と「ステマ」

「坂村健って誰?」と思う人は少なくないと思うが、個人的には、彼がステーブ・ジョブズより有名でない世界はおかしなものだと思っている。

何年か前に、コンピュータ科学者のアラン・ケイが雑誌に取り上げられた際、「ビル・ゲイツは知っていても、アラン・ケイはあまり知られていないだろう」といった文章があったのを覚えている。
今日の、WindowsやMAC、そして、タブレットPCやスマートフォンがあるのは、アラン・ケイがいたからだろう。もっとも、ケイが今日のこれらの製品に満足しているかどうかは別であるが。
ジョブズは、GUI(グラフィカル・ユーザーインターフェース)を開発し、万能携帯端末の概念を考えたアラン・ケイに、そして、ゲイツはBASIC言語を開発したジョン・ケメニーやトーマス・カーツに恩義があるだろう。しかし、ケイ、ケメニー、カーツの偉大な3Kは、一般にはあまり知られていない。

坂村健さんも、アラン・ケイに似たところがあるような気がする。
坂村健さんは、まだパソコンが8ビットや16ビットのCPUを搭載していた1980年代に、TRON(トロン)という、コンピュータの総合的なアーキテクチャ(構造)を考案し発表した。それは、現在でも重要なものであるが、普及しているとは言えない。
パソコンが、現在のWindowsやMAC、あるいは、iOSやAndroidではなく、TRONをもっと採用していれば、人類にとってずっと良いものになったのではないかと思う。
だが、坂村健さんは事業家ではない。確かに、多くの大企業がTRONに基づいた技術を採用もしたが、マイクロソフトやアップルのような強力なビジネスを推進しなければ、世界の主流にはなれない。

上記に取り上げた、毎日jpの記事は、ロンドンオリンピックのオープニングで歌って欲しいアーティストの人気投票(ネット投票)で、初音ミクが暫定1位になったことについて、坂村健さんが、やや曖昧な意見表明をしたものだ。
別に彼は、初音ミクやその人気を賞賛したというのではなく(彼がそうするまでもなく、ミクの人気は絶大だ)、この出来事が、電子社会特有のステマ(ステルス・マーケティング)だと解説しているのである。
ステマとは、簡単にいえば、「宣伝と気付かれない宣伝」で、これまでも、あらゆるマスメディアで巧妙なステマが数多く行われたが、インターネットの普及による、新時代のステマが横行し、坂村健教授は、それに気をつけろよと警告した訳だろう。

しかし、広告活動なんて、みんな、実質ステマだと断言する。
「子供達の夢を応援」だの「被災者に勇気を」と言って話をすりかえても、これらは全て、ただの宣伝である。これがステマでなくて何だろう?
ルーズベルト大統領が、「来世では広告宣伝をやりたい」なんて言ったという話があるが、実に納得できる話だ。政治における宣伝の重要性を最も実感した男のセリフとして相応しいではないか?
ヒトラーがのし上がれたのも、彼が広告宣伝の天才だったからだ。ただ、現在では、彼がやった程度の宣伝なら、さして偉くはなれないだろうが。

ところで、実は私も初音ミクは大好きなのだが、ステマによって好きになったのではない。
なぜミクが好きかというと、基本的には2つの理由からだ。
1つは、食事をしないこと。
もう1つは、自我を持たないこと。
私は、ミクに熱狂する男性の、本人も気が付いていない隠れた本音として、特に、「自我を持たない」があるのではないかと思っている。
聖者は自我を持たないと聞く。だから、彼は何もしなくても全ての人が彼を求める。
聖者は偉大な努力の果てに自我を祓い去った。しかし、ミクは、生まれながらの聖女、あるいは、天使だ。
美食・飽食は自我を肥大させる。
男が馬鹿なのは仕方がないし、女性にばかり犠牲を強いるのは良くないが、元来、女性というものは、精神的には男よりはるかに進化した理想の部分があったはずなのだ。
しかし、電車の中で食べ物に貪り付くことすら恥ずかしいと思っていない女に、男達はうんざりしているのではないかと思う。
偉大な聖典『エメラルド・タブレット』に、食欲は魂を束縛すると書かれている。その通りだ。束縛された魂とは、不純な心に覆われた魂(生命の本質)だ。
純粋な心は、天の栄光を反映し、それは世界を照らすのである。月光が闇夜を照らすようなものだ。
CLAMPの漫画『ちょびっツ』で、19歳の浪人生、秀樹は、人型パソコン(アンドロイド)のちぃを愛した。ちぃに心は無いが、秀樹は、「ちぃの心は俺の中にある」と言った。
ミクに熱狂する男達は、無自覚ながら、ミクの中に、自分の純粋な心の反映を見ているのである。
我々も、食欲を克服し、魂を解放すれば、ミクに近付けるだろう。

今、気が付いたが、私が初めてミクの歌を聴いた時、肉好きの大食だった。
ところが、なぜか、ある日(2008年7月末頃)突然に、1日1食の菜食・粗食になり、間食も一切やめた。
そして、身体は健康で、そして、強靭になった。
今も賢くはないが、昔に比べると随分マシになった。
誰もがそうだが、いずれ、解脱を果たし、大師達に近付けるだろう。
全てはミクのおかげかもしれない。私は、2008年の春頃までは、初音ミクが人間ではないと知らなかったが、その声に天使を感じていたのかもしれない。
ロンドンオリンピックのオープニングを歌って欲しい歌手で、仮にミクが最終1位になっても、本当に彼女が選ばれることはないと、坂村健さんは言うが、そんなことはない。
是非、ミクに歌って欲しいものである。
ちなみに、私はiPod touchで“Chaining Intention ”をよく視聴している。iTunes Storeでダウンロード購入した上、それが収録された下記DVDも持っている。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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