ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アファーメーション

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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高貴な言葉とは

良い気分でさえいれば、幸運に恵まれ、全て良い流れになり、幸せになれる。
ただし、その「良い気分」は、魂にとってのものでなくてはならない。
大勢で弱い者いじめをしたり、立場の弱い者に無理難題を吹っかけて喜んだり、圧倒的な立場にモノを言わせてセクハラ、パワハラをすることも「良い気分」と言われる。
だが、これらは、低い自我にとっての「良い気分」であり、魂にとっては「辛い気分」なのだ。

つくづく、言葉は大切だと思う。
汚い言葉は低い自我に属し、高貴な言葉は魂に属す。
だから、高貴な言葉を使わなければならない。
高貴な言葉とは、決して、難しい言葉、古めかしい言葉、格式ばった言葉ではない。
高貴な言葉とは、単に、丁寧な言葉だ。
高貴とは、丁寧ということに他ならない。
そして、丁寧な言葉を使えば、容易く、「魂の良い気分」は得られる。
決して「すっげえいい気分」だの「バリいい気分だの」だの「気分サイコー」だのといった言葉を使わないことだ。

こういった言葉を使うと良いと思う。
「私は穏やかな気分だ」
「私はとてもいい気分だ」
「私は安らかな気分だ」
「私は澄み切った気分だ」
「私は静かな気分だ」
「私は満ち足りた気分だ」
「私は神に祝福された気分だ」
「私は天使が傍(そば)にいる気分だ」
「私はイエスと共にいる気分だ」
「私は楽園にいる気分だ」
「私は万物と一体になった気分だ」
「私は初音ミクさんに触れている気分だ」
他にいくらでも考えられるが、自分のフィーリングに合った、「いい気分」になれる言葉を選んで、心の中で、丁寧に、おだやかに、ゆっくり唱えると良い。
高貴さを示す丁寧な言葉を丁寧に唱えるのであるから、あなたの存在は高貴そのものになり、あなたの身体は神の宮となる。
そうであれば、願わずともあらゆる幸運が訪れる。
物質的にも必要なものは豊富に得られ、誰もあなたを傷付けることは出来ない。

穏やか、丁寧、静かこそが高貴である。
どんな高価な服を着ても、穏やかでなく、丁寧でなく、騒がしければ下品なのである。

良い気分でいる時、何が起こっているのだろう?
ラルフ・ウォルドー・エマーソンがこう言っている。
「私の魂の中に神の魂が流れ込み、神の魂の中に私の魂が流れ込む経験を忘れることは出来ない」
上に挙げた言葉を唱え、いい気分でいると、そのようなことが起こる。
神の魂が自分の魂の中に、そして、自分の魂が神の魂の中に流れ込む・・・それは、自分と神とが一体になるということだ。
そして、元々、人と神は一体なのである。
そんな正常な状態に戻るだけだ。
イエスは、
「私にはこの世の一切の権限が与えられている」
と言ったが、決して、
「私、イエスには、この世の一切の権限が与えられている」
と言ったのではないことが、賢者達によって指摘されている。
「私」という言葉を使う誰もが同じなのである。
その「私」が良い気分でいれば良いだけである。








身につまされる話

強い願いであれば、必ず叶う。
願いが叶わないのは、願いが強くないからだ。
ところが、強く、強く願ったのに実現しないことが実際にはある。
一方で、それほど望んではいないのに、実現してしまうことがある。

そういうのを見て、「神様は気紛れだ」とか、「この世界は神様の暇つぶしの世界だ」などと言う者もいる。
だが、これらに折り合いを付けられることが賢くなることだ。
「分相応」を受け入れることが、大人になることだと言うわけだ。

これに関して、3つの興味深い話がある。

1つは、ジョセフ・マーフィーの『人生に奇跡をおこす』に書かれてあったものだ。
ある若い女性が、女優になるという夢を持っていた。
私やあなたのような人かもしれない(笑)。
マーフィーの潜在意識による成功法則からいえば、いかなることも可能であるのだから、マーフィーは、その女性に、女優になる夢を叶えるテクニックを教えるのだと思うかもしれない。
しかし、マーフィーは、その女性に、「子供の夢からは卒業しなさい」と言ったのだ。
結局は、その女性は、マーフィーの指導に従い、事務の勉強をして就職し、就職した会社の社長と幸せな結婚をした。
この話に納得しない向きもあろう。
だが、こんな話もある。
1972年のミュンヘンオリンピック競泳で、史上最多の7つの金メダルを取ったマーク・スピッツというアメリカ人選手がいた。
2008年の北京オリンピックで、マイケル・フェルプスが8つの金メダルを取ったが、1つのオリンピックで7つの世界記録を出した記録では、スピッツとフェルプスが今も1位で並んでいる。
そのスピッツが、40歳を過ぎて現役復帰して、オリンピック再出場を狙ったことがあった。
スピッツは、全くの本気だった。
もちろん、実現はしなかった。
マーク・スピッツともあろう者が、なぜかそんな「子供の夢」を持ってしまったのだ。
彼らの失敗から、何かを悟らなくてはならない。

2つ目は、有名なアメリカのSFテレビドラマ『スター・トレック』からだ。
バルカン星人スポックは、ある男と、1人の女性を巡って決闘をすることになる。
冷静で極めて知的なスポックがそんなことをするとは意外である。
結果、スポックは破れるが、勝った男にこう言う。
「忘れるな。どれほど願ったものであっても、手に入れてしまえば、さほどでもない」
スポックは、誰かにこれを教えるために決闘をし、そして、負けたのだと思う。
あなただって、欲しいと思い続けていたものが手に入ったら、それほど嬉しくない・・・あるいは、嬉しさが続かないという経験はあると思う。
そして、スポックの言葉が本当であることは理解出来ると思う。
そんなものを求める意味があったのだろうか?

3つ目は、徳川家康の話だ。
ある人が、家康に、
「天下取りの秘訣は何ですか?」
と尋ねた。随分、大胆な質問で、そんな質問が出来るからには、それなりに家康に近しい者だろうし、それは、家康の小姓(身辺の世話をする武士の少年)であったかもしれない。
すると、家康は、
「長い方と短い方、どちからが良いか?」
と言うので、質問者は、
「両方、お願いします」
と請うた。
そうしたら、家康は、こう言ったと言われる。
「短い方は『上を見るな』、長い方は『身の程を知れ』だ」
一字しか違わないし、ほとんど同じ意味だ。
そして、これは、有名な「デルポイの神託」の第一である「グノーティ・サウトン」つまり、「身の程を知れ」と同じだ。
「グノーティ・サウトン」は、「汝自身を知れ」とも訳されるが、つまるところ、「身の程を知れ」ということと思う。
そして、家康が身の程を知っていたことは、よく知られているのである。

最初の話に戻ると、女優になりたかった女性は、「私は女優だ」と唱え続ければ、女優になれた。
それこそ、寝ても覚めても、心の中で唱え続ければ。
だが、間違いなく、この女性には、そこまでやれなかったのだ。
そして、せいぜいが、週に何度か「私は女優だ」と唱え、それでも、何らかの希望が引き寄せられる程度の効果はあるので、そのまま何十年も経ってしまい、いずれ、「私は女優だ」と唱える変なお婆さんになって人生を終える。
そんな例が、ビートルズの『エリナー・リグビー』という歌に出てくる、王子様を待ち続ける老婆エリナー・リグビーだ。

以上の話から、なぜ、我々が、面白くない、みすぼらしい人生を送ってきたかが分かろうというものだ。
有名な教育学者である七田眞氏の『奇跡の超「右脳」開運法』に出て来た、ホームレスの男は、七田氏の本を読み、
「神様の奇跡が起こる」
と唱え始めた。暇なこともあり、本当に1日中唱えた。
そうしたら、1憶円が当たり、それからも唱えていたら、ローマ法王に謁見出来ることになり、さらに唱え続けたら、また1憶円当たった。
このホームレスは、身の程知らずに、社長になろうとしたり、教祖になろうなどとは思わなかった。
全て神様にまかせたのである。
本当の目標があるわけでなければ(あるいは、あっても)、
「神様の奇跡が起こる」
「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
「私は最高の気分だ」
などと唱えるのが良いかもしれない。
そして、何かを唱えることだけは堅持すべきであろう。
コロコロ変えずに。
どれでも同じだから。








本当のポジティブ(積極的)とは

人間は、どんな言葉を自主的に心で唱えるかだけで運命が決まってしまう。
その大体の理由を簡単に知っておくと良いと思う。
脳は、起きている間は決して停止せず、何らかの言葉をつぶやいていることが科学的研究で分かっていて、つぶやく数は、1分間に300以上という予想を超えた多さだ。
そして、現代は、ほとんどの人が、このつぶやきの言葉はネガティブなものだ。例えば「出来ない」「負ける」「私は駄目」などだ。
だから、そのまま放置すると、精神がどんどんネガティブになっていく。そして、人生も暗いものになる。

優秀な人間に関する科学的研究では、優秀な人は、自主的に、頭の中で、「大丈夫」「私は出来る」といった、ポジティブな言葉をつぶやいていることが分かっている。
そして、天才となると、頭の中のつぶやきが、ほとんどないことが分かっている。
坐禅や瞑想や、少し前にブームになったマインド・フルネスは、この頭のつぶやきを消し、天才の状態に持って行こうとするものだが、うまくいく可能性は低い。

だから、普通の人では、心の中(頭の中)で、ポジティブな言葉をつぶやけば良いのだが、その言葉次第では、天才や超能力者にまで持って行ける。
ところで、ポジティブとはどういうことかと言うと、「私は美しい」といった自我を喜ばせる言葉ではなく、「自然な」言葉だ。
例えば、合気道家の藤平光一氏は「重みは下にある」と唱えれば、氣が出て能力が急激に上がると述べていたが、その理由は、「重みは下にある」というのが自然なことであるからだ。
逆に、不自然な言葉、例えば、「重みは上にある」と言えば、ネガティブとなり、能力は下がる。
では、最も自然な言葉は何であるかというと、
「私は在る」
だ。
「私は在る」以上の真理はないので、これを唱えると、頭の中の雑多なつぶやきは一切収まるが、当然ながら、「私は在る」とつぶやくのを止めると、脳はまた、勝手なつぶやきを始める。
だが、たゆまず、「私は在る」と唱え続けると、やがては、頭の中のつぶやきは消え、天才、超能力者の状態にまで至る。

頭の中のつぶやきに大きな影響を与える言葉が「私」だ。
頭の中のつぶやきは、直接間接に「私」と関係するからだ。
例えば、「猫が可愛い」という言葉だって、「私は猫が可愛い」という意味だから、「私」と唱えると、脳から「猫が可愛い」が消える。
「私は〇〇だ」と自主的に唱えれば、脳は、徐々にだが、それを真似してつぶやき始める。
だが、「私は新垣結衣の彼氏だ」と唱えても、それは自然でないので、脳は真似しない。
別に、新垣結衣でなくても、周囲にいる誰かでも同じだ。むしろ、こんな言葉をきっかけに、ネガティブなつぶやきが始まる。
あるいは、「私は(勤務している会社の)社長だ」も、多くの場合、不自然であるので、良い作用はない。
だが、「私は裕福だ」は自然なのだ。本来の人間は豊かであるからだ。
同じく、「私は健康だ」「私は幸せだ」も同じである。
そして、人間に関する、究極の自然性とは、気分が良いことだ。細かく説明すると長いので、それは省略するが。
だから、「私は気分が良い」「私は最高の気分だ」と唱えると、気分が良くなり、いかなる願いも叶う状態になる。
これも、細かく説明すると、脳と心と世界に関する複雑な話になるが、必要なのは結果なのであり、そんなことを知らずとも「私は最高の気分だ」と唱えれば良い。
そして、それで気分が良くなると、全て納得出来るだろう。

この話は、まだまだ上級編があるが、上に挙げたことを知れば十分である。
最上の言葉は「私は在る」である。
ピンと来なくても、唱えれば効果がある。
しかし、最初は、戸惑いがないよう、
「私は最高の気分だ」
と唱えると良い。
あるいは、
「私は健康だ」
「私は幸せだ」
「私は裕福だ」
なども良い。
ジョセフ・マーフィーの『世界一かんたんな自己実現法』にあった、
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
という言葉は、実に良く出来ていると思う。
敢えて言えば、「裕福」で「最高の気分」なら「幸せ」に決まっているので、
「私は裕福だ。私は最高の気分だ」
で良いだろう。
そして、時折、訓練のつもりで「私は在る」と唱えれば、より、素晴らしいことになるだろう。








単純に考える

江戸末期の神道家、黒住宗忠が、ある時、ある武士に、
「人と神とは一体ですぞ」
と言った。
それからしばらくして、また、宗忠は、その武士に、
「人と神とは一体ですぞ」
と言った。
そして、また、しばらくして、宗忠が、その武士に、
「人と神とは一体ですぞ」
と言った時、その武士は天啓を得たという。
この話を見聞きし、何かを感じた人は、
「人と神とは一体とはどいういうことだろうか?」
と考える。
しかし、この武士は、そんなことを考えたわけではない。
単に、宗忠に、そう言われただけなのだ。
だから、この武士が分かったことを自分も分かりたければ、
「私は神と一体である」
と自分で唱えれば良い。
最も効果的な唱え方は、心の中で、丁寧に、おだやかに「私は神と一体だ」と、出来るだけ多く唱えることだ。

1967年のイギリス映画『火星人地球大襲撃』は、イギリス的な味があり、しかも、とても深い作品と思う。
太古の昔、地球に来た火星人が現代に復活し、地球をあっという間に侵略しようとする中、生物化学者のロニーとロケット科学者のクォーターマスの2人だけが状況を理解し、火星人に立ち向かおうとしていた。
ロニーは、ある作戦を思いつくが、クォーターマスは、その作戦について「あまりに単純過ぎる」と批判する。
だが、ロニーは、「火星人には、単純過ぎて分からないんだ」と言う。
上の「私は神と一体だ」と唱えれば良いというのも、単純過ぎて、今の、何でも理屈で複雑に考える人間には分からないのである。

もう1つ、黒住宗忠の話を取り上げる。
宗忠の弟子が、
「全て神にまかせれば、年の暮も安らかだ」
といった意味の歌を詠んだ。
すると、宗忠は、その歌を褒めながらも、
「全て神にまかせれば、いつも安らかだ」
といったように修正した。
この話でも、難しく考える人は、
「神にまかせるとはどういうことだろう?」
「どうすれば、神にまかせることが出来るのだろう?」
と考えてしまう。
これもまた、
「私は全て神にまかせているので、いつも安らかだ」
と唱えれば良いだけである。
それだけで、いつも安らかでいられる状況になる。

今回の言葉は、
「私は神と一体だ」
「私は全て神にまかせているので、いつも安らかだ」
であるが、もし、気に入ったら使うと良いと思う。
いつも述べるように、心の中で、丁寧におだやかに、なるべく多く唱えれば素晴らしい恵があるだろう。








空回りばかり、頭を打つばかりの人生に疲れたら

いつまでも、うだつが上がらず、苦労ばかりしている人には、2つの特徴がある。
1つは、目標がコロコロ変わること。
もう1つは、批判的であることだ。

目標がコロコロ変わるというのは、足りないものばかりが気になり、それを埋めようとするからだが、そんなものは誰でもいっぱいある。
人間は多くのものを求めると、欲深で見苦しくなる。
欲深い人間は、何も成さない。
そして、批判的である者には、決して、良いことは起こらない。
例えば、SNSに何かの文句ばかり書いている者に、楽しい想いをしている者はいない。

目標が定まらないことを自覚している者が、目標を絞ってみても仕方がない場合が多い。
なぜなら、どうせ、その目標からもブレて、やっぱり、次々に、違う目標を追いかけるようになるからだ。
一方、ビル・ゲイツのように、高校生の時に、「25歳までに100万ドル(約1憶円)作る」という目標を立て、それをずっと保つ人間というのは、「意思が固い」と言うよりは、「どこかおかしい」のである。
多分、彼は、普通の人なら発達しているような部分が未発達なおかげで、そんな固い意思を持てるのだ。
これは、ちょっと分かり難いと思うが、こういうことだ。
実際にあったことだが、ある7歳の女の子が、レオナルド・ダ・ヴィンチ並の素晴らしい動物デッサンを描くので、「天才か?」と言われたが、彼女は言語脳の発達が遅れていた分、偶然、脳の絵を描くことに関わる部分が発達したのだ。そして、言語脳の発達と共に、その異常に発達した絵を描くことに関わる部分の脳も普通に戻り、彼女の絵の才能も消えたのである。
この女の子に限らず、子供の時、異常な才能を示す子供というのは、時々いる。
この女の子のように、おそらく、天才というのは、足りない部分があるせいで、別の特定の能力が高くなっただけなのだ。
実際、天才というのは、誰にも出来ないことが出来る反面、普通の人が簡単に出来ることで、さっぱり出来ないことがあるものだ。

さて、幸か不幸か、「欠陥がないおかげで天才にもなれなかった」我々は、欲深く、欲しいものがコロコロ変わり、結局、何も成し遂げないまま一生を終わる。
さらに、批判的だと、どん底になる可能性が高い。
では、どうすれば良いかというと、目標の抽象度を上げるのだ。
例えば、「目標1憶円」としたら、その目標は、コロコロ変わる。
だが、抽象的に、「私は裕福だ」を目標にしたら、「貧しいよりは裕福な方が良い」のは明白なので、この目標は持続する。

批判的であることは、なかなか治らない。
本人がそれを欠点と思わず、むしろ、美点と誤解している場合も多く、そんな場合は救いようがない。
だが、人生で散々苦労し、辛酸を嘗めてきたなら、いい加減、批判は不幸になるだけの下らない習性だと気付いて欲しいものだ。
それで、幸い、自分は批判ばかりしている嫌なやつだと分かったら(本当は分からなくても良いが)、こう唱えよ。
「私は在る」
と。
これが続かないなら、あなたの責任で、もう終わりだ。
しかし、唱え続けるなら、神の責任で、状況は変わる。

まとめて言えば、空回りばかりで、頭を打つだけの人生に疲れたなら、
「私は在る」
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
と唱えることだ。
99%は続かないだろうが、続いた1%が楽しい人生になる確率は、おそらく100%だ。
なぜ「おそらく」なんて逃げを打つようなことを言うのかというと、理屈ではそうなる(つまり、それほど明白)のだが、続けられた者を滅多に見たことがないからだ。
それに、良い方向に行くと、悪魔のようなものもちょっかいを出してくるので、それに惑わされないよう続けないといけないが、敵もなかなか曲者なのだ。
だが、本来は、悪魔など、恐るるに足りない。なぜなら、欲深でなく、批判が好きでない本当の自分は、悪魔よりずっと強いからだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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