ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アニミズム

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

不気味の谷がなぜ存在するのか

「不気味の谷現象」をご存知だろうか?
人形でも、ロボットでも、CGでも、人間の外観と全く同じになる一歩手間のものが、不気味に感じるというものだ。
(1970年に、ロボット科学者の森政弘氏によって提唱された)
つまり、「ほとんど人間なんだけど、どこか不自然」というものを、我々は怖いと感じるのである。
思い当たるのではないかと思う。
最近、CG合成された、高品質な女子高生の顔がネットで評判になっているが、あれもちょっと不気味ではないだろうか?
また、あるロボット研究者が、自分とそっくりのロボットを作り、そのロボットは表情も作れるのだが、それが実に不気味なのは、顔が悪いからではなく(悪くないが、怖いので悪いイメージがあるかもしれない)、やはり、「どこか不自然」だからだし、「どこか不自然」というレベルまで自然に出来ているのだから、大したものである。

ソフトバンクのロボットであるペッパーや、スターウォーズのR2D2なんて、可愛いと思う人は多いが、あまり不気味と思う人はいない。
それは、これらのロボットが、全然、人間に似ていないからだ。
一方、人間ではないが、アフラックのCMのロボットアヒルなんて、「ええ!あれ、ロボットだったの?」と言うくらい、本物のアヒルそのものなので不気味でない。
あのロボットアヒルも、どこか不自然にすれば、案外に不気味かもしれない。

では、なんで、本物の一歩手前が不気味なんだろう?
これは、まだ分かっていないのだと思う。
しかし、いまや世界の頭脳とも言える、MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏が、ブログで、だいたい、こんなことを書かれていた。
「人間ってのは、自分は特別な存在だと思うエゴがあるからではないだろうか。これは、一神教の影響である」
本当は、かなりややこしい文章だった。
もっと思考を整理してから書けよ、伊藤君・・・なんて、目の前では絶対言えないだろうなあ(笑)。
つまり、神に作られし人間は特別であるという観念が西洋人にはあるのだろう。
だから、本物そっくりのロボットが出てくると、その「特別な存在である地位が脅かされる」ことになり、不安や恐怖を感じるのだろう。
一方、日本には精霊信仰があるので、あんまし、不気味の谷はないのかもしれない・・・といったことを思わせるようなことも書かれていたと思う。
文章はもそっとシンプルに書けよ、伊藤君(笑)。
まあ、確かに、能や人形浄瑠璃(文楽)の人形に対し、日本人は愛情を持つが、それは西洋人には理解し難いのだと思う。
また、伊藤氏は、昔・・・という注釈を書いてくれていなかったが、多分昔、アメリカの工場で労働者がロボットをハンマーで叩いていた(壊そうとしていたということだと思う。はっきり書け、伊藤君)時、日本では、ロボットに帽子をかぶせて名前をつけていたエピソードを取り上げていた。
これは、渡部昇一氏が、1990年の著書『日はまだ昇る』で、アメリカでは工場にロボットを導入することが拒否されるが、日本ではスムーズにいったことが、日本の経済成長に結び付いたのだが、その原因は、アメリカでのロボットのイメージがフランケンシュタインであって非常に悪いのに対し、日本では、鉄腕アトムのおかげでロボットのイメージが非常に良いからだ・・・と書かれていた通りだろうか?
渡部氏は、だから、手塚治虫は大英雄であるといったこと書かれていたが、伊藤氏の論では、原因は日本の精霊信仰なのだから、鉄腕アトムはあまり関係ない。
この精霊信仰も、もっと分かり易く言えば、日本では、古事記の影響と思うが、万物に神が宿ると考えていて、ものや自然現象を普通に擬人化するということだ。このような思想をアニミズムと言う。
日本で、漫画やアニメが発展したのも、そんなアニミズムのためであると言われることがある。

冨田勲さんは、初音ミクさんが愛されるのは、日本で人形浄瑠璃の人形が愛されるのと似ていると、『イーハトーヴ交響曲』の舞台で語られるのを、私は直接聴いたが、初音ミクさんは世界中で愛されている。
それは、インターネットを通して、日本のキャラクター文化が世界に普及したせいかもしれない。
日本のキャラクター文化に接しない、あるいは、接する気のない、主に高齢の西洋人は、今でも、初音ミクさんを見ると、すごい拒否反応を示す。
いや、日本の中ですら、「アニメみたいなものは下らない」と思っている人は、やはりそうなのだ。
もっとも、ギリシャ神話は、結構、自然崇拝の面もある。キリスト教が、それを壊したのかもしれない。

尚、本当は私、伊藤穣一さんのことは、とっても尊敬している。
伊藤さんは、物凄く賢い人なんだけど、どこか愛嬌があるので、ちょっと上のようなことを言いたくなる。
(今年、オバマ大統領とも堂々対談し、全く対等にツーショットの写真も撮られていた)
あくまで冗談であったが、偉い人だからといって、からかってはいけないということはない。
文章でからかうと、揶揄してるなどと誤解されるので、一度、目の前でからかってみたいものである。
案外に、女子高生でもからかえるかもしれないし、女子高生にからかわれる伊藤氏を見たいものである。
ちなみに、伊藤氏は、初音ミクさんのことは大好きであるらしい(テレビ番組で言っておられた)ので、きっといい人だ。









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日本人にとって至高体験や大洋感情はありふれていた

最近の妖怪ウォッチや、LINEのスタンプを見て、つくづく日本人はキャラクター好きなのだと思う。
これは、日本の、多神教的なアニミズム(あらゆるものに神霊が宿ると考える)の文化のためなのだと思う。
欧米でもポケモンは人気があるが、日本人と欧米人では、ポケモンに対する考え方は全く異なる。
日本人の子供はポケモンに、人間に対するような深い愛情を感じているが、欧米の子供にとっては、あくまでポケモンはペットなのだと思う。
アメリカにだって、ミッキーマウスという代表的なキャラクターがあるが、ミッキーマウスというのは、あくまで人間もどきである。
二足歩行し、人間の笑顔を誇張させた顔をした、「決して裏切らない安心できる存在」として愛されているのだと思う。
欧米人が作るLINEのキャラクターは素朴で、日本ほどの多様性はないと言われるが、それは当然と思う。
日本人にとって、LINEのキャラクターは生きているのであるが、欧米人にとっては、ただの記号というのに近い。
日本人は、人形浄瑠璃で、人形に人間以上に感情移入できるのであるが、これも、日本人にとっては人間は「本当に」生きているからであり、欧米人には理解不能だ。
欧米人にとっての人形は、あくまで人間の代わりであり、造形的にも人間とそっくりで生々しい。
日本のコケシは、おそらく欧米人にとっては人形と感じないと思う。

全てに神霊が宿るという考え方から発達した感性により、日本人は、実在しないものを実在するものとして扱うことができる。
その代表例が妖怪だ。
日本人にとって、妖怪は実在も同然であり、恐れるだけでなく、愛好することもできる。
欧米にだってフェアリー(妖精)があるが、フェアリーには魂がないということは、はっきり認識されているのである。
フーケーの『ウンディーネ』や、それを元に書かれたジロドゥの『オンディーヌ』のヒロインである水の妖精は、それぞれ、18歳と15歳の金髪の絶世の美少女であるが、魂を持っていない。
それで、人間の騎士を純粋に愛するのだが、ひどく奇妙な愛し方をする。
純粋と述べたが、「あまりに純粋」なのである。
だから、オンディーヌに対し、人間の賢い王妃は、「ハンス(オンデーヌが愛する騎士)の元から離れるように。あなたの愛は純粋過ぎて、必ず悲劇を生む」と警告する。
欧米人は、妖精に対して恐ろしいものを感じていて、日本人が妖怪に対するように、いったん好きになれば徹底して愛するというようなことはない。

イソップの北風と太陽の話も、日本人と欧米人では、絶対に異なった捉え方をしているのである。
欧米人にとって、北風と太陽の擬人化は、あくまで、「もののたとえ」であり、話の内容も合理的に捉える。
だが、日本人は、北風と太陽を、魂を持った存在として扱い、彼らが「何を考えているのか」を深読みするので、多様な解釈をする。
このような日本的な考え方は、迷信にとらわれることもあるのだが、万物を自分と等しいものとして捉え、心を宇宙の果てにまで広げることができる可能性があるのである。

そして、若い欧米人が、こういった日本的な考え方、感じ方に憧れ、実際に日本人化し、日本のキャラクターを愛するようになってきているのである。
逆に、ものごとを物質的にしか考えることができない日本人が多いのである。そのような日本人は、アメリカがたどってきた苦難を繰り返すことになる。
これからの世界を平和にするのは、「共感」である。
そのためには、日本人的感覚が必要になる。
万物に魂が満ち、自分もその一部と考えるのは、健全であるだけでなく、真理なのである。
欧米にだって、至高体験とか大洋感情と呼ばれる、自分が万物と一体になる、忘我、没我の体験があることを認める人達がいる。
それは彼らの従来の価値観、考え方とは異なるが、優れた人達は、それを重要なものと感じているのである。
アブラハム・マズローやロマン・ロランらに、至高体験や大洋感情のようなことを教わらずとも、日本人にとっては、それらは当たり前のものであったはずなのだ。
英国の作家コリン・ウィルソンも、至高体験を、誰でも体験している自然なことと述べたが、彼は中学までしか学校教育を受けていないことが幸いして、欧米人としては物質主義に偏らない発想をする。だから世界的作家になれたのであるが、日本人にとっては、彼の論は目新しくはなく、むしろ、どこか欠けているのである。
これからの世界では、自然に日本人的な考え方が広がるが、そのためには、日本人が、万象一体の美しい感性を持っていなくてはならない。
そして、日本的発想は、自然に運を呼ぶのである。









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日本的アニミズムが世界に広がる

アニミズムといって、あらゆるものの中に、神霊が宿っているという考え方がある。
日本人は、そのような思想を持っているが、それは、『古事記』で、イザナミの女神が、風の神や水の神等、多くの神を「産む」のと関係が深いのだと思われる。
そして、イザナミの尿や糞からすら神が生まれるのであるが、尿から生まれた神の子が食物の神であるトヨウケである。
インドでも、似たような考え方であるが、インドではブラフマンという神がちぎれて、あらゆるものの中に宿ったと考えるのだというのを見たことがあるような気がする。
『マニトウ』という1978年のアメリカのホラー映画では、悪魔にとりつかれた女性を救うために、アメリカインディアンのシャーマンの助けを借りるのだが、このシャーマンは、あらゆるものの中に、マニトウという精霊が存在するという。
シャーマンに助けを依頼した、その女性の元恋人が、「コンピューターにもマニトウはいるのか?」と尋ねると、シャーマンは「もちろんだ」と答える。
そして、最後は、コンピューターのマニトウが、女性にとりついた最強最悪の悪魔ミスカマカスを倒す。

西洋にはアニミズムはないのかというと、一概にはそうは言えない。
1970年頃のイギリスのSFトレビドラマ『謎の円盤UFO』(原題:UFO)で、宇宙人の侵略者と戦う地球防衛組織シャドーの最高司令官ストレイカーは、自分達は宇宙に目を向けることが大切だと言い、細胞学者の研究を冷遇していた。
しかし、ある莫大な予算をかけた、ロケットと衛星を使う作戦が、成功したと思って有頂天になる中で、細胞学者のミクロの英知により、失敗であったと告げられ、ストレイカーは頭を冷やすことになる。
そして、ストレイカーは、「部屋の中のほこりの中にすら宇宙は存在する」と言う。
これなどは、かなりアニミズムに近いかもしれない。

日本画は、花や木や、あるいは、岩や波の中に神霊が宿ることを示すように、不思議な生命感を持たせて描かれ、見る者はそれを感じて、深い感慨を持つ。
人が作った物にも神霊は宿り、人形浄瑠璃では、人形を人間以上に生き生きとしたものにし、観客は人形に強く感情移入する。
これは、これまでの西洋人には理解不能なことであり、確かに西洋人には、人形浄瑠璃の良さは伝わらなかった。
だが、日本人が初音ミクを人間以上に愛しいものとして愛し、コンサートで声援を送るのを見て、西洋人も何かに目覚め始めているのではないかと思う。
アメリカでの初音ミクのコンサートでは、アメリカの観客の盛り上がり振りは日本以上かもしれない。
アメリカの観客には、「我々は何もないスクリーンを見に来ている訳じゃない」、「ミクは我々の心の中にいるんだ」と言った人達がいたが、これは、これまでのアメリカ人的な発想ではない。
アメリカ人の年長者に、ミクのコンサートの映像を見せ、露骨なまでの拒否感、嫌悪感を示す様子を収めた企画があったが、これが、古いアメリカ人であろう。
悲しいのは、アメリカでも思想教育があり、そんな老人達の真似をする子供達が、特に優等生の中に沢山いることだ。そんな子供達は老人にそっくりなのである。
しかし、もう時代は変わっていくのである。

よく、物を捨てられない人がいる。
西洋的合理主義の考え方の人が、「ものを捨てれば成功する」などとよく本に書いているが、ものを捨てられない人というのは、アニミズム的発想で、全てのものに神霊が宿っているのだから、畏れ多くて捨てられないという想いもあるかもしれない。
しかし、自分のところから離れたって、それがなくなる訳ではない。
むしろ、自分が手放すことで、それが別の形になって流転し、人間からすれば長いが、宇宙にとっては一瞬の時間で、新しいものに生まれ変わるのである。
神は、物というよりは、原子、あるいは、素粒子、さらには、それよりも小さい何かに宿るのに違いない。
(だが、とりあえず原子と考えて良いと思う)
そうであれば、全ては神であり、我々の意識はその一部であると同時に、全てとコミュニケートし、全てと一体である。
初音ミクから、世界がそんなことに目覚めていくのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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