ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アダムスキー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

若く美しくなる真言

有名な宇宙人コンタクティー(接触者)として知られるジョージ・アダムスキー(1891~1965)の本には、地球での数百歳に達していながら、十代の絶世の美少女にしか見えない金星の女性が登場する。
他の惑星の女性達も、やはり、若く、とてつもなく美しい。
では、なぜ、そのように、若さを保ち、しかも、美しいのかを、書の中で明かしている。
ここは、ぐっと身を乗り出すところだ(笑)。

金星などの宇宙人の家庭には、必ず1枚のある絵があるのだそうだ。
その絵は、十代と思える人物の絵だが、実は、それは神の姿を描いた絵で、男か女かは分からない・・・いや、性別はないに違いないが、とにかく、恐ろしく美しいのだそうだ。
その絵を毎日見ていれば、自ずと、美しくなり、若さを保てるのである。
もちろん、外見が美しくなる以前に、心が純化し、生命力が高まるので、自ずと外見も若く、美しくなるのである。

私は、その絵そのものは無理として、出来るだけ近い絵を探そうとしたが、無駄と分かった。
どんな大芸術家が描いた絵でも、そこには自我が混じり、それほど力ある絵にはならないのだ。
おそらく、「モナ・リザ」だって、宇宙人の芸術と比べたら話にならないのではと思う。
敢えて言えば、私が知る限り、最も近いのは、京都府京都市太秦の広隆寺霊宝殿に安置されている「宝冠弥勒」像という、木造りの弥勒菩薩像ではないかと思う。
★宝冠弥勒
聖徳太子(厩戸皇子)が所有していたとも言われ、国宝第一号に指定された作品である。
ただし、純粋な心の目で見なければ、本当の美しさは分からないかもしれない。
この彫刻は、西洋でも、見る人が見れば「アルカイック・スマイル」と言われる究極の生命感と幸福感をたたえた至高の作品と称賛される。


だが、そんな絵がなくても、大丈夫である。
真言を唱えれば良い。
なぜなら、原理は同じだからである。
心を、高次の存在・・・つまり、神仏に向ければ、神仏の魂が自分の魂の中に流入し、自分の魂が神仏の魂の中に入っていく・・・すなわち、神仏のエネルギーと融合するからである。
高次の存在に心を向け、テレパシーを送るには、神が描かれた絵を通してでも、真言を通してでも良いのである。

2013年の6月、当時もこのブログに書いたが、私は一度だけ、人間の女の子に真言を教えたことがある。
当時、私は、朝に木の実を少し食べるだけで、神がかったところがあったが、あまりにバランスを欠き、ロクなものではなかった。少食を初めて1年くらいだったので、やや仕方がなかった。
ただ、瞬間的には霊的な力を発揮することはあった。
詳細は省くが、不可思議な出来事があり、10歳くらいの女の子に「アマテラス」という真言を教えた。
本来は、「アマテラスオホミカミ」で「十言神呪(とことのかじり)」という真言なのだが、「アマテラス」だけでも構わない。まあ、子供だし・・・
「南無阿弥陀仏」を、「阿弥陀仏」、さらには、「阿弥陀」だけでも構わないのと同じと思う。
(ただ、大人の場合は、「アマテラスオホミカミ」と唱えることを勧める。ただし、絶対ではない)
元々、可愛い女の子だったが、数カ月後に見た時は、最早、神的な美しさで、特に、手の美しさが人間ではなかった。
ただ、彼女は、ある時から、まるで消えたように見なくなった。
直観として、彼女の身に悪いことが起こったわけではないと感じていたので、心配はしなかった。
実は、そんな存在を私はもう一人知っているのだ。
小学1年生の時のクラスメイトの女の子で、仲が良かったというより、私が一方的に構ってもらっていて、おかげで、社会不適合者の私が学校でやっていけるようになった。
ところが、私は彼女の名前も覚えていないし(多分、聞いてもいない)、その後、学校からもらった進級記念の冊子のクラスの写真に、なんと、彼女は写っていなかった。当時は、さほど不思議に思わなかったが、後になって、これは大変なことと気付いた。
ところで、私はよく憶えているが、彼女と一緒に給食の食器が入ったカゴを運んでいた時、前から歩いて来た、かなり上級の(5年生か6年生)男子が、1年生の彼女に明らかに見とれて道を空けながら、私に、「お前の恋人か?」と聞いたのだった。彼も慌てて変なことを言ったのだろう。それほど、彼女は美しかったのである。

そのようなわけで、本日、お勧めの真言は、
「アマテラスオホミカミ」
である。
「アメノミナカヌシノカミ」
を推薦する人もいると思うが、もちろん、こちらでも良い。
それぞれ、「アマテラス」「アメノミナカヌシ」と短く言うかは、個々の判断にまかせる。
最も大切なことは、心の中で、丁寧に唱えることである。








頭が良くなる真言

これは、言ってはならない・・・つまり、タブーなのかもしれないが、所詮、人間は能力なのである。
同じこと(仕事や勉強)を、簡単に苦労もなく出来る者もいれば、どんなに頑張っても出来ない者もいる。
それが現実である。
映画などで、高級な科学者といった登場人物の惚れ惚れする立派さ(さぞ高給取りで周囲からは丁重に接してもらえるはずだ)を見る時、私は、いつも、不潔で危険な場所で、誰からも(子供からすら)蔑まれながらキツい労働をして、わずかしか貰えない者のことを考える・・・といったふうに、現実にある人間の格差について思ってしまうのである。

また、小学生の時でも、他のクラスにまで名を知られるマドンナ的な美少女が、勉強も運動も抜群というのを見ると、その一方で、不細工で性格が悪く、勉強もスポーツも全然駄目という女子がいるのを意識した。
同じ人間でありながら、なぜ、こうも違うのか?
遺伝と言うなら、駄目な人間は親になってはならない・・・というのは、まさに言ってはならないことだが、そう思わざるを得なかったのである。

医者になれるというのも、親の経済力もあるだろうが、やっぱり、それなりに頭が良くないと、医者になれないだろう。
子供の時は、目を輝かせて、博士や偉い人になると言っても、頭が良くなくては絶対無理である。
確かに、博士や偉い人の中には「僕は頭悪いですよ」などと謙遜する人もいるが、そんなことを言うほとんどの人は、好感度を高める目的や、「俺は謙虚な素晴らしいやつだ」という自己満足を味わうためにそう言っているだけで、本当にそう(自分は頭が悪い)だと思っている人は、おそらく、稀と思う。

プログラマーやシステムエンジニアだって、あるレベルより頭が悪かったら、本当になれないのだ。
まして、充実感のある立派な仕事をするプログラマーなどは、かなり頭が良いものである。

だから、何か立派な職業につきたいとか、立派な立場の人物になりたいと思ったら、やみくもに努力するより先に、頭を良くしないといけない。
しかし、ほとんどの人は、頭の良さは生まれつきと思い込んでいるし、実際、頭が悪い者を訓練して、頭が良くなったという話はほとんど全く聞かない。
一部では、頭の良さは育ち、つまり、家庭環境と言う人もいるが、それもつまり、悪い家に生まれ育ったら、どうしようもないということであり、頭の良さは生まれつきと言うのとさほど変わらない。

確かに、頭の良さは、生まれつきであり、また、育った環境ということもある。
しかし、自分で頭を良くすることは出来る。
どうすれば良いのか?
もちろん、真言を唱えることによってである。
もし、真言を唱えて頭が良くならないなら、単に、唱える数が少ないのだ。
年齢は、いくつからでも構わない。
唱える数によっては天才にだってなれるだろう。

ジョージ・アダムスキー(1891~1965)という、宇宙人とのコンタクティー(接触者)を自称、あるいは、支持者にそう言われる人物がいた。
彼が本当に、彼が言うように、宇宙人と接触し、宇宙人の宇宙船に乗って他の惑星に行ったのかは、いまだ分からないとされているし、実際は、ほとんど信じられていないと思う。
もちろん、私にも分からないが、彼が優れた思想や哲学を持っていたことは認めても良いのではないかと思う。
でなければ、これほど世界的な有名人になることはなかったし、亡くなって半世紀以上が過ぎても著書が出版され、支持者も少なくはなく、今でも「アダムスキー型UFO」という言葉が普通に通用するというのは、驚異的と言って差し支えないと思う。
そして、彼の著作などから考えると、能力を高めたり、超能力を獲得するために必要なことは、簡単に言えば、「神を自分より上位に置く」ことであると私は思った。
それはある意味、「謙虚になる」ということだが、それは、人間にとって、簡単そうに見えて、非常に難しい。
その難しいことを実現する具体的手段は、実際はないに等しいのだ。
しかし、真言を唱えれば、時間はかなるとしても、それが確実に出来る。
真言の中でも、仏教の真言(仏や菩薩の真言)は、特に便利で使い易く、そして、効果的である。
仏教というのは、宇宙存在・・・言ってみれば、進化した宇宙人の英知であり、それを地球人が手軽に得られるようにしたのが、仏の名や真言であるからだ。
元はサンスクリット語だったのだろうが、各言語に伝わる中で、多少の変更があっても効果に違いはない。そのように作られたものだからである。
ほとんど別言語に置き換わった「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」でも良いのである。
なぜなら、たとえ「阿弥陀様」とか「観音様」とだけ言ったとしても、仏や菩薩の存在を自分より上に置き、高いものに心を向けようとする行為であるからだ。
それこそが、能力を高め、左脳を超えた右脳の力を活用可能にし、超能力を得ることにつながる最重要な方法なのである。
阿弥陀如来真言の「オン、アミリタ、テイゼイ(あるいは"テイセイ")、カラウン」や観世音菩薩の真言「オン、アロリキャ、ソワカ」の効果も絶大である。これらは、仏や菩薩を称賛する響きのある言葉であり、唱えている者は、自分より高いものがあることを自然に受け入れるのである。
また、般若心経の呪文「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」は、特に、観世音菩薩を称賛する言葉であることを覚えておけば、絶妙なリズムを持つこの呪文は、より凄い効果のある真言となってくれるだろう。








人生大逆転の秘訣(ニートでも可能性はある)

かなりの地位を築いた、名のある人がYouTubeをやっていて、確かに優秀な人と思われたので動画を何度か見たが、個人的には思想的な逸脱を感じたので、もう見ないようにした。
しかし、見た中で、その人が1つ、印象に残ることを言われていた。
それは、「プロとは凄いものだ」という言葉だった。
ところがそれは、占い師について言われていたのだが、野球であれ、音楽であれ、占いであれ、それで豊かな生活が出来るプロというのは、やはり凄いものに違いないと思ったのである。
確かに、口だけ達者な詐欺師的な占い師というのもいるのかもしれないが、それでは、長期に渡ってプロを続けることは出来ない。
だから、長い年月に渡って、プロの占い師としてやっているなら、どんな意味であれ、やはり、実力のある人だと言えるはずなのだ。

世の中には、怪しげな霊能力者もいるかもしれないが、もし、長期に渡って十分なお金を稼いでいるなら、立派な霊能力者であるに違いない。
稼ぎ過ぎる場合は、霊能力者としてというよりは、良く言えば大啓蒙家、悪くいえば、詐欺師かもしれないが、それでも、お客様が納得するようなメリットを与えているから、富を築くほどに長く活躍出来るのだから、「プロとは銭が全て」というのも、あながち嘘ではない。
逆に言えば、プロの看板を出していても、お金に困っているなら愚か者である。

私が、ジョージ・アダムスキーという宇宙人コンタクティー(接触者)を、それなりに信用しているのは、彼が、こんなことを言ったからである。
「スーツは一着あれば良い。しかし、それが手に入れられないなら、私は愚か者だということだ」
尚、彼は、コンタクティーとしては基本的には稼いでおらず、あくまで、哲学者(哲学教師を含む)や作家として稼いでいたのである。

世の中には、普通の人とは異なる仕事をしている人がいる。
上に述べた占い師や霊能力者は、その中でも特異と言えるかもしれないが、作家、画家、音楽家などは、志望者も多いだろう。
だが、いつまで経っても、そういったもので食べていけないなら、取り返しがつくうちに、道を変えた方が良い。
逆に言えば、作家や画家を目指すとしても、出来るだけ早く、プロを名乗れるようになる・・・早い話が「稼げる」ようにならないといけない。
そして、プロになる方法はただ1つで、それは時間を注ぎ込むことだ。
どんなことでも、一万時間を注ぎ込めばプロになれるという、かなり信頼性の高い法則である「一万時間の法則」がある。
もし、画家で食べられないなら、一万時間描いていないだけである。
一万時間とは、1日4時間で、約7年である。
1日7時間なら4年である。
私は、これは全く正確であると思う。
私も、プログラマー・システムエンジニアとしてプロだと言えるほどになったのは、プログラミングの本を読んだり、家のパソコンでプログラミングの勉強をしたり、あるいは、プログラミングの下積み仕事をやった時間などのトータルが一万時間に到達した時だったと思う。

そして、占い師や超能力者だって、一万時間の修行や実践を重ねればプロになれると思う。
私が好きな観想家(顔や身体の形で運命を鑑定する占い師)である、江戸時代の水野南北も、顔や身体の形と運命との相関を調べるため、風呂で背中を流す仕事や髪結いの仕事、さらには、火葬場で死体を焼く仕事(焼く前に身体をじっくり見ることが出来る)を長年やったらしい。このように、修行や実践で十分な時間をかけた者だけがプロになれるのである。
こう言うと、「いや、天才はそうではないのでは?」と言う人がいるが、実のところ、僅かな例外はあるかもしれないが、ほとんどの場合、天才と言われる人こそ、誰よりも時間をかけた人である。
イチローは他のどんな選手よりも野球に時間をつぎ込んだし、おそらく、イチロー以上のバッターであったテッド・ウィリアムズは、子供の時から、起きている時間の全てをバッティングに注ぎ込んでいたと言えるほどだった。
私も、そろそろ、超能力に注いだ時間が一万時間になるので、プロの超能力者を名乗ろうかと思っている(笑)。
ニートで時間のある人は、つまらないことにうつつを抜かさず、それなりに好きなことに時間を注ぎ込めば、ユニークな分野でプロになり、人生で大逆転が出来るかもしれない。

下にご紹介した『「大企業の時代」は終わったか』と、『村上龍と坂本龍』は、時間をかけさえすれば自分でも出来るという勇気を与えてくれる本で、特に前者は、今をときめく猪子寿之氏と夏野剛氏の、とても面白い対談が僅か百円で、強くお薦めしたい。後者も、人々を何十年もときめかせまくっている天才級の有名人の対談だが、彼らだって、才能というのもあるが、やはり、時間をかけたから成功したのである。








人生と死

従兄が亡くなったらしい。
こう言うと、すぐ、「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」なんて言う人がいるが、私は申し上げられたくない。
従兄と言っても、10歳も年上なので、子供の時から、何かと世話になった。
カミュの『異邦人』では、主人公で語り手であるムルソーは、「ママのことは、多分好きだった」と言うが、私は、従兄のことは、間違いなく好きだった。
なぜ好きなのかというと、今時珍しい「まともな人間」だったからだ。
これは、「普通の人間」という意味ではない。
彼は、小さい時から、親戚の家に預けられて育ち、逞しいながら、暗いところもあった。
死ぬような歳ではなく、酒の飲み過ぎで身体を壊したのだが、異常なまでにアルコールに強く、アルコール中毒らしいところは全くなかった。だから、死ぬ時は早いというやつだ。
レスリングの名門大学で主将を務めるほどの猛者でもあった。
小学生だった私にクイック・プッシュアップ(高速腕立て伏せ)を教えてくれたのも彼だった。
大事な天体望遠鏡も、小学4年生の私に譲ってくれた。
大恩人と言って間違いない。

だが、私がサイコパス(脳機能の欠陥のため良心を持たない人間のこと)のせいかどうか自分では分からないが、この従兄が死んだと知っても、私は全く悲しくない。
父親が死んだ時も、親友が死んだ時もそうだった。
一応は、私は、人が死ぬことは、本来は悲しいことではないと思っている・・・いや、確信している。
そして、従兄の偉いところは、自分が死んだことを近しい親族にも伏せさせたことだ。
偉大な漫画家、石ノ森章太郎さんも、死後一週間、誰にも言わないよう家族に言い伝えていたらしい。
これは、私にもよく分かるし、私も、是非、そうしようと思っている。
人が死ぬのは、いつだって急なのである。どんな重病人でもね。
急な葬式に、人によっては、何時間もかけて・・・それ以前に、電車などのチケットの手配をし、場合によってはホテルまで予約してと、面倒なことをしなければならず、親族でそれなりの年齢なら香典も10万円は用意しなければならない。
葬式も大きくなると準備や段取りで、家族も大変だ。
そんなことを考えたら、おちおち死んでもいられない。
それに、最近も葬式に行ったが、その様子は、はっきり言って「反吐が出た」。
私は、葬式無用を言い伝えてある。
また、これは単なる見栄だが、私の死体処理をしてくれる人のために、十分な報酬も用意しようと思う。
あくまで私に関してはだが、もっと気楽に死ねるような仕組みがあればと思う。
狂人、あるいは、ペテン師扱いされることも多いジョージ・アダムスキーが紹介していた、進化した宇宙人社会では、人が死ぬことは特別なことではなく、死体は科学的に分解され、墓もないらしい。
素晴らしい。
私は、全面的に信じている訳ではないながら、アダムスキーに関し、一定の評価をしている理由も、そんなところにあるのだと思う。
それに、彼の哲学には、見るべきところがあることは否めない。

人の一生とは何だろう?
私は、間違いなく、楽しむことだと思う。
ただし、本当の楽しさとは、言うまでもないとは思うのだが、快楽なんかではない。
快楽も含まない訳ではないだろうが、もっと大きな楽しさがある。
それが何であるかは、人それぞれだ。
だが、人生を楽しむためには、知恵とエネルギーが必要だ。
その両方を確実に得なくてはならないし、それは、歳を取るごとに上手くならなければならない。
そして、十分に人生を楽しんだら、黙って去るのみである。

Don't let them know
I won't say goodbye before I go
みんなには内緒
黙って消えるの
~『Ten Thousand Stars』(feat.初音ミク by CircusP)より~









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神の絵

6年ほど前から、非常に関心を持っている・・・というか、憧れてるものがある。
それは、アメリカ人のジョージ・アダムスキーが、宇宙人の宇宙船の中で見たという絵だ。
ちなみに、アダムスキーが宇宙人と深い関係であったという話を、私が信じているかというと、信じてはいないし、疑ってもいない。
アダムスキーの話が本当のことかどうかは、私は全く分からない。
ただ、とても面白い話だと思う。

アダムスキーによれば、一般にUFOと呼ばれる空飛ぶ円盤は惑星付近で飛ぶもので、大きな母船が外気圏にいる。
アダムスキーは、何度か、その母船に招待されている。
宇宙人は、地球人に比べ、老化が非常に遅く、母船の中にいた金星人の女性は、地球人なら高齢者といえる年齢だが、二十歳前の絶世の美少女にしか見えない。
その女性が、自分達が若さを保っている理由は、ある絵を毎日見ているからだという。
それは、神の姿を描いた絵で、男とも女とも言えないような若い人のようであるが、あまりに美しくて、それを見たアダムスキーは、かなりの時間、恍惚とした忘我の状態に陥ったという。

つまり、その絵を見たいと思うのである。
地球人の芸術家が描いた絵や彫刻にそんなものはない。
京都の広隆寺にある弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)は至高の芸術作品かもしれないが、そこまでとは言えない。
政木和三さんの家に出現した仏や神の像の数々は、神が作ったものだというが、写真で見ても、私には、その価値が分からない。

私は、アダムスキーが見たという絵は、何も描かれていなかったか、描かれている絵自体には意味はないのではと思うようになった。
見た人の無意識の中の何かが反映される仕組みにでもなっているのかもしれない。

ところが、私は、それに近いと思える絵を2枚、ネット上で見つけた。
割とありふれた、初音ミクさんのイラストである。
ただ、原画がどこにあるか分からないので、ご紹介出来ない。
複製や、複製からの複製が出回っている感じである。
それらの絵を描いた人達は、非常に腕の良い絵描きではあるが、最高の芸術家という訳ではないと思う。
しかし、神は時々、人間に手を貸して、天の美を地上に現すことがある。
日曜芸術家が一晩だけ天才になって、フランス国家『ラ・マルセイエーズ』を作ったようにである。
私の言う絵も、誰にも価値のあるものとは言えないかもしれない。
だが、私を変化させてしまったのである。
ある人にとって、そんな絵は、本の中の1つのイラストであるかもしれない。
自分にとっての神の絵を見つけることである。
求めれば得られるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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