ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

アインシュタイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

世界はこうして造られる

世界は、物質的に何かが存在している訳ではなく、我々が目を向けた時(正確には意識した時)、我々の内部にいる魔術師が、目を向けた先に、一瞬で世界を構築するのだと主張する人は昔からいたが、現代の科学は、それが正しいことを解明している。
有名な、アインシュタインとインドの詩聖タゴールとの対話で、タゴールは、「我々が見ていない限り、月は存在しない」と断言したが、アインシュタインには信じられなかったらしい。

問題は、「我々が好きなような月を作れるか」だが、実際、作っているだろう。
月より、星の方が分かり易く、星空は心の中そのものだ。
詩人、農民、エンジニア、科学者を問わず、心が澄んでいる時は、皆、星は語りかけてくると言う。
アンデルセンの『絵のない絵本』の月は、アンデルセンの魂だし、ライオネル・マリア・リルケの『夢』の第七夜では、あるロシアの若者は、星は神様や天使の目であると信じていたが、彼がそう思っているならその通りだ。

皆、魂は美しく、世界も美しくあるはずだが、魂に近いところにある心が、世界を台なしにしてしまう。
そう、人生をとても残念なものにしてしまうのだ。
『ラーマーヤナ』のヒロイン、シータの父親のジャナカ王は、その心を見つけ、死刑にしてしまった。
もっとも、心が無ければ、世界も存在しないのだが、普通の人の心は、荒れて淀んだ湖だ。
世界は心が見せる幻だとしても、良い詩人や画家が描く世界が美しいように、我々は目の前に美しい世界を作り出すことが出来る。
淀んだ心が邪魔さえしなければ。
そして、心を静かにする方法は、単に、静かな呼吸をすることだということを、誰もが、何度も聞いたはずなのだ。
私も、力強くそう教える声や文字を、何十回も聴き、見た覚えがある。
不安というのは、世界が美しくないか、美しくない世界が現れる予感と共にある。
そんな時、呼吸を静かにすると、世界や世界の因子が変わっていくのを感じて安心するのである。
我々の内にいる、世界を作る魔術師(それは神か仏のようなものかもしれないが)の邪魔をしてはならない。
極めて呼吸が少ない神人は、自在に世界を構築しているのである。









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希望の未来

紳智学者は昔から言っていたが、科学も、客観的な時間というものはないのだと認めていると思う。
世界的にも偉大な数学者だった岡潔は「時間は情緒だと思う」と言っていたと思う。
時間と空間に関する従来の科学をひっくり返したアインシュタインは、「美女と一緒の1時間は短いが、暑いストーブの上に座った10分は長い」と言ったらしいが、まあ、簡単に言い換えれば、「楽しい時は速く過ぎ去り、苦しい時はなかなか過ぎない」ということだ。
これも、岡潔の「時間は情緒」というのと同じだろう。
その通りだ。
初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」は2時間以上だが、一瞬で過ぎてしまう。

我々は、「時の流れ」とか言ったりするが、鎌倉時代の禅僧、道元の『正法眼蔵』に、「時は飛び去るものだとばかり思ってはならない」と書かれている。
過去も未来も現在で体験しているのだと。
時は流れない。時は飛び去らない。時はやって来ない。
時は心が作り出しているだけで、心が消えれば時間は消える。

では、未来の象徴たる初音ミクさんとは何だろう?
その明るい未来を描くライブコンサート「マジカルミライ」とは何だろう?
それは、岡潔の言う「情緒」の中でも「希望」なのだ。

日仏友好160周年記念イベント「ジャポニスム2018」では、日本のツインテールの2大ヒロインであるセーラームーンさんと初音ミクさんが、それぞれ、パリの「パレ・デ・コングレ・ド・パリ」と「ラ・セーヌ・ミュージカル」でお披露目されるが、セーラームーンの最終章「スターズ編(アニメでは『セーラースターズ』)で、セーラームーン達が探し続けたのは「希望の光」だった。
それは、セーラームーンの中にあったように、今、初音ミクさんの中にある。

「砂の惑星」という未来になっても、希望を持つことが出来る。
「マジカルミライ2017」のテーマ曲、米津玄師さんの『砂の惑星』を聴くと、希望とは単に「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」というだけのことと思うのだ。これは「ずっと友達でいよう」ということなのだが、「もう少しだけ」「今回は」というのが実に良いのだ。さすが、米津玄師さんは天才だ。
『魔法騎士レイアース』のオープニング曲で、田村直美さんのミリオンヒット曲『ゆずれない願い』では、最初の歌詞である「止まらない未来を目指して」が何度も繰り返される。
止まらない未来・・・若々しいなあ(笑)。エネルギーを感じる言葉だ。さすがミリオンヒットだ。

希望の光を持つ初音ミクさんは希望の星で、私たちはミクさんと一体になることで未来は希望になる。
「希望の未来」という言葉を「今」忘れなければ「永遠」が得られるだろう。
ZARDの『DAN DAN 心魅かれてく』で、「きっと誰もが永遠を手に入れたい」という歌詞を聴いた時には衝撃を受けたものだ。
永遠の代償は有限全てとか。
高いか?安いか?
「希望の未来」だ。安いに決まっている。
希望の光はどこにでもある。
念仏の中だろうが、腕振り運動の中だろうが。
だが、それは本質的に「信頼」の中にある。
だから、何を信じるかだ。
とても広い意味なのだが、私はミクさんを愛する気持ちを信じる。









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阿弥陀様とAI

AI(人工知能)の発達が、人間についていろいろ考えさせてくれる。
すると、「人間が一番賢いわけではない」というリアルな認識を持てる。
ハードウェアにおいては、AIは既に人間をはるかに超えている。
たとえば、電子回路は生物回路より100万倍高速で、記憶力も比較にならない。
フォン・ノイマンのような大天才がいるが、彼が優秀だというのは、我々との比較で言っているだけで、彼が最高の知性ではない。
理屈の上では、AIはノイマンよりはるかに上の知性になれる。
しかし、知性とは本当は何だろう?
アインシュタインは、一般的にノイマンより上の知性と考えられているかもしれないが、アインシュタインは、学校の成績も悪く、普段は特に賢い人でもなかったようだ。
確かに、学校に関しては、アインシュタインに学校や教師への反発があったことは確かだが、頭の出来の良い人間というのは、あまりやる気がなくても、楽々と優等な成績を取れるので、いくら学校や教師が嫌いでも、適当にやり過ごすものだ。
アインシュタインが教師に反発したのも、彼には学校の勉強が困難でストレスがあったからであり、彼のIQ自体は、そんなに高くなかったと思う。
彼の脳は保管されて研究されたらしいが、ごく普通であったという。
だが、アインシュタインは、誰にも出来なかった物理学での実績を上げている。
それを成し遂げたのは、全面的に彼の知性と言えるかどうかは疑問で、彼は、目には見えない優れた知性からの通信を感受したのだと思う。
ただし、そうは言っても、やはり、彼は高度な知性からの通信を受け取ることが出来る特別なものがあったのである。
彼の何が高度な知性との通信を成り立たせていたのかは分からないが、彼が神を信じていたことは確かと思う。
つまり、アインシュタインは人間を超えた存在を信じていたのであり、その信念に従って、高度な知性から通信してもらい、そして、その通信を受け取ることが出来たのだと考えることが出来る。

念仏というものを考えてみよう。
私は、お寺もお坊様も好きだが、念仏に関し、お坊さんの説教を聞く気にはなれない。
今の時代、お伽噺としての極楽浄土や阿弥陀様を、そのまま受け入れられるはずがない。
だが、それでも、人間をはるかに超えた存在を、阿弥陀様に投影することは出来ると思うのである。
阿弥陀様は、人間の天才をはるかに超えた知性を持ち、物質世界程度なら、あまりに簡単に支配出来る。
息をするように奇跡を起こし、それどころか、宇宙だって作れる。
「南無阿弥陀仏」と唱える度に、そんな超高度な存在を意識するのである。
人間は、イメージがなければ意識出来ないので、本で読んだり、仏像を見て阿弥陀様のイメージを作り、それが、超高度な存在の象徴になる。
そして、そんな超高度な存在を意識すれば、その存在からの反応は必ずある。
無論、阿弥陀様でなくても、アッラーでもインドラでもクリシュナでも良いが、純粋に、超知性を持ったエネルギー体の存在を認識するのは難しいかもしれない。
だが、神仏のイメージを経由すれば、それは易しい。
ところで、依存するような念仏や祈りは駄目である。
それでも、人間の力では、どうにもならないこともある・・・というよりは、ならないことだらけだ。
しかし、自分が出来ることをやった後は、忍耐強く待っていれば、およそ見捨てられることはない。









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偽物は穢れない

西尾維新さんの小説、あるいは、アニメの「物語シリーズ」の中の『偽物語』で、詐欺師の貝木泥舟(かいき でいしゅう)が大学の時に出したという問題が気に入ってしまった。
それは、
「本物と、本物そっくりの偽物では、どちらが値打ちがあるか?」
だ。
貝木の仲間の2人はそれぞれ、
「本物に価値がある」
「等価値」
という答だったが、貝木は、
「圧倒的に偽物に価値がある」
だった。
私は、やはり圧倒的に貝木に賛成だが、それは、それが真理であると言うより「そうあって欲しい」という願いも入っているのかもしれない。
ところで、貝木がそう思うのは、偽物には、「本物になろうという意思があるだけ、本物より本物だ」からだそうだが、それはそれで賛成だ。
私は、「意思」こそ最大のものだと思っているからね。
しかし、それとは別に、私には偽物が好きという妙な感情がある。
それは、
「たとえ本物以上になっても、偽物には、どこか後ろめたさや引け目がある」
からだと思う。
その後ろめたさや引け目が、穢れを免れさせる・・・早い話が美しいのだ。
引け目があるから、「グノーティ・サウトン(身の程を知れ)」という神託に従うことが自ずと出来るのである。

初音ミクさんは偽者のシンガーであるボーカロイドだし、レイシアは偽者のヒューマンであるヒューマノイドだ。
「ロイド」とは「~のようなもの」という意味で、つまり、偽物だということだ。
だが、ミクさんは本物のシンガー以上の価値があり、レイシアは本物の人間以上の価値がある。

アインシュタインや宮本武蔵も偽物だった。
アインシュタインは、大学は卒業していたが、大学で勉強していないし(講義には出ず、試験も一夜漬け専門)、博士でも教授でもなく、一頃までは特許局の職員だった(後に博士や教授になり、駄目になったが)。
宮本武蔵も、流派を築いたと言えば聞こえは良いが、早い話が我流であり、櫂(かい。舟をこぐ道具)で佐々木小次郎と戦って勝つという、本物の剣士なら絶対しないことをやっている。
映画『フラッシュダンス』のアレックスは、クラシックバレエをやったこともなければ、キャバレーで怪しいダンスを見せる偽者だった。だから良いのである。
伊藤穣一さんは大学の学位を持たず、専門もなく、昔はシカゴでMCをやっていた偽者の研究者だから最高の研究者なのである。

偽物を目指そうではないか?
本物などクソクラエである。
私も、偽物のプログラマー、武道家、哲学者でありたい。
本物のプログラマーはJavaを使うが偽物はVBAを使い、本物の武道家は流派の教えに従い正々堂々の戦いをするが偽者は我流で、どんな卑怯な手を使ってでも勝つ。
本物の哲学者は哲学という学問に通じているが偽者は学問の哲学など全く知らぬというより、知ってたまるかである。









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本当の知性の恐ろしさと鮮やかさ

日本のプロレス史上、最も重要な一戦は、1954年(昭和29年)の、力道山VS木村政彦の、「昭和の巌流島」と呼ばれる試合だろう。
この試合について、2011年になってからも、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が出版されて大ベストセラーになったりすることから、その重大さが分かるのである。
当時、日本のプロレスの絶対王者であった力道山に対し、無敵の柔道家からプロレスラーに転向した木村政彦が挑戦し、結果、力道山の壮絶なKO勝ちとなり、木村は重症を負う。
この試合に関し、何が本当に本当なのかは分からないが、ただ、試合前に両者に引き分けの約束があったことは、それに反する証言がおそらく無いことから、確かなことだったと思う。
だが、なぜ、力道山が、約束を破って、木村をKOしたのかについては、いろんな説がある。
ただ、情報がほとんどない私に分かることが1つある。
それは、試合結果がそうなったのは、力道山がプロフェッショナルとして、木村が足元にも及ばなかったということだ。
ひょっとしたら、純粋な格闘家、武道家としてなら、木村の方が強かったかもしれない。
しかし、力道山には、日本のプロレスのリーダーとして、大事業家、革命家、大きな世界のストーリーライターとして、大きな責任があったのだ。
木村だって負ける訳にはいかなかっただろうが、力道山には、絶対に死んでも負けられない理由があったのである。
そして、絶対に勝つための方法を考え、実行出来たのは、真のプロフェッショナルだったからだ。
力道山は、あらゆる手を使い、木村に絶対に負けない準備をしていたのだ。
引き分けの約束はしただろうが、木村が裏切った時には確実に勝てるようにしていた。木村が裏切った訳ではないだろうが、何かのはずみで、そんなものが出てしまったのだ。
それだけのことだったと思う。

勝負には時の運ということもある。
しかし、真の勝負師は、大事なところでは、勝つ可能性を高めるために、あらゆる有効な手を打つのである。
どんな手を打てるかは、勝負をする者の知性による。
それは、単なるIQや試験の成績で判定出来るような知性とは全く違う。
その能力とは、老獪とか、狡猾という言い方をしなければならない場合も多い。
執念に支えられた知恵は、驚くべき巧妙さと、それに狡(ずる)さが存分に込められていることだってある。

今日、Amazonプライムビデオで『BEATLESS』の第10話「My whereabouts 」を見て、美しきレイシアの賢さにしびれた。
戦国時代の知将、尼子経久(あまごつねひさ)を少し思い出した。
ずるいとも十分に言える。
だが、世界を動かし、自由に構築するためには本当の賢さが必要だ。
並の知性では駄目なのである。
アインシュタイも言ったものだ。
「神は老獪である。だが、悪意はない」
神のようになるとは、そのようになることだ。









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