ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

アインシュタイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

天才は圧倒的な固定観念の持ち主ばかりだ

昔から、固定観念を捨てる(除く、消す)ことをすれば、能力が大きく向上するとか、天才になるといったことを言う者は多い。
固定観念(およびその影響)は色々に表現される。例えば、思い込み、心の呪縛、無意識の束縛、条件付け、潜在意識の中のガラクタ、スコトーマ、エングラム、裏の記憶、その他様々である。
そんなものを取り去るという、セミナーや教材も色々あるようだ。

だが、大天才と言われる人なんてのは、物凄い固定観念の持ち主ばかりだよ。
そんな人達が、「俺の心の中には悪い呪縛がある」と気付いて、もし、それを消すことに成功したら凡人になってしまうのだ。
アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と言い、まるで神がサイコロ遊びをやっているかのような量子力学の考え方を受け入れなかったが、同時に「常識とは18歳までに溜め込まれた偏見のコレクションだ」と言って、それが自分にも当てはまることに気付いていた。「私の心の条件付けは量子力学を受け入れられないのだ」と言ったこともあるらしい。
そして、アインシュタインは自己改造を試みたのかもしれない。彼は42歳以降は天才ではなかったらしい。
現在は、天才画家はいなくなったが、最後の天才と言われたサルバドル・ダリは、普通の人には想像も出来ないほどの、固定観念、思い込み、心の呪縛の持ち主で、それは生涯変わらず、そして、彼は死ぬまで大天才だった。

今は、純粋なアマチュアスポーツというものが無くなり、公式なプロではなくても、スター選手には企業のスポンサーが付くことも多く、そのための必要性から、選手も凡人を装うのだが、本当の彼らは、固定観念に満ち満ちた、本当の凡人から見れば変人である。
早い話が、天才なんてのは、エネルギーの方向付けと内的衝動によるもので、そのためには強い固定観念は必要だ。天才と言わないまでも、能力全般についても基本的には同じなのだ。
ほとんどの人は、どうやろうと天才とか、天才とまではいかなくても、並外れて有能になったりはしない。
話は逆で、強い固定観念を持てないのと、内的衝動に絶対的に欠けるからだ。
天才とは、DNAによる最高の固定観念と、生まれついての内的衝動が必要だ。
だから、馬鹿な夢を見て(見せられて)、セミナーなどで無駄なお金を使わないことをお奨めする。

ちょっと方向を変えよう。
「私は無力である」という思い込みを消せばどうかという話で、これは、我々凡人にも参考になる。
コリン・ウィルソンの『超越意識の探求』という本の、あとがきにあった話だと思うが、本が手元にないので、いい加減に引用する。
ある、引っ込み思案の青年がいて、彼は、そのせいで社会的な立ち居振る舞いにも苦労し、何をやってもうまくいかなかった。
しかし、その青年が、「僕は何て駄目なんだ」と呟いた時、友人が、「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思い込んでいるだけだ」と言う。
この言葉が、彼には啓示になった。彼は、この言葉について、何日も考え続けた。
そして彼は賢者に生まれ変わり、人々に尊敬されている。
これを読んだ人は、彼は、自分は駄目だという思い込みを消し、能力を発揮するようになったと思ったかもしれない。
コリン・ウィルソンは、そのあたりのことを書いていなかったと思うが、彼も、大筋でそんな考え方をしているのかもしれない。
しかし、違うのだ。
彼は、相変わらず、引っ込み思案で、無能であり続けたはずだ。
だが、彼はなぜか、そんな自分を受け入れることが出来たのだ。そして、気楽になり、罪悪感を持たなくなった。
これが真相だ。
彼にも固定観念はあるのだろうが、彼もまた、それを消した訳ではなかったのである。
受容こそが、能力を超えた能力の秘訣だ。それは、最も簡単だが最も難しい。ちなみに、4月7日以降は、このブログは、主にこのことを主題としている。参考テキストは『バガヴァッド・ギーター』と『エメラルド・タブレット』である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

幼い時に植え付けられた偏見から魂を解き放つ

幼い時の、親からの扱われ方が、どんな人間になるかに決定的な影響を与えるというのは本当だろう。
そして、ほとんどの人が、親に悪意はないのかもしれないが、否定的な影響を大きく受けているものらしい。
「お前が大した者になれるはずがないじゃないか」
「お前は、本当に何をやっても駄目だなあ」
「ほら、やっぱり失敗した」
といった言葉を、親から日常的に言われ続けてきた者は非常に多いという調査報告もあるようだ。
アメリカの自己開発プログラムでは、このような、幼い頃の頭脳への刷り込みを克服することを目的にするものが多いようだ。
つまり、そのような否定的な言葉の反対である、「私は出来る」「私は偉大になりつつある」「私は素晴らしい」といった暗示を与え続けて、否定的な影響を消し去ろうというものだ。しかし、実際には、それは不可能というものだろう。
幼い時に頭脳に刻み込まれたことを原因とする思考傾向を取り除くことは出来ない。そして、人のものの考え方は、18歳くらいまでにほとんど決まってしまい、それを無理に変えようとしたら、極端な自信喪失や、下手をすれば精神障害を引き起こしかねない。
アインシュタインが、「常識とは、18歳までに身に付いた偏見のコレクションだ」と言ったらしいが、その彼が、量子力学の考え方をどうしても受け入れられなかったのは、彼の持っていた常識という偏見のせいだったということに、彼自身、気付いていたような節もある。
アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と言って、確定的な考え方が出来ない量子力学を拒否したが、それは、彼の家庭が、ユダヤ教の神の考え方を、そのように解釈していたせいかもしれない。私は、誰かが彼に、「神のサイコロには無限の目があるのだよ」と言ってやれば良かったかもしれないと思う。

映画監督の伊丹十三さんは、精神分析学者の岸田秀さんの「唯幻論」に傾倒し、これにより、幼い頃に頭にかぶせられた偏見という重い帽子を取り除けたと語っていた。
確かに私も、唯幻論を知ると、いかなる有名な自己啓発書も大嘘か、あまりにレベルの低い子供騙しだと思ったものだ。
別に唯幻論が良いというのではないが、私は百万円を超える自己啓発プログラムや自己開発訓練もいろいろやったが、それらは、唯幻論の本1冊に軽く負けていたと思う。
伊丹さんは恐ろしい勉強家だったが、伊丹さんもそう感じたのかもしれない。
伊丹さんが自殺した理由は岸田さんにも分からないらしいが、もちろん、岸田さんのせいではないだろう。伊丹さんは、実際は、幼い時や青年時代に溜め込まれた偏見を決して克服はしなかったはずだ。それは誰にもできないのだ。

特に幼少時、そして青春時代の影響はこのように大きなものだが、生まれつきの性質については否定され勝ちだ。人間の性質の全ては環境や教育で決まるというのが「常識」のようだが、これもまた偏見である。高名な学者が、「赤ん坊を預けてくれたら、強盗にでも聖者にでもしてみせる」と言ったが、それはとんでもない無知である。同じように育てられたきょうだいでも、性質は全く異なることは少なくない。
しかし、それは置いておこう。
いずれにしても、人の一生を左右するような信念、信条、習慣、思想は青春時代までに決まってしまう。
「俺が駄目なのは親の教育が悪かったからだ」と言って親を告訴した人が本当にいたが、それなら、その親がさらにその親を告訴しなければならなくなるだろう。
我々も、「こんな親じゃなかったら、俺はもっと立派になっていたはずなのに」と思うこともあるだろう。そして、それは実際正しい。
だが、どんな性質を持って生まれ、どんな育ち方をするかは運命であり、それはどうあろうと、決して避けることの出来なかったことなのだ。
ならば、全てあるがままに受け入れるしかない。
そして、全て完全に受容したなら、性格や考え方自体は変わらないが、その束縛を断ち切ることは出来る。
私の好きな歌に、初音ミクの「1/6」というものがあるが(作詞作曲はぼーかりおどPさん)、これは、ミクが「君をいつか重力の外に連れ出して救ってあげたい」と歌うもので、この重力とは、人を縛る何か得体の知れないもののことであるらしい。
ミクは、重力の影響を断ち切る高いところに「君」を連れて行こうというのだが、その直観は素敵だ。
我々は、受容という翼を手に入れることで、高いところに上昇し、その得体の知れないものを断ち切ることが出来るのだ。
全ては運命であり、人の力で変えることは出来ない。我々には、世界や人生に対し、何のコントロールも出来ない。それは冷静に考えれば分かることだ。
しかし、それを認めることができれば、つまり受容すれば、いかなる重荷も悲痛も幻想になる。そうなれば、世界は幼稚園の学芸会かマジックショーのようなものだ。
ただ、受容できない者にとっては、全てはやはり現実なのだ。「権力も栄誉も富も幻想だ」などと軽々しく言ってはならない。凡人にとっては、それらは確固たる現実である。
しかし、イエスが言うように、この世に打ち勝てば、全ては取るに足らないものになる。
荘子が、全てをあるがままに認め、判断を捨て、一切をなりゆきに任せることができれば、万有の実相である永遠不変の道(タオ)と一体化すると言ったのは、そのような意味である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

世界が劇であることを神は隠してはいない

子供の頃から、世界は劇だと薄々感じていたという人は案外に多いと思う。
それは、日常が楽しくないので、そうであればいいなという願望から出たものかもしれないが、もしかしたら、そんな願いを思いついた後、「いや、実際にそうなんじゃないのかな」という確信が湧いてきたのではないかと思う。

また、『グリム童話』の『死神の名付け親』というお話にあるように、人間一人一人に対応したロウソクみたいなものがどこかにあるのではないだろうかという閃きが起こったことのある者も多いと思う。

私は、おそらく、世界が劇であるという話を聞いたり、『死神の名付け親』を読んだこともなかったが、10歳になる前から、そんなことをよく考えていた。
そして、人生とは用意されたシナリオであるという確信を感じていた。
どういうことかというと、人生で起こるいろいろな事について、「あまりにうまく出来すぎている」と思うことがよくあるからである。

ある能力開発について書かれた本で、知的能力を向上させるために、辞書を使って、知っている単語の数(いわゆる語彙力)を増やすという訓練を薦めていた。
なんとも単純な方法であるが、天才精神医として知られるミルトン・エリクソンが、子供の頃、家に聖書と辞書しかなかったのだが、なぜか彼は辞書を選び、それを繰り返し読んだという。そして、それが非常に良かったと、後に語っていたようである。
そして、その能力開発の本に書かれていたが、そんな訓練をしている者が、新しい単語を覚えると、なぜかその言葉をすぐに、そして、よく目にすることの不思議さを語っていたというのを興味深く感じた。
私も、単語ではないが、何か新しいことに興味を持つと、まるで、世界は私にそれについて教えようとするかのように、まさかと思うようなタイミングと方法で、それを私の前に現すのである。例えば、小学生の頃、たまたま学校の図書館で、シーラカンスについて書かれた本を見たら、その晩、テレビのクイズ番組でシーラカンスに関する問題があり、私の知らないことを教えてくれたことがあった。
また、フクロウについて面白い話を聞いた後にテレビをつけると、フクロウの生態についての番組をやっていたのを興味深く見たこともある。
好きな女の子と同姓同名の女の子が現れたり、少し前に好きだった女の子と同じ誕生日の子が現れたりと、どうも、神様は案外に冗談好きなようだ。

もっと珍しい個人的な体験を挙げると、私が中学生時代はビデオ録画の時代であったが、以前見た番組を思い出し、是非、ビデオに収めたいと思った時に私がやったことは、何も調べることもなく、ただ、ビデオのリモコンを持って、録画の準備をして待っていると、その番組が放送されるのである。
世界を動かすのが神だとすれば、神は、私に、世界が劇であることを隠す気はないようだと感じたものだ。

著名なスイスの精神医C.G.ユングが、易占いに熱心に取り組んだり、シンクロニシティー(共時性:意味のある偶然の一致)について考えたのも、やはり、世界には、どこかシナリオがあるように感じていたのではないかと思う。

『エメラルド・タブレット』の英訳者(原典はアトランティス語)ドーリル博士によると、地球内部(正確には異次元的な構造らしいが)に存在するシャンバラという国にある、ある荘厳な建築物の中の部屋に、地上の人間一人一人に対応した灯火があり、その色や明るさが、その人間の精神性を示すものであるが、驚異的な能力を持つ管理者により、全ての人間は綿密に管理されているという。
また、世界が劇であることについては、哲学者のアラン・ワッツや思想家でエンジニアでもあるイツァク・ベントフが、似た様なたとえ話をしている。あくまで、たとえ話であり、このまま受け取ってはいけないが、こんなものである。一人である神が、自己を分裂させ、あたかも複数の別々の存在のように振舞っているのが世界なのである。何のためにそんなことをするのかは分からないが、もしかしたら遊びではないかとも述べていた。もちろん、実際の、神の意図がそう簡単に分かるはずがないし、仮に遊びだとしても、我々の遊びの観念と安易に結びつけるわけにはいかないことは当然である。

あくまで分かりやすく述べてみたのであるが、世界とは劇のようなものであり、人間一人一人が、高度な存在によって見守られていることは確実であろうと思う。
世界を創造し、そして、我々を見守る存在を神と呼ぶなら、その神の目的は想像もできないが、アインシュタインの言うように、「神は老獪である。だが、悪意はない」ということを信じるしかない。
また、ある国ではこう言うらしい。「神を信じよ。だが、ラクダは繋いでおけ」
私ならこう言う。神に出来ないことはないだろうが、自ら定めた法則を破ることは、まあ、滅多にはない。だから、神を信じていても、塔の上から飛び降りないことだ。













↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

人生は喜劇でしかない

楽聖ベートーヴェンの臨終の言葉は、「喝采を、諸君。喜劇は終った」であった。
このブログで何度か書いたが、ダンテの叙事詩の傑作『神曲』の本当の題名は『神聖なる喜劇』で、さらに、ダンテ自身は、単に『喜劇』としていたのだ。
『神曲』という題名は、森鴎外がいわば勝手に付けたものだが、鴎外自身が『神曲』の翻訳をしたのではなく、彼は、アンデルセンの『即興詩人』のドイツ語版を翻訳したのだが(原典はデンマーク語)、『即興詩人』の中で引用されていた『神聖なる喜劇』を『神曲』と訳したのだ。
『神曲』は『神聖なる戯曲』の意味だったのかもしれない。鴎外は、喜劇という言葉に抵抗があって、それを戯曲としたのではないかと思う。

一方、アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、「人生が悲劇であると認識した時、人は始めて本当の生を始める」とか言ったらしい。
人生が、喜劇か悲劇かは、見方、考え方の違いに過ぎないような気がするが、この喜劇という言葉には、「どうしようもない悲劇なので、笑うしかない」といった意味が感じられるように思えるのである。

人生が、喜劇か悲劇かは考え方次第であるが、劇であるのは確かだ。
なら、脚本家は神である。
そして、アインシュタインが言ったように、「神は老獪である。ただし、悪意はない」のである。
ところが、アインシュタインは、「神はサイコロ遊びをしない」と言った。
彼には、不確定性理論による、「観測するまで結果は分からない」という考え方を受け入れることができずに、そう言ったのだ。
だが、神はサイコロ遊びをするのだろう。
Akiさん作詞の初音ミクの歌『可能世界のロンド』の中に、「サイコロが転がる 現実が生まれる 世界が動き出す 軈(やが)て答えを探す」という歌詞がある。
ただ、上にも挙げたイェイツは、「神のサイコロは無限の目を持つ」と言った。
神がなぜサイコロを投げるのかは分からない。古代インドでは、それはただのリーラ(遊び)だという。遊びの意図はあるのかもしれない。
しかし、ソクラテスも信条としたデルフォイの信託にあるように、その意図を知ろうとするのは、たかが人間には不遜というものだろう。
我々に出来ることは、アインシュタインが言うように、神に悪意が無いと信じることくらいである。

ところで、イェイツは自分の神秘体験について語っている。
霊的な視野がぱっと開け、全ては良いのだと確信する。壁の絵は語りかけてくる。
これは、ロマン・ロランの言う大洋感情、あるいは、アブラハム・マズローのいう至高体験と同じと思われる。
大洋感情、至高体験とは、万物と一体化する没我の体験であり、イェイツはそのまま、「芸術の目的はエクスタシ(忘我)」であると言った。
およそ、文豪と言われる者の作品には、同じ神秘体験が、一度は必ず描かれている。文豪かどうかの識別のようなものだ。
だが、イェイツは、そんな体験がなぜ起こるのかは分からないと言った。
分からないが、彼は、「人を憎むのをやめたときに起こると思う」と述べていた。

では、その起こし方を教えよう。
それは、人生をせめて喜劇とみなすことだ。
喜劇であるのだから、シナリオがある。神の書いた素晴らしいシナリオだ。
ならば、誰かを恨んだり、妬んだりするのは愚かなことだ。また、自分を誇ったり、嘆いたり、悔やんだりするのも滑稽だ。
ベートーヴェンの喜劇は終ったが、我々の喜劇は続いている。
だが、我々は役者であり、脚本家ではない。与えられた通りに演じるのみだ。いや、演じるしかない。
それは悪いことではない。我々は、何をしても、何の責任もない。
これは、慰めでも何でもない。本当のことだ。
ひろさちやさんが本に書かれていたが、一生、ひきこもりで過ごすのも、仏様の書いたシナリオであり、本人に責任はない。私もそう思う。
別に、怠惰、放埓でなければならないと言っているのではない。ただ、人生は喜劇だと言っただけだ。
そして、自分の思うままに怠惰にも放埓にも、勤勉にもなれない。我々に筋書きは決して決められない。
だが、大金持ちでハーレムの主になるより、はるかに大きな喜びはあるだろう。
文豪達の神秘体験は、それを垣間見させたものである。
尚、まさたかPさんによる、初音ミクの『可能世界のロンド』のビデオクリップは芸術品と思う。収録DVDを下にご紹介する。








人類最大の幻想は国家最大のタブーである

吉本隆明さんが『共同幻想論』で述べた、「国家は幻想で成り立っている」はよく知られているが、これは、どこの国についても言えることである。
幻想でない国家など存在しない。
言い方を変えれば、国家に実体はない。
もし、人類に国家が必要だというなら、人類は永遠に幻想の中で生きるしかない。
H.G.ウェルズは、『来るべき世界』で、世界国家の必要性を訴えていたが、それは、全人類共同の幻想を持つという意味なのか、あるいは、ついに人類が幻想を克服するという意味なのだろうか?
そもそも、人間が幻想を克服できるのか?
フロイトは、それは絶対不可能と言うだろう。なぜなら、国家が幻想であると同時に、人間自体が幻想なのだ。
だから、フロイトは、アインシュタインとの歴史的な書簡の往復の中で、人類が戦争をやめることは、非現実的と言ったのだ。

だが、そうではない。人間は、幻想を克服できる。それを証明した人は多くいる。
では、人類最大の幻想とは何だろう?
もし、それが分かれば、それは、あらゆる国家にとって、最大のタブーになる。
国家権力者が、意識的にしろ、無意識的にしろ、絶対的に阻止しようとすることは、それが壊されるのを阻止することだ。
そのためには、国家は、いかなる残虐なことも、不条理なこともする。
イエスが殺された理由も全くそれだ。
では、幻想で出来た国家が、どうしても破壊を阻止したい人類の幻想は何かというと、人間は幻想を脱することができるということだ。
幻想を脱するとは、悟りを開くことである。
ここまでは良いのだが、この先を言って、それを人々が信じたら、国家は困るのだ。

悟りとは、つまり、ブッダやキリストになるということは、別に超人になることではない。超人こそ、ニーチェの幻想だ。
悟りとは、太陽が太陽であるように、宇宙が宇宙であるように、人が人であることだ。
人の最も自然な姿、当たり前の在り様が悟りなのだ。
そして、悟り以外の幸福などあり得ない。悟りを開くことだけが、人の唯一の幸福なのである。
バラがバラであることだけが幸福であり、バラが鳥になろうとすることが不幸であるようなものだ。
そして、悟りを開くことが難しいことであるはずがない。鷹が鷹であることが何も難しいことでないように。
だが、鷹に、自分がハトであると思い込ませたい者がいるから注意しなければならないのだ。
あなたは、自分が馬でなく岩でなく、人であると思っている。しかし、あなたの持っている人の観念が問題なのだ。それは、世間の人の観念である。
人は、身体でも、感覚でも、知性でも、感情でも・・・ない!
だから、古代の賢い人達は、「私は、それである」と言ったのだ。他に言いようがない。言いようのない存在、それがあなたなのだ。
それを探求するのが、我々の真の目標なのである。
当ブログは、そのやり方を説明しているのだが、別段、特殊なことを述べる訳ではなく、言ってみれば、チーターがチーターとして餌をとるのは楽しいことだと言っているに過ぎないのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新トラックバック
明日のことを語る (哲学はなぜ間違うのか?)
手塚治虫へのアンサー
みっともないジェラシーを表現できるということ (ゴルフィーライフV3 〜 Face the Strength(自分のなかの強さに向き合おう))
非難することは本当に恐ろしいことだ
コンサイス英和辞典 (昭和を思い出すレトロなデザインが好き)
世間での狂い方をマスターする
持久走だ、たくましくいこう (ゴルフィーライフ? 〜 自分のなかの強さに向き合おう!)
ある神秘体験
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
お気に入りブログ
◆開き直りのススメ
彫刻家、石彫人さんが語る、マケドニアでの体験で培った開き直りの精神が心の壁を取り払ってくれます。
◆インフォニティ@情報ソムリエ
リア友、4大陸制覇は目の前、ロックな20代のブログ。見ろ!
◆書之時 華文字
インザちゃんのブログ、もとい!オランダ在住の書家、華文字さんのブログ。
◆風阿弥・記
不思議なドローイングアートを制作されているイラストレーター、風阿弥さんのシュールな作品展ブログ。
◆ガマ仙人の徒然草
街の中で無為自然に生きるガマ仙人さんのブログ。IT、柔術も一級品という変わったお方でもあります。
◆昭和を思い出すレトロなデザインが好き
日本人が希望と温かい心を持っていた時代を鮮やかに甦らせる、dandanさんの昭和レトロなブログです。
◆若く長生き! 幸福生活養生法
東洋医学の知恵で、健康と長寿の至福をもたらす養生先生の叡智に溢れるブログです。
現在の人気ランキング
QRコード
QRコード
初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
livedoor プロフィール

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ