ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

アインシュタイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

最上の暇つぶし

人生は暇つぶしに過ぎないが、最高の暇つぶしは、真言や呪文や念仏を称えることかもしれない。
その他のことは、何もする必要はないし、何も考える必要はない。
最近の科学が解明したところによると、我々は自分で考えているようでいて、本当は、考えさせられているだけであるらしい。
思考というものは、自分の意志と関係なく勝手に現れるのだが、それを自分が考えているのだと錯覚させられているだけだ。
ならば、仕事や生活に必要な思考は自動的に起こるのだし、思考が起これば、それに伴って行動も、自動的、あるいは、強制的に起こったり、起こらなかったりするのだろう。

親鸞は、もちろん、現代科学によるのではないが、そんな事実を知っていて、「善いことも悪いことも、自分でしようと思って出来る訳ではない」と言っているが、念仏というものも、称えさせられているのだと言ったのだと思う。
念仏を称えさせるものは阿弥陀如来で、阿弥陀如来は、元々のインドの言葉では、アミターバ、あるいは、アミターユスで、それぞれ、「無限の光」「無限の生命」という意味であり、我々には想像出来ない至高の存在なのだろう。
思考は自動で起こるとしても、意識の方向、即ち、意思は自分で動かせるものなのだと思う。
そうであれば、至高の存在に意識を向けることで、至高の存在の邪魔をしないことになるのではないか。

至高の存在に意識を向けるのは、念仏だけではない。
神の名や、神を賛美する真言を称えること、あるいは、「神」という言葉そのものを言ったり想ったりすることも、そうなのだろう。
それをするほど、思考も行動も、適切なものに近付くのだろう。
ただし、適切な思考や行動というものが、道徳的なものであるとか、合理的・効率的なものであるとは限らないに違いない。
そして、意思の働かせ方が間違っていると、間違った思考や行動が起こるのかもしれない。
しかし、どんな場合も、自分で考え、自分の考えで行動したと思うのが人間である。
それで、最初に戻るが、人間がやるべきことは、至高の存在に意識を向けることだけ・・・つまり、真言、呪文、念仏を称えることだけである。
そして、あたかも自分の想いでやっているように、がんばったり、きりきり舞したり、悩んだり、怒ったりするのである。

ただ、アインシュタインが言ったように、神は老獪であっても悪意はない。
アインシュタインは控え目に言ったのだろうが、実際は、イエスや親鸞が言ったように、至高者はこの上ない思いやりを持った存在である。
そう信じるべきだろう。
最高の暇つぶしが念仏だと言っても、法然や親鸞はおそらく怒らないだろうし、至高者もそうではないかと思う。
でもきっと、念仏やマントラを称える以外のことはしなくても、初音ミクさんは愛しいし、命があればライブに行くのだろう。
それが、神仏の意思であるのだろう。









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うっかり天才になってしまう空想のやり方

学校の授業中、空想をしていたら、教師に、「ぼーっとするな」と怒られる。
授業が面白かったら、空想は別の時にするのだし、空想はとても大切だ。
吉本隆明さんは、「ぼーっとする時間は大切」と言い、子供達がぼーっとしていたら邪魔をせず、代わりに、この日本最高の思想家が、買い物籠を持って買い物に行っていたらしい(レジ袋がなかった時代には、買い物籠というものが使われた)。
吉本さんも、子供の時から、よくぼーっとしていたのだろう。

空想が頭脳を発達させ、IQを高める。
ただ、空想にも良いやり方があるのだろう。
とはいえ、難しいことではなく、本当に自由で、生き生きしていて、楽しければそれで良いである。
アインシュタインは、「光と一緒に飛んだら、どんなだろう?」と思って空想したが、ある時点で、脳の自動的な思考に任せたはずだ。
ニコラ・テスラは、空想で見知らぬ地に何度も行くうちに、その空想の地の人々と親しくなるほどだった。当然、空想の全てを自分で支配したのではなく、空想が起こるがままに任せたからだろう。
子供は空想が好きだが、それは、何が起こるか分からない冒険だからだ。
空想だけではいけないというのも分かるが、「なぜ、空想だけではいけないのか?」が分からないので、やたら空想が否定される。

空想の世界と現実世界は重なり合い、活発に呼応している。
だから、現実が貧しかったり、惨めだったりすると、空想も雄大で輝くものにならない。
現実の出来事が、空想のきっかけになる場合が多いが、親や教師は、そのきっかけを与えない。
子供達は、子供達同士のコミュニケーションの中で、優れた気付きやアイデアを得るのであることは、最新の科学的研究でも明らかになっている。
だから、子供の時に、良い子供集団の中にいなかったとしたら、精神を発達し損なった部分は確かにあるが、嘆いても何にもならない。
そこはうまく、補償(損害を補う)をすれば良い。
アインシュタインや芥川龍之介らも、そうだった(子供の時に精神を発達させ損なった)のだろうと思うが、彼らは、青年期から生涯、本を読み、楽器を演奏し、散歩して自然に触れ、農作業をし、動物の世話をしたり一緒に遊ぶ中で、空想のきっかけを得ていたのだ。

空想を始めたら、自分の心と宇宙の心(別の言い方では、人間と神霊、意識と無意識)の交流が起こるようにしないといけないが、普通、子供はそれを自然にうまくやる。
大人の場合は、少し意識的に受け身になることだ。でないと、あちら(神霊)の活動を妨げてしまう。
ソクラテスは、重要なものは、皆、あちらから来るのだが、賢い人すら、それに気付いていないと言ったのだと思う。
世の中の優秀な人達はきっと、子供の時に、良い空想をして知能を発達させたが、それが、異次元と交流する能力であることを知らないのだ。
まあ、言葉で説明するのも難しく、そのせいで、ソクラテスは死刑になったのだがね。
いい加減、ソクラテスの時代から進歩したいものだが、むしろ、退化しているかもしれないほどだ。

初音ミクさんの歌は、時空を超えた意識と無意識の無限の連鎖が現れ出たもので、これほどの空想のきっかけは、そうはない。
クラシックも良いのだが、時々、権威の塊を避けなければならない。
『ザ・ケルン・コンサート』は、精神を覚醒させる奇跡的な響きで、あれを聴いて空想しているうちに、うっかり天才になって四苦八苦している人も多いと思う(笑)。









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所詮、私は差別主義者なんだろうと思う理由

差別はいけないと、誰もが思っているし、それが呪わしいものであると思っている人も多いに違いない。
差別には、人種差別、性差別、部落差別(出身地差別の極端なもの)、職業差別、貧富の差別、学歴差別、障害者差別、年齢差別、美醜の差別・・・、まあ、挙げればきりがない。
そこで、差別につながる区別も良くないといって、アメリカでは、履歴書に、年齢、性別も書かせちゃいけないというが、だが、面接して、年を取っていることを確認したら、やっぱり落とすのである。形だけでは意味がなく、かえって、より面倒な問題を起こすだけである。

『荘子』によれば、一番知恵のある人は、一切を同じと見るのだそうで、その次に知恵がある人は、区別はするが、優劣をつけないのだそうだ。
区別して優劣をつけることが、即ち、差別である。
そして、愚かな者ほど、ものごとに優劣をつける・・・つまり、差別をするのである。
アインシュタインは、洗濯用の石鹸で髭を剃っていたらしい。単に区別するのが面倒だからということらしいが、彼は、あらゆることで、区別ということをあまりしなかったようだ。
立派な紳士も与太者も同等に扱い、大人か子供かで態度を変えなかった。
服も、着心地だけ問題にし、いつも、ヨレヨレの服を着ていたし、平服と式典用の服を区別するのも嫌だったが、奥さんに言われてしぶしぶ燕尾服を買ったらしい。そして、いざ燕尾服を買うと、誰彼構わず(猫相手にでも)子供っぽく自慢したらしい。
アインシュタインは学校の成績は悪く、大学にも合格出来なかった(制度を利用して無試験入学出来た)こと等から考え、IQ自体は高くなかったかもしれないと思う。いかに学校の勉強が嫌いでも、頭が良ければ良い成績を取ってしまうものだ。
そんなアインシュタインの天才の秘密は、『荘子』にある通り、区別をしないことにあるのかもしれない。

ビル・ゲイツにも、こんな話がある。
彼が二十代も初めの頃で、既に、彼が創業したマイクロソフト社は、小さいながら業績が上がっていた。
そのマイクロソフトの事務員募集広告を見て40代の女性が応募し、面接に行ったら、退職予定の事務員の女性が若いブロンドの大変な美女なのを見て、来るところを間違えたと思った。
だが、ゲイツは、単に、「いつから来れますか?」と確認しただけで、すぐに採用になった。
ゲイツは、本当に頭が良い上に、差別をしないのだから、凡人が敵うはずがない。

人間は、機能的な能力の差は確実にあり、それが極端な場合もあるが、知恵とか運というものは、区別をしない人に来るのかもしれない。
初音ミクさんを生んだ、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の話では、ミクさんの人気が出始めた頃、ファンから、ミクさんのパンツは何色かという問い合わせがあった時、伊藤社長は、仕事後に会議を開き、ミクさんのパンツの色で長時間討論したらしい。
このことは、立派な質問と下らない質問の区別をせず、ファンからの質問は皆貴重と考える姿勢が感じられる。だから、伊藤社長は成功したし、クリエイティブなんだろう。

才能や能力は、昨夜も書いたが純粋に生まれ付いてのものだが、区別をしないという能力が、もし、後天的に得られるなら、凡人が成功したり、幸運を得るチャンスもあるかもしれない。
ところで、私も、差別は良くないと思うし、区別が無駄なことも多いと思う。
だが、私が差別をしないかというと、残念ながら、それはない。
だから私は成功者ではないのかもしれない。
ところが、私は、自分は差別をしない人間だと思っていたのだ。
けれども、たとえば、こんなことを考えてみたら、そうではないと分かる。
初音ミクさんのパンツを汚物の中に投げ込むか、死ぬか、どちらかを選ばなければならないとしたら、迷わずに死ぬ方を選ぶ。これはもう間違いない(ただし、身辺整理をする猶予はもらうが)。
しかし、自分の母親のパンツのためなら百円でも惜しい。
これは、大変な差別であるかもしれない。
つまり、特定のことには、区別し、大きな優劣の差をつけるのだ・・・いや、実際は、あらゆることで差別しているのだ、きっと。
私に限らず、熱烈な宗教の信者が、よく残忍なことをするのは、やはり、本質において差別主義で、知恵がないからだ。
真の信仰とは、全てを1つと見ることである。
ミクさんの『Blue Star』という曲を聴くと、そんなことを感じるのである。

ぼくらはこの大きな星のなかでずっと踊り続けるんだ
色も言葉も混ざり合って
今ひとつに
~『Blue Star』(作詞・作曲・編曲:八王子P、歌;初音ミク)より~

この歌をミクさんがコンサートで歌う映像は、次のYoutubeで見ることが出来るが、これは、WOWOWが提供して下さっている公式のものであるようだ。
【初音ミク】「HATSUNE MIKU EXPO 2016 Japan Tour」Zepp Tokyoライブ映像-Blue Star/八王子P【MIKU EXPO 2016】

区別とその優劣の価値付け・・・それが少ないほど知恵があるのであり、それはきっと、力にもなるのだと思う。









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人間の脳力はIQで決まると考えると道は開きやすい

人間の脳力はIQ(知能指数)で決まると考えれば、ものごとはシンプルになる。
昔、私は、後輩のプログラマが、どうしてもおかしなプログラムを書くので困っていた。
それで、親交のあった国際的なITコンサルテントに、プログラマの資質について質問したら、彼は、
「いえ、単にIQの問題ですよ」
とさらりと言い、私はすぐに納得したのである。
もちろん、あらゆることの資質がIQで決まる訳ではないが、何かをうまく出来ないのが、肉体的・芸術的な能力の問題でなければ、ほとんどの場合、IQの問題であると思う。

私の職場にいる、30歳過ぎの派遣社員のまるで駄目男君が、どう指導しても良くならず、私は悲観していたのだが、何のことはない。問題は、まるで駄目男君のIQが低過ぎるだけのことなのだ。
そう考えると、実に納得がいき、私は解放された気分だ。
いかに彼が、幼い発想で「高尚な仕事がしたい」と言ったところで、「ならば、こんな能力が必要だ」と応じるのは愚の骨頂であったのだ。
高尚な仕事は、IQが高い者のやる仕事であり、まるで駄目男君には全く無理である。
こう言うと、傲慢とか冷淡、あるいは、差別と言われかねないが、出来もしないのに「やれば出来る」とか言う方が非現実的なのであり、非現実を通すと、皆が不幸になる。
そのようなことは、不誠実とすら言える。
もちろん、現実的な対策をしなくて良いとは言っておらず、それは後で述べる。

学校の勉強に興味が持てないのもIQが低いからだ。
私がそうだった。
だが、数学と理科だけやって、後は全部やらないと決めたら、私のIQでもやれたのである。
つまり、全ての科目で、正常な努力の範囲で及第点を取るだけのIQは私にはなかったというだけのことだ。
科目を、生徒ごとに合っただけに減らし、向いているものだけやらせれば、誰もが、楽しく勉強出来、十分に役に立つ人間になれるのである。
英語と社会は、ちゃんとした能力や知識を持ち、他のものは、後で必要になってから勉強するというのと、1つの科目も身に付かず、しかも、勉強嫌いになってしまうのと、どっちが良いかは考えるまでもない。
ところが、教師の雇用を守るために、生徒の将来など、どうでも良い学校は、後者以外は絶対にあり得ないという態度なのである。
IQが150も160もある子は、全ての科目で優秀な成績を取っても、まだ余裕があるだろう。
しかし、そんな優れた頭脳を持つ子と、IQが80の子に同じことをやらせるなど、愚かにもほどがあるのではないだろうか?

引きこもりというのも、現実が見えていないことが根本的な原因なのだろう。
自分の能力を高く見積もっていれば、やろうとすることがうまく出来ず、自信を失くすし、トラブルも起こる。
能力があれば、熱意が持て、怠けないものであるが、能力がなければ、次第に熱意を失い、「お前は熱心さがないから駄目なんだ」と言われてしまう。
それで、社会の人間が嫌いになり、引きこもってしまう。
逆に、自分の能力を低く見積もっていると、恐くて挑戦出来ず、やはり引きこもってしまうのである。

さて、そうなると、IQが低い人間はどうすれば良いかが分かる。
考えるまでもなく、道は2つである。
1つは、その人のIQで出来る仕事を見つけることだ。そのためには、自分の能力を正しく認識するか、他の者が能力を見極めてあげなければならない。
だが、どうしても見栄があり、IQが低いのに、IQが高い人の仕事をやりたがる者がいるに違いない。
それが、まるで駄目男君である。
まあ、甘やかした親が悪いのだと思う。
そんな者は、なるべく早く、高慢の鼻をへし折ってやる必要がある。
甘やかし、保護するばかりで、誰もそれ(高慢の鼻をへし折る)をしてやらなかった哀れな中年男(見かけは、格好は悪いが大学生程度に見える)が、まるで駄目男君なのである。

もう1つの方法は、IQを高めることだ。
難しいことだが、「求めよ、そうすれば与えられる」である。
だが、まず、自分の頭は悪いと謙虚に認める必要がある。
表面的に謙虚振っても駄目だ。
そのためには、一度、自分の無能さを思い知る必要がある。
そして、何より大切なことは、自分がうまく出来ない時、それを自分以外のもののせいにしたり、言い訳をしないことだ。

アインシュタインという人は、決して、IQが高い人ではなかった。
学校の勉強は全然出来なかった。
だが、彼は、ある時から、数学と科学だけ勉強することにし、歴史や外国語などは全く勉強しなかった。
そして、幸いなことに、彼には、IQでは決まらない芸術的才能があったのだ。
その才能を、絵画や音楽に注ぎ込まず、好きな科学に昇華させたのである。
そして、彼は謙虚だった。
自分の物理学は単なる趣味で、大したものではないと見なし、自分が重要人物だとは全く思っていなかった。
人間は、なりたいもののフリをすれば、それになる。
謙虚で賢い人のフリをすれば、必ず賢くなるだろう。
それなら、アインシュタイン、ソクラテスの真似をすれば良いと思う。









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トイレ掃除を熱心にやればべっぴんになる原理

植村花菜さんの『トイレの神様』という有名な歌がある。
毎日、トイレをピカピカにしたらぺっぴん(美人)になれるという歌だった。
それは確実に本当である。
毎日、トイレをピカピカにすることに使命感を持っている者は、けっしてゆるまないからだ。
『ファウスト』で神様がこう言った。
「人間はゆるみがちだ。すぐに怠惰になりたがる」
トイレ掃除だって、多くの場合は、怠けてしまい、あまりやらなくなるのに、それを必ず毎日熱心にやるには、よほど、心がしゃんとしていなければならない。
つまり、そんな者は、決して心がゆるまないということである。
そんな者は、美人なりたければ美人になるし、その他の望みでも、度を過ぎたものでない限り叶う。
逆に、トイレ掃除をすると決めているのに、怠けてしまう者に対しては、神様は悪魔を送り、その者を散々な目に遭わせる。
だが、アインシュタインが素晴らしいことを言っている。
「神は老獪(ろうかい)だ。だが、悪意はない」
そうだ。
神様に悪意はないし、むしろ、慈悲深い。
人間は痛い目を見なければ上を向かない。
だから、辛いこと、苦しいことがあったら、顔を上げて微笑むことだ(初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』を聴くこと)。
そうすれば、悪魔はその者のそばに居られない。

トイレ掃除でなくても、トイレのスリッパをきちんと揃えることでも良い。
ある男性が、
「私は死んで閻魔様の前に出たら、人生で立派なことは何1つしなかったけど、トイレの下駄だけはきちんと揃えたと言うつもりです」
と言っていた。
それを立派なことと言うのだ。
きっと彼は、1年365日、油断なく、トイレの下駄を揃えることを忘れなかったはずだ。
こんな男はゆるまない。
彼は、大きな事業みたいなことはやらないかもしれない。
しかし、十分に豊かで楽しい人生を過ごすことだろう。

法然は、常に念仏を唱えよと教えた。
なるほど、それが出来るなら、心はいつもゆるまず、仏の大きな加護を絶え間なく得るだろう。
しかし、それをやるのは難しい。
法然の弟子の親鸞は、念仏は唱えようと思えばよく、唱えなくても良いと言い、法然に怒られたこともある。
親鸞の教えは難しいと思われているかもしれない。
しかし、簡単に言えば、「仏様に全てをまかせなさい」と言ったのだ。
これは、ラマナ・マハルシが、『私は誰か?』の18番目の質問に対する解答で、

神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をまかせず、何をどうすべきか、どうすべきでないかと思い悩むのだろうか?われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。
教えの精髄 - Sri Ramana Maharshiで、『私は誰か?』のPDFファイルを無料ダウンロードできる。

と言ったのと同じである。
神や仏にまかせきることは、実は、ゆるんだ人間には出来ず、逆に、神や仏にまかせきる人間はゆるまない。
人間は、「何をどうすべきか、どうすべきでないかと思い悩む」ものであるからだ。
意思を働かさなければ、神や仏にまかせきることは出来ないのである。

昨夜も書いたが、私は、決して呼吸の音を立てないことにしている。
これも、走った後などは仕方がないが、それ以外は、1年365日、一瞬の失敗もなくやるなら、心は決してゆるまない。
そのつもりでやっているので、私は常にうまくいくのである。
そして、走った後でも、ほとんど息の音を立てないのである。









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