ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アインシュタイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

アインシュタインから真に学ぶべきこと

小さい時に何になりたかったかというのは、実に他愛ないものである場合が多い。
ただし、人間の好き嫌いは3歳頃までの経験で決まってしまうものらしいので、その「好き嫌い」が分かり易い幼児から小学生位までの間は、その子供が本当は何が好きなのか、よく見てあげると良い。
しかし、ほとんどの親は、自分の好みを子供に押し付けてしまうのである。ただし、親にはその自覚がない。だが、馬鹿な親ほど、自分が好きなことを子供がやることを当然と思っているものだ。
また、「健康にさえ育ってくれれば良い」というのが、本当は一番恐ろしい。
それは、「この子は、私の都合の良いようにさえなってくれれば良い」という意味である場合が多い。もっと悪い意味である場合もあるが(笑)。

日本を代表する音楽家である坂本龍一さんは、自分の意思と関係なく、3歳頃からみっちりピアノを弾かされるなど英才教育を受けたことが、良い結果になったが、それでうまくいったのはたまたまで、同じようにやったら大失敗したという場合が圧倒的と思う。
まして、歌手で声優の水樹奈々さんのように、父親が全く自分の思い込み(というか趣味)で、奈々さんを歌手にすべく、子供の時から自己流の猛特訓を課したといった場合、奈々さんはたまたま良い結果になったように見えるが、本来は子供が破滅するのが普通で、決して真似してはいけないことであると思う。(破滅しているかどうかは、ずっと後でないと分からない場合も多い)

今ではギャグアニメと認識されているかもしれない、昭和のヒットアニメ『巨人の星』は、当時は超マジなスポコンアニメだった。そのオープニング主題歌の出だしは、「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」で、こんなもので育った者達が、まともな国を作れるとは、私にはとても思えない。
このアニメのヒーロー飛雄馬は、「思い込んだ」のではなく、完全に「思い込まされた」のだ。これが洗脳でなくて何だろう?

小学生から高校生くらいまでの児童生徒に「将来なりたい職業」なんてアンケートを行うことがよくあると思うが、その結果を見ると、子供達の知的環境なんて最低なんだと思う。
もうちょっとマシな返事が出来るような環境でないことが日本の子供達のとてつもない不幸であることは間違いない。
ただ、これは、偶然にこうなったというよりは、社会に巣くうエゴの、避けようのない影響である。

こんな話を、なぜたらたらしたのかというと、結論はこうなのである。
まず、自分が持っている馬鹿げた願望をいったん全部捨てた方が良い。
それは早い方が良い。なんせ、本当は、小学生の時にやるべきだったのだから。
そして、考えることをやめれば、潜在意識が行くべき道を示してくれ、それに従えば自然に成功する。
考えることをやめると言っても、日常のありきたりなことは考えれば良いのであるが、人間の頭というのは、せいぜい、その位の役にしかたたない。
アインシュタインは、日常のことを考えることすら苦手だった。
彼は、頭で考えて相対性理論を構築したわけではない。
事実は全く逆で、彼は考えることを自在に止めることが出来たので、潜在意識が彼に閃きを与え、相対性理論を構築出来たのである。。
彼は、頭で考えることが嫌だったから、学校では勉強は出来なかった。また、大学でも、講義には出なかったし、試験のために頭を使った勉強をすることの苦痛を切々と訴えていた。
我々が知るべきことは、彼がどうやって考えたかではなく、どうやって考えることを止めたかである。
アインシュタインは、子供の時、「光と一緒に飛んだらどうなるだろう?」と考えたという有名な話がある。
だが、これは間違いなく作り話だろう。
ニュートンのリンゴの話同様、都合の良い作り話が出来てしまったというだけのことだ。
アインシュタインは、よく瞑想していたというが、これも「ものは言い様」で、実際は、ただ、ぼーっとしていたのだ。
我々も、ぼーっとしなければならない。
ただし、「ぼーっと仕方」は凄く大切だ。
普通の人がぼーっとしているように見える時は、頭の中で一生懸命、下らないことを考えている。
対して、アインシュタインは「今」を意識していた。今、目の前に見えるもの、聴こえる音、今の暖かさや寒さを感じていたのだ。
彼は、自然の中に身を置くことが好きだった。そんなふうに「今」を感じることを、楽しく、簡単にやれるからだ。
だが、我々にだって出来ることはある。
可能なら、自然に身を置く方が良いが、そうでなくても、「今」を意識することは出来る。
また、ソルフェジオ 周波数の音楽を聴くことで精神を安定させ、楽に思考を止めることも出来る。
意識して腕振り運動を淡々と丁寧に行うことで、今を実感することも出来る。
そうすれば、自ずと、思考や行動は正しくなり、健康で、普通は豊かにもなる。
そして、間違いなく、楽しい冒険が始まる。人生は、RPGなど全く比較にならない楽しいゲームである。








人間の4つのタイプの内、正しいのは1つだけ

幸福な成功者は、自分の頭脳や肉体の力が大したものではないことを知っている。
真に偉大であるほど、自分の力が取るに足りないものであることが分かっている。
とはいえ、そんな人達が「どうせ私なんて」と卑屈だったりすることはなく、自信がないわけでもない。
ただ、ここらは非常に誤解され易い。
成功者にも、自分の能力を誇る者、尊大である者が沢山いるように思われるし、卑屈なほど自信がない成功者もいるように思うからだ。
そこで、理想的な成功者を象徴する言葉として「謙虚である」と言うことが多いのだが、「謙虚でない」成功者もいるように感じるし、全く駄目な人間にだって「謙虚である」者もおり、「謙虚である」ことが成功の要因というわけではなさそうだ。

そこで、事実を知っておくと良いと思う。
例外もありそうに思うから、「原則こうである」と言った方が良いように思えるが、そうではなく、見せかけに惑わされなければ事実は1つだ。
「幸福な成功者は、自分個人の力は小さく、価値は大きいと確信している」
ただし、成功者だって、このように言う場合が少ないから困るのだ。
例えば、「私が成功したのはたまたま」と正直に言う成功者は少ない。
ただ、「私は運が良かった」という言い方をする者なら多い。「たまたま」成功したと言うよりは格好良い(笑)。
だが、「私は運が良かった。そして、私が運が良かったのは、私がこうであるからじゃ」と余計なことを言う馬鹿が多い(笑)。
そして、やはり、「私は努力したから成功した」と言いたい者は多いし、実際、彼らも、自分は苦難を頑張って乗り越えたから成功したと思っている場合が多いのだ。
しかし、成功者は、本当は皆、分かっている。
「自分の力は小さく、価値は大きい」
だが、死ぬまでそう認めない成功者も多い。
エゴ(自我)とはそんなものなのだからだ。

アインシュタインは非常に謙虚だったと言われる。
自分は難しいことは一切苦手だと宣言し、服を選ぶことも出来ないので、いつも同じヨレヨレの服を着、洗濯石鹸で髭を剃り(髭剃り用石鹸との区別が難しいから)、エレベーターの操作も自分には難しいので、奥さん(学歴はない)にやらせた。
そして、自分の物理学は、単なる趣味だと言い、ロクデナシとも対等に付き合い、中学生に数学の宿題を手伝うよう頼まれると喜んで協力し、車を買わずに毎日長距離を歩いて通勤し、高給を要求せず、食事も質素だった。
このように、非常に良い人であるように伝わっているが、一方で、極めて尊大であったとか、怒りっぽかったという信憑性の高い話も残っている。
おそらく、両方事実である。
我々だって、時には謙虚で時には傲慢だし、生きている限り、誰もが同じはずなのに、我々は、有名人に対し、常に謙虚であることを求めるところがある。

そして、成功者であるかないかの問題ではなく、人間は、
「自分個人の力は小さく、価値は大きい」
のであり、これが分かれば何でも出来るのである。
分かり易く、全てである4つのパターンを提示する。
(1)自分の力は小さく、価値も小さい:不正解。卑屈タイプ。
(2)自分の力は小さく、価値は大きい:正解。極めて少数。
(3)自分の力は大きく、価値は小さい:不正解。最も多いタイプ。
(4)自分の力は大きく、価値も大きい:不正解。サイコパスタイプ。
普通の人間は、コロコロタイプが変わる。しかし、どのタイプになり易いかの傾向性が異なる。
だが、事実は(2)だけであり、ここに固定するほど幸福になるのである。








あらゆる問題はこれでまるっと解決

人間、結局は、誠実であること、真面目であること、根気があること、思いやりがあること・・・という、何とも盛り下がる(笑)、面白みのないことが一番なのだと、つくづく思う。
一言で言うなら「愚直であれ」である。
だが、愚直であろうとする人間こそ、支配者にとって都合が良い愚民という面もあるので、そこを解決しておく。

実際、愚直な民衆が不幸になるしかない圧制の中でイエスが、そして、愚直な王子様だった釈迦が、疑問を持ったのだろう。
愚直こそが大切なのに、愚直であれば現実世界で不幸になってしまうことが悲しいのである。
やがて、2人は何かに気付いた・・・即ち、悟りを開き、問題を解決する。
その悟りとは、簡単に言えば、自分より高い存在があるということだ。
そして、アインシュタインが大事なことを付け加えている。それは、
「神に悪意はない」
ということだ。
釈迦やイエスには、元々、それが大前提であったのだと思う。
釈迦とイエスの教えを一言にするとどうなるかというと、釈迦は、
「南無阿弥陀仏」
つまり、自分より高い存在(ここでは、その象徴としての阿弥陀仏)に頼れと言い、イエスは、
「心配するな(「思い煩うな)と表現することが多い)」
つまり、神が面倒を見てくれるから心配無用ということである。
どちらも同じことである。
これで、あらゆる問題は、まるっと解決である(笑)。

まあ、スティーブン・ホーキングやレイ・カーツワイルのような、「神は存在しない」と言う人もいるが、彼らは、そう言わないといけない理由があるのだろう。
ただ、カーツワイルは、「神は今後生まれる」と言い、それはテクノロジーで拡張された人類だと言うが、それだって、やっぱり神なのである。
我々が思う神も、先輩の知的生命体かもしれないとは、私も思っているのである。
ホーキングに関しては、彼は表現が制限され過ぎていたことに気付かないといけない。彼は、理屈を発表するのが精いっぱいで、実際には何を考えていたのかは分からないのだ。

イエスが教えた最重要事項を、一休さんも思いついて、弟子達に遺言として残している(作り話かもしれないが、一休さんの真意は捉えている)。
つまり、「心配するな。なんとかなる」だ。
だが、なぜそうなのかというと、やはり、高い存在・・・すなわち、神仏(あるいは、神仏のような何か)が存在するからだ。
当然ながら、神仏に悪意はなく、善意というか愛(仏教では「慈悲」と言うが)しかない。

自分より高い存在を意識することが祈るということだ。
「南無阿弥陀仏」と言っても良いし、「アーメン(神よ、あなたの思いに同意します)」と言っても良い。
また、神仏の真言や、神仏の名を唱えることも、同じことである。
「なんとかなる」「大丈夫」も、同じだ。
「神様の奇跡が起こる」という言葉も、まさしく、神の存在を意識しており、唱えれば奇跡が起こる。
私は昔から「神に出来ないことはない」という言葉が気に入っている。
究極となると、「神の他に何もない(There is nothing ,but GOD)」という言葉があり、これは、かなり精神を純化した者用と私は思う。
これで絶対安心なので、後は愚直に。








ボーカロイドだけが日本のクリエーションで良いのか

アインシュタインが、自分も苦しめられた学校教育を批判し、「知識より想像力が大切」と言ったのが、おそらく、彼の名言の中で最も重要なものだろう。
世界の学校教育は進歩したが、日本だけは、相変わらず、産業革命直後の、ロボット的な工場労働者を作る教育が継続され、それが、他国との競争力の低下として明確に現れてきている。
他国では、もう数十年も前から、1つの授業の時間を短縮して集中を持って学べるようにしたり、日本のように、知識を暗記したり計算力をつける教育ではなく、思考力を高める教育が普通になっている。
もう日本の教育は救いようがないとしか言えない。
そんな日本の学校教育への反発も起こっているが、その中で、肯定的な意味で注目すべきことは、アインシュタインが言うように、「知識より想像力が大切」が理解され、想像力の最も分かり易く、華々しいものである創造を重んじる文化が、一部で起こって来たことだ。
これが、日本における、1つのカウンターカルチャー(抵抗文化)として力をつけてきた。
クリエーション(創造)を高い位置に置く文化・・・クリエーション主義である。

クリエーションを重視する文化の中で、注目すべきものは電子音楽で、それが日本独自に花開いた特筆すべき例が、初音ミクと米津玄師だろうと思う。
シンセサイザーが安価になり、さらに、パソコンソフトで出来るようになったが、どうしても、歌がないと一般には伝わり難い。しかし、いかに進歩した電子技術においても、歌声を合成することは難しかったが、ヤマハがボーカロイド技術を開発することでそれが実現し、やがて、初音ミクという優れた音声合成アプリが登場し、米津玄師という天才が世に出るきっかけにもなった。
真のクールジャパン、日本が世界に誇れるものの1つが初音ミクで、それは世界的にも注目されてきた。
しかし、日本ほどのボーカロイドによる創造は、他国では、そう起こっていないと思うし、あまり起こらないのではと思う。
これは、遅れた日本の学校教育に対する抵抗から生まれてきたからで、かなり学校教育が進んだ国では、子供や若者の創造力は別分野で既に発揮されているのである。
今や、初音ミクなどボーカロイドだけが、日本における創造文化とすら思える。

ところで、ちゃんと理解しておくべきことは、本当の創造というものは、そうはないということだ。
音楽においても、何かで坂本龍一さんが言われていたが、本当に新しい音楽を創造出来る天才は、数世紀に1人といった稀有なもので、一般に新しいと言われる音楽は、既存の音楽の組み合わせである。例えば、ビートルズだってそうで、本質的に新しいものは何もなかった。
そして、これは音楽に限らない。
コンピューターだって、日本では新選組がいた時代に、イギリスの天才が機械式に設計したコンピューター的な計算機を、割と最近、試しに作ってみたら、ちゃんとコンピューター的に計算したらしいし、実際、基礎構造は、その計算機も現代のコンピューターも変わらない。
そんなものを200年も前に作った大天才がいたのは驚くべきことであるが、そんな者こそ、真の創造者である。
初音ミクの素晴らしい音楽を作る人も、特別な創造力があるわけではなく(もちろん創造的ではあるが)、初音ミクが登場したことによって、これまでの時代ではなかった、創造力を発揮する機会が与えられたのである。

その中で、注意したいのは、クリエーション(創造)偏重の思想が起こっているのではないかということだ。
これまで、あまりにクリエーションが押さえつけられてきた反動もあるし、クリエーションの重要性を訴える必要もある。
しかし、何でもかでもクリエーションが重要であるとか、クリエーションが1番という考え方も間違いなのである。
また、上でも述べた通り、真のクリエーションは滅多にあるものではない。
ある意味、普通のクリエーションは、組み合わせの妙なのである。
あまりにクリエーションが過大評価されると、真に新しいものはそうそう作れないことから、他との差をつけるために、エキセントリック(風変わり)になり、過激になり、そして、奇抜になって堕落する。
ボーカロイド音楽は、今はそうではないが、やがてそのようになると推測出来るのであり、兆候そのものは、もう現れているかもしれない。

他と差をつけて自分が優位に立つこと、目立つアイデアで儲けることばかり考えて堕落したものはいくらでもある。
このままでは、初音ミクだけでなく、音楽全体、そうなるかもしれない。
大切なことは、ここでも、魂の声に従うことである。
それを忘れた文化が堕落し、悪しきものを生み、蔓延らせるのである。








自分を重要視しない者の時代

人間は、病気で苦しいと、仕事がどうでも良くなる。
政治家は世界に興味がなくなるし、経営者は会社のことがどうでも良くなる。
「まさか、そんなことはない」と言う者も多いだろうが、本当に苦しければ、完全にとは言わないまでも、かなりそうなる。
そして、仕事への関心を低減しないと治らないことが多い。

経営者が病気で苦しみ、ある程度、会社への関心を失った時、部下の会社幹部達に、
「私は順調に回復している。会社のことは、お前達を信頼しているので安心している」
と、この時点では、まだまだ心にもないメッセージを送る。
俺が復帰したら、あいつらの不首尾を挽回しなくてはならないという気持ちは、まだある。
ところが、自分が休んでいる間、会社はちゃんと回っていたし、やむなく権限を譲渡した者も、思ったよりうまくやっている。
ひょっとしたら、俺は居ても居なくても、そんなに変わらないのかと思う。
それで、俺の病気は、そのことを俺に気付かせるための、見えない者が仕組んだものではないかと思う。
病に伏している時も、うっすらと、そんなことを考えていたのである。
健康を回復し、仕事に復帰したら、そんなことは忘れてしまうように見えても、人を信用しようという心構えは高まっているのである。

別に、社長でなくても、病気というものは、謙虚さを覚える薬のようなものだ。
自分は、それほどの存在ではなく、この世での役割の一部を担っているだけだ。
不要な人間などいないが、かといって、1人の人間の役割など、たかが知れている。
いつまでも、そう思わないなら、どんどん病気が重くなったり、自由を奪われるトラブルに巻き込まれる。
たとえ、トランプ大統領のような人だって、あまりに自分に固執すると、やはり、この世から取り除かれるが、彼はそうではないと思う。
多くの人が、次の大統領選挙にトランプに出て欲しいと思っているが、彼はむしろ、自分以上にやってくれる人がいることを望んでいるだろう。
次の大統領選では、彼ももう78歳になるが、これは大統領に相応しい年齢ではない。
しかし、次の大統領選で、82歳になるバイデンや、トランプと同じ78歳になるヒラリー・クリントンは出馬する気十分なのである。

伝記によれば、アインシュタインは自分を全く重要視していなかったという。
亡命したアメリカでプリンストン高等研究所に研究員として入る時も、全く高給を要求せず、また、いつもヨレヨレの服を着ていても平気だったし、頼まれたら中学生の数学の宿題も手伝った。
アインシュタインは自分を重要人物と見なしていなかったから、ナチスが自分の首に高額の賞金をかけた時も、あまりピンと来ず平気だったようだ。
そして、ネットの時代こそ、自分を重要視せず、自由に言ったり動いたりする者の時代なのだと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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