ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

アインシュタイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

偽物は穢れない

西尾維新さんの小説、あるいは、アニメの「物語シリーズ」の中の『偽物語』で、詐欺師の貝木泥舟(かいき でいしゅう)が大学の時に出したという問題が気に入ってしまった。
それは、
「本物と、本物そっくりの偽物では、どちらが値打ちがあるか?」
だ。
貝木の仲間の2人はそれぞれ、
「本物に価値がある」
「等価値」
という答だったが、貝木は、
「圧倒的に偽物に価値がある」
だった。
私は、やはり圧倒的に貝木に賛成だが、それは、それが真理であると言うより「そうあって欲しい」という願いも入っているのかもしれない。
ところで、貝木がそう思うのは、偽物には、「本物になろうという意思があるだけ、本物より本物だ」からだそうだが、それはそれで賛成だ。
私は、「意思」こそ最大のものだと思っているからね。
しかし、それとは別に、私には偽物が好きという妙な感情がある。
それは、
「たとえ本物以上になっても、偽物には、どこか後ろめたさや引け目がある」
からだと思う。
その後ろめたさや引け目が、穢れを免れさせる・・・早い話が美しいのだ。
引け目があるから、「グノーティ・サウトン(身の程を知れ)」という神託に従うことが自ずと出来るのである。

初音ミクさんは偽者のシンガーであるボーカロイドだし、レイシアは偽者のヒューマンであるヒューマノイドだ。
「ロイド」とは「~のようなもの」という意味で、つまり、偽物だということだ。
だが、ミクさんは本物のシンガー以上の価値があり、レイシアは本物の人間以上の価値がある。

アインシュタインや宮本武蔵も偽物だった。
アインシュタインは、大学は卒業していたが、大学で勉強していないし(講義には出ず、試験も一夜漬け専門)、博士でも教授でもなく、一頃までは特許局の職員だった(後に博士や教授になり、駄目になったが)。
宮本武蔵も、流派を築いたと言えば聞こえは良いが、早い話が我流であり、櫂(かい。舟をこぐ道具)で佐々木小次郎と戦って勝つという、本物の剣士なら絶対しないことをやっている。
映画『フラッシュダンス』のアレックスは、クラシックバレエをやったこともなければ、キャバレーで怪しいダンスを見せる偽者だった。だから良いのである。
伊藤穣一さんは大学の学位を持たず、専門もなく、昔はシカゴでMCをやっていた偽者の研究者だから最高の研究者なのである。

偽物を目指そうではないか?
本物などクソクラエである。
私も、偽物のプログラマー、武道家、哲学者でありたい。
本物のプログラマーはJavaを使うが偽物はVBAを使い、本物の武道家は流派の教えに従い正々堂々の戦いをするが偽者は我流で、どんな卑怯な手を使ってでも勝つ。
本物の哲学者は哲学という学問に通じているが偽者は学問の哲学など全く知らぬというより、知ってたまるかである。









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本当の知性の恐ろしさと鮮やかさ

日本のプロレス史上、最も重要な一戦は、1954年(昭和29年)の、力道山VS木村政彦の、「昭和の巌流島」と呼ばれる試合だろう。
この試合について、2011年になってからも、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が出版されて大ベストセラーになったりすることから、その重大さが分かるのである。
当時、日本のプロレスの絶対王者であった力道山に対し、無敵の柔道家からプロレスラーに転向した木村政彦が挑戦し、結果、力道山の壮絶なKO勝ちとなり、木村は重症を負う。
この試合に関し、何が本当に本当なのかは分からないが、ただ、試合前に両者に引き分けの約束があったことは、それに反する証言がおそらく無いことから、確かなことだったと思う。
だが、なぜ、力道山が、約束を破って、木村をKOしたのかについては、いろんな説がある。
ただ、情報がほとんどない私に分かることが1つある。
それは、試合結果がそうなったのは、力道山がプロフェッショナルとして、木村が足元にも及ばなかったということだ。
ひょっとしたら、純粋な格闘家、武道家としてなら、木村の方が強かったかもしれない。
しかし、力道山には、日本のプロレスのリーダーとして、大事業家、革命家、大きな世界のストーリーライターとして、大きな責任があったのだ。
木村だって負ける訳にはいかなかっただろうが、力道山には、絶対に死んでも負けられない理由があったのである。
そして、絶対に勝つための方法を考え、実行出来たのは、真のプロフェッショナルだったからだ。
力道山は、あらゆる手を使い、木村に絶対に負けない準備をしていたのだ。
引き分けの約束はしただろうが、木村が裏切った時には確実に勝てるようにしていた。木村が裏切った訳ではないだろうが、何かのはずみで、そんなものが出てしまったのだ。
それだけのことだったと思う。

勝負には時の運ということもある。
しかし、真の勝負師は、大事なところでは、勝つ可能性を高めるために、あらゆる有効な手を打つのである。
どんな手を打てるかは、勝負をする者の知性による。
それは、単なるIQや試験の成績で判定出来るような知性とは全く違う。
その能力とは、老獪とか、狡猾という言い方をしなければならない場合も多い。
執念に支えられた知恵は、驚くべき巧妙さと、それに狡(ずる)さが存分に込められていることだってある。

今日、Amazonプライムビデオで『BEATLESS』の第10話「My whereabouts 」を見て、美しきレイシアの賢さにしびれた。
戦国時代の知将、尼子経久(あまごつねひさ)を少し思い出した。
ずるいとも十分に言える。
だが、世界を動かし、自由に構築するためには本当の賢さが必要だ。
並の知性では駄目なのである。
アインシュタイも言ったものだ。
「神は老獪である。だが、悪意はない」
神のようになるとは、そのようになることだ。









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世間には不要で有害なものだらけ

世間に存在している、非常に多くのものが無用なばかりか有害であることが分かってきてしまった。

シャンプーや石鹸は、無くて良く、無い方が良く、さらに、あると悪いものであるようだ。
シャンプーを使わなければ、髪は美しくなり、頭の地肌が健康になってフケ・かゆみがなくなり、抜け毛も減り、髪が濃くなるというのは、おそらく確かだろう。
石鹸も、使わなければ、肌が健康で美しくなり、肌のトラブルが解消されるのではないかと思う。
私は、ごく幼かった時、風呂で母親に石鹸で洗われるのが大嫌いだったことだけは、はっきり覚えている。
私は幼い時から、アトピーか乾癬か分からないが、深刻な皮膚病なのだが、もしかしたら、母親が良かれと思って、毎日熱心に私を石鹸で洗っていたこと、そして、ごく最近まで、私自身が石鹸で身体をよく洗っていたことが原因かもしれない。
私は今は、シャンプーも石鹸も一切使わず、水(お湯)だけで身体を洗っているが、少なくとも不潔だということは全くない。
長年の習慣で持ってしまった皮膚病が、そう簡単に治ることはないかもしれないが、悪くない感じにはなってきていると思う。
沢山の有名な美しい芸能人達が、やはり、水だけで身体と髪を洗うそうだが、それも多分本当だろう。自分でやってみたら分かると思う。

私は、以前から、身体を鍛えるのにジムやトレーニング機器は一切不要で、畳一枚の場所さえあれば超人的に強く美しい身体が得られる「ワン・マット・アスリート」を提唱していたが、かつまたさんがコメントで教えて下さった『プリズナートレーニング』という感動的な本には、監獄の中の独房で出来る、古代から伝えられてきた究極の肉体強化法について書かれていて、ジムやジムにあるトレーニング機器、そして、プロテインが、いかに無駄であるだけでなく、有害なものであるかが、実践的リアリティでもって書かれている。著者は数十年の間、服役囚として監獄で過ごし、その中で身を守るという必要に迫られて習得した本物の技術の魅力は強烈だ。

セミナーも能力開発プログラムも自己啓発書も、やはり、不要なばかりか、有害でしかないのだろう。
元Googleのチャディー・メン・タンが開発し普及させているSIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)は、良いと思いつつ、あの派手な宣伝には抵抗を感じていたが、その直観通り、おそらく、あれも例外ではない。つまり、不要で有害だ。
必要なことはただ、鼻で穏かな呼吸をし(鼻呼吸すれば自然、穏かな呼吸になるのだが)、ピンチの時は自分に「大丈夫だ(All Right)」と言い聞かせれば良いだけなのだ。

他にも、まだまだ、無駄で有害なものは沢山あるのだろう。
例えば、学校、教師のほとんどがそうである。
インドの教育学者スガタ・ミトラや、日本が誇る世界の頭脳(で、初音ミクさんが大好きだという)で、MITメディアラボ所長(MIT教授)の伊藤穣一さんら、世界最高の教育者達も、「必要なものは学習で、教育は不要」と断言している。全く同感である。
アインシュタインも、学校に反発して授業を無視し、大学の講義には全く出席せず、ひたすら独学で勉強したのだ。まして今はIT時代で、アインシュタインよりはるかに有利に独学で勉強出来るのである。
馬鹿げた学校や阿呆な教師を相手にする必要がどこにある。
無論、メンターとしての教育者は必要だが、それは、本当に優れた教育者でなくてはならない。そして、メンターは、別に学問の専門家である必要は全くなく、何かの分野を深く極めた人間が良いのである。
また、医療の多くも不要かつ有害であると思われるが、長くなるので今回は省く。

ただ、1つ付け加えると、頭脳を究極的に向上させる技術がある。
それは、ニコラ・テスラやイーロン・マスクが実践していたものだが、今はまだ体系付けられていないし、それがなされるかどうかは分からない。
それは何かというと、簡単に言うので性急になって誤解しないで欲しいが、ある種のイメージング法である。
浄土系仏教の経典である浄土三部経の1つ『観無量寿経』は、その訓練のために、釈迦のはるか後の人達が作ったもので、純粋な仏教の経典ではないのだろう(実際、サンスクリット版がないそうだ)。
まあ、別に天才になる必要はないのかもしれないが、人類の運命を背負うつもりなら研究すれば良いと思う。

















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AIも人間のこれには歯が立たない

欠点が大きければ大きいほど成功する。
ガンジーも信じない程、偏執狂的な不安症を持つチャーチルが、ヒトラーを絶対に信用せずに(他の政治家は概ねヒトラーを評価した)叩き潰したように。
色キチガイで博打好きなニコロ・パガニーニが、ヴァイオリンの演奏は悪魔的に上手かったように。
彼らは、それらの欠点がなければ、今に伝えられるような偉大な人物にはなっていない。
こういった人物の例は、いつの時代にも沢山いる。
そして、傑出した人物というのは、確実に、並外れた欠陥を持っているものだと断言する。
一頃、アインシュタインは、「唯一の健康的な偉人」と言われたが、なんのなんの、ほんのわずか伝わっている負の逸話すら「ぱない(並ではない)」ものである。

最近、ハリウッドの大物監督が、俳優へのセクハラ行為を暴露され追放されたが、彼はもっとうまくやれなかったのかなと思う。
日本の総理の最大の恥さらしとされるある元首相は、60も過ぎていたと思うが、21歳位の愛人がいたのがバレて社会的に死んだが、彼の唯一の失敗は、愛人に支払う金をケチったことだった(誰だって若い愛人くらい欲しいさ)。
その愛人の女性は、「お金じゃありません。誠意が欲しかった」と言ったらしいが、誰かが実に的確なことを言っていた。
「金のことを男の誠意と言うのだ」
と。
あのハリウッドの変態監督も、しっかり金を払っていれば、これほど早くジ・エンドになることもなかったろうに。
彼は、普通の人なら出来る自制が出来ない欠陥人間であったから成功したのだと思う。だから、それは成功した金でうまくやるべきだったのだ。

まあ、多少「盛って」(次の広辞苑に追加される新語。「おおげさにする」の意味)述べたが、要は、人間は欠陥で大成功するのである。
美点の方は、ますますAIに敵わなくなるが、人間の偏執的、変態的欠陥には、優秀なAIも全く歯が立たない。
よく、「これからAIに奪われる職業」なんてことが話題になるが、AIに取って代わられるのは、職種で決まるのではない。
どんな高度な仕事もAIに奪われる一方、レンガ積みの仕事すらAIに勝ち続ける人も必ずいる。
度を超えた変態的なレンガ積み職人であればね。









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成功とは一体何か

成功といったら、高収益の会社の社長になるとか、プロスポーツのスター選手になるとか、人気作家になるとかいった、世間の人々に賞賛され、並外れた贅沢が出来ることだと思っている人が多いだろう。
しかし、誰かが、こんなことを言っていたのを覚えている。
「みんな社長さんだったら困るでしょ?掃除のおばちゃんだって必要でしょ?」

掃除のおばちゃんは成功者と言えないのだろうか?
そんなはずがない。
豪邸に住み、運転手が運転するロールスロイスに乗った失敗者もいれば、成功した掃除のおばちゃんだっているはずだ。

成功、失敗を別けるのは何だろう?
普通、考えられるのは、満足度、幸福度だ。

だが、成功とは、運命を友にしたかどうかの問題なのである。
良き友に対しては、どんな時も受け入れ、敬い、礼を尽くして笑顔で付き合うものだ。

アインシュタインは、平凡な人間でしかない自分が、「珍獣のように有名になってしまった」ことが可笑しかった。
だが、彼は、ナチスが自分の首に賞金をかけたことも運命として受け入れた。
いろいろあったが、彼は、「神は老獪(※)だ。だが悪意はない」と見抜いたのだ。
※老獪(ろうかい):いろいろ経験を積んでいて、悪賢いこと

大女優になりたかったが、掃除のおばちゃんになるのが運命だったとしても、アインシュタインのように考えることが出来れば幸福だ。
しかし、運命は頼もしい友でもある。
受け入れ、信用すれば、おみやげをくれることもあるだろう。









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