ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

アインシュタイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

日本の教育方針は無視しないと危ない理由

頭の良さとは、測定出来るものではない。しかし、次のような方法で、推測が出来るかもしれない。
我々は、よく、「(A)は、だいたい、(X)だ」という言い方をする。例えば、「挨拶がきちんと出来る人は道徳的な人だ」とかである。
実際は、挨拶が出来るからと言って、その人が道徳的であるという保証はないが、ほぼ合っていると考えて良い。
これを、「挨拶が出来ることと道徳的であることとは相関性がある」と言う。
頭の良さも、何かに相関性があるかもしれない。

「知識と知恵は違う」と言うことがある。
つまり、物知りだからと言って、必ずしも賢くないし、馬鹿である場合だって少なくないかもしれないということだろう。
ところが、知識量と頭の良さは、高い相関性があることは、分かっているらしい。
実際、「物知りだけど賢くない」というのは、むしろ例外で、知識が多ければ、思考力・問題解決能力も高い。
では、「試験の成績が良い人は頭が良いのか?」と問うなら、答は「ごく限定的にイエス」だ。
特に、学生の間は、試験の成績と頭の良さに、相関性はかなり認められると思う。
ただ、教科書の知識は、知識全体のほんの一部で、しかも、非常に偏った知識であることに注意しなければならない。
教科書に載っていることが、ものごとの基礎でも何でもないことは、多くの人が誤解している。
教科書に載っていることは、「1つの偏見」くらいに考えて丁度良いのである。
とはいえ、教科書の知識も1つの知識であることは確かで、多くの学生は、持っている知識の多くは教科書の知識なので、教科書の知識が多い方が、頭が良い可能性が高いのである。
しかし、ある学生が、教科書に書いてあることはあまり知らないが、教科書には載っていない何かに強い好奇心を持ち、多くの知識を得ていて、しかも、その知識量が非常に大きければ、学校の秀才よりずっと賢いかもしれない。
その代表がアルベルト・アインシュタインだった。
彼は、学校の試験の成績はサッパリだったが、科学の一般書に興味を持ち、沢山の知識を得ていた。
逆に、アインシュタインは知識を軽視していたという誤解もあるが、彼が軽視していたのは、教科書に載っているような知識だった。

社会人になると、学校での、教科書の知識量で優劣がついた頭の良さは容易く逆転する。
教科書の知識は、この世の情報のほんの一部で、しかも偏っているし、しかも、秀才だったとはいえ、いつまでも教科書の内容を覚えている訳ではないのだから、学校を終えてから知識を増やさないと、学校秀才も、あっという間に馬鹿になる。
だが、教科書をいつまでも覚えている者も問題なのだ。
教科書の知識を保持している大人が、教科書に載っていない知識も豊富であれば良いのだが、そんな(教科書の知識を保持している)者は、多くの場合、教科書に載っていること以外の知識に欠けている。
ところが本人は、教科書の知識が豊富な自分は、頭が良いと思っている滑稽なことが多いのだ。
学校や塾・予備校の先生には多いタイプと思う。
私の中学校の時の音楽の先生は、生徒に対しては、自分がいかにも大音楽家のように振る舞っていたが、大学や大学院程度で、しかも、専門分野しか知識がなければ、大人としては知識が少ない、つまり、馬鹿であるが、本人にその自覚がなく、自分は優秀だと思っている。面白かったのは、その学校に、本物の音楽家が善意で指導に訪れた時、その音楽教師の物凄く憮然とした顔が新聞に載っていたことだ。自分の馬鹿さを感じざるを得なかった教師の哀れな様子だったのだと思う。
専門馬鹿で、他のことをあまり知らず、しかも、その専門も学校レベルであるなら、そもそもが、世の中で通用しない。
よく、「教師はつぶしがきかない」と言われるが、広い範囲で知識豊富なら、そんなことは絶対にない。しかし、教師は偏った狭い知識しか持たない場合が多いのである。
だから、本当は、教師は子供に関わらせてはいけない人種なのである。

プログラマーでも、コンピューターやプログラミングの知識しかない者は、プログラマーとしても能力は低い。
ビル・ゲイツも、「優秀なプログラマーは、あらゆることを話題に出来る」と言っていたが、全く正しい指摘である。
学生のうちから、成績はそこそこでいいから、興味のあることをどんどん勉強し、本当に賢くなっておくことだ。
特に、これからの時代は、いくら「お勉強」だけは出来ても、学校の偏った狭い知識しかない者は全く駄目だ。
自分が好奇心を持てることをガンガン勉強する者が、ごく自然に上に立つ時代になった。だが、おかしなことに、日本は、世界で、この動きに最もついていけていない国なのだ。
だから、国の教育方針など、あまりに下らないだけでなく、危ないので、決して関わってはならない。








アインシュタインやフロイトには分からなかった戦争をなくす方法

昨日、このブログで、人間を4タイプに分けた。
優れた順番に並べると、次のようになる。
(1)ぼーっとした、変わり者
(2)ぼーっとした、まともな者
(3)意識的な、まともな者
(4)意識的な、変わり者

この中で、世の中にいては困るのが、(4)の「意識的な、変わり者」で、計画的に悪いことをしたり、偏屈で孤立したり、自分の世界に逃避して引きこもって孤独死する。

ところで、人間の分類を軍隊でも行っていたというのを、経営コンサルタントで船井総研創業者の船井幸雄氏の本で見たことがある。
軍隊で、高い地位につけるべき順番で言うと、
(1)頭が良い、怠け者
(2)頭が良い、働き者
(3)頭が悪い、怠け者
(4)頭が悪い、働き者
で、軍隊では、頭が良いことが最も重視され、その中でも怠け者がトップに相応しい。
軍隊とは、有能さを切実に必要とする場所であり、純粋に人間の力を追求した結果がこれであるのだと思う。

尚、軍隊で決して雇ってはならないのは、(4)の、頭が悪い働き者である。
味方に向かって鉄砲を撃つような者だからだ。

だが、この軍隊の区分は、本当は間違っている。
と言うのは、頭の良い人間なんていないし、人間は皆怠け者だからだ。
けれども、一応、上のように分類すると無難なのだろう。本当のところは、次のようになる。
まず、本当の頭が良い、悪いの分類とは、
・本当に頭が良い者は、人間の知性の限界を知っていて、難しいことは自分で判断しようとしない。よって、ぼーっとしている。
・本当は頭が悪い者は、自分の頭が良いと思っているで、難しいことでも自分で判断しようとし、意識的である。
である。
そして、世間で言われる、怠け者や働き者というのは、単に、
・まともな人間のやることは、まともな人間に理解出来る。よって、大多数のまともな人間によって「働き者」と認識される。
・変わり者のやることは、まともな人間には理解出来ない。よって、大多数のまともな人間によって「怠け者」と認識される。
というものなのである。
会社の中でだって、本当に優秀な者のやることは、馬鹿な幹部には全く分からないので「あいつは何もしていない」と言われるものなのである。

よって、やはり人間は、優れた順に、
(1)ぼーっとした、変わり者
(2)ぼーっとした、まともな者
(3)意識的な、まともな者
(4)意識的な、変わり者
と分類すれば良いのである。
そして、人口で言えば(3)が圧倒的なので、人間の世界に争いは絶えず、戦争が起こるのである。
アインシュタインは、彼が最も賢いと思うジクムント・フロイトに、「どうすれば戦争をなくすことが出来るか?」と尋ねたが、フロイトは、「その方法はない」とし、「あえて言えば」として、役にも立たない難しいことを言った。
アインシュタインは、若い頃こそ優秀だったが、中年以降はそうではなかった。
フロイトもそうだ。
戦争をなくすには、上に述べたような意味で、正しくぼーっとすれば良いのである。
そのことを言ったのが荘子である。








オタクが正しい生き方である明確な理由

いかなることも、小手先の技(テクニック)は通用しないことを肝に銘じるべきだ。
よく漫画等で、こんなものを見たことがある。
ボクシングや空手を習っているか弱い男の子が、力自慢だが、そんな格闘技の経験のない乱暴者に楽々勝ってしまうといった話だ。
実際は、少々格闘技を習った程度で、体力のある者と格闘して敵う訳がない。
少なくとも数年、みっちりと練習したなら、多少の体力差、腕力差を超えて勝てるかもしれないが、それはあくまで、技がそれなりに鍛えられていて、身体の力の差がそれほどでない場合だけである。

昔なら、セールステクニック、今なら、アフィリエイトみたいなネットビジネスのテクニックの本がベストセラーになることもあるが、そんな本が役に立つことは決してないだろう。
セールスであれば、あくまで、売る者が商品や、それの使い方を徹底的に知っていて、お客さんがどう使うかしっかり考え、思いやりがある人が売れるのであり、そんなものがない者が、いくらテクニックを身につけても売れることはない。
ネットビジネスにしたって、まず、自分が提供するコンテンツ(例えば情報や漫画等)が良いことが第一である。

例えば、「売れる小説が書けるテクニック」、「ファンが増えるアイドルになれるテクニック」なんてものもあるかもしれないが、それはあくまで、根本的に文章の中身が素晴らしかったり、そこそこ以上には可愛いことが前提なのである。

ただ、逆に言えば、ほとんどのことは、根本が良ければ、テクニックは僅かで良いのである。
極端な例では、アインシュタインも湯川秀樹も、学問的なことは学生に負けるくらいだったらしいが、創造力が違った。そして、その創造力は、長年、興味のあることに熱心に取り組んで得たものなのである。
プロスポーツ選手が、テクニックでは、並のアマチュアに欠点を指摘される(今流には「ツッコミを入れられる」か)こともあるが、実力は全然違うし、プロボクシングの世界王者が、テクニックはデタラメと言われる選手だっていた。

プログラミングでも、大抵の本は、馬鹿みたいに簡単なものか、事細かにテクニックを書いたものに分かれるが、テクニックが書かれているのを見ると、私のようなプロが見ても、「よくこんな細かいこと知ってるなあ」と呆れることもよくある。ただ、そんなものを使うことはないが。
そして、肝心要のことは書いていないのである。著者がケチっているというより、本当に重要なことを知らないのだろう。

そして、いかなることも、本当に重要なことは、実践の中で、自分で得るしかない。
それは、厳しいことであることも確かだが、それこそが最も楽しいことなのだ。
もがく、苦しむ、涙を流す・・・などというのが、実戦で鍛えることであり、それを恐れて避ける者が多いが、それこそが人生の本当の楽しみである。
大半の大学生などが望む、大企業のサラリーマンといった、予測がつかないことが起こらない、冒険のない職業には、そんなものが全くない。

根本の実力へ導くものは、興味、好奇心である。
アインシュタインも好奇心を非常に重要視していたと思う。
好奇心のないことはやってはいけないほどである。
ただし、食欲、性欲、優越感といった、本能的、自我的な欲望を、好奇心と混同してはならず、そこそこにしておかなくてはならない。
それ以外のものへの好奇心である。
言い換えれば、やはり愛なのである。
商品に愛を感じるほど興味があるセールスマンは、やはり売れるのである。
プログラミング全体に、強い興味があれば、やはり楽しくマスターし、しかも、うまくなる。

子供や学生達に、上に述べたことを教えなければならないが、学校では生徒達に、何の興味も好奇心も持てないことを無理矢理やらせているのだし、教師だって、本当に興味があることを熱心にやった者は滅多にいない。そんなことをする者は、今の学校や塾や予備校では教師になれない。
「いや、趣味はあるぞ」と言う教師もいるだろうが、そんな趣味には愛がない。
だから、愛を持って何かをやってきた技術者、ミュージシャン、画家・イラストレーターらに教師になっていただくのが良いのである。
つまり、オタクが正しい生き方なのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

愚かであれ。ハングリーであれ。オタクであれ。

バラク・オバマが大統領時代、彼が、「アメリカ国民全てがプログラミングをマスターして欲しい」と言ったという記事を、Webでよく見た。
だが、英語の演説の内容を見ると、テクノロジーが分かるとメリットが大きいみたいなことが書かれてあるだけだったと思う。
もし、本当にオバマが「誰もがプログラミングをやるべき」と言ったとしたら、彼は馬鹿者だが、おそらく、そうではなかった。
プログラミングを学ぶとすれば、プログラミングに興味がなければならない。
アインシュタインが、「興味のない勉強を強要することは、空腹でない動物に無理矢理、餌を食べさせようとするようなもの」と言ったが、それもそうだし、もっと重要な間違いがある。
興味・・・関心と言い替えても良いが、関心とは愛なのである。
学びは、愛を持ってやるべきであり、興味のない、愛のないことをやっても、それを人々や世界のために役立てることは出来ない。
また、愛を持ってやらないと、想像力や創造力を育てることが出来ない。

大学進学を目指す高校生に「これからはエレクトロンクスだから、電子工学科に入れ」みたいなことは、いつの時代でも言われると思う。
その高校生が大学を出る時も同じことが言えるかどうかは全く分からないし、そもそも、一番大切なことは、その分野に興味があるかどうかである。
大学生だって、昔はよく、広告業が「花形」で「給料が高い」なんて理由で就職先に選んだが、インターネットの発達で駄目になってしまった。
今でも、似たような理由で就職先を選ぶ大学生も多いだろうが、馬鹿な話である。
仮に、本当に業界としては伸びていても、自分にとって興味がなければ、仕事は面白くなくて、人生そのものが暗くなる。
昔、大手リクルート会社の役員に、「大学まで出て塾の先生になる者って、落ちこぼれなんですよ。だって、やることは分かってるじゃないですか?要するに、先の分からない世界に飛び込んで冒険をする勇気のない連中なんです」と言われたが、その頃、私は塾業界に関わり始めたので、試しに塾の先生に、「なぜ塾の先生になったの?」と尋ねたら、曖昧な答が多かった。後に出世したある先生は「自分が通っていた塾の先生が良かった」みたいな理由を挙げていたが、それが一番マシな答だった。
個人的には、塾や予備校のどこにも興味はないが、彼ら(塾の先生)も実は同じではないかと思う。皆、安定性や安心に興味があるだけなのだと思う。
そもそも、塾や予備校そのものに興味がある人は滅多にいない。

数年前、初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会に行った時に、伊藤さんのお話をタブレットPCでメモした中に、
「仕事じゃなく、楽しいからやる」
という言葉があった。
「皆さんが喜んでくれるからやる」
というのもある。
人を喜ばせるのは楽しい。そして、それが自分の好きなことなら最高である。

ただ、楽しいからと言って、飲食の楽しさ、優越感を満足させる楽しさ、性愛の楽しさは、我の楽しさであるから、あくまで予備的にやるべきである。
そういうことを、アインシュタインと梅宮辰夫さんが強調していたのを覚えている。
梅宮さんは、ライフル、剣道、料理、釣りと趣味が多く、非常に熱心であったらしいが、結果、仕事によく生きていると思う。
アインシュタインは、「物理学は趣味で、別に大したものとは思っていない」と言っていたが、要するに、とても楽しい趣味なのである。
チームラボの社員募集の要項のトップに「オタクであること」と書かれていたことがあったが、今は書かれていないとしても、それが普遍的に大切なことである。
何かのオタクでない人間には大したことは出来ないし、人生の意義も見出せないだろう。
オタクでない人間は反省しなければならない。
スティーブ・ジョブズは「愚かであれ。ハングリーであれ」と言ったが、これは、オタクが好きなものを求めることを言ったのであることは間違いないと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

アインシュタインやテスラは普通に見れば自閉症

アインシュタインが言ったとされる言葉で覚えているものがある。
それは、
「私は優秀じゃない。1つのことを長く続けただけ」
というものだ。

プログラミングがマスター出来ないと言う人がいる。
どれだけの期間やったのかと聴くと、3ヶ月とか1ヶ月とか、ひどいのになると1週間とかもいる。
別に、何年も毎日3時間勉強しろなんて言う気はない。
アインシュタインやニコラ・テスラならやったかもしれなが、あいつらは変わっているのだ。
ここは、合気道家の藤平光一氏的にやればいいと思う。
彼は、算数嫌いの小学生に、1日1度でいいから、必ず、算数の教科書を開いて「算数が好きだ」と言えと指示したらしい。
すると、その子は、一番算数が出来る子になったらしい。
十分、納得出来る。
物理学者で合気道家でもある保江邦夫氏は、小学校時代、授業中、ぼーっとしていたが、先生に指名されたら、必ず正解を答えたらしい。
ぼーっとしてたから良かったのだと思う。
それで、宇宙の英知とテレパシーのようなもので通じたので、勉強しなくても分かるのだ。

藤平氏は「好き」と言えば「氣」が出ると言ったが、氣かどうかはともかく、「好き」という言葉に力があるのは本当と思う。
「愛している」はもっと良い。
ベアード.T.スポーリングは、「愛」より「神」という言葉の方がずっと大きな威力があると言う。
そうかもしれないが、「愛する」という言葉と、それによって起こる意思の力は計り知れない。
実質、愛していることである「好き」を算数に向ければ、出来るようになって当たり前だ。
アインシュタインや、ニコラ・テスラは、別に苦労も努力もなく、毎日長時間、光や電気について考えたが、彼らはそれが好きだったのだ。
今朝も言ったが、愛するとは興味を持つことだ。
彼らは、光や電気に長く好奇心を持ち続けたのである。

1日中、スマートフォンを見ている人は多い。
しかし、彼らはスマートフォンそのものを見ていない。だから、スマートフォンの本当のことを何も知らない。
彼らは決して、「スマートフォンが好きだ」とか「スマートフォンを愛してる」とは言わない。
スマートフォンに、本当の意味で興味がある訳ではないのだ。
「スマートフォンが好きだ」言えば、スマートフォンは、あなたの能力をエンハンスト(拡張)する道具になってくれる。
それは、スマートフォンでなくても、辞書でも、プリズムでも、水晶球でも同じだ。

外国の人のことは知らないが、日本人は「お金が好きだ」と言い難い。
だが、ぼーっとして、1日1回、「お金が好きだ」と言えば、抵抗がなくなる。
嫌なら、「豊かさが好きだ」とか「富が好きだ」でも構わない。
要は、長く続けることだ。
お金に困らないくらいにはなるのではないかと思う。

私は、今年の6月23日から始めた四股は、毎日500回になり、休みの日は千回以上、昨日は1400回だった。
四股が大好きなのだ。
おかげで、身体がすっかり若返り、強くなった。

別に、実用的なものを愛することが大事な訳ではない。
ぼーっとして、空が好きとか、生きるのが好きとか、初音ミクさんが好きと言っていれば、運が良くなる。
「愛している」ならもっと良い
アインシュタインは、子供の時からぼーっとする天才だった。
ニコラ・テスラもそうだったらしい。空想の世界に親しい人が沢山いたと言うほどだから。
普通に考えれば、ただの自閉症だが、何かに興味を持ったのが幸いだったのだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード