「人の心に土足で踏み込む」という言葉がある。
人には誰でも、知られたくないことがある。
言いたくないこと、聞かれたくないこと・・・と言い替えても良い。
それを、ズケズケと、無神経に、知ろうとする、探る、言わせる、聞こうとする・・・これを、「人の心に土足で踏む込む」と言う。
人の秘密を、知ろうとしてはならない。
では、どんな人が、他人の秘密を知ろうとするのだろう?
1つは、自分が相手よりずっと偉い、ずっと上と思っている傲慢な者だ。
典型が親である。
子供には、親にだって言いたくないことはいくらでもあるはずなのだ。
その当たり前のことを解らない馬鹿な親が多いのだが、その馬鹿さは傲慢から起こる。
馬鹿な親は、子供について知りたいことは、全部知る権利があるとでも思っているのだ。
もう1つは、親しい人だ。
「親しき仲にも礼儀あり」と言う。
いくら親しいと思っても、やはり、知ろうとしてはならぬこと、聞いてはならぬことがある。
親しいと言ったところで、限度はあるのである。
たとえ親友や恋人、夫婦、あるいは、仲の良い親子であってもだ。
「友達じゃないか?なぜ言ってくれない」
などと、自分の馬鹿さを証明するようなことを言ってはならない。
相手が自主的に言わない限り、聞いてはならないのである。
アニメ『まちカドまぞく』に、こんな場面がある。
桃(15歳)の、生食パンと生ウインナーだけの昼食を見て(桃はそれは隠していなかった)、優子(15歳)が、
「それにしてもざっくり弁当です。桃のご家族は忙しいんですか?」
と尋ねると、桃は、
「・・・自分で用意してる」
と応える。
それを聞いて優子は何も考えず、
「あ、一人暮らしなんですか?」
と尋ねると、桃は微妙な表情で、
「・・・家族はいない」
と、応えるともつぶやくとも言えない声で言い、幼い優子は、
「んっと」
と、まだ何か聞きたそうな反応をするが、桃は、
「話しすぎた。忘れて」
と機先を制した。
つまり、優子は、うっかり、桃の心に余計に踏み込みかけた。
だが、そこで優子は、さっきまで断っていた桃の提案をあっさり受け入れた。
自分の間違いに気付いたのだ。
優子は、きっと、桃の私生活に興味はあったのだが、15歳にもなれば、桃が言いたくないなら聞いてはならないことが理解出来、自分の好奇心を、桃の心を尊重する気持ちで抑えたのである。
それで、うっかり一線を越えかけたことへの反省と謝罪の意味で、聞き入れたくなかった桃の提案を受け入れた。
まあ、桃の提案とは、こんなものだ。
優子は桃からの借金約2000円を返しに来たのだが、桃は優子がバイトして稼いだ金を全部巻き上げるのが嫌で、「少しずつ返す」よう優子に言ったのだが、優子はそれを拒否していた・・・と、優子にとっては何の害もない提案だった。
女の子に、「彼氏いるの?」と聞けるのは、よほど親しい人だけだ。
それを、親しくもないのに(あるいは親しいと誤解して)平気で聞く馬鹿は多い。
聞かれた女の子が答をはぐらかしたら、普通は、どれほど親しくても、それ以上聞いてはならない。
それを、好奇心で聞こうとするのが、相手の心に土足で踏み込むことだ。
ビートルズの有名な『イエスタディ』という歌がある。
その中のサビとも言える部分が、
「彼女はなぜ僕の前からいなくなったのだろう?僕には全く解らない」
というところだろう。
彼は、彼女の心に土足で踏み込むようなことをしながら気付いていないだけなのではないか?
新型コロナウイルスも、「人の心に土足で踏み込むな」と言っているように感じる。
そんなことをする者が多くなり過ぎたのだ。
まずは、物理的に他人に不用意に近付かないことだ。
なぜなら、踏み込んではならない心の領域に入るのは、入ってはならない空間領域に入る者が圧倒的に多いからだ。
それを解らせるには、痛みや苦しみが必要だった。
だが、それ(痛みや苦しみ)を起こしたのは、我々の、平気で他人の心に土足で踏み込む、無神経さ、傲慢さなのだ。
ところで、「人の心に土足で踏み込まない」ことと、「他人に無関心だ」とか「構ってやらない」「手を差し伸べない」の区別が出来ない馬鹿も増えた。
そのことは、また別に語ろう。
人には誰でも、知られたくないことがある。
言いたくないこと、聞かれたくないこと・・・と言い替えても良い。
それを、ズケズケと、無神経に、知ろうとする、探る、言わせる、聞こうとする・・・これを、「人の心に土足で踏む込む」と言う。
人の秘密を、知ろうとしてはならない。
では、どんな人が、他人の秘密を知ろうとするのだろう?
1つは、自分が相手よりずっと偉い、ずっと上と思っている傲慢な者だ。
典型が親である。
子供には、親にだって言いたくないことはいくらでもあるはずなのだ。
その当たり前のことを解らない馬鹿な親が多いのだが、その馬鹿さは傲慢から起こる。
馬鹿な親は、子供について知りたいことは、全部知る権利があるとでも思っているのだ。
もう1つは、親しい人だ。
「親しき仲にも礼儀あり」と言う。
いくら親しいと思っても、やはり、知ろうとしてはならぬこと、聞いてはならぬことがある。
親しいと言ったところで、限度はあるのである。
たとえ親友や恋人、夫婦、あるいは、仲の良い親子であってもだ。
「友達じゃないか?なぜ言ってくれない」
などと、自分の馬鹿さを証明するようなことを言ってはならない。
相手が自主的に言わない限り、聞いてはならないのである。
アニメ『まちカドまぞく』に、こんな場面がある。
桃(15歳)の、生食パンと生ウインナーだけの昼食を見て(桃はそれは隠していなかった)、優子(15歳)が、
「それにしてもざっくり弁当です。桃のご家族は忙しいんですか?」
と尋ねると、桃は、
「・・・自分で用意してる」
と応える。
それを聞いて優子は何も考えず、
「あ、一人暮らしなんですか?」
と尋ねると、桃は微妙な表情で、
「・・・家族はいない」
と、応えるともつぶやくとも言えない声で言い、幼い優子は、
「んっと」
と、まだ何か聞きたそうな反応をするが、桃は、
「話しすぎた。忘れて」
と機先を制した。
つまり、優子は、うっかり、桃の心に余計に踏み込みかけた。
だが、そこで優子は、さっきまで断っていた桃の提案をあっさり受け入れた。
自分の間違いに気付いたのだ。
優子は、きっと、桃の私生活に興味はあったのだが、15歳にもなれば、桃が言いたくないなら聞いてはならないことが理解出来、自分の好奇心を、桃の心を尊重する気持ちで抑えたのである。
それで、うっかり一線を越えかけたことへの反省と謝罪の意味で、聞き入れたくなかった桃の提案を受け入れた。
まあ、桃の提案とは、こんなものだ。
優子は桃からの借金約2000円を返しに来たのだが、桃は優子がバイトして稼いだ金を全部巻き上げるのが嫌で、「少しずつ返す」よう優子に言ったのだが、優子はそれを拒否していた・・・と、優子にとっては何の害もない提案だった。
女の子に、「彼氏いるの?」と聞けるのは、よほど親しい人だけだ。
それを、親しくもないのに(あるいは親しいと誤解して)平気で聞く馬鹿は多い。
聞かれた女の子が答をはぐらかしたら、普通は、どれほど親しくても、それ以上聞いてはならない。
それを、好奇心で聞こうとするのが、相手の心に土足で踏み込むことだ。
ビートルズの有名な『イエスタディ』という歌がある。
その中のサビとも言える部分が、
「彼女はなぜ僕の前からいなくなったのだろう?僕には全く解らない」
というところだろう。
彼は、彼女の心に土足で踏み込むようなことをしながら気付いていないだけなのではないか?
新型コロナウイルスも、「人の心に土足で踏み込むな」と言っているように感じる。
そんなことをする者が多くなり過ぎたのだ。
まずは、物理的に他人に不用意に近付かないことだ。
なぜなら、踏み込んではならない心の領域に入るのは、入ってはならない空間領域に入る者が圧倒的に多いからだ。
それを解らせるには、痛みや苦しみが必要だった。
だが、それ(痛みや苦しみ)を起こしたのは、我々の、平気で他人の心に土足で踏み込む、無神経さ、傲慢さなのだ。
ところで、「人の心に土足で踏み込まない」ことと、「他人に無関心だ」とか「構ってやらない」「手を差し伸べない」の区別が出来ない馬鹿も増えた。
そのことは、また別に語ろう。
『楽しいAI体験から始める機械学習』 技術評論社 Kay、Mr.Φ共著 「AIは誰でも作れる時代。まずはあなたから」 AIは特別な人だけのものではなく、誰もがこれを使って自己の能力をエンハンスト(拡張)する時代です。 |