ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

まちカドまぞく

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人の心に土足で踏み込むとは?

「人の心に土足で踏み込む」という言葉がある。

人には誰でも、知られたくないことがある。
言いたくないこと、聞かれたくないこと・・・と言い替えても良い。
それを、ズケズケと、無神経に、知ろうとする、探る、言わせる、聞こうとする・・・これを、「人の心に土足で踏む込む」と言う。

人の秘密を、知ろうとしてはならない。

では、どんな人が、他人の秘密を知ろうとするのだろう?
1つは、自分が相手よりずっと偉い、ずっと上と思っている傲慢な者だ。
典型が親である。
子供には、親にだって言いたくないことはいくらでもあるはずなのだ。
その当たり前のことを解らない馬鹿な親が多いのだが、その馬鹿さは傲慢から起こる。
馬鹿な親は、子供について知りたいことは、全部知る権利があるとでも思っているのだ。

もう1つは、親しい人だ。
「親しき仲にも礼儀あり」と言う。
いくら親しいと思っても、やはり、知ろうとしてはならぬこと、聞いてはならぬことがある。
親しいと言ったところで、限度はあるのである。
たとえ親友や恋人、夫婦、あるいは、仲の良い親子であってもだ。
「友達じゃないか?なぜ言ってくれない」
などと、自分の馬鹿さを証明するようなことを言ってはならない。
相手が自主的に言わない限り、聞いてはならないのである。

アニメ『まちカドまぞく』に、こんな場面がある。
桃(15歳)の、生食パンと生ウインナーだけの昼食を見て(桃はそれは隠していなかった)、優子(15歳)が、
「それにしてもざっくり弁当です。桃のご家族は忙しいんですか?」
と尋ねると、桃は、
「・・・自分で用意してる」
と応える。
それを聞いて優子は何も考えず、
「あ、一人暮らしなんですか?」
と尋ねると、桃は微妙な表情で、
「・・・家族はいない」
と、応えるともつぶやくとも言えない声で言い、幼い優子は、
「んっと」
と、まだ何か聞きたそうな反応をするが、桃は、
「話しすぎた。忘れて」
と機先を制した。
つまり、優子は、うっかり、桃の心に余計に踏み込みかけた。
だが、そこで優子は、さっきまで断っていた桃の提案をあっさり受け入れた。
自分の間違いに気付いたのだ。
優子は、きっと、桃の私生活に興味はあったのだが、15歳にもなれば、桃が言いたくないなら聞いてはならないことが理解出来、自分の好奇心を、桃の心を尊重する気持ちで抑えたのである。
それで、うっかり一線を越えかけたことへの反省と謝罪の意味で、聞き入れたくなかった桃の提案を受け入れた。
まあ、桃の提案とは、こんなものだ。
優子は桃からの借金約2000円を返しに来たのだが、桃は優子がバイトして稼いだ金を全部巻き上げるのが嫌で、「少しずつ返す」よう優子に言ったのだが、優子はそれを拒否していた・・・と、優子にとっては何の害もない提案だった。

女の子に、「彼氏いるの?」と聞けるのは、よほど親しい人だけだ。
それを、親しくもないのに(あるいは親しいと誤解して)平気で聞く馬鹿は多い。
聞かれた女の子が答をはぐらかしたら、普通は、どれほど親しくても、それ以上聞いてはならない。
それを、好奇心で聞こうとするのが、相手の心に土足で踏み込むことだ。

ビートルズの有名な『イエスタディ』という歌がある。
その中のサビとも言える部分が、
「彼女はなぜ僕の前からいなくなったのだろう?僕には全く解らない」
というところだろう。
彼は、彼女の心に土足で踏み込むようなことをしながら気付いていないだけなのではないか?

新型コロナウイルスも、「人の心に土足で踏み込むな」と言っているように感じる。
そんなことをする者が多くなり過ぎたのだ。
まずは、物理的に他人に不用意に近付かないことだ。
なぜなら、踏み込んではならない心の領域に入るのは、入ってはならない空間領域に入る者が圧倒的に多いからだ。
それを解らせるには、痛みや苦しみが必要だった。
だが、それ(痛みや苦しみ)を起こしたのは、我々の、平気で他人の心に土足で踏み込む、無神経さ、傲慢さなのだ。
ところで、「人の心に土足で踏み込まない」ことと、「他人に無関心だ」とか「構ってやらない」「手を差し伸べない」の区別が出来ない馬鹿も増えた。
そのことは、また別に語ろう。













『楽しいAI体験から始める機械学習』
技術評論社
Kay、Mr.Φ共著

「AIは誰でも作れる時代。まずはあなたから」
AIは特別な人だけのものではなく、誰もがこれを使って自己の能力をエンハンスト(拡張)する時代です。

ウイルスのメッセージの私的解釈

「一蓮托生(いちれんたくしょう)」という言葉自体は知っていても、意味を正確に知らない人が多いかもしれない。
私は、正確どころか、ほとんど解っていなかった。
ちょっと辞書をひけば解るのではあるが、こんな言葉を使うとは思えないのだろう。
意味は、「結果はどうなろうと、行動や運命をともにすること。」だ。
何と良い言葉だろう。
しかも、この言葉の由来が巣晴らしい。
「一連」の蓮は、蓮華、つまり、蓮(はす)の花のことだ。「レンゲソウ」「レンゲの花」と言えば、親しみを感じるかもしれない。仏様が座っているのは蓮華の花の上であり、蓮華は、清らかさや聖性の象徴である。
蓮華は、英語ではロータス・フラワーで、西洋でも、清らかで高貴なイメージのある花であるのは、ギリシャ神話の影響もあるのだと思うが、やはり、神秘的な美を持った花だからだと思う。
そして、浄土系仏教では、念仏を唱えれば、死後、誰でも仏になれるが、「一蓮托生」とは、死後、同じ蓮華の花の上に生まれるという意味でもあり、そんな2人は、大変な強い結び付きのパートナーであることが解る。

1年生になって友達百人出来たとしても、一蓮托生の友など、まずいないだろう。
ちゃらちゃらした「おともだち」なんか百人作って何が嬉しいのだ・・・と言いたくなるのは、あまり良くないかもしれないが。

普通、「お前とは一蓮托生だ」と言ったら、主に深い利害関係を表し、「どちらかがコケたら共倒れだぞ!」と言って、実のところ、「お前、しっかりうまくやって俺に迷惑かけるな」といった本音が見え隠れする(あるいは見え見えである)ことも多いだろう。
ところが、良い場面で、一蓮托生という言葉を聴いた。
アニメ『まちカドまぞく』である。
強力な魔力を持つ魔法少女、千代田桃は、あることで魔力が弱くなり、その原因を作ってしまった魔族の少女、吉田優子に半ば無理矢理に、町を守ることに協力させる。
だが、桃に比べ、優子はあまりに弱いので、桃は優子を鍛えまくろうとする。
優子は、無理に自分を鍛えようとする桃への反発もあって、控え目ながら不満をぶつける。
「あたしだって頑張ります。でも、私達は一蓮托生なんだから、あなたも頑張るべきです」
そう言われた桃は、はっとする。
「なるほど、一蓮托生か・・・その発想はなかった」
それで、見ている私には、桃はよほど嬉しかったのだと思うのである。
2人は、同じ15歳の高校1年生だが、いわゆる「仲良し」ではない。
桃も優子も、他の人に、相手のことを「友達」と言われると、露骨に嫌な顔をする。
だけど、桃の優子への愛は隠しきれないし、優子はちょっと幼いので、そこまでではないとしても、心の中では桃を慕っている。
ところで、男同士の本当の友情は「なかよし」とはほど遠い。
例えば、本物の男の友情を描いた超傑作映画は、『OK牧場の決闘』と『さらば友よ』であると確信するが、この中の、ワイアット・アープとドク・ホリデイ(OK牧場の決闘)、バランとプロップ(さらば友よ)は、お互い相手を徹底的に嫌いで、憎み合っているように見えることすらあるが、究極の状況で友情を見せてしまう。
彼らに、死後、同じロータスの花の上に生まれると言ったら、4人全員激怒するだろう。
しかし、本当の友なのだ。彼らは。
尚、『OK牧場の決闘』は、史実に基くもので、『荒野の決闘』というタイトルのいくつかの映画があり、いずれも名作の誉れ高い。

ところで、桃と優子、ワイアット・アープとドク・ホリデイ、バランとプロップは、どちらかが新型コロナウイルスに感染しても、相手にうつすことはないほど相手に近寄らない。
まあ、なりゆきで触れ合うことはあったし、バランとプロップとなると猛烈に殴りあったが、普段は全くベタベタせず、ツルまず、群れない。
いや、どちらかが感染していて、相手に触れたとしても、ウイルスの方でおとなしくするだろう。
きっと、ウイルスにも意思はある。
私には、ウイルスを使わした者は、人類に、桃と優子のようにあって欲しいのだと思う。













AI書籍、出版します(5月11日)。

難しい理論や数学なしで、誰でもAIを作れるようになることを目指しました。
AIが解るのとそうでないのとでは、これからの世の中、全然違ってくると思います。
キャッチコピーは、「AIは誰でも作れる時代。まずはあなたから」。

真の意味で自分が英雄である

子供の時、やたら繰り返して読んだ小説や漫画、あるいは、子供向けの科学書などがあったかもしれない。
そして、なぜ子供にはそんなことが出来るのかを考えると、大人でも、新しいことを学ぶ可能性を高めることが出来る。

私で言えば、小学生の時、『ピノキオ』『みつばちマーヤの冒険』『怪傑ゾロ』を本当に繰り返し読んだもので、いまだ、本のページの映像を思い出すことがある。
だが、大人であれば、最初はいかに面白いと思っても、何度も読めば飽きるし、それどころか、2度目はもう面白くないということも少なくないかもしれない。
だが、こんな話がある。
映画評論家だった淀川長治さんは、アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』を400回以上見ていて、その度に、必ず涙を流すと言われていた。
これは、『太陽がいっぱい』で淀川さんが感じる世界観が、淀川さん自身のバックグラウンドと重なる部分があるからだと思う。
一方、子供の場合は、まだ確固としたバックグラウンドがないので、淀川さんとは事情が異なるように思うが、実は、案外似ていると思うのだ。
つまり、子供は、物語の世界観が、そのまま自分のバックグラウンドにすることが出来る・・・もっと易しい言い方をすれば、自分が、物語のヒーローやヒロインになり切れると言えば、多少は納得出来ると思う。
そして、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、子供というものは、シェイクスピアを読む時は、シェイクスピアになり切ってしまうのだと言う。
また別のところで、エマーソンは、「英雄の物語を読む時には、自分の物語を読んでいると思わなければならない」と述べてる。合わせて考えると、子供にとって、シェイクスピアになるということは、その作品の主人公であるハムレットやオフィーリアになることなのだと思う。
そして、その際に極めて重要なことを、「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツが述べている。
悲劇の主人公であるハムレットもリア王も陽気なのだと。
しかし、人々は、憂鬱で苦悩するハムレットやオフィーリアを演じているのだとも、イェイツは言う。
(イェイツの最晩年の詩の1つ『ラピス・ラズリ(瑠璃)』より)

確かに、子供がハムレットになる時は、決して「生きるべきか死ぬべきか」と悩むのではなく(そんな子供、見たくない)、正義感が強く、ハンサムでモテモテの貴族の青年としてのハムレットになるはずなのだ。
オフィーリアなる女の子も、美少女で、ハムレットに愛され、他の大勢の男の子をも虜にする美味しい役柄のオフィーリアになるはずだ。

淀川さんだって、克服し切れていなかったとはいえ、全て暗かったとは思えない。
格好がよく頭の切れる青年としてのトムに同一化する部分もあったと思うのだ。
そして、それは、自分の境遇がトムに似た部分もあるからこそ可能なのである。

まあ、ややこしい話はともかくとして、我々は、大人になっても、自分をヒーローやヒロインと見なさなければならないのだ。
それが出来ないことを「自分に見切りをつけた」と言うのではないだろうか?
自分に見切りをつけてしまっては、生き甲斐もなく、食欲、性欲にしか関心がなくなる。
だが、子供の感覚を思い出せば、やはり、子供の時のエネルギーを再び得て、人生は面白いものになる。
そして、それが出来る者は、ヒーローやヒロインのお話を何度でも見ること、読むことが出来るだろう。

私も、かつては、マーヤや怪傑ゾロだったが、それを忘れてしまっていた。
今でも、マーヤやゾロでなくてはならないのだ。
ところで私は、昨年9月頃からか、アニメ『まちカドまぞく』全12話を20回以上見ていて、今も見ている。
私は、魔法少女、千代田桃に深く共感するのだ。
千代田桃は、千代田桜の本当の妹ではないが、心の妹だった。
桃は、強く完璧な桜に憧れていたのだろう。
しかし、突然、桜は失踪し、後継者となった桃は、自分が桜に及ばないことを実感し、心を閉ざしている。
ところが、優子という愛する存在を得て、桃は変わり始める。
制作されるはずの第2シーズン以降には、なぜ桃がかくも優子に惹かれるのかも解るだろう。
もちろん、解釈は人それぞれであり、各自、好きな作品で、好きなヒーロー・ヒロインになり切り、力強く生きれば良いのである。
あなたは、真の意味で英雄なのである。













KayのAI書籍『楽しいAI体験から始める機械学習』のカバーがついに公開。
可愛い(笑)!
カバー絵の可愛い女の子達と一緒に、本物のAIを作ろう!
ついでにVBAも覚えよう!

書籍の説明は、Kayの別ブログ「メディアの風」

不道徳な人達

郵便物を出すことが全く無くなり、封筒を出そうと思うと、「今、普通郵便の切手はいくらだろう?」とか、「普通郵便で送れるA4用紙の枚数は?」といったことを考えるが、今はネットで調べればすぐに判る。
だが、切手というと思い出すことがある。
友達同士で手紙を出し合うこともあった時代のことだが、中学2年の女の子の家に郵便配達の人が来て、彼女に直接封筒を手渡していた。
書留でも何でもない、ごく普通の封筒である。
こういうことだ。
彼女は、切手を貼らずに封筒を投函したので、封筒が戻って来たのだった。
しかし、事実はそうではなかった。
その封筒は、実は、彼女の友達が出したもので、宛先住所と自分の住所を逆に書いていたのだ。
そうすれば、切手を貼ってない封筒は、見かけ上、この女の子の所に「返送される」のだが、事実は、友達からこの女の子に「配送された」のである。
不正行為である。
彼女に後ろめたさのようなものはなかった。
きっと、郵便代を払わずに済んだと言うよりは、切手を買いに行く面倒さを省けたとか、「頭を使って」切手代を浮かせた満足感があるのだと思う。
可愛い子だったし、当時は、心根自体は、まだ、それほど悪い子では無かったと思うが、やってはいけないことを平然とやる子だった。
それで、私は確信している。
彼女のその後を確認した訳ではないが、間違いなくロクな人生を送っていない。

今のような、ICカードや磁気カードではない、駅員に見せるだけの定期券の時代には、乗車駅付近と到着駅付近の駅の定期券2枚を使う「キセル乗車」という行為をする者がおり、これは、何十万円という額を不正に浮かせることが出来た。時たま、それがバレる者がいたが、せいぜいが不正料金を請求されるくらいで済んだかもしれないし、バレずに済んだ人もいるかもしれない。
しかし、バレなかったとしても、そんな人間は、間違いなく、惨めな人生を送っているはずだ。

私が小学生の時、ある男の子が、イタズラというには、度が過ぎた悪どい行為をよくしていた。
ちょっと言い難いようなことも含めてね。
また、他人のカバンの中から物を盗ったりとか、試験の時に、巧妙なカンニングをしたりもする。
ところが、彼はお金持ちの家の1人息子で、何不自由ないばかりか、高価なものも沢山買ってもらっていたし、家庭教師もついていて成績も良かった。
そして、表向きは礼儀正しい、小学生にしては立派な子供だった。
だが、彼は、裕福でない家の子供を明らかに見下していたが、それは、彼の母譲りの考え方と分かった。
その母親は、彼が私と友達でいることも禁じた。私の家は裕福ではなく、また、私は成績が悪かったからだ。

その他にも、私には、親の影響と思うが、根本的な道徳心に欠ける友達が、なぜかやたら多かったが、その原因はここでは追究しない(笑)。
そして、そんな友達は、確認出来る者に関しては、本当にロクな人生を送っていないが、それは当然の理であると疑いもなく断言出来るのである。

私は最近、『まちカドまぞく』という12話のアニメ(やがて続編も出来ると思う)を、何度も何度も繰り返して観ている。
主人公の15歳の優子(魔族の末裔)は、勉強もスポーツも駄目・・・というより、訳あって身体が弱く、おまけに低身長で、母親が素直に彼女のことを「アホ」と言っても普通に納得出来た(ちなみに、決して悪い母親ではない)。
だが、優子は、名前の通り、心優しく、親切で、悪いことが出来なかった。
一方、桃という名の魔法少女は、長身で成績優秀で、魔法少女だからということもあるが、身体能力は超人的だった。
悪い子ではないが、闇っぽいことも結構考える。
基本的に、あまり人と交わらない孤独な子だった。
その桃が、なぜか、優子に無上の愛を送るのだが、その姿が眩しい。
桃が「シャミ子(優子のあだ名)はズル出来ないんだね」と言って微笑む顔が親愛、あるいは、慈愛に満ちている。
私は、桃の優子に対する愛を見たくて、全12話を、本当に、もう多分20回以上、全く飽きずに観ている。
原作漫画の3巻では、マジ泣いたね。

人間には欠点があり、完全な道徳を守ることは難しい。
また、権威的で歪な道徳も存在するが、それは本当の道徳ではない。
道徳に権威は必要ない。
本当の道徳とは単に思いやりであるが、間違った思いやりも多く、我々は正しく思いやれるよう修行するのである。
いつの時代も、「かつては人々は思いやりを持っていた」と言うものであるが、そのかつては幻想かもしれない。
しかし、人は幻想の中の理想を求めてもいるのである。
そして、それをしなくなった時、世界に問題が起こり、世界は終る。
なぜなら、世界は1つの幻想のようなものであるが、そこから理想を抜けば維持出来ず崩壊する仕組みで、それはそれで痛くて悲惨なのである。








1円もかけずに30kg痩せた私の方法

岡田斗司夫(おかだとしお)さんという方は、有名な人なんだろうが、知らない人は全く知らない。
「オタキング」のあだ名で知られる有名評論家、事業家で、最近は大阪芸術大学の客員教授をやっていたと思うが、昔は、東大の非常勤講師もしていた。
大学は、少なくとも彼の時代ではごく入り易かった大学を中退しているが、頭は大変に良い人と思われ、彼の本を何冊か読んだが、非常に勉強になった。
大ヒットアニメも多いガイナックスを大学中退後に共同で創業して初代社長になっていたり、その他にも大変な実績のある偉い人であるが、イメージを落とすことも数多くやっていて、多くの人は、「タダのオタク」「変なおじさん」程度に思っているかもしれない(勿体ない)。

その岡田斗司夫さんが、2007年頃、48歳位の時に、50kgのダイエットに成功したことから、『いつまでもデブと思うなよ』というダイエット本を出して大ベストセラーとなり、その巨額の印税の散財日記のようなものが『ま、金ならあるし』という、8巻まである1巻110円の電子書籍である。
私は2~3巻くらい読んだが、まあ、面白かったし、岡田さんが、若い時から、並外れた人物であることも解った。
ところで、岡田さんは50kgのダイエットに成功し、その著書『いつまでもデブと思うなよ』で、自身がダイエットに成功した「レコード・ダイエット」という手法を紹介したのだが、後に、見事にリバウンドし、その後は、その自慢のレコード・ダイエットも効かなかったというのをどこかで見た覚えがある。

ところで、最近は、あまり書いていないが、私も、2008年頃に、50kgとは言わないが、30kg以上痩せたことがあった。
(一番重い時でも94kgだったので、岡田さんのように50kg痩せたら44kgで、初音ミクさんくらいになってしまう)
それでも、1年ほどで30kg痩せたのであるから、なかなかのものと思う。
ただ、私は、元々がプロレスラー志望だったこともあり、一度は100kgの大台に乗せたいと、毎日、牛乳を沢山飲んでいて、いわば重くなりたくて重くなっていたのである。
ところが、私は当時、運動不足で体重が重いこともあり、健康診断で相当な病人のような結果になり、メニエール病で倒れ、散々であった。
また、メタボ検診が始まり、体重が重いと強制的な指導を受けないといけないようなことを言われ、私は急遽、スリム路線に転向することとした。

で、どうやって私が30kgダイエットしたかというと、何もしていない。
食べなかっただけである。
1日1食で、その1食も、ご飯半合に豆腐と野菜を少々といった感じだ。
そりゃ、嫌でも痩せる。
すると、いろんな人(偉い人もいた)が、私の「食べない根性」を称賛するが、私は、別に、根性なんか持ち合わせていない。
だが、「根性なんかない」と私が言ってるのに、「いやあ、やっぱり凄い根性だ」と、どうしても根性にしたがる人が多かった。まあ、面倒なので、反論せず、根性が凄いということにしておいたが。
食べたくなかったかというと、かなり食べたかった。
では、なぜ食べなかったかというと、最近までほとんど解らなかった。
だが、アニメ『まちカドまぞく』で、魔法少女、桃が、魔族の少女、優子に言ったことを聴いて、解ってしまった。
それは、

何か世界に対してコメントとかある? 
「なにもかも壊したい!」とか「こんな世界、闇に飲まれてしまえ!」とか

だ。
これは、抑えてはいるが、桃の心の中にある衝動だと思う。
桃は、世界に対して恨みがあるのだろう。
そして、これは絶対確かだが、恨みのエネルギーは大きいのである。
どんなふうにして、普通の人が、心の中に消えない恨みを持つのかというと、例えば、子供の時、皆が持っていたものを自分は買ってもらえなくて悔しい思いをしたとか、男性なら、献身的に尽くした女の子が別のいけすかない男と仲良くしていた時に感じる、どうしようもない恨みの思いからだ。
衝動殺人なんてのは、そんな、恨みのエネルギーが引き起こすものだ。
でね、誰しも同じだが、私にだって狂う理由の1つや2つ・・・いや、10や20はある。
それを探し、恨みを燃やし、それを、食を断つことに振り向ければ、食べないことは簡単だし、復讐を果たすような暗い快感があり、これがまた良い(笑)。

幸せなら、別にダイエットしなくても太れば良いし、それで問題ないはずだ。
ちなみに、桃に、上のように問われた優子の答は、

そんなこと思ってません。
みんな優しいですし。

だった。
つまり、優子は幸せなのだが、家が貧乏で、あまり食べられないので、太ることには無縁のようだ。

要は、こうである。
今、幸せな人なら、ダイエットをしようなんて思わないはずだ。
ダイエットしたいなら、桃のような闇の思いがあるはずだ。
(ちなみに、桃はスリムな長身で、お金持ちだが、闇の思いのせいか、あまりちゃんとした食事に興味がない)
その、闇の思いを活用するのである。
そして、闇のエネルギーは使えば消えるのであり、ダイエット成功と同時に、心も軽くなるのであるから、実に素晴らしい。
「どうして私だけ、こんな嫌な仕事をしないといけないのか?」
「どうして、みんな私のことを無視するのか?」
そんな思いがあれば、ケチな不満などで誤魔化さず、「世界を滅ぼしてやる!」と思い、その強烈な想念で、空腹の苦しみを叩きのめすのである。

あまり効果は保証しないが、『まちカドまぞく』のアニメを見るか、漫画を読むと良いと思う。そうすれば、桃のように、闇の思いのエネルギーを小出しにしながら、スリムな身体を保つ高度な技を習得出来るかもしれない。
尚、今70kgで60kgになりたければ、「私は60kgになった」と千回言っても良い。まあ、これだけで良いかもしれない(笑)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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