1994年の人気テレビドラマ『この世の果て』(主題歌は尾崎豊『OH MY LITTLE GIRL』)を、私はたまに見ていたのだと思うが、最終回のある場面をよく覚えている。
天才ピアニストだったが、ピアノを弾けなくなった高村士郎は、ロクな就職も出来ない駄目男になった。営業マン、警備員、何をやっても務まらず、すぐに辞めざるを得なくなる。
その士郎が、ある画廊に、就職の面接に行く。
画廊の女主人は、絵のことを何も知らない士郎が、ここで働くには全く不適格だと言いつつ、就職希望者全員に行うテストはしてあげようと言う。
女主人は士郎に、2枚の絵を見せ、問う。
「どちらが優れた絵ですか?」
士郎は無言で、即座に、一方の絵の方向を指差す。
女主人は笑う。そして、士郎が選んだのと反対の絵を示し、
「これは有名な画伯が描いた、数千万円の価値のあるもの」
と言い、士郎が選んだ絵は、
「一介の画学生が描いたに過ぎない」
と言う。
だが、士郎は静かに微笑み、そして、そこで働くことになる。
士郎が選んだ絵は、女主人が若い時、交通事故で死んだ恋人が描いたものだった。
その絵は、女主人にとって、値のつけられない大切な絵だったのだ。
士郎が、何かを感じて、その絵を選んだのか、あるいは、全く分からず、どうでも良いという気持ちで選んだのかは分からない。
私は、今思うと、どちらかとうと、後者であると思う。
士郎には、何の意図もなかったと思うのだ。
つまり、無であった。
初音ミクさんのようなものだ。それを選ばずにいられるだろうか?

1937年から始まる、E.E.スミスのSF小説『レンズマン』シリーズで、地球で最も優れた男キニスンは、宇宙で最も精神を進化させたアリシア人の訓練を受けた時、アリシア人と対抗することは、「ハエが宇宙船を止めようとするようなもの」(実際は違う表現だったが、私はこう覚えてしまった)と思う。
だが、無になれば、宇宙船でも流星でも止められる。
そして、『まちカドまぞく』で、走っているダンプを片手で止める魔法少女の桃が、お腹が空いている優子に自分の菓子パンをあげたように、流星を止める者は、ゴミ出しの日に、出して良いゴミをちゃんとした袋に入れて出すのだ。
ほんの少しの思考力を使えば出来る、当たり前のことをし、後は何も考えない者が世界を動かすようだ。