有名な禅僧である一休は、臨終の際、弟子達に、「本当に困ったら開けろ」と言って、封に入った遺言を渡したという。
そして、何年か後、弟子達に本当にどうしようもない危機的状況が訪れ、弟子達は一休の遺言を開けた。
そこにはただ、「心配するな。なんとかなる」と書かれていたらしい。
イエスは庶民達に、色々な言い方を工夫して、このことをよく教えていた。
「神様はね、働きもしないスズメ達だってちゃんと養ってるんだ。お前達はスズメよりずっと立派なものだ。なら、神様が養ってくれないはずがないじゃないか?生活の心配なんかするな」
「お前達の中のどんなロクデナシだって、子供が腹を減らしていたら、ヘビじゃなく魚をやるだろう?まして、賢くて、愛に満ち、そして、何でもできる神様が私達に良いものをくれないはずがないじゃないか?」
「神様はね、お前の髪の毛の1本1本まで数えるほど、お前に関心を持ち、お前を気遣っているのだ。それは俺が請け負うよ。それなのに、お前が何を心配する必要があるんだい?」

著名な神道家の葉室賴昭(はむろよりあき)さんは、著書で、「取り越し苦労や持ち越し苦労ほど、神様を侮辱することはない」と述べたが、取りこし苦労とは将来の不安で、持ち越し苦労とは後悔のことと言って良いと思う。これもやはり、神様を信用しない人のことを嘆かわしく思って言ったことだろう。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、こういったことを、「不要なものを求めなければ、必要なものは必ず与えられる」という美しい言葉で語ったのだ。
我が国の高名な宗教家、五井昌久さんは、ごく庶民的な場で、それを、言葉だけでなく、実際の人々の相談の中で、実証していたらしい。五井さん自身のことでも、弟子の方が述べた素晴らしい話があるので、『天と地をつなぐ者』から簡略に引用する。
五井さんは、ある日、講演会の前に、1人の女性を、「今日から私の妻になります」と言って紹介した。女性は良家のお嬢さんで、五井さんとの結婚を親に反対されていたのだが、身一つで出てきたようだった。
そして、講演が進み、五井さんが、受講者の質問、相談に答えているうちに、夜も遅くなった。ところが、五井さんには、今夜のねぐらもなかった。
しかし、五井さんは全く心配している様子もない。
そうすると、ある人が、金が要るので、誰かに家の2階をある金額で貸したいのだが・・・という話をしたところ、五井さんは一文無しだが、奥さんがたまたま丁度それだけの金を持っていたので、そこに落ち着いたという。
必要なものは必ず与えられるということと、新婚の妻に払わせただけでなく、全財産をはたかせたという後悔もないところが良いと思う。
そもそも、五井さんに住居を提供しようという人は1人や2人でなかったらしいが、五井さんは「どうせ立派な部屋をタダでと言うのだろう」と見抜いていて、断っていたようだ。これは、マハラジの言った「不要なものを求めなければ」にも通じる。

ところで、五井さんの奥さんの親が、五井さんとの結婚を反対したのは至極当然のことだった。五井さんは全く収入もなければ、収入を得る意思もない「宗教家のようなもの」でしかなかったからだ。
初音ミクは、ボーカロイドと呼ばれるがこれは、ヤマハが開発したコンピュータソフトウェアの名前であると共に、「ボーカルのようなもの」という意味で、初音ミクが本物のボーカリストでない、「そのようなもの」ということなのだろうが、ミクは誰もが認める立派なボーカリストだ。
しかし、五井さんは、本当にリリージョロイド・・・リリージョニスト(宗教家)のようなものでしかなかった。
初音ミクの身体は、「かりそめのボディー」でしかない。
冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』の第3幕『注文の多い料理店』で、ミクが、「私は初音ミク、かりそめのボディー」と歌うのだが、冨田勲さんは、この部分に特に強い思い入れがあったようなのだが、このことは後で話す。
そして、五井さんも、自分の身体や心を完全に神霊に明け渡していて、まさに、「かりそめのボディー」であったのだ。
ラマナ・マハルシも、ニサルガダッタ・マハラジも、神様への人生の完全な明け渡しを説いた。
さっきの『注文の多い料理店』の歌は、「パソコンの中からは出られないミク。妖しく見えるのはかりそめのボディー」と続くが、我々だって、この現し世(うつしよ)から出られない、かりそめのボディーに閉じ込められた哀れな存在でしかない。
江戸川乱歩はサインを求められると、そこに、「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」と書いたらしい。「現実世界と言っているものの方が夢で、寝ている時に見る夢の方が本当なのだ」という意味だ。
ラマナ・マハルシは、「眠っている時に見る夢は短く、目覚めは長い。それ以外に両者に何の違いもない」と言い、この言葉の方が真実に近いかもしれない。
しかし、私は、冨田勲さんが、あの「私は初音ミク、かりそめのボディー」の「ボディー」に「脅しを持たせたい」と言っておられたことが実に印象的だった。
私は、江戸川乱歩は、「夜の夢ことまこと」に脅しを持たせたかったのではないかと思うのだ。
初音ミクのボディーはかりそめだけに妖しいのだ。
そして、夜の夢も、現(うつつ)の世も、やっぱりかりそめだ。しかし、それだけに妖しいのだ。
なるほど、芸術としては、妖しいほどに美しい。しかし、やはり偽物なのである。
つまり、かりそめに過ぎないこの世で、そんなに深刻になってどうする?こだわってどうする?と言いたいのである。
この気楽さがなくては、心配しないようにしようたって、できるものじゃあない。
人生は1つの夢のようなものだ・・・それでいいじゃないか?
私は、『イーハトーヴ交響曲』を百回以上聴いたが、ミクの涼やかな歌を思い出すごとに、そう感じるのだ。
冨田さんが、「ソリストは初音ミクさんしかいないんですね」、「宮沢賢治の不思議な世界は、初音ミクでなければ歌えない」と言っておられた訳が分かるような気がするのだ。

さて、「不要なものを求めなければ必要なものは与えられる」、「心配するな、なんとかなる」という言葉には真理の美しさはあるが、それを聞いて怒ったり、「この夢想家共め!」と蔑む者もいるはずだ。
貧困国では、毎日、沢山の人達、ことに、大勢の子供達が餓死している。彼らに、「心配するな・・・」は通用しないし、イエスが嘘つきであるように思えるかもしれない。
現実は現実のこととして、全ての人が自分の問題として解決しなければならない。
ただ、そこで大切なことは、我々が自分自身、「かりそめのボディー」であり、自分の生活の心配をしてはいないようでなければ、自在に人を救ったりはできないということだ。
日本では、食料の半分以上は捨てられているという。
しかし、このことを一面的に非難はできないのだ。もし、そうではなく、丁度良い量だけの生産しか行われないならどうなるだろう?
日本人の餓死者が大いに増えるのである。昔の邱永漢さんの本を見ると、「いまどき、日本で餓死者なんていない」と書かれてあるが、今は日本も、毎年数百人の餓死の疑いのある者がいるらしい。
必要なだけしか食料が生産されないと、ますます、全ての人に行き渡らないのである。
その理由は、人々の贅沢ということもあるが、貧困者の不安というものもあるのだ。
なぜ、必要なものまで得られず、餓死する者がいるのだろう?
貧困国のことについては事情が複雑なので、当てはまらない場合もあるかもしれないが、それは、「不要なものを求めなければ、必要なものは与えられる」ということを知らないからだ。
簡明に説明するため、私の経験で言おう。
私は引きこもり気質でありながら、なぜか、家庭訪問のセールスなんていう、一番向かない仕事をやったのだが、当然、さっぱり売れなかった。
ところが、数日やっていた中で、自分で自覚のないままに、商談がまとまっていった。
そしてある日、行く家、行く家で売れる。
不思議な日だった。
そして、成果も上がったし、もう遅いから帰ろうと思ったのだが、不意に、「あの家に行け」という指示を心の中で感じた。
それに従って、ロボットのようにその家に行くと、あり得ないことだが、数十秒で高額な商品が売れた。そして、その売上げで、駆け出しセールスマンの私が、社内の強豪セールスマン達を逆転し、セールスコンテストで優勝したのだ。
時々、このブログで書いているが、当時から私は、丹波哲郎さんの指示通り、朝晩、守護霊に挨拶し、自分の守護仏と信じる阿弥陀如来を念じていた(干支による守護仏が阿弥陀如来なので)。
詳しくは、五井昌久さんの本(『神と人間』等)に書かれてあるが、守護霊、守護神に意識を向けていると、これら背後の神霊が護り易いというのは、私の例も示していると思う。
普段から守護霊、守護神を意識していないと、彼らが私のために指示を寄こしても、私が受け取れないのだ。それは一種のテレパシーのようなものかもしれないが、テレパシー能力が発達していないと、「車が突っ込んでくる。逃げろ」と守護霊が注意しても分からないかもしれない。
見えないものの存在を感じよう、信じようとする真摯な心がテレパシー能力を発達させるのかもしれないのだ。
そして、見えないが大切なものの存在を少しでも信じられるなら、「不要なものを求めなければ必要なものは与えられる」、「心配するな、なんとかなる」ということが、ごく自然で、現実的なこととなる。すると、ますます不安はなくなり、実際、幸運に恵まれ、何でもうまくいくのである。
まずは、あなたも、朝起きたら、「守護霊様、おはようございます」と挨拶してはどうだろう?
寝る時も、「守護霊様、今日もありがとう」と心の中で言うくらいでクタクタに疲れたりはすまい(疲れてよく眠れた方が良いのかもしれないが・・・)。
信じやすいなら、アメリカ人のように、「グッドモーニング(グッドナイト)、ガーディアン・エンジェル(守護天使)」でも構わない。
そうすれば、がっかりはさせないと思う。









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