自分の意志などで行動してはならない。
しかし、それは、他人の言いなりになることでも、世間に流されることでもない。
とはいえ、あえて他人や世間に逆らってはならない。ある時は逆らうこともあるだろうが、別の時には従うだろう。
それはどういうことだろうか?
内なる神に従えという意味である。
内なる神に従ったからといって、得をするとは限らない。むしろ、大損をするかもしれない。
ただ、私の経験では、損をしたと感じることはあっても、そう過ぎたものではなく、後で後悔することはない。

内なる神に従うとはどういうことだろう。
それは、頭で考えて分かることではない。
直感に従うことだ。
この言い方が難しいなら、最も自然に感じる行いや言葉が、内なる神の指示である。
「自然な」という言葉ほど調和に満ちたものがあるだろうか?
しかし、現代人は、内なる神の声から遠く離れてしまっている。
つまり、不自然なことばかりしている。そうではないだろうか?

私がよく勧める腕振り運動は、内なる神に従うための最良の訓練でもある。
腕振り運動とは、自然に立って、真っ直ぐに伸ばした両腕を揃えて前後に振るだけの簡単な運動だ。手の平は内側に向けて向かい合うようにする。
正しくやれば、業病でない限り、いかなる難病でも治った例が多くある。
根気強く、毎日欠かさずやれば、健康になり、若返り、心が明るくなり、エネルギーに満ちてくると思う。
子供から老人までできる楽な運動である。
ところがだ。時々、この腕振り運動で、ひどくく疲れるだの、どこかが痛くなるだの、「やっと2百回出来た」だのと、奇怪なことを言う人がよくいる。
それが、自分の意志で、自分勝手にやっているという証拠なのだ。
腕振り運動で疲れることなどあるはずがない。
何千回でも楽なはずである。しかも、楽しい。私は、平日は時間がなく、一度に2百回しかできないこともあるが、残念でならない。これは、芯から気持ちよく楽しいので、回数は多ければ多いほど良いのである。私は、休日は本当に1日中やっている。
私は、腕振り運動をやる時、自分のペースでは決してやらない。自分勝手な調子でやると、大抵がペースが速過ぎ、力が入り過ぎている。
私も、開始直後は、「あ、速過ぎる。これは私のペースだ」と思い、注意深く、内なる神から指示されるテンポに合わせる。すると、心が安らぎ、静かな爽快感を感じる。それは、憂いのない子供の頃の心であり、実際、自分が子供のような気がする。
こうやって、腕振り運動で内なる神に従う練習をし、その感覚を掴み、あらゆることを、内なる神の指示通りに行うのだ。
すると、結果がどう出ようが、それにこだわることがなく、平静でいられるようになる。そして、何が起こっても、それを楽しんでいけるようになるのだ。
それが完全にできれば、老子や荘子の言う「道(タオ)」と一体になっているのであり、そうなれば、神仙にも近付いているのである。
この達磨大師様の素晴らしい贈り物である腕振り運動を是非、愛用していただきたいと思う。









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