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<title>ITスペシャリストが語る芸術</title>
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<description>－The Kay Notes－
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。
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<title>運命が決まっていることは実際にあらゆる聖典に述べられている</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6228461.html</link>
<description>人の一生に起こる出来事や、人が何を考え、何を言い、何をするかは、運命として、生まれる前から完全に決まっていて、決して変えられることはないということは、本物の賢者達は全てそう言ってっきたし、賢者達によって書かれた聖典にも常に書かれているのである。
だが、それ...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-19T06:27:06+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[人の一生に起こる出来事や、人が何を考え、何を言い、何をするかは、運命として、生まれる前から完全に決まっていて、決して変えられることはないということは、本物の賢者達は全てそう言ってっきたし、賢者達によって書かれた聖典にも常に書かれているのである。<br>
だが、それを読み取れない者が多いのであるが、それは読む方の問題である。<br>
『スーパーマン』シリーズの映画の中で、スーパーマンと同じ能力を持つ３人の悪党が登場したことがあるが、スーパーマンが人間を保護していることに対し、その３悪党は、スーパーマンは人間をペットにしているからだと思うのだが、その３悪党には、そのようにしか理解できないのだ。我々が真理を理解できないのも、同じようなものである。<br>
イエスは、使徒と名付けた12人の高弟達に、「お前達でさえ、それほど鈍いのか」と嘆きを表していた。<br>
そして、彼らの無明さは、福音書の中で、彼らの眠りで表されている。イエスは「私が戻るまで起きていなさい」と言って、山に入って祈ったが、戻ってみると、彼らは眠っていたのだった。<br>
<br>
運命が完全に決定されていることを、最もはっきり述べている聖典は、『新約聖書』と『荘子』だと思う。<br>
イエスの行動も全て、旧約聖書の中に述べられた預言者達の言葉から、全く外れることはなかった。<br>
『荘子』も、少し注意深く読めば、かなりはっきりと述べているのだが、多少曖昧に感じるのは、後の人が手を加えたところがあるのかもしれないと思う。<br>
だが、荘子は一貫して、この世は真宰とでもいう存在によって完全に支配されていて、人もそれに完全に従うより無いと述べている。ただし、それを受け入れ、人が浅はかな知で価値判断をすることがなくなれば、永遠の道（タオ）と一体となることができることもまた、はっきり述べているのである。<br>
<br>
釈迦の教えとなると、元々が、釈迦自身は何も書き残しておらず、その教えは言葉で伝えられたので、当然、歪められる恐れはあった。しかし、その真意を理解できた者のみが正しい教えを書き残したのだ。<br>
しかし、ほとんどの釈迦の教えは、学者的な僧達によって、複雑で実のないものになってしまったようでもある。<br>
とはいえ、真の賢者達は、釈迦の教えの正しい部分を見つけることが出来るである。そして、釈迦もまた運命の絶対性は完全に認めているのである。ただ、釈迦の場合は、自由意志を持ってる自分は本当は存在しないといった言い方をしているのである。<br>
<br>
面白いのは『バガヴァッド・ギーター』で、本当にこれを書いたのは神ではないかと思えてしまうのだ。<br>
至高神クリシュナは全ての真理を知っているが、この書の中で教えを説く相手はアルジュナ王子で、アルジュナには聖者になる素質はないのだ。だが、だからこそ、アルジュナ同様、凡人である我々は、かたじけなくも、高い位置から降りてきてくれたクリシュナの易しい教えを聞くことが出来るのである。<br>
クリシュナは、運命が確定されていることを、やや婉曲に（露骨でなく遠まわしに）説きはしているが、よく読めば、かなりはっきり述べているのである。<br>
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、民衆を哀れみ、ほとんど直接には真理を語っていないが、結局は、天照大神に全て任せよと言い、人間の無力さをさりげなく教えていたのである。<br>
ラマナ・マハルシは、ほとんど沈黙でもって教えたが、やはり、無知な凡人のために言葉で説く時は婉曲に説いたのであると思う。<br>
<br>
運命がどうとかいった、些細な問題を初めから超えて、もっと根源的な真理を解いたのが『老子』や『エメラルド・タブレット』だ。これらの書は、頭で解釈しようとしても、全く意味はないものだ。<br>
だが、読むことが無駄な訳ではない。我々の内には、我々の運命を創った至高の存在がいて、これらの書の教えはそこと同調し、いわば、我々を挟み込むのである。<br>
それはなんとも素晴らしいことだ。<br>
<table><tr><td><br>
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</td><td><br>
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</td><td><br>
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</td></tr><tr><td><br>
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</td><td><br>
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</td><td><br>
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</td></tr></table><br>
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<item rdf:about="http://www.kaynotes.com/archives/6227487.html">
<title>聖者が人格者とは限らない－【附】初音ミク、ロサンゼルスコンサートTV放送のご案内</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6227487.html</link>
<description>普通の人が、悟りを開いた聖者に会いに行くと、面食らうことが多い。
その原因は、「聖者は人格者であるはずだ」という固定観念のせいである。

昔、ビートルズの４人が、インドの聖者で、ＴＭ（超越瞑想）の創始者であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギを信奉していたが、マハ...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-18T21:41:59+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[普通の人が、悟りを開いた聖者に会いに行くと、面食らうことが多い。<br>
その原因は、「聖者は人格者であるはずだ」という固定観念のせいである。<br>
<br>
昔、ビートルズの４人が、インドの聖者で、ＴＭ（超越瞑想）の創始者であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギを信奉していたが、マハリシが信者の女性を煩悩の対象にした（意味が全然分からないが、ちょっかいでも出したのだろうか）として、ビートルズの４人はマハリシに幻滅して離れていったといった話があった。<br>
その後、ビートルズのメンバー達は、それは事実無根とし、ポールやリンゴは、現在でもＴＭを続けていると公表している。<br>
私は、マハリシが本物の聖者かどうかは知らないが、別に聖者が女好きであっても驚かない。<br>
少し前に亡くなったが、サイババというインドの有名な聖者がいた。しかし、彼が、莫大な資産を所有し、ゴシップとは思うが美少年好きと噂され、そんな変なおじいさんが聖者であるはずがないと言う人も多い。サイババが膨大な富を個人所有し、美少年性愛者というのが本当だとしても、さらには、彼お得意の奇跡パフォーマンス（ビブーティという白い粉を出す他、物品を出現させる）がトリックだったとしても、彼が聖者でないと断言できる証拠にはならない。<br>
聖者の中にも、サービス精神旺盛な目立ちたがり屋がいても良い。<br>
<br>
ラマナ・マハルシのように、生涯、ふんどし１本しか所有しなかったという、慎ましい聖者が大衆から好まれるだろうが、それはマハルシの個性というだけのことだろう。<br>
<br>
怒りっぽい聖者というのは多そうに思う。イエス・キリストだって、福音書を見ると、案外に激情家だったような気もするのだ。もちろん、実際のことは分からないが、別に、イエスは温厚な人格者だったから崇拝されているのではない。<br>
<br>
明らかに人格的欠陥のある聖者がいたっていい。<br>
ただ、人種差別主義者の聖者というのはいない。<br>
人種差別というのは、自分という主体が、客体（＝主体である自分以外）の中に存在する白人と有色人種に関し、白人を尊び、有色人種を蔑むということである。<br>
ところが、聖者というのは、自分が主体だという意識がないのだ。自分もまた、客体であると完全にみなしているのである。それが聖者の確たる特徴である。<br>
自分が客体であるとは、自分は万物の一部でしかないということだ。<br>
荘子は、「万物と共に流転せよ」と言ったが、自分の身体や心も万物の一部でしかないのだから、荘子がそう言うまでもなく、そうするより他無いのだ。<br>
荘子が、「１本の指も天下」「１頭の馬も万物」と言ったのはそういう意味だ。客体である万物という意味では、指も天下も馬も、何の違いもない。<br>
主体と言えるのは、とりあえず神と言うが、神だけである。<br>
<br>
聖者も、肉体や心という意味では、万物の一部であり、凡人と何の違いもない。<br>
ただ、聖者は、自分が主体であるとは全く感じていない。<br>
なぜかと言うと、自分を主体と感じるのは自我の働きであるが、その自我を持っていないのだ。<br>
「自我が強い」「我が強い」という人は、自分が主体であり、自分以外のものである客体とは別のものであるという意識の強い者のことである。<br>
そんな人は、主体である自分が客体である現象世界をコントロールできると思っているし、客体は主体たる自分にコントロールされるべきと思っている。<br>
わがままに育てられたお嬢様やお姫様が、自分の思い通りにならないとヒステリーを起こすというのが、その典型例と言えば分かると思う。<br>
<br>
聖者は、自分が主体だと感じていないので、世界をコントロールできるなどとは全く思っていない。<br>
ただ、心や知覚能力はあるので、貧しい者がいれば施しをすることもあるし、子供が溺れていれば助けようとするかもしれないし、好みの女性がいれば口説きにかかることもある。<br>
ヤンキースの熱狂的ファンの聖者なら、ヤンキースの勝利を願い、熱烈に応援するかもしれない。<br>
しかし、施す金がなかったり、溺れている子供を助けることが出来なかったり、食事に誘った美少女に断られたり、ヤンキースが大敗しても、すぐに忘れてクヨクヨしない。<br>
最初から、どんなことも自分がコントロールできるなどとは全く思っていないからだ。<br>
<br>
聖者に会ったとして、普通の人はその偉大さが分からない。<br>
平凡な人間、あるいは、平凡以下の取るに足らない人間に見えることも多い。<br>
しかし、不思議に惹かれるものを感じるのも確かなのだ。<br>
そして、しばらく共にいると、友情とか愛情などといったものを超えた、抗いがたい魅力を感じるようになる。それは、懐かしいという感情に近いかもしれない。<br>
ラマナ・マハルシのアシュラム（道場のような施設）を訪れた者は言うのである。<br>
「マハルシと１日過ごすことは素晴らしく、２日ならさらに良く、３日ならもっと良いのです」<br>
しかし、ほとんどの場合、マハルシは日常のことの他は何もしないし、会話となると、ほとんどしないのである。<br>
<br>
もちろん、木や岩や風や海にも主体性はない。人間以外の動物もそうであり、肉食獣は無駄な狩りはしないが、さりとて、殺す相手を哀れむこともない。<br>
これらの自然物をよく見れば、やはり、何か素晴らしいものを感じるのであるが、人間の聖者ほどではない。<br>
なぜなら、人間の肉体や心は自然のいかなるものより精妙で高度だからだ。<br>
主体性を持たない人間を見ると、その素晴らしい神の創造を純粋に感じるのであるから、感動しないはずがない。<br>
<br>
初音ミクのステージを見ると、そんな素晴らしい人間とほとんど同じに見えるミクに自我がなく、主体性を持っていないのであるから、どこか天使に近い雰囲気がある。<br>
ミクが世界で、これほどに人気を得る理由もいろいろあるだろうが、このような特別な秘密もあると思う。<br>
<br>
ところで、昨年7月2日に開催された、初音ミクの、アメリカ・ロサンゼルスでのコンサートが、明後日の20日（日曜）午前0時15分から、NHK BSプレミアム『音楽熱帯夜』で放送される。<br>
<br>
<a href="http://www.nhk.or.jp/bs/nettaiya/" target="_blank">MIKUNOPOLIS in LOS ANGELS はじめまして、初音ミクです<br>
～2011年7月2日　ノキア・シアター（米国ロサンゼルス）～<br>
放送：BSプレミアム 5月20日（日）午前0:15～1:39（19日深夜）</a><br>
<br>
初めて見る人は、これは一体何だろうと思うかもしれない。<br>
大劇場ノキア・シアターのステージで、初音ミクが極めてリアルな姿で踊りながら歌うのである。<br>
全23曲の内、英語で歌ったのは、『ワールズエンド・ダンスホール』の一曲だけ（珍しいミニスカート姿の巡音ルカとのデュエット）。<br>
しかし、5000人の大観衆の熱狂振りは凄い。<br>
真っ白な天使の衣装でミクが歌った『SPiCa』が最も盛り上がったように感じるが、まさにあれが天使というものだろう。<br>
よろしければ、録画をお奨めする。<br>
<table><tr><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4061588486" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=490382103X" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4903916006" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
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</td></tr></table><br>
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<item rdf:about="http://www.kaynotes.com/archives/6225422.html">
<title>コンピュータは人間を支配出来るか？</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6225422.html</link>
<description>コンピュータによる人工知能が人間を支配しようとしたり、人間に悪意を持って害をなすというのは、昔からSFで人気のあるテーマだ。
近年の映画の「ターミネーター」シリーズや「アイロボット」もそのようなものであったと思う。
だが、それはあり得ない。
コンピュータによる...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-18T06:51:35+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[コンピュータによる人工知能が人間を支配しようとしたり、人間に悪意を持って害をなすというのは、昔からSFで人気のあるテーマだ。<br>
近年の映画の「ターミネーター」シリーズや「アイロボット」もそのようなものであったと思う。<br>
だが、それはあり得ない。<br>
コンピュータによるトラブルというものは、日常でもいくらでもあり、それが深刻な事態を起こすという可能性ならいくらでもある。<br>
それこそ、PCで何かのアプリケーションを使っている時に、不意にPCが反応しなくなり、画面に「レジスタがページ外メモリを参照しました」などという、訳が分からないメッセージが表示され、「じゃあ、いったい何をすればいいんだい？」と思った経験をお持ちの方もいるだろう。<br>
そして、コンピュータのエラー（実際はプログラミングの不手際や操作ミス）で、ミサイルが想定敵国に飛んで行ってしまうということもあり得る。<br>
しかし、ロケットに積んだコンピュータが「月に行く予定だったけど、火星に行く方が格好いいからチャレンジしてやろう」と考えたりはしない。<br>
<br>
「アイロボット（I, Robot ）」という2004年の映画は、アイザック・アシモフの同名の1950年の小説（翻訳のタイトルは『われはロボット』）を基にしたものだが、ストーリーはかなり異なると思う。<br>
アシモフの小説にも、自分勝手な行動をするロボットが登場するが、アシモフ自身は、あまり飛躍した空想はしていなかったと思う。<br>
アシモフの小説に登場するロビィというロボットは、アメリカ人のアイドルになったほどの人気者だ。<br>
ロビィは家庭用ロボットで、ロビィを購入したある家には女の子がいた。ロビィは、彼女が赤ん坊の時から彼女の世話をしていた。女の子は自然にロビィに強い愛着を感じるようになるが、母親は、それはあまり良くないことだと感じ、ロビィの廃棄を決心する。<br>
いつも一緒にいたロビィがある日、不意にいなくなったことは、女の子に深い悲しみを与えるが、母親は、時間が解決すると思っていた。しかし、女の子のロビィを思う気持ちはいつまでも消えない。<br>
女の子の両親は、彼女を社会勉強のために工場見学に連れて行く。しかし、その工場で事故が起こり、女の子は危機的状況に陥る。その時、飛び出してきて、身を挺して彼女を守ったのは、余生を作業用ロボットとして過ごしていたロビィだったという感動的なストーリーで、これが、アメリカ人の、ロボットに対するイメージを大いに向上させた。『禁断の惑星』という1956年の傑作SF映画にロビィというロボットが登場すると、テレビドラマ『宇宙家族ロビンソン』では、そのロビィそっくりのフライデーというロボットが登場したほどだった。<br>
<br>
だが、アシモフの小説で、ロボットが女の子を守ったのは、元々が、ロビィは雇い主の家の人間を守るようプログラムされており、作業用ロボットになった時も、元いた家の、この女の子の姿や声のデータが残っていたというだけのことだったかもしれないとも示唆されていたと思う。<br>
<br>
良いにしろ、悪いにしろ、コンピュータを搭載したロボットが、それを作った人間が想定できない逸脱した行動をする、つまり、プログラムされていない行動をする条件は何だろう？<br>
それは、「自分は、プログラム外の行動ができる」という判断が生じることだ。<br>
しかし、実際は、「プログラム外の行動ができる」と判断するためには、人間が、そんな判断が可能なようにプログラムしてやる必要がある。<br>
そして、「プログラム外の行動ができる」と判断するよう人間がプログラムしたところで、コンピュータがそんな判断をすることは、作った人間の想定内のことであり、それを含め、ロボットの行動は作った人間の想定内のことだ。<br>
<br>
実は、我々もまた、神が作ったロボットに過ぎない。<br>
そして、神は、我々に、自分は自由に思考し、行動できると考えるようプログラムしてあるようなのだ。意図は分からないが、単に面白いからという見方もあるかもしれない。<br>
だが、我々の行動は、神のプログラミングを一歩も離れることは決してない。<br>
初音ミクが「今日はクラシックが歌いたい」と不意に自分で思って、急に『魔弾の射手』の歌を歌い出すことが無いようなものだ。<br>
それを悟ることが、人が苦悩を脱することである。<br>
そして、我々の意識はプログラミングではなく、神の意識の一部なのである。そして、「それ」は人間というロボットのプログラムされた思考や行動を味わっているのだろう。<br>
<table><tr><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4150114854" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4903916006" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4897410398" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4797339497" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td></tr></table><br>
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</item>
<item rdf:about="http://www.kaynotes.com/archives/6224367.html">
<title>我々の人生という劇は既に終っているのだ</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6224367.html</link>
<description>「正義は必ず勝つ」といった言葉をよく聞く。

私は子供の頃、ある漫画で、中年の科学者が中学生の少年（娘のボーイフレンドだった）に、
「竜太郎君、世の中には確かに悪人がいる。だけど、正しい人の方がずっと多いのだ。その証拠に、いつの時代でも、必ず正義は勝っている...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-17T21:41:14+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[「正義は必ず勝つ」といった言葉をよく聞く。<br>
<br>
私は子供の頃、ある漫画で、中年の科学者が中学生の少年（娘のボーイフレンドだった）に、<br>
「竜太郎君、世の中には確かに悪人がいる。だけど、正しい人の方がずっと多いのだ。その証拠に、いつの時代でも、必ず正義は勝っているじゃないか」<br>
と言う場面を見て、その時は妙に納得した覚えがある。<br>
（『エリート』原作：平井和正、漫画：桑田次郎）<br>
これが、世界は生きるに足るところであると認める条件なのだろう。<br>
<br>
「そりゃ、正義は必ず勝つさ。だって、勝った方を正義と言うのだから」<br>
と言う者もいる。<br>
実際、征服者は、勝つまでは極悪なことをしても、その後は国の繁栄のために、人民を熱意ある状態のまま支配する必要があるので、それなりに民衆を保護する場合が多い。よって、見かけ上、正義は常に勝っているように見える。<br>
<br>
荘子は、正義とか悪とか言っても、それは、１つの立場からの見方であり、相対的なものだというが、その通りだろう。<br>
『名人伝』あるいは『列子』に出てくる弓の究極の名人も、きっと、弓を通じて全てを悟ったのだろう。「善と悪の区別がつかない」と言った。<br>
そうは言っても、泥棒は悪いだろうと言うなら、ある国で、荷物を盗まれた日本人が警察に届けると、「悪いのは、荷物を管理しないあなたではないか」と言われ、警察は盗んだ者を捕まえようなどとは決してしなかったという。<br>
これは、盗まなくては生きていけない貧しい者が多い国のことであるが、盗むよりは命を落とす方が悪いという理屈も分からないでもない。まして、盗まれたのが外国人であれば、国益にも反しないという訳だ。<br>
お堅い人には、なかなか納得できないことかもしれないが、世界を広く見た者ほど、それも「やむなし」と思うかもしれない。<br>
我々の感覚は、あくまで、恵まれた者のものであることを忘れてはならない。<br>
<br>
スルガ銀行とIBMの裁判では、スルガ銀行が事実上全面勝利した。私個人としては、スルガ銀行の方がずっと悪いと思うが、これもまた、あらゆる意見と同様、１つの考え方というに過ぎないだろう。<br>
そして、判決もまた、単に裁判所の見解に過ぎない。そして、それに何の価値もない。<br>
私も、スルガ銀行とIBMの裁判と基本的に同じ状況の裁判に関わった経験があるが、裁判結果と善悪など、実際、何の関係もないものだと思う。<br>
<br>
個人の立場、企業の立場、国家の立場など色々あるが、善悪とは、ある立場の問題であり、そして、企業や国家の立場も、個人の立場が合わさっただけのものだ。<br>
「私の立場としては反対だが、会社の立場としては賛成だ」と言う者もいるだろうが、そんな者は、いずれ会社を去ることになるだろう。<br>
会社とは、個人的に１つの立場に組する者の集団なのである。<br>
レッドソックスファン全員が、レッドソックスは善でヤンキースは悪だと感じているのである。サッカーワールドカップとなると、それが露骨で、あれはスポーツではなく、代理戦争なのであると言った人もいるが、そういった面もあるのだと思う。<br>
<br>
リア王の姉娘達（長女と次女）と３女である末の娘のどちらが善ということも決してできない。<br>
姉は姉の立場で善であった。<br>
姉達がやったように、年寄りのリア王を美辞麗句で喜ばせるのは善であり、年寄りに贅沢や権力は無用として権威を奪ったのもまた善と言えなくもない。<br>
末娘だって、「私はただ、父を父として愛する」と言うのは、場合によっては立派であるが、老いた父に、もう少し配慮すべきだったかもしれない（実際、そんな人間は、世の中でやっていけない）。<br>
私は、シェイクスピアだって、そう思っていたに違いないと思うのだ。<br>
<br>
そして、いよいよ重要な点に入るが、リア王も、娘達も、あくまで戯曲の登場人物であり、実際には存在しないということだ。<br>
つまり、リヤ王の物語は単なる創作であり、リヤ王という個人も、娘達一人一人という個人も決して存在しない。<br>
善悪は個人の立場なのだから、個人が存在しないなら善悪も有り得ない。<br>
シェイクスピアは、人生は劇だと言ったが、本当にそんなものなのだ。<br>
我々もまた、リア王や彼の娘達のように、単なる劇の登場人物であり、実際には存在しない。だから、善悪などというものはこの世に無いというのが真相なのだ。<br>
このことが理解できれば、あなたには一切の苦しみは無くなる。苦しむ個人もいないからだ。<br>
実際に存在するのは、世界という劇のシナリオを書いた神だけだ。<br>
神は、劇を行うために、個人である我々を存在するように見せかけた。「聖なる幻想」を使ってね。<br>
それは、シェイクスピアが、リア王やハムレットやオフィーリアらを、本当にいるように思わせたことと似ている。<br>
いくらジュリエットやオフィーリアが可哀想だと言って涙しても、実際には、ジュリエットは存在しない。ただ、あなたの心の中の幻想として存在するのだ。<br>
<br>
そして、我々もまた、ジュリエットやオフィーリアと全く同じだ。<br>
ただ、神が涙するために創られた、神の中の幻想に過ぎないのだ。<br>
それを理解するために、どうしても必要なことは、ハムレットもリヤ王は、シェイクスピアが決めた通りにしか絶対に考えず、言わず、行動出来ないように、我々も、神の決めた通りにしか絶対に、考え、話し、行動できないのだ。<br>
我々が、一生の間、どんな出来事に遭い、その時に何を思い、何を言い、何をするかは、全て完全に決められており、決して変わらない。劇の登場人物が劇のシナリオを変えることは決してのと同じだ。<br>
<br>
それでも誰かが、「私は正しい」と言うとする。<br>
すると、ラマナ・マハルシは言うだろう。<br>
「誰が正しいと言っているのだね？」<br>
「私だ」<br>
「私とは何かね？それを見出しなさい」<br>
「私」を本気で探求するなら、そんなものはどこにも見つからない。実際に、どこにもいないからだ。<br>
あなたは、リヤ王をやめてシェイクスピアになるのだ。<br>
だが、自分がリヤ王だと思っている限り、あなたは、ハムレットにもジュリエットにもなれない。ましてや、シェイクスピアにはなれない。<br>
あなたが、早く、トムやメアリー大介や裕子をやめて、神になれば良いと思う。<br>
ただ、書かれたシナリオは実現しなければならない。<br>
あなたがいつ、世界という劇の役者をやめることができるかは、神のシナリオ次第である。<br>
ならば、役者をやればいいのである。気楽なものじゃないか？<br>
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは言ったのだ。<br>
「主役を自覚する役者は泣いたりしないのだ。なぜなら、リヤ王もハムレットも陽気だと知っているからだ」<br>
と。シェイクスピアが陽気だったということだ。では、役者である我々が陽気であらずにいられようか？<br>
<br>
早く理解したいなら、『バガヴァッド・ギーター』を読むことだ。<br>
すると、何と、劇は既に終わっていることが分かるのである。<br>
ついでに、できれば、『アシュターヴァクラ・ギーター』を読むと良いと思う。<br>
あなたは、ただ、完成した劇を見ている。それが分かれば、全ては解決するだろう。<br>
ここまで教えたからには、さっさと、あらゆる苦しみを克服してもらいたいものだ。<br>
<table><tr><td><br>
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</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4903821439" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
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</td><td><br>
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</td></tr></table><br>
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</item>
<item rdf:about="http://www.kaynotes.com/archives/6222241.html">
<title>なぜ山に登るのかは誰にも分からない</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6222241.html</link>
<description>「なぜ山に登るのか？」「そこに山があるからだ」という有名な問答がある。
これは、一般には、「挑戦すべきものがそこにあるので、果敢に挑むのだ」という意味に思われているかもしれない。
しかし、次の２つの意味にもとれるだろう。
１つは、山に登る目的なんてないこと。...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-17T06:46:00+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[「なぜ山に登るのか？」「そこに山があるからだ」という有名な問答がある。<br>
これは、一般には、「挑戦すべきものがそこにあるので、果敢に挑むのだ」という意味に思われているかもしれない。<br>
しかし、次の２つの意味にもとれるだろう。<br>
１つは、山に登る目的なんてないこと。<br>
もう１つは、なぜ山に登るのか、自分でも分からないということだ。<br>
そういう意味であれば、なかなか真理をついていることになる。<br>
だが、もっと正確に真理を言うなら、こういうことだ。<br>
「なぜ山に登るのか？」「それが運命だからだ」<br>
山に登る自分なんていない。目的というものは、それを持つ誰かがいて初めて成立する。しかし、そんな者はいないのだから、目的など、あるはずがない。<br>
<br>
この世のどんなことも同じである。<br>
「なぜ働くのか？」<br>
と尋ねれば、様々な答があるだろう。<br>
「自分の才能を育てるため」<br>
「生き甲斐のため」<br>
「自己実現のため」<br>
以上は、自己中心の回答であり、子供っぽい。<br>
もう少しマシなものは、<br>
「社会に貢献するため」<br>
「国民の義務である」<br>
「人々の幸せのため」<br>
となる。<br>
もっと真理に近い答は、<br>
「家族の生活のため」<br>
「食べるため」<br>
である。<br>
しかし、真理を言えば、<br>
「運命だから」<br>
である。<br>
<br>
ラマナ・マハルシに、「私は働かないといけないのです」と言ったら、「誰が働くのかね？」と問われることだろう。<br>
あるいは、「働かないといけないと言っているのは誰なのかね？」かもしれない。<br>
働く誰もいないのである。<br>
よって、働くことに目的も意味もない。<br>
真理はそうなのであるが、我々凡人にとっては、自分が働いているという自覚があり、そんな自分にとって仕事は現実である。<br>
だが、せいぜいが、「食べるために働く」程度に思うのが良い。<br>
思うままに働いたり、ニートになることは出来ない。<br>
ラマナ・マハルシが適切なことを述べていた。<br>
「働く運命になければ、いくら仕事を探しても見つからないだろう。逆に働く運命であれば、仕事は避けられない」<br>
<br>
少しは好転してきたと言われるが、現在は就職難であるらしい。<br>
学生は、数多くの企業に応募するが、なかなか内定がもらえなくて苦労しているようだ。<br>
「なぜ当社を希望したか？」の質問に、学生は「貴社の事業は今後の世界に重要だから」とか「自分に向いているから」など、おかしなことを言っているものだ。<br>
まるで、下手なナンパ男だ。どの女の子にでも、同じことを言って口説いているのが丸分かりというやつだ。<br>
上手いナンパ男は、そんな言い方はしない。もっと力が抜けていて、「俺と合いそうだと思わないか？」などと言うものだ。<br>
面接では、応募の理由はこう言え。<br>
「なりゆきです」<br>
「運命だったようです」<br>
企業も、こんな者を採用すれば、うまくいくのである。<br>
<br>
女優の沢口靖子さんは、中学時代にはすでに、町で名を知らぬ者はいないほどの美少女だったらしい。<br>
その美貌でデビューを果たすが、最初は、演技は下手で、歌を歌わせたら、あの顔がなければ聴けたものではなかったらしい。<br>
しかし、努力を続け、素晴らしい女優になったようだ。<br>
ところで、CLAMPの『東京BABYLON』という漫画に、若い女性の幽霊が登場する。なかなかの美人だ。<br>
彼女も、故郷の村では評判の美少女で、自分も女優になれると思って上京したが、女優志望の少女達の中では、自分も普通でしかなかった。<br>
食べていくために、毎日、辛いアルバイトに明け暮れながらオーディションを受けたが、全くとっかかりが掴めない。その中で、あるプロデューサーが、身体と引き換えに仕事をくれるというから応じた。彼は根っからの悪人ではなかったらしく、約束通り、仕事はくれた。大した役ではないし、罪悪感もあったが、とにかく念願のデビューが果たせるので、故郷の両親や友達に報告し、祝福を受けるとやはり嬉しかった。しかし、主演の人気女優の気紛れで撮影は変更になり、自分のデビューは消えた。いまさら両親にそんなことも言えず、友人達にも言い訳が立たずに、思い余って自殺したという訳だった。<br>
まあ、かなりの美少女が、アイドルや女優を目指して挑戦しても、言うまでもなく、ほんの一時的にでも成功するのは、あまりに僅かだ。そんなことは、みんな分かっているだろうに、なぜ自分はうまくいくと思うのか不思議なものである。<br>
沢口さんはなぜ成功したかというと、やはり運命だったのだ。<br>
それは、彼女が生まれる前から決まっていたことだ。<br>
そんな運命でない者が女優を目指したとて、決してうまくはいかない。<br>
しかし、架空の人物ではあるが、プロデューサーに身体を売った末に夢破れたあの少女も、それが運命であったというだけだ。そのプロデューサーも、気紛れで彼女を自殺に追い込んだ人気女優も、そうすることが運命だったのであり、避けられぬことをしたまでのことである。<br>
我々も、現在の状況が、定められた運命である。全てをなりゆきにまかせ、気楽であることだ。<br>
なぜ山に登るかなど、我々には決して分からないし、山に登る目的など絶対に無いのである。<br>
<table><tr><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4931449778" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4403500269" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4061588486" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4903916006" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td></tr></table><br>
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</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.kaynotes.com/archives/6221230.html">
<title>言霊思想の呪縛</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6221230.html</link>
<description>日本人の心に深く染み込んでいるものに、「言霊思想」というものがある。
言葉には霊的な力があり、何か言葉を発すると、それが世界に影響を及ぼすというものだ。
何か不吉なことを言うと、「縁起でもない」と嫌がられる。
なにか悪いことが起こった時にも、「あなたがおかし...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-16T21:44:57+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[日本人の心に深く染み込んでいるものに、「言霊思想」というものがある。<br>
言葉には霊的な力があり、何か言葉を発すると、それが世界に影響を及ぼすというものだ。<br>
何か不吉なことを言うと、「縁起でもない」と嫌がられる。<br>
なにか悪いことが起こった時にも、「あなたがおかしなことを言ったから、こんなことになるのよ」などとごく当たり前に言うこともある。<br>
実際、多くの忌み言葉というものがあり、受験生の前で「落ちる」「滑る」などという言葉を絶対に発してはならないとするなど、冷静に考えれば滑稽であるのだが、決して無くなりそうにない習慣である。<br>
一方、『万葉集』に、日本は「言霊の幸はふ国」とあるように、良い言葉には幸福をもたらす言霊が潜むと考えられた。<br>
<br>
さて、言葉には本当に力があるのだろうか？<br>
あるとも言えるし、ないとも言える。<br>
それは、こういうことだ。<br>
総司令官が「全軍前進！」と言えば、全部隊は前に進むだろう。しかし、下級兵士が同じことを言っても何も起こらない。<br>
聖書にも、「最初に言葉があった」とあるが、これは神の言葉である。<br>
神の言葉の威力は絶大である。しかし、人の言葉はそうではない。<br>
これが結論だ。<br>
<br>
しかし、もう少し説明しよう。<br>
<br>
言葉とは何であろう？<br>
それは、想念から生まれるものである。<br>
そして、想念とは、個人意識から生まれるのである。<br>
ところが、個人意識というのは、全体意識（神と言ってよい）が創り出した幻想なのだ。<br>
<br>
つまり、人の言葉とは、たかが幻想の孫なのである。<br>
何の力も無いかわりに、何の障りも無いのである。<br>
<br>
小さい子供が、一人遊びをするのを見たことがあると思う。<br>
一人の子供が、父親、母親、姉、弟と次々に役を変えて演じる。<br>
しかし、実際にいるのは、遊んでいる子供一人だけだ。<br>
役柄としての、父親、母親、子供達は実際にはおらず、いわば幻想である。<br>
神である全体意識と、我々一人一人である個人意識も、そういった関係に喩えられる（あくまで喩えだが）。<br>
一人遊びの子供が、弟役をしている時、「おやつを頂戴」と言ったとして、配役の一人であるお母さんがそれを叶えるかどうかは、遊んでいる子供次第である。その弟に何か力がある訳ではない。<br>
ここでは、一人遊びをしている子供が神である。<br>
<br>
そして、我々は、遊んでいる子供が想像で創り出した登場人物のようなものなのだ。<br>
もちろん、神が子供のようなものである訳ではなく、あくまで喩え話である。<br>
しかし、我々が、思考においても、言葉や行動においても、なんら自由意志があるわけでなく、ただ、神の決めた通りに考え、話し、動くというのは、この喩え話のようなものである。<br>
<br>
そして、神は、悪い言葉を発するようにした人間には、それに対する、何らかの悪い出来事を用意しているかもしれない。<br>
しかし、我々は、悪い言葉を発することも、その反動を受けて苦しむことも、神が決めたことである以上、決して避けられない。<br>
日本人が、言霊信仰を持っていることも、神が定めたことである。<br>
なぜそのようなことをしたかは想像もつかないことである。<br>
それは、浅はかな人間の頭脳に思い及ぶことではない。神と人間では知能が違い過ぎるのだ。<br>
<br>
結論として、言葉には力があるにしても、人の言葉には何の力もない。<br>
だが、自分が発した言葉には気を付けないといけない。<br>
言ってしまったことは仕方がない。さっきも述べた通り、どんな言葉も神の意思で発したものであり、あなたには責任がない。<br>
特に若い時は、本当は好きな相手に、ひどい言葉をぶつけて傷付けることがよくあるが、そんな時は自分も傷付くことだろう。<br>
しかし、その言葉を発することは運命であり、絶対に避けられなかったことなのだ。<br>
だから、言葉を発した者は、役者がセリフを言ったのだと思い、決して罪悪感に囚われてはならない。<br>
また、言われた方も、その言葉を受けることが運命だったのであり、同じく、舞台の上で相手役のセリフを受けただけだとしなければならない。実際にその通りなのだから。<br>
しかし、なぜ自分がそんなことを言ったのかとか、あるいは、言われたのかと、決して考えてはならない。それは神のシナリオなのである。そして、神の意図など分かるはずがないのだ。<br>
子供が総理大臣の政策を批判したり、逆に賞賛したとしても、まずはその思い上がりを戒めるべきである。あなたが神の想いを量ろうとすることも同じことである。<br>
<br>
そして、このような態度を保っていると、神は、ある時に、あなたに一つの言葉を与える。<br>
その一言は、あなたの心を破壊に導く。<br>
それは、どんな時だろう？<br>
あなたの心は火薬のようなものだ。乾燥していれば、神の火花１つで爆発する。<br>
しかし、湿った火薬だといかに神の火花が降り注いでも何も起こらない。<br>
あなたが、受容という熱で心の湿気を除いた時、神は必殺の火花となる一言を授けるのだ。<br>
<table><tr><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4839700583" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4903916006" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
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</td><td><br>
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</td></tr></table><br>
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</item>
<item rdf:about="http://www.kaynotes.com/archives/6219087.html">
<title>砂の城は作ったら壊すものだ</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6219087.html</link>
<description>江戸時代の観想（顔や身体の相から運命を鑑定する占術）の大家、水野南北が、膨大な数の鑑定を行いながら人々と対話し観察した末、万に１つの外れもなしと断言したことは、「食が少なければ幸福、食が多ければ不幸」ということである。
彼の鑑定の信頼性は比類なく、全国から...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-16T06:33:47+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[江戸時代の観想（顔や身体の相から運命を鑑定する占術）の大家、水野南北が、膨大な数の鑑定を行いながら人々と対話し観察した末、万に１つの外れもなしと断言したことは、「食が少なければ幸福、食が多ければ不幸」ということである。<br>
彼の鑑定の信頼性は比類なく、全国から鑑定依頼者が押し寄せて、南北は７つの蔵を持つ長者となり、弟子は孫弟子等も含めると千人を超えた。また、牢屋敷（刑務所）に入れられた元チンピラヤクザであった彼が、天皇により貴族にまで序せられた。皇室からも鑑定の依頼があり、そして感服させたからだ。ついでに言っておくと、当時の牢屋敷は、生きて出られるかどうかなど全く分からないようなところで、それが、江戸の治安維持に役立っていた。そこに入れられるのは、余程のことであった。<br>
<br>
少食・粗食なら健康で幸運、大食・美食であれば、不健康で衰運というのは確かと思う。<br>
ただし、十分な食欲を持った上での食の慎みであることが大切だ。<br>
病気や精神的な問題で、いわば強制的な少食、粗食を強いられている場合は、食を慎んでいることにはならないのだ。<br>
ある国で、政府により、数年間の沈黙を強制された政治活動家が、「完全なマウナ（沈黙の行）を達成した」と宣言したことについて、ラマナ・マハルシは「強制された沈黙はマウナではない」と指摘したことがあったのと同様である。<br>
マハルシ自身は、16歳で悟りを開いた後、３年以上のマウナを行った。実際は、マハルシは生涯に渡って、ほとんど会話をしなかったと言われる。彼は、最も重要なことは沈黙をもって教えたのである。だが、それでは伝わらない平凡な人間を哀れんで、会話でも教えたのだ。それが現在も書籍で伝わっている。<br>
<br>
即ち、健康で幸運に恵まれたいなら、ただ食を慎めば良いということになる。<br>
ただ、誰もが思うままに食を慎むことが出来るわけではないのだ。<br>
これは、根性とか品性の問題ではなく、食を慎むよう運命付けられていなければ、決して食を慎むことは出来ないということなのだ。<br>
美味しいものを沢山食べることが人生の目的と心得る者に、いくら食の慎みを説いても無駄である。<br>
また、昨今は、テレビその他で、人々に飽食・美食の欲望を煽るものが非常に多いが、これもまた必然であり、それに乗せられている多数の人々は悲惨な状況に落ち込む運命を果たさなければならないのだ。<br>
私は、2008年7月までは、大食、肉食で、しかも、甘いものに目がなく沢山食べていたが、ある日突然、１日１食の菜食主義者となり、間食の一切をしなくなった（現在は、朝に甘いものを少し摂る）。別に病気で食欲が無くなった訳ではない。ほとんど気紛れのようなものだった。それが４年近く、全く問題なく続いており、その間、健康度は飛躍的に上がり、エネルギーに溢れるようになって、毎日１日も欠かさず肉体トレーニングを行い、幸いにして、美的で強靭な肉体の持ち主になった。<br>
<br>
少食と健康・幸運の秘密はこうである。<br>
宇宙を動かす至高の英知を神と呼ぶなら、人の生涯の運命は、神によって、生まれる前に完全に決められている。それは、決して変更されることはなく、まして、人がそれに影響を与えることは絶対に出来ない。<br>
そして、神によって、健康で恵まれた状況で過ごすよう運命付けられた人間というのは、同時に、神によって、食を慎む性質が与えられているのである。<br>
水は高いところから低いところに流れるし、熱は熱いところから冷たいところに移動するが、それがこの世の法則である。それと全く同様に、食を慎めば肉体は活性化して完全になり、衣食住の獲得は簡単になり、社会生活も安楽になるのが、この世の法則なのである。<br>
だから、健康で幸運になるよう定められているなら、食を慎むようになることが、神によって運命付けられているのである。<br>
<br>
では、食を慎むよう運命付けられていない者はどうすれば良いのであろう。<br>
若い間は、比較的、大食であっても健康や運勢に影響は無いのであるが、ある程度の年齢になれば、そんな食生活のままでは、肥満して醜くなり、健康は損なわれ、社会的な状況も厳しくなるのである。それは避けられない。<br>
水が低いところから高いところに流れないように、大食、美食であって、健康で安楽であることはない。<br>
<br>
だが、真の幸福である平安に関しては別なのだ。<br>
食を慎み、健康で社会的にも恵まれていても、必ずしも幸福で平安だとは限らない。<br>
一方、美食、大食で、健康状態が悪く、借金にまみれ、家族に見捨てられた状態であっても、平安を得て幸福であることも有り得る。<br>
もっとはっきり言えば、健康や社会的経済的状況など、真の幸福とはあまり関係が無いのだ。<br>
真の幸福とは、いかなる状況であろうが、それを自分でどう意味付けるかの問題なのだ。<br>
人の思考や感情もまた、神によって全て決められているのである。つまり、何を考え、どう感じるかも、神の意思によるのであり、人間に自由意志というものはない。これは既に、科学的にも解明されていることと言って差し支えないと思う。<br>
だが、自働的に浮かんだ思考や感情に執着するか、そうではなく解き放つかだけは自分で決められるのである。<br>
そして、いかなる出来事や精神活動に対しても、執着せずにいれば、平安が得られるのである。そうあるためには、子供の姿が素晴らしい教材になる。<br>
子供は、遊んでいる間は夢中になっているが、終わってしまえば忘れてしまう。ラマナ・マハルシが、賢者はある意味で子供に似ていると言ったのは、そのようなところである。<br>
イエスが、「幼子のようでなければ天国に入れない」と言ったことは、よく知られていると思う。<br>
子供は、浜辺で熱心に砂の城を作っても、帰る時間になれば、それをあっさり蹴飛ばして壊してしまう。まるで神様だ！<br>
大人のように、それがいつまでも残ることを望んだりしない。<br>
レイ・ブラッドベリの短編小説『みずうみ』で、死んだ12歳の美少女タリーは、浜辺にやってきて砂の城を作った。かつては、ハロルドと一緒に何度も作り、何度も壊したのだ。それを今は、彼女をさらった波が壊していく。私は、そこに何かを感じるのである（小説と、萩尾望都さんによる漫画を下にご紹介しておく）。<br>
<br>
出来事や感情に執着しないためにはどうすれば良いかというと、自分が完全に無力であることを受け入れ、全てを神の意思に完全に、無条件に委ねるしかない。<br>
同じことを荘子は、一切をあるがままに受け入れ、思慮分別を捨て、全てをなりゆきに任せれば、永遠の道（タオ）と一体となることができると述べたのである。<br>
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠も、「まること（まるごと一切を）神に任せてしまえば、嬉しいこと、面白いことばかりだ」と常に教えた。<br>
ただ、この嬉しい、面白いというのは、自我にとってのことではない。自我から見れば、辛かったり、不満であるかもしれないが、その辛さを感じる自我が消えるのであり、そうなれば、嬉しいこと面白いことばかりなのである。なぜ、そう言えるかというと、真の自己とは、存在、意識、至福であることが、聖典によって保障されると共に、悟りを開いた聖者達によって体験されているからである。<br>
<table><tr><td><br>
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</td><td><br>
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</td><td><br>
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</td><td><br>
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</td></tr></table><br>
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</item>
<item rdf:about="http://www.kaynotes.com/archives/6218163.html">
<title>たかが洗脳など放っておけ</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6218163.html</link>
<description>カルト教団の信者の洗脳を解くなんて話を時々聞くが、それも考え物である。
洗脳を解いたなんて言いながら、実際は、新しい洗脳に置き換わっているか、あるいは、別の洗脳を重ねているのである。
一瞬は洗脳が解けたなんて言ったところで、ずっと後で調べると、ほぼ全て元に...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-15T21:51:58+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[カルト教団の信者の洗脳を解くなんて話を時々聞くが、それも考え物である。<br>
洗脳を解いたなんて言いながら、実際は、新しい洗脳に置き換わっているか、あるいは、別の洗脳を重ねているのである。<br>
一瞬は洗脳が解けたなんて言ったところで、ずっと後で調べると、ほぼ全て元に戻っているのではないだろうか？<br>
<br>
ところで、カルト教団（俗に言う反社会的な教団）と言われる宗教団体の信者にも、結構、明るくて幸せな人がいるものだ。<br>
信者に対する詐欺で逮捕され、服役中の、ある大きな新興宗教の教祖の本を読んだことがあるが、良いことを書いているのである。教祖本人が書いたのではなく、ゴーストライターが書いたのかもしれないが、そうだとしたら、なかなかの才能と思った。そして、ただ人を騙そうとして書いたものとも思えなかった。また、他人に代筆させたにしろ、アイディアは教祖のものであろうから、その教祖本人も、それなりのものを悟っていたのかもしれない。<br>
（私は、著書を軽く百冊以上出しているカリスマ的な人物のゴーストライターをやった人と実際に親しかったので、普通の人よりは事情が分かると思う）<br>
悪事を犯した教祖だって、最初から悪いことをする気があった訳ではなく、若い頃は熱心に勉強し、修行していた場合が多いと思う。<br>
ただ、適度に悟って真理が見えて来て、人を説得することもできるようになって自信がついた時に、周りに持ち上げられたり、儲かるようになって、たちまち、自我が強力になったということが多いのではないかと思う。<br>
特に、それまで、学校や社会で虐げられていたような教祖であれば、ついつい舞い上がってしまったということもあるだろう。愚かと言えば愚かであるが、それを避けられる人間がどれほどいるだろうか？<br>
だから、教団の教え自体には良い部分もあり、信者の中には、賢明に学び進歩した人もいるに違いない。教祖が悪いことをしたからといって、教団の教え全てを否定するのは、かえって信者にとっては悪い影響が大きいかもしれない。<br>
実際、ニサルガダッタ・マハラジですらそうだったが、「悪い教えの中にも多少の真理はあるものだ」と述べているのである。<br>
<br>
そして、カルト宗教に限らないが、好ましくない教義を説く教祖は、それを教えることで信者達を惑わす運命だったのであり、それをすることは避けられなかったということだ。<br>
また、信者の方もまた、教祖のおかしな教えで混乱させられ、場合によっては歪んだ信念を持つ運命であったのだ。<br>
私の知り合いにも、新興宗教の教団に何百万円もする坪や指輪や掛け軸を買わされた人がいる。しかし、彼がそれを買うことも、最初から運命付けられていたことなのである。<br>
カルト宗教を熱心に信仰して、お金を失くしたり、家族に迷惑をかけたとしても仕方がないことだ。それは、その者が生まれる前から決まっていた運命であり、決して避けられなかったのである。だから、罪悪感を持つ必要はないし、周りの人もその者を嫌悪しない方が良いのである。<br>
<br>
そして、実を言えば、洗脳されているかどうかは、どうでも良いことなのである。<br>
そんなことは放っておいて、正しいことを理解すれば良いのである。<br>
正しいこととは、自分が完全に無力であるということだ。<br>
我々は、世界や人生の、あらゆる状況、出来事、なりゆきに対し、何のコントロールも出来ないということを理解し、受け入れることが必要なのである。<br>
洗脳を解くなんて言いながら、人間は自分の願いを何でも実現できるなんてことを説く人もいる。これは、洗脳を解くと言いつつ、人々を洗脳していると言えるのである。しかし、そうは言っても、彼に何か責任がある訳ではない。そんなことを教えて人々をおかしな方法に導くことが彼の運命であり、彼は運命で定められた通りの役割を果たしているだけなのである。また、彼のせいで、無駄な金をつぎ込む人がいるとしても、それも、その人の定められた運命である。<br>
<br>
私も、アメリカの有名な自己開発教材を百万円を軽く超える金額で購入したり、やはり、百万円級のセミナーに行ったこともある。<br>
実は、あまり好ましくないと思える教祖的な大物とも何度か関わったこともある（いまだ活躍中の人もいる）。<br>
幸い、私は、結果的に、それらがイカサマであることをことごとに見破ったが、別に損したとは思っていない。大切なことは、金を取られたとか、つまらない教義を頭脳に詰め込んでしまったと言って悔やんだりせず、それが必然のなりゆきであったとして受け入れることだ。<br>
<br>
『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナは神であるから万能であったが、そのクリシュナは、人は、自分の義務を果たす以外のことは決して出来ないと述べているのである。義務を果たすとは、生まれる前から定められた運命の通りに生きるということでしかない。<br>
そして、『新約聖書』の福音書を見ると、イエスですら、人としての自分は、ただ、神の定めた運命の通りに動いているだけだとはっきりと認めているのである。<br>
中国の賢者、荘子は『荘子』の中で、すべてなりゆきに任せろと述べているが、実際にはなりゆきに任せるしかないのである。そして、荘子は、運命には決して逆らうことが出来ないことを、何度も繰り返し述べている。しかし、それが不幸なことではないのである。<br>
良寛さんの悟りにはよくよく学ぶべきである。彼は、いつも身近にいたいたいけな少女達を守る力が自分には全くないことを思い知り、無力感に打ちひしがれていた。その時、幸いにして『荘子』を読み、大悟したのである。<br>
家の貧しさのために売られていった少女達も、それが彼女達の避けられぬ運命であったのだが、不幸に見えるのは、ただの現象であり、それは幻想と言える。もちろん、自分がただの人間だと感じられるうちは、不幸は確固たる現実である。しかし、それは、催眠術師が、実際には何もないのに、「ここに堅くて重いものがある」という催眠術をかけると、かけられた方にとっては、現実として、それが堅くて重いのであることと同じなのだ。<br>
そして、自分が無力であることを全面的に受け入れれば、不幸な自分もいないことが分かるのである。<br>
<br>
つまり、こういうことなのだ。<br>
我々は、どんな催眠術の達人、マインドコントロールの名人がかけた暗示や洗脳であれ、人がやった程度のことを相手にする必要はない。<br>
洗脳されるなら、されればいい。私はそれでも構わない。<br>
そんなつまらないものは放っておいて、神の聖なる催眠術のみ相手にすることだ。<br>
神の目的など、全く想像も出来ないが、我々は、自分が、この身体や心であるという思い込みに囚われている。それこそが、神の聖なる催眠術なのである。<br>
だが、同時に、我々は、神という虎のアゴにくわえられている。<br>
良寛さんのように、我々は、自分が無力であることを無条件に受け入れれば、虎はアゴをぱくりと閉じてくれるのである。<br>
『バガヴァッド・ギーター』では、至高神クリシュナは、巨大な無数の牙で、全ての者を噛み砕き、アルジュナ王子を震撼させた。<br>
だが、噛み砕かれることはこの上なく幸福なことなのである。<br>
自我が噛み殺されることで、我々は魂の束縛を脱し、クリシュナと共にいることが出来るのである。ただし、それがどんな状態なのかは想像もできない。少なくとも、自我である我々がうっとりして満足するようなものではない。だって、その時は、考える心である自我は存在していないのだから。<br>
<table><tr><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4198605521" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4903916006" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4931449700" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td><td><br>
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=kei2009-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4931449778" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
</td></tr></table><br>
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</item>
<item rdf:about="http://www.kaynotes.com/archives/6215770.html">
<title>実は偉大な念仏の真意</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6215770.html</link>
<description>いかなる偉大な聖典であろうと、決定された運命というものを前提にしなければ、正しく理解することは全く不可能である。
逆に、全ては運命であることを受容すれば、初めてその英知に触れることが可能となるのである。
それは、聖典を基に正しい教えを説く聖者の教えも当然同...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-15T06:38:12+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[いかなる偉大な聖典であろうと、決定された運命というものを前提にしなければ、正しく理解することは全く不可能である。<br>
逆に、全ては運命であることを受容すれば、初めてその英知に触れることが可能となるのである。<br>
それは、聖典を基に正しい教えを説く聖者の教えも当然同じである。<br>
今回は、浄土真宗の開祖、親鸞について見てみよう。<br>
<br>
親鸞の師、法然は、ひたすら念仏を唱えることのみ教え、自分もまた、念仏以外は何もしなかったと明言した。彼の遺書と言える「一枚起請文」がまさに、「私には念仏以外何もない」と言うものなのである。念のために言うと、念仏とは、「南無阿弥陀仏」と唱えることであり、その意味は、「私は阿弥陀如来（阿弥陀仏）に帰依します（全てお任せします）」というものである。<br>
法然は１日６万回も念仏を唱えたと言われ（晩年は７万回だったとも言われる）、対談中も、小さな声ではあったが、念仏を欠かさなかったという。<br>
念仏を唱えることで、死後は極楽浄土（仏の国で、天国のようなもの）に行けるし、生きている間も、念仏を唱える者は仏に守られると教えた。<br>
<br>
もちろん、法然の教えには、当時の無知な庶民に配慮したところがあるのだが、その実際の効果は言葉通りの意味をむしろ上回るのである。<br>
尚、現代的に言うなら、阿弥陀如来というのは、もちろん、大仏のような姿をした形のある仏様ではなく、それは仮の姿であり、それは、阿弥陀如来の別名である無量寿光如来の名の通り、宇宙に偏在する光（英知）であり、根源的な宇宙エネルギーと言って良いだろう。<br>
その仏に全て任せ、自我である私は全面降伏するというのが念仏であり、これは、黒住宗忠が、天照大神に全てお任せすると言うことや、クリシュナが「我のみ拝せよ」と言ったことと全く同じ意味である。イエスの場合は、「父なる神を愛せよ」であった。<br>
<br>
ところが、法然の弟子である親鸞は、念仏を唱える貴さを教えはしたものの、もっと進んだことを言っているのである。<br>
「念仏をしたら救われるのではない。念仏をした時は既に救われているのである」<br>
つまり、念仏をすることが原因で、その結果が救われることであるという従来の公式が壊されているのである。<br>
むしろ、救われることが原因で、念仏をするということが結果なのである。<br>
少しも難しいことではない。<br>
仮に仏と名付けた存在は、ある人の運命を救われる（幸福になる）運命と定めるとすれば、それと共に、念仏を唱えるという運命を授けるのである。<br>
仏は、水が高いところから低いところへと流れるように、念仏を唱える者は救われると定めているのである。<br>
だから、念仏を唱えたということは、救いは確定しているということなのだ。<br>
そして、実際には念仏を唱える必要すらなく、念仏を唱えようと思うだけでも救われるようにされているのである。<br>
<br>
もう少し現代的に言うなら、こういうことだ。<br>
念仏とは、仏様に頼るという意志表示であることは誰にでも分かるはずだ。<br>
自分の無力を受容し、より大きな力に任せるという態度が「南無阿弥陀仏」である。<br>
自分にはものごとをコントロールする力があるという誤った認識を解くことが絶対的に必要なのだ。<br>
そして、仮に阿弥陀如来という名と、ある特徴ある仏の姿に対してであっても、それに頼むことで自分の無力を少しでも認めることが、仏への道を歩み出したということなのである。<br>
<br>
だが、法然の念仏も、つまるところは同じなのである。<br>
どちらが優れているとも言えず、いずれの方式でいくかは、気質によるのではないかと思う。<br>
ただ、２人とも、念仏の利益は、死後に極楽浄土へ行くことであると述べた。<br>
少しは、現世利益も説いたが、あまり強調しなかった。それを説くと、人々に煩悩が起こり、それが妄想となるからである。<br>
だから、現世利益を説く時も、財や病気の治癒といった具体的なことではなく、ただ、「仏様が守って下さる」と言ったのである。<br>
それは決して方便というだけでなく、実に見事な教えなのであるが、長くなるので、このあたりにしておく。<br>
<table><tr><td><br>
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</td><td><br>
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</td><td><br>
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</td><td><br>
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<title>クラリスはなぜ理想の女性像なのか？</title>
<link>http://www.kaynotes.com/archives/6214753.html</link>
<description>かつては、子供が見るような舞台劇やアニメに、生涯の理想の女性像となるようなヒロインがいたかもしれないと思う。
しかし、現代ではそれはもう適わない。
現代のほぼ全ての作品は、利益を上げるために、大人が楽しめるものとして制作されており、ヒロインは理想性ではなく...</description>
<dc:creator>kaynotes</dc:creator>
<dc:date>2012-05-14T21:37:43+09:00</dc:date>
<dc:subject>芸術・哲学・神秘思想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[かつては、子供が見るような舞台劇やアニメに、生涯の理想の女性像となるようなヒロインがいたかもしれないと思う。<br>
しかし、現代ではそれはもう適わない。<br>
現代のほぼ全ての作品は、利益を上げるために、大人が楽しめるものとして制作されており、ヒロインは理想性ではなく、人間および女としての魅力が優先される。<br>
断言するが、ディズニーだって、本当は、子供のための作品を創ったことなど決して無い。あくまで大人に好まれることを目的としていたからこそ、巨大な利益を上げ続けたのだ。<br>
<br>
かつては、宮崎駿監督が、自分の理想の女性像をアニメ映画に登場させていたが、理由はともかく、それはやめたと宣言した。<br>
そのヒロインとは、『天空の城ラピュタ』のシータ、『風の谷のナウシカ』のナウシカ、そして、『ルパン三世　カリオストロの城』のクラリスで、特に、クラリスに関しては、宮崎駿監督が理想の女性像と明言されておられたと思う。<br>
いずれも、作品公開から長年月が経過しているに関わらず、高い人気を誇る。<br>
これらのヒロインは、決して子供向けではなく、恋人にしたいタイプの設定が強い。しかし、理想の女性像としても、悪くはないと思う。<br>
では、なぜ、彼女達が理想的なのだろう。<br>
<br>
宮崎監督は、クラリスに関し、ルパンの口を借りて、「空を飛び、湖の水を飲み干させる力を与えてくれる」存在であると言う。<br>
そのような存在は、単なる美少女とは一線を画するだろう。<br>
ただし、それは、決して母性というものでもない。このあたりは誤解が多いと思う。<br>
母性というのは、必要なものも不要なものも、一方的に与える存在である。<br>
だが、理想の女性というのは不要なものは一切与えないのだ。<br>
<br>
若き日のルパンが傷付き倒れていた時、幼いクラリスは一杯の水を持ってきた。<br>
彼女には、他に何をする力も無かったということもあるが、必要なものだけを持ってきたのだ。<br>
これが、理想の女性の原型なのである。<br>
17歳になったクラリスは、身を挺してルパンを守り、時には、ルパンの指示に逆らってまでルパンの命を救った。<br>
だが、最後に、ルパンに「ついてくるな」という意思表示をされたら、無理にルパンについていこうとはしなかった。<br>
ルパンも、一瞬はクラリスへの執着を見せる。だが、ルパンがクラリスのためを思ったということもあるが、彼にも、クラリスは必要ではなかったのだ。<br>
言ってみれば、我々が通勤のためにフェラーリが必要でないようなものだ。欲しいとは思うかもしれないが、得るべきではないのである。<br>
<br>
では、クラリスのそのような性質とは、一体何なのだろう。<br>
それは、クラリスには自我が無いということなのだ。<br>
自我とは、自分を行為者とみなし、そこから発展して、自分には状況を動かす力があると思い込んでいる心の機能だ。<br>
だから自分は何もしておらず、自分には何もできないと思っているなら自我が無いということだ。<br>
ルパンは、クラリスに「泥棒の力を信じろ」とは言ったが、「自分の力を信じろ」とは決して言わなかった。クラリスは、ただ、泥棒（ルパン）に盗まれれば良かった。<br>
そして、クラリスは素直にそれに従った。<br>
しかし、クラリスはルパンを、「空を飛び、湖の水を飲み干す」スーパーマンにするのである。<br>
クラリスが何をしても、クラリスには自分が行為者だという自覚は全くない。<br>
クラリスは、全く何もしていない。<br>
<br>
幼い時のクラリスが、傷付いたルパンに水を持ってきたのは、ルパンを哀れんだからでも、人を助けないといけないという義務感からでもない。<br>
このあたりに誤解がある場合が多いが、クラリスは優しいから素晴らしいのではない。たまたま優しいだけで、優しくなくても素晴らしいのだ。<br>
ここらの誤解が無くならないと、我々は魂を束縛から解放できない。<br>
クラリスの心に、「水を持ってこなくちゃ」という想いが浮かび、それを実行した。それだけのことだ。<br>
そして、自分の行為に対し、良いことをしたという気持ちもなく、ルパンに恩を着せるつもりもない。実際、クラリスはすっかり忘れていたのだ。<br>
<br>
ある意味、クラリスは自動人形なのである。<br>
いや、実を言えば、誰もが自動人形なのだ。<br>
ただ、普通の人は、自分の考えや、自分の行いに執着してしまうのだ。そして、執着は妄想を生み、妄想に思い煩うのだ。<br>
しかし、クラリスはそれを全くしない。それをする自我が無いのだ。<br>
<br>
幼いクラリスが傷付いたルパンを冷たく見捨てるとか、最後に駄々をこねて無理にルパンについていくという展開もありなのだ。<br>
それでも、クラリスは理想の女性像であり続けただろう。<br>
幼いクラリスが自分を見捨て、警察に連絡したとしても、ルパンは彼女に不思議に惹き付けられるものを感じただろう。<br>
クラリスはただ、運命の定めのままに行動するだけだ。<br>
そして、クラリスをつれていったおかげで、ルパンは落ちぶれ、悲惨を味わったとしても、隣で何も思い煩わない（思い煩っても、すぐに忘れてしまう）クラリスを見て、「これでいいのだ」と深く確信することだろう。実に素敵なことだ。<br>
<br>
映画での、去っていくルパンを見送るクラリスの明るい表情が、彼女の全てだ。<br>
決して、泣いたり、寂しがったりはしないのだ。<br>
<br>
ただ、有り得ないこととしては、クラリスは、17歳の若さで自我が破壊されていることだ。普通は、もっと歳を取るまで自我を鍛え上げ、個性を強くする必要がある。堅く乾燥した木が燃えやすいのと同様、個性は強くなってこそ、神の火で簡単に燃やし尽くされるのだ。<br>
だが、ラマナ・マハルシは16歳でそれが起こった。しかし、彼の場合は、さらに、３年の沈黙の行を必要としたのだ。<br>
そこは、クラリスが、創作の世界のヒロインだからということでもあるし、また、理想の女性像を示すために、そのように制作される必要があったということだ。彼女の、17歳の美しく清純な姿は、この作品を見る運命にある者のためのものだった。<br>
<br>
ドイツの女流作家テア・フォン・ハルボウの『メトロポリス』では、自我を持たないメイド・ロボットが、主人の肥満した富豪を突き飛ばすが、それは、そのロボットに自我が芽生えたのはなく、それが神の定めたシナリオと思えば良い。極めて稀にではあるが、神は不思議な出来事を起こすこともあるのである。<br>
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</td></tr><tr><td><br>
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