ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

芸術・哲学・神秘思想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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才能と成功の残酷な現実は覆せるか?

2013年に、有名な陸上選手だった為末大さんが、「アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%」とツイッター(現X)で投稿したことが話題になったが、おかげで、「才能がなければ努力しても無駄」という言い方が、昔は非難されたが、今は受け入れられる場合が多くなったと思う。

それよりずっと昔、作家の村上龍さんと音楽家の坂本龍一さんの対談で、村上さんが、「今の坂本龍一があるのは、才能ということもあるが、3歳の時からピアノをみっちりやったからだ」と努力の必要性を主張すると共に、天才的な才能が必要なことでなければ、10年打ち込めばモノになるという論を語ったことがある。

だが、現KADOKAWA社長の夏野剛さんとチームラボ社長の猪子寿之さんの対談で、猪子さんは、「生まれつきの天才はいないと思う。かけた時間の問題。イチローが成功したのは誰よりも野球に時間をかけたから」と、上の2人とは異なった見解を述べた。
とはいえ、ほぼ全ての高校野球の選手は、努力しても大谷翔平になれる可能性はゼロと思う。いや、ほとんどはプロにすらなれない。

スポーツや芸術であれば、まだ才能の必要性を語り易いが、頭の良さというか、IQ(知能指数)に関しては、まだまだタブー視される傾向が強いと思う。
つまり、スポーツや芸術は、才能がなければ、努力しても出来るようにはならないが、勉強は努力次第であり、せいぜいが、経済面などの家庭環境の問題がある程度のように言われる。
しかし、それはどうか?
今、日本保守党の飯山陽さんという、女性のイスラム思想研究家がブームで、街頭演説でも大人気のようだ。
その飯山さんが、街頭演説で「私は普通の主婦です」と何度も言うが、普通の人が東大で博士号を取ったりなど出来ない。
飯山さんは努力もしたのだろうが、生まれつきIQが高かったから出来たのである。
こう言うと、「いや、努力してから言え」と言われるかもしれないが、IQが低い者が努力しても駄目なのである・・・と言ったらまだまだ非難される可能性が高い。

では、能力のない・・・特にIQが低い者がボロボロになるまで努力しても駄目な結果を見せれば、私が言うことも説得力があるかもしれないが、そこまでやるのは哀れであろう。
架空の話として、平井和正さん原作の石ノ森章太郎さんの漫画『幻魔大戦』の主人公、東丈がそんな「駄目な」者として描かれている。
あらゆる能力が劣り、幼い時から劣等感にとりつかれた丈は、その反発で「努力だよ、努力さえすれば何でも出来るんだ」との信念で、過剰な努力を続ける。
猛勉強して東大を目指すも模試で成果は出ず、「ぼろ雑巾みたいになるまで」頑張った野球でも3年生でようやくレギュラーの座を取れそうになったが、1年生に取られてしまう。さらに、それほど努力したわけでもない友人がレギュラーに選ばれる。
まあ、漫画であるから、丈は、超能力者としては宇宙でも屈指とすごいことになったが、現実では、才能がなければ駄目ということが、非常にリアルに描写されていると思う。
しかも、考えれば、丈はまだマシなのだ。無理とはいえ東大を目指すくらいのことはしていたし、野球についてはレギュラーに近かったし、柔道も2級だ。丈に遠く及ばない人間など、世の中ザラだ。
『幻魔大戦』を読んで、丈に同情して涙する者は、駄目ではあっても丈レベルという者なのだと思う。

勉強はIQの問題であることは、私は、小学5年生の時、クラス全員のIQと成績の関係を確認して思い知ったことがある。
もう見事に、成績はIQで決まっていた。例外はゼロだった。

生まれつきIQが低く、容姿が良いわけではなく、身体能力が高いわけでもなければ、ささやかな成功なら出来るかもしれないが、大きなことは出来ない。これが残酷な現実である。
才能と、いくらかの家庭環境に恵まれなければ、一生「下々の者」で過ごすしかない。

才能と子供の時の家庭環境に恵まれていなければ、もう引き寄せしかない。
しかし、引き寄せも才能かもしれないと思うことがある。
そもそも、引き寄せがうまく出来る者は、実際には少ないと思われるからだ。
だが、最近よく取り上げている、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」であれば才能は関係ないように思える。
ところが、日本では想定の法則の本はほとんど出ていないし、出たものは絶版で電子化もされていない。
動画やKindleなどでの素人解説者の想定の法則の説明はもう全く的外れと思う。
いや、そもそも、想定の法則の本自体が改ざんでもされているように思える。
支配者が隠そうとしているのは、ザ・シークレットではなく本当の想定の法則で、ザ・シークレットですら、その目的に利用されている・・・というのは陰謀論的か(笑)。
そんなわけで、しばらくは想定の法則のちゃんとした説明を続けようと思う。

なぜか憶えていること
AIアート761
「なぜか憶えていること」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)幻魔大戦(1) (石ノ森章太郎デジタル大全)
(2)言ってはいけない~残酷すぎる真実~(橘玲)
(3)村上龍と坂本龍一 21世紀のEV.Cafe
(4)「大企業の時代」は終わったか 【Voice S】(夏野剛、猪子寿之)
(5)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(6)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(7)The Power of Awareness(Neville.Goddard)

想定の法則で美少女と仲良くなるには

政木和三さんが子供の時にやった腹式呼吸について改めて述べるが、書籍『この世に不可能はない』に、こう書かれている。
7秒間かけてゆっくり吸った息を、7秒間下腹部に留め、7秒でゆっくり吐く。
それを毎晩1時間行い、20秒吸い、20秒止め、20秒吐くという、1分1呼吸を、小学3年生で出来るようになった。
そうしたら、習ったこともないピアノが演奏出来るようになったり、母親が読んでいた仏教のお経の意味が勝手に分かったりと、他にも、不思議なことが起こった。
この呼吸法で脳波がシータ波になったことが原因らしいが、脳波がシータ波になった時の面白い能力に加速能力がある。
これは、本に載っていると同時に、私は政木さんから直接聞いた。
測定機器を使って計測したらしいが、薬瓶とビー玉を用意し、薬瓶の蓋を開け、何にビー玉を入れ、薬瓶の蓋をするまで、どれくらい時間がかかるかという実験を行った。
結果は、50万分の1秒から100万分の1秒で、傍目には、ビー玉が薬瓶の中に瞬間移動したようにしか見えないそうだ。
私は是非見たいと思ったが、実験の用意がなかったし、他に面白いものを沢山見せてくれたからまあ良かった。
お土産に、政木さんの絶版著書『精神文明と奇跡』ももらったし。
この本をもらった経緯も不思議なもので、私が何の脈絡もなく、思いつきで政木さんに「横尾忠則さんをご存じですか?」と尋ねたら、政木さんは黙って壁を見るので、その方向を見ると、政木さんの見事な肖像画があり、その絵に「横尾忠則」の銘が入っていた。
私がもらった『精神文明と奇跡』の装丁を横尾忠則さんが行っていて、表裏の両表紙に横尾さんの素晴らしい絵があった。
私は、その時は政木さんと横尾さんの関係は全く知らなかったが、私がたまたまその前日に読んだ『アミ 小さな宇宙人』に、横尾さんが推薦の言葉を寄せていたのを憶えていたという、おかしな理由で政木さんに「横尾忠則さんをご存じですか?」と聞いたのだった。

ところで、政木さんが行った腹式呼吸をやれば、誰でも、政木さんほどでなくても、大きな成果が得られるかというと、おそらく間違いなく可能だ。
だが、そんな毎晩1時間の腹式呼吸をいつまでも続けられるかということだ。
まず、ほとんどの人には出来ないと思うが、実を言えば、政木さんは子供の時、吃音(きつおん、どもり。一種の言語障害)があり、それを治したくて、この腹式呼吸を真剣にやったから続けられたのだと思う。
つまり、「続けられる理由があれば続けられる」、逆に言えば、「続けられる理由がなければ続かない」のである。
私は昔、速読法の訓練で、毎日腹式呼吸をした。せいぜい数分だったが、欠かさず3か月ほどやった。
その程度では大きな成果は得られないが、やはり、いろいろ不思議なことが起こった。当時、私は遅い時間に犬の散歩をしていたが、その散歩道で高校1年生の美少女が毎日待っていてくれるようになったりとか(笑)。

腹式呼吸のようなものは、嫌々やるようでは駄目で、せめて淡々とやらないといけないが、楽しくもないことを毎日欠かさず、長時間続けるのは難しい。だから、なかなか続かない。
だが、想定の法則の方法であれば、楽しく出来るし、一回一回の時間は短く、比較的短期間で済む場合が多いと思う。
たとえば、高校1年生の美少女と仲良くなりたければ(あくまでついでのたとえである)、高校1年生の美少女と仲良くなったらどんな気持ちかを想像し、その気持ちをしっかり感じるのである。
それを頻繁に行うのだ。
これなら、比較的続けられると思う。
政木さんの例で言えば、吃音が治ったらどんな気持ちかを想像すれば良いのである。
想定の法則らしく言えば、吃音が治ったと想定し、その気分を味わうのである。
これなら、もっと楽しく、短期間で達成出来たと思う。
ただし、超人になることはなかっただろうが。
しかし、それならぞれで、超人になったらどんな気持ちかを想像すれば良いのである。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の大師(マスター)あたりを目標にしても良いと思う。
大師になるのに修行など必要なく、今すぐなれると、大師も言っていたようである。
大師になったと想定し、その気分を想像するのである。

人待ち
AIアート760
「人待ち」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)この世に不可能はない(政木和三)
(2)精神文明と奇跡(政木和三)※装丁:横尾忠則
(3)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(4)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(5)The Power of Awareness(Neville.Goddard)
(6)ヒマラヤ聖者の生活探究 第1巻
(7)Life and Teaching of the Masters of the Far East, Vol. 5

引き寄せは根気だ

世界で一番売れた引き寄せの本は、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』で、2800万部も売れたという話がある。
『ザ・シークレット』は、ロンダ・バーンが世界中の引き寄せの達人を集めて、それらの達人に語ってもらったというものだから、良く言えば多様であるが、雑多な面もあり、箇所ごとに矛盾もある。
過去の引き寄せの達人に関しても、それらの人達の引き寄せのやり方をロンダ・バーンが解説したりで、さらに多様、また、雑多にしている。
それなら、全体を読まなくても、自分が好きなところだけ何度も読めば良いと思う。

ところで、では、ロンダ・バーン自体のやり方はどうかというと、「信じた通りになる」と「良い気分でいることが大切」というだけのシンプルなもので、さらに言えば、信じることが出来れば、いい気分になるのだから、結局は「信じろ」というだけのことになる。
金持ちになりたければ、自分は金持ちだと信じれば良い。
他には何もないという、極めてシンプルなものである。
しかし、引き寄せをやった人のほとんどが思うのは、その信じることが難しいのであり、世の中の引き寄せのテクニックとは、信じるためのテクニックで、それがもう非常に数が多く、複雑怪奇なほどになっている。
ところが、ロンダ・バーンは、信じることに関しても、非常にシンプルに言う。
それは「繰り返せばいい」で、お金がない人が「私は金持ちだ」と言っても嘘だと思うことは当然としつつ、しつこく「私は金持ちだ」と言っていれば、そのうち信じてしまうと言う。
だから、うまくいかない人は、繰り返しが足りないだけだ。

ロンダ・バーンの主張は「良い気分でいれば良いことが起こる」がよく知られてしまっていると思う。
その良い気分になるためには、アファーメーションでもイメージングでも何でもいいが、願望の実現が信じられるまで、果て無く繰り返す必要がある。
ただ、ややこしいのは、ロンダ・バーンもそうなのだと思うが、割と簡単に信じてしまえる人がいることで、普通の人は、そう簡単にはうまくいかず、とにかく繰り返さないといけない。
だが、十分な繰り返しをするまでに、ほとんどの人が挫折してしまうのだろう。
だから、知るべきことは1つで、金持ちになりたいなら、自分が金持ちだと信じられるまで、「私は金持ちだ」とアファーメーションをしたり、自分が金持ちになった様子をイメージすれば良い。アファーメーションでもイメージングでも、好きな方でやれば良いし、両方やっても良い。

しかし、99%の人は、十分な繰り返しをする前に挫けてしまう。
その繰り返しの数を激減させるのが、ネヴィル・ゴダードの「想定の法則」だ。
想定の法則は、金持ちになる例で言えば、「金持ちになったらどんな気持ちか?」を想像し、その気持ちになるのである。
それを頻繁に繰り返すところは、ロンダ・バーンと同じだが、想定の法則では、繰り返す数が非常に少なくて済む。
だが、想定の法則ですら、それなりの数が必要で、挫折してしまう人もいる。

朝焼け
AIアート759
「朝焼け」
Kay


相撲界には、「人間、辛抱だ」という名言があるらしいが、全くその通りで、引き寄せに関して言えば、「人間、根気だ」「人間、ねばりだ」である。
実現を短時間化させる想定の法則ですら、それなりの粘りは必要だ。
粘り根性を鍛えるには、何と言っても、佐川幸義流四股や腕振り運動が良いと思う。健康になり、若返り、美しくもなるのだから、採用をお薦めする。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ザ・シークレット(ロンダ・バーン)
(2)THE SECRET [DVD](ロンダ・バーン)
(3)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(4)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(5)佐川幸義 神業の合気
(6)四股鍛錬で作る達人
(7)超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)

忘れられた最強のメソッド

「スーパーラーニング」という、教育学習メソッドというよりは、自己開発メソッドがあるが、これは、最高のものだ。
ところが、なぜ、この最高のものが、今は影も形もないのかというと、良過ぎるからだ。
良過ぎるとはどういう意味かというと、教わったり、訓練する必要がほとんどなく、すぐに出来るということだ。
つまり、バカ高いセミナーや、能力開発教材を作ることが出来ず、儲からないので、消されたのだ。
いや、上記の見解は全部独断だが(笑)、多分合ってる。
だが、確かに、開発者の失敗もあった。
原理や訓練法を、論理的に正確に説明しようとして複雑になり過ぎ、頭の悪い一般人に悪い印象を与えてしまったのだ。

スーパーラーニングは、楽に高速に学習するためのものだが、早い話が、能力を極端に高める方法だ。
そして、まさに、引き寄せの方法としてそのまま使え、しかも、ほぼ最強だ。
開発者が言ったとは思えないが、その原理はこうなのだ。
「思考と感情は同時に存在しない。思考が消えれば全知全能である。よって静かな感情に浸れば良い」
だから、スーパーラーニングでは、「暖かい陽射しを浴びているところを想像して下さい」といった感じで、静かで心地よい感情を起こさせるのである。
それは、世界的ベストセラーである『積極的考え方の力』(ノーマン.V.ピール)でも使われている。
美しいビーチでも想像して「のどかだ」と言うか思うかすれば良い。
それで、静かな感情を感じ、思考が消える。その時、まさに神の助けを得る。
ドナルド・トランプがこよなく敬愛したピールの主張は「もっと神の力を求めよ」である。
ただし、スーパーラーニングにしても、これにしても、長時間続けるのが難しいのが問題だ。

それなら、想定の法則を使えばよろしい。
願いが叶ったと想定し、どんな気持ちがするか想像するのだ。
たとえば、それが望みなら、預金が1億円になったらどんな気持ちか、想像出来るはずだ。
その気持ちを感じている時、思考は消え、全知全能になるのだから、当然、願いは叶うはずだ。
これを頻繁に繰り返せば良いだけだ。
しかし、この頻繁な繰り返しを誰もしない。
今朝も書いたが、このような楽な頻繁な繰り返しこそが修行なのである。
想定の法則を使えば何でも叶うだろう。
もちろん、本当に望むことだけだ。
たとえば、私は大谷翔平になった自分を想定出来ない。

「フリーレン。お前は一級魔法使いになった自分をイメージ出来るか?」
~『葬送のフリーレン』より。ゼーリエの言葉~
この作品、「イメージ」を「想定」と読み替えれば、視聴者(あるいは読者)を高みに連れて行くだろう。

透明な光
AIアート758
「透明な光」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)スーパーラーニング
(2)積極的考え方の力(ノーマン・ヴィンセント・ピール)
(3)葬送のフリーレン(1)
(4)葬送のフリーレン(Amazon Prime Video)
(5)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書
(6)その思いはすでに実現している! (ネヴィル・ゴダード) ※『The Power of Awareness』翻訳書

魔法修行

修行と訓練は違うと思う。
『葬送のフリーレン』というアニメで、フェルンという名の一見、ただの可愛い魔法使いの少女が登場するが、彼女は、他の魔法使い達に、その若さで驚異的な実力があることと共に、そうなるには相当な修行を積んだに違いないことで静かな敬意を受けているように思えた。
フェルンの修行は、幼い頃から始めた、遠くの岩を魔法攻撃で破壊することであったが、おそらく、毎日長時間をかけ、10年以上かかったのかもしれない。
修行とは、そんなふうに、1つのことを長い間繰り返すことだ。当然、その他の訓練もするのだが、訓練はどれほどやろうと、補足のようなものだ。
フェルンはたまたま魔法修行であったが、修行というものは、ある意味、魔法のような力を得る。
魔法とは、精神の変革により物理的な力を超えたあり得ぬことを起こすことだ。
それは、いつの世でも、今でも、当たり前に存在する。
だが、物質的な世の中にあれば、それは忘れられる。

最近知った修行で思い出すのが、大東流合気柔術の達人、佐川幸義の1人の弟子が、佐川幸義が考案した佐川流四股を、寝食を忘れるほどひたすら行い、元々、合気道の高段者であったらしいが、佐川幸義以外には誰も倒せなくなったらしい。ただし、その者も倒す方はさほどでなかったというから、防御専門の達人になったようだ。
これも、1つのことを繰り返す修行で魔法の力を得たようなものだ。佐川流四股は、別に筋力を鍛えることでも、技が上手くなることでもなく、やはり、訓練ではなく修行であると思う。

政木和三さんは、小学校5年生の時、毎日1時間の腹式呼吸を行い、数か月くらいかかったのだと思うが、すっかり超人に、つまり、魔法使いのようなものになった。
仏教のお経を聞いたら、教わったこともないのに意味が分かってしまい、習ったこともないピアノが弾けるようになった。その後は発明も行うようになり、学生にしてとんでもない金持ちになったそうだ。

架空の話であるが、本宮ひろ志さんの古い漫画である『武蔵』で、ただの荒くれものだった武蔵が、木刀で杭を打つだけの修行を1年行ったら、不思議な剣の力を得た話があるが、これも魔法修行のようで私の好きな話だ。
山岡荘八の『春の坂道』(後に『柳生宗矩』に改題)と『徳川家康』を基に制作されたドラマ(NHK大河ドラマ)『春の坂道』でも、少年の時の徳川家光が、柳生新陰流の開祖、柳生宗徳の指導で、同じように、木刀で杭をひたすら打つ修行をする場面がある。

あるアメリカの人気作家は、ヘミングウェイなどの文豪の作品を、ひたすらそのままタイプするという修行をしたらしいが、何のきっかけで始めたのか分からないが、魔法的修行を行った作家であるようだ。
私も、コンピュータープログラミングを始めた時、なかなか上達しなかったが、雑誌に載っていたプログラムをひたすら自宅のパソコンに打ち込むことで自在にプログラミング出来るようになった。私もまた、魔法使い的プログラマーであるわけだ。

このような修行の例は、私はいくらでも上げられる。
そして今は、ニサルガダッタ・マハラジが教えた「存在の感覚にしがみつく修行」をひたすら行い、やがて本物の魔法使いである(笑)。
ついでに行っている、眉間を指先で軽く叩く修行でも十分と思うが・・・。

夕暮れ
AIアート757
「夕暮れ」
Kay


人間は、修行をした人間と修行をしていない人間の2種類しかない。
だが今は、修行をしていない人間が増え、魔法を使えない人間ばかりになってきた。
是非、何か1つ修行をすべきと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(2)魔法修行―カバラの秘法伝授
(3)この世に不可能はない(政木和三)
(4)武蔵 第1巻 (本宮ひろ志)
(5)柳生宗矩(1)(山岡荘八)
(6)葬送のフリーレン(Amazon Prime Video)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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