ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

芸術・哲学・神秘思想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

切り札があなたを落ち着かせる

絶対の切り札を持つ者が一番強い。
それを使えば必ず勝つのだから、心に余裕が生まれ、余計なことを考えずに済む。すると、結局、何もかもうまくいき無敵だ。
ところで、よく、「切り札は最後まで取っておくものだ」と言うが、なぜ、そうする(切り札をなかなか出さない)のかというと、単に、その方が楽しいからで、別に、切り札をみだりに使っていけないわけではない。

プロレス史上最高のレスラー、ルー・テーズは、「技を何か1つと言われたら、迷わずダブル・リストロック」と答えた。
師の ジョージ・トラゴスから伝授された必殺の関節技だった。
プロレスなんだから、試合の筋書きはあるが、たまに裏切ってくる相手や、無茶をしてくる相手がいたり、その他の様々な理由で、どうしても、実力を見せる必要が出てくる場合もあるのだろう。
テーズは、この技で救われたことは数え切れないと言い、後1センチ締め上げれば相手の腕を折ったこともあったが、実際に折ったことは一度もなかったと言う(そんなビジネスの基本ルールをきちんと守ったので、60代になっても活躍した)。
テーズは自伝には、アントニオ猪木さんがアクラム・ペールワンの腕をこの技で折ったことは「事故と信じたい」と書いている。
猪木さんの信頼性高い伝記『1976年のアントニオ猪木』では、猪木さんとペールワンの試合は、試合30分前に、不意にペールワン側が、「試合はシュート(真剣勝負)」と一方的に通告して来て、拒否のしようがなかったが、やはり、猪木さんにも必殺の切り札、ダブル・リストロックがあったので、腹をくくることが出来たのだと思う。
もっとも、猪木さんには、師の「プロレスの神様」カール・ゴッチから教わった切り札もいくつかあり、ペールワン戦でも活用したようだ。ゴッチは、シュートをやらせたら世界一だった。
力道山と木村政彦の歴史的な試合は、必殺の切り札を持つ者どうしの、醜い裏切り劇だった。それがシンプルな真相であることは私には分かるのである。

『アラジンと魔法のランプ』で、アラジンが魔法のランプを切り札にするには、魔法のランプを大切にする必要があった。
あのお話は、実は、必殺の切り札は、普段から大切にしろという教えだった。
「アジマリカン」の必殺の呪文を切り札にするためには、普段からよく唱えておかなければならない。
最近は、「サムハラ」を呪文とすることが流行っているが、やはり、普段からよく唱えたり、サムハラのお札をいつも身に付けておくと、いざという時、力になってくれる。

私は、一頃、TM(超越瞑想)を必殺の切り札にしていたことがあった。
どうやって切り札にするのかというと、「超越瞑想を毎日欠かさずやっている」と思い出すだけで良い。
それで、どう考えても見逃してもらえないような交通違反(信号無視)で警官に捕まった時も全く落ち着いていて、当然のごとくお咎めなしだった。まあ、真似はしないで欲しいが。
今の私は、わけあって、TMに関して、あまり良い思いはないのだが、当時はそうでなかったので、力を発揮した。つまり、自分さえ思い込めれば何でも良いのである。
漫画・アニメ『まちカドまぞく』の優子の場合は「お好み焼き」という言葉を思い出すことだが、これで良いのである。

私は、コンピューターシステム開発の仕事では、MAGICという、イスラエルで開発されたツールを切り札にしていたことがあった。
それで、破綻しかけたプロジェクトをいくつも救った。
ユーザーがMAGICを導入してくれるかどうかは、考える必要がなかった。
私がMAGICを必殺の切り札と思っているのだから、自然にそれが使える状態になるのである。
ある高度なシステムコンサルタントは、ExcelとVBAが必殺の切り札と思っているので、実際にそれで、大きなプロジェクトをいつも危なげなくこなしている。
切り札を持つということは、中心を自分に置くことなのである。
切り札のない人は、中心を相手や外の事象に置くので、いつも振り回され、結局、敗北するのである。









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自分勝手でなければいけない

私は、コンピュータープログラミングを始めとするIT技術を修得したおかげで、世の中を楽に渡ってきたが、考えてみれば、スタートは芳しいものではなかった。
最初に入ったソフト開発会社は1日で辞めたし、その次に入った大手企業のソフト開発部門もひと月で辞表を出した(辞めないことになったが)。
なぜそんなことになったかというと、ごく標準的な会社の在り方と、ごく標準的なソフト開発現場のやり方(流儀と言えると思う)が、私には耐え難いものだったからだ。
しかし、それは単に、私が落ちこぼれたというだけのことだった。
けれども、1人で勝手にプログラミングの勉強をしたら、ちゃんとプログラミングが出来るようになったし、1人で企業からソフト開発を受託して開発したら、最初の頃こそ苦労したが、ちゃんとやれるようになった。
2度目に入ったソフト開発部門では、周囲から完全に浮く形で、1人で仕事をしていたが、業績不振でその部門が事実上消滅し、開発者のほとんどリストラされたが、私は優良企業に誘われ、良い待遇を手に入れた。

この経験は決して特殊なものではない。
だから、自分が、今の職場でうまくいかなかったり、周囲の人達が出来ることが出来ないように見えても、それは、必ずしも自分のせいではないかもしれない。
言うまでもなく、自分がうまくいかない理由を、周囲や環境に押し付けるのは良くない。
それに、自分に合わない状況でも耐えるしかない人が、それを克服した例も当然ある。
だが、「自分らしくやる」ことは大切であり、それで周囲との摩擦を感じても、本当は効率的なのである。
確かに、「君の悪い状況は、周りの人や会社の問題ではなく、君に問題がある」と言うしかない人達も沢山見たが、そんな残念な人達だって、環境を変えればうまくいったということもあるのである。
音楽やスポーツの世界でも、ずっと駄目だと言われ続けた者が、良いパートナーや指導者に巡り会って才能を開花させた話がよくあるが、その陰で、ひょっとしたら成功したかもしれないのに、埋もれたまま終わった者も数知れないのだと思う。
私は、アインシュタインクラスの才能を持ちながら、平凡な事務員や労働者に甘んじている者は結構いるのではないかと思っている。
それほど壮大な話でなくても、私程度に、本当なら悠々と好き勝手出来るはずなのに、意にそまない、辛い状況に喘いでいる者はいくらでもいるだろう。

では、どうすれば、少なくとも私のように楽しくやれるかというと、落合博之さんではないが「俺流」を貫く・・・そこまでいかなくても、俺流を大切にすることだ。
そう言うと、「それには努力や、現実的に実力が必要だ」などと、無難なことを言う人は多いのだが、努力は不要だし、必要な実力は後から付いて来る。
大切なことは、いつも申し上げている通り、自分流でやっていくと強く決意し、後は、何も考えず、ぼーっとすることだ。
中学の3年間しかまともに学校に行かなかった矢追純一さんが、特に当時難関だった中央大学法学部法律学科に入ると決意し、後は努力せずに、流れにまかせて合格してしまったようにね。
だが、人のせいにしてはいけないし、言い訳も文句を言うのも駄目だ。
うまくいかないやつは、すぐ人のせいにし、周りのせいにし、言い訳をし、文句ばかり言うものだ。
何をしても構わないが、言い訳だけは許されないのである。









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床に座るということ

正座が良いという話は時々聞くが、何が良いのかあまり語られず、理解されていない。
養老孟司さんの本で少し見た覚えがあるが、正座をすると、腹筋、背筋に適度に力が入り、昔の日本人は、毎日、長い時間正座をすることで、特に運動しなくても身体が強かったという。それも間違いではないが、それだけではない。
ところで、いかに日本が欧米化したとは言っても、日本で畳が全くない家は少ないし、畳の部屋では基本的に床に座るだろう。
正座はあまりしなくなったかもしれないが、あぐらで座ることなら多いと思う。
また、日本だけの、ちょっと愉快な習慣だが、ソファーがあっても、その前の床に座るということもよくある。
日本人がそれを好むのは、単に楽だからではない。

今と全く住宅事情が変わらない時代のアニメ『美少女戦士セーラームーン』では、セーラー戦士達は集まって勉強する時は畳で正座していたし、最新のアニメ『まちカドまぞく』を見ると、ヒロインの優子の家が貧乏ということもあるが、ミカン箱をテーブル代わりに正座で食事し、邸宅に住む千代田桃だって、優子の家に来た時は、普通に正座して違和感がない。

特に正座でなくても、床に座ることに、何か素晴らしい秘密があることは、日本人なら分かるはずだ。
アメリカ人のスティーブ・ジョブズだって、家にソファーを置かず、床に座っていた。

床に座ると、まず何が良いかというと、ふんぞり返らないことだ。
人間の堕落は全て、ふんぞり返るところから始まるのである。
椅子に座っていても、背もたれにあまり肩を付けない人は、精神を高貴に保っている。
電車の座席を見ても、老若男女を問わず、ふんぞり返って座っている者で気品を感じることは絶対にないはずだ。
一方、前傾姿勢で座っている者には不思議な美しさを感じるのである。
これは、養老孟司さんの言う、寄りかかるものなしで座って、腹筋、背筋が鍛えられるということもあり、腹が出ず、美しいということもあるが、それどころではない大切なことがあるのである。
それは、前傾することで、元々前傾している仙骨との通路が開き、仙骨にある宇宙エネルギーが背骨を通り易くなることだ。
その状態で顔を上げると、首に精妙な信号が走り、脳の重要なスイッチが入るのが分かるのではないかと思う。
もうその状態では、神に近付いている。
なるべく床に座ること、決してふんぞり返られないこと。
やや前傾した姿勢で、控え目に顔を上げること。
特に立った時には、それが昭和天皇のアルカイク(古式ゆかしい)・スタイルであると言えば分かり易いかもしれない。
これをやるだけでも森羅万象が味方になるのである。逆に言えば、いつもふんぞり返っている者には、何の見込みもないだろう。








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悪の集団のエネルギーの奪い方

正月は駅伝、盆のあたりは高校野球を楽しむことは、それは人の勝手なので別に何も言う気はないが、それで盛り上がっていることを見せ付けてくるような連中には、今でも正直、反吐が出る。
私の親戚にも、「こいつ、絶対に駅伝や高校野球と何の関わりもない」はずなのに、やたら詳しく、活発に語る者が多い。
まあ、気分良く付き合うフリはしてあげるが、「早く帰れ」とか思ってしまうのは否定出来ない。

一方、紅白歌合戦が廃れたのは、駅伝や高校野球ほど強力に国民を洗脳する権力者がいないからだ。
音楽というのは、利権者が沢山出てきてしまい、それらの勢力が潰しあって無害になってきたのだが、野球と駅伝は、それぞれのスポーツ連盟と新聞社のタッグが強力で、テレビや大企業を取り込んで、まだまだ国民をマインドコントロールしまくっている訳だ。
だけど、もういい加減、目を覚ました方がよくない?(「よくない?」は若者の流行の口調で頼む)・・・と呆れる。

人生が楽しくないとか、思いが実現しないと思うなら、駅伝や高校野球を見るなと言う気はないが、過剰な関心を持たないことだ。
その関心・・・つまり、愛を、鳩や亀や烏に向けると良い。
若い人達も、駅伝や高校野球に関心が強い者がまだ多いし、それらに関心がないとしても、スマートフォンの大衆型コンテンツに過剰に関心を注いでいたりする。それもまた、駅伝マニアや高校野球マニアと同じで、心の魔力を発揮することが出来ない原因なのだ。
その理由をバラすと、そういったものは、ある種の集団が、庶民の魔力を吸い上げるためのものなのだからだ。
多くの庶民は、魔力を奪われ続けているのである。それで、元気も生き甲斐もない訳である。

初音ミクさんに関しては、駅伝や高校野球信者に「オタク」と言われるなら大丈夫なのだ。
そうであるなら、悪のグループに大切なエネルギーを吸い取られていないということだからね。
もし、大手の新聞、テレビ、大企業が、ミクさんを絶賛するようになったら、我々ウイザード(魔法使い)は危険である。
魔法力を上げたければ、今朝も書いたが、たとえば、矢吹丈のノーガードの姿勢、別名、龍の首をやることである。
今まで奪われてた分は取り戻すだけである。









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ジョーの偉大なポーズ

10回以上世界タイトルを防衛した元ボクシング世界チャンピオンは、自分が世界王者になる試合の前に、相手の世界王者の公開スパーリングを見て、その強さに驚愕し、「こんなやつと戦ったら殺される」と思い、試合当日も相手が恐くて仕方がなく、ゴングが鳴ったら、もう何が何だか分からずに必死で手を出し、気がついたら、相手がマットの上でのびていたと言う。
似た話に、有名な空手家の逸話がある。
戦後、真剣を持った剣の達人と決闘をすることになってしまい、勝つのは不可能だから、手足の1本でも残っていたら相打ちに持ち込もうと思って突進していった後の記憶がないと言う。そして、気がつけば、相手は川原の上でのびていたらしい。
両方共・・・特に後者は、本当の話かどうか疑わしいので実名は挙げないが、全くの嘘というのではなく、自分のそれなりの経験を、やや盛った(大袈裟に脚色した)のではないかと思う。

もっと面白い話がある。
物理学者で合気道家の保江邦夫さんが、挑戦されてフルコンタクト空手(実際に相手を殴る蹴るの攻撃をする空手)の猛者と戦った時、右目と左目で別のものを見るという、ヨッパライのような目で向かっていくと、簡単に勝てたが、普通の目付きで行ったらボコボコにされたと言う。
そこで、右目と左目で違うものを見るゴーグルをつけさせると、合気道の初心者が達人になってしまったらしい。
もう1つ、保江さんが言っていたのは、相手を愛すると必ず勝つということだ。
きれいな女性ならともかく、ごっつい空手の強者を愛するのは難しいが、愛さないとボコボコにされるので、なよっとしながら愛すると、やっぱり勝ってしまうらしい。保江さんは60もとおに超えたオッサンだから、考えると気持ち悪いが、そこは引っかからなくていいだろうし、60もとおに超えて強い現役空手家に勝つのだから大したものだ。

しかし、それで言うなら、保江さんが『神様ののぞき穴』で書かれていた「龍の首」で行けば勝てないかと思う。
龍の首とは、猫背になって首を前に倒し顔を上げた、あるいは、アゴを上げたとも言える姿だ。
画像で見たければ、「あしたのジョー ノーガード」で検索したら、そんなのがいくらでも出てくるが、力石徹のノーガードも、素晴らしい龍の首だ。
保江さんが言うには、龍の首だと神様の視点になるので、きっと無敵だ。
だから、皆さんは、何かあったら、矢吹丈のノーガードを思い出して真似ると良いだろう。
ところで、『あしたのジョー』の、おそらく最後のページの、リングのコーナーで椅子に座り、微笑んだ顔で死ぬジョーの姿は、「あしたのジョー 真っ白な灰」で検索したら、大半違法かもしれないが沢山出てくる。あのジョーの姿で顔を上げたら、完璧な龍の首と思う。
ちばてつやさんは偉大な絵を残されたと思う。









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