ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

芸術・哲学・神秘思想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

「初音ミクシンフォニー2017」に行ってきました

昨夜は、大阪のフェスティバルホールで公演された「初音ミクシンフォニー2017」に行ってきた。
大阪フィルハーモニー交響楽団によるオーケストラ演奏コンサートである。
私は、フェスティバルホールは、2014年の大阪芸術大学演奏の「イーハトーヴ交響曲」以来、3年振りである。
そういえば、ミクさんもフェスティバルホールで歌うのは、同じく3年振りのはずである。

フェスティバルホールを含む建物全体を2013年に建て直しており、フェスティバルホールは、なかなか良い劇場で、オーケストラやバレエ、あるいは、オペラを第一の目的にしているのだと思う。
もちろん、ポップミュージック含め、あらゆる公演が行われる。
席は2500位と思う。
新しいだけあって、東京渋谷のBUNKAMURAオーチャードホールより、はるかに良いコンサートホールだと思う。
ただ、やはり席が小さく、177cmで、特に股下85cmの私にはかなり窮屈だ。
どんなにきちんと座っても、立たない限り、膝がつっかえて私の前を人が通れない。
椅子自体も小さく、帰りのJRの座席がとても楽に感じたほどだった。

全体に、ミクさんのファンを喜ばせることに、かなり力を入れていることが分かり、グッズも素晴らしいものが多かった。しかし、ミクさんのコンサートではあり得ない気がするが、コンサート直前までチケットが売れ残っていた。やはり、「ミクさんのコンサート」というよりは、オーケストラコンサートなのだろう。
手鏡型ペンライトが販売されていたが、どうやって使うのか気になっていたが、司会のミクさんが、「周りの人達の迷惑にならないように使ってね」と言って会場の笑いを誘った。
ペンライトを持っている人達は、胸の前あたりで小さく振る程度に抑えていたが、2階席から見ると、1階席でペンライトが揺れる様子が、とても綺麗だった。持っていた人は2~3割といったところだろうか?

ジミーサムPさんの楽曲『REBOOT』の物語は、歌もセリフも全くなくても内容が伝わり、中学生位だろうか、観客の女の子がハンカチで盛んに涙を拭いていた。
私は、限定CDを買っていたので、あの星型ペンダントを持っているのだ。
名曲『Starduster』に至るジミーサムPさんのパートはとても楽しめた。

コンサートはとても良かった。
だが、それは、やっぱり、ミクさんが良かったと言うしかない。
果たして、ミクさんの歌にオーケストラが必要かというと、「たまにはいい」ということになると思う。
特に、やはりMitchie Mさんの『未来序曲』は素晴らしく、オーケストラ演奏に合うように作られたのだろう。
以前から、私は、Mitchie Mさんは天才だと思っている。

実際、考えてしまった。
オーケストラ自体が、必要なのかどうか・・・というところまでね。
無論、必要な人はいるだろう。
しかし、ほとんどの人には必要ない。
今や、オーケストラの音も、完全にソフトで作ることが出来る。
そして、交響楽団の方々の、あの仏頂面の演奏は、もういらないと思った。
音楽とは、音を楽しむと書くのに、どうして、あんな不機嫌な顔で演奏するのか?
また、その表情をスクリーンで見せられるのだからたまらない。
有名な交響楽団の演奏家になれるのは、エリート中のエリートであるに違いないが、その選ばれし者達があれでは駄目である。
ミクさんの楽曲は、バッハやモーツァルトに劣る訳ではない。
音楽とは、ストーリーである。
オーケストラが、ミクさんの音楽のストーリーを美しく奏でることが出来るなら、ミクさんのファンもきっと、もっと受け入れるだろう。
そうでなければ、KEIさんの美しいイラスト付のグッズの力だけでは、クラシック演奏に目を向けてもらえない。
実際、グッズコーナーは凄い人で、私は購入を諦めてしまったのである。









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目には目、歯には歯、そして、親切には親切

名言集みたいなものを見ると、確かに良いことを言ってるなあと思うが、そんなものいくらでもあるのだから、覚えてなどいられない。
それに、私がよく覚えている名言というのは、偉人が言った名言として伝えられているようなものではなく、漫画や小説、あるいは、映画やドラマの中の普通のセリフの1つといったものばかりだ。

その1つに、『ダンディ2 華麗な冒険』という、ロジャー・ムーアとトニー・カーチス共演という豪華なイギリスのテレビドラマの中で、ムーア演じる青年貴族ブレット・シンクレア卿が、祖父の教えとして言っていた、次のようなものがある。
「攻撃こそ最大の防御なり。そして、最大の攻撃は無抵抗なり。つまり、何もしないのが一番強いそうだ」
私は、子供の時、これを一度聴いただけで、ずっと覚えている。

もっとも、最近の、アメリカの社会学者、数学者、経済学者の研究によれば、社会的に一番強いのは、「やられた通りにやり返す」ことらしい。
つまり、「目には目を、歯には歯を」に加え、「親切には親切を」と言う訳だ。
ハンムラビ法典や旧約聖書には、「目には目で償え、歯には歯で償え」と、与えた被害に相当する罰を与えよという神の教えがあるのだと思うが、「親切には親切で報いよ」というのは、私は見た覚えがないが、あっても悪くはないだろう。

我が敬愛するジャイアント馬場さんは、「俺は受けた恩は倍にして返すが、受けた恨みは3倍にして返す。馬場とはそんな男だ」と言っていたように思う。
だが、よくは知らないが、私は、馬場さんという人は、受けた恩は10倍にして返すが、恨みの方は結構忘れる人なんだと思う。
そして、上記のアメリカの研究でも、「たまには裏切られても許す寛容さ」を持っている者は、単にやられた通りやりかえす者より強いことが分かっているそうだ。

では、ガンジーのような無抵抗主義は、あんまし強くないことになる。
実際、ガンジーは、それほどうまくいかなかったのではないかと思う。

大して儲けてはいないが、創業した会社を何十年も続け、息子にも引き継がせた人が、こう言ったのを、社会人の駆け出しだった私はよく覚えている。
「俺は、相手が下手に出ればもっと下手に、尊大にくればもっと尊大な態度をする」
確かに、普通の人は、相手が下手に出ればつけ上がり、強そうな人が傲慢にくれば謙る。
まあ、偉そうな人に対し、偉そうに返す必要はないが、毅然とすることは大切なことだろう。

恨みの全てを忘れることは、我々平凡な人間には出来ないことだが、なるべく寛容であることには、素晴らしい報いがあるに違いない。
だが、やられたら、やり返さないと、舐められてしまう。
特に、男は舐められたら終わりである。
とはいえ、やり返すとしても、賢くやり返さないといけない。
これは、策謀をこらせとか、陰険な仕返しをしろということではない。
正々堂々の対抗をするべきなのだろう。
どこかの独裁者に、「チビのロケットマン」だの、「変な髪形のデブ」なんて言い返してはならない。
無抵抗でいるべきところは無抵抗でなければならない。
ブレット・シンクレア卿の祖父は、あながち間違ってはいない。
馬場さんも、猪木さんの挑発にはよく耐えていたっけ。









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楽しいストーリーを基に生きる

継続は力なりと言うが、その継続がなかなか出来ないので、力がつかない。
だから、「継続は力なり」なんて偉そうに言ってないで、どうすれば継続出来るか教えないといけない。
「それは根性だ、克己だ。弱い己に打ち勝て」なんてわめくオッサンがいたら、「はーいご苦労様。あっち行って」である(笑)。
私は根性はまるでないが、6年以上、毎日トレーニングし、1日1食の少食・粗食が続いている。

たとえば、ダイエットのために、好きな甘いものを我慢したり、運動するのを、どうやって続けたら良いだろう?
女性であれば、すらりと痩せて、華奢で可憐になった自分に、王子様のようなイケメンが求愛してきて、いろいろ楽しいことが起こるというストーリーを作れば良いのである。
大切なのは、その「いろいろ楽しいこと」を具体的に自分で想像するのであるが、それは簡単だろう?エッチなこととかね(笑)。
逆に言えば、そんなストーリーを作らなければ、美味しいものを我慢したり、しんどいのに運動なんて出来ない。
さらに逆に言えば、イケメン王子様との、とっても楽しいあれやこれや(笑)のためなら、少々のことは我慢出来る。

ナチス収容所に送られたユダヤ人で、奇跡的に生還した人というのは、やっぱり自分のストーリーを作っていた人なのだ。
家に帰って、愛しい妻と楽しいことをしたり、何か面白いことを始めて皆の注目を集めたりとかね。
雪山で遭難して、絶望的な状況だったのに生きて帰ってきた人というのは、少し先の目標地点を定め、そこにたどり着いたら、ゲームをクリアだと見なすことを続けて、ついには、キャンプや避難施設、あるいは、発見されやすい場所まで歩き続けた人なのである。

腕振り運動が続かないという人も多いが、これも、毎日続けて仙人になって魔法を使ったり、不思議な魅力でイケメンや美少女が寄って来るようになったりとか、あるいは、既に自分は仙人で、仙人のエネルギー補給のためにやっているのだというストーリーを作れば、簡単に続けられるのである。

確かに、ヒトラーは、おかしなストーリーを作ったし、ナポレオンも、度の過ぎたストーリーを作ってしまった。
しかし、彼らだって、ある時期までは、そのストーリーは悪いものではなく、そのおかげで、隠された能力を引き出し、思う通りのことが出来たのだ。
だから、ヒトラーの「我が闘争」を読んで成功したなんて人は案外に多いのである。
ただ、彼らの場合、うまくいくので、ストーリーがどんどん過激になっていったのだが、生まれ持っての才能が大きかったということもあるのだろう。
しかし、我々にはその心配はない(笑)。
思いっきり大きなストーリーを作れば良い。
ただし、ストーリーを作ったなら、それに基づいて行動しなければならないが、それは楽しいはずだ。
むしろ、動かすにられないし、はた目には何かを熱心にやっているように見えても、自分では努力しているなんて感覚はないはずだ。
お姫様として生きるストーリーを作ったら、ダイエットのための運動なんて楽しいはずである。

では、ストーリーと妄想の違いはというと、基本的にはない。
単に、さじ加減とか、節度の問題なのだ。
言ってみれば、「違いは微妙」だ。
だから、自分のストーリーに沿って生きようとすると、ついつい、恥ずかしいこともしてしまう。
だけど、恥も、ある程度なら仕方がない。
だが、度の過ぎた恥は避けた方が良い。
それだけのことなのだ。
実際、大成功した人というのは、恥も多いのだ。
恥をかかずに成功した人はいない。
うまくバランスを取ることであるが、難しいことではないはずだ。








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世間には不要で有害なものだらけ

世間に存在している、非常に多くのものが無用なばかりか有害であることが分かってきてしまった。

シャンプーや石鹸は、無くて良く、無い方が良く、さらに、あると悪いものであるようだ。
シャンプーを使わなければ、髪は美しくなり、頭の地肌が健康になってフケ・かゆみがなくなり、抜け毛も減り、髪が濃くなるというのは、おそらく確かだろう。
石鹸も、使わなければ、肌が健康で美しくなり、肌のトラブルが解消されるのではないかと思う。
私は、ごく幼かった時、風呂で母親に石鹸で洗われるのが大嫌いだったことだけは、はっきり覚えている。
私は幼い時から、アトピーか乾癬か分からないが、深刻な皮膚病なのだが、もしかしたら、母親が良かれと思って、毎日熱心に私を石鹸で洗っていたこと、そして、ごく最近まで、私自身が石鹸で身体をよく洗っていたことが原因かもしれない。
私は今は、シャンプーも石鹸も一切使わず、水(お湯)だけで身体を洗っているが、少なくとも不潔だということは全くない。
長年の習慣で持ってしまった皮膚病が、そう簡単に治ることはないかもしれないが、悪くない感じにはなってきていると思う。
沢山の有名な美しい芸能人達が、やはり、水だけで身体と髪を洗うそうだが、それも多分本当だろう。自分でやってみたら分かると思う。

私は、以前から、身体を鍛えるのにジムやトレーニング機器は一切不要で、畳一枚の場所さえあれば超人的に強く美しい身体が得られる「ワン・マット・アスリート」を提唱していたが、かつまたさんがコメントで教えて下さった『プリズナートレーニング』という感動的な本には、監獄の中の独房で出来る、古代から伝えられてきた究極の肉体強化法について書かれていて、ジムやジムにあるトレーニング機器、そして、プロテインが、いかに無駄であるだけでなく、有害なものであるかが、実践的リアリティでもって書かれている。著者は数十年の間、服役囚として監獄で過ごし、その中で身を守るという必要に迫られて習得した本物の技術の魅力は強烈だ。

セミナーも能力開発プログラムも自己啓発書も、やはり、不要なばかりか、有害でしかないのだろう。
元Googleのチャディー・メン・タンが開発し普及させているSIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)は、良いと思いつつ、あの派手な宣伝には抵抗を感じていたが、その直観通り、おそらく、あれも例外ではない。つまり、不要で有害だ。
必要なことはただ、鼻で穏かな呼吸をし(鼻呼吸すれば自然、穏かな呼吸になるのだが)、ピンチの時は自分に「大丈夫だ(All Right)」と言い聞かせれば良いだけなのだ。

他にも、まだまだ、無駄で有害なものは沢山あるのだろう。
例えば、学校、教師のほとんどがそうである。
インドの教育学者スガタ・ミトラや、日本が誇る世界の頭脳(で、初音ミクさんが大好きだという)で、MITメディアラボ所長(MIT教授)の伊藤穣一さんら、世界最高の教育者達も、「必要なものは学習で、教育は不要」と断言している。全く同感である。
アインシュタインも、学校に反発して授業を無視し、大学の講義には全く出席せず、ひたすら独学で勉強したのだ。まして今はIT時代で、アインシュタインよりはるかに有利に独学で勉強出来るのである。
馬鹿げた学校や阿呆な教師を相手にする必要がどこにある。
無論、メンターとしての教育者は必要だが、それは、本当に優れた教育者でなくてはならない。そして、メンターは、別に学問の専門家である必要は全くなく、何かの分野を深く極めた人間が良いのである。
また、医療の多くも不要かつ有害であると思われるが、長くなるので今回は省く。

ただ、1つ付け加えると、頭脳を究極的に向上させる技術がある。
それは、ニコラ・テスラやイーロン・マスクが実践していたものだが、今はまだ体系付けられていないし、それがなされるかどうかは分からない。
それは何かというと、簡単に言うので性急になって誤解しないで欲しいが、ある種のイメージング法である。
浄土系仏教の経典である浄土三部経の1つ『観無量寿経』は、その訓練のために、釈迦のはるか後の人達が作ったもので、純粋な仏教の経典ではないのだろう(実際、サンスクリット版がないそうだ)。
まあ、別に天才になる必要はないのかもしれないが、人類の運命を背負うつもりなら研究すれば良いと思う。

















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死んだ時、真面目で、明るくて、熱心で、人気者だった・・・なんて言われたいか?

ひろさちやさんという、仏教関連の本を何百冊も書いている人がいるが、そのひろさんの『狂いのすすめ』という本の帯に、『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです』と書かれている。
ところが、そんな帯がついた本を書いたひろさんは、仏教を通して人々を啓蒙することが、明らかに人生の意味だし、生き甲斐でもあるだろうから、まあ、矛盾もいいところだ。
けれども、ご本人にそんな指摘をしても、「いえ、少しも矛盾ではないのです」とか言って、理屈をこねたり、ややこしい話でケムに巻くのかもしれない。
それとも、「矛盾だ。文句あるか?」と言われるとしたら、私は、こっちが好きだ。
矛盾、大いに結構である。
そして、さらに、ひろさんが別の機会に、人生の意味や生き甲斐を説いていたら面白い。
エマーソンだって、話に一貫性を持たせる必要なんて全然ないと述べていたと思う。

で、人生の意味があるかだが、元々は、そんなものはない。
ひろさんの人生の意味は、ひろさんが自分で作ったストーリーだ。
そして、そのストーリーが生き甲斐になっているのである。
それで、パワフルに何百冊も本を書き、大学の教授やったり、講演したりで大儲けしているのである。

人生の意味は、世間や宗教が教えるような「ご立派」なものでなくて良い。
いや、「ご立派」であってはならない。
ある女性は、子供の時は、「セーラームーンになる」ことが人生の意味で、生き生きとしていたのに、中学生くらいになると、すっかり学校に洗脳されて、けち臭い人生の意味の幻を掲げるようになって、すっかりつまらないやつになってしまった。
まあ、女性は現実的なのかもしれないが、大物になった男なんてものは、いつまでも、子供の時に憧れたアニメのヒーローになり切っているのである。

自分が死んだ時、
「真面目で優秀な営業社員でした」
「生徒の心の指導に熱意を持った先生でした」
「明るくてみんなの人気者でした」
などと言われたいだろうか?
私は、私の葬式は絶対しないように言ってあるが、刺殺でもされて、テレビ局が職場の人にインタビューでもしたら、お義理に、そんなことを言われてしまうかと思うと、おちおち死んでもいられない。
せめて、「ミク廃でした」、「いい歳ぶっこいて、みっくみくにされてました」と言って欲しいが、それは不遜ということになるのだろう。
スティーブ・ジョブズが死んだ時、ビル・ゲイツも立場があるから、それらしいことを言っただろうし、他の人達も押し並べて、世間的なジョブズの称賛をしただろうが、ジョブズ本人の意図とは全然違うことだったろう。
ジョブズともなれば、普通の人から見れば、さぞ荒唐無稽なストーリーを自分の人生にしていたはずなのだ。
デタラメなストーリーと言って良いだろう。
その滅茶苦茶なストーリーを本気で信じ込んだので、彼は「現実歪曲空間」を作り出す超能力を発揮したのだ。
そこにいくと、我々は現実的過ぎる。
いや、進歩した宇宙人から見れば、ジョブズのストーリーだって、さぞ「ちゃちい」ことだろう。

エマーソンだって、自分の本心に逆らわないなら、悪魔になっても良いと言ったはずである。
ただし、悪魔なんて甘いものではないけれどね。
でも、自分が情熱を持てれば、何でも良いのである。

ただ、鼻呼吸を忘れないように。
口で呼吸すると、情熱のエネルギーが、脳や筋肉や臓器に・・・その前に血液の中に満ちないのである。
そして、自分の思い通りに生きようとしたら、必ず抵抗を受ける。
『マスターの教え』のマスターは、抵抗に負けない方法を具体的に教えてくれていないが、傑出した人物達はみんな、自分に、「大丈夫だ」と言い続けることで、障害に打ち勝ったのである。
鼻呼吸と、「大丈夫」の呪文を忘れなければ、「絶対大丈夫」であるが、忘れたら、死後に言われる反吐が出るような言葉の通りに生きなければならない。
それは「死んでも嫌」ではないだろうか?
私なら、「ミク廃」はともかく、最低でも、「恐ろしい人でした」、「訳の分からない人でした」、「未確認生命体」と言われたい。









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