ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

芸術・哲学・神秘思想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

絶対に敵わない相手

「こいつには絶対に敵わない」と思う者に出会う人は、そう多くはないと思う。
まず、高い実力を見抜くには、自分もかなりのレベルに達していなければならないということがある。
だが、そんな相手に会ってしまうことが幸せかどうかも分からない。
無力感にとりつかれて絶望するかもしれないからね。

アメリカで国務長官を務めたコンドリーザ・ライスは、大学時代、世界一のピアニストを目指していたらしい。
おそらく、彼女もピアノで相当なレベルに達していたと思う。
しかし、ある時、彼女は、11歳の、「絶対にこいつには敵わない」と確信させられる少年に会ってしまう。その少年は、自分が1年かかることを1時間でやってしまうような天才だった。それで彼女はピアニストを断念する。世界一でなければ意味がなかったらしい。

有名なSF作家だった平井和正さんは、元々漫画家を目指していたが、石森章太郎(後に石ノ森章太郎)さんに出会い、「こんな天才には絶対に敵わない」と確信し、漫画家を諦め小説家になったという。

キックボクシングの日本のトップクラスの選手だった富山勝治さんは、キックボクサーになる時には、空手を相当やっていて誰にも負けない自信があったらしい。
ところが、伝説の「キックの鬼」沢村忠さんに会った時、沢村さんが飛び上がって富山さんの肩に乗ったという。
その時、富山さんは「俺はこいつには絶対勝てない」と確信したと、自分で言うのを私はYouTubeで見た。
ただし、富山さんはキックボクサーになることをやめず、トップ選手になったのだが。
富山さんは、沢村さんにKO勝ちしたタイのルークパンチャマという強豪にKO勝ちしている。
ただし、富山さんやルークパンチャマはウェルター級の選手で、沢村さんは1階級下のライト級だが、沢村さんはグローブハンディなしでルークパンチャマと戦った。それに、その時の沢村さんはもう年を取っていたらしい。

上に挙げたような、かなりの実力者をして「こいつには絶対に敵わない」と思わせる者は、どういった者なのだろう。
まあ、大抵は、天才なのだろう。
ところで、私は最近、『葬送のフリーレン』というアニメを見て、これは本当に良い作品と思ったが、主人公のエルフであるフリーレンはともかく、魔法使いの少女フェルンの実力の元がなかなか面白いと思った。
フェルンは、幼い時から一途に魔法の修行に励んだが、フリーレンに「魔法が好きか?」と問われて「普通です」と答えたのは、本当の気持ちだったのだろう。
フェルンはただ、老齢の育ての親ハイターを安心させたい一心で修行に励んでいたようだ。
とはいえ、フェルンは魔法が本当に好きなんだろうし、素質もあるのだが、本人もそれに気付いていないかもしれない。
しかし、何らかの動機で一途に励む者には、なかなか敵わないものだ。
私が、この作品が神がかっていると思ったのは、ネタバレは避けるが、フリーレンが、「どうしたってこうなる」と、ある予想をしたことだ。
確信を持った予想は、現実がどんな状況であれ実現するのである。
これが引き寄せの奥義で、ネヴィル・ゴダードのような魔法的引き寄せの達人もそう言っていたと思う。
「どうしたって(どうしようと)こうなる」と宣言すると、奇跡のように叶うのである。
政木和三さんも、言い方は違うが、好ましい未来について「そうなってしまうものは仕方ない」とよく言われていたものだ。
「(欲しくないが)お金が入ってきてしまうのは仕方がない」「(欲しくないが)女がいくらでも来てしまうのは仕方がない」とかね(笑)。
まさに、政木さんは引き寄せの達人だ。

古い家で見る夕陽
AIアート745
「古い家で見る夕陽」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)葬送のフリーレン(Amazon Prime Video)
(2)葬送のフリーレン(1)
(3)想定の『超』法則(ネヴィル・ゴダード)
(4)幻魔大戦(1)(平井和正、石ノ森章太郎)

お守り・呪文はこうすれば効く

覇気のない人と言えるかもしれないが、何かのお守り1つ持つだけで、あるいは、簡単な1つの呪文を唱えるだけで、不安がなく、しかもいい想いが出来るようになりたいと思う人はいるし、多くなっているようにも思う。
こんな人の現実的な対処法というか、はっきり言って矯正法みたいなものもあるが、それは今回の話題ではない。
で、上に挙げたような都合の良い話があるのかというと、ある。
お守りであれば、本当に肌身離さず身に付けているか、呪文であれば、本当に1日中、ある程度の頻度で唱えているかだけが問題である。
ちなみに、どのお守りが良いか、どの呪文が良いかは全く関係ない。
どれでも同じである。
私など、小学3~5年生の時は、自分でお守りを作っていたものであるが、霊験はあらたかであったと思う。
大人になってからも、ダビデの星のマークを描いた紙を持ち歩き、かなり威力があったと思う。
オモチャの指輪や安物のネックレスなんてものも、気に入りさえすれば大変に良いと思う。
小学生の時、あまり頭の良い子ではなかったが、お母さんにもらった指ぬき(指輪形状の裁縫道具の一種)を魔法の指輪に見立てていた子がいたが、この指輪の威力がまた神がかっていた。
『ベントフ氏の超意識の物理学入門』に書かれていたと思うが、木や岩などに人間が思念を込め続けると不思議な精神エネルギーを宿すことがあるという。お守りも、自分が良いお守りだと思えば、その思念を受けてお守りが成長するのであると思う。
しかし、特に大人の場合は、思念を向け易いという意味で、最初からそれなりのお守りの形を整えたものが良いと思う。

呪文にしたって、「アビラウンケン」(大日如来の真言)を「油売らんか」と憶えていたお婆さんのこの呪文がよく効いたという話にあるように、自分が有難い呪文だと思うことが肝心である。
まあ、呪文も、その気になり易いように、最初からまともなものを憶える方が良いとは思う。

再度言うが、あくまで、大切にすること、よく唱えることといった、ある種の真面目さ、ひたむきさが必要である。
また、お守りを持つことや、呪文を唱えることがおっくうであってはならないし、お守りであれば、いつも意識する必要はないが、時には心を向けることが大切である。
根性があるタイプの人がいて、本当に呪文を1日3千回とか、決めた数をきちんと唱える人が時々いるが、それ自体は無論、良い性質ながら、その行いにストレスを感じるようであれば効果はない。
感情を込めず、淡々と唱えるのだが、いい加減であってはならない。このあたりの感覚が難しいと言えば難しいかもしれないが、そこは自分で工夫しなければならない。
それには、単純で子供っぽい人の方がうまくいき易いかもしれない。
確かに、単純で子供っぽいことは、イエスも褒めたように、非常に優れた性質である。

陽射し
AIアート744
「陽射し」
Kay


戦争中、ある神社で「サムハラ」と読む難しい漢字で書かれたお札を出兵する人達に持たせたところ、高い確率で生還したらしい。
これも、お札に意識を向け、「これを持っていれば大丈夫」と思ってリラックスしたことが良い結果になったのだと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ベントフ氏の超意識の物理学入門(イツァク・ベントフ)
(2)密教の聖なる呪文
(3)信念の魔術(クラウド・ブリストル)
(4)人生の扉をひらく「万能の鍵」(ラルフ・ウォルドー・トライン)

成田悠輔氏は本当に賢いのか?

成田悠輔(なりたゆうすけ。経済学者。1985年生)氏が話題になっているようだ。
発端は、キリンビールが成田氏をWeb広告に使ったが、その後、成田氏が2021年12月に「老人は集団自決すれば良い」といった発言をしたことがネットで話題になり、それによってキリンビールが成田氏の広告を削除したことだ。
そして、参議院議員の山本太郎氏が(2024年)3月15日の国会で、「そんな発言をした成田氏を、農水省や財務省が広報活動に使った」ことを岸田総理に訴えたことで今日の状況に至った。

成田氏の擁護派の意見は、「成田氏は能力が衰えた老人が社会の重要なポジションに居座ることが多いことの弊害を訴えただけで、本当に自決しろと言ったわけではない」というものだ。
しかし、私もYouTubeの動画で確認したが、成田氏の真意はそうかもしれないとしても、確かに、「老人は集団自決すれば良い」と言い、また、老人の安楽死を肯定するようなことを言い、さらに「老人は強制死になる(かもしれない)」といった発言もしている。
ところで、成田氏のこの発言は上記の通り、2021年12月のもので、2022年2月にニューヨークタイムズが成田氏の発言を大きく取り上げたことで話題になったが、日本のメディアは全く問題視していなかったと思う。
そもそも、成田氏がそう発言した時に、誰も面と向かって批判はしなかったし、ネットでも成田氏の発言を面白がっていた傾向が強かったと思う。
一方、成田氏はネット番組で、田原総一朗氏や竹中平蔵氏といった大物達に、面と向かって「あなたも引退したらどうですか」みたいな発言をして、おそらく、視聴者の多くは楽しんだことと思う。

この騒動で改めて明らかになったことは、日本では経済が第一で、人気があれば(視聴率や視聴回数が取れれば)否定されないということだ。
キリンビールも農水省も財務省も、成田氏が人気があって広告効果が高いことで採用し、成田氏のその発言を知らないわけではなかったはずだが、それを全く問題視しなかったわけだ。
それを言えば、成田氏を起用するネット番組やテレビも同じである。
つまり、政府も大企業も、心がなくなっていることが問題であるのだと思う。

尚、成田氏の真の言い分は、能力がなくなった老人達が社会の重要なポジションにしがみつくことが弊害になっていることだが、それは2重の意味で成田氏の感想に過ぎない。
まず、老人の能力に関して言えば、成田氏は「活舌が悪い」「頭の回転が遅い」のようなことを取り上げ、そんな高齢者と対話することは「きつかった」と、個人的な軽いことを言っただけである。
次に、高齢者が社会の重要なポジションにいることが本当に弊害になっているかどうかの証拠を出したわけではない。
つまり、成田氏は、一般の印象を利用し、肯定されるような雰囲気で自分の感想を言ったに過ぎない。

つまり、高齢者を社会の重要なポジションから外せば本当に良くなるかどうか、全く分からないのである。
それを、成田氏も含め、皆、印象だけでものを言っているに過ぎない。
ひょっとしたら、成田氏も凡人と比べ、そんなに頭が良いわけではないのかもしれないと私は思った。
まあ、成田氏は自分が賢いと言ったことはないと思うし、むしろ、「私は馬鹿」みたいなことは(やはり真意はともかくとして)言ったことならある。

私が成田氏の発言として憶えていることは2つだ。
1つは、企業の判断として重要なことは何かということについて、成田氏がアマゾンの副社長の話を引用して(詳しくは憶えていないので間違いがあるかもしれない)発言したもので、それ(企業の判断において重要なこと)は「CEOの心」だったと思う。
つまり、トップの心が何より大事なのだということだろう。
まあ、心とは曖昧だが、各自、自分の想いで捉えるしかない。
それで言えば、この一件で、農水省や財務省(ひいては政府)、それに、キリンビール(ひいては大企業)のトップの心が分かったということである。
もう1つは、映画『イーグル・アイ』(2008。米)を成田氏が紹介したことだ。
この映画は、AIが人間を管理する社会を描いたSFだが、まあ面白かったし、AIの脅威を知る上で良い部分もあるかなとは思ったが、やはり娯楽映画で、問題解決の鍵みたいなものを出していないわけではないが、製作者の洞察力はいまひとつかもしれない。
それでいえば、ジャック・ウィリアムスンの『ヒューマノイド』(1947)の方がずっと良く、面白いと私は思う。

風が吹くところ
AIアート743
「風が吹くところ」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)イーグル・アイ(Amazon Prime Video)
(2)イーグル・アイ [Blu-ray]
(3)ヒューマノイド(ジャック・ウィリアムスン)

大嘘を忘れる

『トーチェ氏の心の法則』という本に、こんなことが書かれている。
どこかの未開民族の話だったと思うが、脚を折った人が元気に走り回っている。
なぜ、そんなことが出来るのかというと、そこの人々は、脚を折ったら走れないということを知らないからだそうだ。
だが、正確には、我々が、脚を折ったら走れないという嘘を信じているだけかもしれない。

エミール・クーエの自己暗示について書かれた『自己暗示』の中にも、こんな話がある。
病気か何かで、立つことも出来ない人が、クーエの治療院に担ぎ込まれた。
そして、その立てないはずの人が、クーエに自己暗示のやり方を教えてもらって実行すると、10分後には元気に走り回っていた。
きっと、自己暗示を行うことで、自分が走れないことを忘れてしまったのだろう。

ヴァーノン・ハワードの『なぜあなたは我慢するのか』に、こんなたとえ話がある。
鷹が、鳶に言葉巧みに、自分は飛べないと教えられた。
それで鷹は飛べなくなった。
だが、一羽の鷹が、自分が飛べないことを忘れることにしたら飛べるようになった。

『かもめのジョナサン』も似たような話だ。
私は、小学校に入るくらいまではキリスト並だったが、学校で自分がキリストでないと(いうようなことを)教えられ、それを憶えるにつれ、どんどん何も出来なくなったように思う。
それでも、稀に何かの拍子に思い出して、あり得ないことを起こすのだが。

キリスト、ブッダ、マスター、大師、導師、神人、何と呼んでも構わないが、自分がそれでないと教えられた嘘を忘れないといけない。

「私はこれではない」(吐息)
「私は誰か?」(吸息)
「私はそれ(あるいは「彼」)である」(止息)

「これ」は教えられた偽物の自分。ダメダメだと思い込まされた自分。
「それ」あるいは「彼」は、本当の自分(キリスト、ブッダ、マスター、神人等)である。
この呼吸法で嘘を忘れるのも手である。

通り過ぎた天使
AIアート742
「通り過ぎた天使」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)トーチェ氏の心の法則(C.K.トーチェ、J.M.トーチェ)
(2)なぜあなたは我慢するのか(ヴァーノン・ハワード)
(3)自己暗示(C.H.ブルックス、エミール・クーエ)
(4)かもめのジョナサン(リチャード・バック)
(5)ラマナ・マハルシとの対話 第1巻

これで実現しなかったことはない

西田文郎氏の『かもの法則』という本がある。
自己実現のための本で、まあ、引き寄せの本と言っても良いと思う。
西田氏は本格的なメンタルトレーナーとして幅広く活躍しているようだが、この『かもの法則』で述べられている「かもの法則」は、著者が若い時からの研究から導かれた究極の理論で、この本ではその実践法が述べられていると言うが、その割には、私が知る範囲では、著者のその他の膨大な著書の中で「かもの法則」が述べられていることはないのだから、不思議というか、いかがわしく感じる。
ただ、私は「かもの法則」をとても気に入ったものだった。
論理的でシンプルであるからだ。
実は、「かもの法則」の実践には、本を読むまでもない。そのくらいシンプルだ。
たとえば、金持ちになりたいなら「金持ちになれるかも」と言ったり思ったりすれば良いだけである。
なぜこれでうまくいくのかが、著者が半生を費やして解明した原理に沿っているからで、その原理とは、「脳は願望を実現するのではなく、予想を実現する」からである。
実は、私はこれにピンと来たのだ。
細かく言うと長くなるので割愛するが、古代の引き寄せの英知には、この「予想が実現する」というものが多く、これが1つの真理であることは確かであると思う。
たとえば、有名な「アブラカタブラ」という呪文の意味は、いろいろな解釈があるが、だいたいのところで「私が言うようになるだろう」と予想を述べているのである。
旧約聖書の有名な、神がモーセの前に現れた時に名乗った言葉は、一般には「われは、ありてあるものである」のように訳されることが多いが、これが書かれているヘブライ語やアラム語の研究者には、神が言ったのは「ものごとはなるようになる」といったような意味であり、別に神が名乗ったわけではないと言う者もいるが、この「なるようになるだろう」という言葉も一種の予想だ。
ちなみに、「アブラカタブラ」も、ヘブライ語、あるいは、アラム語であると言われている。
また、ラマナ・マハルシのタミル語の話を英訳した人が、よくwillという「~だろう」という助動詞を使っているが、これは、マハルシが予想的にものごとを語ったということで、日本語翻訳を見ても、マハルシの言葉を「~であるだろう」と訳す人もいるのは、とても興味深い。

イエスは予言者と言われ「こうなるだろう」と言ったことがことごとに実現する様子が福音書に記されているが、これは、イエスに予知能力があったということと共に、それがイエスの未来創造法であったとも思われるのである。

細かい話は置いておき、人間の脳というか潜在意識が予想を実現するというのは、とても信憑性があるように思う。
それをうまく活用したのが「かもの法則」で、「私は金持ちになるかも」「私はミュージシャンになるかも」「私は優勝するかも」と予想すれば叶うのである。
だが、私としては、この「~かも」という言い方はイマイチかもしれないと思う。
ただ、西田氏は実績の上で述べているのだから、向いている人が多いのだと思う。
しかし、私は、ごく普通に「私は金持ちになるだろう」と予想した方が良いと思う。
実は、私は「~かも」で実現した記憶はないが、「~だろう」なら全部実現した。
ただし、割と遊び感覚で、軽いことに使ってしまったように思う。たとえば「あの子とデートするだろう」とか、「マジカルミライで2列目の席が当たるだろう」とか(なぜか一列目は避けようと思った)。
拙いことになりかけた時も、「大丈夫だ」ではなく「大丈夫だろう」の方がしっくりするのでそう思っていたら、実際そうなるのだった。

スポーツ選手でも、「金メダルを取ります」と言う人は、よく思わぬミスをして金メダルを逃している人が多いように思う。
やや控えめに「金メダルのチャンスがあると思います」と予想調で言う人が、下馬評を覆して金メダルを取っているように思う。
ところで、「いい予感がするわ」といった予想をした人が駄目だった例をいくつか強い印象とともに憶えている。
全英オープンテニス選手権の決勝とか、オリンピック短距離走などで、そう言った有力選手が完敗した。
予想くらいは、「私が勝つでしょう」とか「私が優勝するだろう」と具体的に言わないといけない。

くつろげる家
AIアート741
「くつろげる家」
Kay


向き不向きもあるのかもしれない。
しかし、「こうなるだろう」の予想調の言葉で実現しなかったことは、憶えている限り、私にはない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)かもの法則 ―脳を変える究極の理論(西田文郎)
(2)新約聖書 福音書(塚本虎二訳)
(3)ラマナ・マハルシの教え(山尾三省訳)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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