ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

芸術・哲学・神秘思想

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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引き寄せを成功させる自己暗示の心構え

ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則に関し、昔から、よく見聞きすることがある。
多分、渡部昇一氏(大島淳一氏)の本にも書かれていたと思う。
それはこんなことだ。

「私は金持ちだ」と自己暗示をかけても、顕在意識(表の心)は、自分が金持ちでないことを知っているので反発し、葛藤が起こり、暗示はブロックされ、潜在意識(深い心)に到達しない。よって、金持ちになれない。
それでどうすれば良いかというと、「私は金持ちになりつつある」と、現在進行形で言えば、これなら嘘はないので、顕在意識は反発せず、暗示は潜在意識に到達する。

嘘だ・・・と言うより、馬鹿馬鹿しい。
「私は金持ちだ」が嘘だと思うのと同じ、あるいは、それ以上に、「私は金持ちになりつつある」だって、「そんなことないよ」と、嘘だと思うに決まっている。
そして、こんなことも書かれていたと思う。

だから、「私は金持ちだ」とくたびれるほど言っても、少しも効果はないのです。

「くたびれるほど」って、どれくらいのことを言ってるのか、書かれていることはなかったと思う。
10時間を1か月?
いやいや、そんなにやったはずはないと思う。
1日1時間を1週間なら、非常に多い部類ではないだろうか?
ひょっとしたら、1日10分を2~3日かもしれない。

現在形だの、現在進行形だのといったことは、どうでも良いのである。
ある世界的な成功プログラム(超高価。まあ、SMIのことだが)では、現在形を強く勧めている。
しかし、やはり、いずれでも良いのである。
「くたびれるまで」どころか、「くたびれるまで」やってからがスタートなのだ。
よく引用するが、教育学者の七田眞氏の著書にあった、著者が絶対に事実と言う、こんな話がある。
あるホームレスが「神様の奇跡が起こる」と唱えていたら、一億円の宝くじが当たった。もう一度やったら、また一億円当たった。
このホームレスは。本当に1日中、2週間、唱え続けたらしい。
ここまでやれば、顕在意識のブロックなど突破出来る。顕在意識は、それほど強くはないのである。

それで思い出す話がある。
歴史的なプロレスラーと言って良いと思うが、ジャイアント馬場さんは、プロレスラーになる前はプロ野球選手で、読売巨人軍のピッチャーだった。
その馬場さんが、 プロレスのトレーニングについて、こう言われたそうだ。
「俺は、ぶっ倒れるまでやるのが野球のトレーニングだと思っていた。だけど、プロレスのトレーニングは、ぶっ倒れてから始まるんだ」
プロレスは、真剣勝負のスポーツではなく、筋書きのあるショーである。
だが、「本当に強くないと」務まらないショーで、トレーニングの過酷さは桁外れのようだ。

プロスポーツ選手のトレーニングに比べたら、自己暗示など楽なもので、「くたびれるまで」やっても、ぶっ倒れることはない。
だから、「くたびれるまで」やってから始める覚悟でいけば良いと思う。
それが出来たら、もう、駄目なやつでなくなる。
逆に言えば、それが出来ない者が駄目なやつなのだ。








ルパンを超えて自由に生きる方法

能力を高めるということは、生命力を高めるということで、生命力を高めるとは自由に生きることだ。
だが、この世の中で、自由に生きることは難しい。
そこで、フランスの作家モーリス・ルブラン(1864~1941)は、自由に生きる人間のモデルとして「怪盗」を考え、それを、アルセーヌ・ルパンという怪盗紳士としてデザインした。
ルパンの人気は爆発した。
なぜなら、ルパンこそ、辛い社会で生きる人間にとっての理想であるからだ。
日本で、モンキー・パンチ氏(1937~2019)の『ルパン三世』が歴史的なヒットになった理由も同じところにあると思う。
それこそ、日本には、昔から、鼠小僧や石川五右衛門といった怪盗というか、盗賊が人気があった。
また、小作のつもりが人気が出て長期連載となりアニメ化もされた、立川恵氏の『怪盗セイント・テール』という漫画も、主人公の美少女怪盗には異色の魅力があった。

ところで、これら人気怪盗達は、正義の味方でなければならない宿命がある。
怪盗だって食べるし、住居や衣服も必要だが、自分は、生産も、販売も、サービスもしないのだ。
だから、「せめて正義の味方」であることで、それらを得ている・・・しかも、贅沢に得ているのである。
だが、怪盗には、やっぱり負い目がある。
最初はヒットしなかったが、結局は名作であると認められた『ルパン三世 カリオストロの城』では、ルパンは、クラリスという素晴らしい美少女(宮崎駿監督の理想のタイプ)を、最大の精神力を使って振り捨てないといけなかったのは、やはり「怪盗も所詮、泥棒」だからである。
これは、元祖ルパンであるアルセーヌ・ルパンも、『緑の目の令嬢』で、オーレリーという美少女に対し、同じことをしている。
そして、『怪盗セイント・テール』では、セイント・テールこと羽丘芽美は、愛を得たら怪盗をやめている。

まず、怪盗は能力が高くないといけない。
それも、半端な能力では駄目で、超人的でなくてはならない。
つまり、「理想の自由人」である怪盗は、超人的な正義の味方であり、非現実的なフェアリー・テール(おとぎ話)でしかない。
我々凡人が、怪盗モデルを取り入れようとしたら、犯罪を避けたとしても、いずれ行き詰まる。つまり、無理がある。

かくて、ルブランの野望は砕かれた。
だが、ご安心を。
ルパンのように生きる方法はある。
どうすれば良いかというと、ルパンの欠点を除けば良い。
つまり、盗むことをやめる。
この「盗む」は、文字通りの意味だけでなく、不道徳なことでお金を稼ぐことも意味する。
どうするかというと、お金に関しては、Xにまかせることだ。
Xは定義出来ないが、宇宙エネルギー、神、潜在意識などと言われることがある。
そして、負い目のためではなく、胸を張るために、正しく、強くあることだ。

盗賊と武士は同じなのである。
武士は、いざ戦争という時のために、働かずに食べることが許された。
しかし、江戸時代、太平の世になり、戦争が無くなっても、働かずに食べることに、誠実な武士は負い目を感じていた。
そこで、武士は。せめて立派な人間になろうとした。
そんな誤魔化しをしていた武士は、ちっとも立派ではない。
だが、立派な武士もいた。
正しく、強い武士で、警察のような活動をしなくても、存在から発する波動が、世の中にプラスの影響を与えたのだ。

さあ、これで解った。
自由に生きるためには、真の意味で、正しく、そして、強くあれば良いのである。
真に正しく、強くなるためには、国家や学校で教えられた方法では駄目だ。それでは、奴隷頭にしかなれない。
それは、ビジネスマンでありながら、最も実績のある大統領になったドナルド・トランプに学べば良い。
彼自身は、ノーマン・ヴィンセント・ピールに学んだのであるから、そこから学べば効率的である。
そして、ピールの教えこそまさに、神の力を求めることであったのだ。








普通の人はかなり辛くなる

「普通の人」とは何だろう?
それは、国家が宣伝する思想と80%以上合致する価値観を持つ人間である。
一方、そんな「普通の人」と少なくとも同程度には道徳観を持ってはいるが、国家が推奨する価値観に強い違和感を感じている者を「アウトサイダー」と呼ぶ。
「アウトサイダー」のことを、精神的に病んだ人間のように捉えるイメージがあるとすれば、それは国家によって捏造されたものである。
アウトサイダーという言葉そのものは、単に、「部外者」とか「組織や集団の外の人」という意味である。
ここでは、「国家が作った価値観を信じる人々の集団」の外に居るという意味で、「アウトサイダー」と言うことにする。

これまでは、日本では「普通の人」になれば、一生、安楽に過ごせた。
動物園の動物や、家畜に例えれば分かり易いと思う。
一方、「アウトサイダー」とは、動物園や家畜小屋から逃げた動物や家畜であるから、自分で餌を得なければならない。
「アウトサイダー」は、嫌われる反面、格好良いところがあるので、動物園や家畜小屋で飼われている身分でありながら、「俺の本性は野生動物だ」と、「アウトサイダー」を気取る者はよくいるが、そんな偽「アウトサイダー」は非常に滑稽であることはご存じと思う。

ところが、世の中で、「普通の人」の待遇が、どんどん悪くなり、今後はもっと悪くなる。
悪くなるどころか、奴隷と変わらなくなる(現状程度で奴隷だと思ったら大間違いだ)。
では、「アウトサイダー」はどうなるかというと、これまでは、ある程度「必要悪」と見なされ、放置されてきたが、これからは抹殺される危険が高い。

そこで、大事なことは、自分が「普通の人」か、「アウトサイダー」かをはっきりさせないといけなくなることだ。
いや、問題になるのは、「アウトサイダー」でいたいと思いながら、楽だからと「普通の人」になっている人だ。
もう、「普通の人」も「アウトサイダー」と同じレベルの待遇になるので、それなら正直に「アウトサイダー」になった方が良い。
喩えて言えば、動物園で飼われている動物の餌が、どんどん悪く少なくなり、環境も悪くなり、暴力的に扱われるので、動物園の外でコソコソ生きている野生動物の方がマシかもしれないのだ。

言ってみれば、皆、「アウトサイダー」になれば良いが、それは、長く「普通の人」であった者には、ほとんど不可能だろう。
では、その気のある者だけ「アウトサイダー」になれば良い。
だが、コリン・ウィルソンが若い時に書いた世界的なロングセラーである『アウトサイダー』に登場するような、病的な「アウトサイダー」であってはならない。
ウィルソンも、健康な「アウトサイダー」については考えていたが、実現方法があまり分からなかった。
ただ、その鍵が「至高体験」であることは、だいたい分かっていた。
「至高体験」とは、簡単に言えば、悟りのようなものだ。
多くの人が誤解しているのは、悟りを開いたら、ずっと悟りの状態にいると思っていることだ。
そんな人間、狂人以外の何者でもない。
悟りは、一瞬、その状態になれば、普通の状態に戻っても、数時間から数日以上は、その人間に影響を与え、「強力になる」。
この「強力になる」を説明する適切な言葉は本当はないが、現象としては、「神の力を得た」とか「幸運に恵まれた」といったことになる。

瞬間の悟りを得るにはどうすれば良いかというと、言えることは、秘密の方法などというものはなく、誰でも簡単に出来るということだ。
例えば、「息を吸って止め、そして、ゆっくり吐く」だけでも良い。
これであれば、1日20~60分で1年くらいで出来るようになり、幸運になる。
これを、「そんな大変なこと出来ない。もっと楽で即効のあるものでないとやらない」と言うのは「普通の人」なので、別にやらなくて良い。
他にも、やり方は無限にある。
それこそ、好きなことを一生懸命やるなど、充実したことをやればいいだけだ。
要は、無我、忘我、没我になれば良いのである。
そのための方法は、調べれば沢山見つけるし、このブログでも散々書いてきたと思う。
ただし、悟りにつながる良いことは黙ってやるように。
普通の人には理解されず、いろんな意味で邪魔されることもあるし、権力者に見つかったら、まずいことになりかねない。








変な人、ズレた人の成功法

私は、中学、高校と、ずっと、ゲーテの詩集を持ち歩いていたが(キモいやつだw)、その中で、何を一番覚えているかというと、「最後は所詮、人格だ」といったことが書かれていたことだ。
多分、私は、それに同意していたのだろう。
では、人格とは何なのか?
人格に、松竹梅のランクがあるとして(笑)、松は想像もつかないし、竹は立派過ぎるとしても、普通の人は梅でなければならないのだろう。
では、梅(必要不可欠)の人格とは何だろう?
それを持っていなければ、成功どころか、社会生活に支障をきたしかねない。
おそらく、必要最低限の人格とは、
「誰とでも仲良くやっていけること」
だと思い至った。
つまり、相手が少々、おかしなヤツであっても、嫌わないことだ。
だが、こんなのは、当たり前のことである。
ところが、私は、それが全く駄目だったのである。
小さい子供がいる人は、成績とかお稽古事も、もちろん大事だが、何よりも、誰とでも仲良くやっていける子・・・嫌いだと思う相手とも折り合いの付けられる程度には賢い子になるよう、気をつけてあげて欲しいと思う。

最近は、コロナのために、あまり見ることが出来ないかもしれないが、もし、幼稚園や小学校のグラウンドに大勢の子供達がいて、彼らが自由に振る舞う様子を見ることが出来たら、必ず、1人でぽつんとしている子が居ると思う。
今も昔も変わらず、20~30人に1人といったところで、もっと多い場合もあるかもしれない。
1人でぽつんとして、動かない。どこか異様と思う。
そんな子の将来は、憂うべきものだ。
アニメであれば、そんな子が女の子だと、都合良くエラい美少女で(笑)、ドラマが展開されていい感じになるが、実際はそうはならない。
それならまだ、嫌われつつ、他の子に向かっていく子の方がずっとマシだ。

何度も取り上げたが、著名な教育学者の七田眞氏の本『奇跡の超「右脳」開運法』という本の中に、あるホームレスの男の話がある。
その男が、やはり七田氏の本で知ったのだが、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けたら、しばらく(2週間程度か)したら、頭の中に数字が浮かび、その数字の通りに宝くじ(ロト6)を買ったら、一億円が当たった。
その後、再度やったら、また一億円当たった。
この話は、絶対に事実であるらしい。
しかし、思うのだ。
このホームレスの男は、人格に問題があるのでホームレスだったのだ。
そしてねえ、そんなやり方を教える七田氏も、失礼ながら、どこか人格に問題があるのだと推測するのである。
多少でも、他人と仲良くやっていける者はホームレスにならないし、人格的欠陥がなければ、もっとまともなやり方を教えるものだ。
実際、七田氏は、誰からも称賛されるというよりは、かなり胡散臭く思われているし、私は七田氏と関りのあった人を知っているが、たまたまかもしれないが、優れたところもある反面、問題の多い人だった。
だが、七田氏は、自分と同じような、欠陥の大きな人に、救いの手を差し伸べることが出来たのだから、やはり立派な人である。
そんな訳で、人間的な欠点が大きい者は、少々、無茶で変な方法を使う必要があるかもしれない。
だが、それは蛇の道である。
「神様の奇跡が起こる」と唱えるなら、本当に1日中唱えないといけない。
引き寄せの本を読むなら、暗記するまで読み込まないといけない。
まともな人間なら、そもそも、そんなことをする必要はない。
しかし、まともでない人間が増えている。
一生、そんなことをやって駄目かもしれないが、それで元々と思わなくてはならない。
幸運を祈る。
お元気で・・・って、変な人は、自分に言わなければならない。
でないと、生きていられないので。








『サンドリヨン(シンデレラ)』を読めば幸せになれる

ひょっとしたら、ご存じの方がいるかもしれないが、私は駄目な人間に非常に強い興味がある。
「なぜ、ここまで駄目なんだろう」と驚嘆するくらい駄目なやつだ。
そんな者が、日の目を見ることがあるのだろうか?
そうあって欲しいと強く願う。
まあ、私ほど駄目なやつはいないからだが(笑)。

しかし、『サンドリヨン(シンデレラ。灰かぶり)』を読むと、私くらい駄目でも、それなりに良い思いが出来るようになる。
そんなの、読んだことくらいあるって?
いや、問題なのは、熱心に読んだかどうかだ。
私はいまだ、これを、涙なくしては読めない。
長い間、蹂躙され続けた少女が大逆転するのだ。
これほど良いお話があろうか?

『サンドリヨン』は、ペロー版とグリム版がよく知られているが、多くの日本人が知っている、かぼちゃの馬車と、ネズミが変身した馬、そして、ガラスの靴はペロー版の方にだけある話だ。
グリム版では、初版では、不意に馬車が現れるが、サンドリヨンが歩いてお城に行くお話もある。それに、グリム版では、サンドリヨンの靴は、1日目が銀で、2日目が金だ。
しかし、もっと重要な違いがある。
共に、サンドリヨンは幼い時に母親を亡くしている。
しかし、ペロー版では、サンドリヨンは、仙女(仙人の女性)に育てられたが、グリム版ではそれがない。

私は、ペロー版、グリム版、両方好きだが、少し、ペロー版が好きだ。
その理由は、次のようなことがある。
サンドリヨンが、自分を虐待した義姉達を許したばかりか、王子様と結婚して得た絶大な権力で姉達を幸福にするのはペロー版だけで、グリム版では、義姉達は、悪業の報いを受け、かなり悲惨なことになる。
特に、グリムは陰険なのか、自分が創作を加えた方は、義姉達を徹底的に不幸にする。そこまでやるかって感じだ(笑)。
そういえば、アンデルセンがグリムを訪ねた時、グリムはあまり良い対応をしなかったことを思い出す。
性格が悪いのかなあ(笑。実際悪かったという話もあるが、本当のことは分からない)。

さて、ペローの『サンドリヨン』の教訓は、女性は、心の優しさが何より大切だということになっている。
サンドリヨンは、義姉達を恨んではいなかった。
普段、自分をいじめている義姉達が舞踏会に行く時には、義姉達が綺麗になるよう、精いっぱい努力した。
そして、その素晴らしい性質を授けたのが、亡くなった母親の代わりにサンドリヨンを育てた仙女だった。
『サンドリヨン』のお話の最後にも、この仙女のように育ててくれる人がいることの大切さが書かれているものもある。
この仙女のような存在がいなかった者こそ、『サンドリヨン』を真面目に読むべきなのだ。
また、誰にも履けない小さなガラスの靴を、サンドリヨンだけが軽く履くことが出来たのだが、実は、足の大きさが、傲慢さや自惚れを表しているのである。
サンドリヨンは慎み深い、自我の薄い少女だった。
だから、王子様が自分に付きっ切りになっても、狂喜したり、自慢することもなかった。
それもまた、魔法発動の条件なのである。
『サンドリヨン』は、まさに、魔法の奥義書である。魔法とは、現代で言えば引き寄せである。

私は、ディズニーの、どう見てもオバさんのサンドリヨン(シンデレラ)が好きになれない。
あれはきっと、悪い宇宙人が、地球の子供達を洗脳するために作ったキャラだと思う(※あくまで私の主観だが)。
私が大好きな、天才イラストレーター・画家である、フランスのギュスターヴ・ドレが、サンドリヨンが小さな靴を履く場面のイラスト(版画)がある。
◆小さな靴を履くサンドリヨン ~Wikipedia「シンデレラ」より~
現代の萌え萌えの美少女画のようではないが、サンドリヨンが痩せていて、足が小さく、慎み深さがよく表れていると思う。

尚、日本でも、優しい心を持っているが不遇な境遇にある少女のお話としては、『落窪物語』や、中将姫の物語がある。
私が『落窪物語』で泣けたのは、「落窪(おちくぼ)姫」と蔑まれている、身なりは粗末だが美しい姫を見て、若くて格好良い貴族の青年がつい押し倒し、姫は泣くが、泣いた理由というのが、着ているものがみすぼらしくて惨めだったから・・・というところだ。まあ、育った境遇による独特の感覚とは思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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