ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

芸術・哲学・神秘思想

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幸運は悲しみの後に

去年も今年も、競争では負けながら、私が初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」のSS席のチケットが取れたのは、運というものかもしれない。
この2回だけなら、たまたまと思われるかもしれないが、私はいつもこうなのである。

『マスターの教え』という本で、ある男が、神秘的な人物であるマスターが乗る船のチケットを取ろうとしたが、既に満室で、がっかりして帰ろうとしたら、「キャンセルが出たので、あなたは乗れます」と呼び止められる話がある。彼が後でマスターに尋ねたら、マスターが彼のために「空きを作った」ことを認める。
さらに、彼の友人が、自分もマスターに会おうと、手がかりを掴み、友人達と車で遠い地に行き、何日も懸命に探すが、マスターに会えず、がっかりしていると、「私をお探しか?」とマスターが現れる。

私も彼等も、「がっかり」した後で幸運が訪れる。
他にも、私は昔、不況のため、若くして追い出し部屋のような部署に送られ、がっかりしていたが、不思議なことに、ほとんど何もせずに条件の良い職場に移ることが出来、一方、元の職場は潰れた。

スティーブ・ジョブズが、「運命なんて、どうなるか分からないが、我々は信じるしかないんだ」と言ったのが、非常に印象に残っている。
信じるしかないが、信じれば裏切られることはない。
とはいえ、私は、「ミクさんのコンサートのチケットが取れる」とか、「新しい職場に導かれる」と念じ続けた訳ではない。
ジョブズだって、大学をやめ、ほとんど食べられず、将来の展望もない中で、「俺は成功するぞ」とか思っていたのではないだろう。やっぱり、がっかりしていたはずなのだ。

がっかりした時の気の持ちようと言うものが大切なのだと思う。
アントニオ猪木さんが、以前よく、「開き直り」の効用を説いておられたのも、そのことだと思うのだ。
「駄目なら仕方ない」と開き直った時に、駄目でなくなるのである。
もちろん、最初から開き直るのではない。
いったん、がっかりする・・・打ちのめされることが必要なのだろう。
打ちのめされるかどうかはともかく、「どうなるか分からない」という不安な状況にある時に、落ち着けるかどうかだ。
諦めているとも言えるが、まだ息はある・・・そんな微妙なものが勝負を分ける。
1953年の『宇宙戦争』という映画もそうで、火星人の圧倒的な力の前に、なす術もなく侵略されていく中で、人々は教会で祈り続ける。
積極的な、期待に満ちた祈りではないかもしれない。しかし、完全に諦めた訳ではない。
そして、奇跡の勝利が訪れる。

幸運の秘訣は、テクニックなんかじゃなく、感覚なのだろう。
エフゲニア・メドベージェワが、エキジビションの始めの部分で、『美少女戦士セーラームーン』の原作者の武内直子さん作詞の『セーラースターソング』を使ったが、テレビ放送の時は省かれていた、この歌の冒頭部分「かなしみがいま セーラースマイル 奇跡をおこすの セーラーウイング」が、とても大切なのだと思う。
悲しみが奇跡を起こすという感覚を掴むのは、難しいようで難しくはない。









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願い叶う

昨日、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」の、宿泊プランの申込受付が正午12:00から開始された。
大人げないが、12時15分前に、キーボード付Windowsタブレットで申込ページを開き、12時ピッタリに、まずはページの再読込をして、申込ボタンをクリックした。
すぐには申込が有効にならなかったが、2~3度再読込と申込ボタンクリックを繰り返し、申込入力ページに進めた。
大人げないが、必要事項は既にテキストエディタに入力済みで、コピペするだけで良いようにしておいた。
だが、「次に進む」での画面移動で随分待たされる。申込が殺到しているのかもしれない。
12時5分になる前に、申込確定ボタンをクリックしたが、無情な「定員オーバー」の赤い文字が表示された。
別の日程、別のホテルで再度申込もうとしたが、会場の幕張メッセに歩いていけるホテルは全て受付終了・・・。
ミクさん人気、恐るべし!!
やっぱりミクさんだ、私の人生は終わった・・・
午後からは会議だが、もうどうでも良い。私は死んだのだ。

だが、会議まで20分というところで、何気にスマートフォンで申込ページを見たら、あり得ないことに、元々の希望日程の「幕張メッセに歩いて行けるホテル」「一人用」の1つが「受付中」になっていた。誰かキャンセルしたのだろうと思う。
慌てず、ゆっくり申込作業をし、心静かに申込確定ボタンをクリックしたら、無事、申込完了した。
これで、ありがたいことに、SS席を確保出来た。
その後も気になって、申込サイトを何度も見たが、私の希望条件のものは、やはり「受付終了」だった。
幕張メッセからやや離れたホテルなら、あるいは、歩いていけるホテルでも2人組、3人組なら、日程によっては、現時点では申込可能なものが残っているようだ。

昨年も、キャンセルが出て、申込出来たのだった。
今年も、ルームサービスがあるホテルニューオータニが希望だったが、考えてみれば、私は夕食は、ビスケットとワインで満足なので、どこかで買って持って行こう。
どうせ気分が高揚して、それ以上は食べられないだろうから。
昨年は、夜公演と昼公演の順で連続観劇したが、共に、ケーキを食べて行った。別に、パンがなかったからではない(笑)。
2時間、フィーバーするのに必要なエネルギー源の炭水化物さえあれば良いからだ。まあ、それも不要と言えば不要だが、甘いものは好きだからね。

昨年は、格好良いと思い、濃いグレーのTシャツで行ったが、ミクさんのコンサートでは、明るい色のシャツが良いかもしれない。
黄色か明るい青か、あるいは、白。似合う方はピンクとか。
バンドの方々が黒っぽい服なのは、目立って、観客の注意が向かないようにするためだろうが、我々は会場を華やかにした方が良いと思った。
私は、今年は白にしようと思う。
下は、昨年、隣の可愛い女の子も私も黒のスリムなパンツで、特に女性はそんな人が多かったように思う。
ああ、女性はお洒落なので、上が黒でも十分華やかな人ばかりだったと思う。

マジカルミライのお客さんはみんなマナーが飛び切り良いので、そのあたり、私も十分に気をつけようと思う。
食を慎み、トレーニングに励み、引き締まったボディで観劇しようと思う。
今年は、コンサートまでに、私は大変化があるような気がする。
これも、ミクさんのお導きである。









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神様になるしかなくなった人

ドワンゴの川上量生会長の本で読んだが、『ヱヴァンゲリオン』シリーズのヒロイン、レイとアスカは、昔は、圧倒的にレイの人気が高かったが、今は、アスカが逆転していて、その理由は、以前のレイは謎の存在で神秘性があったが、今は、正体が分かってしまったので神秘性が薄れ、そうなれば、親しみ易いアスカの方が好まれる・・・といったようなことが書かれていた。
そうなのかもしれないが、それではいけないなあと私は思う。
どういうことかというと、ここまで大きな作品になってしまえば、公式の設定やストーリーは、もうどうでも良いのではと思う。
公式のお話ではレイが何者であろうが、「俺にとってのレイは全く謎」と思えば、それで神秘なのである。
いや、クラスのあの子だって、どれほど彼女のことを知ろうが、全然謎じゃないか?ましてや、アニメの、ファンタジーの、フェアリーテールの存在なら尚更だ。

私は、レイもアスカも、さほど好きではないが、この2人ならレイが好きだ。
その理由は、アスカにしろ、ミサトにしろ、あるいは、委員長にしろ、「やかましい」からだ。
その点、レイは静かである。だから、レイは良い。それだけだ。
『涼宮ハルヒ』シリーズのヒロイン、ハルヒ、有希、みくるでは、やかましいハルヒは、自分の彼女としては問題外で、静かな有希が良いが、みくるも大人しいので悪くはない。
『物語』シリーズのヒロイン、戦場ヶ原ひたぎ、羽川翼、神原駿河、八九寺真宵、千石撫子では、比較するまでもなく、千石撫子で決まりである。他はやっぱり、私には煩さ過ぎる。

神秘性と言うなら、静かなことが神秘なのだと思う。
静かであるというのは、自我が前に出ていないということだからだ。
男でも、女でも、自我が自己主張し過ぎるほど醜いものはない。

ところで、あらゆるヒロインの中でも、最も大人しい千石撫子(せんごくなでこ)が、『囮物語(おとりものがたり)』で、キレてしまう。
それで、担任教師を、「馬鹿」「ボケ」と罵倒しまくる。
普段、大人しいからというのもあるが、教師は引いてしまって一言も言い返せなかったのだから、今は少しはいい時代なのかと思ったが、そうではない。
なぜなら、その後、撫子は、中学生としても、さらに、人生も終わってしまったと断定したからだ。
もちろん、「馬鹿」とか「ボケ」なんて言葉は、使いたくても、よほどのことがない限り使うべきではないだろう。
しかし、使うべき、本当に「よほどの時」は使うしかない。
撫子の担任教師の場合は、その本当の「よほどの時」に相当したので、私からすれば、撫子に正当性がある。
それで通用しないのなら、やはり、今の学校も、存在意義はないのだろう。
いや、実は私、小学2年生の時、撫子並に担任教師にキレ、小学生としても、人生も終わってしまったからだ。
しかし、私のような、おとなしい、真面目な小学2年生が完全にキレたのだから、やはり「よほどのこと」だったのだし、担任も「よほどのヤツ」だったのだろう。
そして、冷静に振り返っても、教師というのは、「よほどのヤツ」が多い、あるいは、「よほどのヤツ」になってしまう可能性が高いのだろう。
それは、私が言うまでもないことだろう。
多くの場合は、それでもなんとかやり過ごせるだろうし、思想家の吉本隆明氏が言ったように、世間にはもっとひどいヤツだっているのだから、センセイを反面教師として鍛えるべきというのも分かるが、はてさて、私は世の中のヤクザな存在だって一杯見てきたが、教師以下ってのは、あまりいなかったように思う。
なぜ教師がそうなるかというと、生徒に対して自我を主張出来るからでる。
それが分かっているから、レイ、有希、撫子が好ましいと思うのかもしれない。

ところで、撫子って、つくづく私と同じで、他人に共感しないサイコパスの私が、撫子にだけはそんなもの(共感もどき)を感じる。
特に可愛いところが・・・というのは冗談として、完全とは言わないが、世の中が生き難いあなたもそうではないかなあ。
ここはひとつ、撫子のように神様になるしかないだろう。
撫子の神様振りは良くなかったかもしれないが、それは、単に、慣れていなかったからだ。
あなたは上手くやるように。
神様はあなたの中にいるのだからね。そして、自我は神様を崇めなければならない。









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物語性のある生き方をしているか

変わらない繰り返しの日々を淡々と生きるのが尊いと言う話がある。
一方、人生は冒険だ、激しく生きなければならない・・・なんて言う人もいる。
さて、どっちが正しいのか?
気取るつもりはないが、どっちでもない。
いや、そんなの、どうでも良いことなのだ。

肝心なことは、それが物語であるかどうかだ。
自分の心と、大きな心が共同で作っている物語であれば、客観的にどうであろうと、満足度に違いはない。
そして、物語性のない生き方をしていると、物語になるよう、大きな心が事件を起こす。
病気になったり、事故に遭ったり、トラブルが起こったりね。
人生ってやつは、物語でなくちゃならない。

よくあるのが、成功するまでの物語は作ったのに、成功した後で、物語を作るのをやめちゃった結果・・・マズいことが次々起こるってやつだ。
「お金もいっぱい出来たので、プチ引退して、残りの人生は遊んで暮そう」なんて思ったら、間違いなく、ヤバいことが起こるんだなあ。

日常に揺らぎを起こすことだ。
安定が一番良くない、いや、恐い。
馬鹿なことを始めることだ。
自分がそれをやれば、大きな心(潜在意識、無意識、神、仏)が支えてくれる。
物語性のない成功に何の意味もない。
まあ、楽しくやろうぜってことだ。









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意識と無意識のパートナーシップ

人間には、意識(自我意識)の他に、無意識とか潜在意識という、自覚出来ない深い心があるらしい。
深層心理学とか精神分析学といった、いろんな学問間で用語が統一されていないので、無意識と言ったり、潜在意識と言ったりするのだと思う。
そして、無意識と呼ぶ学問と、潜在意識と呼ぶ学問では、それらの意味もまた異なるのだろうが、そういった学問上の意味が正しいとは限らず、我々は、無意識も潜在意識も同じと考えて良いだろう。
よって、以降、無意識で統一する。
無意識は、意識よりはるかに大きく、意識が10%で無意識が90%とか、いやいや、1%と99%だなんて言う人もいるが、本当は、そんなもの計量しようがない。

そして、知るべきことは、無意識の中には強大な力があることだが、その力の正確なことは分からないし、実際は、僅かなことしか分かっていないのかもしれない。
心理療法では、それに必要な無意識の知識は、いくらか持っているのだろうが、心理療法が、それほどうまくいくわけでもないのだから、少なくとも、無意識やその力について、まだまだ分からないことが多いと言って良いのだろう。

無意識の深さは、どれほどのものか見当もつかないし、ユングは、その奥は、人類全体でつながっていると言う。
その本当の力も底知れず、無意識、あるいは、無意識の深層こそが神なのかもしれない。
今の時代、神とか仏を信じない、あるいは、信じないわけではないが、宗教的な神や仏に抵抗を持つ者は多いだろう。
実を言うと私もだ。
だが、神や仏が存在するかどうかはともかく、無意識は確実に存在し、それが計り知れない大きな力を持つのであるから、神や仏を無意識と呼びかえることも出来るだろう。

無意識の力を使えば、欲しいものを得たり、病気を治したり、自分の存在の在り様を変えることも出来る。
ただ、重要なことは、あらゆることは、意識と無意識の共同作業だということだ。
ともすれば、意識は全く重要ではなく、無意識にまかせれば良いと言う人もいる。
実際に大きな力をふるうのは無意識だとしても、意識の役割だって極めて重要なのである。
意識が「しゃんとしていない」と駄目だという言い方でも悪くないだろう。
仏典の中に、竹林が大火事になった時、一羽のオウムが身体を池の水で濡らし、火の上で羽ばたいて火を消そうとする話がある。
その程度の水で火が消えるはずがないが、「棲家を与えてくれた森への報恩のため」「何度生まれ変わってもやり抜く」というオウムの心を認めた神が、オウムと協力して火を消す。
神に火を消す力があったとしても、オウムの心が必要だったのである。

いかに無意識の力が強大でも、意識が甘ったれていたり、うじうじしていたり、根暗だったり、厭世的だったり、後ろめたかったり・・・早い話が、弱ければ、何も出来ないのである。
我々は、何が何でも、意識である心を鍛え上げなければならない。
初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』という歌にあるように、「顔上げて微笑めば 笑顔取り戻す魔法になる 」のだが、苦しい時に、顔を上げ微笑むには、そして、それを続けるには心の力が必要だ。
ところが、その力を得るには、苦しい時に、意識的に、顔を上げて微笑まなければならない。
早い話が、苦しい状況がなければならないのである。
それを試練と言う。
必要なのは、苦に苦を求める意識である。









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