ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

社会・教育

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

楽なことの丁寧な繰り返しで勝てる

あらゆることは繰り返せば上手くいく。
この世界は、そうなっており、何ともシンプルだ。
それに気付いた者が人生を全うし、若いうちに気付けば成功する。
だが、若いうちに気付く者は滅多にいない。

ほとんどのベテランのプロスポーツ選手は身体のあちこちに故障を抱えていて、深刻な障害を持っている者も珍しくない。
いや、アマチュアの普通の選手だって、あまり健康でないものだ。
そんなスポーツ選手がやってるトレーニングを真似れば、やっぱり身体は壊れる。
私も、基本的なトレーニングである、腕立て伏せやスクワット、腹筋運動を長年やったところ、腕の痛みや痺れ、腰痛、背骨痛、ふくらはぎの痛みやアキレス腱炎と、どれもかなりひどいものになった。
だが、腕立て伏せは数センチ曲げるだけで百回、スクワットも数センチ曲げるだけを千回を1ヶ月もやれば、それらは全て消えた。
こんな良い運動、ほとんどの人がやったことがないし、やらないだろう。
要は、どんな運動でも良いが「楽な運動をきちんとした姿勢で数百回」である。
例えば、腕立て伏せであれば、壁に、真っ直ぐに伸ばした腕の手のひらを突いた位置から数センチ壁に近寄り、腕を曲げながら、真っ直ぐにした身体を壁に向かってゆっくり倒し、腕を伸ばして身体を元に戻す・・・これを数百回やれば良い。ほとんど疲れないはずだ。
変な器具など一切要らない。
そんな楽な運動を、出来るだけ決まった時間に、毎日欠かさず行えば、健康になり、実用的な範囲で強くなり、それぞれの運動の回数が多ければ、かなりの能力を持てるはずだ。
マッチョになったり極端な細身になる訳ではないが、自然に美しい身体になれる。
そもそも、個人的には、筋肉が付きまくったいわゆるバキバキの身体なんて気持ち悪いだけなのだが。
女性の身体だって、初音ミクさんのように普通にすらりとしているのが一番美しいと思う(ミクさんは決してモデル体形ではない)。

勉強だって、無理して詰め込んだってうまくいかず、繰り返していれば、自然に分かるようになるし、覚えられる。
強引に理解しようとしたり、覚え込もうとすれば、誤解したり、応用がきかないものだ。
それなら、何度もやってみようと思う興味のあることでなければ、ちゃんと学べないし、知恵にならない。
成績のためとか、将来沢山金を稼ぐために勉強するようなことで、本当に賢くなったりはしない。

高藤聡一郎さんの気功というか仙道の本に、こんな話がある。
実は、私は、その話を信じている訳ではないが、学ぶべき点があると思うのだ。
韓国のある僧が、五寸釘を堅い樫の木に指で楽々押し込む凄い怪力を持っていたが、その僧は、筋トレや武術や仙道の修行はしたことがない。
ただ、想像の中で、大岩を持ち上げたり、大地に生えている大木を引き抜いたりを繰り返しているうちに、そんな力が身についてしまった。
ここで肝心なことは、そんな想像を毎日それなりの時間、長期間に渡ってやったことだ。
一回一回は楽なことを、何千回と繰り返した成果なのである。
本当に大岩を持ち上げたりなどが出来るようになるかどうかは分からないが、そんなやり方を続けて何も出来ない訳ではないだろう。

イチローのトレーニングについて、こんな言葉を見たことがある。
「イチローのストレッチはいつまでも続く」
それは、一度のストレッチに関しても、期間に関してもだろう。
何事に限らず、成就のコツは、楽なことをきちんと延々繰り返すことである。









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心配事多い人達へ

『西遊記』の三蔵法師(さんぞうほうし)のモデルは、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)という、多くの有名な経典を漢訳した高名な僧侶だ。
『般若心経』の代表的な訳も三蔵のものだ。
実在の三蔵は、仏教経典を求めて中国からインドに行ったのである。山路でチベットを越えてインドに行くのは危険だと言われているが、本当に半端なく危険であるようだ。
それは専門の登山家でも困難で、三蔵のような登山の素人が無事たどり着くのは奇跡かもしれない。
私は、マード・マクドナルド・ベインの『解脱の真理』(霞ヶ関書房)を読み、もし、これに書かれていることが本当ならだが、これでチベットの山路の恐ろしさを感じたものだ。
一難去ってまた一難・・・いや、一難が終わらないうちに難が群をなして襲って来る感じだ。

ところで、伝説によれば、玄奘は、インドに向かおうとした時、インドから来た僧が病気で倒れているのに出会った。
先を急ぐ玄奘ではあったが、見捨ててはおけず、献身的に介護し、インドの僧は無事回復する。
すると、インドの僧は玄奘に般若心経の呪文を教え、この呪文を唱えれば難が去ると言う。
まあ、病気で寝込んでいた層が言っても説得力がないと取るか、玄奘のような慈悲深い人間に出会って介護してもらえたから本当だと取るかは自由だ。
玄奘は信じ、その呪文「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」を唱え、危険な山道、雪崩、野獣、盗賊などの難を次々切り抜け、無事にインドに到着する。
すると、そこに、あの病気だったインドの僧がいた。
驚く三蔵に、インドの僧は「私は、アヴァローキテーシュヴァラー(観自在菩薩:観世音菩薩)である」と言って消える。

般若心経の呪文そのものに力があるかどうかは私には解らないが、呪文を唱えることで、余計なことを考えないことだけでも偉大な効果があることは間違いない。
だから、お気に入りの呪文や念仏を持っているのは良いことで、最も効果的な唱え方を知っておくと、さらに良いだろう。
仏教では「幕妄想(まくもうそう)」、つまり「妄想をするな」と言い、妄想でしかないことを考えることは、不幸不運を呼ぶ愚かなことで、現代的に言っても、妄想は「コスパが悪い」ことは確実であると思う。つまり、どう考えても、否定的な妄想はするだけ損だ。
イエスも「汝、思い煩うことなかれ」と同様のことを言っていた。
ではそうすれば・・・と言えば、イスエの場合は「神を信用して安心しろ」と言ったのだと思うし、釈迦も、似たことを教えたかもしれない。
だが、伝統的に、仏教では、ヒンズー教の伝統を取り入れた部分もあるだろうが、神の名を唱えることが奨められ、仏教では念仏という形になっているのだと思う。

個人的には好きな人ではなかったが、船井幸雄氏が経営コンサルタントとして超一流であったことは間違いない。その彼が教えた経営のコツは一言で言えば「心配しない」ことなのだと思う。
イエスもきっと、良い経営コンサルタントになれたことだろう。
私も、経験上、心配をし過ぎた時には拙い結果になり、逆に、心配をやめてしまうと、それなりにうまくいくのだと解る。
あまりに極楽トンボなのはいけないが、そのさじ加減に関しては、スーフィーの格言、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
にうまく表現されている。
そして、神の名や念仏や、あるいは、肯定的な言葉を丁寧に唱えれば、そのような心構えにもなれるだろう。
念仏、呪文の効果を知らないために、多くの人が大変な苦労をしているし、失業して落胆したり、ニートは未来に絶望する。
アメリカの海軍特殊部隊ネイビー・シールズの世界一過酷な入隊テストに耐える若者達が、頭の中で肯定的な言葉を唱えているという研究報告もあるくらいだ。
ただ、例外もある。
一流の将棋棋士は対局中、頭の中に言葉がなく、特殊なイメージが自動的に流れるそうだ。
だが、念仏や呪文を長年続けると、ふとそのような状態になることがある。
いずれにしろ、余計なことを考えないことが大切であるようだ。









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最上の真言

宗教は、謙虚さと敬いがあれば良いものになるが、傲慢と蔑みがあるとロクなものにならない。
あるいは、本来の宗教は、謙虚さと敬いを育てるものだが、傲慢と蔑みの心を育てる宗教が多くなってしまった。
いや、芸術や科学も、本来、学べば学ぶほど、謙虚で敬いの心を持つようになるはずだが、学位が上がるにつれて傲慢と蔑みの心を持つ愚か者が多いのだろう。
何かが間違っているのである。
その何かとは、命の誤用で、早い話が、利益優先でやれば、必ずそうなる。

だから、無条件で、芸術や科学や宗教を良いものと思っている人は少ない、もしくは、まずいない。
本来、念仏や神の名の称名を行えば、自然、良い人生になるものだが、そういった「宗教臭い」行いに抵抗を感じてしまうことが多い。
私も、夜、寝ながら念仏を唱えることが楽しみで仕方がなかったこともあったが、いろんな法事でお坊様の口上を聴くと、途端に念仏嫌いになるのはなぜだろう?(笑)
あるいは、宗教家が書い宗教の本などを読むと、もう全然、念仏を唱える気がしなくなる。あるいは、経典を読む気もなくなる。
『歎異抄』は少しも宗教臭くないので好きだが、これも、宗教家が解説したものを読んだら、嫌いになる可能性が高い・・・いや、嫌いになったことがある。

発明家で能力開発のスペシャリストであった中山正和さんのように、般若心経の呪文を、単に妄想を切る手段として使う手もありとしたように、念仏や神の名も使えるかというと、使えない。それらは、観念や感情の雑味を呼び起こすからである。
そこで、ラジカル(主に政治用語の急進性の意味。化学用語のフリーラジカルだと印象が悪い)という訳ではないが、精神に良い作用を与える言葉として、「神」「私」があるということを知っていると役に立つかもしれない。
「なんとかの神」と言うと宗教であるが、「神」と言うと、これも人それぞれだが、「宇宙の意思」に近い意味に感じられる。
宇宙の意思は、無人格という訳ではないが、人間の人格とは差があり過ぎるので、人格がないように感じるのである。
つまり、神が各国の神話に出てくるような程度の低い心を持っている訳がないではないかとうことだ。
宇宙に何らかの意思があることは、何となく、あるいは、微かに感じるのである。
それも感じないと断言する者が、スティーブン・ホーキングやレイ・カーツワイルのような無神論者になるように思う。
カーツワイルは「神は存在しない。しかし、やがて生まれる」と言う。つまり、未来の進化した人間が神なのである。
不遜の極みと思うかもしれないが、それはそれでアリである。
もし、彼らほど徹底してはおらず、神を畏れる気持ちがあるなら、丁寧に「神」という言葉を声、あるいは、心で唱えれば、その威力に驚くことになる。
だが、「神」を呪文にしてはいけない。
一時に一度、真摯に唱えるのである。
呪文というか真言にしたければ「私」を使うことが奨められるかもしれない。
ラマナ・マハルシは、ラーマやクリシュナの名を唱えるように、「私」と唱えても良いと言っていたようだ。
「私」こそが神の名であるのだ。
だから、最上の真言は「私」であり、インドで聖音と言われる「オーム」に優るものであるとも言う。

「神」と一度だけ、出来る限り丁寧に唱え、後はずっと「私」と唱えるという方法である。
ただ、「私」もやはり丁寧に唱えるに越したことはなく、私流には、心の中で微かな声で唱えるのだが、難しければ、呼吸を微かにして心で唱えると良い。
これだけ覚えておけば、まず・・・いや、全く心配はないだろう。









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「ミ」の音に関する随想

今回は出所は省くが、マ行の音「マミムメモ」が心身に良い影響を及ぼし、特に、「ミ」の音は特別であるということに、何か深い意味があると思う。
まず、「ミ」は、美である。
女性の名で「ミ」と読むところは、「美」であることが多い。美由紀、美恵、美樹などだ。
「ミ」というカタカナは3本の線から成るが、それは漢字の「三」も同じで、これは、カタカナの「ニ」と漢字の「二」も同じだが、アリストテレスが、
「2は両方とは言うが全てとは言わない。3で初めて全てと言う」
と言ったように、3は完全数で、キリスト教では「三位一体」として、3という数字は重んじられているが、キリスト教以前のアリストテレスの時代から、3は神秘数として特別視されていたのである。

日本では、「ミ」は、3という数字であることよりも、むしろ、その音が重んじられている。
それで、造化の三神は、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
と、全て、2度「ミ」の音が入ってる。

存在が立証された訳ではないが、日本の古代文明(超科学文明と言われることもある)のカタカムナでは、丸い形を「ミクマリ」と言い、古事記にも水分神(みくまりのかみ)が存在する。
とある神社には「ミクマリ姫」という名の神が祭られているという話もある。
マ行の音が国を越えて精神に良い影響を与えているという科学的根拠について書かれたものもある。
日本以外でも、「ミ」が特別な音になるのかどうかは情報がないので分からないが、自分をMeと言ったり、女性名にやはりミ音が含まれるものが多いように思える。

日本で、咄嗟の時などに、「神様仏様」とか「神様」はよく言うが「仏様」とはあまり言わない。
仏様の場合は、「阿弥陀様」「弥勒様」など、具体的な名を言うことが多い。
やはり、共に「ミ」の音が入るが、特に、「阿弥陀」が最もよく知られるようになったのには、「ミ」の音の影響もあると思われるのである。

上記の文だけで言うと、やや大雑把でいい加減という印象もあるかもしれないが、長年探求していると、「ミ」の音の威力、高貴さには、よく思い当たることがあるのである。
呼吸を微かにして、「ミ」の音を含む高貴な名を想えば、たちまち高次元に誘われる。
呼吸を微かにして唱えた言葉は、心の中で精妙な響きになるからである。
それが「ミ」の音であれば、宇宙全体に通じるほどである。
日本の戦後の復興の不思議なほどの早さと、国宝一号の彫刻が弥勒菩薩であったことに関係があったとも思えるのである。









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天が本当に助ける者はどんな者か

今でもいるのだと思うが、自動車やバイクのマフラー(排気音を低減する装置)に手を加えることで、大きな音を出して走る者がいるが、なぜ、そんなことをするのかと言うと、自己承認欲求・・・つまり、他人から認められたいという欲求のためである。
そんな馬鹿げたことで認められたいと思う理由は2つ。

(1)能力で人に優るものが何もないので、そんなことで自己主張するしかない。
(2)自分では人に優るものを持っていると妄想しているが、所詮妄想なので本当の自信がなく、単純で分かり易いことで自己主張したい。

こうに言って良いだろう。
哀れな話であるが、愚かな人間の特徴は、この2つを原因とする「騒がしさ」であり、騒がしい人間は、この2つを重く抱えた惨めな人間である。
例えば、「道路族」と呼ばれる、主に住宅地の道路で、子供と一緒になってボール遊びなどをして近隣に迷惑をかけている大人がいるが、なぜ道路族が迷惑なのかというと、異常に煩(うるさ)いからであり、実は、彼らは、上記の2つの理由で、わざと騒音を立てて騒いでいるのである。
迷惑になるほど騒ぐことで「俺って偉い」と思いたい・・・そんなことで「俺って偉い」と思わないと、自分が無価値に思えてしまうし、実際に無価値なのである。
だから、道路族に、騒ぐのをやめるよう注意すると、必ず猛烈な反発に遭う。
彼らは、それが、自分に値打ちがあることを実感出来る、ほとんど唯一のことなのだからだ。
尚、子供だけで騒ぐ道路族もいるらしいが、本当の問題は、その子供の親である。
親が、そんな下らないことでしか自己主張出来ず、いつも子供の前でそうやっているから、子供が真似しているのである。さらに、そんな劣等感の塊の親は、子供が注意されたら、自分の価値が貶められたと感じ、猛然と反発するのである。なんとも始末に負えない。

昔から、電車の中で、大股を広げたり、脚を伸ばして座席に座って迷惑をかける男は沢山いるが、最近、特に増えてきた。
その理由も、まさに上記の2つで、やはり、そんなことでしか自己主張出来ないのである。
「よくここまでだらしない座り方が出来るものだ」と、妙に感心してしまうほど、凄まじく乱れた座り方をする者が、若者から老人まで本当に多いが、それが彼らの劣等感の強さを示しているのであり、哀れむべき面もあるのかもしれない。
面白いのは、私は比較的脚が長く、きちんと座っても人様に迷惑をかけるのが心苦しいのだが、私の隣に座った男の多くが、せいいっぱい腰を前にずらして、私と同じ位置まで膝を前に出すのである。
「俺だって、お前と同じくらい、いや、もっと脚が長いのだぞ」と必死でアピールしているのと、人様に迷惑をかけることが自分の値打ちだというおかしな感覚を持っているのだろう。
劣等感に凝り固まった男がいる限り、電車の中での大股広げ(大抵、彼らの脚は短いが)やふんぞり返っただらしない座り方の流行(?)はなくならない。
ロシアだったか、電車の中で股を広げて座る男の股間に水をかける女子大生のことをニュースで見たが、それに対し、SNSで、「よくやった」と称賛する声と共に、「俺がやられたら殴ってやる」と投稿する男もいたらしいが、「殴ってやる」という男の劣等感を舐めてはならず、下手したら本当に殴られる。弱い男ほど、自分より弱いと思える者(女子供)に対して暴力的なものだ。
児童虐待も、問題の根っこは親の劣等感による自己主張だ。子供をいたぶることで自分が偉いと思うしかない親が子供を虐待するのである。

私は毎朝、会社近くの駅のベンチに座り、スマホで初音ミクさんの音楽を聴きながら読書をしている。
割と広いベンチだからだ。
ところが、そうしていると、私の妙なほど近くを、足音を響かせながら歩き過ぎる者がよくいる。
もうお分かりだろう。
それが、彼らの自己主張・・・自己承認欲求を満足させるための、彼らに出来るせいいっぱいの行為なのである。
他に人に優るものが何もない心の痛みを癒すための、切実な補償行為なのだ。
本当に偉い人は、常に、足音を立てないように静かに歩くものである。

本当に価値のある人間になりたければ、静かであることだ。
無駄なおしゃべりをせず、静かに歩き、音を立てないよう物を丁寧に扱い、ドアの開け閉めの音にも気を使い、そして、最高の価値を得たいなら、呼吸まで静かにせよ。
「そんな目立たないでいたら、いるのかいないのか分からない、自己主張のない者として見下される」なんて言う者がきっといるだろう。
そんな者には、なるべく関わりたくないというのが本音である。
かくいう私も、まだまだ、「惨めな自己主張」が多いに違いない。
だが、真に偉大な人間は空気のようであることを忘れないでいよう。
サミュエル・スマイルズは「天は自分を助ける者を助ける」と言うが、そんな言葉が実際に人を幸せにすることはなかった。
正しくは、「天は静かにしている者を助ける」である。
なるほど、騒がしくしていれば、悪魔にとり憑かれた愚か者が同調してくれるかもしれない。
だが、私は小物の悪魔の手先になるのはまっぴらである。









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名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
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