ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

社会・教育

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

損な人を止め得な人になる方法

常に得な役回りになる人と、逆に、常に損な役回りになる人がいるように思う。
例えば、2人の子供が全く同じことをしても、片方は褒められるのに、もう片方は、褒められないばかりか、「余計なことをするな」と怒られるが、その2人は、いつも決まって、そういう役回りになる。

ある漫画で、2人の男の子が1人の可愛い女の子を助けるのだが、女の子が感謝するのは、片方の男の子だけだった。そして、女の子は、ごく当たり前にそうするのである。少しも報われない男の子は、「人間は平等ではない」と嘆くが、この場合は、良い思いをした男の子は格好良く、もう一方の男の子はダサいというだけのことだった。
女の子だって、可愛い女の子がやると、感謝されたり褒められたりしても、可愛くない子がやると、無視されたり、「ウザい」って言われてしまうことも少なくないだろう。
だが、見かけや、その他、表面的な条件に差があると思えないのに、なぜか、いつも良い思いをする者と、良い思いが出来ない者がいるのである。

いろいろ述べたが、実は、明らかなことがある。
得か損かを決めるのは、「えこひいきされるか、されないか」の差だ。
えこひいきと言えば聞こえは悪いが、誰にだって好き嫌いはある。そして、それは容姿だけの問題ではない。
えこひいきされることを、単純に言えば、「特に好かれる」ということだ。
そして、誰にでも好かれる者というのは、実は、自分の親を好きな者で、そんな者は、親に好かれているのである。
だが、子供の時、親にべったりくっついている子供が、親が好きな訳でも、親に好かれている訳でもない。
それは単に、親が、子供を自分に依存するよう躾けただけで、そういった親子は、内心では憎悪し合っている場合が多い。
自分の親が好きでなく、自分の親に好かれてもいない者は、残念なことに、損な役回りをする定めとなる。
それは、主に母親に関してだ。
だから、母親なしで育った者は、損な役回りになり勝ちだ。ただ、そんな者には、うまく立ち回るよう努力する傾向があり、表面的にはうまくいっている場合が多いが、それでは、どこか無理があるのである。

ところが、心理学者の岸田秀氏が本に書いていたが、自分が母親が嫌いだと(実際は憎んでいると)気付いたのは、母親が死んでからで、岸田氏は二十代の半ばも過ぎていたと思う。
だが、一生、気付かない人もいるのだろうし、岸田氏は心理学の勉強をしていたから気付いたが、もしかしたら、気付かないまま死ぬ人の方が多いかもしれない。
ドイツの「心身医学の父」と言われたゲオルク・グロデックは、「母親を憎んでいる娘は子供を作らない」とエッセイに書いていたが、そんな娘は無意識にそうするのだろう。
また、親を嫌いな人は、何かを偏愛してしまうことが多い。
それが、自分の子供である場合は悲惨で、大抵、子供には嫌われる。なぜなら、自分だって、本当に子供を愛している訳ではないからだ。

ちなみに、母親が嫌いな男は、聖母マリアが嫌いなので、すぐ分かる。
そんな男は、ニンフェット・コンプレックス、いわゆる、ロリコンになり易い。

しかしまあ、嫌いなものは仕方がなく、無理に好きになることは絶対出来ない。
そんな者は、可能であえば、自分はアンドロイド(正確にはヒューマノイドと言うべきかもしれないが)だと思うと良い。
アンドロイドにもいろいろあり、長門有希のような宇宙人製有機アンドロイドもいれば、神が自然の精気から作った不可思議なエネルギー体としてのアンドロイドもいる。
アンドロイドとは原義は「男のようなもの」で、ヒューマノイドは「人間のようなものだ」。
ちなみに、「ボーカロイド」とは、「ボーカルのようなもの」である。
『まちカドまぞく』に登場する、千代田桃のような魔法少女は、身体を人間の肉体とは異なるエーテル体で再構築した存在だ。
いろいろ研究し、自分がそれであるというファンタジーを持てば(ただし、人には言わないこと)、得な役回りになることも出来るのである。
簡単に言えば、自分が作り物であることを認識するのである。それはある意味、真理であるので、人間に対する理解も深まるだろう。













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岡本太郎に騙されても良い

芸術家は職業ではない。
よって、芸術家では食べていけない。
金持ちの芸術家もいるだろうが、その人は、芸術家であると同時に、売れるデザイナーやイラストレーターやアーチストであるのだ。器用なものだ(笑)。
自身もイラストレーター、デザイナーである横尾忠則氏は、岡本太郎をデザイナーとしては評価していたが、芸術家としては、大抵、貶していたように思う。
横尾氏は、岡本太郎の代表作と言える「太陽の塔」も、デザインは超一流だが、芸術品ではないと言う。
私もそう思う(本当に分かっているのか?笑)。
岡本太郎は、椅子やカップ、あるいは、「グラスの底の顔」なんてものをデザインしていて、それらは非常に個性的であったが、やはり、芸術作品ではなくデザイン作品と思う。
だが、彼の、オリンピック(東京、ミュンヘン、札幌冬季)記念メダルのデザインは実に素晴らしく、本当に彼は超一流のデザイナーなのだと思う。
そして、岡本太郎が人気があり、おそらくは経済的に裕福だったのも、それらデザイン作品と共に、彼のエキセントリックな言動が、今日の個性派タレントのように受けていたからだと思う。
あの「芸術は爆発だ」「今日の芸術はうまくあってはならない」等の強烈な芸術論にしても、タレント的なセリフだったのではあるまいか。
そして、それでいて、温かい、敬愛すべき人物であったのだ。
アメリカのアンディ・ウォーホルは、まず、イラストレーター、デザイナーで大成功し、「ポップアート」という、イラストやデザインと、芸術が混ざったもので、芸術家としても成功したが、やはり、根本的にはデザイナーなのだと思う。
つまり、裕福な画家になりたいなら、まず、イラストレーターやデザイナーとしての技術を持っておいた方が良いのだと思う。

アラーキーの愛称で親しまれている、自称「天才写真家」の荒木経惟(あらきのぶよし)という有名な写真家がいるが、彼も純粋な芸術家ではあるまい。
彼は昔、雑誌のインタビューで、「写真家になる方法」みたいなことを問われた時、こんなことを言っている。
「黒子に徹すること。時代に平伏(ひれふ)すこと」
まあ、彼が本当にそんなことを言ったのかどうかは分からないが、もし本当なら、これは、芸術家ではなく、超一流の写真家の姿勢であると思う。
いや、写真家だけでなく、あらゆる職業がそうなのだ。
例えば、超一流のコックというのは、決して芸術的な味を追求するのではなく、その時代、その民族の人達の嗜好に平伏し、黒子に徹するのである。
「俺はこの味が良い」と言ったところで、裕福なお客様達に好まれなければ、料理人として成功することは出来ない。

岡本太郎は、『バガヴァッド・ギーター』10章で言われるペテン師だった。
『バガヴァッド・ギーター』を読めば、それは、貶しているのではなく、最大の賛辞であることが解ると思う。
「ぺてん師たちの賭博」(岩波文庫。上村勝彦訳)
「だましの中の大賭博」(タオラボブックス。田中嫺玉訳)
「詐欺の中の賭博」(日本ヴェーダーンタ協会)
これは、至高神クリシュナのことであると、クリシュナ自身が、アルジュナに述べたことである。
太郎には、敢えて騙されても良いだろう。
英文学者でタオイスト(老荘思想家)の加島祥造氏が、「老子は嘘つきで、荘子は大嘘つき」と何かの本に書かれていたが、彼も騙されて本望なのだろう。













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5月30日発売(Kindle版は販売中)。
プログラマー&ミク廃と、数学講師&骨董品愛好家がコラボした、ユニークで最も易しい機械学習実践書だと思います。
数学やプログラミングが出来なくても、Excelが使えれば(これから使うもあり)、自分でAIを作れること、面白い問題を使うことがポリシーです。
その面白い問題(多分…)をシミュレートし、実習用のデータを作れるExcelマクロ(VBAプログラム)を出版社サイトから無償ダウンロード出来ます。

イケてるやつとダサいやつの単純な差

人間を、「イケてるやつ」と「イケてないやつ」に分けることも可能だろう。
古い人にも分かるように言えば、「格好良いやつ/格好悪いやつ」、「クールなやつ/クールでないやつ」ということだ。
今は、日本人もイケてることも多いのだが、そうでない者も少なくない。

昔、西洋の映画に登場する「イケてる」青年の真似をする日本のボーイが、とても滑稽なことが多かった。日本の少年は全然イケてなかった。
また、言っては悪いが、YouTubeで見られる初音ミクさんの中国でのコンサートで、会場が映し出された時、熱烈にミクさんを応援してくれることには好意を感じるが、正直、観客を見ると「ダサ!」って思ってしまう。まるで私だ(笑)。
アメリカあたりのコンサートでは日本人観客も多いが、これも、もし私が居ればやはりそうなのだろうが、日本人はダサさで目立っている。
では、日本人と西洋のボーイズ&ガールズの違いは何かと言うと、決して、生まれつきの顔やスタイルではなく、「金と手間をかけている度合い」の差である。
早い話、イケてる西洋の若者は、髪型や服に、イケてない日本の若者と比較にならない金と手間、そして、それらを費やし続けることで得られたセンスがあるだけである。
ダサい日本の若者は、髪や服に金と手間をあまり・・・いや、全くかけていない者が多く、今のところ、中国の若者は、さらにその傾向が強いのだろう。

たとえ西洋人でも、服や髪に金と手間をかけなければ「立派にダサくなる」。
コンピューター科学者で達人プログラマーのポール・グレアムは、オタクである自分は高校生の時、全くダサく、全然モテなかったらしいが、モテるやつってのは、やっぱり、モテることに命をかけて・・・つまり、金と手間をかけているのである。
一方、グレアムは、その点がサッパリだったというに過ぎない。彼の生まれつきの容姿は、むしろ悪くない方である。

手塚治虫さんは、宝塚市で育ったせいもあり、少年時代から宝塚歌劇団の熱烈なファンだったらしいが、高校の学園祭の時、自分も舞台で宝塚歌劇団の真似をしたくて、宝塚歌劇団に行き、衣装を貸してくれるよう頼んだら、今とは時代の違いがあるだろうが、驚くべきことに、本当に貸してくれたらしい。
ところが、それを着て舞台に立ったら、当然ながら失笑(実際は爆笑だろう)を買ってしまったようだ。
普段、格好良い服を着ていなかった手塚少年の着こなしも駄目だっただろうし、その服に合う髪型もしてなかったのだろう。
もし、手塚少年が、元々、そこらに金と手間をかけていれば、それなりに見えたはずである。彼は身長は当時としては珍しい176cmもあったらしいしね。

「超能力者」ユリ・ゲラーは、とてもモテたことを著書で告白していたが、嘘ではないと思う。
そして、それには、超能力も役に立ったらしいが、ユリ・ゲラーですら、「まずはそれなりの身だしなみ」と書いていた。それは、服もだが、髪型や持ち物も含み、外見をある程度整えろという意味であることは疑いなく、その「ある程度」のレベルが、特に昔の日本人には高過ぎたのだと思う。

ナチス強制収容所では、囚人達は、生き残るためには、まず、「若く見える」ことが必要だった。
囚人の服には番号が縫い付けられ、監視役の者達が、労働の役に立たないと感じた囚人は、その番号が報告され、報告された囚人はガス室送りだが、監視人達は、「年寄り=労働力が低い」という単純な公式を用いていた。
だから、死活問題として、囚人達は、「若く見える方法」を真剣に考えた。
皆、栄養状態が悪いのに、長時間の重労働をさせられるのだからガリガリで、金も物もない。
その中でどうやったら若く見えるかを考えないといけない。
そして、考えられたのが、男の場合、
「呼ばれたら元気に返事をする」
「疲れていても、きびきび動く」
「割れたガラスを使って髭を剃る」
「血を顔に塗って、血色が良いように見せる」
などであった。
女性の場合であるが、これを聞いて笑うなら、生きる値打ちはないと私は思う。
70歳を過ぎた女が、乙女のような軽々としたステップで歩いて見せたのだ。命懸けなら、それくらい出来るだろう。

外見に限らない。高い給料を取れるほどの有能さも、普段、それなりに金や労力を注げば簡単に手に入れられるのだ。
モテたいのに、必要な努力をしないのは甘えである。
同じく、高い給料を取り、いい身分でありたいなら、そのために、多少の時間を費やさないといけない。
まして、人間を超えた神秘な存在の気を惹くには、それなりのことはしないといけない。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版は販売中。紙の本は5月30日発売。
今や、Excelは誰でも使えますし、そうでなくても、その気になれば使えるはずです。そして、Excelが使えるだけのスキルがあれば、ソニーのWindowsアプリ(あるいはクラウドWebアプリ)NNCを使えば、誰でもAIを作ることが出来ると思います。
そのためには、易しいテーマを設定し、AIを使うために必要な「目の前の問題を推測問題に捉え直す考え方」を知り、さらに、面白い問題を自分で実際にAIで解くことが効果的と考えました。そのための、ごく一般の人向けの本を書いてみました。

辛い人生を気楽にする

日本やアメリカでは、有能な働き手になり、良い立場を勝ち取って、お金を沢山稼がないと、苦しい(時に、非常に苦しい)状況に追いやられる。
そして、お金を多く稼ぐためには、かなり辛いこと、嫌なことにも耐えなければならない。

一方、クリエイターやネットで稼ぐという、新しい働き方が生まれ、それで生活を成り立たせている人もいる。
そんな仕事であれば、好きなことだけをやり、嫌なことをしなくて済むかというと、それは全くない。
「いや、俺は好きなことを自由にやっている」と言う人もいるだろうが、私は信用しない。
例えば、素晴らしい能力のある画家だって、お金を十分に稼ぐには、自分を偽らないといけない。
プロのオーケストラに入れるほどの演奏家だって、自分はモーツァルトのようなのを演奏したくても、嫌々、初音ミクシンフォニーの演奏をしなければならない(笑)こともある(そんな雰囲気の演奏者が多いように感じる)。

また、米津玄師さんのような天才なら、自分の思う通りにやっているかというと、多分、それはないと私は思う。
私は、彼の曲は、ミクさんが歌った『砂の惑星』を別にすれば『Lemon』くらいしか知らないが、あの曲は、ドラマ向けに色をつけたはずで、それが米津さんにとって、楽しかったかというと、どっちかと言うと嫌だったのではないかと思うのだ(勝手な想像だが)。

岡本太郎さんだって、完全に自分の主義だけで生きたかというと、やっぱり、それはあり得ないのだ。
いや、完全に自分の主義でなかったどころか、相当、自分を偽っていたのかもしれない。
いやいや、本当のところは普通の人より、よっぽど偽善的であった可能性もないとはいえないのだ。
人生とは辛いものなのである。

だからといって、米津玄師さんや岡本太郎さんが不幸だと言うのではない。
嫌なことのない人生なんて悲惨なものだ。
悪いこともまた楽しいのだと言えなくもない。

どれほど不幸な人を見ても、身内でもない限り(あるいは身内でも)、それほど辛くはない、あるいは、全く何とも思わないものだろう。
それが冷淡で悪いことかというと、そうでもないと思う。
同情なんて、無理にするものではないし、同情されても何も良いことはない。
同情より良いのは、本当に金である。
ところで、悟りを開いた聖者というのは、自分のことも他人だと感じるらしい。
つまり、自分を、はるか彼方に居る人に思えるなど、自分をほとんど重要視しないものらしい。
それで言えば、岡本太郎さんは聖人とはほど遠かったが、米津玄師さんは、案外、仙人に近いのではと感じ、俗っぽいことも平気で出来るように思える(思えるだけだが)。

仏教も、老子や荘子の道教も、目的は自分を忘れることなのであると思う。ただし、自覚のある状態でね。
ただ、仏教を本当に教えられるお坊さんは少ないのだと思う。
『老子』や『荘子』も、頭でっかちの学者が下らない解説をするので、全く解らなくなっている。
漢文や読み下し文を読む必要はない(不慣れな人だと、文章を逆の意味に解釈する恐れが大きい)。
1冊、読んでみると、1行か2行のことかもしれないが、真理を感得するものである。
それを大切にすれば、自己にこだわらないまま、世界を自由に操る魔法使いにもなれるのである。













当ブログオーナー、KayのAI書。5月30日発売(Kindle版は販売中)。
今や、AIは誰でも作れます。ただ、実践的に取り組む適当な方法がなかったことと、AIを作るために本当に必要なことを簡単に知る方法がありませんでした。この本では、Excelを使う程度のスキルがあれば、ソニーのWindowsアプリNNCを使い、自分でAIを作れるよう工夫しました。
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「ア」の音霊

「ア」という音は、よくよく重要な音で、この音を身につければ、他のことは忘れて良いかもしれない。
本物の呪文や神聖な言葉は「ア」が多用されているものである。
日本では、天界は「高天原」で、これは普通は「たかまがはら」と読むが、本当は、「たかあまはら」と読むらしい。しかし、いずれも、母音は全て「ア」なのである。
シリア、アラブ、メソポタニアに古くから伝わる、世界で最も有名な呪文「アブラカタブラ」は、現在では冗談めかして使う場合が多いのだが、1文字を除き全て「ア」であり、本物の力ある呪文と思う。

それで言えば、英語の「ゴッド(神)」には「ア」の母音がない。
だが、多分、隠された神を表す言葉は「(God) I am」で、「ゴッド」は言わないが、「アイ・アム」なら、「ア」が多い。
それであれば、アメリカが世界最強で、しかも、それはごく一部のエリートの力であることが理解出来るのである。
民主主義を謳うアメリカが最も民主主義でないのかもしれない。
日本も、そのようにされてしまった感はあるが。
本来、日本の3神は「アメノミナカヌシ」「タカミムスヒ」「カムムスヒ」と全て、「ア」の母音で始まる。そして、諸説あるが、日本の代表神「アマテラス」は「ア」の母音が多い。
尚、『古事記』よりずっと前にあったと言われる、日本の超古代文明は「カタカムナ」で、この言葉は、そのまま、「ア」の音霊で構成された強力な言霊である。

『アヴェ・マリア』という歌は、非常に特別な感じがするが、最も感情を揺すぶられるのは、最初の「アヴェ」の「ア」と、「マリア」の最後の「ア」であり、一流の歌手は、その2つの「ア」を見事に歌い、聴く者は心が消えてしまうのである。
特に、カッチーニの『アヴェ・マリア』は、歌詞は「アヴェ・マリア」と「アーメン」だけであり、しかも、途中で「ア」だけで通す部分があり、そこが良いのである。
『アヴェ・マリア』は、本来、讃美歌ではないが、「ア」の音の故に、讃美歌以上の讃美歌になっている。
そして、キリスト教でも、ユダヤ教でも、最も重要な言葉は「ハレルヤ(神を褒め讃えよ)」ではないかと思う。
映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、僧院長が見事に『ハレルヤ』を歌うが、歌詞は全て「ハレルヤ」で、最後は、「ア」の音のみで歌うのを、私は非常に印象深く覚えている。
キリスト教も、やや訳ありな宗教で、イエス、ジーザスも、あまり「ア」の母音が使われていないが、ギリシャ語、ラテン語でイエスは「イーエースス」だが、こちらも同様だ。
プロテスタントでは、聖母マリアは全く重要視されないと、私はプロテスタントの信者から聞いたことがあるが、実は、マリアが一番重要なのかもしれない(と言ったらプロテスタントの方に怒られるだろうか?)。
むしろ、「アーメン」「ハレルヤ」という言葉が重要なのではないかと思う。
また、ユダヤ教の真の教えが「カバラー」であるのも出来過ぎという感じがする。

40mPさんによる、初音ミクさんの歌『三日月ライダー』は、あまり知らない人も多いのだが、「夏祭初音鑑」のコンサートで歌われていて、途中の「ア」の音のみで歌うところが異様なまでに美しかった。きっと、40mPさんが天啓を得て作ったのではないかと思う。

物理学者で武術家で神道の祭司でもある保江邦夫さんの『神様につながった電話』の中に、重要な祭事の際、保江さんが大祓詞を奏上しようとしたら、「ア」の言葉しか出なくなったという話が書かれているが、実は、それで良く、そのことを、保江さんは「言霊(ことだま)から音霊(おとだま)へ」といった書き方をしていたと思うが、やはり、音霊で良いのである。
また、その本の中で重要視されていた「サムハラ」も、やはり「ア」の多い言葉である。

「ア」が多い言葉を呪文として常用すると良い。
そこに、思考を消し、時間を消し、宇宙の根源と一体化する鍵があるように思う。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindke版販売中。紙の本は5月30日発売。
ごく私見で恐縮ですが、数学に強い訳でも、プログラミングが出来る訳でもない普通の人がAIを作れるようになる本は、この本しかないのではと思います。少なくとも、そのための時間をかなり短縮出来ると思います。
問題に取り組む時、人間だけ、AIだけで解決出来るのではありません。人間とAIがチームになってこそ、高度な力を発揮出来ます。そんなことも、少し書いてみました。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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