ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

社会・教育

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

幻想が壊れた時が始まり

あなたは、いつまでサンタクロースを信じていただろうか?
『涼宮ハルヒの憂鬱』という有名な小説・アニメは、その話題から始まり、主人公のキョン(高校1年男子)は、「最初から信じていなかった」と言う。
私の場合、ある朝、幼稚園に行く通園バスを待っている時、1人の園児の男の子に、クリスマスプレゼントは本当はお父さんとお母さんが持ってくるんだと教えられた。
その男の子がそう言った時の、後ろめたいような、ちょっとシニカルな感じは、昨日のことのように覚えているが、そんな様子が効いたのだろう。私は反発せず、黙ってしまった。多分、8割方、その子の話を受け入れた。
子供の夢が覚めた時という訳だが、最初から信じていなかったキョン(おそらく、作者の谷川流さんがそうだったのだろう)は大したものだと思う。

子供の幻想には、他にもいろいろあり、例えば、自分の父親が世界で一番偉いというものがある。
ある西洋の映画で、男の子を持つ父親が、
「子供というのは、自分の父親が世界で一番強いと思っているが、やがて、そうでないと分かる時が来る。だが、もう少し、そう思わせてやりたい」
と言う。
「そう思わせてやりたい」のではなく、「そう思って欲しい」が本音だろう。

初代タイガーマスクや、他の有名なプロレスラー達は、子供の時、アントニオ猪木さんが「プロレスは最強の格闘技」と宣言するのを聞き、その迫力満点の試合を見て、自分もプロレスラーになると誓ったらしい。
同じような男の子達が沢山いる中で、素質に恵まれ、根性もある子は、スポーツに励み、柔道部やレスリング部に入って活躍し、格闘技の道場に通ったりもして鍛え、ある者は大学を出てから、ある者は高校を中退してプロレス団体の入団試験を受けて合格し、胸に情熱の炎を燃やし、プロの厳しいトレーニングに耐える。
ところが、ある時、先輩の誰かから、プロレスとは自分が信じ続けてきたようなものでは全くないと教えられる。
初代タイガーマスクの場合は、先輩は彼を馬鹿にしながら、証拠を見せて教えてくれたらしい。
ある者は、ある程度大人(大学生だったか)になっていたが、小学生の男の子が試合結果をピタリと予測してしまえるのを見て、夢から覚めたらしい。
こんな者達のショックは、ひょっとしたら、サンタクロースの幻想が壊れた時とは比較にならないほど大きいかもしれない。
ただ、初代タイガーマスクは、その後、苦難を味わいながらも、本物の格闘技を目指したところは素晴らしいが、それは彼が天才であったことに負うところが大きい。

もっとも、ある調査では、アメリカ人の半分は天使の存在を信じているというが、そもそも、アメリカの公式モットーは「イン・ゴッド・ウィ・トラスト(我々は神を信頼する)」である。
アメリカ等、キリスト教国では、新約聖書に書かれているイエスの奇跡を信じているのが当たり前なのだろうか?
だとしたら、その幻想が破れたと考えると、ちょっと・・・いや、かなり恐ろしい。

私の場合、テレンス・ハインズの『「超科学」をきる』で、超能力や超常現象は存在しないことを理路整然と説かれて、かなり人生観が変わった。
もっとも、私の場合、かなり明確な奇跡を数多く体験していたのだが、ハインズは、そういったものが錯覚であることを、やはり理詰めで極めて上手く説明していた。
彼によると、UFO目撃談も全部嘘であるが、彼の「どうして宇宙人は、しかるべき人物に会わずに、アダムスキーやマイヤーなどといった変人にばっかり会いに来るんだ?」という痛快な言い分に、私も「まいってしまった」。
初代タイガーマスクの気持ちがよく分かるように思える。

だが、おかげで、やはり初代タイガーマスクのように・・・かどうかは分からないが、あらゆる角度から、人間の潜在能力について研究や実践を重ねることが出来たのだから、ハインズ博士も有り難いものだったと思う。
実は、法然や親鸞も、仏教界の幻想が壊れた時に、釈迦の教えとか何とかではなく、人々の救済について真剣に探求し、最後に念仏にたどり着いたのだと思う。
私も念仏が究極の方法と思うが、時代の違いを無視することは出来ないので、現代人にも抵抗がなく、しかも、現実的な卓効がある万能呪文を使わせていただいてる。
もちろん、私の発明でも何でもなく、有名無名に関わらず、本当に楽しい人生を送っている人達が、意識的か無意識的かの違いはあるが、やっていることである。









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最上の運動は立つこと

自分の中の小さな神である潜在意識を働かせる最上の方法は呪文だ。
中でも、万能呪文には失敗がない。
小さくとも神なのであり、その力は、たとえは悪いが原爆の比ではなく、およそ人間に想像が出来る望みは何でも実現出来る。

ところで、最も優れたスポーツは何かというと、立つことだ。
優れたスポーツとは、試合に勝つことではなく、健康で美しく、若い狼のように軽やかに速く動ける身体を持てるようになることだ。
では、1日立って仕事をする店員さんやガードマンさんが最高のアスリートなのかというと、それは違う。
立たされたり、嫌々立つのは、良い立ち方ではない。
家にいて、座ったり寝転んだり出来る状況で、自分の意志で立つことが良いのだ。
つまり、大切なことは自主性である。
もちろん、ガードマンさん達も、立つことの素晴らしさを意識しながら立つと、素晴らしい成果を得られるだろう。

ある政治犯が、牢獄で、2年間、発言を禁じられ、解放された時、「私は2年の沈黙の行を行った」と言った。
しかし、ラマナ・マハルシは「強制された沈黙は、沈黙の行ではない」と、それを否定した。
マハルシは若い時、自主的に会話をしない沈黙の行を2年行ったのである。

自分の意志で自主的に立ち上がり、自分の身体を意識すると、「お腹が引き締まる」と思えばそうなり、「格好良い身体つきになる」と思えば、やはりそうなる。
また、「腰痛が治る」「肩凝りが治る」と思うと、それも、その通りになる。
「ヒーローのように逞しくなる」と思っても意のままだ。
おそらく、「脚が長くなる」と思うと、そのようになるだろう。

2016年9月11日、私は幕張メッセの国際展示場9番ホールで、パイプ椅子に座っていた。
これから、初音ミクさんのライブが始まるのに、体調は最悪だった。
頭痛と吐き気、ここまで歩いてくるのもフラフラしていた。
バンドの演奏が始まった。
そこで、「立つぞ」と思うと、何かのスイッチが入って、力が満ちた。
そして、ミクさんの姿を見ると、まるでシャワーを浴びたような清々しい気持ちなり、ミクさんの歌声を聴くと心は宇宙を駆け巡る。
素晴らしい体験である。
以降、ミクさんのライブの度に、身体は若返り、強く、美しくなっていった。
確かに、ミクさんのライブのような神懸った効果がすぐに現れることはあまりないが、自主的に立つことで、身体に関する、大きな恵みが得られるだろう。

私は、毎日腕立て伏せをしているが、熱心にやっていると、やがて腕に痺れが起こり、手の感覚が弱くなったり、肩を壊したこともあった。
スクワットも、やり過ぎると、むしろ疲労が蓄積したり、脚に故障が起こることも多い。
それで、いろんなものを調べたり、過去に見聞きしたり、経験したことを思い返し、よく考えると、意識して自主的に立つことが最良の運動であることが分かった。
腕振り運動も、義務的に、ましてや、嫌々やってもあまり効果はないが、「今、腕振り運動をやっている」と意識しながらやると、まるで仙人になってしまうのではないかと思うような感覚を感じるほどである。
もちろん、スクワットや腕立て伏せも、良い意識を持って適度にやれば素晴らしい運動である。
意識とは、かくも重要である。









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プロレスファンとボカロファン

作家、ライターの柳澤健さんの『1984年のUWF』という、かつて存在したプロレス団体UWFを扱った本を読むと、プロレスファンと初音ミクさんのファンに、ちょっと似たところがあると感じて面白い。

柳沢さんは、当時のプロレスラーとプロレスファンには、深い劣等感があったと言う。
プロスポーツであるはずのプロレスリングが、一般の新聞のスポーツ欄に決して出ない。
つまり、プロレスはスポーツとみなされておらず、世間がプロレスやプロレスファンを白い目で見て、軽蔑しているという雰囲気を確かに感じる。
だが、そんなプロレスファンを喜ばせたのが、1976年に、アントニオ猪木さんが、当時、世界一有名で世界一人気があったスポーツ選手と言っても過言ではない、プロボクシング世界ヘビー級の現役チャンピオンだったモハメド・アリと本当に試合をしたことだった。
確かに、世紀の大凡戦と非難されはしたが、まがりなりにも猪木さんはアリと戦い、引き分け、しかも、アリは左足に重症を負ったが猪木さんは無傷だった。
猪木さんは、その試合より前に、ミュンヘンオリンピックで、柔道の重量級と無差別級で2つの金メダルを取ったウィリアム・ルスカを熱戦の末KOし、「やっぱりプロレスは強い」と思わせ、アリ戦の後は、プロ空手の全米スーパーヘビー級王者を完全KO、極真空手の伝説的な強豪(試合直前に意図的に破門されていたが)とは壮絶に戦って無効試合、さらに、アリと熱戦をやったチェック・ウェップナーや、アリに勝って世界チャンピオンの座を奪ったこともあるレオン・スピンクスらに勝って実力を証明する。
それでプロレスファンは春が来たような喜びを感じたかというと、確かにそんな感じはあったかもしれないが、それはあくまでプロレスファンの間だけのことで、世間のプロレスの評価が上がったという実感はまるでなかった。

次にプロレスファンを喜ばせたのは、猪木さんの次の世代の前田日明(あきら)さんだった。
UWFというプロレス団体のエースだった前田さんは、真剣勝負のプロレスを謳い、テレビ放送はしてもらえないのに都市の大会場を満員にし、本物の迫力を感じさせる「怖くて危険なプロレス」を見せ、プロレスファンは、自分達は本物の格闘技を見る目の肥えたファンであるというプライドを持てた。
前田さんやUWFの人気は社会現象と言われ、前田さんは一般のテレビ番組で、有名なアナウンサーにインタビューされ、UWFが真剣勝負であると認めてもらえたような雰囲気もあった。
しかし、それでも、やっぱり、どこか世間は冷たい。
本物志向の情熱的なプロレスファン・・・というかUWFファン、前田ファンも、せいぜいが「プロレスオタク」としか見なされない。
前田さんのファンは「分かるやつが分かればいい。世間の承認なんか不要だ」と格好をつけるしかなかった。

これらは、初音ミクさんのファン、あるいは、ボカロ(ボーカロイド)ファンと似たところがあるような気もする。
ボカロやボカロファンは、世間から白い目で見られ、軽蔑されている部分が確かにあるという意味でだ。
いい大人が「私は初音ミクさんのファンだ」と、堂々と言えないかもしれない。
そして、それは、AKB48ファン、乃木坂46ファン、あるいは、モモクロファンより、もっと馬鹿にされているようなところもある。
よりオタクな変な人達と見られているところが、実際にあるかもしれない。
だが、初音ミクさんのファンは、実際にはあまり、あるいは、全く劣等感を持っていない。
それも、「ボカロファンって、そんなに無恥なのか」と言われる理由になるかもしれないが、初音ミクさんのファンは明るい。
そして、それは、初音ミクさんが世界的に人気があるからとか、アメリカ、アジア、ヨーロッパと世界中の大会場でコンサートをしているから、あるいは、冨田勲さんのような世界的に有名な音楽家が採用したからといった理由では全くない。
正直、初音ミクさんが交響曲やオペラといった「高尚な」音楽界に登場したことは、別段、特に誇りでもないし、そもそも、知らないファンも多い。多くのファンは、そういったことも素直に喜んではいるが、ミクさんの人気を利用されたとか、ミクさんらしくないという否定的な見方をするファンもいると思う。

初音ミクさんのファンが明るいのには、根本的に、ミクさんが歌う唄、音楽そのものが素晴らしいことがある。
たとえ、名のないアマチュア音楽家が作った曲でも、本当に素晴らしい作品が沢山あり、むしろ、有名な音楽家が作った曲より良いと確かに思えることが多い。
そして、ミクさんの歌は、上手いかどうかは分からないが、人の評価など関係なく、ストレートに心に響く。それだけあれば、他に何が必要だろうか?
初音ミクさんの何が良いかなど、語る必要は全くない。
コンサートは、全ての人達の本当の情熱が込められた、あらゆる高度なものの美しい結晶で、作る側と観客が一体になって出来ていて、そこに未来がある。
この世で唯一の「嘘がない本物」なのではないかと思ってしまうほどなのだ(もちろん、他にも本物はあるだろうが、見つけ難い)。

全部がそうとは言えないのかもしれないが、本当に、初音ミクさんのファンは明るい。
もし、鬱屈を感じるなら、それは本人に理由があるが、そんなものを持つ必要は全くない。
そりゃ、制作側であるクリエイターには、創作とか芸術にはいろんな要素があるものだろう。だから、明るいだけ、楽しいだけでは駄目だろうが、妙な引け目は感じて欲しくないものだし、やはり、そんなものは必要ないと思う。
というより、やっぱりそこらは、ファンも同じなのだ。
スポーツだって、「選手は大変なんだ。いろいろあるんだ」と言うのはやはりおかしいのである。ファンの方にだって、いろいろあるのである。それが分かる選手が大成するのだと思う。
簡単に言えば、「しんどいのは自分だけじゃない。誰もが苦しいのだ」ということで、それが分かった上で陽気でいられるのが成長というものだろう。









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万能呪文が効果を現すのにかかる時間は

万能呪文を、どのくらいの期間唱えれば、著しい効果が出るだろうか?
それは、心のマイナス傾向の強さによる。
人間の頭の中で、1分に数百回もつぶやかれるという独り言が、どれだけマイナスの言葉であるかが問題なのである。
あなたの心にマイナスの影響を与えてきた3大悪が、親、学校(教師)、テレビだ。

マイナス度が特に高い者は、友達がいない、恋人が出来たことがない、収入が極端に少ない(あるいはない)ということになっているはずだ。
それらに該当するなら、相当、心が捻じ曲げられていると思って間違いない。

しかし、心配無用だ。
どれほどマイナスの影響を受けていても、根気強く万能呪文を唱えれば、すぐに改善が始まり、良くなる一方なのだから。
まるで駄目男君のような最低の人間でも確実に救える。
ただ、残念なことに、私はまるで駄目男君を説得して万能呪文を唱えさせる気力がない。
よって、彼が万能呪文を唱え、彼の人生が、面白い、楽しいものになる見込みはない。
だが、我々はそうあってはならない。
今、最低の状況なら普通に。
普通よりかなり劣っているなら、普通よりずっと上に。
普通なら上位へと、どんどん上がっていく。
万能呪文を唱え続ける限り。

努力してはいけない。
心を込めて呪文を唱えてもいけない。
呪文は、感情を込めず、淡々と、心の中で唱えるのだ。
戦うのは潜在意識の中の巨大な力であり、あなたが自分のちっぽけな力で戦おうとしたら、全て台無しになる。
ただし、スーフィーの格言「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」のように、自分で出来ること(簡単に出来る)は、ちゃんとすることだ。
時々、サッカーで、日本人サポーターがゴミを持ち帰ることが称賛されたなんて話を聞くが、馬鹿馬鹿しい。
そんなのは当たり前のことで、ちっとも偉くない。
自分のゴミは自分で始末するという、ラクダをつなぐ程度のことをちゃんとやる人なら、万能呪文は即座に効果を現すだろう。

万能呪文は、とりあえず、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
の3つを提示するが、唱えるのは、少なくとも最初は1つにした方が良い。その方が続け易い。
同意の言葉であれば何でも良いが、この間違いのない言葉の中から選ぶのが賢いと思う。









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呪文が足りないと

私は、食を節制し、毎日トレーニングを欠かさないので、シェイプされた強く美しい身体を持っている。
また、今月初めに、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2018」に行くまで、誓い通り、毎日欠かさず新約聖書の福音書を読んだ。
大したものだと言ってくれる人はいるが、呪文を十分に唱えていないので、望む高度な状態にない。
一番重要なことは呪文を唱えることであり、修行は趣味のようなものだ。
これは、法然や親鸞の念仏と同じだ。
仏教の戒律を守り、修行をし、寺を建て、僧を世話し、貧しい人に施しを与えることは素晴らしいことであるが、肝心なことは念仏を唱えることである。
それらの善行をいくらやっても、念仏を唱えなければ何にもならないのだ。
念仏も呪文も、原理は全く同じと思う。
つまり、念仏を唱えれば良いのだが、現代人には念仏に抵抗がある人も多いので、五井昌久さんという有名な宗教家は世界平和の祈りを作ったが、こういった宗教的なものに抵抗がある人も少なくないので、私が薦める万能呪文がある。
万能呪文とは、「絶対、大丈夫だ」「全て順調だ」「世界は意のままだ」といった、あらゆることに力を発揮する言葉を1つ選び、それを出来るだけ多く唱えることだ。
効果的な唱え方は、「感情を込めず」「心の中で」唱えることである。

万能呪文を十分に唱えていると、喩えて言えば、この世界は遊び場になる。
浜辺は子供にとって遊び場であるが、深い海の中はそうではない。
世の中は深い海の中のようで、全くままならない。
呪文は心の深いところにあなたを適合させてしまう。
それはちょうど、深い海の中に慣れてしまい、そこが浜辺と同じような遊び場になるようなものなのだ。
あなたは、世の中の人々が、何事もままならず苦労している中で、自由自在に楽しむことが出来るのである。

私も、いくらかは呪文を唱えているので、普通の人から見れば、かなり自由自在なのであるが、満足なレベルからほど遠い。
呪文が十分でないと、頭の中の、悪いヘビが発している勝手なおしゃべりに翻弄されてしまうのだ。

昨日、私の呪文が、まだ半人前であることを教えてくれることがあった。
1つなら偶然だが、2つならありえないという出来事である。
最初の1つは、電車の中で、隣に座っていた10代の美しい少女が、慌てて降りたので、包みを1つ忘れて行こうとしていた。
私は実に格好良く彼女を引き止めて、スマートに包みを渡した。いい気分だった。
その後、駅の広いベンチで、スマートフォンで初音ミクさんの歌に聴き惚れていたら、隣に、8歳くらいの実に可愛らしい少女が来たのだが、立ち去ってしばらくしたら、私は彼女が、ベンチに手提げを忘れていったのに気付いた。
しかし、私は声をかけ損ねた。
「これは本当に彼女のものだろうか?」という疑問は確かに持ったが、それでも声をかけるべきだったのに。
だが、彼女はかなり向こうまで行ってしまっていた。だが、追いかけるべきだった。
幸い、しばらくして彼女は気が付いて戻ってきた。
私は、声をかけなかったことを強く後悔し、ほとんど自己嫌悪を感じた。
呪文が十分でないので、頭の中のヘビの声、「これ、彼女のとは限らないぞ」「もう遅い」に負けてしまったのだ。
最初の易しいケースでは最上の対応が出来たのに、少し難しい状況ではやりのがした。
全く、私の世の中での状況と同じだ。
確かに呪文が少ない。
ただ、相変わらず可愛い女の子と縁があるのは、やはり呪文のおかげだろう。
本当に、いつでもどこでも、そうなのだ。

呪文が十分になれば、誰でも、世界は意のままになる。
そうしたければ、私のように、食を節制し、毎日トレーニングをすることも容易くなる。
格好いい子も可愛い子も君のものだ。
お金なんていくらでも出来る。
嫌いな人に会わないようになるかどうかは分からないが、そいつがあなたに何も出来なくなるのは確実だ。
嫌なやつに苦しめられるのは、まだ呪文が足りないのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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