ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

IT、コンピュータ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

楽しくプロになる方法

とてもお得なお話をしようと思う。
このお話で、プログラミングや、それに限らず、あらゆることでプロになれる方法が解ると思う。

例えば、プログラミングについて言えば、大学の情報学科やコンピューター専門学校で学んだり、システム開発会社に入って修行した者より、普通の中学や高校の中でプログラミングしたり、会社の中でも、情報部門でない人が会社のパソコンで仕事の効率を上げるためにプログラミングした方が、良いプログラマーになることが多い。
ビル・ゲイツは高校生の時、マーク・ザッカーバーグはハーバード大学で、自主的にプログラミングをやり、結果、二人ともハーバードをやめることになった。
ネットの有名人であるQPONさんという人は、トヨタ自動車の社員だった45歳の時に、パソコンでBASIC言語でプログラミングを始め、学歴はなかったがプログラミングの力で大きな会社の参与を務め、80歳過ぎた今でも活躍中だ。

なぜ、そんなことになるかの単純な原理がある。
それは、次の音楽家の話が解り易い。
その音楽家は女性の双子だったが、事情があって、それぞれ別の里親に育てられた。
双子の1人は音楽家になったが、もう1人は音楽は駄目だった。
それは、才能の違いによるのではなかった。
この双子の、一方の里親である母親が音楽教師で、もう一方は、音楽とは無縁の家庭であったと言えば「なるほど」と思うだろう。
ただし、音楽家になったのは、音楽とは無縁の家庭で育てられた方だったのだ。
意外に思うかもしれないが、話は簡単なのだ。
音楽教師の母親の親戚、友達には、やはり、音楽に関係する人が多く、そんな人達の子供は、幼い頃から音楽の英才教育をされてた。
音楽教師に引き取られた双子の1人もそうで、小さい時から母親からピアノのレッスンを受け、そこそこ上手かった。
だが、周りにいる子供達だって、皆、ピアノが上手く、自分がちょっとくらい上手くなっても、目立たないばかりか、特に上手い子と比べられて劣等感を持ったりする。それで、つまらなくなって、音楽が嫌いになったのだ。
ところが、もう一方の、音楽と無縁の家庭に引き取られた方の双子の1人は、学校のオルガンを弾いてみたところ、他の子よりちょっと上手く弾けたので嬉しくなり、熱心に練習するようになった。すると、ますます上手くなり、皆の前で演奏すると、「やんや」の喝采を受け、ますます楽しくなって練習に励み、いろいろな音楽活動を行う中で、立派な音楽家になったのである。

プログラミングも全く同じだ。
大学の情報学科や、専門学校では、周囲の皆がプログラミングをやるので、それは、学校の算数や英語で、少々勉強しても、もっと出来るやつが沢山いるような状況だから、面白いはずがない。
ましてや、システム開発会社に入ったら、先輩達は生きるために、それなりに必死でプログラミングしているのだから、ついていくのも難しく、下っ端意識が出来てしまう。
しかし、周囲の誰もプログラミングが出来ない中で、ExcelのVBAでプログラミングしたり、Webサイトを作って見せたら、「すごーい」と羨望の目を向けられて気持ちが良い。上に挙げたQPONさんもそうだったと思うし、何より、私がそうだった。

ディール・カーネギーは、世界的ベストセラー&ロングセラーである『道は開ける』で、人間の一番強い欲望は自己重要感と述べていたが、一番かどうかはともかく、自己重要感が人間の偉大な原動力であることは確かだ。
何もスキルを持たない者が自己重要感を満足させるために、YouTubeに、目立つというだけの馬鹿げた行為の動画をアップするのだと言えば解り易いと思う。そんな者達は、自分は何も出来ないので劣等感に苦しみ、自己重要感に飢えている可哀想な者達であるのだ。

闇雲に「努力しろ」と言ったって駄目なのだ。
かといって、努力の見返りが、物や多少のお金、あるいは、好きでもなければ尊敬もしていない親や教師に褒められることでは、全然嬉しいはずがない。
そうではなくて、人間は、「やんや」の喝采が欲しい、「すごーい」という羨望の眼差しが欲しいのである。
そのためには、食欲を抑えてダイエットだって出来る人はいくらでもいるのである。
そして、人間は、「これをやれ」「このようにやれ」と言われるのは嫌いで、自主的に自由にやるのが楽しいのである。
中学や高校、あるいは、大学で、自分の好きなようにプログラミングや、その他のいろんなことを自主的にやるべきだ。
システム会社に入るのは得策ではなく、事務をやりながら仕事でプログラミングしたり、見せる相手がいなければブログでも開いて、自分のプログラミングを披露すれば良い。
楽器も、学校の吹奏楽部に入ったら、よほど上手くないと目立たないが、ロックならまだまだやってる人が少ないので、ちょっと上手くなるときゃあきゃあ言われて気持ちいい。
絵やイラストも同様と思う。

人と違うことをやれ。
ライバルが少ないところでやれ。
ちょっとやれば「やんや」の喝采を受けやすいことをやれ。
人間は、所詮、自己重要感、つまり、「私は凄い」が欲しいのである。
そして、ちょっと出来るようになったら、「私は凄い」と自分で自分を褒めてやらないといけない。
千回は褒めると良い。
すると、ますます凄くなり、プロにだってなれるのである。










ディストピア(暗黒郷)は近付いているか

1927年に公開された映画『メトロポリス』は、西暦2026年のディストピア(暗黒社会)を描いた世界初のSF映画だ。
人間と区別がつかないロボットが開発されるという、当時としては斬新な発想が取り込まれてる。
そして、原作も存在するこの映画では、人類の未来は明るいものではなく、科学技術は発達しても、世界は、そのような暗い悲惨なものになると予想したのである。

ただ、この映画では、何が悪いのかというと、今日考えられているような、人類の知性を超えたAI(人工知能)が世界を支配し、人間の自由を制限したり、最悪、人類を滅ぼすというのではなく、「格差社会」の行きついた先であるという、考えてみれば、何とも現実的なお話だ。
つまり、現在、既にそうであるように、富める者と貧しい者の2極化がどんどん進み、中間層が存在しなくなる。
それは、科学技術が発達するほどさらに進んでいく。
そして、『メトロポリス』では、富裕層は、贅沢に楽しく生きる一方、大多数の貧困層は、工場で1日中働かされるのである。
ただ、この映画では、アンドロイドは登場しながら、産業用ロボットが存在せず、働くのはもっぱら人間の労働者であるが、当時はもちろん、ファクトリーオートメーション(工場の自動生産設備)は存在せず、ロボットが働くという発想をしなかったのかもしれないが、そのあたりはよく分からない。
ところで、1993年の4話完結のタツノコプロのアニメ『キャシャーン』では、未来社会において、ロボットが世界を支配し、やはり人間を工場労働者として使役してはいるが、それは、ロボットのAIの中に「人類を滅ぼしてはならない」という指令が組み込まれているからで、ロボットが「人間とは、あまり効率の良くないパーツだ(働かせ過ぎると死ぬし、餌も必要)」と嘆く場面がある。

今後のAI社会の到来を危惧する人々もいるが、そんなことを心配するのは、意外にも知識層である。
イギリスの天才哲学者ニック・ボストロム(コンピューターや数学・物理学等、あらゆる学問に通じている)は、AIはすぐに人間をはるかに超えた知性を持つようになり、AIにとって人間はアリのような存在になるので、滅ぼされないよう全力で備えなければならないと力説する。
同様な心配をする人達の中には、イーロン・マスクやビル・ゲイツ、それに、あのスティーブン・ホーキング博士(故人)もいる。
一方、「そんなことはあり得ない」と言うのが、マーク・ザッカーバーグや伊藤穣一氏らだ。
どっちが正しいなんて、私が言うのはおこがましいが、AIが自主的に人類を支配することは有り得ないが、一部の者達がAIを使って世界を征服することは十分にあり得るし、それが未来の脅威であることは間違いないと思う。
あるいは、AIの誤用で人類壊滅規模の被害が起こりかねないということも考えなければならないだろう。
しかし、AIが「俺様は人間より優秀だから、人間は俺様に従わなければならない」なんてことを考えるのは、ちょっと・・・いや、かなりおかしい。

昨日、面白いものを見た。
1964年のアニメ『エイトマン』の『20話 スパイ指令100号』という回で、ある科学文明が高度に発達した国では、ロボットが国を支配し、人間は地下工場で強制的に働かされていた。
ところが、そのロボットの監視振りを見ていると、言っては悪いが、AI脅威論をTEDで熱く語るニック・ボストロムを思い出してしまう。
だが、なぜこんな事態になったのかというと、この国の大統領が、国民の幸福のために、全てを機械化した快適な生活環境を実現するために、科学技術の発達を推進させたが、その中で生み出されたAI(当時はAIという言葉が一般的ではなかったので、この作品中も「電子頭脳」と言われていた)が、「自分は人間よりはるかに優秀なので、人間は自分に従うべき」と考えるようになってしまったからだった。
しかし、考えればお解かりのように、自他を優劣で区別するのは、人間の自我的発想で、作ろうと思えば作れるかもしれないが、敢えてそんなものを作る理由もない。
可愛い女の子のロボットに、そんな自我機能を組み込み、「あなたは私のマスターかもしれないけど、好みじゃないから言うこと聞かない」と言われるのを喜ぶ人がいないとは限らないが、普通、ロボットには命令服従を求め、そのように作ることだろう。
まあ、このあたり、考えるとキリがないが、最後にエイトマンはこう言うのである。
「人間にあって機械にないのは、夢と愛だ」
ところで、そのお話の最後に、なんと、ジェームズ・ボンドが登場する。55年前のお話だから、当時、ボンドが35歳とすれば、現在「まだ」90歳。
「シンギュラリティ」の概念を提唱したレイ・カーツワイルによると、21世紀には、身体の機械化はどんどん進み、人間は不死に近付くので、90歳は老人にならない。
・・・と、そういったことから、何か歪みが生まれ、それがディストピアを作るのかもしれないが・・・

ただ、スマートフォンやスマートスピーカー、あるいは、多くのIoT機器は、常時、我々の声を聞き、姿を見、行動を追跡していることは確かで、我々は「シャンと」しなければ、知らないうちに自由を奪われている状況になりかねない。
だが、その原因を作るのはAIではなく、支配層である。
4月に出版される私とMr.φさんの共著の『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)を読み、楽しみながら実践的にAIを理解していただければと思う。
・・・と言っておいて何だが、諸事情で、出版が5月にずれ込む公算が高くなってきた。より良い本にするために、まだ手を加えている。また追ってご報告しようと思う。











東京オリンピックから始まったW.ルスカの悲運

56年前の1964年の東京オリンピックでの大事件とも言える出来事に、柔道無差別級で、オランダのアントン・ヘーシンクが金メダルを獲得したことがあった。
日本の柔道関係者は、唖然茫然としていたようだ。
今では考え難いが、日本の柔道選手が外国の選手と戦う際、古い順に、
・怪我をさせるな
・気をつけていけ(ナメるな)
・負けるな
で、当時はまだ、「怪我をさせるな」の段階だったと思われる。
東京の次のメキシコでは、柔道はオリンピック種目から外れ、その次のミュンヘンでは、あのオランダのウイリアム・ルスカが登場した。
以下の内容は、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』を参照した。

実は、1964年の東京オリンピックの、オランダでの国内予選でも、ルスカは全勝しており、世界選手権優勝者であるヘーシンクと共に東京オリンピックに出場するのが当然であった。
だが、おそらく政治的な理由で、ルスカは代表を外された。ルスカは娼婦と暮すナイトクラブの用心棒だったのだ。だが、その仕事だって、ルスカの師の(やはり不遇な柔道家)ブルーミングが、仕事がなく経済基盤がないルスカ(実際に娼婦のヒモだった)を不憫に思い、善意で紹介したものだった。
ルスカは落胆したが、まだ24歳だったので、次のメキシコを目指すが、先程も述べた通り、メキシコでは柔道は競技種目から外れた。
そして、32歳になったルスカは、最後のチャンスであるミュンヘンに出場し、無差別級と重量級の2つにエントリーする。
東京オリンピックの時とは、選手層・・・特に日本人以外の選手の躍進が凄まじかった。
東京オリンピックでの重量級の出場選手は9名だったのに対し、ミュンヘンでは26名だった。
しかし、日本でも修行を重ねたルスカは見事、両方で優勝し、後にも先にもただ1人、オリンピック柔道で2つの金メダルを獲得した。
だが、ヘーシンクがオリンピックで優勝したことで億万長者になったのとは全く違い、娼婦のヒモに戻っており、柔道バカのルスカには、ヘーシンクのような勲章は与えられず、道場を開くことすら出来なかった。
ルスカは、新渡戸稲造の『武士道』に心酔する、ある意味、純粋な武道家だった。
娼婦のヒモになったのは修行に打ち込むためだったと思われるし、柔道以外のことは分からなかった。
その後、ルスカは日本で、アントニオ猪木と試合をすることになるが、その裏側の詳細は、上でご紹介した、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』が面白かった。

日本でも、オリンピック出場選手と、紅白出場歌手の選考の不透明性がよく話題になる。
それらのことは、私は全く興味がないが、オランダでのルスカの扱いには、その本の情報が本当なら理不尽を感じる。
ツイてるヘーシンクと、ツイてないルスカだが、生涯を通じてそうだったようだ。
武道家を目指すルスカが、オリンピックを通じてスターになるという願望を持ったこと自体が間違いかもしれないが、現代においては、他に取り得がなかった若いルスカにそれを求めるのは酷というものだろう。
インターネット等の情報テクノロジーが発達した現代においては、マスコミの表舞台に立つべきではない。それは、権威と関わるなということだ。
米津玄師さんは、本意とはとても思えないが、2018年の紅白歌合戦に中継とはいえ出場したが、やはり、2019年は断ったようだ。
そして、スポーツや格闘技の分野でも、大企業やマスコミと関わる必要がなくなるアイデアを出す者が出てくるに違いないし、もう実践している人もいるかもしれない。
今や、誰もが放送局を持っているようなものだし、良いものであればSNSで拡散する可能性が高い。
もう、正直者が馬鹿を見ない。
ルスカを現代の反面教師として見るのも良いかもしれない。
それも含め、いろんな意味で、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』は一度読むと良いと思う。











【勉強法対決】AI vs アイザック・ニュートン

アイザック・ニュートンの勉強法を興味深いと思ったことがある。
ニュートンは、何かの本(例えば、デカルトの数学の本)を学ぶ際、最初から読んでいき、解らなくなったところで、その本の勉強をしばらく止め、また最初から読んだ。
すると、2回目は1回目より先に行ける。
それを繰り返せば、いずれ、1冊読み終わり、内容をマスターしている。

現代のAIの主流であるディープラーニングも、そんな学習をする。
ただ、ディープラーニングの場合は、本に例えれば、最初から1冊読み切ってしまうのだが、本と違って、最初の方と終りの方に差異がないデータで学ぶから、それで良い。
それを、何百、何千回と繰り返し、遂に、内容をマスターしてしまう。

本は、最初の方と終りの方では内容が違うので、必ずしも、最初に通読する必要はない。
そして、ニュートンは、その本をいったん読むことを止めても、別のことを勉強したり、あるいは、自然を観察したり、何かを考えたりしていたのだと思う。
それは、ディープラーニングには出来ない勉強だ。
確かに、AIは、固定された(同じような)情報であれば、人間とは比較にならないほど速く、数多く繰り返すことが出来る。
とはいえ、やはり、AIが学ぶ範囲は狭いし、多様性に欠ける。

ところで、ニュートンだって、「解らなくなった時点で、いったんその本の勉強を止める」といっても、案外に、放置する時間は短かったかもしれない。
そして、前の方の部分を特に数多く繰り返し、その中にある法則を掴み取るのであるが、重要な基礎は前の方に書かれてある場合が多く、ニュートンは基礎を柔軟な形で習得したのだと思う。
だが、現代の学校で流行の短気集中型学習では、基礎が深く定着せず、せいぜいが受験には役に立つが、実用的なことが出来る力はつかないと思う。
私は、ディープラーニングの良い面も意識しながら、ニュートンのように勉強しようと思う。
短期間に詰め込むような学校式の勉強は避け、あまり一生懸命やらず気楽で良いが、例えば1日1回は必ずテキストを開こうと思う。
これなら、何でもマスター出来るだろう。











2つの超呪文

どんな呪文を愛用するかで、人生は決まる。
そして、全ての人に共通する万能の呪文はない。
法然や親鸞の時代なら、「それは『南無阿弥陀仏』じゃ!」と言っても良い事情があったが、今は、そうではない。

今日は、面白い呪文を2つ取り上げよう。
きっと、気に入ると思うし、試してみても良いと思う。

1つは、ドイツのベルベル・モーアの『星からの宅配便』からだ。
その呪文は、「心おだやかに!」である。
10歳の少女アンナは、学校のハンスという、意地悪な男の子のことで悩んでた。いわゆる「ムカツク!」男の子である。
アンナは母のマルタから、「心おだやかに!」の呪文を教わり、ハンスに嫌な目に遭わされる度、この呪文を唱えた。
しかし、状況が改善せず、アンナはハンスに、「あんたにムカつく時にはいつも、『心おだやかに!』っておまじないを唱えているの」と言う。
そう言われたハンスは、「ふうん」と言って黙り、それからあまり意地悪をしなくなった。
しばらくして、アンナはハンスから、自分も「心おだやかに!」のまじないを使っており、さらに、他の子達にも教え、教えられた子達も使っていることを教えられる。
ハンスも、そして、他の子達も、皆、ムカつく何かがあるのだ。

もう1つは、ジェームス・スキナーの『100%』にある、愉快な呪文だ。
それは「こげばいいでしょう!こげば!」である。
これは、「ツール・ド・ヨーロッパ」という、ヨーロッパの14ヶ国5000キロを自転車で走るクレイジーなイベントに参加した選手の1人がつぶやき、選手達の間で流行った言葉だ。
37日の競技の初日には、炎天の太陽で肌は焦げ、足はパンパンで、全員クタクタだ。
選手達の平均年齢は43歳。
3日目、スペインのアンダルシア地方は昼に摂氏43度に達する。
山もあり、死ぬほどつらい。
夜になってもホテルに着かない。
そんな中で、1人の選手がつぶやいたのだ。
「こげばいいでしょう!こげば!」
すると、これが皆の口癖になった。
「道を間違ってしまった。30キロ伸びまーす!」
「こげばいいでしょう!こげば!」
「この先、峠が3つです」
「こげばいいでしょう!こげば!」
「これは2週間安静の大怪我です」(転倒した選手が肋骨を折った)
「こげばいいでしょう!こげば!」
「今夜のホテル、お湯は出ません」
「こげばいいでしょう!こげば!」
そして、37日後、全員がゴールした。

文句を言わず、やるべきことを淡々とやれば、嫌でも成功するということだ。
試験が迫っているなら、「勉強すればいいでしょう!勉強すれば!」だ。
セールスの仕事なら、「セールスすればいいでしょう!セールスすれば!」だ。
ダイエット中なら、「運動すればいいでしょう!運動すれば!」だ。
ブログを毎日書くと決めたら、「ブログを書けばいいでしょう!書けば!」だ。
自分に合うように変えれば良い。
他にも・・・
「歯医者に行かないとけない」
「行けばいでしょう!行けば!」
「健康保険料、毎月10万円払わないといけない」(高給取りが退職すると、こんな目に遭う)
「払えばいいでしょう!払えば!」
「可愛いあの子を口説くんだ」
「口説けばいいでしょう!口説けば!」(ただし、紳士的に)

ああ、ところで、誰にも教える気はないが、ついに理想のプログラミング言語を見つけた。
それはGo言語だ。
うんざりするほど遅い開発環境(VisualStudioのような)もない。
オブジェクト指向でもない(!)。
ループ文はforだけ(!)。
だが、Googleが作った新しい万能言語で、OSを選ばず、作ったものはどのOSでも動く。しかも、超高速だ。
JavaもC#もPythonもRubyも、もう古い!(※主観)
いまさら、新しいプログラミング言語を覚えるのも億劫だが、
「勉強すればいいでしょう!勉強すれば!」
である。
Webも、スマホアプリも、AIも、全部Goで作ってやるんだ・・・(作れる)
「作ればいいでしょう!作れば!」
でもまあ、一番役に立つのはVBAである(ニッコリ)。











プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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