私は、社会人になって初めての仕事がセールスマンだったが、これほど私に向いていない仕事はないと思う(笑)。
しかし、私は、入社早々、セールスコンテストで、社内の強豪セールスマン達を押しのけて優勝した。
あれは、私のセールスの実力ではなく、引き寄せの力である。
当時は、引き寄せと言えば、ジョセフ・マーフィーの本を2冊読んでいた位だった。
やり方は、優勝したこと前提でいたことだと思う。
同じやり方で、例えば、「あの子が自分の彼女であること前提」でいれば、あの子は自分の彼女になる。
これについて、楽しく語る(笑)。

何かの本で読んだが、お釈迦様が、ある男に、精神トレーニングのつもりだったかもしれないが、自分を牛だと思えと命じた。
しばらくして、お釈迦様がその男に、小屋から出て来いと言うと、その男は、「角がつかえて出られない」と言った。
その男は、自分が牛であることが前提になっていた。
これが、見事に牛になり切ったということである。
このようにやれば良いのだ。

『ガラスの仮面』という有名な超長編漫画がある。
その、最初の方の話だと思うが、私は流し読みした程度であまり憶えていないが、こんな感じの話があったと思う。
ヒロインの北島マヤが、まだ本格的な演技の訓練をする前の頃だったと思うが、そこに小鳥がいる演技をするよう言われる。
才能を感じさせる見事な演技だったのだと思うが、その演技が終わった後でも、マヤは、ごく自然に、そこに小鳥がいるかのように振る舞った。
マヤにとっては、本当にそこに小鳥がいるのだった。
つまり、マヤの世界では、小鳥がいることが前提なのである。

演技と言えば、「20世紀最大の詩人」と言われたノーベル賞作家である詩人W.B.イェイツは、詩『ラピス・ラズリ(瑠璃)』で、「主役を演じるほどの役者は演技しながら泣かない」と述べている。
ところで、私は中学生の時、学校行事で能を見たことがある。
すると、後で、音楽教師が、公演中、演技をしている役者が泣いていたと言う。演技しながら、内容に感情移入して泣いていたといったような主張だったと思うが、駄目な教師だ(笑)。
それは、役者が泣いていたのではなく、登場人物が泣くシーンであり、その演技が迫真だったので、その音楽教師が騙されただけだ。
上の釈迦に「牛になれ」と言われた男は、牛になった演技をしたのではない。本当に牛になったのだ。
北島マヤは「小鳥がいるつもり」になったのではなく、本当に小鳥がいたのだ。
劇を見て泣くのは観客である。登場人物は泣くシナリオでない限り、泣いたりしない。

さて、ジョセフ・マーフィーは、お金を引き寄せるための、上の話が分かれば特に簡単に出来るテクニックを紹介している。是非、『ガラスの仮面』の最初の方を読みながら実践すると良いだろう(笑)。
100万ドルといえば、今は円安で1憶5000万円ほどになると思う。
いずれにしろ大金だ。
それを得るには、それを使うことを考えろとマーフィーは述べている。
ただ、上で述べた、牛になった男や、北島マヤのように、本当に100万ドルがある前提でいなければならない。
だからといって、本当に10万ドルのポルシェを注文までしてはならないが(笑)、本当に欲しいなら「では買おう。100万ドルあるのだから楽々だ」と本気で思わないといけない。
ある、急に引き寄せがうまくなった若い女性は、自分が年収1憶円であることを前提にした。すると、町で高級車を見ると「私も買おうかな」と本気で思い、一千万円のマンションのチラシを見たら、本当に買えると感じながら「買っておこうかな」と思ったそうだ。そして、会社をリストラされた時でも、「まあ、年収1憶あるから別にいいか」と思ったらしい。そうしたら、本当に金持ちになり、まだ年収1憶とは言わないが、資産が1憶円になったという。
彼女がやったことが、マーフィーが言う「100万ドルを使うことを考えれば得られる」の実践だと思う。








  
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