『笑点』という、1966年から続いている日本テレビのテレビ番組をご存じだろうか?
多くの人が、一度くらいは見たことがあると思う。
メインは、問題を出す司会者役と回答者役の、合わせて6人の落語家で行う「大喜利」である。
日本人なら、普段の会話でも、面白いことを言った人に「座布団一枚」と言って通じる場合がほとんどと思う。
私は、子供の頃は、これをよく見ていたと思う。
しかし、「大喜利」の中の回答で憶えているものは何かというと、すぐに出て来る人はいないと思う。
つまり、唸るような名回答というものが期待されているわけではなく、「ちょっと頓智(とんち。機知のこと)が効いた」程度の答を気楽に楽しもうというものと思う。
ところが、私は、「大喜利」で、1つだけ、はっきり覚えている回答がある。

それは、こんなものだった。
おそらく、「ありえない話をしなさい」というのが問題だった。
そして、林家木久扇(はやしやきくおう)さんが、こんな回答をした。
「ぐにゃぐにゃ道を真っすぐに、前へ前へとバックする」
この回答が受けたかどうかは憶えていないが、私は、この回答が忘れられない。
重要なのは前半の「ぐにゃぐにゃ道を真っすぐに」だ。
あくまで、ぐにゃぐにゃ道を進むのだから、道を突っ切って前に進むというのとは違う。
(よって、量子力学のトンネル効果による場合も除く)
ぐにゃぐにゃ道を真っすぐに進むことが出来るだろうか?
おそらく、子供だった私は「出来る」と思ったのだ。
それも、現実的に。
そして、釈迦なら、やはり「出来る」と言うだろう。
前にも書いたが、私はパートタイムでは賢者になるのである(まあ、誰でもだが)。
そして、ずっと後で知ったのだが、禅の公案の中に、
「九十九(つづら)折りの道を真っすぐ歩け」
というものがある。
九十九折りとは、折れ曲がった道、つまり、ぐにゃぐにゃ道である。
私は、子供の時に、それが出来ると思ったので、禅の公案に半分は合格なのであるが、どう可能なのかを言うことは出来なかった。
皆さんは、どう歩けば良いか分かるだろうか?
これに関しては、敬愛する天才発明家で、能力開発のスペシャリストであった中山正和さんが、
「犬になれば良い」
と本に書かれていた。
つまり、犬的に言えば、
「え?曲がってましたか?」
というようなもので、道が曲がっていたかどうかなど、どうでも良いわけである。
このことが書かれた中山正和さんの『瞑想と潜在能力』は、潜在能力の開発、あるいは、引き寄せに関しても名著と私は思う。

思考を消せば、潜在意識の力が解放され(思考が潜在意識の邪魔をしない)、奇跡も起こせる。
犬になったつもりで思考を手放せというのが、禅の教えであるのだろう。
犬というわけにはいかないが、私も、必要ない限り人形にでもなろうと思う。
『吸血姫美夕(ヴァンパイアみゆ)』というアニメで、美しい人間を人形に変えてしまう真魔(しんま。神と悪魔の性質を持つ怪異)が登場するが、人形に変えられた美少年は、案外に幸福そうだった。








  
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