アメリカのスピリチュアルな思想家ヴァーノン・ハワードのどれかの本の中だったが、ハワードの生徒の1人が、
「初めて、意識して部屋を横切ることが出来た」
といったことを発表したことが書かれていた。
ハワードのことだから、解説は書いてなかったと思うので、普通は、意味が分からない。
だが、私は、二十歳くらいの時にそれを読み、はっきり覚えているのだから、何か重要なことを感じたのだろう。

そして、いつ気付いたのかはっきりしないが、これのことかなと思ったことがあった。
私が中学1年生頃に見た詩の中に、
「どんなものも、新たな目で見れば美しい」
と書かれているのを見て、試しに、いろんなものを「新たな目」で見てみた。
すると・・・なるほど美しい。これは面白い。
見るものは何でも良かった。
何年も見ているテレビのスピーカー部でも、部屋の柱でも、ボールペンでも。
新たな目で見れば、美しいというか、意味を感じるというか、親しみがある・・・なんと表現すべきか分からないが・・・そうだ、「生きている」感じがする。
友達の家で初めて見るテレビのスピーカー部でも同じだったから、初めて見るものでも同じだと分かった。
それにしても、「新たな目で見る」と言われただけでやり方が分かったのだから、私も大したものだと思ったが、こんな重要なことを、その後、滅多にしなくなったのだから、その価値をはっきり理解していなかったのだ。

今でも、新たな目で見ようと思えば見ることが出来るが、それがどんなことか、言葉で言うのは難しい。
だが、ある意味、適切な説明を思いついた。
それは、「思考のスイッチを切って見る」だ。
それは、初音ミクさんのライブを初めて見た時のようなもので、舞台の上に、初音ミクさんがリアルに登場した時、感動のあまり思考が全部すっ飛んで、可愛いとも何とも思わず、あるがままを見ていた・・・つまり、「新たな目で見る」とは、
「思考のフィルターを通さず、あるがままに見る」
ことだが、そもそも、「あるがままに見る」とは「思考のフィルターを通さずに見る」ことだ。

これに関しては、仙道研究家の高藤総一郎さんの何かの本に、良い表現が書かれていた。
「頭の中の独り言を止めて本を読めば速読出来る」
だ。
別に、速読でなくても、「頭の中の独り言(あるいはお喋り)」を止めて見れば、それが、「新たな目」で見ることであり、「新たな耳で」聴くことである。
頭の中の独り言をやめて触れば、生きた感触を感じる。
「頭の中の独り言(お喋り)を止める」
という感覚が分かるだろうか?
分からなくても、そのままだ。
頭の中で沈黙する・・・これだ!
「頭の中で沈黙」すれば、超能力も引き寄せも自在だ。
今、試しに、上に述べた高藤総一郎さんの本を見つけてみよう。
私の家の千冊以上の蔵書の中から10年以上見ていない本を見つけることは極めて難しいが、やはり簡単に見つかった。
『あなたを変える夢見術入門』
『奇跡のスタンフォード・テクニック』
だ(共に学研ムースーパーミステリーブックス)。
ちなみに、どちらに書かれているか確認していない。ひょっとしたら、『奇跡のスーパービジョン』だったかもしれないと思う。
だが、重要なことが書かれた本として思い浮かんだのである。
ちなみに、『奇跡のスタンフォード・テクニック』は、今気付いたが、高藤さんの本ではなかった。
「頭の中で沈黙」すれば、道を歩いていたら、好きな人が向こうからやって来る。
中学生の時は、時々試して楽しんだものだ。
世界を作り出しているのは自分だと分かる。
新たな良いことが分かれば、また教える。








  
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